凡例 : 匂宮 : 紅梅・ 竹河 : 橋姫・ 椎本・ 総角・ 校訂付記 : 巻末評論・ 目次 原文現代語訳 ・ : 四五三 ・ : 三八六 ・ : 三五七 ・ : 三三 0
385 椎本 いかにも美しく、糸を縒りかけたようである。紫の紙に書 いてあるお経を片手に持っておいでになる手つきが、もう お一人よりやせていて、細々としていらっしやるようであ る。先刻立っていた女君も、襖の戸口におすわりになって、 何かおかしいことがあるのか、こちらのほうを見てにつこ りしているのが、まったく心をそそりたてられるよ , つなか わいらしさである。
し。いみじのわざや、いかにしてかはかけとどむべきと、言はむ方なく思ひゐ一大君の生命を。 0 世俗的な結婚を拒否しながらも、 大君は薫に真情を告白し、彼の胸 たまへり。 奥に美しき印象を残したいとする。 語 ふだんぎゃうあかっきがた 物 不断経の暁方のゐかはりたる声のいと尊きに、阿闍梨も夜反俗的な愛の希求というべきか。 〔三三〕阿闍梨八の宮の夢 四 氏 ニ↓二五〇ハー六行。ここは明け だらに じんじよう ごや 源を語り大君罪業を嘆く 方、後夜から晨朝へ交替。その時、 居にさぶらひてねぶりたる、うちおどろきて陀羅尼読む。 前番・後番の僧の重唱となる。 くら′ 老いかれにたれど、いと功づきて頼もしう聞こゅ。阿闍梨「いかが今宵はおはし三寝所近くで終夜加持する僧。 四梵語をそのまま読む。『枕草 ましつらむーなど聞こゆるついでに、故宮の御事など聞こえ出でて、鼻しばし子』に「陀羅尼は暁、読経は夕暮」。 五修行の年功を積んでいる意。 ばうちかみて、阿闍梨「いかなる所におはしますらむ。さりとも涼しき方にぞと六涙の出るさま。 セ亡き宮はあの世のどんな所に。 ぞく 〈極楽。地獄を炎熱の所という 思ひやりたてまつるを、先っころ夢になむ見えおはしましし。俗の御かたちに のと対。生前の道心の深さから往 て、世の中を深う厭ひ離れしかば、心とまることなかりしを、いささかうち思生が予想される。↓椎本一三九ハー 九俗体の姿。往生できなかった ひしことに乱れてなん、ただしばし願ひの所を隔たれるを思ふなんいと悔しき、証。また前に中の君の夢の中に物 思い顔で現れたのも成仏しなかっ た証。↓二四五ハー一二行。 すすむるわざせよと、いとさだかに仰せられしを、たちまちに仕うまつるべき 一 0 二行後、すすむるわざせよ」ま ことのおばえはべらねば、たへたるに従ひて行ひしはべる法師ばら五六人して、で、夢の中での宮の言葉。 = 姫君たちの身を案じて。大事 な臨終の際にその妄想が浮んで、 なにがしの念仏なん仕うまつらせはべる。さては思ひたまへ得たることはべり 往生の一念が乱れたという趣。生 じゃうふきゃう て、常不軽をなむつかせはべる」など申すに、君もいみじう泣きたまふ。かの前の懸念が的中。↓椎本一四四ハー ( 現代語訳四三九ハー ) さい 一セ あぎり
に思ひたれば、包ませて供なる人になむ贈らせたまふ。ことごとしき御使にも = 自分 ( 大君 ) が出しやばって。 一七 一ニ後朝の返書の作法。母親か乳 うへわらは あらず、例奉れたまふ上童なり。ことさらに、人にけしき漏らさじと思しけれ母の立場に立って対処する。 もえ すおう 一三「紫苑ーは、表蘇芳、裏萌黄の おいびと か * 、ね ば、昨夜のさかしがりし老人のしわざなりけりと、ものしくなむ聞こしめしけ襲色。「細長」は貴婦人の表着。 一四表、裏のほかに中にもう一枚 絹の入っているもの。これも女物。 る。 一五匂宮は使者に、目だたぬよう さそ れぜいゐん しかし大君 その夜も、かのしるべ誘ひたまへど、薫「冷泉院にかならすさぶらふべきこ注意していたらしい は、妹の正式な婚儀であることを とはべれば」とて、とまりたまひぬ。例の、事にふれてすさまじげに世をもて表明すべく禄を与えようとする。 一六使者に従っている供人。肩に かける禄を、目だたぬよう包んだ。 なすと憎く思す。 宅殿上童。↓椎本一三七ハー九行。 いかがはせむ、本意ならざりしこととて、おろかにやはと一〈匂宮の心中。先方が禄を与え 〔三〕大君、中の君をな た深慮を理解しえない。↓注一五。 だめ匂宮を迎えさせる 一九昨夜手引した弁。 思ひ弱りたまひて、御しつらひなどうちあはぬ住み処のさ ニ 0 新婚二日目の夜。 ニ三なかみち まなれど、さる方にをかしくしなして待ちきこえたまひけり。遥かなる御中道三薫の道心。↓橋姫一二一ハ 一三大君の心中。願わなかった結 婚だからとて、疎略にもできない。 角を、急ぎおはしましたりけるも、うれしきわざなるぞ、かつはあやしき。 ニ三匂宮が。↓椎本一六四ハー注四。 正身は、我にもあらぬさまにてつくろはれたてまつりたまふままに、濃き御ニ四思えば不思議なこと。大君の 総 、いに即した語り手の評。 ニ六 ぞそで 衣の袖のいといたく濡るれば、さかし人もうち泣きたまひつつ、大君「世の中一宝濃い紅色。今夜のための装い ニ六しつかりした者、大君。 に久しくもとおばえはべらねば、明け暮れのながめにもただ御事をのみなん心毛わが身の短命を予感して言う。 さうじみ ニ 0 よべ 一九 れい ニ四 す ニ七 ニ五
おそ ひたまはざらまし。かしこけれど、かくいとたづきなげなる御ありさまを見た一畏れ多い申しようだが。 ニ頼みどころなさそうな。弁は てまつるこ、、、 冫し力になりはてさせたまはむと、うしろめたく悲しくのみ見たてあえて宮家の生活の窮乏にふれる。 三婿君の将来の気持は分らぬが。 語 のち 四 すくせ 物まつるを、後の御心は知りがたけれど、うつくしくめでたき御宿世どもにこそ男の心変りもありうるという一般 氏 的な判断を、挿入させた文脈。 六ゆいごんたが 源おはしましけれとなむ、かつがっ思ひきこゆる。故宮の御遺一一 = ロ違へじと思しめ四大君も中の君も幸運、の気持。 五何はともあれ。 す方はことわりなれど、それは、さるべき人のおはせず、品ほどならぬことや六↓椎本一四四ハー。 セ宮家の婿たるにふさわしい人。 ^ 身分の不釣合いな縁組。 おはしまさむと思して、戒めきこえさせたまふめりしにこそ。この殿のさやう 九薫が大君と結婚したい気持を なる心ばへものしたまはましかば、一ところをうしろやすく見おきたてまつりお持ちなら、姉妹の一人 ( 大君 ) だ けは安、いしてお残し申し。↓椎本、 て、いかにうれしからましと、をりをりのたまはせしものを。ほどほどにつけ一四一ハーの父宮の願望。「殿」の呼 称に注意。薫を邸の主人格に呼ぶ。 おく 一 0 どんな身分の人でも大事と思 て、思ふ人に後れたまひぬる人は、高きも下れるも、心の外に、あるまじきさ ってくれる親に死別なさった人は。 まにさすらふたぐひだにこそ多くはべるめれ。それみな例のことなめれば、も = 親のない姫が不本意にも身分 低い男と結婚する例が多いとする。 ヲサナ どき一言ふ人もはべらず。まして、かくばかり、ことさらにも作り出でまほしげ菅原道真「少キ男女ヲ慰ム」 ( 菅家 後集 ) にも公卿の子女が巷にさま よう姿が描かれている。 なる人の御ありさまに、、いざし深くありがたげに聞こえたまふを、あながちに 三本人の責任ではないから。 一三以下、薫との理想的な縁組。 もて離れさせたまうて、思しおきつるやうに行ひの本意を遂げたまふとも、さ 一四あなたが勝手に振り切って。 こと 一五かすみ りとて雲、霞をやは」など、すべて言多く申しつづくれば、いと憎く心づきな大君の「昔より思ひ離れ : ・」 ( 前ハー
503 各巻の系図 椎本 △葵の上 明石の君 △源氏 ( 六条院、故院 ) △致仕の大臣 朱雀院 明石の中宮 ( 后 ) 女一の宮 ( 今上の姫宮 ) コ上帝 ( 帝 ) . 匂宀呂 ( 三の宮、兵部卿宮、宮 ) 女三の宮 ( 入道の宮 ) 宰相中将、宰相の君、宰相、中将、 中納言の君、中納言殿、客人、君 △柏・不 ( 大納言 ) 藤大納言 タ霧 ( 右大殿、大臣、大殿 ) △大臣 △北の方 △左中弁 △柏木の乳母 八の宮 ( 宮、聖の宮、親王 ) 大君 ( 姫君、姉君 ) の丑 ( 君、中の宮 ) △北の亠刀 ( 母北の方、母君 ) ム廾 ( 老人、古人 ) 右大弁 侍従宰相 権中将 頭少将 蔵人兵衛佐 六の君 阿闍梨 宿直人
らず。何かは、人の御ありさま、などかは、さても見たてまつらまほしう、生一何の遠慮がいるものか。以下、 ・ 4 次 ~ 見えさせたまふに」まで、母 五 真木柱の心中。 ひ先遠くなどは見えさせたまふになど、北の方思ほしよる時々あれど、いとい 語 ニ匂宮の人柄に何の不足があろ 物たう色めきたまうて、通ひたまふ忍び所多く、八の宮の姫君にも、御心ざし浅 三宮の御方の夫として、匂宮の 源 からで、いとしげう参で歩きたまふ、頼もしげなき御心の、あだあだしさなど世話をしたい意。 四将来の望みのあるお方。 も、いとどっつましければ、まめやかには思ほし絶えたるを、かたじけなきば五匂宮は。 六宇治の八の宮。桐壺帝第八皇 子、光源氏の異母弟。橋姫巻以後 かりに、忍びて、母君そ、たまさかにさかしらがり聞こえたまふ。 に本格的に登場。この「姫君」は中 の君。匂宮は、椎本巻 ( 〔一〕〔 = 〕 ) で宇治を訪れ、総角巻 ( 〔一 0 〕 ) で中 の君と結婚 セ浮気つばい性分なども。 ^ 匂宮と宮の御方との結婚を。 おそ 九匂宮の高貴な身が畏れ多いと だけ。体よく断る口実である。 一 0 真木柱がたまに代筆する意。 0 匂宮と宇治の八の宮の姫君との 交渉は、後の宇治の物語の予告か。 不遇な皇胤の姫君、宮の御方の物 語は、その宇治の物語へと主題的 に受け継がれるといえよう。 ま う あ 四
379 椎本 あなた様のほうは、姉君としてのお気持で、この私がわざ ありでないような方に対しては、当初のお気持をお変えに なるようなお仕向けなどを、けっして軽々しくお見せになわざ雪を踏み分けて参上したその好意だけをお汲み取りく ださいますように。宮のお心寄せは、あなた様ではなく妹 りそうもないお人柄でございまして。世間では存じあげな い宮のことを私はよく承知しておりますので、もしお似合君のようでございます。宮が妺君にちらとそのことをお漏 しになったようでもございましたが、さあ、それも、はこ いのご縁とお考えになり、そのようにというお気持になら からは判断申しあげかねることです。宮へのご返事などは れるのでしたら、そのお仲立ちなどは私が心の及ぶかぎり ご奉仕させていただきましよう。そうなりましたらご両所どちらのお方がおあげになっていらっしゃいますか」とお ' プも ) 宀呂 のためにこちらとあちらを往き来して、さぞ足の痛いこと尋ね申されるので、姫君は、「よくそ自分は、冗談 おももち にご返事をさしあげなかったことよ、別にど , っとい , っこと になりましようが」と、中納言がまったくきまじめな面持 けそう でもないけれど、もしそうだったら、こうした中納言のお でお言い続けになるので、姫君はご自身が懸想の相手であ るとはお思いよりにもならず、妹君の親になったおつもり尋ねに対してもどんなにか恥ずかしく胸のつぶれる思いを したことであろう」と思うと、とてもご返事申しあげられ で答えよう、と思案をめぐらされるけれども、やはりいか るものではない にもご返事のしようもない気がして、「なんと申しあげた らよいのでしよう。お心をおかけくださっているかのよう 雪ふかき山のかけ橋君ならでまたふみかよふあとを見 あいさっ ぬかな にいろいろ仰せられますので、かえってどうもご挨拶の申 ( 雪深い山のかけ橋は、あなた様のほかには踏み通っていら しあげようもございませんで」と笑いに紛らせていらっし っしやるどなたの足跡をも見たことはございません。私は、 やるのが、おおらかであるものの、どことなく好ましく感 ぜられる。 あなた様以外のお方とお手紙のやりとりをしたことはござい ません ) 中納言が、「このお話は、必ずしもあなた様ご自身がお 聞き取りにならねばならぬこととも存じあげないのです。 と書いておさし出しになるので、中納言が、「こんなお言
367 椎本 と手当をしているところなのです。それにしても、いつも るようなことはしないでおくれ」などと仰せられる。 冫しよいよお出かけになろうとするとき まだ暁の時分こ、、 にまして、あなた方の顔を見たくてならない」と父宮のお ことづて にも、宮は姫君たちのお部屋にお越しになって、「わたし 言伝を申しあげる。姫君たちは胸がつぶれて、いったいど の留守の間、心細がってくよくよしてはなりませんよ。気うなさったのか気が気でなく、お召物を、その綿を厚く急 いでお作らせになってお届け申したりなさる。二日三日し 持だけは明るくもって、音楽の遊びなどをなさい。何事も 思いどおりにはならない世の中なのですから。そう深くお ても宮はお下りにならない。どんなご容態なのかと、再三 考えになってはなりませぬ」などとおっしやって、後ろ髪使者をおさし向け申されるけれども、父宮は、「とくに悪 いというわけではなく、ただ、なんとなく苦しいのです。 をひかれる思いでお出かけになった。お二人の姫君は、い よいよ心細く、あれこれと物思いに沈むほかなく、起き臥多少とも楽になったら、じきこ、、、ゝ しカまんして下山しよう」 あじゃり し語り合っては、「私たちのどちらか一人がいなかったり などと口上でご返事申しあげなさる。阿闍梨がおそばに付 したら、どうして朝夕を過すことができましよう。今のこ ききりでお世話申しているのだった。阿闍梨は、「なんと とも、これから先のことも、どうなるやら定めない世の中 いうこともないご病気と見えますが、あるいはこれが最期 ですから、もし別れ別れになるようなことでもあったら、 でいらっしやるかもしれません。姫君たちの御身の上につ どういたしましよう」などと、泣いたり笑ったり、遊び事 いては、ど , っしてお、いを労されることがありましょ , つ。人 にもお手仕事にも、仲よく慰め合いながらお過しになる。 は、みなご運がそれそれにお定まりなのですから、お案じ ねんぶっさんまい になるべきこともおありではないのです」と、いよいよこ 〔を八の宮、山寺にて父宮が行っていらっしやる念仏三昧 病み、薨去する は今日終ったはすだからと、お帰りの世への執着をお捨てにならねばならぬことをお教え申し をまだかまだかと姫君たちがお待ち申していらっしやるタ ては、「この期に及んでは、山をお下りになりませぬよう」 と、おさとし申すのであった。 暮に、山寺から使者がまいって、「今朝から気分がわるく て、そちらへはまいられません。風邪かと思い、あれこれ 八月二十日のころであった。たださえ一帯の空の景色も
377 椎本 中の宮は、 る。阿闍梨の僧房から、炭などといったものをさしあげよ 奥山の松葉につもる雪とだに消えにし人を思はましか 尸しつもそうすることになっておりま うとて、「長年の 1 したご用立てが、今年になって絶えてしまいますのも寂し ( せめて、亡くなられた父宮を、この奥山の松葉に積る雪と ゅうございますので」と申しあげた。こちらからも、冬ご でも思うことができたらと思います ) もりの僧たちが山風をしのぐ料として、綿入れなどを例年 ししオナ气カ , つ、らわ、・亠まー ) 父宮はこの世から消えておしま、こよっこ、、ゝ、 お遣わしになっていたことをお思い出しになって、お持た わらわ いことに、雪は消え残って、さらに降り積っていくことで せになる。使者の法師たちゃ供の童などが山道を登ってい はある。 くのが、ほんとに深い雪の中に見え隠れするのを、姫君た ちは泣く泣く端近に出てお見送りになる。「父宮がたとえ 〔一三〕薫、匂宮の意を伝中納言の君は、年が改ってからはお みぐし え、わが恋情をも訴う、 しそれとお訪ね申すわけにもいくま 御髪などをお下ろしになったにしても、そのお姿でなりと とお思いになって、暮れのうちに宇治へお越しになる。 生きていらっしやるのだったら、こうして通ってまいる人 もおのずと多かったでしように。・ とんなに悲しく心細いと 雪も一面に降り積っているので、一通りの人間でさえ姿を いっても、父宮にお目にかかることがまったく絶えてしま見せなくなってしまったのに、この君が、並々ならぬご立 うということはなかったでしように」などとお互いに話し派なご様子で、気軽にご入来になったお志は形だけのもの でないとよくお分りになるので、姫君たちはいつもよりは 合っていらっしやる。姫君は、 お手厚くお席などのご用意をおととのえになる。服喪中の 君なくて岩のかけ道絶えしより松の雪をもなにとかは 黒塗りでない御火桶の、奥のほうにしまいこんであったの 見る ちり ( 父宮が亡くなられてから、山寺へ通う岩のかけ道の行き来を取り出して塵をはらったりするにつけても、父宮がこの も途絶えてしまったけれど、あなたは、この松にかかる雪を お方の訪れを喜んでお待ち受けになったご様子などを、女 何とごらんになりますか ) 房たちも口に出して申しあげる。姫君はご対面になること ひおけ ( 原文一六一一ハー )