連想の類型といっても、 O の歌では「なでしこ」の花の実はそれを「とこなっ」の語に転じて、女への自らの情愛の 態を根拠にしているのに対して、の「なでしこ」やの深さを主張する。散文では、そうした中将の心を「大和撫 ちり 「とこなっ」では、その実態から離れてことばの語音を根子をばさしおきて、まづ塵をだになど親の心をとる」と叙 拠にしている。じつは、『古今集』時代に急速に発達を遂述しているが、前掲ののような歌をそれそれ想起すれ げた歌ことばの多くは、このようにことばじたいに即した ば、娘よりもその母 ( 女 ) の方に、ぐらいの意味になる。 連想性によっているのである。王朝の歌ことばは、そのよ女の「なでしこ」の歌では、幼な子の寂しげなさまを、忍 うに狭い日常性や事実性を超えているだけに、新しい想像び妻の廃居の垣根に咲く可憐な花として詠み、もう一首の ひら 力の世界を拓くことにもなる。物語の文章も、そのような「とこなっ」の歌では、男に飽きられるかもしれぬ女の不 歌ことばの想像力をふんだんに用いるようになった。 安の涙を、嵐に露を吹き飛ばされる花として詠んでいる。 ははきぎ 『源氏物語』からの例をあげよう。帚木巻の雨夜の品定めひそかに男の力を恃むほかない忍び妻の不安と悲しみの心 とうの で、頭中将の語る体験談し こ、次のような贈答歌が含まれてをかたどっている。じつは、この女が中将の正妻方からお 6 いる。相手の女とこうした歌を詠み交した直後、女がにわどされていたことを、女が姿を隠してから中将が知ること になる。彼は女の歌の「山がつの垣ほ荒る」や「嵐吹きそ かに姿をくらましたことを、涙ながらに語る体である。 かき 女山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよなふ秋」から、正妻方の中傷という事実までは読みとれなか った。そのために、この隠り妻を失ったのである。歌の表 でしこの露 しつれと分かねどもなほとこなっ現が事実を反映させはしても、必ずしもその表現だけから 中将咲きまじる色は、。 にしくものそなき は事実そのものに溯源することができないことを、この例 、、、、あらし 女うち払ふ袖も露けきとこなつに嵐吹きそふ秋も来にはよく証してくれる。それはそれとして、「なでしこ」「と ( 第一冊・六七ハー ) こなっ」を核として、それぞれ鮮明な心象風景を描いてい 二人の間には幼い娘がいた。女はその幼な子を「なでしる点に注目したい。 こ」に擬えて、愛児に情をかけてくれと訴えて来た。中将もう一つの例を掲げよう。桐壺帝と藤壺の御前ではじめ たの さくげん ・一も
よりも一一 = ロ葉のうえで、引かれたとみられる。 しかし一夜をともにした既成事実は消しようもない意を語 8 ・ CO いかならむ巌のなかに住まばかは世の憂きこと りこめる。すぐ後の薫の言葉「人はいかが推しはかりきこ ( 古今・雑下・九五一一読人しらす ) の聞こえこざらむ ゅべき」などともひびきあう。また、「むら鳥」の「羽風」 いったいどんな岩屋に住めば、世の中のいやなことが聞えて が「夜深き朝の鐘の音」にかすかに交響しあう趣が、この こないだろうか 場面を印象深いものにしている。 あかっき ーっ 0 、 1 -1 まだ知らぬ暁起きの別れには道さへまどふも前出 ( ↓須磨 3 三五〇ハー上段など ) 。物語では、前項の歌とと ( 花鳥余情 ) のにぞありける もに、大君の歌に引かれた。自分のいる山里は俗世間と断 まだ経験したことのなかった、はじめての暁起きの別れでは、 絶していると思っていたのに、世のつらさはここにも追し 帰る道までもが分らなくなってしまうものだった。 かけてくる、の発想で共通している。 おうせ ・ LO 夜もすがらなづさはりつる妹が袖なごり恋しく 出典末詳。「暁起き」は、逢瀬の後、まだ暗いうちに起き ( 古今六帖・第五「あした」 ) 思ほゆるかな て、女に別れて帰ること。はじめての逢瀬の感動を詠んだ よなか 夜中じゅう手にし続けていたあの人の袖が、別れた後も恋し 歌である。物語では薫が、大君とともに過した後の別れを、 くてならないことだ。 「まだ知らぬ」「暁の別れや」とする。ここでは、逢瀬なき 逢瀬を、類まれなものとする気持もこめられていよう。な物語では、大君に別れた後もなお恋しく思わざるをえない お、タ顔巻の源氏の歌「いにしへもかくやは人のまどひけ薫の執心ぶりを語る。歌の「夜もすがら・ : 」の気持が、実 んわがまだ知らぬしののめの道」 ( 田一二九ハー ) にも類似す事がないながら、一夜をともに過した状況にふさわしい あげまき つ、い 総角やとうとう尋ばかりやとうとう離 る歌句である。 りて寝たれどもまろびあひけりとうとうか寄りあひ ・・ 3 飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知ら ( 催馬楽「角総」 ) け・り一とてっと一 , っ ( 古今・恋一・吾三読人しらす ) 飛ぶ鳥の声も聞えない奥山が奥深いように、私の心の奥深い 前出 ( ↓四八五ハー下段 ) 。物語では、前の薫の「あげまきに」 ところに秘めた思いを、あの人に知ってもらいたいものだ。 の歌 ( 一七六ハー ) を想起しながら、大君が薫と一夜を過し たことを顧みる言葉。「尋ばかり」の隔ては置いたにしろ、 前出 ( ↓若菜上四〇三ハー下段など ) 。物語では、次項の歌と ともに、大君の「鳥の音もきこえぬ山と : ・」の歌に、内容ともに過した事態を悔む気持。歌の「まろびあひけり・ : か たぐい ひろ
れる思いだ、とする。庇護者を失った気持である。 物語でも、姫君たちが亡き父宮の周忌のために組糸を縒る うばそく ・・ 3 優婆塞が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にし のを、薫がかいま見てこの歌句を口ずさむ。「伊勢の御も あらねば ( 宇津保物語・嵯峨院 ) かうこそはありけめ」とあるので、よく知られた伝承であ るらしい 前出 ( ↓四七八ハー下段 ) 。物語では、薫の「立ち寄らむ : ・」 。しかし姫君たちは、そのような伝承の歌句であ の歌にふまえられる。八の宮を優婆塞として敬愛してきた ると知りつつも、薫に対して知ったふりには応じなかった。 ・ 1 糸によるものならなくに別れ路の、い細くも思ほ という思いもこめられていよう。なお、その「椎が本むな ゆるかな ( 古今・羇旅・四一五紀貫之 ) しき床に・ : 」の語句から、巻名「椎本」も出た。 かたいと 糸によりあわせる前の片糸ではないが、この別れ道が心細く 思われることだ。 あづま ・・ 9 身を憂しと思ふに消えぬものなればかくても経詞書に「東へまかりける時、道にてよめる」とあり、道を たと ( 古今・恋五人 0 六読人しらず ) 「片糸」に喩え、「心細く」とをひびきあわせた。物語には、 ぬる世にこそありけれ わが身をつらいと思っても、命は消えぬものだから、こうも 「貫之がこの世ながらの別れをだに、心細き筋にひきかけ 生き長らえているのだった。 けむを」ともある。姫君たちは、前項の伊勢の歌から、さ らにこの貫之の別れの歌を想起した。そうした古歌への連 前出 ( ↓桐壺田四三九ハー上段など ) 。恋への絶望に死を思いな ふること がらも死ねぬわが身を嘆いた歌。物語では、父八の宮の死想を、「げに古言ぞ人の心をのぶるたよりなりけるを」と を嘆く姫君たちの言葉に転用して、生き残るわびしさを表思ってもいるが、これは引歌表現の重要な契機を語るもの として注目される。なお、物語本文には「ものとはなし 現する。姫君たちの作る「名香の糸」の縁から想起された。 に」とあるが、『古今集』の第二句は、現在の諸本すべて よりあはせて泣くなる声を糸にしてわが涙をば 1 よ 1 覧 ( 伊勢集 ) 「ものならなくに」である。 一玉にぬかなむ あげまき 歌 聞えてくる泣き声を糸によりあわせて、その糸で私の涙を玉 ・ 6 総角やとうとう尋ばかりやとうとう離 として貫き通してほしいものだ。 りて寝たれどもまろびあひけりとうとうか寄りあひ あげまき ( 催馬楽「角総」 ) ・け・ . り . と一 , っ ) , っ 前出 ( ↓柏木第三八九【 ' 上段 ) 。『伊勢集』の詞書によれば、 ひとひろ 髪を総角に結った子供よ、トウトウ、一尋ぐらいよ、トウト 宇多上皇の中宮温子の死後、法会の組糸を縒った折の歌。 ひご ひろ さか
て不義の子 ( 冷泉帝 ) に接した光源氏が、動揺のあまり帰 慰めには、西の対 ( 紫ノ上ノ居所 ) にそ渡りたまふ。 ( 中 邸し、あらためて藤壺と贈答を交し、さらに紫の上の無心 略 ) ( 源氏ガ紫ノ上ヲ ) のぞきたまへれば、女君、あり さに接することになる紅葉賀巻の条である。 つる花の露にぬれたる心地して添ひ臥したまへるさま、 おまへせんざい , つつくし , つら , ったげなり。 ( 源氏ノ邸二条院ノ ) 御前の前栽の、何となく青みわた ( 第一一冊・六二 ~ れる中に、とこなつのはなやかに咲き出でたるを、折ここで注意すべきは、「とこなっ」「なでしこ」のイメージ らせたまひて、命婦の君 ( 藤壺ノ侍女王命婦 ) のもとに、の転々たる推移がそのまま物語の緊張的な内面を形象して 書きたまふこと多かるべし。 いるという点である。光源氏が藤壺への文を結ぶべく手折 源氏「よそへつつ見るに心は慰まで露けさまさるな った「とこなっ」には、前掲の歌の「床」がひびいてい でしこの花 るだけに、藤壺への禁じがたい恋慕の情がこめられている。 花に咲かなんと思ひたまへしも、かひなき世にはべりそして、「よそへつつ : : 」の歌には前掲の歌がふまえ ければ」とあり。さりぬべき隙にゃありけむ、御覧ぜられ、幼な子を思う「なでしこ」の類型表現によっている。 させて、命婦「ただ塵ばかり、この花びらに」と聞こまた、この歌に添えられた「花に咲かなん」の引歌は、じ ゆるを、 ( 藤壺ハ ) わが御心にも、ものいとあはれに思 つは前掲 0 の万葉歌の伝承歌「わが宿の垣根に植ゑし撫子 し知らるるほどにて、 は花に咲かなむよそへつつ見む」 ( 後撰集・夏読人しらず ) 藤壺袖ぬるる露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬである。もとの万葉歌は恋しい女に擬えた「なでしこ」で やまとなでしこ はあっても、ここではわが子の若宮をさし、その成長への とばかり、ほのかに書きさしたるやうなるを、 ( 命婦願望を表している。この源氏の「なでしこ」の歌といい弖 ガ ) 喜びながら奉れる、例のことなれば、しるしあら歌といい、可憐なわが子ながらも自らは愛撫できぬ苛酷な じかしと ( 源氏ハ ) くづほれてながめ臥したまへるに、 宿世を嘆くのだ。こうして「とこなっ」「なでしこ」の重 胸うちさわぎて、いみじくうれしきにも涙落ちぬ。っ層が、源氏の藤壺に寄せる絶望的な愛憐と、抗しがたい運 くづくと臥したるにも、やる方なき心地すれば、例の、命への切ない呻吟をかたどっているのである。また命婦の ひま
( 古今六帖・第一一「国」 ) の断ちがたい執着をいう。「同じあたりかへすがヘす漕ぎ 日ならずとも めぐらむ」「棚無し小舟」では、世間のもの笑いになりか 若狭にある後瀬山ではないが、後にでも逢おう。わが思う人 ねないと反省する。 に今日逢わずとも。 をみなへし 0 ・・ 1 人の見ることや苦しき女郎花秋霧にのみたちか 前出 ( ↓帚木田四四二ハー下段 ) 。物語では、中の君と一夜を ( 古今・秋上・一三五壬生忠岑 ) くるらむ 過した薫が、別れぎわに一言う言葉。「後瀬を契る」とは、 女郎花は、人から見られるのがいやなので、秋霧のなかに立 この歌によって、後日の逢瀬を約束する意。ここでは、薫 ち隠れてばかりいるのだろうか。 の本心からの約束であるよりも、中の君を傷つけまいとす 女郎花の咲く野辺に霧のかかるさまを、擬人法によって女 る社交辞令に近い ・期・ 9 頼めくる君しつらくは四方の海に身も投げつべ性に見立てた表現。物語では、薫が女郎花 ( 宇治の姫君た ( 馬内侍集 ) ち ) を一人占めするのかと難じた匂宮の歌に、薫が反発し き心地こそすれ た歌。この歌によって、霧の中の女郎花は心を深く寄せて 私をあてにさせながら訪ねて来るあなたが、もしも恨めしく いる者だけが見ることができる、と切り返したことになる。 思うようにでもなれば、四方の海にわが身を投げ込んでしま をみなへし したい気がする。 ・・ 2 秋の野になまめき立てる女郎花あなかしがまし ひととき ( 古今・雑体・誹諧歌・一 0 一六僧正遍照 ) 『奥入』などの古注釈では、上句「尋ねくる身をしとはず花も一時 秋の野に色つばく立ち並んでいる女郎花よ、ああ、やかまし はよさの海に」の歌を掲げる。物語では、大君に逃げられ 。花の盛りも一時なのに。 た薫が、弁にその苦衷を訴える言葉。薫には逢瀬への期待 が強かっただけに、歌の「頼めくる君しつらくは」の気持前出 ( ↓賢木三八七ハ、下段 ) 。物語では、前項の薫の切り 返した返歌に、ねたましく腹立たしい匂宮が「あなかしが 覧が切実であろう。 まし」と発する。この歌をふまえているだけに、女郎花へ ・朋・ 8 堀江漕ぐ棚無し小舟漕ぎかへりおなじ人にや恋 歌 ( 古今・恋四・七三一一読人しらず ) の強い関心もこめられている。 ひわたりなむ 堀江を漕ぐ棚無小舟が行きっ戻りつするように、私もまた同 ・・ 9 行く先を知らぬ涙の悲しきはただ目の前に落っ わたる ( 後撰・離別羇旅・一三三四源済 ) るなりけり じ人に幾度でも恋い続けるのであろうか -4 将来いっ逢えるか分らないと思う、その悲しみの涙が、ただ 前出 ( ↓若紫田四五一ハー下段など ) 。物語では、薫の、大君へ たななをぶね うまのないし
も時節しだい、との物言いだが、必ずしも引歌と認める必 この歌を謡っていたことになる。 やみ ・・川春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香や要もないかもしれない。 ・・桜色に衣は深く染めて着む花の散りなむのちの ( 古今・春上・四一凡河内躬恒 ) はかくるる きのありとも ( 古今・春上・六六紀有朋 ) 形見に 前出 ( ↓四七二ハー下段など ) 。物語では、蔵人少将の歌に 私の着物を桜色に色濃く染めて着よう。花の散ってしまった 「春の夜の闇」と引いて、恋に惑う心の闇をかたどる。 後までの形見になるように。 1 7 3 桜花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる ( 古今・賀・三四九在原業平 ) 物語では、蔵人少将が、恋慕する大君をかいま見ての思い 道まがふがに のち 桜花よ、散り交って空を曇らせよ。老齢の訪れ来ると人々の参院を間近に控えている大君であるだけに、少将には「後 の形見に」もしたい気持である。 言う道が、それによって隠されて分らなくなるように。 ・・ 6 折りてみば近まさりせよ桃の花思ひぐまなき桜 詞書によれば、太政大臣藤原基経の四十賀での歌。「散る」 ( 紫式部集 ) 「曇る」「老いらく」など不吉な語を否定的に用いて、祝賀惜しまじ 手折ってみたら近まさりするようであってほしい、桃の花よ。 の気持を表した歌である。華麗さの中に一抹の憂愁を封じ ひと すぐ散るような、他人の心を思いやらぬ桜は惜しむまい こめた表現に注意されよう。物語では、桜の咲き散る三月 もと のぶたか の風情をかたどり、桜花の下での姫君たちの囲碁に興ずる夫宣孝への贈歌である。「近まさり」は近づけば近づくほ 場面へと連なる。なお、『源氏釈』など古注の一部は、「桜どすぐれて見える意。「思ひぐまなし」は相手の気持を顧 みない意。和歌にはあまり詠まれない桃を、開花期間の長 咲く桜の山の桜花散る桜あれば咲く桜あり」 ( 出典未詳、 さゆえに称揚した歌である。物語では、大君の歌の、桜を 四八〇ハー下段 ) を掲げる。 ね 「思ひぐまなき」花と見る発想が、この歌と共通している。 ・・花鳥の色をも音をもいたづらにものうかる身は 覧 ( 後撰・夏・一一一 = 藤原雅正 ) ・・枝よりもあたに散りにし花なれば落ちても水の 一すぐすのみなり すがののたかよ ゅううつ 歌 ( 古今・春下人一菅野高世 ) 花の色をも見ず鳥の声をも聞かず、どことなく憂鬱なわが身泡とこそなれ 枝からもむだに散ってしまった花だから、流れに落ちてから は、せつかくの季節をむだに過すばかりである。 れいぜいいん も水の泡となってむなしく消えるほかない。 前出 ( ↓薄雲団四一七ハー上段など ) 。物語では、大君が冷泉院 「あた」はむだの意。ここでは、実を結ぶことなく散るの に入ることに賛成しかねる兄たちの言葉。花の色、鳥の声 ふぜい
、この「引歌一覧」は、本巻 ( 匂宮 ~ 総角 ) の本文中にふまえられている歌 ( 引歌 ) で、脚注欄に掲示 した歌をまとめたものである。 一、掲出の仕方は、はじめに、引歌表現とみられる本文部分のページ数と行数をあげ、その引歌および出 典を示し、以下、行を改めて、歌の現代語訳と解説を付した。 梅の香の人に移ったとする発想が多く見られるが、この歌 匂宮 のように人の香が梅に移ったとする例は多くない。物語で 1 人 1 亠 残りなく散るぞめでたき桜花ありて世の中はて は、これより三首、薫の身に備った薫香のすばらしさをか の憂ければ ( 古今・春下・七一読人しらず ) たどる。梅の花も、薫の袖からの移り香で、本来の梅の香 何一つ残さず散るところがすばらしいのだ、桜の花は。世の 以上の、かぐわしさを発揮するとする。 ーし - くけさ 習いとして、生き長らえて最後がいやなものになるのだから。 ・四・ 6 匂ふ香の君思ほゆる花なれば折れる雫に今朝ぞ ( 古今六帖・第一「雫」伊勢 ) 桜の花ははかないからこそ美しい、とする歌。物語では、 濡れぬる あなたを思い出す香りの花なので、今朝、枝を折る時に、こ 美しいままに他界した紫の上を回想する表現。なお、古注 ばれ落ちる雫にも、流れ落ちる涙にも濡れてしまった。 以来、「散ればこそいとど桜はめでたけれうき世に何か久 しかるべき」 ( 伊勢物語・八十二段 ) 、「待てといふに散らでし『伊勢集』にも所収。「雫 . は「君」を思う涙でもある。物 とまるものならば何を桜に思ひまさまし」 ( 古今・春下・七 0 語では、前歌同様、薫のすばらしい薫香を表す。 ・四・ 7 主知らぬ香こそにほへれ秋の野に誰がぬぎかけ 覧読人しらす ) などを掲げるものもある。いずれも類想の歌 ふぢばかま 一である。 し藤袴そも ( 古今・秋上・ = 四一素性法師 ) た そで 歌 誰が使っているのか分らぬ香がただよっている。秋の野に咲 ・四・ 6 色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖ふれし ( 古今・春上・三三読人しらず ) く藤袴は、誰が脱いで掛けた袴なのかしら。 宿の梅そも 色よりも香こそすばらしく思われる。誰が袖をふれて、その 「藤袴」の花から「袴」を連想するしゃれ。物語では、こ 移り香をわが家のこの梅の花に残したのか。 れも薫の香を表現。前二首が春の花の香であるのに対して、 471 引歌一覧 た
と、見ることに、しょ , つ。 あなたと逢うことは、この度が最後の旅だろうか。草の枕も、 離別の予兆であるかのように、霜で枯れてしまうのだった。 前出 ( ↓葵三八一ハー上段 ) 。物語では、これも匂宮の使者 あさてる なかだち 詞書によれば、久しく訪れてくれなかった藤原朝光が旅先 の、宇治との往来の様子を語る。難儀しながらの恋の媒で ある。 で来合せ、枕がないので草を結んで枕として寝た時の歌。 声たててなきそしぬべき秋霧に友まどはせる鹿「度」「旅」の掛詞。「枯れ」に「離れ」をひびかす。物語 にあらねど ( 後撰・秋下・三七一一紀友則 ) では、薫が、最後の対面となった時の八の宮の言葉を回顧 声に出して泣いてしまいそうだ。秋霧の中に友を見失ってい して、「これや限りの」という。恋の別れをいう右の歌を、 る鹿ではないけれども : 死別の表現に転じて用いた ・・ 7 雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひ尽きせぬ世の 物語では、匂宮の「朝霧に : ・」の歌にふまえられる。その うしな ( 古今・雑下・九三五読人しらず ) 一首は、父を喪った姫君に同情しながらも、自らも親交を中の憂さ 求めようとする歌。友を見失った鹿に、父を喪った姫君を前出 ( ↓四七七ハー下段 ) 。物語では、薫の「秋霧の : ・」の歌 なぞら 擬えた表現である。 にこれをふまえた。霧に閉ざされる思いを強調する点で、 藤衣はつるる糸はわび人の涙の玉の緒とぞなり宇治らしい風景とも対応していよう。 ける ( 古今・哀傷・八四一壬生忠岑 ) ・黼・ 2 つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日と 喪が果てて喪服の糸がほっれるようになったが、そのほっれ は思はギ」りしを ( 古今・哀傷・会一在原業平 ) た糸が、悲しみに沈む自分の涙の玉を貫く糸となったのだっ 前出 ( ↓四八二 ( ー下段 ) 。物語では、姫君たちが父八の宮の 死を「昨日今日とは思はで」と嘆く文脈。前に、薫も同様 の表現による感懐を抱いた ( 一五〇ハー三行 ) 。 覧詞書によれば、父の喪中に詠んだ歌。「藤衣」は喪服。 しづく おく すゑっゅ 一「糸」「玉の緒」が縁語。物語では、大君の薫への返歌に ・・ 3 末の露もとの雫や世の中の後れ先立っためしな 歌 るらむ ( 新古今・哀傷・七毛僧正遍照 ) この歌によって「はつるる糸は」とした。涙にくれるほか 草木の先端の露と根もとの雫とは、世の中の、人がおくれて ないと、わが悲情を訴えたことになる。 まくら -8- 0 死に、あるいは先立って死ぬことのたとえであろうか 逢ふことはこれや限りのたびならむ草の枕も霜 うまのないし ( 新古今・恋三・ 一一一 0 九馬内侍 ) 枯れにけり 前出 ( ↓葵三八四ハー下段など ) 。物語では、姫君たちが父八 483 あ を かり
三三読人しらず ) などもある。 私のあばら屋は都の東南にあって、こんなふうに暮している。 うばそく 4- その宇治山のことを、世の人々は世を憂しと言うそうである。 ・刪・ 6 優婆塞が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にし あらねば ( 宇津保物語・嵯峨院 ) 「宇治」「憂し」の掛詞。「しか」に鹿をひびかすとする一 あぎり ひじり 語 優婆塞の修行している山の椎の木のもとは、居心地がよくな 説もある。物語では、「聖だちたる阿闍梨」の山寺をさす。 物 い。床ではないのだから。 氏「峰の朝霧晴るるをりなくて」から続く叙述であるだけに、 源この歌のように「宇治ーから「憂し」が連想される文脈と「優婆塞」は、在俗のまま仏道修行する者。物語では、薫 なっている。なお、以下の物語でも、この歌が宇治を特徴のあこがれる在俗のままの仏道修行について、八の宮が語 づける歌として多用され、憂愁の心象風景をかたどること ったとする一節。なお、引歌と認めるべきか否か、判然と になる。 0 ・ ・・ 2 わが庵は都のたつみしかそ住む世を宇治山と人 主知らぬ香こそにほへれ秋の野に誰がぬぎかけ ふぢばかま はいふなり ( 古今・雑下・九八三喜撰法師 ) ( 古今・秋上・一一四一素性法師 ) し藤袴そも れいぜいいん 前出 ( ↓前項の歌 ) 。物語では、八の宮の、冷泉院への返歌前出 ( ↓四七一ハー下段 ) 。物語では、薫の身に備った生得の に、「世をうぢ山に : ・」とふまえられ、憂愁の人生を訴え芳香をいう。同様の叙述は、匂宮一九ハーにも見られた。 ている。 ・・ 1 思ひやる心ばかりはさはらじを何へだつらむ峰 9 し 00 0 ・ の白雲 ( 後撰・離別覇旅・一三 0 七橘直幹 ) 大方の我が身一つの憂きからになべての世をも ( 拾遺・恋五・会 = 紀貫之 ) あの人に思いをはせる私の気持だけは邪魔されることもなか 恨みつるかな おおむねわが身一つがつらく思われるばっかりに、すべての ろうものを、あの峰の白雲はいったい何を隔てるつもりなの だろうか。 世の中をも恨んでしまうことであるよ。 せんべっ 前出 ( ↓柏木三八五ハー上段 ) 。物語では、薫の奇特な道心を詞書によれば、遠国に赴任する人への餞別の歌。物語で 称揚する八の宮が、一般論として、人は不幸な体験から世は、薫が宇治の姫君たちとの遠い隔りを思う表現。都人の の無常を自覚するものなのに、とする論拠にこの歌の詞句薫からは、雲や霧に幾重も隔てられた別世界ともみられて をち を用いている。なお、類想の歌として、「飛鳥川わが身一 いよう。なお、類想歌として、「白雲の八重に重なる遠に つの淵瀬ゅゑなべての世をも恨みつるかな」 ( 後撰・雑三・一 = ても思はむ人に心へだつな」 ( 古今・離別・三八 0 紀貫之 ) など しゐもと た
473 引歌一覧 そういうお方だ。 ( 拾遺・春・一四凡河内躬恒 ) のなかりけれ 前出 ( ↓梅枝 3 四〇九ハー下段 ) 。物語では、按察大納言の、庭 降る雪に色はそれと見分けがっかなくなってしまった。しか 前の紅梅の枝を匂宮に贈らせようとする言葉に引く。匂宮 し梅の花の香だけは、他に似るものとてないのだった。 まが が紅梅を贈るにふさわしい風流人だと讃えたことになる。 梅の白さが、雪の白さに紛う趣を詠んだ歌。物語では、前 うぐひす . -4 00 1 花の香を風のたよりにたぐへてそ鶯さそふしる 項の歌に直接して引かれ、薫の芳香に似るものがないとす ( 古今・春上・一三紀友則 ) べにはやる る。前項の歌とともに、新春の場にふさわしい やをとめ 春の風を手紙とし、梅の花の香りをそれに添えてやって、ま ・・ 2 八少女はわが八少女ぞ立つや八少女立っ たかまがはら だ姿を見せない鶯を誘い出す案内としようよ。 や八少女神のます高天原に立っ八少女立っ八少女 ( 風俗歌「八少女」 ) おとめ 前出 ( ↓初音団四三一「上段 ) 。物語では、按察大納言の「心 風・梅の香・鶯の組合せの類型表現 ありて」の歌に引く 八人の少女たちは、我々の八人の少女たちょ、立っている八 によっている 人の少女たち、立っている八人の少女たちは、神のいらっし か 8 ・ 00 紅に色をば変へて梅の花香ぞことごとに匂はざ やる、高天原に、立っている八人の少女、立っている八人の ( 後撰・春上・四四凡河内躬恒 ) りける 少女よ。 かぐら 紅に色を変えたが、梅の花がすべてかぐわしく咲くものでも 「八少女」は神社に奉仕して、神楽を舞う八人の少女のこ うた もとめご あずまあそ なかったのだ。 と。東遊びの「求子」を舞って、この歌を謡う。物語では 薫が、東遊びの後、タ霧に促されて、この歌を「神のます紅梅が白梅に比べて香りの少ないことを詠んだ歌。物語で は、大夫の君が大納言邸から持参した紅梅を、匂宮が賞で ・ : 」と謡う。正月行事の華麗な雰囲気をかもし出している。 る一言葉。その紅梅だけは色も香も備っているとして讃える。 たれ 竹河 君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る ・・ 2 よそにのみあはれとそ見し梅の花あかぬ色香は ( 古今・春上・一一穴紀友則 ) 人ぞ知る ( 古今・春上・三七素性法師 ) あなた以外の誰に見せたらいいのか。この梅の花の、色にせ折りてなりけり 今までは隔った所に置いてだけ賞美していた。梅の花の、 よ香りにせよ、その美しさは分る人にだけ分る。あなたは、 くれなゐ あぜちの