ぐにもおいでになることができず、しばらくご自分の部屋 いうのはなんとも納得しにくいものですね」と語り合って きめ 2 いる。 でお寝みになり、お起きになってから、あちらの姫君に後 〔一 = 〕匂宮六の君と一夜宮は、この女君のことをほんとにお朝のお手紙をお書きになる。「あのご様子では、おばしめ 語 きぬめ しもわるくないようですね」と、おそばの女房たちはつつ いたわしくお思いになりながらも、 物を過し後朝の文を書く やはり派手好みのお心とて、右大臣方からどうそして立派きあっている。「対の御方がお気の毒ですね。どちらをも 源 公平におかわいがりになるおつもりでも、しぜんとこちら な婿君として歓待されたいものと気を張って、えも言われ が負けをおとりになることもありましようよ」などと、も ぬ香りの薫物をおたきしめになっていた御装いはなんとも やしき たとえようがない。お待ち受けになっていらっしやるお邸う気持もおさまらず、みな常に親しく女君にお仕えしてい る女一房たちであるだけに、おもしろからぬことと恨み言を の有様も、まことに風趣をたたえているのだった。姫君の いう者たちもあって、やはり万事いかにもいまいましそう ご容姿は、ト 柄で弱々しいというふうではなく、ほどよく にしているのだった。宮はあちらからのご返事もご自分の 成人していらっしやるご様子なので、「さてどんなお人で あろうか。ものものしくてきばきしていて、気だてもやさ お部屋で見たいとお思いになるけれど、昨夜お空けになっ たことでどんなにお気をもまれたことか、いつもの夜離れ しいところがなく、どことなく気位ばかり高いといったふ とちがってどんなお思いであったろうかと女君がおいたわ うではなかろうか。もしそうだったら、さそいやなことだ しいので、急いで西の対にお越しになる。 ろうな」などと心配していらっしやったのだけれど、いざ 逢ってみると、そのような感じのお人柄ではなかったのだ ニ三〕匂宮、中の君をい寝乱れたままのお姿がまことにお美 たわり慰める しく見るからにはえばえしいご様子 ろうか、宮のご情愛もひとかたならぬおばしめしようなの で、宮がお部屋にはいっていらっしやると、女君は、横に だった。秋の夜長ではあるけれども、お越しになったのが ゝ、まどもなく明けてしまった。 なったままでいるのも物思いかと見られるのがいやなので、 夜も更けていたからだろう力 宮は二条院にお帰りになっても、対の女君のもとへはす少し起き上がっておられるが、目もとをばっと赤くしてい ( 原文六〇ハー ) たきもの ぎぬ ひ
245 宿木 つらい昔のことは忘れてしまったというのであろうか 縁もおしまいと思わないではいられないことなのだった。 もうまったくこの世にはいらっしやらなくなった父宮や姉 年寄の女房たちなどは、「もう奥におはいりなさいまし。 冫。しくらなんでもときどきはお目 君とはちがって、宮こま、、 月を見るのは不吉なことでございますのに。それになんと にかかれるのだと思ってよいはずなのに、今宵こうして私 まあ、ほんの少しの御くだものをさえお召しあがりになり を見捨ててお出かけになる恨めしさに、あとさきすべて真ませんのでは、どうおなりになりますことか。ああ、もう っ暗になってたまらなく心細いのが、わが心ながらどうに 拝見してはおられませぬ。不吉なことをも思い出さないで はいられませんのに、ほんとに困ってしまいます」と嘆息 も気持のおさめようもなく、情けなくもあることよ。でも、 生き長らえてさえいたなら、あるいは万が一にも」などと、 をもらして、「それにしても今度のお仕打ちはどういうこ とでしよう。でも、このままおろそかになっておしまいに 我とわが心を慰めようとしていると、なおさらあの慰めか おばすてやま なるようなこともまさかありますまい。なんといっても、 ねる姨捨山の月が澄みのばってくるので、夜が更けるまま にあれやこれやとさまざまに思い乱れていらっしやる。松 もともと深く思いそめた仲というものは、まるで切れてし 風の吹いてくる音も、あの宇治の山里の荒々しかった山お まうものではありませんもの」などと女房たちが言い合っ ろしの風に比べると、じっさいのどかで好ましく気持のよ ているのも、女君には何かと聞くに堪えないお気持から、 いお住いであるけれど、今宵はそう思おうにも思われず、 「今はもうどのようにも取り沙汰してもらいたくはない。 あの山里の椎の葉ずれの音のほうがまだましのように感じ このままじっと黙って宮のお心を見ていよう」とお思いに ないではいられない なるほかないのは、他人にはかれこれ一一 = ロわせたくない、自 山里の松のかげにもかくばかり身にしむ秋の風はなか分一人だけの心でお恨み申しあげていよう、とのおつもり りき なのだろうか。「それにしてもまあ、中納言殿は、あんな ( 宇治の山里の松の陰の住いにも、これほど身にしみて悲し にも情け深いお心でいらっしやったのに」などと、古くか すくせ い秋風の吹くことはなかった ) らお仕えしている女房たちは言い交して、「人の御宿世と
そっと二条院にお越しになったのだった。そのいかにもい も浮いてしまうばかりの心地がして、情けないものは人の じらしい女君のご様子を見捨ててお出ましになる気にもな 心ではあったと、我ながら思い知らされすにはいられない。 れず、おいたわしいので、あれこれとどこまでもお心変り〔 = 〕中の君身の上を省「私たち姉妹二人は幼い時から心細 語 み嘆く女房ら同情 物のありえぬことを約束しては、それでも慰めかねて、ごい く悲しい身の上で、世間のことには 氏 っしょに月を眺めていらっしやるところなのであった。女執着をお持ちのご様子でもいらっしやらなかった父宮お一 源 君はこれまでも何かにつけて悲しく思い悩むことが多かつ人におすがり申して、あのような山里に長年暮してきたの たのだけれど、どうかしてそれをおもてには見せまいと堪 だけれど、いっということなく絶えず所在なくもの寂しく え忍び堪え忍びして、さりげないさまを装っておられるの はあったものの、まったくこんなにも心にしみて世の中を 思えば で、六条院からお使者とあっても格別気にとめない様子で、無情なものだとは思い知ることもなかったのに おももち おっとりとふるまっていらっしやる御面持が、まったくい うち続いて父宮と姉君とがお亡くなりになるという思いが じらしく思われる。 けなくも悲しいめにあったその当座は、もう片時もこの世 宮は、中将がお迎えにまいられたことをお聞きになって、 に生きていられようとは思いもよらず、こんなにも恋しく さすがにそちらのお方のこともお気の毒に思われるので、 悲しいことはほかにまたとあるまいと思ったものだが、命 お出かけになろうとして、女君に、「今じきに帰ってまい も尽きず今日まで生き長らえてきてみると、他人が予想し りましよう。一人で月をごらんになってはいけませんよ。 ていたよりはどうやら人並のような暮しをしているが、こ あなたを残していく私も、心がうわの空でとてもつらいの れも長く続くはずのものとは思わないけれど、それでも宮 です」とお申しおきになって、それでもやはりきまりがわもごいっしよしているかぎりではいかにも情のあるやさし るいので、人目につかぬ物陰を通って寝殿のお部屋のほう いお心づかいやお扱いなので、だんだんと悲しみも薄らい へおいでになる、その御後ろ姿を見送るにつけ、女君は、 で今日まで過してきたものを、今度のことでのわが身の上 まくら 何をどう思うというのでもないけれど、ただ流れる涙で枕の情けなさはまたたとえようもなく、もうこれで宮とのご
243 宿木 いぎよい いうもの、そのままいまだに精進を続けて、いよいよただ るのに、十六夜の月がだんだん空に上がるまで宮はお姿を ごんぎよう 勤行ばかりなさっては日々を過しておいでになる。母宮が お見せにならず待遠なものだから、もともとこのご婚儀は 今でもやはりほんとにお若くおっとりとしていらっしやっ さしてお気乗りではいらっしやらぬことだし、どうなるこ て、はきはきしたところのおありでないお心ながらも、そ とかとご心配になって、使者をおやりになると、「このタ うした中納言のご様子を、ほんとに不安にも不吉にもお思方に宮中を退出なさって、二条院においでのご様子です」 いになって、「私の命もそういつまでも長くはありますま と、帰ってきて申しあげる。あの宮はお気に入りの人がお こうしてあなたとごいっしょに暮しております間は、 ありなのだから、と大臣はいまいましくお思いになるけれ どうかはりあいのあるようなお姿でいらしてください。あ ど、今宵をむだにしてしまうのも世間のもの笑いになろう なたが世をお厭い捨てになろうとするのを、このような尼ことなので、ご子息の頭中将をお使者としてこうお申しあ の身ではお引きとめ申すことのできる筋合いではありませげになる。 んが、もしそんなことにでもなったら、私はこの世に生き 大空の月だにやどるわが宿に待っ宵すぎて見えぬ君か ているかいもないような気がして、その悲嘆のあまりいよ しょ罪をつくることになりはしよ、ゝ オし力と思われるのです」 ( 大空の月で光を宿しておりますわが家に、お待ち申してい おそ とおっしやるのが、畏れ多くもあり、おいたわしくもある る宵が過ぎてもお越しくださらぬとは限めしいことです ) ので、中納言は何かにつけ、もの思わしさをこらえては、 宮は、「今宵から六の君に通うのだということを、なま 母宮の御前では屈託のなさそうな御面持にふるまっていら じこの女君には知られないようにしたほうがよかろう。不 っしやる。 憫なことだし」とお思いになり、宮中においでだったのだ 〔一 0 〕匂宮タ霧邸に迎え右大臣は、六条院の東の御殿を美麗が、そちらから二条院の女君にお手紙をおあげになった、 られる中の君の嘆きに飾りたてて、万端このうえもなく そのご返事がどうあったのだろうか、やはりこのお方をほ お支度をととのえ、宮のお越しをお待ち申しあげておられんとにいとしく思わないではいらっしゃれなかったので、 おももち びん
尋ロ た。あのお邸はやはり尊い仏にお譲りなさいまし。ときど伺っても御簾の外に置かれるようなことはございませんの で、きまりのわるい心持がいたします。でも、いすれまた、 2 きあちらへまいって拝見いたしますにつけ、悲しみに心の せん このようなお扱いでもよろしゅうございますから、参上す かき乱されることが絶えないのも詮ないことですから、罪 ることにいたしましよう」とおっしやってお立ちになった。 物滅ばしになるようお寺に改めるようにしたいというのが私 氏 宮が、どうしてご自分のいない折に訪ねてきたのかと、お の存念でございますが、あなた様は別にまた何かお考えお 源 きでいらっしゃいましようか。ともあれ、お取り決めあそ疑いになるにちがいないご性分であるのも面倒な気がする ので、中納言は、侍所の別当である右京大夫をお呼びにな ばすとおりに取り計らいたいと存じます。こうすればよい ゅうべ とお考えの向きをおっしやってくださいまし。何事もご遠って、「宮は昨夜宮中から退出なさったと承ったので参上 したのだが、まだお帰りでなかったのは残念だった。わた 慮なく打ち明けていただけましたら、それこそ私の本意に かなうことでございましよう」などと、実務上のあれこれしも参内したらお目にかかれるかな」とおっしやると、 のことをお申しあげになる。中納言はご自身もさらに経巻「今日はご退出あそばしましよう」と申すので、「それでは、 夕方にでも伺うことにしよう」とおっしやってお立ち出で や仏像などを供養なさるおつもりらしい。女君がこのよう つ」よっこ。 な法会の機会にかこつけて、そっとそのまま山里へ引きこ もってしまいたいなどといった、そんなご意向をほのめか 〔九〕薫憂愁に堪え仏道中納言は、やはりこの女君のご日常 に精進女三の宮不安やご様子をお聞きになるたびごとに、 されるご様子なので、中納言は、「まったくとんでもない 「自分はどうして亡きお方のご意向にそむいて勝手なこと ことです。やはり何事にもおおらかなお気持でいらっしゃ さと をしてしまったのだろう」と、一途に後悔の念だけが深く るようになさいまし」とお諭し申しあげられる。 なって、いつもそのことばかり心にかかっているのもわず 日が高くなって、女房たちがおそばに参上してきたりす らわしく、「なんとしたことか、これも自ら招いたことで るものだから、あまり長居をするのも何かわけがありそう はないか」とお思い返しになる。姫宮に先立たれてからと に思われるので、中納言は帰ろうとなさって、「どちらへ ( 原文五四ハー ) やしき
241 宿木 たくい のにぎやかさに返ったようでございます。ああした世に類恋しく悲しくお慕い申しあげられるので、一段と悲しみを のない悲しさと思われましたようなことでも、年月が過ぎ さそわれて何も申しあげることがおできになれず、お涙を てみると、その思いの薄らぐ時がやってくるものだと思い こらえかねておいでになるご様子であるが、こうしてお二 ますにつけ、なるほど万事ものには限りがあるものだと思人は、ともどもに悲しい思いを通わしていらっしやる。 われるのでございます。こうは申しあげますものの、院に 女君が、「『世の憂きよりは』などと昔の人も申しました お別れ申した当時のあの悲しさは、私もまだ幼うございま が、山里に住んでおりましたころはそんなふうに思い比べ した折のこととて、それほど深くは、いにしみて感じなかっ る気持を格別にいだくこともなく長年を過しておりました たのでございましよう。あれに比べて、やはりつい先ごろ、 が、今となっては、やはりなんとかしてあのころのように 亡きお方との夢のようにはかなくお別れした悲しみが、さ 山里で静かに暮したいと思うのでございますが、そうは申 まそ , つにもさましょ , つもなく思われますのは、、 しずれも同しても思うようにもできかねるようでございますので、あ じく人の世の無常ゆえの悲しみとは申せ、後の世のために の弁の尼がうらやましゅうございます。この二十日過ぎの はこちらのほうがいっそう罪障の深さはまさっているので ころは、あの近くのお寺の鐘の声も聞きとう存じますので、 はないかと、そうしたことまでも情けのう存ぜられます」 そっとこの私をお連れいただけないものか、とお願いいた とおっしやって、お泣きになる中納言のご様子が、い力に しとう存じておりました」とおっしやるので、中納言は、 も深いお心のお方とお見受けされる。 「山里のお邸を荒らしてしまわぬようにとお思いになって 亡きお方をそれほどにはお思い申しあげていない人でも、 も、とてもそんなことはおできになれますまい。気軽に出 この中納言のようにこうまでもお嘆きになるご様子を見て かけられる男の身でも行き来するのは容易ならぬ険しい山 は、つい心を動かさずにはいられないだろうに、まして女道でございますから、私も気にかけながら長らくご無沙汰 あじゃり 君は、ご自分もなにかと、い細く思い悩んでいらっしやるに いたしております。故宮のご命日のことは、あの阿闍梨に つけても、常にもましてひとしお亡きお方の面影をしのび、しかるべく御法事のあれこれのことをみな頼んでおきまし
流めかしてあだめいたふるまいをなさるわけではないけれところから中をのそかせになると、「御格子などはみな上 ど、不思議なことに、目を走らせて見るだけでも、みずみげてあるようでございます。女房の立ち居の気配などもし ゅうえん ずしく優艶なさまは、こちらが恥じ入りたいくらいで、精ておりました」と申すので、お車を降りて、霧に紛れて美 語 あるじ 物いつばいに気どってみせている色男どもは足もとにも寄り しい姿で歩いておはいりになるのを、女房たちは主人の宮 氏 つけぬくらい、おのずから身にそなわった風情がおありに がお忍びの通い所からご帰邸になったのかと思っていると、 源 なるのだった。朝顔の花をお引き寄せになると、露がひど中納言の露に濡れたお召物の薫りが、例によって尋常なら くこばれ落ちる ず匂ってくるので、「この殿はやはり目のさめるようなす 「今朝のまの色にやめでんおく露の消えぬにかかる花ばらしいお方でいらっしゃいます。あまりに落ち着きすぎ と見る見る ていらっしやるのだけは憎らしいけれど」などと、あらす うわ著、 ( 置く露が消えすにいる間だけのはかない命の花と見ながら、 もがなに、若い女房たちは一同お噂申しあげている。それ つかま きぬ せめてその束の間の今朝の色香をもてはやさなければならな でもあわてたりはせず、ほどよく衣ずれの音をさせてお敷 いのだろうか ) 物をさし出したりする様子もまことに難がない。中納言が、 はかないことよ」とひとり口ずさんで花を折ってお持ちに 「ここに控えていよとお許しくださるのは、人並のお扱い おみなえし なる。女郎花のほうは見過してお立ち出でになった。 をしていただいているような心地がいたしますけれど、や 〔 0 薫、中の君を訪れ、夜が明けていくにつれて、霧の一面はりこうした御簾の外にお隔てになるのが情けなくて、そ 互いに胸中を訴える に立ちこめた空のけしきも風情があれでたびたびはお伺いもしかねているのです」とおっしゃ るが、中納言は、「女人たちはまだゆっくりと朝寝をして ると、女一房は「ではどういたしたらおよろしいのでござい つまど たた きたおもて おられるのだろう。格子や妻戸などを打ち叩いて案内を請 ましよう」と申しあげる。中納言は、「北面などのような うたりするのも気のひけることだ。あまり朝早く来すぎて内々のお部屋でしような、わたしのような古なじみの者が しまった」と思うままに、お供の者を呼んで中門の開いた 控えているのに格好な休み場所は。それもまたそちら様の ( 原文四八ハー ) ふぜい
ものを、さても、あの宇治の姫宮ゆえにこうも見苦しく悩 に思われます』とおっしやったものを。亡き御魂は天翔り まなければならないとは、わが心ながらなんたる踏みはず ながらこうして妹君がお悩みになるにつけてもひとしお恨 やす しであろうなどと、いつもよりお寝みになれず夜をお明か めしくお思いになっているにちがいない」などと、誰のせ いでもない、自ら選んだ独り寝の夜な夜なは、かすかな風しになった朝、霧の立ちこめている垣根の間から色とりど ふぜい りの花が風情をたたえて見渡されるなかにまじって、朝顔 の音にさえ目ざめがちになっては、これまでのこと、また の花がいかにもはかなげに咲いているのに、とりわけお目 これから先のことを、そしてこの妹君の身の上についてま しの のとまる心地がなさる。「明くる間咲きて」とか詠まれて で偲びつつ、思うにまかせぬ憂き世のことをつくづくとお 無常の世にたとえられているのがいじらしく思われるので 思いめぐらしになる。 一時の慰み事として情けの言葉をもかけ、おそば近く召あろう、格子も上げたまま、ほんの仮寝のようにして横に し使っていらっしやる女房たちのなかには、おのすから憎なったまま夜をお明かしになったので、この花の開くとこ ろをも、ただお一人だけでごらんになるのであった。 からず思わずにはいらっしゃれない者があってもおかしく ひと 人をお呼びになって、「北の院に伺うから、あまり目だ はないのだが、心底から愛着をおばえる女もいないとはま たないような車を用意せよ」と仰せになると、その召使い ことにあっさりしたものである。とはいえ、あの宇治の姫 君たちに劣るまいと思われる身分の女人たちも、時勢の移が「宮は昨日から宮中においであそばすとのことです。昨 り変りにつれて落ちぶれ、いかにも心細い暮しをしている夜、供の者がお車を引いて帰りました」と申しあげる。 ひと 「まあよかろう、あの対の御方がご気分がすぐれないそう 者があって、そんな女たちを捜し捜ししてはおそばに仕え だから、お見舞い申しあげることにしよう。今日は宮中へ させたりなさる、そうした女房たちがじっさい大勢いるけ 宿 れども、いよいよこの俗世をのがれて出家しようというと上がらねばならぬ日だから、日が高くならぬうちに」とお っしやって、装束をお召しになる。お出かけになろうとて、 きに、この女こそはと、とりわけ心ひかれて足手まといに 庭におりて花のなかにお立ちになるお姿は、ことさらに風 なるといったことがないように過そうと深く用心していた ひと あまがけ
だろうか。亡き姫宮に心を奪われてからこのかた、およそ る手前も少しは遠慮してくださってもよさそうなものを」 四この世の俗念は思い捨てて澄みきっていた心にも濁りが生と思うにつけても、「いやもう、今ではあの折のことなど じるようになり、ただそのお方のことばかりをあれこれと宮はおくびにもお出しにならぬようだ。やはり浮気な性分 語 物思いながら、それでもさすがにお許しがないのにお近づき には勝てず心の変りやすい男は、女のためばかりでなく誰 氏 申すことは、当初の思いに反することになろうと遠慮して にとっても、信頼のおけぬ軽薄な仕打ちがありがちなもの 源 ふびん は、ただどうかしていくらかでもこの自分を不憫な者よと のようだ」などと宮を憎らしくお思い申される。それとい 思っていただき、親しく心を開いてくださる様子をも見た うのも、自分が真実ただお一人に執着する性分であるとこ いものと、行く末にばかり望みをつないでいたのに、あち ろから、他人のすることが格別におもしろからず思われる らの仕向けとしてはそうした気持を受け入れてくれそうに のであろう。「あのお方にあっけなく先立たれ申したあと みかど なく、それでもやはりいちがいに突き放すこともおできに で考えてみると、帝の御娘をくださろうとお定めあそばす ならないその気休めに、同じ血を分けた姉妹だからと言い につけても、別にうれしいことではなく、この妹君を迎え なして、こちらが望んではいない妹君をとお勧めになった ていればよかったのにと思 , つ一念ばかりが月日とともにつ のがいまいましくもあり恨めしくもあったので、まずその のっていくのも、ただ亡きお方のご縁者と思うせいで、あ 心づもりをくつがえそうと思って、急いで宮にこの妺君を きらめがっかないのだ。同じ御姉妹の仲とはいっても、と むつ お取り持ちしたのではなかったか」などと、一途にめめし りわけこのお二人はこのうえもなく睦まじくしていらっし く取り乱したような気持になって宮を宇治までお連れし、 やったものを。姉君がいよいよご臨終というときにも『あ あれこれとお謀り申した当時のことを思い出すにつけても、 とに残る妹を私と同じに思ってください』とおっしやって、 なんと不都合なことを考えたものよと、かえすがえす後悔『すべて何の不足をも申しあげることはありません。ただ せずにはいられない。「宮にしても、いくらなんでもあのあの私の考えておりましたことを無になされたことだけが ころのいきさつをお思い出しになったら、こちらが耳にす不本意に恨めしいことですので、この世に思いが残りそう はか ひと
( 原文四四ハー ) とのい も宿直などはことさらになさらず、また、あちこちに外泊 がり物が一段と少なく、横になってばかりいらっしやるの を、宮は、まだそのような身重の人の様子などをよくご存して女君の所は留守になさるということなどもなかったの だが、急にそんなふうになっては女君がどんなお気持にな じないから、ただ暑い時分なのでこうしていらっしやるの られるだろうかと、そのおいたわしさを紛らそうとなさり、 だろうとしかお思いにならない。それでもさすがに尋常で このごろはときどき御宿直といってお上がりになったりし はないとお気づきになることもあって、「もしや、どうか ては、今のうちからお慣れになっていただこうとなさって なさったのではないか。身重の人はそんなふうに気分のす いちず いるが、それをも女君は一途に冷淡なお仕打ちとばかりお ぐれないものだそうだが」などとおっしやる折もあるけれ ども、女君はほんとにきまりわるそうにしていらっしやっ受けとめになるにちがいない。 て、たださりげなくふるまってばかりおいでになるし、ま〔を薫大君を追懐しつ中納一言殿もこのご婚儀の件をお耳に つ中の君に同情、恋慕なさって、女君にとってまことにお た差し出口をしてそれと申しあげる人もなかったので、宮 いたわしいことよとお思いになる。「浮気でいらっしやる もしかとはお分りにはならない ついに八月になると、ご婚儀の日取りなどを女君はよそ宮のことだから、あのお方をいとしくはお思いになっても、 ひとづて きっと新しい女君のほうへお気持が移っていくことだろう。 から人伝にお耳になさる。宮は隠し隔てをなさろうという それにその女君のお里方はれつきとしたお家柄だし、抜け のではないけれど、それを口にするのがつらくおいたわし 目なく宮をお世話申してそちらへ引きつけておおきになっ いお気持なので、そうともおっしやらないのを、女君はそ たら、こちらではこれまでそんなこともなしに過していら のことまでも情けなくお感じになる。「別に秘密のことで っしやったのだから、むなしく待ち明かされる夜が多くな もないし、世間に広く知れていることなのに、その日取り 宿 ろうというもの、ほんとにおかわいそうなことだ」などと などさえおっしやってくださらないとは」と、どうして限 ーりうけん 5 、いたるにつけても、「我ながらなんとつまらない了簡 5 まずにいられよう。女君がこうして二条院へお移りになっ さんだい を起したものよ。どうしてあのお方を宮にお譲り申したの てからは、宮は何か特別なことがなければ、参内なさって