・・ 2 世の中にあらぬ所も得てしがな年経りにたるか ・・ 3 苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家 もあらなくに たち隠さむ ( 拾遺・雑上・吾六読人しらず ) ( 万葉・巻三・一一六五長奥麻呂 ) 世の中にありえないような、もう一つの場所がはしいものだ。 困ったことに雨が降ってきた。三輪の崎の狭野の渡しには、 そうすれば、そこに年老いた後の姿を隠そうと思う。 雨やどりの家もないのに。 「世の中にあらぬ所」は、『曾丹集』にも「恋ひわびて経じ「三輪の崎狭野」は和歌山県新宮市三輪崎・佐野。物語で とぞ思ふ世の中にあらぬ所やいづこなるらん」とある。物は、浮舟を京の隠れ家に訪ねた薫が、折からの雨にこの歌 すのこ 語では、浮舟の、母中将の君への贈歌「ひたぶるに : ・」の を口ずさみ、簀子の端にたたずむ。 あづまや ・ LO 歌にこれをふまえた。これは物語において浮舟が詠んだ最・ 東屋の真屋のあまりのその雨そそき我立 とのど 初の歌だが、「世の中にあらぬ所」に生きるのだったら一 ち濡れぬ殿戸開かせ ず かすがひ われさ 途にうれしかろうとするこの思いは、物語における浮舟像鎹も錠もあらばこそその殿戸我鎖さめおし開し われ ( 催馬楽「東屋」 ) の輪郭をきわやかに示していよう。 て来ませ我や人妻 ながら 男東屋の軒先の、真屋の軒先の、その雨だれで、外に立って ・期・ 8 人わたすことだになきを何しかも長柄の橋と身 のなりぬらむ ( 後撰・雑一・三八七条后温子 ) いる私は濡れてしまった、お宅の戸を開けてください 私には橋のように人を渡す衆生済度の徳もないのに、どうし 女鎹も錠もあるならば、それをこの家の戸にさしておこうが て長柄の橋のように年老いてしまったのだろうか。 さっさと開いていらっしゃ い、私を人妻とでもお思いな のかしら。 詞書によれば、宇多上皇が出家したころの詠作。「人わた す」は衆生を悟りの境地に導くこと。「長柄の橋」は大坂前出 ( ↓紅葉賀三七六ハー上段 ) 。物語では、前項に続いて、 覧淀川の支流、長柄川の橋。「長らふ」「古る」を連想させる薫が口ずさむ「さしとむる : ・」の歌の、特に後半にこれが 一歌枕。物語では、薫から浮舟との仲立ちを依頼された弁の ふまえられ、「東屋のあまりほどふる雨そそきかな」とあ 歌 尼が、遠慮した言い方をする一節。弁が出家の身であると る。巻名「東屋」も、これから出た。 あ ・ 1 ころから、薫が「人の願ひを満てたまはむこそ尊からめ」 長しとも思ひぞはてぬ昔より逢ふ人からの秋の ( 古今・恋三・六一一一六凡河内躬恒 ) 額と依頼したのを受けて、こちらも尼君らしく、衆生済度と夜なれば いう言い方をする。 前出 ( ↓三七〇ハー上段 ) 。物語では、薫がはじめて浮舟に逢 ふ へ と」し まや さの われ
一ニ山里。「ふところの中は、 る人も故宮も思し嘆きしを、こよなき御宿世のほどなりければ、さる山ふとこ 「生ひ出で」とひびきあう語。 ろの中にも、生ひ出でさせたまひしにこそありけれ。口惜しく、故姫君のおは一三匂宮と六の君との結婚など。 一四若君誕生の喜びなどをさす。 しまさずなりにたるこそ飽かぬことなれ」など、うち泣きつつ聞こゅ。君もう一五両親との死別はかえって世間 あ、ら・ によくあることとして諦める。 ち泣きたまひて、中の君「世の中の恨めしく心細きをりをりも、また、かくなが一六特に母君については、顔も知 らなかったので。 らふれば、すこしも思ひ慰めつべきをりもあるを、いにしへ頼みきこえける蔭宅この「ある」は代用語。それな りにすんだが、ぐらいの意。 おく 天大君の死は諦めがたいとする。 どもに後れたてまつりけるは、なかなかに世の常に思ひなされて、見たてまっ 一九薫は、何事にも心が移らない り知らずなりにければ、あるを、なほこの御事は尽きせずいみじくこそ。大将と嘆いては。薫は、女二の宮降嫁 にも、い慰められぬと、中の君にも うれ 宿木一一七ハー六行。 の、よろづのことに心の移らぬよしを愁へつつ、浅からぬ御心のさまを見るに訴えていた。↓ ニ 0 大君への、深く変らぬ追慕。 つけても、 いとこそ口惜しけれ」とのたまへば、中将の君「大将殿は、さばかり一 = 女二の宮降嫁をさす。 一三得意でおられよう。 ためし 世に例なきまで帝のかしづき思したなるに、、いおごりしたまふらむかし。おはニ三大君が存命なら、やはり降嫁 の件は堰かれただろうか、の意。 「このこと」を降嫁の一件と解した。 屋しまさましかば、なほこのことせかれしもしたまはざらましゃーなど聞こゅ。 一西姉妹がともに世間から笑われ 中の君「いさや。ゃうのものと、人笑はれなる心地せましも、なかなかにゃあらるようにつらい思いをするなら、 東 かえって情けない。匂宮が六の君 を、薫が女二の宮を迎えるのだか まし。見はてぬにつけて、、いにくくもある世にこそはと思へど、かの君は、、 LO ら、ともに苦悩したろうとする。 のち かなるにかあらむ、あやしきまでもの忘れせず、故宮の御後の世をさへ思ひやニ五八の宮の追善供養。 ニ四 一セ 一九
29 早蕨 もあるまじう思うたまへらるるほどながら、そのこととなくて聞こえさせんも、一 = 薫は周囲の雰囲気から、簾中 を想像し、奥ゆかしさを思う。 なな とが なかなか馴れ馴れしき咎めやとつつみはべるはどに、世の中変りにたる、い地の一三いかにもかわいげな童女の、 すだれ 簾ごしに見えるのを取次に。 おまへこずゑかすみ みぞしはべるや。御前の梢も霞隔てて見えはべるに、あはれなること多くもは一四敷物。ここは簀子の座。 三宇治以来の女房であろう。 けしき べるかな」と聞こえて、うちながめてものしたまふ気色心苦しげなるを、げに 一六二条院と三条宮の近さから、 近所付合いできる親しさを強調。 ゅ 宅格別の用件もないのに。 おはせましかば、おばっかなからず往き返り、かたみに花の色、鳥の声をも、 一 ^ 中の君が晴れがましく変った ことへの喜びに、自分とは疎遠に をりにつけつつ、すこし心ゆきて過ぐしつべかりける世をなど思し出づるにつ なった恨みを言いこめる。 , 一も けては、ひたぶるに絶え籠りたまへりし住まひの心細さよりも、飽かず悲しう一九二条院の庭の梢。宇治の思い 出が遠のく気持を言いこめる。 口惜しきことそ、いとどまさりける。 ニ 0 以下、中の君の心中。大君存 命なら薫の妻となり、姉妹が夫人 人々も、女房「世の常に、うとうとしくなもてなしきこえさせたまひそ。限同士として親交できたろうとする。 一 = ↓薄雲団六三ハー注一九の歌。 りなき御心のほどをば、今しもこそ、見たてまつり知らせたまふさまをも、見 = = 宇治での世間と没交渉の生活。 ニ三薫を、世間一般の客と同様に、 えたてまつらせたまふべけれ」など聞こゆれど、人づてならず、ふとさし出で疎略に扱うべきでないとする。 ニ四薫の特に物質的な援助をさす。 きこえむことのなほっつましきを、やすらひたまふほどに、宮出でたまはんと一宝上京して幸せになった今こそ。 実中の君の、直接の応対をため ニセまかりまう て、御罷申しに渡りたまへり。いときよらにひきつくろひけさうじたまひて、 らう気持。薫の下心を直感するか。 毛「罷申し」は暇乞いの挨拶。 ニ ^ 見るかひある御さまなり。中納言はこなたになりけりと見たまひて、匂宮「な = 〈薫が簀子にいる扱いを注意。 一九 一セ ニ六 ニ四
秋吹く風はどんな色の風なので、こんなに身にしみつくほど、 分の心も晴れることなく、物思いの尽きない世の中が厭わし しみじみもの悲しいのであろう。 いことお ~ 。 前出 ( ↓御法四〇〇ハー下段 ) 。「色」「しむ」が縁語。物語 前出 ( ↓橋姫 3 四七七ハー下段 ) 。物語では、薫が中の君にあて では、宇治を訪れた薫を相手に、弁の尼が語る言葉の一節。た文面にこの歌を引く。橋姫巻にも「峰の朝霧晴るるをり 「いとどしく風のみ吹き払ひて・ : 」の晩秋の風景ともひび なくて」 ( 3 九九ハー ) と引かれ、宇治を印象づける表現とな えんせい きあいながら、宇治の山里の秋を過す心細さをかたどる。 っている。ここでは、さらに厭世感を強く言いこめた。ま すゑ しづく おく 末の露もとの雫や世の中の後れ先立っためしな た、前の中の君との対面での薫の訴え言を関連づければ、 るらむ ( 新古今・哀傷・七五七僧正遍照 ) 彼の恋の苦悶をも感取させることになろう。 ・ 0 ・ 8 草木の先端の露と根もとの雫とは、世の中の、人がおくれて いかならむ巌のなかに住まばかは世の憂きこと 死に、あるいは先立って死ぬことのたとえであろうか。 の聞こえこざらむ ( 古今・雑下・九五一一読人しらす ) いったいどんな岩屋に住めば、世の中のいやなことが聞えて 前出 ( ↓葵三八四ハー下段など ) 。物語では、宇治を訪れた薫 こないだろうか が弁の尼君を相手に、大君との死別を嘆く一節 もみぢ ・・秋はきぬ紅葉は宿にふり敷きぬ道ふみわけてと前出 ( ↓須磨 3 三五〇ハー上段など ) 。物語では、中の君の薫へ ( 古今・秋下・一一八七読人しらず ) ふ人はなし の返答の文面に引かれた。「巌の中」は、この歌によって、 やしき 秋は来た。紅葉は邸一面に散り敷いた。しかし、道を踏み分世俗を逃れるための場所、の意になる。 たもとはなすすき そで けて訪ね来る人はいない ・・ 3 秋の野の草の袂か花薄ほに出でて招く袖と見ゅ むねゃな ( 古今・秋上・一一四三在原棟梁 ) 前出 ( ↓帚木田四四一ハー下段 ) 。物語では、晩秋の宇治の風景らむ 秋の野の草花が色さまざまな着物を着ているが、花すすきは 覧をかたどる。前の「いとどしく風のみ吹き払ひて・ : 」 ( 九 袂なのだろうか。だから、穂が出ると恋の思いを外に表して 一八ハー ) あたりともひびきあって、ここでは地面に散り敷く 歌 招く袖と見えるのであろう。 紅葉を中心に、色彩豊かに晩秋を描く。 かり 雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひ尽きせぬ世の 前出 ( ↓タ顔田四四五ハー上段 ) 。物語では、匂宮の、中の君へ ( 古今・雑下・九三五読人しらず ) 中の憂さ の贈歌「穂にいでぬ・ : 」に引かれた。右の歌の発想を基盤 雁の飛んで来る峰の朝霧はすこしも晴れない。同じように自 に、中の君が薫に心なびいているかと疑う。「穂にいでぬ」 375
源氏物語 98 あら おと やどもり 一以下、九月末の晩秋の景。 いとどしく風のみ吹き払ひて、心すごく荒ましげなる水の音のみ宿守に ニぞっとする荒々しげな宇治川 の流れの音だけが、山荘を守る宿 て、人影もことに見えす。見るにはまづかきくらし、悲しきことそ限りなき。 五 守で。「宿守」は擬人的な表現 さうじぐち あをにびきちゃう 三薫の心象叙述に転ずる。 弁の尼召し出でたれば、障子口に、青鈍の几帳さし出でて参れり。弁の尼「いと 四弁は大君の死を機に出家。 かたら かしこけれど、ましていと恐ろしげにはべれば、つつましくてなむ」と、まほ五几帳の帷子の色。尼用の調度。 六老いて「恐ろしげ」な尼姿を恥 じて、几帳越しの対面を詫びる。 には出で来ず。薫「いかにながめたまふらんと思ひやるに、同じ心なる人もな セ弁の尼と自分だけが亡き大君 き物語も聞こえんとてなん。はかなくも積もる年月かな」とて、涙をひと目浮を懐かしがる点で共通するとする。 ^ 大君が匂宮の夜離れに妹の身 おいびと を苦慮したのも同じ季節。「あい けておはするに、老人はいとどさらにせきあへず。弁の尼「人の上にて、あいな なく・ : 」はしなくともよい物思い 九 くものを思すめりしころの空ぞかしと思ひたまへ出づるに、、 しっとはべらぬ中九常に悲嘆の気持だが、特に。 一 0 前述の晩秋の景に照応。「秋 にも、秋の風は身にしみてつらくおばえはべりて、げにかの嘆かせたまふめり吹くはいかなる色の風なれば身に しむばかりあはれなるらむ」 ( 詞 しもしるき世の中の御ありさまを、ほのかにうけたまはるも、さまざまにな花・秋和泉式部 ) 。 = 大君の心配していた、そのと ん」と聞こゆれば、薫「とあることもかかることも、ながらふればなほるや , つおりの結果となった、の意。匂宮 の六の君との結婚をさす。 一六あやま 三亡き大君と中の君と、それそ もあるを、あぢきなく思ししみけんこそ、わが過ちのやうになほ悲しけれ。こ れの身の上を思う。 一三弁の「さまざまに : ・」を受ける。 のごろの御ありさまは、何か、それこそ世の常なれ、されど、うしろめたげに 一四時がたてば事態も好転しよう。 は見えきこえざめり。言ひても言ひても、むなしき空にのばりぬる煙のみこそ、一五大君が、情けないことと。 四 としつき わ
固有のあり方。横笛五九ハーの女 過ぐしたまへ」とある返り事に、浮舟「つれづれは何か。心やすくてなむ。 三の宮の歌「うき世には : ・」と同想。 「世の中にあらぬ所も得てしがな ひたぶるにうれしからまし世の中にあらぬところと思はましかば」 年経りにたるかたち隠さむ」 ( 拾 と、幼げに言ひたるを見るままに、ほろほろとうち泣きて、かうまどはしはふ遺・雑上読人しらず ) による。 一六前歌の「世の中にあらぬ : ・」を 受け、浮舟の幸いのためならどん るるやうにもてなすことと、いみじければ、 なことでもしたい、 とする。 一六 中将の君 , つき世にはあらぬところをもとめても君がさかりを見るよしもがな宅「幼げに」と照応。母娘が思い のままの真情を吐露した歌とする。 一 ^ 薫。晩秋の宇治行きが慣例化 と、なほなほしきことどもを言ひかはしてなん、心のべける。 一九夜の寝覚めごとに、亡き大君 のことを忘れることなく追懐。 かの大将殿は、例の、秋深くなりゆくころ、ならひにしこ 〔三六〕薫、宇治を訪れ、 ニ 0 八の宮邸の寝殿を解体して阿 新造の御堂を見る となれば、寝ざめ寝ざめにもの忘れせず、あはれにのみお闍梨の山寺に寄進することにして ↓宿木九九ハー五・一四行。 みだう ばえたまひければ、宇治の御堂造りはてっと聞きたまふに、みづからおはしま三旧寝殿の解体後に新造。 一三八の宮の住んでいた宇治の邸 もみぢ は簡素だった。↓橋姫 3 一〇三ハー したり。久しう見たまはざりつるに、山の紅葉もめづらしうおばゅ。こばちし ニ三寝殿を造り直したことをいう。 ひじり 屋寝殿、こたみはいとはればれしう造りなしたり。昔、いと事そぎて聖だちたま往時の面影をとどめないのが残念。 ニ四もとの寝殿は、西面・母屋が へりし住まひを思ひ出づるに、故宮も恋しうおばえたまひて、さまかへてける仏間、西廂が八の宮の居間。↓椎 東 本刊一七〇ハー五行。 一宝寝殿の東面が姫君たちの部屋 も口惜しきまで常よりもながめたまふ。もとありし御しつらひは、いと尊げに であった。↓椎本一五四ハー注一一。 あじろびやうぶ をむな ニ五 て、いま片っ方を女しくこまやかになど、一方ならざりしを、網代屏風、何かニ六↓椎本一三六ハー注一三。 ニ 0 一九 ニ四 ひとかた ニ六
ったろうか、今日の尊さ、アワレ、ソコヨシャ、今日の尊さよ。 ・・ 3 紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあは ( 古今・雑上・会七読人しらす ) 前出 ( ↓少女 3 四二五ハー上段 ) 。物語では、薫と女二の宮の結れとぞ見る うた 婚の祝宴で、薫がこれを謡う。 紫草がほんの一本でもあるものだから、武蔵野に生えている 草のすべてが懐かしいものと思われてくる。 東屋 前出 ( ↓若紫田四五二ハー上段 ) 。物語では、中の君に対面する つくばやまはやましげやま ・・ 2 筑波山端山繁山しげけれど思ひ入るには障らざ中将の君の言葉に引かれた。娘の浮舟が亡き大君に異母妹 ひと・もレ」 ( 新古今・恋一・一 0 一三源重之 ) として血筋のつながることを、「一本ゅゑに」と言った。 筑波山は、端の山、木の茂った山と、たくさん山があるが、 ・・ 6 塩釜の前に浮きたる浮島の浮きて思ひのある世 分け入ろうと思えば支障にはならないー人目がたくさんある 、な。り , け一 C ノ ( 古今六帖・第三「塩釜」 ) あ けれども、心の中で逢いたいと思う気持が深まれば、妨げに 塩釜の前に浮んでいるような浮島ではないが、ふわふわ浮い はならないのだった。 ているように頼りどころなく、物思いばかりするこの世の中 ひたちのくに ふもと ではあった。 「筑波山」は常陸国の歌枕。「端山」は堺の山で、麓に近い ひたちのすけ みちのく ところ。物語では、浮舟のことをいう。彼女が常陸介ふぜ「浮島」は、陸奥の歌枕。宮城県塩釜市南方の島をいう。 いの、しかも継娘であるところから、「筑波山を分け見ま「憂き」をひびかす表現が多い。『新古今集』にも所収 ( 恋 ほしき : ・端山の繁りまで : ・」という語り方になっている。 五・一三天 ) 。物語では、中の君に対面する中将の君が、「年ご 薫に比べて、あまりに身分隔った存在である。 ろの物語、浮島のあはれなりしこと」を語ったとする。中 あづま 00 ・ 1 東にて養はれたる人の子は舌だみてこそものは将の君は常陸介の陸奥守在任中に嫁した。その当座のつら ( 拾遺・物名・四一三読人しらず ) 覧言ひけれ い体験を、「浮島」に「憂き」をひびかせて語ったことに なま 東国で養われ育った人は、何かと訛ったしゃべり方をするも なる。 歌 のだった。 ・川・ 7 世の中は昔よりやは憂かりけむわが身ひとつの ためになれるか ( 古今・雑下・九哭読人しらず ) 「舌だみて」に、「しただみ」 ( 小さな巻貝 ) を隠し題として この世の中は昔からこんなにつらかったのか、そんなはすは 行言いこめた。物語では、常陸介の、東国訛りを帯びた話し 声をいう。 とすれば、私一人のためにそうなっているのだろうか しほがま
めのわらわ 若い女房たちで女君のおそば近くお仕えしている者などは、 るのだった。身なりのあまりさつばりしない女童などがと 2 とりわけ身ぎれいにさせておくべきなのであろう。また下きに交じっていたりするのをも、女君としてはほんとにき 仕えの者どもで、たいそうよれよれなのを着ている者など まりわるく、なまじこうした立派すぎる住いもかえって不 語 あわせ 物には、いただいた白い袷などの目だたないのがかえって無似合いなことよ、などと人知れずお悩みになることもない 難に思われるのだった。 わけではないのに、このごろはなおさらのこと、世間で評 源 いったい中納言のほかに誰が、こう何事にもお世話して 判のあちらのお方の御有様のはなやかさを思うにつけても、 さしあげる人がいるだろうか。宮は、並々ならぬご情愛か 一方では宮のご家来が、あちらと見比べてどう思うことか、 ら万事なんぞして不自由のないようにとお心を配っていら さそみすばらしく感ずることであろう、といっそうご心労 っしやるけれども、細かい内々のことまではどうしてお気が加わってお嘆きでいらっしやるが、中納言の君は、そう づきになろうか。このうえもなく人々から大事にされてこ した女君のお気持をほんとによく察しておあげになるので、 れまでお過しになったお方であるから、世の中の不如意な もしも女君が気心の知れない相手であるのだったら、そう 暮しの味気なさがどれほどのものかともお分りにならぬの した配慮も見苦しくわずらわしく思われるにちがいないが、 は、当然のことである。花の露をもてはやすのにも感に堪この場合、先方を軽く見るというのではないが、なんの、 えて思わず知らずそくぞくするといった体に、世の中はたわざと仰々しくととのえたというのでは、かえって思いも だ風流めいて過すべきものと思っていらっしやるが、そう よらぬことと不審がる人もあろうから、とお考えになって したお方でいらっしやるわりには、大事な女君のためとあ の贈物であった。製、て今度またあらためて、いつものよう ・一うちき っては、しぜん何かの折につけてはお暮し向きのことにま に数々の美しい衣装などをお作らせになって、御小袿を織 で面倒をみたりなさることもあるのを、それが宮としては らせ、綾の布地などをお贈りになったのだった。この中納 めったになく珍しいことらしいので、「まあそのようなこ 言の君こそ、宮にも劣り申すことなく格別にかしずきたて めのと とまで」などと、非難がましく申しあげる御乳母などもい られて、どうかと思われるまで気位が高くもあり、俗世間
は、せつかくの季節をむだに過すばかりである。 早蕨 前出 ( ↓薄雲 3 四一七ハー上段 ) 。物語では、過往の姉妹の共 いそのかみ ・ 2 日の光藪しわかねば石上ふりにし里に花も咲き感の日々を語る。歌の内容よりも、「花鳥の色をも音をも」 ふるのいまみち ( 古今・雑上・八七 0 布留今道 ) の言葉に即した引き方である。 4 ・ . 0 日の光は草藪も何も区別なくさしこんでくるものだから、今 わが身から憂き世の中と名づけつつ人のためさ では古都となってしまった石上の里にも花が咲いたのだった。 へ悲しかるらむ ( 古今・雑下・九六 0 読人しらず ) なんまっ わが身のつらさゆえに、この世を「憂き世の中」と名づけて 詞書によれば、石上並松という人物が宮仕えもせず石上に こもっていたのに、にわかに五位に叙せられたので、それ もみたところ、そのために他人の身の上までもが悲しくなる のであろう。 を祝って詠んだ歌。「日の光」は天皇の恩恵を寓した表現 で、それによって花が咲き、並松も五位に叙せられたとす自分の不幸の自覚が、他人への同情を促すとする発想。物 うしな る。「石上」は奈良県天理市の石上神社のあるあたり。物語では、大君を喪った薫への、匂宮の同情を語る一節 覧語では、この歌によって、都から遠い宇治の山里にも春の 「人のためさへ」というところから、匂宮固有の多感な色 一陽光が降りそそぐとして、新春を迎えた中の君の心情に語好みぶりがかたどられている。 り移る。 春の夜の闍はあやなし梅の花色こそ見えね香や ・ 4 花鳥の色をも音をもいたづらにものうかる身は はかくるる ( 古今・春上・四一凡河内躬恒 ) すぐすのみなり ( 後撰・夏・一二一一藤原雅正 ) 春の夜の闇というものは、暗闇の役目も果さす妙なものだ。 ゅううつ 花の色をも見ず鳥の声をも聞かず、どことなく憂鬱なわが身 梅の花は、その色こそ目にも見えないが、香だけは隠れよう 363 け 引歌一覧 ゃぶ 、この「引歌一覧」は、本巻 ( 早蕨 ~ 東屋 ) の本文中にふまえられている歌 ( 引歌 ) で、脚注欄に掲示 した歌をまとめたものである。 一、掲出の仕方は、はじめに、引歌表現とみられる本文部分のページ数と行数をあげ、その引歌および出 典を示し、以下、行を改めて、歌の現代語訳と解説を付した。 やみ ひと
49 宿木 なげし ただ御心なれば、愁へきこゅべきにもあらず」とて、長押に寄りかかりておは = 0 下押。今の敷居。一段高い じきたい ニ一中の君に薫との直対を勧めて、 すれば、例の、人々、「なほ、あしこもとに」などそそのかしきこゅ。 やはりあそこまで、と言う。 一三「はやりか」は直情的な性格 もとよりけはひはやりかに男々しくなどはものしたまはぬ人柄なるを、いよ = 三御簾を隔てながらも直接話を 交すこと。親密な仲の応対である。 いよしめやかにもてなしをさめたまへれば、今はみづから聞こえたまふことも、 = 0 「やうやう」は「薄らぎて」にか かる。これまでの中の君の、恥ず おもな ゃうやう、うたてつつましかりし方すこしづっ薄らぎて面馴れたまひにたり。 かしかった気持がしだいに変化。 一宝中の君は懐妊の身。薫は、単 ニ五 薫「なやましく思さるらむさまも なる病気と思っているか。 、、かなれば」など問ひきこえたまへど、は ニ六薫は、中の君が六の君と匂宮 けしき かばかしくも答へきこえたまはず、常よりもしめりたまへる気色の心苦しきもの結婚に苦悩を深めていると推量。 このあたり、彼女への悔恨と執心 れんびん あはれに思ほえたまひて、こまやかに、世の中のあるべきゃうなどを、はらか をあらためて抱く薫だけに、憐憫 と同情の念に堪えがたい。 らやうの者のあらましゃうに、教へ慰めきこえたまふ。 毛匂宮との夫婦仲の心得などを。 ニ ^ 実兄のような誠意と温情。 ニ九 声なども、わざと似たまへりともおばえざりしかど、あやしきまでただそれ = 九中の君の声なども、大君に 三 0 今では姉妹を瓜二つと思う変 すだれ むか とのみおばゆるに、人目見苦しかるまじくは、簾も引き上げてさし対ひきこえ化に注意。薫にとって、中の君が かたしろ 亡き大君の形代になりつつある。 かたち まほしく、うちなやみたまへらん容貌ゆかしくおばえたまふも、なほ世の中三一やはり恋の物思いに悩まぬ人 はありえないのか。道心を理想と にもの思はぬ人は、えあるまじきわざにゃあらむとぞ思ひ知られたまふ。薫する自分でさえこうだから、の心。 三ニ人並に出世して派手に暮さず 「人々しくきらきらしき方にははべらずとも、、いに思ふことあり、嘆かしく身とも。 ニ四 三ニ 一九 ニ七 三 0 ニ八