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検索対象: 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)
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1. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

よう、どちらともお決め申せませんよ」と言い合っている。 かと推察申しておりまして」と申されると、女君は、「い 「いったいどれほどのお方が宮をお負かし申せましようか」 かにも並々ならず思いやりの深いお心配りで」とだけお答 などと母君が言っているうちに、「今しがた車をお降りに え申しあげていらっしやる。大将は宮が宮中にお泊りにな 語 物なったようです」と言う声が聞え、同時にやかましいくら ったのを見届けたうえで、お気持を抑えられずお越しにな 氏 い先払いの声もするが、すぐには姿をお見せにならない。 ったものとみえる。 源 つものよ , つに、まことに 皆がお待ちしているところへ歩み入っていらっしやるご様三 0 〕中の君、憂愁の薫大将は、い つや 子を見ると、なんとご立派なこと、艶つばい風情というの に浮舟をすすめる親しみをこめてお話し申しあげなさ ではないにしても、 いかにも優美ですっきりとしていらっ る。何かにつけて、ただ亡き姫宮のことばかりが忘れがた しやるではないか。どことなく、こちらの姿が見られては く、世の中がますます心ゆかぬものになる由を、あらわな ひたいがみ いまいかと恥ずかしく、つい額髪などもとりつくろわずに おっしやりかたではなく、それとなくお訴えになる。女君 たしな はいられないくらい気おくれするようなお姿で、嗜み深く は、「そのようにどうしていつまでも亡き姉上のことばか このうえなくすばらしいご様子でいらっしやる。宮中から り思いつめておられるのだろうか。やはり最初から本気に さき すぐこのお邸へまいられたのであろう、御前駆の者どもが なって思いよられた筋なので、亡くなられた後も忘れてし 大勢いるらしい気配で、大将が、「昨夜、后の宮がおかげ まいたくないとのお気持なのだろうか」などと考えてごら おももち んわるくいらっしやる由を承って参内いたしましたところ、 んになるけれども、その御面持がはっきりしていらっしゃ 宮たちがおそばにいらっしゃいませんでしたので、おいた るので、ご様子を見ているうちに、ご自分とて無情の岩木 わしく存じあげまして、宮の御代役として今までお付き添ではないのだから、そのしみじみとしたお心柄がよくお分 い申しておりました。宮が今朝もまったく怠けておられお りになる。大将がしきりに恨み言をおっしやるので、女君 くれて参内なさいましたが、私としてはあらずもがなのこ はまったくどうしてあげようもなく嘆息をもらされて、こ とですけれど、あなたがお引きとめになったせいではない うしたお心をなくしてあげる禊をしてさしあげたくお思い ( 原文一六三ハー ) やしき さんだい ふぜい な みそぎ

2. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

( 原文八一ハー ) 女君ま、、 。しくらか夫婦の仲らいというものをもお分りに さら言ってもかいのないことで、まったくこれほどまで苦 なったせいであろうか、あれほどまでひどくあきれたこと しいものではなかった。それが今度の件では、あれやこれ とお思いになったものの、一途に厭わしいなどといったふ やさまざまに思いわずらっていらっしやるのだった。「今 すき うでもなく、いかにも行き届いて隙がなく上品で気がひけ 日は宮が二条院においであそばしました」などと人が言う るほど奥ゆかしいところも加わって、さすがにこの自分をのを耳にするにつけても、後見としての気持はどこへやら やさしく言いなだめたりして、たくみに帰しておしまいに失せて、胸のつぶれる思いで、まったくうらやましく思わ なったときのお心柄などを中納言は思い出すにつけても、 ずにはいらっしゃれない。 いまいましくも悲しくも感ぜられ、あれこれ心から離れな 〔一宝〕匂宮、中の君を訪宮は、女君へのご無沙汰が幾日も続 れ、薫との仲を疑う いので、やるせなく思わずにはいられない。あらゆる点で いてしまったのは、ご自分としても 昔よりはほんとに立派になられたと思い出さないではいら 恨めしい思いになられて、にわかにお越しになったのだっ っしゃれない。「なんの、あの宮が見捨てておしまいにな 女君も、「なんのいまさら。宮によそよそしいそぶり ったら、女君はこの自分をお頼りになるにちがいなかろう。 をお見せすることはすまい。宇治の山里へと思いたつにし しかしそうなったところで、公然と心おきなくお会いでき ても、頼りに思うべき人であるあのお方も、厭わしいお心 るというわけにはとてもゆくまいが、人目を忍ぶ仲として がおありだったのだ」とお分りになると、じっさい世の中 は、またこれ以上にたいせつな人はない、その最後のお方 に身の置き所もない気持になられて、やはり自分は運のつ ということになるのだろう」などと、ただこの女君のこと たない身だったのだとあきらめるほかなく、せめてこの世 ばかり心から離れずお思い続けになるのも、まことにけし に生きている間は、ただなりゆきにまかせて穏やかに過し 宿 ていくことにしょ , つ、と、いをきめて、いかにもいじらしく からぬ心ではないか。あれほど思慮深く分別ありげにふる 1 まっていらっしやっても、やはり男の心というものは情け素直にふるまっておいでになるので、宮はひとしお女君が ないものではある。亡きお方を恋いしのぶお悲しみはいま いとおしく、またうれしくお思いになって、長らくのご無

3. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

( 原文七五ハー ) と存じまして今日にいたしました。それにしても、年来の 一方では宮を悪くも言い、また女君を慰めたりもして、 私の誠意もようやくそのかいがあったと申すものでしよう あれこれともの静かにお話し申しあげていらっしやる。 か、隔てを少しお取りはずしになって御簾の内へお入れい 三三〕中の君宇治同行を女君は、宮の嘆かわしいお仕打ちな ただいたとは、めったになくうれしいことでございます」 願う薫中の君に迫るどはロに出してお話し申すべきこと とおっしやるので、女君はやはりじつに気恥ずかしくて言 でもないので、ただ自らの宿世のったなさを悲しんでいる い出す言葉もない心地がするけれども、「先日は父宮の御のだと察してもらえるように、言葉少なに言いつくろって 法事についてのお計らいを承り、うれしく存じました感謝は、あの山里へほんのしばらくでもお連れいただきたいと のお気持らしく、その思いをじつに懇ろにお訴えになる。 の気持を、いつものように胸におさめたまま過してしまい ましたらーーー身にしみてありがたく存じあげております、 中納言は、「それだけは私の一存ではお世話申しあげかね その片端をなりとも、どうしてお分りいただけようかと、 るようなことでございます。やはり宮に素直にお話し申し あげられて、そのご意向しだいになさるのがようございま それが残念でございまして」と、まことに控え目におっし さが やるのが、たいそう奥のほうに引き退っておられるために、 しよう。そうでありませんと、いささかでも行き違いが起 きれぎれにかすかにしか聞えないので、中納言はもどかし ったりして、無分別なふるまいのように宮がお思いになろ くて、「お声が遠うございます。とっくりと申しあげたり うものなら、ほんとに不都合なこととなりましよう。そう またおうかがいしたい御身の上話もございますのに」とお した心配さえございませんのでしたら、道中のお送り迎え っしやると、女君が、いかにもとお思いになって、いくら もこの私がすすんでお引き受けしてお世話申しあげますの かこちらへにじり寄ってこられるその気配を耳になさるに に、なんの遠慮いたすことがございましよう。ほかの誰と 宿 つけても、中納言は急に胸のつぶれる思いになられるけれもちがって、ご安心のいく私の心のほどは、宮も十分にご 7 ども、何気なくいっそう落ち着いた態度をよそおって、宮存じでいらっしゃいます」などと言いながらも、過ぎ去っ のお心が思いのほかに浅くていらっしやったのだと思い顔た昔のことの悔まれる気持を忘れる時とてなく「ものにも ねんご

4. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

だろうか。亡き姫宮に心を奪われてからこのかた、およそ る手前も少しは遠慮してくださってもよさそうなものを」 四この世の俗念は思い捨てて澄みきっていた心にも濁りが生と思うにつけても、「いやもう、今ではあの折のことなど じるようになり、ただそのお方のことばかりをあれこれと宮はおくびにもお出しにならぬようだ。やはり浮気な性分 語 物思いながら、それでもさすがにお許しがないのにお近づき には勝てず心の変りやすい男は、女のためばかりでなく誰 氏 申すことは、当初の思いに反することになろうと遠慮して にとっても、信頼のおけぬ軽薄な仕打ちがありがちなもの 源 ふびん は、ただどうかしていくらかでもこの自分を不憫な者よと のようだ」などと宮を憎らしくお思い申される。それとい 思っていただき、親しく心を開いてくださる様子をも見た うのも、自分が真実ただお一人に執着する性分であるとこ いものと、行く末にばかり望みをつないでいたのに、あち ろから、他人のすることが格別におもしろからず思われる らの仕向けとしてはそうした気持を受け入れてくれそうに のであろう。「あのお方にあっけなく先立たれ申したあと みかど なく、それでもやはりいちがいに突き放すこともおできに で考えてみると、帝の御娘をくださろうとお定めあそばす ならないその気休めに、同じ血を分けた姉妹だからと言い につけても、別にうれしいことではなく、この妹君を迎え なして、こちらが望んではいない妹君をとお勧めになった ていればよかったのにと思 , つ一念ばかりが月日とともにつ のがいまいましくもあり恨めしくもあったので、まずその のっていくのも、ただ亡きお方のご縁者と思うせいで、あ 心づもりをくつがえそうと思って、急いで宮にこの妺君を きらめがっかないのだ。同じ御姉妹の仲とはいっても、と むつ お取り持ちしたのではなかったか」などと、一途にめめし りわけこのお二人はこのうえもなく睦まじくしていらっし く取り乱したような気持になって宮を宇治までお連れし、 やったものを。姉君がいよいよご臨終というときにも『あ あれこれとお謀り申した当時のことを思い出すにつけても、 とに残る妹を私と同じに思ってください』とおっしやって、 なんと不都合なことを考えたものよと、かえすがえす後悔『すべて何の不足をも申しあげることはありません。ただ せずにはいられない。「宮にしても、いくらなんでもあのあの私の考えておりましたことを無になされたことだけが ころのいきさつをお思い出しになったら、こちらが耳にす不本意に恨めしいことですので、この世に思いが残りそう はか ひと

5. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

なる。 ることがおできにならない。なにぶん軽からぬご身分のこ あじゃり 先日の御法事のことは、阿闍梨が知らせてくれましたの ととて、思うままに昼間のうちなどにもお出ましになれな いので、そのまま同じ六条院の南の町に、以前、長い間そ で、詳しく承りました。もしも、こうした昔のよしみを うしていらっしやったのと同じようにしてお住まいになり、 お忘れにならぬご好意がございませんでしたら、亡き父 宮に対してどんなにおいたわしいことかと存ぜられます 日が暮れるとまた、こちらを素通りのままにしてお越しに につけても、ひとかたならずありがたくお礼申しあげる なることもできなかったりして、こちらの女君は待ち遠し ほかございません。もしできますれば、親しくお目にか くお思いになる折もたびたびであるから、「いずれこんな からせていただいて。 ことになろうとは覚吾していたのだけれど、さしあたって、 とお申しあげになる。 まったくこ , つまですっかりお見限りになるとい , っことがあ みちのくにがみ 陸奥国紙に、格別とりつくろうこともしないで、きまじ ってよいものだろうか。なるほど思慮の深い人であったら、 めにお書きになっていらっしやるのがかえっていかにも風 数ならぬ身のほどをわきまえずにこうして顔出しできるよ うな世の中ではなかったのだ」と、かえすがえすもあの宇情を感じさせる。故八の宮の御命日に定まった供養の数々 治の邸をあとにしてきたときのことが正気の沙汰とも思わをまことにおごそかにお営ませになったのを感謝申しあげ ていらっしやるお気持が、大げさに述べられているわけで れず、くやしくも悲しくも思われるので、「やはりどうそ はないけれども、中納言にはいかにもそれとよくお分りに してそっとあの山里へ帰ってしまいたい。すっかり宮から なるのであろう。いつもはこちらからさしあげるお手紙の 離れてしまうというのではなくとも、しばらくあちらで心 ご返事をさえはばかるべきことのようにお思いになり、そ をも休めたい。宮に対してかわいげのないふるまいに出た 宿 うはきはきとも言葉をお書き続けにはならないのに、「親 りするのだったら、それもいけないことではあろうけれ ど」などと、自らの心ひとつには思いあまって、きまりわしくお目にかからせていただいて」とまでおっしやってい るのが、中納言にはめったにないこととうれしく思われる るくは思われたけれども、中納言殿に手紙をおさしあげに やしき ぜい

6. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

333 東屋 ( 原文一八八ハ -) たのだと、そのことを思うにつけても、いまいましくてな拝した目で比べて見ると、じっさい話にもならぬ男であっ みかど らないのである。「宮に比べると、この大将の君は、娘に たことからしても推し量られる。当代の帝の御秘蔵の皇女 おばしめしがありながら、さすがにぶしつけに言い寄ろう を頂戴しておられるようなお方のお目からこの姫君をごら とはなさらず、何気なくふるまっていらっしやるのはたい んになったのでは、なんとも気がひけて、恥じ入るほかは したものだ」と、あれこれ思い出していると、「自分でさ あるまい」と思うと、母君はただ無性にうわの空の心地に もなるのであった。 えそうなのだから、年若い女ならなおさらのこと慕わしく 思い申しあげておいでだろう。こうした疎ましい男を自分〔 = 宝〕浮舟隠れ家で思い三条の仮の住いは所在なくて、庭の の婿にと考えたりしたというのは見苦しいことであった」 沈む中将の君と贈答草もむさ苦しく茂っているうえに、 なま などと、母君はただ姫君のことばかりが案じられて、つい 下品な東国訛りの者たちばかり出入りしており、気持を晴 うつ せんぎい ふぜい 虚けた物思いに。かりふけり、あれやこれやとさまざまに らしてくれるような前栽の花もない。風情もなくうっとう 都合のよさそうな夢を描き続けるにつけても、その実現は しい明け暮れのなかで、宮の上のご様子を思い出すにつけ じっさい難儀なことに思われる。「大将殿の貴いお血筋と ても年若い娘心から恋しくてならないのだった。無体なこ ふうさい いい、ご風采といし さらにお世話申しあげていらっしゃ とをなさろうとしたお方のご様子もさすがに思い出さずに るお方といえば、もう一段尋常のお方ではないのだから、 はいられなくて、あれはどんなことを仰せだったのだろう、 ひと これ以上どれほどの女だったらお心をおとめになるのだろ ほんとにたくさんのいかにもおやさしそうなお言葉ではあ う。世間の人の有様を見たり聞いたりしていると、身分の った、後々までかぐわしかった御移り香もまだ残りとどま 高低貴賤に相応して、その器量も心柄も劣り優りが定まっ っている心地がする一方、あのときの恐ろしかった気持も てくるものであった。自分の腹を痛めた子供たちを見ても、 思い起されてくるのである。 誰一人としてこの姫君に及ぶ者がいるだろうか。少将をこ 母君は、姫君がどうしておられるだろうかと、じつにほ の家の内ではまたとないものと思ってはいるけれど、宮を ろりとするような手紙を書いておよこしになる。姫君は、

7. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

そっと二条院にお越しになったのだった。そのいかにもい も浮いてしまうばかりの心地がして、情けないものは人の じらしい女君のご様子を見捨ててお出ましになる気にもな 心ではあったと、我ながら思い知らされすにはいられない。 れず、おいたわしいので、あれこれとどこまでもお心変り〔 = 〕中の君身の上を省「私たち姉妹二人は幼い時から心細 語 み嘆く女房ら同情 物のありえぬことを約束しては、それでも慰めかねて、ごい く悲しい身の上で、世間のことには 氏 っしょに月を眺めていらっしやるところなのであった。女執着をお持ちのご様子でもいらっしやらなかった父宮お一 源 君はこれまでも何かにつけて悲しく思い悩むことが多かつ人におすがり申して、あのような山里に長年暮してきたの たのだけれど、どうかしてそれをおもてには見せまいと堪 だけれど、いっということなく絶えず所在なくもの寂しく え忍び堪え忍びして、さりげないさまを装っておられるの はあったものの、まったくこんなにも心にしみて世の中を 思えば で、六条院からお使者とあっても格別気にとめない様子で、無情なものだとは思い知ることもなかったのに おももち おっとりとふるまっていらっしやる御面持が、まったくい うち続いて父宮と姉君とがお亡くなりになるという思いが じらしく思われる。 けなくも悲しいめにあったその当座は、もう片時もこの世 宮は、中将がお迎えにまいられたことをお聞きになって、 に生きていられようとは思いもよらず、こんなにも恋しく さすがにそちらのお方のこともお気の毒に思われるので、 悲しいことはほかにまたとあるまいと思ったものだが、命 お出かけになろうとして、女君に、「今じきに帰ってまい も尽きず今日まで生き長らえてきてみると、他人が予想し りましよう。一人で月をごらんになってはいけませんよ。 ていたよりはどうやら人並のような暮しをしているが、こ あなたを残していく私も、心がうわの空でとてもつらいの れも長く続くはずのものとは思わないけれど、それでも宮 です」とお申しおきになって、それでもやはりきまりがわもごいっしよしているかぎりではいかにも情のあるやさし るいので、人目につかぬ物陰を通って寝殿のお部屋のほう いお心づかいやお扱いなので、だんだんと悲しみも薄らい へおいでになる、その御後ろ姿を見送るにつけ、女君は、 で今日まで過してきたものを、今度のことでのわが身の上 まくら 何をどう思うというのでもないけれど、ただ流れる涙で枕の情けなさはまたたとえようもなく、もうこれで宮とのご

8. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

325 東屋 がおいでのときによそに泊っているのはみつともない』と ていらっしやるのですから、不憫なとお思い申されること しか 荒々しいくらいに母君をお叱り申されたのだそうです。下でしよう。お慣れでない御身で何度も重ねてお参りになる のですもの。誰かがこうもないがしろにお思い申しており 人までがそれを聞いていて気の毒がっておりましたそうで。 何もかもあの少将の君のせいで、ほんとにかわいげのない ましても、じつはこんなにもめでたいご運に恵まれていら っしやったのかと思われるくらいのお幸せがおありになる お人でいらっしやる。あのお方とのことがございませんで したら、内々では面倒なもめごとがときどきございまして ようにと、お祈りしているのでございます。あなた様が世 間のもの笑いにされたままではいらっしやろうはずはござ も、無事に今までどおりにお暮しになれましたものを」な いませんもの」と、世の中のことをなんの不安もなさそう どと、涙を流し流し言う。 に一一一一口っている。 姫君は、今という今はあれこれ考えをめぐらすゆとりも なく、ただ一途にきまりわるく、これまで経験したことも 三〈〕匂宮参内中の君、宮は急いでお邸をお出ましになるご 浮舟を居間に招く 様子である。宮中に近い方角なので ないようなめにあったうえに、姉君がなんとお思いになる だろうかと思うと、それがやるせないので、うつ伏せにな あろうか、この西側の御門から車をお出しになるので、宮 の何かおっしやるお声もここまで聞えてくる。まことに上 ってお泣きになる。乳母はほんとに困ったことと、あれこ ふぜい 品に、このうえもなくよいお声で、風情のある古句などを れなだめて、「何もそうご心配なさることはございません。 お口ずさみになりながらお通り過ぎあそばすのが、姫君に 母君のいらっしやらないお方でしたら、頼りなく悲しくも はなんとはなしに気がかりである。お乗り換え用の馬など なりましようけれど : : : 世間の目には父親のない人はほ とのい ままはは ひ んとに情けないものと思われましようが、意地の悪い継母を牽き出して、宿直にお仕えする人が十人ぐらいお供して に憎まれるのよりは、このほうがほんとに気楽でございま参内なさる。 上は、この妹君がいじらしくて、さぞかしいやな気持に す。母君がどのようにでもしておあげになりましよう。く はっせ なっているだろうと思いやり、その件はそ知らぬ体に、 よくよなさいますな。なんといっても、初瀬の観音がつい ふびん てい

9. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

279 宿木 お付合いなのだろう、と宮はお思いになりながらも、一方 きお指図はなさってくださいまし。 ではご自分のお心ぐせから推して、中納言と女君とは普通 などとある。宮が、「この手紙はよくもまあさりげなくお の仲ではあるまいとお思いになる、それが心中おだやかで 書きになっていますね。わたしがこちらに来ていると聞い はいらっしやらぬのだろう。 たうえでのことでしよう」とおっしやるのも、なるほどい せんざい くらかはそのとおりかもしれない。女君は、とくに困った 〔三六〕匂宮、中の君と薫枯れ枯れの前栽の中に、尾花の、ほ の仲を疑い情愛深まるかの草とは目だって手をさし出して ことも書いてないのを、ああよかったと安心なさるが、宮 すすき がしいてこんなふうに邪推なさるものだから、それをあま招く風情が興深く見えるうえに、まだ薄の穂の出かかった りにひどいとお思いになって、恨み言をおっしやる、そのばかりなのも、露の玉を貫きとめながらはかなげにうちな おももち あやま 女君の御面持が、まったくどんな過ちがあっても大目に見びいている有様など、珍しからぬ景色ではあるけれども、 たくなりたいくらいのおかわいらしさである。宮は、「ご やはりタ風のしみじみと心にしみる季節ではある。 穂にいでぬもの思ふらししのすすき招くたもとの露し 返事をお書きなさい。わたしは見ないでおりますから」と げ・ノ、して おっしやって、ほかをお向きになった。女君は、すねて書 ( 表面にはあらわさずに内、いでは恋していらっしやるようで かずにいたりするのも変に思われそうなので、 そで すね。あの薄のように手招きする袖を涙で濡らして ) 山里へお出かけになったとはなんともおうらやましゅう のうし ございます。あの寝殿は仰せのとおりにするのがいちば宮は柔らかに着なれたお召物の上に、直衣だけをお着けに おうしきじ、よ・つ すみか びわ いわお んよいと存じておりました。わざわざ巌の中に住処を求なって、琵琶を弾いておいでになる。黄鐘調のかき合せを まことにしみじみと弾きこなしていらっしやるので、女君 めるよりは、あの邸を荒らさずにおきたいと考えており もたしなんでいらっしやることとて、いつまでもすねてば ますので、どのようにでも適当にしていただけますなら、 き、よう・ きちょう かりいることもおできにならず、小さい御几帳の端から脇 かたじけないことでございます。 とが そく 息に寄りかかってちらとお顔をのそかせていらっしやるお とお申しあげになる。このように咎めだてすることもない やしき

10. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

た内輪のお世話は、もつばらこの中納言の殿が、万事手ぬ いる人でも、必ずじっと引きこもっていなければならない こともないようですから、やはり世間並のお気持になって、 かりのないように面倒をみておさしあげになる。 「もう日が暮れます」と、内からも外からもおせきたて申 ときどきは私に会いにきてくださいな」などと、ほんとに しあげるので、中の宮は落ち着いてもいられないし、これ やさしくお話しになる。亡き姉宮がふだんに使っていらっ からいったいどこへ連れて行かれるのかしらと思うにつけ しやった形見の御調度類の数々は、すべてこの尼君のため ても、ほんとにただ頼りなく悲しいお気持になっていらっ にお残し置きになって、「あなたがこのように、誰よりも しやるところへ、お車にごいっしょする大輔の君という女 深い嘆きに沈んでおられるのを見ると、姉君とは前世でも いんねん 格別の因縁がおありだったのかと思えて、そのことまでも房が申しあげるには、 あり経ればうれしき瀬にもあひけるを身をうち川に投 しみじみ懐かしく思われます」とおっしやるので、弁はい げてましかば よいよ幼子が親を慕って泣くように、気持の抑えようもな ( こうして生きておりますればこそ、今日のうれしい折にも く涙におばれている。 恵まれましたものを。もしもわが身を、憂きものとして宇治 〔を上京する中の君、あたりをすっかり掃き清め、すべて 川に身を投げていましたら、どんなにくやしいことだったで 憂えと悔いの心を抱くきれいにかたづけて、お車を幾台も すのこ , しょ , っ ) 簀子に寄せ、御前駆には四位、五位の者がまことに大勢来 こにこしているのを、中の宮は弁の尼の気持に比べると ている。宮ご自身も、ぜひお越しになりたくお思いになる 蕨 たいそうな違いであると、情けなくもお思いになる。もう けれども、あまりに仰々しくなってはかえって不都合であ ろうとて、どこまでも目だたぬようにして迎え取るという 一人の女房は、 過ぎにしが恋しきことも忘れねど今日はたまづもゆく 体になさって、ご到着を待ち遠しくお思いになる。中納言 、いかな 殿からも、御前駆を大勢おさし向けになっている。一通り ( お亡くなりになったお方を恋しく思う気持を忘れるわけで のことは宮がご配慮になられたようであるが、こまごまし おさなご たいふ