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検索対象: 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)
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1. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

らっしやるお顔の色つやなどが、今朝はまた常とちがって るのを、女君はいやなお気持にならずにはいらっしゃれな 格別に美しさも加わってお見えになるものだから、宮はも いけれども、まるでお答え申しあげないのもあまりのこと う思わず涙ぐまないではいらっしゃれなくて、しばらくの なので、「前々からも他人とちがっておりまして、こうし 間、まじまじとそのお顔をお見つめ申されるので、女君は た折がよくありましたけれど、そのうちに癒ってしまうも 恥すかしくお思いになってうつむいていらっしやる、その のですから」とおっしやると、宮は、「ほんとによくまあ ふぜい 髪の垂れかかる風情や髪かたちなど、やはりまったくこれ あっさりとおっしゃいますね」と笑って、なんといっても ほどの人はまたとありそうもないお美しさである。宮もな やさしく情味のあるところは、こちらの女君に並ぶ人はあ ねんご んとなくきまりがわるいので、やさしく懇ろなお = = ロ葉など るまいとは思うものの、それでもやはり、一方ではあちら は、そうすぐにお言い出しになれない、その気恥ずかしさ の姫君に早く逢いたいというお気持がじりじりとつのって をつくろうためか、「なぜこんなふうにばかり、 い、かにも いらっしやるのは、そちらへのご情愛もおろそかならぬも ご気分わるそうにしていらっしやるのでしよう。あなたは のがあるのだろう。 暑い間だけのこととかおっしやったので、早く涼しくなれ たか、この女君にこうしてお逢いになっている間は、こ ばよいがと秋になるのを待っておりましたのに、やはり晴れまでと変るところもなくいとしくお思いになるのだろう れ晴れとなさらないのは困ったものですね。あれこれとさ か、宮が来世までもと誓言なさって数々の尽きせぬお約束 きとう しるし せているご祈疇なども、どうしたことかい っこう効験がな をなさるので、それを聞くにつけても、女君は、「いかに ずほう いような気がします。でも、あきらめずに修法は日延べを も、この世はほんとに短いにしても、その命の尽きるまで してでも続けたほうがよいでしよう。効験のある僧がいて の間にさえつれないお心を見せられるにきまっているのだ なにがしそうず 宿 くれればよいのですが。あの某の僧都を夜居に勤めさせて から、せめて後の世の誓いだけでも違えぬようにしてくだ しトっこ一 7 おけばよかったのでした」などといった実際的なことをお さるのだろうか、そう思うからこそやはり性懲りもなく宮 っしやるので、こうした面でも宮がお口上手でいらっしゃ をお頼み申さずにはいられそうもないのだ」と思うと、懸 ひと たが なお

2. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

やって、そう仰せられるのでございますね。こんど山里へ たしたいものと思うようになりました」とおっしやると、 幻お出向きになるお支度に、ようやくこの私をお使いくださ女君が、「ご殊勝なお志ではございますが、しかしまた、 みたらし ろうというおつもりでしようか。それも、なるはどこの私 あのいやな御手洗川に祓い流された人形といった心地がい 語 物の誠意をお認めくださるところあってこそと、あだおろそ たしまして、そう思うと姉上がかわいそうに存ぜられます。 ・がね 氏 かに思いましようか」などとおっしやって、やはりまだな絵にしても、黄金ほしさに手加減するような絵師ででもあ 源 おももち んとなく恨めしそうな御面持であるけれども、そばで聞い ったら、などと気がかりでございますね」とおっしやるの たくみ ている女房もいることなので、思うままにもどうしてお一言 で、「そのことなのです。そのエ匠にしろ絵師にしろ、ど い続けになれよう。 うして私の満足できるようなものが造れましようか。近い 〔 = 九〕薫、中の君から異庭のほうにもの思わしく目をやると、世にも、造った仏像のあまりの貴さゆえに虚空に花を降ら 母妹浮舟のことを聞く だんだん日が暮れてくるにつれて、 せるという奇跡を現じた名工もございましたけれど、その つきやま へんげ ただ虫の声だけが紛れることもなく聞えていて、築山のあ ような変化の人もいてくれたらと願うのですが」などと、 たりは薄暗く物の見分けもっかないのに、中納言がまこと あれこれにつけて亡き姫宮を忘れようにも忘れられない旨 にしみじみとした面持で物に寄りかかっていらっしやるの をお訴えになる中納言のご様子が、いかにも情け深いお方 も、御簾の内の女君は面倒なことになったとばかり、やき に見えるのもいとおしくて、女君もいま少し近くににじり もきせずにはいらっしゃれない。中納言が「限りだにあ寄って、「人形のお話のついでに、ほんとに妙な、それま る」などと忍びやかに口ずさんで、「どうしたものかと思 で思いよりもしなかったことを思い出しましてごギ、いま 案にあまっているのでございます。音なしの里へでも尋ねす」とおっしやる、その物腰がいくぶん親しく打ち解けた ていきとうございますが、あの山里のあたりに、 ことさら様子であるのもまことにうれしくありがたくて、中納言は、 きちょう にお寺をというのではないにしても、亡きお方のしのばれ「何事でしようか」と言いながら几帳の下から手をとらえ ひとがた ごんぎよう るような人形を作るなり、絵にも書くなりして、勤行をい るものだから、女君は、ほんとに困っておしまいになるけ ( 原文九三ハー ) な 第一くう

3. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

253 宿木 「主上がおばしめしをお漏しあそばした件だが、本当にそ中納言もいじらしく思われるので、 のおつもりであるとすれば、こんなふうにいつまでも気が 深からずうへは見ゆれど関川のしたのかよひはたゆる すすまないというのではどうしたものか。面目をほどこす 。もの、か・は ことではあっても、どんなものであろうか。しかし、その ( うわべは深くもないように見えようとも、人目を忍んで通 女宮があの亡きお方によく似ていらっしやるのだったら、 うこのわたしの気持はどうして絶えることがあろうか、いっ までも変るものではない ) どんなにうれしいことか」などと思ってもみたりするのは、 さすがにまったくそちらに気のないわけでもなさそうであ たとえそのお気持が深いのだとおっしやったにしても当て る。 になりそうもないのだから、ましてこのようにうわべは深 くないなどといわれたのでは、女の身としてひとしおおも ニ九〕薫按祭の君に情を中納言は例によって寝ざめがちの所 あぜち つまど かける女ら薫を慕う在なさから、按祭の君といってほか しろからず思わずにはいられまい。男君は妻戸を押し開け もの つぼね の女よりはいくらかお目をかけていらっしやる女房の局に て「本当は、まあこの空をごらんなされ、この眺めを知ら お越しになって、その夜はお明かしになった。少し日が高ず顔にどうして寝ていられようかと思ったからですよ。風 とが くなったからとてそれを誰が咎めるはずもないのに、いか流人のまねをするというのではないが、何かと物思いがっ にも気がかりといったふうに急いでお起きになるのを、女のっていよいよ明かしかねることが多くなっていく夜な夜 のほうは心中おだやかならず思っているようである。 なの寝ざめには、この世のことから後の世のことまでがっ せきかは うちわたし世にゆるしなき関川をみなれそめけん名こ い思いやられて、しみじみと悲しくなるのです」などと言 そ惜しけれ い紛らわしてお立ち出でになる。とりたてて風情のある言 ( 世間一般からは認められないあなた様との仲ゆえ、こうし葉の数々を尽しておっしやるのではないけれど、そのご様 おうせ た関を越えてのかりそめの逢瀬ですのに、あなた様になれそ子がみずみずしく優美にお見えになるせいであろうか、中 めたという浮名が立つのはつろうございます ) 納言は思いやりのないお方であるなどとはやはり誰からも な

4. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

239 宿木 お心しだいですから、不服がましいことは申しあげられま そっくりと思わずにはいらっしゃれないので、もし人の手 なげし すだれ せんが」とおっしやって、長押に寄りかかっていらっしゃ 前が見苦しくなかったなら、簾をも引き上げて面とむかっ あい るので、例によって女房たちが、「やはりあそこまでご挨てお逢い申しあげたく、ご気分わるくいらっしやるらしい そのお顔も見たいお気持になられるにつけても、やはり世 拶にお出ましになって」などと女君にお勧め申しあげる。 しまさ の中に物思いのない人はありえないのだろうかと、 中納言は、もともと受ける感じが性急に強く押しきった らながら思い知らされる。中納言は、「この私はこれまで、 ことをするなどというところのおありにならないお人柄で ある , っえこ、 レいよいよ落ち着いて慎み深くとりすましてい 人並にはなやかな出世をするというふうにはまいらぬとい たしましても、、いに思い悩むことや、悲嘆に身を苦しめた らっしやるので、女君のほうも、以前はひどく気づまりで りするようなことなどはなしに、この世を過すことができ もあったのが、それもだんだんに薄らいで、今ではじきじ るものと自分では信じておりました。それなのに、自ら求 きにお話し申されることも普通になっていらっしやる。 「ご気分がわるくていらっしやるとか、どうなさいました めて悲しいめにもあい、愚かしくくやしい物思いをもして、 あれこれと胸の休まる時がないのはまことに困ったことで かなどと中納言がお尋ね申しあげなさるけれども、はき ございます。官位の昇進などといって、世間では重大事に はきとご返事申しあげなさらず、いつもとはちがって沈ん 思っているらしい、それはそれなりに無理からぬ不平や嘆 でいらっしやる様子がおいたわしく思われるにつけても、 きゅえに心を労する人たちよりも、この私のほうがいま少 中納言はしみじみとせつないお気持になられるので、ある し罪の深さはまさるのではありますまいか」などとおっし べき夫婦の仲らいのことなどを、いかにも兄妹であったら ねんご やりながら、手折ってお持ちになった花を、扇の上に置い こうもあろうかとばかり、懇ろに教えたり慰めたりしてお あげになる。 て見ていらっしやると、それがだんだんと赤みを帯びてい くにつけて、その移ろう色合いがかえって風情深く見える 女君の声なども、かってはとくに姉君に似ておられると ので、そっと御簾の中へさし入れて、 は感じたこともなかったのに、今は不思議なまでにまるで さっ

5. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

などとお話しかけになるけれども、姫君はただなんとも気とも懐かしいものなのだった」と、心の中で姉宮とお比べ いなか がひけて、それに田舎びた心ではご返事申しあげようにも になって、涙ぐみながらごらんになる。「亡き姉宮はどこ 言葉がなく、「これまではとてもお近づきのかなわぬお方までも上品で気高くていらっしやったものの、やさしくや 語 物と存じあげておりましたのに、こうしてお目にかかりますわらびていて、どうかと思われるくらいになよなよと弱々 氏 と、何もかも慰められるような心地がいたしまして」とだ しい様子でいらっしやった。この妹はまだ物腰がいかにも 源 け、ほんとに若々しい声で言う。 幼びていて、何かにつけ気恥ずかしそうにしてばかりいる 〔三 0 〕中の君、浮舟を哀姉上が絵などを取り出させて、右近せいか、見栄えのする優美さという点では姉宮に劣ってい れむ女房たちの推測に詞を読ませ、それをごらんになる る。せめてもう少し重々しい風情を身につけさせたなら、 と、この妹君も向い合って、もういつまでも恥ずかしがつ大将がお相手になさってもけっして見苦しいことはあるま てはいらっしゃれず、熱心に見入っておいでになる、その いに」などと、つい姉上らしいお心づかいから気をまわし ほかげ ていらっしやる。 灯影に照らし出されるお姿は、じっさいここがと思われる やす 欠点もなく 、、かにもきめこまやかに美しい器量である。 世間話などをなさって、明け方になってからお寝みにな ふぜい 額のあたりや目もとはほのばのと美しさのただよう風情で、 る。姉上は妹君をおそばにお寝かしになって、亡き父宮の まことにおおらかな上品さは、まったく亡き姉宮その人の数々の思い出や長年のお暮しの有様など、とりとめなく思 ようだと思い出さずにはいられないので、姉上はもう絵の い浮ぶままに話してお聞かせになる。姫君は、父宮にほん ほ , つは別にど , つでもよく、「ほんとにしみじみと懐かしい とにお会いしたかったのに、とうとうこの世でお目にかか 顔だちょ、どうしてこうまで似ているのだろう。亡き父宮 らずじまいになってしまったことをじつに残念で悲しいこ にじつによくお似申したものらしい。亡くなった姉宮は父とだと思う。昨夜の事情を知っている女房たちは、「実際 のところはどうだったのでしようね、ほんとにかわいらし 宮のほうに、この自分は母上にお似申していると老人たち が言っていたとか。なるほど、似ている人というのはなん げなお方ですもの。上がいくら大事になさっても、そのか

6. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

きちょう すだれ まらなく恨めしくて涙がこばれそうになるのを、人目がは にはじつに恨めしく思われて、簾の下から几帳を少し押し 2 ばかられるのでしいて紛らわして、「ご気分のよろしくな やって、例のいかにも物慣れた様子で近くに寄って来られ い折は、見知らぬ僧などもおそば近くにまいりますものを。 るのが、女君にしてみればほんとに困ったことなので、ど 語 物この私を医師などと同じお扱いとしてでも、御簾の内に入 うにもいたしかたなくお思いになって、少将という女房を 氏 れていただくわけにはまいらぬものでしようか。このよう おそば近くに呼び寄せて、「胸が痛いのです。しばらく押 源 ひとづて な人伝のご口上では、参上したかいもない心地がいたしま えていて」とおっしやるのを聞いて、中納言は、「胸の痛 おももち す」とお申しあげになって、いかにも不満そうな御面持な みは押えたりしたのでは苦しくなるばかりでございますの のを、先夜もお二人の様子を見知っていた女房が、「いか にと、嘆息をもらして居ずまいをなおされるが、それも、 もや にもここでは見苦しゅうございましよう」と言って、母屋まったく内心おだやかならぬお気持である。「どうしたわ の御簾を下ろし、中納言を夜居の僧の座にお入れ申しあげ けで、こういつもお加減がわるくていらっしやるのでしょ るので、女君は、真実気分もわるいけれど、せつかく女房う。人に尋ねてみましたところ、おめでたのお方は、しば がこのように言うのだから、はっきり無愛想にふるまうのらくの間は気分がすぐれなくても、そのうちまたよくなる もこれまたどうしたものかとはばかられるので、気のすすものだなどと教えてくれました。あまり子供じみて大事に まぬまま少しにじり出てきてご対面になる。 なさりすぎるのでしよう」と中納言がおっしやるので、女 ほんとにかすかに、ときどき何かをおっしやる女君のご君はまことにきまりがわるくて、「私の胸の痛みはいっと 様子が、あの亡きお方の病みつかれた当時のことをまず思 いうこともなくこうなのでございます。亡き姉上もこんな し出させるにつけても、忌まわしく悲しくて、目の前が真ふうでいらっしゃいました。長生きすることのできない人 っ暗になってしまう心地がなさるので、すぐには言葉も出 によくある病だとか世間でも申しているようでございま す、少し気持を落ち着けてからお申しあげになる。女君がすーとおっしやる。中納言ま、 。いかにも人間は誰しも千年 すっかり奥のほうに引っ込んでおいでになるのも、中納言 の松のように長生きはできないものなのだと思うにつけて、 くすし

7. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

245 宿木 つらい昔のことは忘れてしまったというのであろうか 縁もおしまいと思わないではいられないことなのだった。 もうまったくこの世にはいらっしやらなくなった父宮や姉 年寄の女房たちなどは、「もう奥におはいりなさいまし。 冫。しくらなんでもときどきはお目 君とはちがって、宮こま、、 月を見るのは不吉なことでございますのに。それになんと にかかれるのだと思ってよいはずなのに、今宵こうして私 まあ、ほんの少しの御くだものをさえお召しあがりになり を見捨ててお出かけになる恨めしさに、あとさきすべて真ませんのでは、どうおなりになりますことか。ああ、もう っ暗になってたまらなく心細いのが、わが心ながらどうに 拝見してはおられませぬ。不吉なことをも思い出さないで はいられませんのに、ほんとに困ってしまいます」と嘆息 も気持のおさめようもなく、情けなくもあることよ。でも、 生き長らえてさえいたなら、あるいは万が一にも」などと、 をもらして、「それにしても今度のお仕打ちはどういうこ とでしよう。でも、このままおろそかになっておしまいに 我とわが心を慰めようとしていると、なおさらあの慰めか おばすてやま なるようなこともまさかありますまい。なんといっても、 ねる姨捨山の月が澄みのばってくるので、夜が更けるまま にあれやこれやとさまざまに思い乱れていらっしやる。松 もともと深く思いそめた仲というものは、まるで切れてし 風の吹いてくる音も、あの宇治の山里の荒々しかった山お まうものではありませんもの」などと女房たちが言い合っ ろしの風に比べると、じっさいのどかで好ましく気持のよ ているのも、女君には何かと聞くに堪えないお気持から、 いお住いであるけれど、今宵はそう思おうにも思われず、 「今はもうどのようにも取り沙汰してもらいたくはない。 あの山里の椎の葉ずれの音のほうがまだましのように感じ このままじっと黙って宮のお心を見ていよう」とお思いに ないではいられない なるほかないのは、他人にはかれこれ一一 = ロわせたくない、自 山里の松のかげにもかくばかり身にしむ秋の風はなか分一人だけの心でお恨み申しあげていよう、とのおつもり りき なのだろうか。「それにしてもまあ、中納言殿は、あんな ( 宇治の山里の松の陰の住いにも、これほど身にしみて悲し にも情け深いお心でいらっしやったのに」などと、古くか すくせ い秋風の吹くことはなかった ) らお仕えしている女房たちは言い交して、「人の御宿世と

8. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

ので、さぞかし胸のときめくお気持になられるにちがいな香に加えていらっしやるのが、あまり仰山と思われるくら ちょうじぞめ 宮が近ごろは派手に目新しいお方のほうに打ち込んで いであるのに、さらにいつも所持していらっしやる丁子染 いらっしやる折とて、こちらには疎遠になっていらっしゃ の扇の移り香などまでが、たとえようもなくすばらしい 語 物るのを、いかにもおいたわしいこととお察ししないではい 女君も、あの思いがけないいきさつのあった一夜のこと られないので、ほんとにしみじみとお気の毒に思われ、格などをお思い出しになる折々がないわけでもないので、中 源 別風情のあるわけでもないお手紙を、下へも置かず何度も納一言がどなたにも似ず実直でやさしいお人柄でいらっしゃ 何度もごらんになっている。そのご返事には、 るのを見るにつけても、もしこのお方に連れ添うていたな お手紙を拝見いたしました。先日の御法事の折はこの私 らというくらいのことは考えておられるのであろう。もう も聖のような心持でお勤めしましたが、ことさら内々で幼びているといった年ごろではいらっしやらないので、恨 まいりましたのも、あの時分はそう分別させていただく めしい宮のなさりかたを思い比べてみると、何もかもこの わけがあってのことでございます。でも昔のよしみなど お方のほ , つがはるかにたちまさっていらっしやることもよ と仰せられるのは、何か今の私の志が浅くもなってしま くお分りになるからであろうか、いつも他人行儀な扱いで ったかのようにお思いかと、限めしく存ぜずにはいられあるのもお気の毒だし、「こんなふうでは人の情けを知ら ません。万事はお伺いいたしまして。あなかしこ。 ぬ者のようにおとりになるかもしれない」などとお思いに と、きまじめに、白い色紙のごわごわしたのに書いてある。 なるので、今日は御簾の内へお入れ申しあげなさって、母 すだれきちょう 三ニ〕薫、中の君を訪ね、さて、翌日の暮れ方に、中納言は一一屋の簾に几帳を立て添え、ご自分は少し奥のほうに身を退 懇ろに語り慰める条院へお越しになった。人知れず女 いてご対面になる。中納言は、「ことさらのお召しという 君を慕わしく思う気持もあるので、あらずもがなに身づく わけでもございませんでしたが、いつになくお許しがいた ろいにもたいそう心を配らずにはいられなくて、なよやか だけたうれしさに、卩刻にも参上したく存じましたが、昨 なお召物などにひときわかぐわしく香をたきしめ生来の芳日は宮がお見えと承りましたので、折から失礼ではないか ひじり ぎようさん

9. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

のこばれてくるのも、人目に不体裁なものだから、心は 〔三 0 〕薫、宇治を訪れて中納言は、宇治のお邸を久しくごら んにならないでいると、亡き姫宮と 千々に思い乱れているけれど、かといって一途に無分別な弁の尼に対面する いっそう縁遠くなる心地がして、わけもなく心細くなるの ふるまいに出るのも、またやはり常軌にはずれることだし、 で、九月二十日過ぎごろにお出向きになった。ひとしお風 女君のためにはもちろん、自分のためにもあらずもがなの ことであるにちがいないので、じっとどこまでもこらえて、 かはげしく吹き払って、心寂しくいかにも荒々しく波立っ やどもり ふぜい 水の音だけが宿守といった風情で、人影もすっかり絶えて いつにもまして嘆息をもらしながらお立ち出でになった。 いる。中納言は、このお邸を見るにつけ、まず心も暗く涙 「こんなふうにばかり思い悩んでいるのでは、これから先 ぐまれて、果てしない悲しみに誘われるのである。弁の尼 どうしたらよいのだろう。さそ苦しくてたまらぬことだろ ふすまぐちあおにびいろきちょう をお呼び出しになると、襖口に青鈍色の几帳を立てて御前 う。世間の非難を受けないようにして、しかも願いを遂げ に参上した。「まことに恐縮でございますが、以前にもま るには、どうすればよいのだろう」などと、こうした恋路 してほんとにおそましい姿になっておりますので、ご遠慮 に踏みこんでの経験を積んでいるお方ではないからであろ 申されまして」と、まともには姿を見せようとしない。中 う、自分のためにも相手のためにも穏やかならぬことを、 納言は、「どんなに寂しく物思いに明け暮れておいでかと ただ無性にやるせなく思い明かすのである。「亡きお方に 似ていると女君のおっしやった人にしても、それが真実か察するにつけ、あなたのほかに親身になって聞いてくれる どうかを確かめることができるだろうか。それほどでもな人もない思い出話でも申しあげようと思いまして。はかな くも積りに積る年月ですね」とおっしやって、涙を目にい い身分の人であるから、その気になって言い寄るのはたや つばい浮べていらっしやるので、老人はいよいよもって涙 すいとしても、相手が思いどおりの人でなかったら、かえ 宿 をこらえることができない。その弁の尼が、「亡くなられ ってあとがわずらわしいことになるだろう」などと、やは た姫宮が、妹君の身の上についてあらずもがなに何かと思 3 りそちらのほうには気がすすまない い悩んでいらっしやったのも、ちょうど今ごろの空のよう やしき

10. 完訳日本の古典 第22巻 源氏物語(九)

( 原文一六八ハー ) は面倒なという気持にもなりましようけれども、あの、世ものでしよう。殿のこれまでのお心深さに安心しておりま をそむいて尼にでもなどとお思いよりにもなったのであれすが、これから先がどうなりますことか、分りにくいこと ですもの」とため息をついて、格別のことはもうおっしゃ 。いっそ同じおつもりになって、ご運だめしにあの殿に らなかった。 おさしあげなさいまし」とおっしやると、母君は、「あの ひたちのかみやしき 夜が明けると、常陸守の邸から迎えの車などを牽いてき 娘には、苦労させまい、人に見下されるようなことはさせ かみ て、守がひどく立腹しているかのようにおどし半分の伝言 まいとの願いから、鳥の声も聞えないような奥山住いをま などを述べるので、母君は、「恐縮でございますが、万事 で覚悟したのでございますが、いかにもあの殿のご様子や お頼り申しあげることにいたしまして。やはりもうしばら ご人品を拝見して存じよりますに、たとえ下働きぐらいで くおかくまいくださいまして、巌の中に住まわせますなり、 あっても、こうしたお方のおそば近くにお仕えさせていた どうさせますなり、思案の決りますまでの間、取るに足ら だくのでしたら、どんなに張り合いのあることでございま ひと ぬ娘でございましても、お見捨てにならず、何事もお導き しよう。まして年若い女なら誰でもお慕い申すことになろ くださいまし」などと申しあげておいて帰ろうとする。こ うと存じますけれど、取るに足らぬ娘の身の上では、この の姫君本人もまことに、い細く、今までとはちがって母君と うえさらに物思いの種を蒔かせることになりはいたしませ んでしようか。身分が高くても低くても、女というものは、離れ離れになる不安を思うけれども、当世風にはなやいで こうした筋のことで、この世ばかりかあの世においてまで楽しそうなこのお邸にしばらくでもなじませていただこう ふびん 屋 苦しい境涯を生きる身にもなると存ぜられますので、不憫と思うと、さすがにうれしくも思わずにはいられないのだ つ ) 0 に思うのでございます。いえしかし、それとてすべてあな 東 た様のお考えしだいでございまして。どうなりとお見捨て 三三〕匂宮帰邸、中将の母君の車をお邸から引き出そうとす 君の車を見咎める るころの、少しあたりが明るくなっ 四なくお世話くださいまし」と申しあげるので、女君はほん てきた時分に、宮が宮中からお退りになる。若君がどうし とに難儀なことになったとお思いになり、「さあどうした ) が いわお ひ