221 早蕨 らも知られたくはございません」と言って、姿も変えて尼る。中納言は、こうした弁の姿を見るにつけても、「あの ころ悲しく思案にくれていたが、あのお方をどうしてこの になってしまっていたのだったが、中納言はしいてお呼び ような尼姿にでもしてさしあげなかったのだろう。その功 出しになり、まことに不憫な者よとごらんになる。いつも のように、昔話などをおさせになって、「こちらには、や徳で生き延びることができたかもしれなかったのに。そう なられたらそれで、どんなにか心ゆくまでお話し合い申す はりこれから後もときどきはやってまいるつもりですが、 こともできただろうに」などと、ひとかたならずくやしく 誰もいなくてはいかにも頼りなく、さぞ心細いことだろ , っ と思っていたのに、あなたがこうして居残ってくださると 思わないではいらっしゃれないにつけても、この弁が尼に い , つのは、ほんとに、いにしみてありがたいことに思われま なったことまでうらやましい気がして、弁が身を隠してい る隔ての几帳を少し引きのけて、懇ろにお話しになる。弁 す」などと、言いも果てずお泣きになる。弁が「この世を 厭えば厭うほどかえって長生きをしておりますこの寿命が 。いかにもひどく老いほうけた有様ながら、ものを言う 、いつ、か . いし。し _> 、やみがなく、嗜みを身につ 情けのうございますし、また姫宮はこの私にどうせよとの感じといし けていた昔の名残がしのばれる。 おつもりであとに残して逝っておしまいになったのかとそ れが恨めしく、ひいてはこの世のすべてに愛想をつかして さきにたっ涙の川に身を投げば人におくれぬ命ならま . ーし 嘆き沈んでおりますこととて、どんなにか罪障も深いこと ( 何よりも先立つものは涙ですが、その涙の川に、もしわが でございましよう」と、胸中にわだかまる思いの数々を訴 身を投げていたのでしたら、あのお方に死におくれてこうも え申しあげるのも聞き苦しく感ぜられるけれども、中納言 悲しい思いを経験せずにすんだ私の命だったでしように ) はほんとによく慰めておやりになる。 弁はひどく年老いているけれども、昔きれいであった名と弁は泣き顔をして申しあげる。中納言は、「身を投げる ′一り 残の髪をそぎ捨てているので、額のあたりが今までと様子こともじつに深い罪つくりになるといいます。そんなこと をなさったら彼の岸にたどり着くことはとてもおできにな も変り、多少若返って、それなりに上品な感じになってい ふびん きちょう ねんご たしな
しもづかへ ありさまけはひを見たてまつり思ひたまふるは、下仕のほどなどにても、かか三同様に身を捨てるつもりで。 一三出家遁世。「飛ぶ鳥の声も聞 な こえぬ奥山の深き心を人は知らな る人の御あたりに馴れきこえんは、かひありぬべし。まいて若き人は、心つけ む」 ( 古今・恋一読人しらず ) 。 たてまつりぬべくはべるめれど、数ならぬ身に、もの思ひの種をやいとど蒔か一四女房以下の下仕えでもよい 一五反転して、貴人とのかりそめ せて見はべらん。高きも短きも、女といふものはかかる筋にてこそ、この世、の関係の不幸を思う。彼女は「数 ならぬ身」を嘆いてきた ( ↓一三 後の世まで苦しき身になりはべるなれと思ひたまへはべればなむ、いとほしく五・一五一・一五三ハー ) 。その身 の痛恨と薫礼讃がやや矛盾したま ま、浮舟が薫の前にさし出される 思ひたまへはべる。それもただ御心になん。ともかくも、思し棄てずものせさ 点に注意。以下、中の君に下駄を せたまへ」と聞こゆれば、し 、とわづらはしくなりて、中の君「いさや。来し方の預けるような依頼の仕方である。 「数ならぬ身には思ひのなかれか し人なみなみに濡るる袖かな」 ( 河 心深さにうちとけて、行く先のありさまは知りがたきを」とうち嘆きて、こと 海抄 ) 、「今はとて忘るる草の種を だに人の心に蒔かせずもがな」 ( 伊 にものものたまはずなりぬ。 勢物語一一十一段 ) 。 ゐ かみせうそこ 明けぬれば、車など率て来て、守の消息など、いと腹立たしげにおびやかし一六身分の高低にかかわらず。 宅嫉妬愛執の罪に苦しむ意。 屋たれば、中将の君「かたじけなくよろづに頼みきこえさせてなん。なほ、しばし一〈中の君の考えしだいと委ねる。 一九常陸介の邸から迎えの車を。 ニ 0 中将の君が実娘の婚礼をよそ 隠させたまひて、巌の中にともいかにとも、思ひたまへめぐらしはべるほど、 東 に長居しているのを、介が咎める。 数にはべらずとも、思ほし放たず、何ごとをも教へさせたまへ」など聞こえおニ一中の君への依頼を繰り返す。 一三↓宿木一〇六ハー注九の歌。 ニ三 きて。この御方も、いと心細くならはぬ、い地に立ち離れんを思へど、いまめかニ三浮舟。母と離れる不安。 一九 ニ 0 す
す いたくねびにたれど、昔、きょげなりけるなごりをそぎ棄てたれば、額のほ一名残の黒髪を。 ニ尼削ぎの風情。 三出家の身としては。 どさま変れるにすこし若くなりて、さる方にみやびかなり。「思ひわびては、 語 四以下、薫の心中。思いあぐね た果てには、どうして大君を尼姿 物などかかるさまにもなしたてまつらざりけむ。それに延ぶるやうもやあらまし。 にでもしてさしあげなかったのか ひとかた き、ても、 いかに心深く語らひきこえてあらまし」など、一方ならずおばえたま大君が受戒を望んだが、人々は承 引しなかった。↓総角 3 二五五ハー きちゃう 五当時、出家の功徳が寿命を延 ふに、この人さへうらやましければ、隠ろへたる几帳をすこし引きやりて、こ ばすとも信じられていた。 六延命の大君と、来世のことも。 まやかにぞ語らひたまふ。げに、むげに思ひほけたるさまながら、ものうち言 セ大君へのせつない追慕ゆえ、 弁の尼にまで執着される。 ひたる気色、用意口惜しからず、ゆゑありける人のなごりと見えたり。 ^ 「さきにたっ涙」は老齢ゆえの 先立っ涙。「人」は大君。「 : ・ば : 弁さきにたっ涙の川に身を投げば人におくれぬ命ならまし まし」の反実仮想の構文。死なぬ つみふか かのきし と、うちひそみ聞こゅ。薫「それもいと罪深かなることにこそ。彼岸に到るこ身の悲しみと大君との死別を嘆く。 九身を投げることは重い仏罪。 と、などか。さしもあるまじきことにてさへ、深き底に沈み過ぐさむもあいな「彼岸」は浄土、「涙の川 , の縁語。 一 0 投身以外の死に方までも。 「深き底」は、地獄、次の「沈み」と し。すべて、なべてむなしく思ひとるべき世になむ」などのたまふ。 ともに、「川」の縁語。 = 「瀬々」は、折々の意で、「川」 薫「身を投げむ涙の川にしづみても恋しき瀬々に忘れしもせじ みくづ と縁語。「涙川底の水屑となりは てて恋しき瀬々に流れこそすれ」 いかならむ世に、すこしも思ひ慰むることありなむーと、はてもなき心地した ( 拾遺・恋四源順 ) 。前述からは まふ。帰らむ方もなくながめられて、日も暮れにけれど、すずろに旅寝せむも翻って、亡き大君に執着せざるを けしき ひたひ
れますまい。そうした大それたことまでして、深い地獄の ワ 1 底に沈んでしまうのもつまらぬことです。万事、おしなべ てむなしいものと悟らねばならないのが、この世の中とい 語 物うものでしよう」などとおっしやる。 氏 「身を投げむ涙の川にしづみても恋しき瀬々に忘れし 源 もせじ ( 身を投げようとおっしやる涙の川に沈んでみたところで、 折々ごとにあの方を恋しく思う気持を忘れることはできます まい ) いつの世に生れ変ったら、この悲しみのいくらかでも慰め られることがあるのだろう」と、悲しみの果てしもない心 地がなさる。京へ帰る気にもならすばんやりと物思いに沈 まずにはいらっしゃれぬまま、日も暮れてしまったけれど、 なんとなくここに旅寝したりするのも誰か変に思いはしな いか、と疑いを受けるのもつまらないことなので、お帰り つ」よっこ 0 〔六〕中の君、宇治に留中納言のお気持やお一言葉を中の宮に まる弁と別れを惜しむお話しして、弁はますますあきらめ おももち られず涙にくれている。ほかの人はみな満足の面持で、縫 物に精を出しては、老いて醜くなったおのれの姿をも忘れ て身づくろいに余念もないが、弁はかえって、いよいよや つれた尼姿で、 もしほ 人はみないそぎたつめる袖のうらにひとり藻塩をたる るあまかな ( どなたもみなお引越しの支度をして、着物の袖を裁ち縫い しているようですのに、この私は、袖の浦で藻塩たれつつ涙 に濡れる海人ー尼でございます ) と悲しみを訴え申しあげると、中の宮は、 - 一ろも 「しはたるるあまの衣にことなれや浮きたる波にぬる るわが袖 たが ( 潮垂れて悲しみの涙に濡れている海人の衣に違うところが ありましようか。京に出ていく私も、波にただよう不安な身 の上なので、涙に袖を濡らしております ) やしき 京の邸に住み着くこともほんとにむずかしいことのように 思われますので、そのときの様子しだいではこの山里をす つかり見限ってしま、つこともあるまいと思いますから、そ ういうことにでもなればまたお会いすることもできましょ うけれど、しばらくの間でも、あなたが心細いお気持でこ こにお残りになるのをそのままにして行くとなると、いよ いよ気がすすまないのです。あなたのような尼姿になって そで
身のせいでこんなにもつらいのだ。 ・æ・ 7 浅くこそ人は見るらめ関川の絶ゆる心はあらじ ( 大和物語・百六段 ) 出典未詳。「海人の : ・虫のーが序詞。虫の「われから」と、 とぞ思ふ この私を心浅い男とあなたは思 0 ているだろうが、関川の流「我から」の掛。物語では、薫に対面する中の君の態度 語 れが絶えることがないように、あなたとの仲が途絶えるよう を、「ただ、世やはうきなどやうに思はせて」と語る。こ 物 な浅い心ではあるまいと思う。 の歌の「われからぞ憂き」をひびかせて、いかにも自分自 氏 なかおき 身に由来した憂愁であるかのように思わせ、匂宮ゆえの苦 源元良親王が平中興の娘に求婚した時の親王の歌。「関川」 あぜち は逢坂の関近くを流れる川。物語では、按察の君への薫の悩であるとは気どられまいとする。わが苦悩が他人に知ら 返歌「深からず・ : 」にふまえられた。薫は、按察の君に本れる不幸を避けようとする中の君の態度である。 L.n . 1 っー 1 とりかへすものにもがなや世の中をありしなが 心から恋していないことを見抜かれているだけに、相手の ( 源氏釈 ) らの我が身と思はむ 歌の「関川」の語に合せながら、この元良親王の歌を引い 出典未詳。前出 ( ↓三六七ハー上段など ) 。物語では、中の君 て、いかにも切実な恋であるかのように返歌した。言葉が に対面する薫の態度。この歌によって、できることなら昔 、いに先行する点に注意。 0 . 1 を今に取り返したい気持を匂わせたとする。中の君を匂宮 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまど ( 後撰・雑一・一一 0 三藤原兼輔 ) に譲ったことの後悔である。薫のその後悔が、この歌によ ひぬるかな 子を持っ親の心は、闇の道を歩いているわけでもないのに、 って繰り返し語られる点に注意。 くや わが子をって取り乱し、道に迷ってしまうことだ。 神山の身を卯の花のほととぎす悔し悔しと音を ぞう ( 古今六帖・第四「雑の思ひ」 ) のみそ鳴く 前出 ( ↓桐壺田四三八ハー上段など ) 。物語では、タ霧の、六の 神山の卯の花にとまるはととぎすのように、わが身のつらさ 君への愛育ぶりを語る。「げに、親にては、心もまどはし」 から、くやしくやしと、声に出して泣くことだ。 と、盲目的なまでの情愛に育まれたとする。 あまかも ・・ 3 世やは憂き人やはつらき海人の刈る藻に住む虫「身を憂」「卯の花」が掛詞。「悔し悔し」に、ほととぎす かかいしよう ( 河海抄 ) の鳴き声を言いこめた。物語では、中の君に接近した薫を、 のわれからぞ憂き この歌のように「げに音は泣かれけり」と語る。「身を憂」 世の中がつらいのか、あの人が薄情なのか、じつはどちらで かって中の君 もない。海人の刈る海藻に住むわれからではないが、自分自「悔し悔し」の歌句がひびいているだけに、 やみ せきかは
女房たちも、「普通並のお方のようによそよそしくお扱また反対のことをおっしやるので、女君は、どちらに対し い申しあげなさいますな。このうえもないご親切をよくお ても当惑なさるけれども、ご自分のお心にも、「ご親切な 分り申していらっしやるということを、今こそ見せておあ お方としてこれまで身にしみてありがたく思っていたこの げになるべきでございましよう」などとお勧め申すけれど君のお志に対して、いまさらいいかげんにお扱いすること も、取次ではなく、自分からはいきなり申しあげることは もできないのだから、この君もそうお思いになり、またお やはり遠慮されるので、ためらっていらっしやるうちに、 っしやりもするように、亡き姉君の御身代りと存じあげて、 宮がお邸をお出ましになろうとしてお暇乞いにお姿をお見 このように身にしみてありがたく思っている、というわた せになる。まことに気高く身づくろいをなさりお顔をとと しの気持をお分りいただく折でもあればよいものを」とお のえておられて、みるからにはえばえしいご容姿である。 思いになるけれども、なんといっても宮があれこれとお二 中納言がこちらにいらっしやったのかとお気づきになり、 人の御間柄について穏やかならず申しあげなさるので、つ 女君に、「どうして、この君をまるで他人扱いにして御簾らいお気持にならすにはいらっしゃれないのであった。 の外にお置き申しておられるのです。あなたに対してはあ まりにも、これはど , つかと思 , つくらいに至れり尽せりのご 親切ですよ。このわたしとしては愚かしくみつともないこ とになりはせぬかと心配せずにはいられませんけれど、そ ばち 蕨 うかといってまったくに他人行儀のお扱いでは罰があたり はしませんか。もっとお近くで昔の思い出話でもなさいま し」などと申しあげられるものの、「そうはいっても、あ まり打ち解けすぎるのもどんなものでしようか。この君の 下心はちょっと疑ってみたいところもありますからね」と、 いとま ) 、
83 宿木 たまひつづくるに、、い憂くて身そ置き所なき。匂宮「思ひきこゆるさまことなれぬよう下着類を着替えていたが。 一五移り香がこんなに深いのでは、 きは るものを、我こそさきになど、かやうにうち背く際はことにこそあれ。また御無事ではあるまい。情交かと疑う。 一六中の君への情愛は格別、の意。 宅どうせ捨てられるなら自分か 心おきたまふばかりのほどやは経ぬる。思ひの外にうかりける御心かな」と、 ら先に、と考えるのは身分低い女 すべてまねぶべくもあらずいとほしげに聞こえたまへど、ともかくも答へたまのすること、の意。「人よりは我 こそ先に忘れなめつれなきをしも はぬさへ、いとねたくて、 何か頼まむ」 ( 古今六帖四 ) 。 天「心おく」は、隔て心をもつ意。 な 匂宮また人に馴れける袖の移り香をわが身にしめてうらみつるかな 一九「また人」は薫。「しめ」は、香 をしませ、身にしませ、の両意。 「馴れ」「袖」が縁語。 女は、あさましくのたまひつづくるに、言ふべき方もなきを、いかがはとて、 ニ 0 恋の関係を強調した呼称。 ころも 中の君みなれぬる中の衣とたのみしをかばかりにてやかけはなれなん ニ一「見馴れ」「身馴れ」、「かばか り」「香」が掛詞。「身馴れ」「衣」 とてうち泣きたまへる気色の、限りなくあはれなるを見るにも、かかればぞか が縁語。親しみ馴れた夫婦仲も些 細なことで切れるのか、と反発。 しといとど心やましくて、我もほろはろとこばしたまふそ、色めかしき御心な = = 中の君の泣き顔の美しさに魅 せられる匂宮は、これだからこそ あやま 薫も懸想するのだと、妬ましい るや。まことに、いみじき過ちありとも、ひたぶるにはえぞ疎みはつまじく、 ニ三語り手の評。匂宮の、多感な らうたげに、い苦しきさまのしたまへれば、えも限みはてたまはす、のたまひさ人に特有の猜疑心をいう。以下も、 匂宮の多感ぶり躍如たるところ。 しつつ、かつはこしらへきこえたまふ。 ニ四中の君と薫との間に。 ニ五中の君を。 おほとのごも てうづ またの日も、心のどかに大殿籠り起きて、御手水、御粥などもこなたにまゐ = 六一緒にいる中の君の居室で。 ニ四 、】ころう そで かゆ
二条后 ( 高子 ) への恋を、七夕説話に託して詠んだもの。 とはいえ、人並の物思いに涙で袖を濡らすのだ。 物語では、浮舟と薫の結婚を切望する中将の君が、たまさ出典未詳。物語では、中将の君が中の君に言う言葉。必ず かの来訪でもよいから、の気持でこの歌を引く。中将の君しもこれを引歌としなくてもよいか。すでに中将の君の ははじめて匂宮をかいま見た時にも、「七夕ばかりにても、 「数ならぬ身」の嘆きは、一三五・一五一・一五三ハーと繰 かやうに見たてまつり通はむよ、、 。しといみじかるべきわざ り返されてきた。 かな」 ( 一五六ハー ) と思った。 ・・ 3 今はとて忘るる草の種をだに人の心に蒔かせす まきばしら もがな ・・凵わぎもこが来ては寄り立っ真木柱そもむつまし ( 伊勢物語・一一十一段 ) きゅかりと思へば ( 紫明抄 ) もうこれ限りといって、私を忘れてしまう忘れ草の種だけで あの人が来ては寄り添い立っていた真木柱、私にはそれさえ も、あなたの心に播かせたくないものだ。 も親しみ深い縁故のものと思われて : ・ 物語では、前項に続いて、中将の君が中の君に言う言葉 出典未詳。前出 ( ↓須磨 3 三五三ハー下段 ) 。物語では、薫の寄浮舟と薫との結婚に対して、一面では不安を抱いて、人並 りかかっていた柱のことをいう。薫と浮舟との結婚を切願ならぬ身にいよいよっらい思いをさせるだろうか、とする する中将の君の気持をこめて、この歌を引く。 文脈にこれを引く。自らの不幸な結婚体験に照らしての発 言である。 飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知ら なむ ( 古今・恋一・吾一五読人しらず ) ・ 1 いかならむ巌のなかに住まばかは世の憂きこと 飛ぶ鳥の声も聞えない奥山が奥深いように、私の心の奥深い の聞こえこざらむ ( 古今・雑下・九五一一読人しらず ) ところに秘めた思いを、あの人に知ってもらいたいものだ。 前出 ( ↓三七五ハー下段など ) 。物語では、中将の君が中の君 覧前出 ( ↓若菜上四〇三ハー下段 ) 。物語では、中の君に対面す 浮舟の出家をも考えたとする言葉に、これを引く。中 一る中将の君の言葉。娘の浮舟に、一時は出家遁世まで考え 将の君は、前ハー末でも同様のことを、「鳥の音聞こえざら たとする。 ん住まひまで」と他の歌を引いて言っている。互いに照応 数ならぬ身には思ひのなかれかし人なみなみに しあう叙述となっている。 そで 四濡るる袖かな ( 河海抄 ) ・・ 4 思はむと頼めしこともあるものをなき名を立て ひとかず 人数にも入らぬこの身には、恋の物思いなどなくてほしい。 でただに忘れね ( 後撰・恋二・六六三読人しらず ) たかいこ
263 宿木 みなれぬる中の衣とたのみしをかばかりにてやかけは 外にも匂いが身に染みついていたのであった。 なれなん 「これほどまで移り香が染みついているようでは、何もか ( これまで馴れ親しんできた夫婦の仲であると信じておりま も許してしまったのでしよう」と、あれこれ聞きづらくお したのに、これぐらいのことでご縁が切れてしまうというの 言い続けになるので、女君は情けなくなって身の置き所も でしようか ) ない。「わたしはあなたを格別いとしくお思い申していま したのに、『我こそさきに』などと、そんなふうにして夫と言ってお泣きになるご様子が、このうえもなくいじらし しもじも いのを見るにつけても、宮は、これだからこそ中納言も心 にそむくのは下々の者のすることです。それにまたそんな をひかれるのだと、まったく妬ましいお気持になられて、 隔て心をお持ちになるほどわたしは長らくあなたにご無沙 ご自身もほろほろと涙をこばされるのは、なんとも色めか 汰しましたか。思いのほか情けないお心だったのですね」 あやま しいお心ではある。真実、どんなに大きな過ちがあろうと と、まったくここにそのままり伝えよ , つもないくらい いちず も、そのため一途に愛想をつかしてしまえそうもなく、い 女君がいかにもお気の毒なほどに申しあげなさるけれども、 じらしくおいたわしい様子をしていらっしやるので、いっ 女君からはとかくのご返事がない、そのことまでもほんと までも恨みとおすことがおできにならす、途中でお言いさ に妬ましいので、 また人に馴れける袖の移り香をわが身にしめてうらみしになっては、そのそばからご機嫌をおとり申される。 やす ちょうず その翌日も、宮はゆっくりお寝みになったあと、御手水 つるかな ( あなたが」 のお方と馴れ親しんで袖に残したその移り香を、 や御粥などもこちらでおすましになる。お部屋のしつらい もろ - 一し この身に染ませながら、わたしは心からあなたを恨めしく思 なども、六条院のあれはどまばゆいばかりに高麗や唐土わ にしきあや ったことです ) たりの錦や綾を裁ち重ねたのを見なれた目で見渡されると、 こちらのほうは世間並に親しみの持てる心地がして、女房 女君は、宮があまりにひどいことをお言い続けになるので、 たちの身なりにしても着古した衣装をつけているのも混じ 返事のしようがないことだのに、そうもなるまいと思って、 ねた そで かゆ 、 ) ろも
一自分一人は常陸介の後妻の境 ひとつをよろづにもて悩みきこゆるかな。、いにかなはぬ世には、あり経まじき 遇に甘んじて人並以下に生きてよ しなじな しかし浮舟だけは高貴な別世 ものにこそありけれ。みづからばかりは、ただひたぶるに品々しからす人げな 界にと願っている。↓一三六ジ 語 ャ ) も こころう ニこちらの親戚筋を。父八の宮 物う、たださる方にはひ籠りて過ぐしつべし、この御ゆかりは、心憂しと思ひき 氏 四 に実子と認められなかった恨み。 むつ びん 源こえしあたりを、睦びきこゆるに、便なきことも出で来なば、いと人笑へなる = 当方から親近申したあげくに。 四中の君と匂宮を奪い合うよう - 一と べし。あぢきなし。異ゃうなりとも、ここを人にも知らせず、忍びておはせよ。な不都合。「人笑へ」は、女の身の 破滅になりかねない おのづからともかくも仕うまつりてん」と言ひおきて、みづからは帰りなんと五粗末な家であるけれども。 六生きているのも肩身の狭い身。 す。君は、うち泣きて、世にあらんことところせげなる身と思ひ屈したまへる七「君は : ・」に照応して、親はま た親で。母の、娘思いの切実さ。 さまいとあはれなり。親、はた、まして、あたらしく惜しければ、つつがなく〈何の支障もなく望みどおりに 縁づけてやりたいと。 て思ふごと見なさむと思ひ、さるかたはらいたきことにつけて、人にもあはあ九匂宮に迫られた一件をさす。 一 0 以下、中将の君の人柄。思慮 に欠ける人ではないが、少し怒り はしく思はれ言はれんがやすからぬなりけり。、い地なくなどはあらぬ人の、な つばく、気持を抑えられぬところ かいき、さか。ある。 ま腹立ちやすく、思ひのままにぞすこしありける。かの家にも隠ろへては据ゑ = 常陸介邸。 たりぬべけれど、しか隠ろへたらむをいとほしと思ひて、かくあっかふに、年三そんな隅に。人数ならぬ扱い をしたくない気持。 ごろかたはら避らず、明け暮れ見ならひて、かたみに心細くわりなしと思へり。一三母娘いっしょの生活。 一四母娘が別れ別れに住むのを。 あやふ 中将の君「ここは、まだかくあばれて、危げなる所なめり、さる心したまへ。曹一五造作が整っていない。戸締り 五 六 ざう