かんこう こずえ いない。死ぬほど恋しく思っても、やはりしばらくの間我家の梢は、まこと菅公の古歌そのままに、見えなくなるま ごんじよう で、つい振り返っておしまいになるのだった。 慢して、中宮に言上して娘を女房にお召しになるようにお だいじようだい 仕向けして、宮仕え人というかたちで逢おう。そんなふう〔一巴中納言心ならすも父関白邸にお着きになると、太政大 じんおおいぎみ 大君に初めて消息する臣の大君に、初めてのお手紙をさし にでも親もとを離れさえしたら、ほかの場所に誘い出しな あげる予定の日を今日とお取り決めになっていて、父の関 どして、これ以上思いを募らせる愛人などのない心のより 白などがお促しになるので、「気のおける所だから」と、 所として、そんな秘蔵の人としてひそかに逢おう。それな たいそう緊張して筆を取りひとわたり試し書きなさるにつ ら人が聞き耳を立てるようなことでもないわけだ。昔から みかど けても、今朝までの夢のような出来事がまず思い出されて、 采女を召す帝は、なかっただろうか。私の場合はまして、 きぬぎぬ 宮仕えの女房を限りなくもてなし愛したとしても、何の罪「後朝の手紙をさえ出さずにしまったことだ。かりそめの でもない。それが一番だ。ただ家にいる娘では、身分の賤契りとは言いながら、世の常の恋とはまるでかけ離れてし まって、まあ」と思うと、それだけで、もう涙がにじんで しい家にこっそり通うというのは、まことに見苦しいこと きて、大君への手紙も自然書く手が留守になって、しばら だろう」と、考えを決めてしまわれた。 くぼんやりと物思いにふけっておられる。 今日はどうしても宮中に参内なさらねばならないので、 ここち おもかげやま 「忍ぶれど面影山のおもかげはわが身をさらぬ心地の 急いでお帰りになるその際にも、昨夜の竹の茂みに分け入 ものいみ みして って隣の様子を御覧になると、なるほど物忌が厳重なのだ どきよう こうし ( 昨夜の美しかったあの人への恋しさを抑えようとはするの ろう、どの格子もすっかり下ろして、読経の声だけが聞え だが、抑えても抑えても面影がこの身を離れない気ばかりし てくる。「こんな折に手紙をやるのも心ない仕打と思うが、 巻 誰ということもなく便りをしたいもの」と思うのだが、誰 四も近づくはずもない時に、戸を叩かせて人を呼ぶのも気恥どうしてこうまで思わねばならないのか」と、しいて女を ずかしくて、気がかりに思いながらお帰りになった。女の見くだして恋情をさまそうとするのだが、やはり恋しさに うねべ いや
巻 、 6 たてまつらせたまへれば、「さにこそはあらめ」と思ひて、御前に参らせたれ形式。恋文などは普通「結び文」。 三取次の者は言葉どおり、宰相 ば、引き開けたまへるに、かかれば、胸つぶれて、「中将のとは見えずこそ」中将様からだろうと思うのである。 lß「かくあれば」の約。 ふたり とてうち置きたまへるを、対の君と少将と二人見て、「かならずと、頼め契り大納言様は、必ず連れ出すと、 私たちに頼みに思わせるほど約束 しておられたのに。 たまひしをーと言ひ出でつつ、あはれは絶えず、姫君などの御事を思ひ出づる 一六以下、大納言への少将の返事。 宅中の君に代って少将が詠んだ に、ひたぶるには、なほえ見過ぐしがたくて、少将、御返りきこえさす。 返歌。生きているとさえなぜお聞 きになったのかと思うほど辛い二 人の仲なのに。 一 ^ ただ、そうおっしやるばかり ありとだに聞きてしなぞと思ふ世を憂きにこりずや人に告ぐべき です、の気持。 一九なぜ中の君ご自身がご覧にな ただ」 らないのか。少将の返事から、大 納言は中の君が手紙を見ていない とばかり、筆にまかせて、慎みなく走り書きたるを、めざましく見たまひて、 と考えたのである。 一九 一一 0 以下、叙述の中心は広沢の中 「などか、御みづから見たまふまじき」とおぼす。 の君に移るが、前段との続きがや をばすてやま ニ 0 さすがに、姨捨山の月は、夜更くるままに澄みまさるを、めや唐突。間に多少の脱文があるか。 〔〕中の君広沢の月に 一 = ↓三二ハー注一一一。俗世を離れた 箏を弾き父入道も和す づらしく、つくづく見出だしたまひて、ながめ人りたまふ。広沢の月をいうが、中の君の「慰 めかね」る心をも表現。 一三中の君の独詠歌。「すむ」は 中の君ありしにもあらず憂き世にすむ月の影こそ見しにかはらざりけれ 「澄む」と「住む」の掛詞。 さうこと そのままに手ふれたまはざりける箏の琴、引き寄せたまひて、掻き鳴らしたま = 三九条の一夜以来、の気持。 「御覧ぜさせはべりぬれば、 一七 つつ 一四 ふ おまへ
夜の寝覚 12 よところはぐく ひとり 心も絶えて、一人の御羽の下に四所を育みたてまつりたまひつつ、男君には一単に「笛」というときは、横笛 をさすことが多い。 お おおいぎみ 笛を習はし、文を教へ、姫君のいとすぐれて生ひたちたまふには、姉君には琵 = 次女のこと。長女は「大君」。 三十三本の弦を張った琴。 しゃうこと 琶、中の君には箏の琴を教へたてまつりたまふに、おのおのさとうかしこく弾四ただ一回で覚えてしまって。 三父太政大臣の心。あまりにも きすぐれたまふ。中にも、中の君の十三ばかりにて、まだいといはけなかるべ優れた才能に、前世の果報が加わ っているものと考えるのである。 きほどにて、教へたてまつりたまふにも過ぎて、ただひとわたりに、限りなき六「かなし、は、身にしみていと おしい、かわいい、の意。 音を弾きたまふ。「この世のみにてしたまふことにはあらざりけり」と、あは セ陰暦八月十五夜、中秋の名月 といえば月の輝きがちがう、中で れにかなしく思ひきこえたまふ。 もその夜の月は、の気持。 だいり 〈内裏。宮中。 八月十五夜、つねよりも明かしといふなかにも隈なきに、 〔ニ〕中の君、夢の中そ 九「御遊びーは、管弦の御宴。 すざくゐんみかど 天人に琵琶を習う 内にも御遊びあるべかりけれど、朱雀院の帝、御風起こら一 0 「院の帝」で、院になった帝、 上皇をいう。朱雀院のこと。 せたまへりければ、にはかにとどまりて、いと映えなく、ところどころに、ひ = 「風」は今の風邪の意の他、癇 や下痢などの腹病にもいう。 おいどの 一ニ「映えなしーは、ばっとしない、 とへに月を賞でたまふ夜あり。この源氏の大殿にも、御簾ども上げわたして、 冴えない、の意。 おいぎみ 姫君たち端に出でたまひて、大君は、琵琶を、御かたちはきよらに、いと気高三「琵琶を」は、下の「掻き鳴ら し」にかかる 「おほのか」は「おほどか」の転。 くて、おほのかなるものの音をゆるるかにおもしろく掻き鳴らし、中の君は、 ゆったりしたさま。ここは琵琶の こよひ をさな 幼く小さき御程に、今宵の月の光にも劣るまじきさまして、箏の琴を弾きたま音色が堂々と豊かなことをいう。 ふみ しゃうこと かぜ けだか び かん
せり河、しらら、あさうづなどいふ物語ども、一ふ くなどは考証しなければならない。作中の人物関係を理解す ろとり入れて、得てかへる心地のうれしさぞいみじきるために系図も必要となる。まだわずかではあるが、簡単 ゃ。はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず心もとなな注釈や系図などが作られたのが十二世紀ごろである。絵 きちゃう く思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、儿帳巻物が流行しはじめるのもこのころで、この視覚に訴える のうちにうち臥してひき出でつつ見る心地、后の位も鑑賞の仕方もまた第一一読者の成立と深くかかわる。 0 何にかはせむ。昼は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎ り、灯を近くともして、これを見るよりほかのことな反対に、『源氏物語』の第一読者の時代は、読者と作者、 ければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮ぶを、い作品の間がきわめて近い。平安時代の貴族世界の、それも みじきことに思ふに・ 同じ女房社会という限られた場で書かれ、そこで栄えた女 念願の『源氏物語』を手に人れて熟読する、十四歳の少流文学だから、作者、作品、読者間の「近さ」「狭さ」は 女の心のときめきまでも伝わってくる文章だが、この『更当然とも言えるが、その「近さ」が、今日の小説とはかな 6 級日記』の作者たちの時代ぐらいまでを、『源氏物語』第り異質な性格を物語文学に付与していることも事実である。 一読者の時代と考えてみる。 物語の作者も読者も、同じ貴族社会の、同じ生活基盤を とすれば、『源氏物語』を古典文学として読んだり味わ生きている。作者は読者のなかに在って作品を作り、読者 ったりするのは第一一読者の時代ということになる。言うまは作品を楽しみつつ作者の創作に参与する。作者は読者の でもなく現代の私たちもまた第二読者なのだから、第一一読支持と批評によって成長するし、読者は作品によって成熟 者の時代は長い。それもいくつもの段階を経て現在につなする。読者は作者に直接注文をつけるばかりではない。と がっているわけだが、その走りとも言えるのは十二世紀のきにはそのまま作者の立場になって、新しい作品を生み出 ころであろうか したりもするのである。作者と読者との間の距離のなさ、 『源氏物語』と読者たちとの間が遠く隔るにつれて本文は「近さ」「親しさ」が第一読者の時代の特徴でもあり、宿命 読みにくくなる。わかりにくくなれば、難しい語句や引歌でもあったのである。 ふ
を細め耳を傾けておられるうちに、夜の更けるにつれて、 色をお弾きになる。父太政大臣は、「これは前世の果報に あふ いよいよ興趣は溢れ、しみ入るばかりの感動に引き込まれ よるのだろう。この世だけの才でこれほどお弾きになるの るのであった。「この姫の姿とすばらしい音色を、たった ではあるまいーと、中の君をしみじみいとおしくお思いに 今、物の心のわかる人に見せたい、聞せたい」と、感に堪 寝なっている。 えておられると、すっかり夜が更けて、人々はそのまま御 ーー中秋の名月 夜〔 = 〕中の君、夢の中て八月十五夜のこと、 天人に琵琶を習う といえば月の輝きが違う、その中に琴に身をもたせかけるようにしてお寝みになってしまった が、この妺姫の御夢に、たいそう美しく清らかで、髪上げ も、その夜の月はひときわ澄みわたって、宮中でも月下の からえ 御遊びがあることになっていたのだが、朱雀院の上皇が御姿も整った、唐絵から抜け出たような女の人が、琵琶を手 ふうびよう に現れて、「今夜の御箏の琴の音が、天上までしみじみと 風病をお起しになったため、急に御催しは中止となり、ま こと火が消えたように映えなく、それぞれの邸内で、ただ澄みのぼって来ましたので、あなたをお訪ねしたのです。 私の琵琶の音を弾き伝えることのできる人は、地上ではあ 月を賞でるだけという夜となった。この源氏の太政大臣の やしき お邸でも、御簾をみな巻き上げて、姫君たちも縁先にお出なたただお一人がおいででした。これも定められた前世か おおいぎみびわ らの約束事。さあ、私の教える秘曲をお弾き取りになり、 になり、大君は琵琶を、お姿が美しく、気品の備っている のにふさわしく、深みのある音色をゆったりと興ある調べ国王にまでお伝え申しあげるほどに : : : 」と言って、教え に掻鳴し、中の君は、まだ幼少ともいえるお年なのに、今るのを、中の君はたいそううれしく思って、数多くの曲を、 そう ほんのわずかな間に弾き覚えてしまった。「この残りの曲 夜の月の光にも劣らない輝くばかりの御様子で、箏の琴を たえ で、この世に伝わっていないのが、まだ五曲ありますが、 お弾きになる。その音色の妙なることは言いようもなく、 あまくだ それは来年の今夜また天下って来てお教えしましようと 長年にわたって磨きあげ弾きなじんだのよりも、はるかに 言って、姿がかき消えた、と夢に御覧になって、目をお覚 いきいきと、澄みきっているので、「まったく類がない、 しになると、はや明け方近くになっていた。琵琶は父の殿 かわいいにも何も、そら恐ろしいくらいだ」と、父君も目 すざくいん たぐい ふ かみあ
みやづか 念じて、中宮に申して召し取らせたてまつりて、宮仕ひざまにて見む。さだに一 = 「かたは ( 片端 ) なり」は、見苦 しい、不体裁である、の意。 いざな はな 出で離れなば、ほかに誘ひ出でなどして、また思ひ増すかたなき心のとまりに一四「中宮」は、帝の后の称。現在 の中宮は関白の娘で、中納言の同 て、さるわたくしものに忍びて見む。さては人の耳立つべきことにもあらず。母妹。↓一六。 女房として出仕させたうえで、 みやづかびと みかど 一七 うねべ 采女を召す帝は、なくやはありける。これはまして、宮仕へ人を限りなくもて恋人にしようというのである。 一六「采女」は、諸国から宮中に召 むすめ なし思はむ、咎にもあらず。さのみこそはあれ。ただ女にては、くだれる窓のされた女官。帝が采女を愛された 話は『大和物語』などにも見える。 宅臣下である私の場合はまして。 うちに忍びて通はむこそ、いと見苦しかるべけれ」と、おぼしなりぬ。 穴十七日。中の君の物忌の当日。 けふ 今日かならず内に参りたまふべければ、いそぎ帰りたまふとても、竹のうち一九「げに・ : べし」は挿入句。 ニ 0 物忌の最中に恋文を送るのも きゃう 一九ものいみ へ人りて見たまへば、げに物忌かたかるべし、格子どもみな下ろして、経の声心ない仕打と思うが。「こそ・ : 已 然形」は強調、逆接。 せうそこ なさけ = 一「うひうひし」は、初心者めい のみぞ聞こゆる。「情なきゃうにこそ思へ、誰ともなくて消息せばや」と思へ て気恥ずかしい意。 たた ど、人寄るべくもあらぬに、打ち叩かせむもうひうひしくて、おぼっかななが = = 菅原道真の「君が住む宿の木 末の行く行くとかくるるまでにか やどこず へりみしはや」 ( 拾遺・別 ) を踏んだ ら帰りたまひぬ。宿の木末は、げに隠るるまでぞ、返り見られたまひける。 表現。「げに」で引歌表現であるこ おきおとど けふ とを示している。 殿におはし着きて、太政大殿に、今日、はじめて御文きこ 〔一巴中納言心ならすも 一三太政大臣家の大君へ。 ニ四 巻大君に初めて消息する 品中納言の父関白が。 えたまふべき日とらせたまひて、そそのかしきこえたまへ ニ五「今宵ーは今夜の意が普通だが、 ば、「恥づかしきあたりを」と、いたく用意して筆取り心みわたしたまふも、今昨夜から今朝までの時間にもいう。 一四 とが た かうし ふみ
夜の寝覚 356 第十六年寝覚の上一一八歳 内大臣三一歳 石山の姫一二歳 まさこ君一〇歳位 年 主要人物の年齢巻 巻 五 事 項 。大皇の宮、内大臣の態度に苛立つ。内大臣、女一の宮に寝覚の上との仲を告白。〔二一一〕 。内大臣、京と広沢の間を往復。寝覚の上に帰京を勧め、自邸に迎える準備をする。人道、石山 の姫に琴、まさこ君に笛を教え、慈しむ。〔盟一三〇〕 。十月一日頃、寝覚の上一行の帰京を前に、人道管弦の宴を催す。上達部集い、夜通し興を尽 す。〔盟一三一〕 。三日夕べ、内大臣、寝覚の上と子供らを伴って公然と帰京。寝覚の上のもとに一夜を過して 後、女一の宮方に行き言葉を尽して宮を慰める。〔盟一一二九〕 。以後、内大臣、女一の宮方に一一夜、寝覚の上方に一夜と、各々に通う。〔第一一三七〕 。寝覚の上、現世を諦めつつ子供らの世話に専念。〔盟二三八〕 。帝、寝覚の上への執着断ちがたく、譲位を志し、冷泉院を急造する。〔二四〇〕 。十月頃より病がちであった督の君、懐妊と判明。〔盟二四〇〕 。一月十日、督の君妊娠四月と奏して内大臣邸に退出。身重の寝覚の上と対面。〔二四一〕 。一月晦日の司召に、内大臣、右大臣となり、寝覚の上の縁者は各々に昇進。〔第二四五〕 。二月十日、寝覚の上男児を出産。盛大な産養が続く。〔第二四七〕 。五十日、百日の祝が執り行われる。大皇の宮の恨み深まる。〔盟二五三〕 。朱雀院崩御 ( 但シ、コノ記事ノ部分ハ現存本デハ脱文ニナッティル。第二五四ハー注一一参照 ) 。右 大臣、仏事に尽力。〔盟二五四〕 。七月一日頃、督の君に男皇子誕生。中宮、帝より慶賀の文が届く。〔第二五四〕 。右大臣、帝の御文をめぐり嫉妬。喪中を押して寝覚の上を訪い、恨み言を述べる。〔盟二五八〕 。院の喪が明け、右大臣、寝覚の上のもとに赴く。二人の仲は表面平穏であるが、寝覚の上は、 我が身の不幸を思い寝覚めがちな日々を送る。〔一一六三〕
( 原文一〇三 ) にかかってどうしようもなく、無理算段をして、やっとの ようなら、また参上しよう。どうも、心配な病人が二人も かいまみ 出て、並ひと通りの苦労ではない、まったく心の休まる暇ことでお暇を作ると、あの垣間見のそもそもの初めに手引 ゆきより ためいき をした少納言の行頼と、ほかに気心の知れた家来一一、三人 もないことだ」と溜息をついて、お帰りになった。「ちょ ほどを連れて、ことのほか目立たないよう姿をやっして、 うどよい折だ。この間に、無事御出産を : : : 」と、事情を しゆったっ 知り中の君を思う人々は祈り願って、夜中に産気づくよう四月五、六日のころに、日暮れを待って、京都を御出立に おをろ けが おもんばか なって、月も朧に、行く手も定かでない夜道を、心のはや な場合も慮り、御堂では穢れの罪も恐ろしいだろうから、 ふ さんろう るに任せて、夜も更ける時分に、石山に到着し、かねて懇 参籠中のように装っておいて、しかるべき女房や家来は、 たいきみ みな御堂に控えさせて、対の君がただ一人、そっと中の君意な僧の家にひそかに身を寄せて、僧都を尋ねて使いをお やりになったので、僧都は驚いて参上した。 をあの尼君の家にお連れになるのだった。京都の方には、 よし 容態がもち直された由を御報告なさったので、左衛門督も〔六〕尼の家に至り、人「これこれの所に、中の君は人目を 目を忍ふ出産を悲しむ避けていらっしやる」とお話しする その後お出でにならない。 〔 = 〕大納言、不安のあ一方、大納言は、思い及ぶ限り、残と、大納言はさっそく僧都を道案内にお出でになる。尼の まり忍んそ石山に赴くる所なくお産のためのお祈りをおさ家はさして遠くでもなかった。僧都が大納言のお出でを告 こも げに中に入って行った後、大納言は適当な木の下に隠れて せになる。中の君が逢坂の関より遠い石山にお籠りになっ たということで、まことに気がかりでならず、この大事の待ちながらあたりを御覧になる。何の趣もない質素な寝殿 際に遠く離れてよそながら胸を騒がせるばかりで、かたわ風の建物が、一つだけ見える。あたりの景色はまことに趣 があるのだが、人の気配もなくひっそりと物寂しい様子は、 らに寄り添ってお世話なさらない無念さは、たとえようも そうず 巻 わざと人目を避けてこうした家を選んだには違いなかろう ない。僧都に会って様子をお聞きになると、宰相が、この が、「こんな寂しい所ではなく、心配のない状態で、いっ 貯ように事を運んでおられる旨を申しあげたので、明けるに もより人々も多く立ち働いてお世話すべき場合なのに、ひ つけ暮れるにつけ、どうしておいでかと、そればかりお心 おうさか
みかど なく心を砕いておられる。「帝にさしあげようと思っても、 人がいるのです」とだけはお話しになったが、それ以上は このころ宮中では、関白をしていらっしやる左大臣の御娘 1 とうていお話しになれない。 とうぐう が、東宮の御母で后の地位においでになって、帝の、御寵 覚〔 0 〕天人、三年目の十また翌年の十五夜に、中の君は月を 眺めて、箏の琴と琵琶とを弾きなが愛がたいそう重々しいまでに厚いうえに、自分には御兄上 寝五夜はついに現れす そきようぞんにようご の ら天人を待って、格子も上げたままお寝みになったが、天にあたる式部卿の宮の御娘が、承香殿の女御と申しあげて、 夜 この方をも帝は格別たいせつな愛人として心からいとおし 人はついに夢の中に現れない。ふとお目覚めになると、は んでいらっしやる、こうした時めく方々の末席を汚すだけ や明け方で、月も残んの月になっていた。悲しく残念に思 では、大君に何ほどの幸せもあるはずがない。それでは東 って、琵琶を引き寄せ、 天の原雲のかよひ路とぢてけり月ののひとも問ひ来宮 ( さしあげたらと考えても、東宮は、まだ幼くていら 0 しやる。さてどうしたものであろう」と、あれこれとお考 ず えになるに、ここに左大臣の御長男で、容貌、性質はもと ( 天上では地上と結ぶ雲の通い路を閉じてしまったのですね。 よりのこと、学問、諸芸万般にわたって、その才は、この それで月の都の人ももう私を訪ねては来ないのです ) 世にはもったいないまでに抜きん出て限りなく、この世の 暁の風に合せてお弾きになる琵琶の音が、言いようもなく おとど おもしろいのを、父の大臣も目をお覚しになられて、「ま光よと、公私両面から尊ばれておられる方がある。年もま ごんちゅうなどん ったく珍しい、不吉なまでにいとおしい」と耳を傾けられだ二十歳に満たぬ若さで、権中納言で中将を兼ねておられ る、そんなお方であった。関白御秘蔵のいとし子で、后の る。 おおいぎみ 〔 = 〕姉君の婚約主人この中の君よりも、姉の大君は五歳御兄、東宮の御伯父にあたり、現在も御立派なら、将来も 公権中納言の紹介 いかにも頼もしく、その上、性質がまた、それほど自分の ほどの年上でいらっしやるので、ど の面からみても大人びていらっしやるのを、「どう身の振思うままの世でありながら、驕ったり、人を軽んじたりす だいじようだいじん る心がなく、まこと、まねもできないくらい落ち着いて身 り方を決めてさしあげようか」と、父太政大臣は果てしも ( 原文一五謇 ) こうし
やまぢ けふあす 一中の君を連れ出す計画をいう。 「かの事、今日明日の程にも。世の憂きめ見えぬ山路をなむ尋ね出でたる」 一一「世の憂きめ見えぬ山路」↓一 四 と言ひやりたまへど、日に添へて憂さのみまさる世なれば、なにのあはれも醒〇九注一七。ここは隠れ家をいう。 三少将のもとに言っておやりに なったが。 寝めて、御返りもせず。あやしく、おぼっかなしとおぼす。 の 『校注』は、「日にそへて憂さ 夜 のみまさる世の中に心つくしの身 いと忍びやかに広沢に渡りたまふに、「音なからむもいか 〔五 0 〕中の君昔を偲び、 をいかにせむ」 ( 落窪物語・巻一 ) を どこちれい 涙のうちに広沢へ赴く が」とおぼせば、知らず顔にて、「日ごろ、乱り心地も例踏む表現とする。 五恋のあわれも何もみな醒めて、 けふ ならずはべるに、寺より、『渡れ』とはべれば、今日なむーと、大納言殿の上少将はご返事もしないのである。 六大納言は。 たいめん にきこえたまへれど、御返りもきこえたまはず。まいて、渡り、対面しなどは、セ中の君は。 ^ 同じ邸内にいる姉君にご挨拶 思ひ寄らずなりぬるを、ことわりながら、「人の御心の憂きもつらきも、げにしないのもどうか、の気持。 九日ごろ悪口を言われているの はし 我から」と、忍びがたくて、起き上がりて、車など寄するほど、端に出でて見も知らないふうに装って。 一 0 広沢の父人道の住い。御堂を ここち けふ 渡したまへれば、今日を限る心地して、なにの草木も目とまるに、年ごろあの中心にみて「寺」といったもの。 一一大君が中の君の部屋にお越し おもかげ あ こうへ 御方ともろともに、明け暮れながめつつ、故上の御面影の我は覚えぬを、言ひになって対面することなどは。 一ニ「海人の刈る藻に住む虫のわ ことね 出でなどしたまひつつ、月をも花をももろともにもてあそび、琴の音をも同じれからと音をこそ泣かめ世をば恨 みじ」 ( 古今・恋五藤原直子 ) を踏 心に掻き合はせつつ過ぎにし昔の、恋しきに、「残りなく飽き果てられぬる世まえた表現。 一三今日が見おさめの気がして。 一七 なれば、いよいよ山より山にこそ人りまさらめ。またしも帰り見じかし」とお一四姉大君をさす。 しの 六 一五 うへ あいさっ