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検索対象: 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)
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1. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

( 現代語訳一一二〇 ) それより後は、さる心して、つゆ寝覚めの気色漏り聞かせ = 中納言は、まったく知らなか 〔三九〕中納言しきりに中 ったこれまでは心にとめて見聞き の君方を訪うもむなし ず。心も知らざりつる日ごろこそ見聞き咎むることなかりすることもなかったが。「こそ 已然形」で下に逆接に続く。 うかが つれ、さるべきひまひま、あながちに窺ふに、「対の君といふは、その暁、『か一 = 「あらはかす」は、表に出して はっきり示す意。 こた たいのや かる契りを』と答へし人なりけり」と聞きなして、あらはかすべくもあらず、三対屋。寝殿造りで母屋の左右 や後ろに相対させて造った別棟の よるよる 建物。対の君と呼ばれるとおり、 寝覚めのよなよな夜々、暁の紛れなどに、対に、いとわりなく紛れおはして、 対の君の部屋があるのである。 lß以下、対の君の心中表現。中 月ごろ思ひわづらふ心のうちを、涙に浮き沈みつつ言ひ聞かせ、明け暮れは、 納言が真相を聞きつけておしまい になった以上、無理に人違いだと 御文を隙なく書きおこせたまへど、「聞きつけたまひてけるを、せめてあらが 言いはって避け隠れても、強く押 たけ 一五 ひ隠れても、猛かるべきゃうあらじゃ。さりとて、受け取り、あはれをかけてし通せるものでもあるまい。 一三中納言からの手紙を受け取り、 も、なにのかひあるべうもあらぬ」ものゆゑ、物の聞こえいみじうわづらはし心を寄せたところで。 一六このあたりで対の君の心中表 一八 かるべければ、荒からぬものから、承け引くことなし。ことわりに、恨みやる現は地の文に融け入っている。 宅荒々しく対応はしないものの。 一 ^ 対の君のそうした態度も道理 べきかたなく、我も人も、あいなかりける人違へに、あらぬ名のりを変へつつ、 で。以下、中納言の心情に沿った さき はかなく空にただよひて、互ひにかかる契りの、前の世まで恨めしきに、「身地の文。敬語の省略に注意。 一九「身を知らずは」は、身の程を 巻 を知らずは」と、心は思ひなされず。「心づくしなりや。いかにせむーとのみ、考えなければ無謀もできようが、 やはり立場を考えねば、の気持。 6 あく とが 引歌があるか。 明け暮れはわぶる気色もて隠せど、いかが人も思ひ咎めざらむ。 ふみ のち うひ たい ひとたが

2. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

一中の君を悪く言いたてたうる るるをりありしか。いとあまりに、かく言ひなしつるあきたさ」を思ふにも、 ささ。「あきれたさ」は飽き飽きす 跡とどむべくもあらず、あさましくなりて、いとど大殿がちになりまさりたまる気持。このあたりで、大納言の 心中表現は地の文に移行。 = 北の方の所に住む気になれず。 寝ひつつ、姫君の、やうやう居るほどになりて、物してよく造りたらむやうに、 の 三お座りができるほどになって。 かしら 四何かでうまく作ったように。 夜つぶつぶと肥えて、色はくまなく白く、うつくしげににほひて、頭いと青やか 人形のような愛らしさをいう。 いだ ひび に、日々におよすげまさりつつ、音もいささか泣かず、つねに抱きたまふに面三頭髪は黒々と青みを帯び。 「青やか」は、「緑の黒髪」のように、 な 髪の美しさをいう表現。 馴れて、見付けては笑みかかり、立てば泣きなどしたまふが、いとかなしく、 六大納言がいつもお抱きになる あはれにのみ覚えまされば、片時も放たず、もてあそび見まほしくて、心も慰のになついて。 セ以下、大納言の心中表現。そ れにしても、少将はひどい。 めたまひけり。 ^ 私を突き放すことだ。「るる」 は少将に対する軽い尊敬。 「さても、少将、からくなむ。渡りぬるとばかりは告げよ 〔会〕大納言思い余り、 九中の君への贈歌。「思ふらむ たけ 中将を装って文を送る かし。ことわりながら、あまり猛くも、我を放たるるか憂さ」は、あなたが私に対して思 っていらっしやるだろう憂さ。 一 0 気の紛れようもないであろう な」と、恨めしきにも、忍びがたければ、 山里のつれづれの中で。 = 中の君の御目が止るばかりに 大納言思ふらむ憂さにもまさる今とだに告げで入りにし人のつらさは と、見事な散らし書きにして。 一 = 「すくよか」は、まじめ一方で 紛るるかたなからむ山里のつれづれに、かの御目止まるばかりと乱れ書きて、 風情のないさま。「立文」は書状を さいしゃうのちゅうじゃう たてぶみ 包紙で縦に包んだ、正式な書状の うへはいとすくよかなる立文にて、「宰相中将のもとより」と名のらせて、 ( 現代語訳一一八七 ) 三 かたとき おも

3. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

( 現代語訳一一九〇 ) ほど親しくし約束したのだから。 「わたくし」は、個人的、私的の意。 聞きたまへば、端近うながめたまふなるべし、秋の月に惑一 = 「かすめぬつらさ」あたりで大 〔五九〕中の君の箏を聞き 納言の会話は地の文に融け込む。 さうことか 大納言万感胸に満っ はれし箏の琴掻き鳴らされたる、所がらにや、我もそぞろ一 = 少将は、どうしようもなかっ た事情をほのめかしながら。 lß中の君に一言お話しできるぐ に浮き立ちぬばかり、聞こゅなり。「さばかりにほひうつくしかりしかたちに、 らい取り計ってほしい、の気持。 かげ ものをいみじう思ひ乱れて、世を捨てたまへる親の御陰に隠れて、いかばかり三大納言をそこに残して、対の 君のいる中の君の御前に参上する。 ここち む おもかげ 一大以下「飽かずいみじ」まで、一 心細く悲しかるらむ」と推し量らるる面影の、ただ今向かひたる心地して、 人残された大納言の耳と心に沿っ て叙述されてゆく。地の文に大納 「その嘆きのままに、我をつらからぬゃうあらじ」と思ひやらるるに、さばか 言への敬語の省略が目立つ。 か りあはれなる人に、かう物思はする我が契りさへ、恨めしく悲しきに、掻き渡一セ中の君は端近くで。「端近う ・なる・ヘし」は挿人句。 あゆ ことね さるる琴の音に、涙落ちつつ、ただ今も、やがてぞ歩み出でまほしき。少将が穴去年の秋の月の夜に心を奪わ れたあの箏の琴が、の意。 し 一九私を恨まぬはずはあるまい。 告げつるなるべし、なべてならぬ調めながら弾き止まれぬる、飽かずいみじ。 ニ 0 「調め」は「調べ」の転。 けふ やや久しく待たれて、少将下りて、「入道殿の、今日の雪 = 一大納言に待たれてから。少将 〔六 0 〕大納言、少将を恨 を主体にした言い方。「れ」は受身。 かぜ むも中の君に逢えす げに風起こらせたまひて、なやましうしたまひて、え渡り = = 以下、戻ってきた少将の返事。 一三風邪をお召しになって。「風」 巻 だう せうそこ たまはずとて、御消息はべれば、やがて御堂に渡らせたまひぬ。対の御方も御 品中の君はそのまま入道のおら と・も 供に参りたまひぬれば、かうとも、え申しはべらず。いみじうロ惜しうもとれる御堂にお出向きになりました。 一九 ニ三 はか 一七 くちを

4. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

夜の寝覚 82 あだ たど ことなど、辿るべくもあらず」と、ひたぶるに荒れ立ちたまふ気色に、きこえ一以下、少将の言葉。ご自分の お心ばかり満足おさせになって。 「心を遣る」は、気を晴す意。 むかたなければ、ただうち嘆きて、「我が御心一つを遣らせたまひて、などか ニ北の方のお供で参上した少将 け く。恨めしき御心にもはべるかな。はや出でさせたまひてよ。おのづから御気という人が。北の方付の女房にも 少将という人がいるのである。 配、紛るべくもあらず、漏りもこそ聞こえはんべれーなど言ふもしるく、かの = こちらの少将の君はどこにお いでですか。 四「心地せねば」は「我が御方に 御供に参りたる少将といふ人、「少将の君はいづくにぞ、と尋ぬる声すれば、 うち臥して思ひまはすに [ に続く。 五「人」は北の方をさす。「おぼ 言ひあへず、戸をかい放ちて出だしたてまつりて、人りぬ。 す」の敬語に注意。 ここち こよひ うっしごころ 飽かずいみじき名残り、今宵はいとど現心あるべき心地せ六関白邸のご自分の部屋。 〔毛〕大納言思慕に堪え セ以下、大納言の心に沿って語 す綿々と文を綴る ねば、「人はいかがおぼすべきーとおぼせば、やをら出でられる地の文。敬語が省略されが 六 ちであることに注意。 わ うへ せうそこ たまへば、御消息なども上にきこえたまはで、我が御方にうち臥して思ひまは ^ 苦しさも、並ひと通りのもの であった。文としてはここで切れ たちまむすめ すに、但馬が女と思ひ紛れたりし名残りは、人がらの浅さをせめて思ひ紛らはるが、気持としては下に続く。 九今夜の中の君は。 して、げにやよろしかりけり、まだ知らず、めづらしくあはれなりつるに、腰一 0 枕の下は涙が溢れて漁夫が釣 りするほどに泣き明かして、の意。 えん のしるしをさへ添へて、なにのをかしう、艶なる節も見えず、ひたぶるに恐ろ『源氏物語』宿木巻にも類似の表現 があり、『伊行釈』は「恋をして音 しくわびしと思ひ惑ひ、消え入りつる気配の、身にしみかへりて堪へがたきに、をのみ泣けばしきた ( の枕の下に 海人ぞ釣する」を引歌にあげる。 あ あまっ まくら 一一ただもう悔しく思うようにな つねよりもまどろまれず。枕の下は、海人も釣りすばかりに浮かび明かして、 き や

5. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

夜の寝覚 30 せうそこ いな 一中納言の独詠。「面影山」は因 宵の夢はまづ思ひ出でられて、「消息をだにせずなりぬるよ。はかなき程と言 幡の歌枕で「おもかげ」を導く序詞。 けさう たが ニしいて昨夜の女を見くだして。 ひながら、世のつねの懸想には違ひてもあるかな」と思ふにも、涙ぐまれて、 三大君への手紙を。 g 「いはがき ( 岩垣 ) 」 ( 岩に囲ま 書く文もうち置かれて、とばかりながめたまふ。 れている意 ) の「いは」に「言は」が、 ここち おもかげやま また「つつみ」に「包み」 ( 心中にし 中納言「忍ぶれど面影山のおもかげはわが身をさらぬ心地のみして まっておく意 ) と「堤」が掛けてあ などかくしも思ふべき」と、せめて思ひくたし思ひ覚ますにも、なほあはれにる。「漏らし」は「つつみ」とともに 「沼水」の縁語。 五大君からのご返事。 堪へず、うち嘆かれつつぞ書きたまふ。 かさね すおう 六襲の色目で、表は蘇芳 ( 薄紫 ぬまみづ とも ) 、裏は青。ここは秋の季節 中納言田 5 ひありとえもいはがきの沼水につつみかねても漏らしつるかな に合せた手紙の料紙の配色。 もののあはれに思ひ流さるるままに、筆にまかせて書き流されたるは、見どこセ「いはでを」の「を」は間投助詞。 「やみねーの「ね」は確述の助動詞 ろあり。御返り待ちたまふ程、うちやすみたまへれば、久しく待たれて参りた「ぬ」の命令形。「岩がきの水」は中 納言をよそえて呼びかけたもの。 ^ 「て」止め。ただし、文の流れ 。萩重ねの紙に、 としては地の文から中納言の心中 に自然に移ったと見るべきところ。 大君もるからに浅さぞ見ゆるなかなかにいはでをやみね岩がきの水 九「上」は、主上。冷泉帝。 すみ 墨薄く、ほのかに紛らはして。「あてやかに書かれたり」と、見たまひて、内一 0 単衣を二枚たもの。夏、 いつつぎぬ 五衣のかわりに表着の下に着る。 うへ ここはまだ初秋なので夏季用の装 に参りたまへれば、中宮の御方に上渡らせたまへるほどなれば、女房たち、つ 束を着ているのであろう。 けさう とへがさねも からぎぬ一ニ うしろごし ねよりも化粧じ用意して、色々の単衣襲、裳、唐衣、秋の野花を折りつくして、 = 「裳」は、表着の後腰につけ裾 よひ 六 はぎがさ ふみ いろいろ

6. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

おもや 一わざわざしゃれて垂したよう わたりて、うち面痩せたまひつるうつくしさは、似るものぞなきや。いささか に額にこぼれかかって。 ひたひがみ ひきもっくろはぬ額髪は、ことさらにひねりかけたらむやうにこぼれかかりて、 = だるそうに見ていらっしやる 目つきや頬のあたりなど。 寝いと慎ましげに、たゆく見なしたまひつるまみ、面つきなど、言 ( ばおろかな = 無用なことに。「思ひなしつ るぞかし」にかかる。たいしたこ のち 夜 とでもないと思い込んでいたのだ り。「あはれ、これを、いたづらに、後は知らず、思ひなしつるぞかし。御命 った、の意。 かた g これから後はともかく。 のあらむことも難し」と、つくづくとまもれば、飽かず悲し。我が怠りのやう 三「足摺り」は地団太を踏むこと。 ここち おとど あしず に、足摺りとかいふやうに泣きぬばかりの心地ぞする。まして大臣の、うち聞後悔などに身悶えして泣く時に用 いられる慣用的表現。 きつけておぼさむ心のうち、いみじくいとほし。さりげなくと忍べども、え堪六父太政大臣が。 セ何気なく装っていようと宰相 へず泣かれぬるを、この事聞きたまへるとはおぼしも寄らず、ただ、我が御心中将は心の動揺を抑えるのだが。 ^ 中の君は兄宰相が真相をお知 りになったとは思いもよられず。 地のかくのみあるを、「え世にあるまじとおぼすなめり」と、心得たまふに、 九兄上は私が生きられまいと思 っておいでなのだろう。 ましてと、胸ふたがりて、我も涙をとどめやらで、また沈み臥したまひぬ。 一 0 まして真相をお知りになった いとことわりなれば、慰めやるべきかたなくて、大納言のら、の気持。 〔査〕大君側、基やかな = 中の君の嘆きももっともなの けさう うちに不幸の影迫る で、宰相中将は慰めようもなくて。 御方に参りたまへれば、女房、童、はなばなと化粧じて、 一ニ大納言のお部屋。大君がいる。 ごすぐろく あまたところどころにうち群れつつ、碁、双六打つもあり、絵、物語かきなど一三絵を描いたり物語を写したり するもあり、花をもてあそび、歌を詠み、文を書くもあり、みな思ふことなげ一四「文」は、手紙。 つつ よ わらは ふ わ など。

7. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

夜の寝覚 一別人のように細く弱々しくな とまろに、うつくしう肥えたりし手あたりの、ひきかへたるやうに細くあえか ってしまって。このあたりから になりたるに、腹いとふくらかなるを、はかなく引き結はれたる手あたりなど、「・ : 世のつねの心地せじを、まい て」あたりまでは地の文的。 あ 慎むことなし。明け暮れ見むにてだに、かかる人をまだ近くては見ざりつるに、 = 腹帯でく結ばれている手当 りなど、身重の様子は隠れようも ここち ない。 めづらしく、世のつねの心地せじを、まいて、あないみじ、これをさりげなく 三明け暮れ世話のできる場合で もて紛らはす心地、いかに、げにいみじくわびしかるらむ」と思ふさへ、あはさえ。「めづらしく : こにかかる。 妊娠している女性をいう。 や = 大納言に抱きすくめられてび れに悲しくいみじきに、ここら思ひ積もることも言ひ遣るかたなく、むせかへ ったりと一つになって。「まろが る」は、丸くなる、一つになる意。 るを、姫君は、ありし夜にも劣らず、そら恐ろしくいみじきに、一つにまろが 六流れる汗と涙で体が浮き出し けしき れて、汗と涙とに浮かび出でぬばかりの気色に消えかへりたるさま、言ひ知らてしまうばかりの体で気を失いか けている様子は。 ずあはれげに、うつくしきを、こしらへやらぬほどに、あなたより、「ただ今、セ大納言が中の君をなだめ慰め る言葉も尽さぬうちに。「こしら 御湯より上がらせたまひて、『今日は御心地いかがおはしますらむ。いとおぼふ」は、なだめる、言い繕う意。 このあたりまで大納言にも中の君 つかなきを、苦しげにせさせたまはば参り来む。よろしくものせさせたまはば、にも敬語が省略されている。二人 だけの切迫した場面のゆえか。 ありさま こよひ 今宵はうちやすみはべりなむ。御有様たしかに承りて』」と言ふなり。「『御心 ^ 北の方様 ( 大君 ) が御湯殿から お上がりあそばして。 こた けふ 地、今日はよろしくなむ。うちやすませたまひてを』など答へよかし」と思ふ九以下大君からの見舞の伝言。 一 0 「なり」は伝聞。使いの女房の たい に、また、「さぞ言はむ」と聞きたまふに、対の君、出でたまふべき気色の聞声が大納言に聞えるのである。 つつ よ っ

8. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

ひとけ 人気におどろきて見返りたるほどに、やがて紛れて、姫君一中の君。中納言の覗き見の視 〔一 0 〕中納言、おののく 点から離れ、普通の地の文にもど ひとごこち 中の君と契りを結ぶ を奥のかたに引き人れたてまつる。人心地覚えず、むくつる。中の君への敬語の復活に注意。 ニ「御格子も」は「まゐりたまへ とのども 寝 けく恐ろしきに、物も覚えず。奥のかたより、和琴の人の声にや、「御殿籠れ。や」に続く。「御格子まゐる」で、 の 御格子を下ろす ( または上げる ) 意。 夜みかうし 「更けぬらむ」は挿入句。 御格子も、更けぬらむ、人々まゐりたまへや」と言ひて、ゐざり人るに、かか 三姫君の部屋に膝行して入った れば、言はむかたなく、思ひまどふなども世のつねなりや。くだくだしければところ。主語は和琴の人。対の君。 四繁雑なのでこれ以上は書かな ・しよら・」うてき とどめつ。かたみに聞きかはして心かはしたらむにてだに、ゆくりなからむあい。物語の常套的な省筆の草子地。 五互いに手紙をとり交し、愛情 さましさの、おろかならむやは。まいて心のうちどもはいかがありけむ。脱ぎを確かめ合っている場合でさえ。 六中の君と対の君の心の中。 なし けしき さしぬき やられたる直衣、指貫の手あたり、にほひは、えもいはずあてなる気色しるけ「ども」は複数を表す。 セ「直衣」は貴族男子の平常服。 れど、心の慰むべきかたなく、「殿の、いとうしろやすき者におぼして、放ち「指貫」は、回りに紐を通し、足 首の上で絞る袴。直衣の時に着用。 渡したてまつりたまへるに、かかる事の聞こえてもあらば、我が心とせぬこと八衣服に薫きしめた香のにおい。 九いいようもなく高貴な様子は はっきりしているが にてはあれど、いみじくもあるべきかな。この御身も、今はいたづらになりた 一 0 以下、対の君の心中表現。太 くちを まひぬるにこそあめれ」と思ひつづくるに、あたらしう、口惜しく、涙におぼ政大臣様が私を信頼できる者とお 思いになって、中の君を手放し、 こちらにお移しになったのに。 ほれまどひながらも、思ひやりいと静かなる人にて、「言ふかひなきことをま = 自分の心からしたことではな のち いが ひののしりて、あまねく人の知らむはいみじかるべし。後の隠れなくとも、こ ふ 六 四

9. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

そ長うならせたまひにけれ。あはれに、あたらしき御様なりや。見たてまつれ一さすがに兄として中の君を思 8 う情は浅くはない、の意。 けしき のご ば、なかなか心づくしに覚えける」とて、涙押し拭ひたまふ気色も、さすが浅 = 左衛門督が中の君のお部屋に いらっしやるとお聞きになって。 このかみ 寝からず。入道殿も、こなたにおはすると聞きたまひて、あるがなかの御兄に三左衛門督は兄弟姉味のなかの の 長兄であり、中の君を許しなく言 夜て、許しなう思ひきこえたまへるが、いと恨めしきに、かう心許して見たてまっておられたのが、まことに辛か ったのだが つりたまふを、うれしとおぼす。あはれなる御心なり。我も渡りたまひて、御四人道の親心をいう。草子地。 五入道ご自身も中の君のお部屋 においでになって。 台など、こなたにて、もてはやしきこえたまふ。 人々帰りたまひぬる名残り、つれづれに、端近ううちなが 〔奕〕姉君につけ子につ セ以下、〔六六〕終りまで、中の君 さゑもんのかみ け中の君の苦悩深まる めて、左衛門督の、いと心うつくしうおぼしのたまひつるの心に沿って叙されてゆく。 ^ 「恋しく」あたりで中の君の心 うへ も、身の恥づかしさは置き所なう覚えまさりながら、「大納言の上、いつ、か中表現は地の文に融け込む。 九関白邸に引き取られていった 姫君。新年を迎え、数え年で一一歳。 ゃうにおぼし許されなむ。幼うより、またなう思ひ睦れならひきこえしかば、 一 0 「戴餅」は、子供の幸福を願い、 ま 吹く風につけても、まづ思ひ出できこえぬ時の間もなく、恋しく」思ひきこえ新年を祝って年の初めに子供の頭 に餅をいただかせる行事。 一一何かにつけ面倒な世の中に、 たまひけり。 ただもう厭気がさしてしまって。 対の御方、少将など、「姫君、年まさりたまひて、いかにうつくしき御程な一 = 姫君のところに久しく伺って お目にかかっていないことだ。 ただきもちひ らむ。御戴餅などせさせたまふらむかし。わづらはしき世の中に、あいなく一三中の君の耳にとまるのである。 むつ

10. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

一「人間」は、人のいない間。対 さまにも」と、よろこびおぼしたり。 の君は隙を見計って中の君に報告 一条には、渡りたまひにしこと、大納言の、おぼしのたまするのである。 〔実〕中の君、子との別 ニ中の君の心中表現。ただし中 覚 れを嘆き憂き身を恥す の君の内心は直接には描かれず、 寝 へりしさまなど、人間に語りきこえさすれば、「をかしか の 推測した書き方になっている。 いら 夜りしさまを、また見ずなりにけるよ」とやおぼしやるらむ、答へはしたまはで、 = ひどく重態であったところを 見知らぬ人に見られてしまったそ けしき 涙の落ちたまふ気色、いみじくあはれなり。いみじかりしほどを、知らぬ人にの時は、の意か。大納言を「知ら ぬ人」という表現がやや不審だが、 見えにしその程は、もの覚えず苦しかりしかば、恥づかしさも、いかにも覚え重態で人を弁別できなかったこと をいったものか。このあたり中の ありさま ざりしを、今思ふに、いとあさましく、中将の君などの、憂き身の有様を残り君の心に沿った地の文。 四宰相中将などがすべてを知っ なく知り扱ひたまひしも、やうやう覚えたまふままに、恥づかしくおぼされて、て世話してくださったことをいう。 五広沢の父上の御事だけは。 六父入道も、中の君の気持をそ 今も、さらに、さはやかに起き上がり、人に見えたまふことなし。 うとお聞きになって。 広沢の御事ばかりぞ、見たてまつらまほしく、おぼっかな七巻二初めの別れの場面をさす。 〔毛〕中の君広沢に赴き ハ以前と違った姿。父大臣が出 出家の父殿と再会する げにおぼしたれば、かくなむと聞きたまひて、渡したてま家してしまわれたことをいう。 九目もくらむような気持がして。 つりたまふ。かたみに、限りとおぼしかぎりしほど、夢のやうにおぼし出でら「て」止め。 一 0 以下、娘の嘆きを慰める父入 るるに、「あらぬさまに変はりたまひにけるを、知らざりけるよと、見たて道の言葉。このようにお嘆きにな ると思って、今までお会いしなか ここち まつりたまふに、目も昏るる心地して。「カくおぼされむにより、今まで見たったのです、の気持。 こと 六