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検索対象: 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)
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1. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

ゼき かいり 閉ざされる意志女主人公は心の内奥の暗さを自覚した。自己の意志と乖離する無意識の世界で、男君に溺 ちょうりよう ー巻五の大要 し、女一の宮に嫉妬する忌まわしい執念が跳梁しているかもしれない。またしても女の業 がかい を見せつけられた思いである。彼女の心は暗い。自己の生活の建直しーー自己修復ー、・は瓦解した。寝覚の 上は気力を失い、病に臥す。女の弱さを思い、命のはかなさを嘆く。心は出家に向い、彼岸を願うようにな 『夜の寝覚』の作者が、どこまで女の業の恐ろしさを寝覚の上に悟らせようとしたものか。彼女の制御を超 える心の混乱を引き起し、不可解な恐怖心のまま絶望に陥れ、厭世、出家に導いているにすぎないのかもし れない。しかし、繰り返される女の危機の局面をつなげば、そのつど、秘められた女主人公の心の内奥が露 呈され、しかも掘り下げられていることを知る。作者の心理主義は理論と方法によるそれではないかもしれ ない。むしろ、作者が、「心」への強い関心を女主人公にぶつけ、危機の山場を設定しては手探りで探り当 てていった心理主義とでも言うべきであろうか。それだけに、作者の女主人公に賭ける執念を見る思いがす る。 ごんぎようざんまい 愛欲の渦に巻かれ、数奇な運命にもまれるわが身が厭わしい。父入道やその妹前斎宮の勤行三昧の生活が 慕わしい。寝覚の上はひたすら心の涼しさを願い、ついに父に出家を願い出る。父人道には、娘の強い願望 を押えるだけの力がない。かくて、女主人公の遁世出家の寸前にいたり、ここで、内大臣が珍しく男らしい 解決断を示すことになる。彼は寝覚の上の出家の意志を知るや、かけがえのない女性を自分の手でこの世にと どめるべく、 一切の顧慮を忘れて、石山の姫君とまさこ君を伴い、嵯峨野に急行して、一切の事情を告白し えにし たうえで、父人道に改めて寝覚の上と結婚する許しを請うたのである。ここに、初めて、あやにくな縁の二 とんせい いと

2. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

う。寝覚の上の「母としての心」は第三部までにもしばしば強調され、彼女の家政的才腕や父人道を中心と する家庭愛もまたこの物語の特徴であった。第四部は、それらがいよいよ女主人公自らの生きざまと深刻に かかわっているのではなかろうか。第三部における彼女の最終的な心境が、閉ざされる意志、ーー出家の意 ほだし 志までが「すがすがしく思ひ立つべくもあらぬ絆がち」 ( 〔原〕第二六五 ) の苦悩ーーにあったとすれば、ま さこ君や石山の姫君や第三子に対する母としての愛が新しく生かされる余地は十分にあると言えるだろう。 それも、母であるために女である自分を捨てるのでもなく、自らの女を貫くために母の立場を放棄するので もない、女であり同時に母であることーー女主人公特有の、あの、相反する二つの極の、心の内奥における 共存ーーーの苦悩を中心とすると推測されるのである。そうした寝覚の上の心を掘りさげるための危機の設定 が、彼女のいわゆる偽死事件であり、まさこ君の帝勘当事件であったのではないか。 女主人公のいわゆる偽死事件と、まさこ君が帝 ( 冷泉院 ) から勘当される事件とは、この 女主人公の偽死事件 物語最後最大の山場であったらしい。だが、一一事件をこぞって採りあげる原作系諸資料は 断片的であり、その全貌は謎に包まれている。両件が互いに絡み合うとは想像されながら、その先後すら定 かではない。ただ、ともに退位された帝 ( 冷泉院 ) の動向と深くかかわることは確実であろう。冷泉院は、 説在位の時、寝覚の上を弘黴殿に取り籠めた際にも、「この位をも捨てて、八重立っ山の中を分けても、かな らず思ふ本意叶ひてなむ、止むべき」 ( 〔原〕盟五二ハー ) と執念を燃やしていた。女君との「いま一度の逢 解瀬」を願い、身の自由を欲して冷泉院を急造し、譲位後に備えてもいたのである ( 〔原〕二四〇ハー ) 。帝の譲 位はわが子の立后、孫の立太子をもたらしはしたが、同時にそれは、女主人公には再び女の危機の近づくこ とを、そして男君には再び強力な恋敵が目前に立ちはだかることをも意味していた。

3. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

347 系図 帥の宮 女二の宮 ( 斎宮 ) 、女御腹 朱雀院 ( 院の上 ) 左大臣 式部卿の宮 按察使大納言ー女 源氏太政大臣 ( 入道 ) 女御腹 女 ( 母上・故上 ) 宰相 〇 女一の宮 ( 一品の宮 ) 宣耀殿女御 承香殿女御 △ 宮の中将 ( 源宰相中将・右衛門督中納言・入道右衛門督 ) 左衛門督中納言 ( 権大納言 ) ー弁少将 ( 右大将・頭 ) 右宰相中将 ( 中納言・陸奥按察使大納言 ) 蔵人少納言 帥の宮ーー女 大君 ( 姉君・大姫君・中納言の上・大納言の上・故上 ) 中の君 ( 小姫君・北殿・殿の上・関白の上・寝覚の上・広沢准后 ) 注 2 法性寺の別当 ( 僧都・山の座主 ) 但馬守の妻 但馬寸時明朝臣 対の君 ( 御方・大弐の北の方・民部卿の上 ) 注 4 大弐中納言 ( 帥・民部卿 ) ゅ、ごあキ、ら 注 3 行明 ( 右近の将監 ) 右中弁妻 蔵人少納言妻 三の君 ( 新少将 ) 若君 △ 女三の宮 ( 女宮 ) 小姫君

4. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

『夜の寝覚』の方法と言ってよい。 寝覚の上は男君への思慕を自覚した。彼女は自らの「女」と向き合って嘆かざるを得ない。内大臣も事態 を知り、嫉妬にさいなまれるが、女君は彼を頼り、かろうじて宮中を脱出する。 心のほかの心寝覚の上は、今は内大臣に打ち解けたかに見えた。男君は妻に迎える障害はすでにないと ー巻四の大要 思う。しかし、女主人公の心は違っていた。彼女には、なお心の障害は大きい。障害を越 はし えて男君に奔ることはできない。自らの築いた生活の秩序が許さないのである。むしろ、彼女は日常の秩序 の修復に腐心する。そして、彼女自らの納得できる最小限度の範囲内に、男君の存在を位置づけようとする。 彼女は男君との関係を公表することを拒む。 女主人公が今なおこだわりつづける心の障害とは何か。彼女が自立的に現実を生きるためには、何よりも 周囲との平穏を保つ必要がある。男君との仲の公表は事態を悪化させるのではないか。帝や大皇の宮への顧 さら 慮がある。事情を知らぬ父人道にもすべてを晒して許しを請わねばならない。ここまで頼みにした男君を今 更突き放すことはできないが、男君その人へも不安が強い。帝に捕えられたとき、あれほど強く意識した内 大臣が、日常の秩序の回復につれて、再び彼女の心から後退するように感じられるのは何故か。そして、も う一つのこだわり、 それは内大臣の正室女一の宮の存在であった。 男君への思慕はかえって不安となり、男君への不安は、じつは女一の宮の存在に粘着しているのである。 解平素の寝覚の上はほとんど女一の宮の存在にこだわっていないかのようである。意志強く生きる彼女の心の はんもん 秩序には切り捨てられているはずである。たとえ、彼女が女一の宮にこだわって煩悶しても、自らの心には、 かこ こんせき 運命の拙さを喞っ心ーー不幸意識ーーに吸収転換し、嫉妬の痕跡をとどめてはこなかったはずである。しか

5. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

そ自ら気づかずして、意識の奥に男君への思慕を育ててしまってもいるのである。女の危機は女自身の心の 内奥にも潜んでいる。現実に生きようとする自覚と自制の強い意志に、相反する潜在意識が反発しはじめた はたん 覚ら。天性の心術ーーー「心上手」ーー・そのものの破綻もまた、女の危機をもたらすことになる。 まなむすめ 寝 後年、父の人道太政大臣が、わが愛娘寝覚の上について述懐しているが、 の ここち けだか あいぎゃう 夜 せちに愛敬付き、うつくしくにほひ過ぎたまへるほどに、気高きかたや、ただ少し後れたる心地すると 見るを : : : ( 巻五 ) の嘆き、ーー溢れるほどの愛敬を湛え、並はずれて愛らしさが優れているあまりに、気高さという点で今一 つの感があるという嘆きは的確である。娘の美質そのものに潜む危険性を指摘している。さすがに父親では あるが、それにしても気づくのが遅すぎた。 寝覚の上はけっして満点ではない。「気高さ」や「重りか」は、「あえかー「なっかしさ」ーー天性の心術 おおいぎみ ーーーとはあい容れない。むしろ、女君に対する女一の宮や姉大君、あるいは男君の妹の中宮などに与えられ た性格であろう。寝覚の上が産んだ石山の姫君の場合は、この両極の美質を兼備する。后がねの資質をも持 つのである。母親である寝覚の上には后になる運命はない。 彼女を待ち受けるのは苦の人生である。物語が進むにつれて苦悩は深くなりまさるが、そこにも彼女の 「心上手」が徴妙にからんでいる。彼女自身思わずして、しかも外側から迫る危機だけでなく、彼女の内奥 たねま そのものから、苦の種は播かれていることにもなる。でも、そこが女の描く女の心の魅力であろう。 寝覚の上は人生の苦悩にうちひしがれたままではない。女の危機を危機として素直に受けとめ、まともに 苦の種を刈り取ろうと努めている。ねばり強く自己修復に苦心する。ここにこそ成長する女性の真姿がある。 あふ たた おも おく

6. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

にもかかわらず、このはるかに年齢の違う夫のひたむきな愛と寛い心に感じ人り、次第に心打ち解けるよう にもなっていったのである。若き末亡人は、夫なき後の家を守り、三人の継娘の幸福を願い、男たちには見 向きもしないのである。 見向きもしない、とはいうものの、そこは「あえか「なっかしさ」と「心強さ」とが共存している彼女 のことである。頭から撥ねつける、そんな態度に出るはずはない。男主人公に対しても、どこまでも自ら立 くら てた心は曲げないが、初めから玄関払いを喰わすわけでもないことになる。隔意なく男に応接する柔らかさ こそ、この女性の身上である。率直に男に恨みつらみをぶつけても、けっして嫌われることがない。寝覚の むみようぞうし 上の、この人扱いの柔らかさには、昔の読者も感じ人ったらしい。鎌倉時代の評論書『無名草子』では、彼 女のこの心術を「心上手ーと評している。 かなしば 男たちは、彼女のこの心術には弱い。金縛りにかけられたように、身動きができないことにもなる。さか しらにこの心術を用いれば、嫌味になるかもしれない。いかに美女でも、男たちの鼻につくことだろう。彼 女の場合は、ともかく自然なのである。「あえかーに「らうたげ」な本性のまま、「心強さ」を包みこんでい る。そこが言うに言われぬ魅力というわけであろう。 説「心上手」に潜む危しかしながら、いかに天性の心術ーー「心上手」ーーでも、そこは女と男の間である。一 険 歩誤れば女の危機を招くことにもなるだろう。どんなはずみから金縛りが解けないとも限 解らない。女君が魅力的であればあるほど危険度もまた高いのである。女主人公が、自ら気づかずして危地に 赴くことがないとは言い切れないであろう。 自ら気づかずして、と述べたが、じつは女の危機の因は男側にだけあるのではない。寝覚の上は、それこ ひと ひろ

7. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

夜の寝覚 332 書。彼は勘当の解けた頃に中納言、最終的には右大将になっている ) 、皇女のなかでももっとも美しい女三の宮と 相思相愛の仲になっても不思議はない。 ところが、事件は、二人の仲の深まりを知った冷泉院が激しく怒り、まさこを勘当するとともに、白河院 にあった女三の宮を引き具して冷泉院に人ってしまったというのである。院の怒りは何故か。すでに女一二の 宮には縁談が決っていたからと説かれたり、寝覚の上の偽死以後院は絶望的になり女君ゆかりのまさこを憎 悪したのではないかと言われたりしている。先述の偽死事件ともどうかかわるのか。両事件の先後によって も解釈が異なるだろう。いずれにせよ、譲位後の冷泉院が寝覚の上の心をとらえ得ず焦慮していたことは確 かと思われるから、女君は得られずに、かえって女君を髣髴させるまさこに最愛の皇女を奪われる、ーー院 にとっては怒りの相乗作用を意味したのではあるまいか。激怒の院の脳裏には、まさこから女君の面影が失 ねた せて、妬ましい恋敵関白の面影が重なっていたと思われるのである。 ともあれ、純愛は絶たれた。若い二人はどうすることもできない。まさこ君は悄然と、 吹きはらふ嵐にわびて浅ぢふの露のこらじと君にったへよ ( 〔拾〕一三・一四、〔風〕雑二・三 0 九・三 0 、〔無〕 ) と詠み、母の急死という悲嘆も重なって北山に籠ったり、二人への同情者中納言の君に頼ったりしていた。 しの 女三の宮もまた父院の監視のもとでまさこ君を偲ぶほかなかった ( 〔風〕雑一・二会、雑二・一元一一、〔絵〕詞書一段 断簡 1 ・ 2 、 段・ 2 、二段 1 ・ 2 ) 。まさこ君は心満たされぬまま、ふと琴の音に惹かれて冷泉院の左大 1 ・ 3 、一段 4 ) 臣の女御 ( 〔原〕七三ハーの宣殿の女御か ) を訪れたりもしている ( 〔拾〕六、〔絵〕詞書三段 寝覚の上はその頃に出家を果したものらしい。生霊事件に苦悩して嵯峨野に籠って以来の念願 ( 〔原〕盟一 うふつ しようぜん

8. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

ちんにゆう 局面を山場とはするが、その構想の骨子は、巻三の帝闖人事件の再現であり、それに中間欠巻部分の老関 白との結婚の際や巻五の第三子懐妊の際と同じく、男による妊娠見あらわしを合せて繰り返したものと言え るであろう。 先述のように、『夜の寝覚』の構想上の特色は同種の構想を繰り返し、そのつど、複雑、深刻になりまさ る女心の揺れを追うところにあった。と見れば、この偽死事件は、大きな山場であったというだけでなく、 女君の心の内奥がさらに掘り起されていたと見てよいのではないか。しかし現存の断片的資料はそこまでは 語ってくれない。ただ、寝覚の上が蘇生後もしばらく生存を秘していたこと、夫関白も、中宮 ( 石山の姫君 ) やまさこ君も、その死を信じ、悼む時期のあったこと、冷泉院が出家したこと、やがて、寝覚の上の生存を 夫関白の知るところになったことなどがうかがえるばかりである。そのときどきの異常事態や劇的な再会な 私たちのもっとも知り どの場面で、女主人公の心が、いかに女として揺れ、母として動いていったか、 たいところは残念ながら不明のままである。 冷泉院のまさこ勘当一方、「何事よりもいみじきこと」と評されるのがまさこ君勘当事件である ( 〔無〕 ) 。ま そきようぞん 事件 さこ君と承香殿の女御腹の女一二の宮との、若くいじらしい純愛を描いてきわめて印象的で あり、世評も高かったものと思われる。 まさこ君は幼少の頃から帝 ( 冷泉院 ) のお気に人りであったはずである。その母寝覚の上に想いを寄せる 解帝は、まさこ君を手許に置いて離さなかった ( 〔原〕八六・一一九ハーなど ) 。女三の宮も帝にもっとも可愛が られた皇女である。帝の女三の宮への慈しみは、まさこ寵愛と並び称されている ( 〔原〕一一九ハー ) 。女三の 宮はつねに君側に侍すまさこ君と幼馴染でもあったであろう。今、まさこ君はすでに三位中将 ( 〔拾〕八、詞

9. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

心の内奥に女の危機を潜ませる魅惑の女性が、いかに危機の局面を打開し、自己修復の努力を重ねていくか、 その苦悩のうえの成熟のなかに、いよいよ魅力を発揮していくのである。 話をこの女性の賛美者たちに戻そう。私たちの読むことのできる範囲内では影が薄いが、 寝覚の上と脇役たち 宮の中将や三位中将にも少し触れておかねばならない。現存の巻々では、たしかに二人は 寝覚の上との間に事を起していない。むしろ、彼女を信奉する使徒であり、女君の意のままに働く家族の一 員のようである。いわば彼女の家政的手腕の証明役なのである。 しかし、宮の中将は、男主人公のライ。ハルのはずである。散佚した巻々ではもっと活躍しているようであ ひと る。寝覚の上を恋うるあまり、誤って老関白の次女を盗み出したり、最後には、この女性の死を聞いて出家 したりもしているらしい。 主役の出ずつばりの活動に比して、物語の脇役たちは活躍時期と休止期間の落差がはなはだしい。働くと きは働くが、用済みとともに行動を停止する。姿を消したかと思うと、必要あれば再び呼び戻される。宮の 中将の場合も、おそらくは現存の巻々が行動休止の時期に当るのであろう。つまりは、女主人公のあの心術 に金縛りになっている時というわけで、金縛りが解けた時期が欠巻部分ということなのであろう。 三位中将も、兄の男主人公が極度に警戒しているところを見ると、女君にとって危険度の高い男の一人で あろう。しかし、現存の巻々に関する限り、彼もまた、継娘三女の婿として、女主人公の邸内に住み、おと 解なしく収っているだけである。 いっ奔り出すかわからない危険な男たちを身近に置いて、娘たちの婿として世話を惜しまない。こんなと てんしんらんまん ころにも、女主人公の「心上手」が及んでいるようである。本人は気づかないにせよ、天真爛漫と成熟の兼 はしだ ひと さんいっ

10. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

339 解説 不運な出逢いに端を発しているが、彼女自身、心の内部に抱え込み、むしろ強く育ててしまってもいる のである。 ⑥女主人公の心の内奥において、相反する二つのものを、対決なく解決のないままに同時的に共存させ きわ る傾向の際だっこと。現実に生きようとする心の秩序では自覚的に割り切りながら、心の内奥では相反 するものが温存されたままである。その自覚の秩序と内奥の潜在意識は、事件ーーー女の危機の局面 のたびに露呈し、女主人公は自らの心の深部に気づいていくことになる。心の内奥における相反するも のの同時的共存の願望は、彼女の不幸意識と深くかかわっている。 などを指摘できるが、この主題性の強さや女主人公の造型の特徴は、女流日記である『更級日記』、また 『日記』からうかがえる作者孝標女の性格、資質にきわめて近いものである。 この時代の女流日記に共通するのは、書手である女が自己の人生をいとおしみ、自らの「生」を抱きとど めようとする切実な願望に支えられていることである。それだけに作者は、どうしても書かずにはいられな いことを書き記している。そのなかでも、『更級日記』は、自己の人生史においてどうしても書かねばなら たぐいまれ ぬことだけに絞って記した、類稀な作品なのである。 『更級日記』の作者の自己の人生史への意志の強さが際だっていること。自らの悔恨の四十年を、物 しようけい 語への憧憬と神仏への信仰という視点に限って回想し、この主題を持続的、統一的に貫いている。 囘『日記』は、どこまでも自己に執して「たったひとりの世の中ーをひたすら追求していること。「ど うしても書きたいこと」「書かねばならぬことーと、「書けないこと」「書きたくないこと」の取捨、選 択がきびしい。