3 凡例 凡例 一、本書は長崎県島原市公民館松平文庫蔵本を底本とする。現存する五巻本系統諸本の祖本であり、三巻本 系統の前田家尊経閣文庫本と並んで、現存諸本の最善本である。 一、底本は、五巻本系統本に共通する巻序の不整がある。また、前田家本をも含めてすべての現存伝本の持 、二、三巻の順が正しい巻序 ) 、錯簡も修復して っ錯簡もある。本書では巻序を正し ( 底本の五、四、一 収めてある。 一、本書は第一冊、第二冊に分冊しているが、本巻第一冊には、巻一、巻二を収めた。脚注や解説などで、 第二冊の本文や内容の必要な場合は、の略号を用い、 xx と指摘してその所在を明らかにした。 x x ハーとのみある場合は、本巻第一冊の。ヘージ数である。 一、底本は、できるだけ忠実に活字化することに努めたが、変体仮名を普通の仮名に、仮名づかいを歴史的 仮名づかいに改めることをはじめ、以下のような操作を加えた。 適宜、段落を分けて改行し、それぞれに小見出しを加えた。小見出しはその段落の内容がっかめるよ う要約して示した。 2 濁点、句読点を付し、会話、心中表現、引用句などを「」で示した。会話の主、心内話の主は必要 に応じて脚注欄で注記した。
夜の寝覚 314 国第二部 ( 中間欠巻部分 ) の内容 現存の巻二と巻三の間には約八年の空白がある。数巻にわたる欠脱が考えられるが、その内容は、 ・略号〔原〕 ( ページ数は本書田・のもの。 ①現存する巻三以降の主要人物の回顧、述懐などの記事・ ペ 1 ジ数のみの記載は田〈本書〉のページ数 ) 。 ②鎌倉時代末頃に作られたものらしい改作本『夜寝覚物語』 ( 五巻 ) のストーリ ! ③『無名草子』・ ④『拾遺百番歌合』 ⑤『風葉和歌集』 などを参考にして、おおよそのところを知ることができる。内容推定の根拠は右の〔〕内の略号で示す。 老関白との結婚をめ現存巻二は、物語第六年 ( 中の君十八歳 ) の正月、大納言が年賀のため広沢に赴き、人道 さんいっ ぐって が喜び迎えたところで終っているが、その巻二末尾が欠脱しているのか、散佚欠巻部分の 初めかは別にして、大納言が続いて中の君の部屋をも訪れ、人々の手前もあって、心ならずもさりげなく立 ち去る場面が接続していたらしい ( 〔改〕 ) 。 中の君にも悲しい春であった。父人道の心を汲んで静かに広沢で日を過し、寂しく「春や昔の」とうちな がめつつ、姉大君に許される時を待っていた ( 〔原〕一〇四ハー、〔拾〕三、〔風〕春下・全 ) 。大納言の叔父にあ たる左大将 ( 〔改〕 ) がねんごろに求婚してきたのも、その頃であったようだ。左大将は娘三人を残して妻に
囘三巻本系統 前田家尊経閣文庫蔵本のみ。 覚五巻本と三巻本との関係は、巻一、二が三巻本の上巻、巻三、四、五が中・下巻となっている。このうち善 の本と目されるのは島原本と前田家本であり、ともに近世初期の書写である。五巻本系統の他本はすべて島原 夜 本から出た近世末期の書写のものである。島原本は『日本古典文学大系』 ( 岩波書店 ) 、『日本古典文学全集』 ( 小学館 ) などの『夜の寝覚』の底本となっており、本書もまたこれを底本としている。一方の前田本は、は やく複製が公刊されており ( 尊経閣叢刊昭八 ) 、関根慶子・小松登美両氏の『寝覚物語全釈』の底本となっ ている。 改作本と絵巻についほかに、鎌倉時代末期か室町時代初期に成立したと考えられる改作本『夜寝覚物語』の伝 て 本が二つ残されている。一つは三条家旧蔵本で、室町時代末期の書写、巻一と巻三が現在 宮内庁書陵部に、巻二が神宮文庫に蔵されている。今一つは金子武蔵氏蔵本で、普通中村本 ( 中村秋香旧蔵 ) と呼ばれている。三条家旧蔵本は古写の善本であるが、巻四、五を欠き、中村本は五巻の完本であるが、近 世の書写でやや誤脱が多い。改作本の成立した鎌倉末から室町初期ごろまでは『夜の寝覚』の原作は全巻揃 いで存在していたらしい。したがって改作本の存在は、原作『夜の寝覚』の欠巻損傷部分の内容を知る貴重 な手がかりの一となっている。また、鎌倉時代以後、平安時代の物語の改作や梗概化が多く行われたが、そ うした改作現象をうかがう絶好の資料でもある。 また、徳川本・五島本『源氏物語絵巻』をはじめ、平安時代末から物語絵巻の盛行が知られるが、『夜の 寝覚』の絵巻も現存している。右の『源氏物語絵巻』とともに国宝となっている『寝覚物語絵巻』がそれで、
327 解説 国第四部 ( 末尾欠巻部分 ) の推測 末尾欠巻部分は物語第十六年七月以降、最低十年ぐらい、長ければ十五、六年に及ぶ歳月の物語が続いて たど いたらしい。しかし、そのストーリーは中間欠巻部分以上に辿りにくい。推定資料として『無名草子』 ( 略 号〔無〕 ) 。『拾遺百番歌合』 ( 〔拾〕 ) 、『風葉和歌集』 ( 〔風〕 ) は中間欠巻部分同様に貴重であるが、ほかに『寝 覚物語絵巻』 ( 〔絵〕 ) が加わる。改作本 ( 〔改〕 ) は、中間欠巻部分の中途から原作を離れ、末尾欠巻部分に人 ってまもなく大団円となってしまうので、第四部の推定資料としてはあまり期待できない。 寝覚の上の心にこそ、やみがたい出家の意志が隠されているにせよ、第三子が生れ、右大 その後の物語の展開 との間には表面何事もな 臣ーー巻五終り近く、男主人公内大臣は右大臣に昇っている かんきみ 、督の君にも皇子が誕生するなど、慶事のうち続くなかで巻五は終っていた。末尾欠巻部分にはいっても、 このめでたさはしばらく引き継がれるようである。 はかまぎ もぎ 石山の姫君は今年十一一歳 ( 〔改〕は十歳とするが、十二歳の誤り ) 、盛大に裳着が行われた。かっての袴着の儀 こしゆい ( 中間欠巻部分。三一八ハー ) に引き続いて中宮が腰結の役目を果し、この姫君の前途の栄光を予告しているが、 その折に初めて寝覚の上と対面した中宮は、帝が依然として女君に心を寄せ続けていることを語る。 君により雲ゐの人の雲ゐにて心もそらになすを見るかな ( 〔拾〕こ の中宮の詠は、以後、寝覚の上の進退に帝の執心が深くかかわることを暗示するものと言えよう。 期待どおり、石山の姫君は東宮妃となる ( 〔改〕では物語第十七年四月。東宮十九歳。石山の姫君十一歳は十三歳
心の内奥に女の危機を潜ませる魅惑の女性が、いかに危機の局面を打開し、自己修復の努力を重ねていくか、 その苦悩のうえの成熟のなかに、いよいよ魅力を発揮していくのである。 話をこの女性の賛美者たちに戻そう。私たちの読むことのできる範囲内では影が薄いが、 寝覚の上と脇役たち 宮の中将や三位中将にも少し触れておかねばならない。現存の巻々では、たしかに二人は 寝覚の上との間に事を起していない。むしろ、彼女を信奉する使徒であり、女君の意のままに働く家族の一 員のようである。いわば彼女の家政的手腕の証明役なのである。 しかし、宮の中将は、男主人公のライ。ハルのはずである。散佚した巻々ではもっと活躍しているようであ ひと る。寝覚の上を恋うるあまり、誤って老関白の次女を盗み出したり、最後には、この女性の死を聞いて出家 したりもしているらしい。 主役の出ずつばりの活動に比して、物語の脇役たちは活躍時期と休止期間の落差がはなはだしい。働くと きは働くが、用済みとともに行動を停止する。姿を消したかと思うと、必要あれば再び呼び戻される。宮の 中将の場合も、おそらくは現存の巻々が行動休止の時期に当るのであろう。つまりは、女主人公のあの心術 に金縛りになっている時というわけで、金縛りが解けた時期が欠巻部分ということなのであろう。 三位中将も、兄の男主人公が極度に警戒しているところを見ると、女君にとって危険度の高い男の一人で あろう。しかし、現存の巻々に関する限り、彼もまた、継娘三女の婿として、女主人公の邸内に住み、おと 解なしく収っているだけである。 いっ奔り出すかわからない危険な男たちを身近に置いて、娘たちの婿として世話を惜しまない。こんなと てんしんらんまん ころにも、女主人公の「心上手」が及んでいるようである。本人は気づかないにせよ、天真爛漫と成熟の兼 はしだ ひと さんいっ
第四部末尾欠巻部分 ということになる。私たちの読めるのは第一部と第三部だけ。第二部と第四部にあたる欠巻部分は、それぞ れ数巻分と推定され、本来の『夜の寝覚』は十数巻、あるいは二十巻にも及ぶ大作であったと言われている。 そろ いつの頃から欠脱を生じたものか、その詳細はわからないが、鎌倉時代の末頃まで全巻揃いで読まれてい たことは確かである。その時代に完本を読んでいる『無名草子』の作者は、次のように評しているのである。 『寝覚』こそ、とりたてていみじきふしもなく、また、さしてめでたしといふべきところなけれども、 はじめよりただ人ひとりのことにて、ちる心もなく、しめじめとあはれに、心人りて作り出でけむほど 思ひやられて、あはれにありがたきものにてはべれ。 この『夜の寝覚』全体評は、私たちの読後感にまさに一致する。完本を読む『無名草子』の全体評が、半分 にも満たない損傷本を読むことを余儀なくされている私たちの理解と合致している。この意味は大きい。 『夜の寝覚』の主題性、統一性の強さを示す何よりの証言と見てよいであろう。そして、第二部、第四部に あたる欠巻部分への注意さえ怠らなければ、第一部、第三部の現存の巻々だけからも、この物語の精髄に迫 り得ることを知らせてくれているのである。 説『夜の寝覚』は、「はじめよりただ人ひとりのことにて、ちる心もなく、しめじめとあはれに、心人りて作 り出」した物語である。 ーー冒頭から一貫して女性の主人公寝覚の上の苦の人生を追い、ひたすら彼女に集 解中し、作者自らの全力を傾注してつくりあげた「女」中心の物語なのである。 い
作者については後述するが、とにかく女性の創作であることには間違いがない。その、女の書く物語が、 女を主人公とする。これもまた『夜の寝覚』の大きい特色と言えよう。物語は予言に沿って進行する。 覚冒頭の主題提示と予言とは、現存最後の巻五掉尾と見事に照応している。 のち や 寝 「この世は、さはれや。かばかりにて、飽かぬこと多かる契りにて、止みもしぬべし。後の世をだに、 の こころう だし 夜 いかでと思ふを、さすがにすがすがしく思ひ立つべくもあらぬ絆がちになりまさるこそ、心憂けれ」と、 よるねざ 夜の寝覚め絶ゆる世なくとぞ。 ( 一一六五ハー ) 女主人公の悲しい述懐である。あやにくな契りに端を発した寝覚の上の数奇な境涯とその苦悩とは、この巻 しゅうれん 五末尾の感慨に収斂されているのである。私たちは、ここに、すべての意志を閉ざされた女主人公の絶望を むみよう 読む。無明に漂う孤独な姿を見る。そして、物語がさらに続くこと ( 末尾欠巻部分 ) をも忘れて、ここに物 しゅうえん 語の終焉を思ってしまうほどである。 冒頭と予言と、そして予一一一口どおりの進行を承ける「夜の寝覚め絶ゆる世なくとぞ」の巻五結語。物語は主 題をつらぬいているのである。『夜の寝覚』の第一の特色である。 むみようぞうし ところで、現在私たちが読むことのできる『夜の寝覚』は、残念ながら完本でない。現存 『無名草子』の証言 する写本のすべてが、その中間と末尾とに、それぞれ数巻に及ぶ大きい欠脱部分を持って いる。全体を四部構造と理解する立場に従えば、 第一部現存巻一・一一 ( 前田本は上巻 ) 第一一部中間欠巻部分 第三部現存巻一二・四・五 ( 前田本は中・下巻 ) う とうび
349 年立 主要人物の年齢巻 第一年中の君一三歳 第二年中の君一四歳 第三年中の君一五歳 第四年中の君一六歳 大君二一歳 権中納言一九歳 年 年立 巻 事 。八月十五夜、源太政大臣家の中の君 ( 女主人公 ) の夢に天人下り、多くの琵琶の曲を教え、来 年の再訪を約束して消える。〔一二〕 。八月十五夜、中の君の夢に天人再び現れ、琵琶の残り五曲の手を伝え、物を思い心乱すことの 多い宿世を予言。〔一四〕 。八月十五夜、中の君天人を待つが、ついに現れず。〔一五〕 。太政大臣家の大君、関白左大臣家の長男権中納言 ( 男主人公 ) と婚約。婚儀を八月一日と定め て準備。〔一六〕 。七月一日、物のさとしあり。陰陽師、中の君の大厄の年と占う。〔一七〕 。七月十六日、重い物忌のため、中の君、後見役の対の君とともに法性寺の僧都の領ずる九条の 一家に移る。但馬守の三女、方違に来合せている。〔一九〕 。権中納言、その日偶然に、九条の家の東隣に住む乳母を見舞い、中の君を垣間見てその美しさ に驚く。〔二〇〕 。権中納言、僧都の家に忍び人り中の君と契るが、但馬守の娘と信じ、自らは宮の中将を装う。 。翌十七日、権中納言、大君と初めて文を交すが、昨夜の娘を忘れられず、参内して味の中宮に 但馬守の三女の出仕を勧める。その夜宿直所で宮の中将から但馬守の娘のことを聞き出し、女性 論に一夜を明かす。〔二九〕 一、この年立は、現存の本文巻一から巻五までに関して作成したものである。末尾欠巻部 分は、おおまかな推定資料のみで年立を整えるに至らないので省略せざるを得ない。中 間欠巻部分については、諸資料によりやや明確に推定し得るので、これを補った。 一、中間および末尾の欠巻部分それぞれの内容についての詳細は、解説「二『夜の寝覚』 の主題とその展開」の「国第一一部 ( 中間欠巻部分 ) の内容」および「国第四部 ( 末 尾欠巻部分 ) の推測」を参照されたい。 一、登場人物の年鈴は、数え年に拠る。 一、各事項末の〔〕内の数字は、当該記事を含む本文ページ、盟は第一一冊を示す。 三四〕 項
343 解説 現存するのは四絵四詞、紙本着色の一巻であるが、平安時代末から鎌倉時代初期に成立した物語絵巻の逸品 であり、現在大和文華館に蔵されている。原作の末尾欠巻部分に当り、これまた物語絵巻としての価値のほ かに、原作欠巻部分の資料として貴重である。この絵巻には、東京国立博物館、国立国会図書館、会田富康 氏蔵の模本も存在する。 なお、本書は『夜の寝覚』を題名としたが、『夜半の寝覚』『寝覚』とも呼ばれる。それぞれに根拠があり、 いずれが原題であるかについても種々論議があるが、本書では、底本とした島原本の題名を尊重したのであ る
夜の寝覚 346 ・は血縁関係、 一、系図は、現存の巻々を中心に作成した。 ・は婚姻関係を示す。 一、人物名は、原則として現存本文初出の呼称を用いた。以後に現れるおもな呼称は、 ( ) 内に記し た。ただし、紛らわしい場合、あるいは問題のある人物については、注で処理した。 一、現存本文では明確にしるされていないが、諸資料によって確実に原作に存在したと思われるもの は系図に取り入れ、 ・またはで示した。また、人物名は、中間欠巻部分のものには〇を、末 尾欠巻部分のものには△をほどこした。ただし、これらの呼称がそのまま原作に用いられていたか どうか、疑問のものもある。 一、現存本文のほか資料として用いたものは、「寝覚物語絵巻』「無名草子』「拾遺百番歌合」「風葉和 歌集』である。改作本は原則として採用していない 権中納言 ( 男君・大納言・大将・内大臣・内の大殿・右大臣・若関白・関白 ) 上 ( 尼上 ) 三位中将 ( 新大納言・大将 ) △ : 関白左大臣 ( 大殿 ) 后 ( 中宮・女院 ) 内侍督 ( 督の君 ) 北の方 宰相中将の上 ( 中の君・右衛門督の上・対の君 ) 〇 : ・故殿 ( 老関白・故大臣・前の関白大納言の上 ( 大将の上 ) 四位少将 梅壺女御 △ △ 帝上・内の上・冷泉院・山の帝 ) 右大臣 宮の大夫 大皇の宮 ( 后の宮・大宮 ) 系図 左大臣 ) 女一の宮 女二の宮 石山の姫君 ( 后の宮・中宮 ) △ 若君 ( まさこ・三位中将・ △ △ 中納言・右大将 ) △ 東宮 ( 帝 ) △ 宣耀殿女御「 △ 若宮 ( 東宮 ) 一