たじまのかみ ばかり思っているだろうか」と、中納言はいじらしく不憫「男は姫を但馬守の娘と深く信じていたから、ただそう思 わせて通してしまったが、あちらへ手紙をやったことだろ の思いでいつばいになられる。 う。今この君はどう思っているのだろう」などと、遠くか 〔一九〕中の君病づき、大かの姫君は、あの夜ひどく恐ろしい ら何気なしに時々見かけたことはあっても、近く忍びやか 君の婚儀も延期されるとお思いのあまりに、そのまま気も 動転してしまったお心の病が、日を経るままに、ますますな中将の様子など対の君はいまだ知らないので、別人と聞 とか だいじようだいじん き咎めることもできず、ひたすら情けないことに思ってい ひどく苦しげにおなりになるばかりなので、父太政大臣は、 ものいみきようちょう よいよ心を悩ますのも、宮の中将にとってはまったく割の 恐ろしい物忌の凶兆があってからこのようにお患いになっ ぬれぎぬ 合わない濡衣であることだ。 たため、いっそう御心配が深く、ひたすら中の君の看病に たいきみ 中の君の御病気は、日を経るにつれて、たいそう重くな 尽されるので、対の君などは、心中胸も張り裂けんばかり おおいぎみ あやま りまさっていかれるので、近づいた大君の御婚儀をも繰り で、自分の胸に覚えのある過ちではないけれども、取返し ずなうどきよう 延べて、修法よ読経よと、邸内挙げて大騒ぎするのを、大 のつかないこの出来事を辛く思い嘆かずにはいられない。 めのと しきぶきよう そんな思いの対の君は、式部卿の宮の中将がーー中将は太君の御乳母も、「あいにくな折の御病気ですねえ。どうに 政大臣の御甥だし、日ごろ琴、笛などを習いに、親しく出も困ったことです」と心中こぼし合っているが、中納言は、 人りしておられるので何の不思議もないわけだが、中の君人知れず、「あの女に逢う夜があるなら」とお思いになる からか、結婚が延びたことをひどく残念にもお思いになら の御病気見舞に参上されたと聞くにつけ、まず胸がどきり あいさっ として、普段は別段耳もとめず、注意して見たこともないず、大君へのひと通りの御挨拶は、たいそう丁寧におやり になるのだった。 人であるが、確かめたい思いにかられてことさらに出て行 巻 って見やると、上品で優雅な感じで、静かに物思いにふけ〔 = 0 〕中納言、面影を恋中納言が宮中に参内なさると、中宮 ら折から但馬守上京すが「あなたのおっしやったことを行 っている様子も、ちょっと見た目には、あの夜の人かとば あきら 明に伝えさせたところ、『とても人並とも言えない妹です かり思われて仕方がないので、そっと奥に引っ込んだ。 おい ふびん
一「ものしげーは、不快なさま、 我さへ、待ち受けてものしげならば、いづくにか身をも隠さむーとおぼすに、 不機嫌な様子。 みな醒めて、いとかくても見えたてまつらじとおぼせど、おぼし続くるにえ堪 = 中の君へのこだわりは。 三こんなに気弱な所は中の君に 寝へたまはず、泣きたまひぬるを、姫君、「いかなる事をおぼすらむ」とおぼすはお見せしたくないと。 の 四中の君の心中表現。父上は今 けしき 夜に、恥づかしくわりなくて、涙落ち添ひたまひぬる気色、いといとらうたげなどんなことをお考えなのだろうか。 五父人道の心中表現。 り。「あはれ、いかにすべき人の御身なるらむ。幼くより、さりとも、思はざ六予想以上に人よりは幸せにな るだろうと。 くちを るほかに人にはすぐれなむとこそ、頼み思ひしか」とおぼすに、いと口惜しく、セ以下も父入道の心中表現。大 君はまったく悪くはない、の気持。 うへ わ 「大納言殿の上はいとよし。我が身の事なれば、おほのかにも、かかるかたを ^ 自分自身にかかわる事だから、 おっとりと、こうした夫と妹の情 安らかに憂へ思ひ、操つくりあへぬ、世のつねの事なり。大納言のただならず事を余裕をもって心配したり平静 を装ったりできないのは、当り前 乱るる気色を心得て、げに苦しかりけむ。ことわりながら、そのなかにも、すのことだ。「操つくる」は、辛抱し て平気な様子をする意。 さゑもんのかみ一 0 九苦悩はもっともだが、 それに こしは鎮め言はむや」。左衛門督の押しおもむけ、ひたぶるに言ひし気色を、 しても、少しは冷静になって口を 慎めばよいのに、の気持。「鎮め つらしとおぼし出づること限りなし。 言はむや」で、入道の心中表現は よばな 終り、直接に地の文が続く。 「若き女房たちなどは、かく世離れたる御すみかを心細く、 〔五三〕父入道の世話に女 一 0 中の君に罪をおしかぶせ。 房たちも心慰み居つく はべらずなど、あさはかに、あだし心つくらむ」とおぼせ = 以下、父入道の、中の君付の 女房たちへの配慮。 つね ば、局など、心とどめて、をかしきゃうに、みなしなさせたまふ。はかなき木一 = 世間から離れた広沢のお住い。 しづ 四 六
姫君は、月の重なるままに、程なき御身は、いちじるくふ一以下、父太政大臣の心中表現。 〔四 0 〕中の君病重し父 ニ連体形による柔らかな止め方。 殿悲嘆対の君は苦慮 くらかになりもておはするままに、せむかたなくおぼし呆「と」で一旦思惟を止め、ポーズを 置いて、再び心中表現につなぐ。 ちゃうと 寝れたり。帳の外に出でたまふをりもなく、おぼし沈みてのみおはするを、いと = 妊婦のしめる腹帯。 四以下、対の君の心中表現。 夜 あやしく、「いかなれば、かくのみ。とりたててそのところと、おどろおどろ「大殿」は中納言の父関白。 五中納言殿の御子を早く見たい からこそ妻を尋ね求めたのだ。 しくはあらぬものから、月日を経て起き上がりたまふをりなくなりたる」と、 六ひどく下賤の者でも、この中 おとど 「つひにいかにものしたまふべきにか」と、大臣おぼしまどひて、御祈りたゆ納言の子とさえ名告り出る者がい たら。関白のこの願いは四九で たい も但馬守を通して語られていた。 むをりなし。対の君は、帯など忍びてせさせたてまつるにつけても、「大殿の、 セ「数まふ」は、一人前に数える、 けしき 『中納言殿の御子をとく見むとてこそ、尋ねしか。まださる気色のなきにゃあ「ものめかす」は重んじて扱う意。 ^ 大君方の。「弁の乳母ーは十八 くちを らむ。いみじく口惜しき際なりとも、この人の子とだに名のり出づる人あらば、ハーにみえた「やむごとなき御乳 母」、「宰相」は女房であろう。 カず 人のそしり、もどき知るべくもあらず、数まへ、ものめかさむ』とのたまふな九中の君が。 一 0 太政大臣邸の中納言がおいで めのと りとて、かの御方の弁の乳母、宰相などが、祈り惑ひ、心もとながるに、あになるお部屋。つまり大君の御方。 一一関白殿が拝礼のため参内され こころぎも やにくに、いみじのわざや」と、心肝を砕き思へど、いとどしくおぼし入らたので。「拝礼」は、元日に天子に 拝賀する儀。 むにより、事にもあらずきこえ慰め、思ひ入れぬさまに紛らはしてのみぞあ一 = 中納言も父関白に伴って参内 するため急いでお出かけになった。 りける。 ここで中納言の外出を述べ、後か きは おび
きょ′がく 去る事にかはべらむ。いづかたにも、いと聞きにくく、苦しく」など、疑ひな一お聞きになる父人道の驚愕は。 一一以下、父入道の言葉。 ここち 、すくすくと言ひつづけたるを、聞きたまふ心地、世のつねならず、あさま = 「そこはかとなく , は、ただ何 となくの意。定まった夫や恋人が いない状態をいう。 の 四若い男が心を惹かれぬわけが けしき 夜とばかり、物ものたまはず、御気色うち変はりて、「この夏までは、病に沈ない。暗に、大納言の従者などを いうのである。 みてかの君もありつるを、いつよりありけることにか。たしかに見つけたる人 = 中の君に限ってそんなことは 絶対にないと。 をとこ 四 かたはら ありや。若き女房の、そこはかとなく傍に居たるを、若き男のゆかしく思はぬ六何げない言葉をかけ、好意を 寄せたりするのを。 かいばみ ゃうあらじ。立ち聞き、垣間見などせらるることの、とりなさるるにゃあらむ。セ中の君自身ではなくても。 八仕えている女房たちをいう。 女の心、知りがたし。ょにさらじと、思ふべきにあらず。かの大納言の、なげ九娘がどんなに夢中になっても、 過ちは起さなかったろうに。 こと なさ さうじみ の言とり、情け寄らむを、正身ならずとも、在る人々の心寄せぬはあらじ。母一 0 以下、再び左衛門督の言葉。 一一あの北の方 ( 大君 ) は。 をんなご なき女子は、人の持たるまじきものなり。形のやうなりと、母の添ひてあらま一 = 誰かが事実を告げ申し、北の 方ご自身も目になさったことがあ あやま るのでしよう。 しかば、いみじく思ふとも過たざらまし。また、人もかく言はざらまし。そこ 一三はっきりと中の君に罪を押し はらから かぶせ。 はかとなき若き女房を、うち預けて姉妺のあたりにあらせたる怠り、咎なり」 一四父入道の心中表現。左衛門督 が憤置するのも無理はないが。 とて、ほろほろと泣きたまふ気色の、いとほしくあはれなるを見ては、また、 一五まして他の人の前ではどんな 「まふまじかりける浮きたらむことを、かの上、さまでのたまふべき人におはにひどく言 0 ていることか、の気 かた あ とが やまひ
133 巻 ならず申し勧めよ。さるべからむ隙には、なほ思ひ構へて、いたくかき絶えぬ一五中の君との仲がひどくとぎれ てしまわないように取り計ってほ 一七たぐひ さまにを。かくてのみは、さらにえ忍びあふまじ。世に類なく、乱りがはしきしい、の気持。「を」は間投助詞。 一六このまま別れ別れの状態では。 ゃうなりとも、世のもどきをも、人の恨みをも知らず、忍びて取り隠したてま宅「世に類なく : ・なりとも」は、 「忍びて : ・に続く。「世の : ・知ら ず」は、挿人句。 つりてむとのみ思ふを、同じ心に思ひたばかれ」など、泣く泣くのたまひて、 穴中の君をどこかにこっそりと。 のご や ふみ 灯近く取り寄せたまひて、御文こまかに書きも遣りたまはず、押し拭ひ押し拭一九少将の心中表現。同じことな ら気兼することなく、中の君のご ほかげ ひ書きたまふ灯影の、いとめでたきを、「げに同じくは、思ひもなくて見たて夫君として大納言様を拝見したい ものだ、の気持。 くちを まつらばや」と、口惜しくまもり居たり。「この御返り、かならずかならず」 = 0 「そこ」は、そなた。少将に向 って言う。 つね ニ一夜の明ける頃をいう。 とのたまひて、「そこには、さりとも、姫君をば思ひ捨てじ。この局に来つつ、 一三車を引き出した時に、少将が ゆきより 振り返ったところ。車の御簾の陰 たえず見よ」とて、ほのぼのとするほどに、行頼召して、車寄せさせたまふ。 などから覗き見たのであろう。 かたじけなく、御手づから乗せたまひて、をかしやかなる贈り物、行頼して差 = = 嵯峨野の父人道のもとに。 「峨野へ」は「えおはすまじけれ 一一し人れさせたまふ。引き出でたるに、見返りたれば、心細げに見送りて、柱にば」に続くとみるほかないが、方 向を示す助詞の「へーはやや不審。 「にーなどとありたい。 寄りかかりて立ちたまひたるを、少将もあはれに見たてまつる。 品この「姫君」は、中の君をさす。 さがの 嵯峨野へ、姫君、さてのみもえおはすまじければ、大納言 = 五人道太政大臣の本邸。今は大 〔三ニ〕中の君、広沢から 君が住むが、夫の大納言を中心に 帰り大納言の文を見る 殿に渡したてまつらせたまひてけり。少将参りて、対の君考えて「大納言殿、といったもの。 ひま おくもの
夜の寝覚 44 けはひ しく、「こは、いかなる様ぞ」と覚ゆれば、式部卿の宮の中将の気配聞き合は一太政大臣の次男。↓一七注 せまほしくなりて、「いかなるついでがな」と思ひわたるに、中納言ここへお = 中の君のお部屋に。 三若い女房を出して応対させて。 あ はし初めぬる、もてはやしたてまつらむとて、月明かき夜などは御遊びなどし さいしゃうのちゅうじゃう げきに、召されて、この中将もつねよりもしげく参りて、宰相中将に付きて四どうして中の君の婿としてあ らせ申しあげないでしまったもの か、の気持。言いさした表現。 この御方に馴れ寄り来るを、例はさしももてはやさぬを、若き人出だし会はせ 三「と」で一度心中表現をしめく くり、再び思案する。いずれもあ て、物など言はせて忍びて聞くに、この御気配、いとあてやかに心にくけれど、 れこれと考え悩む対の君の心中表 現。 似るべくもあらざりけり。 六それにしても、中納言様はあ 「なほこの中納言にこそものしたまひけれ」と、見聞き合はせつるに、「同じの夜のことを思い出しておられる に違いない。 天 くは、などてあらせたてまつらで。口惜しく、いみじのわざや」と、「さりと七「かけても」は下に打消を伴っ て、かりそめにも、まったくの意。 たぢまのかみむすめ もおぼし出でむかし。かけても知りたまはぬにこそあめれ。但馬守の女と深くあの夜の相手が中の君だとはまっ たくご存じないのだろう。 おぼしたりしを、さ知りたまひてにはかに中宮よりは召さるるにこそありけれ。〈但馬守の娘と深く思い込んで おいでだったが。 今は知らせてあいなしかし。さりとて、浅うはあらざりける契りの程、つひに九一夜の契りのみならず子供ま で出来た縁をいう。 はいかなるべきことならむーと、つくづくと思ふに、涙のこぼるれば、「声聞一 0 私の声を中納言が聞けば。 = 今はどうしよう、こうなって かば、覚えたまひなむ。知りだに初めたまひなば、男の御心は、今はいかがははどうしようもない、の気持。 そ れい そ くちを をとこ 三 六
まひときは たど 辿らめ、さるべからむ御契りの仲を、あながちにも隔てじ。今一際、あはれを一今一段と深い思いを添えて中 の君を思い起されるよすがに。宰 やまひ も添へて思ひたまふばかり」。月・ころ経る御病なれども、いささか、ものむつ相中将は、中の君の死後大納言が よりしみじみと思い出されるよう けしき さま とのあぶらみちゃうと 寝かしげに衰へたる御気色もなき御様なれば、御殿油、御帳の外にすこし取り遣にと考えるのである。心中表現の の まま文が切れた形とみる。 ニ「ものむつかし [ は、なんとな 夜りて、人れたてまつる。 く不快だ、気が重くなる、の意。 よろこびながら見たまへば、いと小さくおはする人の、腹 = 「あたらし」は、もったいない。 〔 0 大納言、中の君に 四「鬼神、武士」は人情を解さぬ おんぞ えびす 対面し涙をとどめ得す もののたとえ。「いみじき夷」など いと高く、こちたげにて、白き御衣のなよなよとあるを引 と類似の表現。↓六六注一。 き掛けて、胸の程にぞ押し当てたる。いと身もなく、衣がちに、あはれげなる五夢のようにたった一目わずか に逢って。具体的には九条の一夜 みぐし 心苦しさに、なにのいたはりもなく御髪はひき結ひて打ち遣られたる、いささのこととも七九謇のつかのまの逢 瀬のこととも考えられるが、気持 すそあふぎ まよここち か乱れ迷ふ心地なく、つやつやとめでたく、裾は扇を広げたらむやうにて臥しとしては前者に中心があろう。 六折も折、中の君が生死の境を お さすらうような時に、の気持。 たまひつるが、あたらしく惜しげなるさまは、鬼神、武士といふとも、涙落と セ反語表現。並ひと通りである さぬはあるまじきを、まいて、夢のやうにてただ一目ほのめき寄りて、月ごろ筈がない。「なのめ」は、普通だ、 並々だの意。 をり たれ ^ 二人を隔てている御几帳の垂 を経て、限りなく思ひしめて恋ひおぼす仲の、かかる折をしも見たてまつりた ぎぬ 布一枚を横木に掛けて押しのけて。 みきちゃうかたびらひとへ まふ御心地、なのめならむやは。目も昏れ惑ひたまへば、御几帳の帷一重を九限りなく白く。「そこひ」は、 きわまる所、限り。 とのあぶら 打ち掛けて押し遣りて、「なにか、かばかり隔ておぼす」とて、御殿油をかか一 0 苦しそうな頬のあたりが、上 を ふ おにがみもののふ ひとめ きぬ ふ
103 巻 ( 現代語訳一一四七 ) 「さりとも、その程にはあらじやは」と思ひて、率てたてまつりたまひつ。左には宰相中将がお仕えなさるよう に父上がしきりにおっしゃいます ゑもんのかみ 衛門督も、御送りしたまふ。「ここには宰相さぶらひたまふべきよしのみ、おので。下の「・ : 便なければ」と並立 して「おのれは帰りなむ」に続く。 びん うへひとところ ぼしのたまふめれば、大納言の上一所に預けたてまつりて便なければ、おのれ一五大納言の北の方お一人に父上 をお預けしていて具合が悪いので。 さま は帰りなむ。御心地の様を承りて、これよりまさりたまはば、また参らむ。ひ一六「事なし」は、平穏なこと。無 事出産なさってほしい、の気持。 ひま とかたならず、いみじく、心の隙なくもあるかな」とうち嘆きて、帰りたまひ毛事情を知る者同士は。「どち」 は、仲間、親しい人、の意。 一七 ぬ。「よき隙にこそあめれ。この程に、事なくて」と、心あるどちは念じ思ひ穴夜中に出産される場合も考え。 一九仏の御前で出産するのでは、 よるよなか けが 穢れの罪が恐ろしいのである。 て、夜夜中の事も、御堂にては恐ろしかるべければ、おはする顔にし置きて、 ニ 0 参籠中のように装っておいて。 さぶらひ さるべき女房、侍は、みなさぶらはせて、御方ばかり、やをら、かの尼君の家 = 一真相を知らずについてきた女 房や侍は、中の君が参籠中と思い、 に率てたてまつりたまふ。京には、よろしくなりたまへるよしをきこえたまひみな御堂に控えているのである。 一三「よろし」は、ややよい状態。 ニ三「関」は、逢坂の関。逢坂の関 たれば、左衛門督もおはせず。 よりも遠く、つまり石山をいう。 せき 大納言、心の及ぶ限り、御祈りは残さずせさせたまふ。関品中の君に付き添ってお世話を 〔五〕大納言、不安のあ なさらない心中は。 をちこも まり忍んそ石山に赴く より遠に籠りたまふ由を、いとおぼっかなく、これをよそ = 五僧都は修法のため石山に赴き、 次ハー五行目でも石山にいたと考え に聞き騒ぐばかりにて、寄りつき扱ひたまはぬ心のうちぞ、たとへむかたなきられるが、ここでは都にいたこと になる。僧都の行動が省筆された か、作者の不注意によるものか。 ゃ。僧都に会ひて問ひたまふに、宰相の、かくおぼし構ふるよしをきこえけれ 一五
95 巻 「心得て気色見るに、大納言はいみじくも思ひしめたまへ今六帖四 ) を踏んだ表現。 〔宅〕中の君の苦悩濃く 一ニ以下、宰相中将の言葉。 病重る父大臣悲嘆 るかな。ことわりかな。心浅き身にとりても、いみじく心一 = 以下、宰相中将の心中表現。 事情を知って様子を見ると。 づくしなるべきことどもぞかし。上の、いみじく世を乱れおぼしたる気色なる一四思慮の浅い自分のような身に とっても。 一五北の方が、ひどく夫との仲を を、かくのみ思ひ浮かれたまへる御気色を見たまふが、いかにいと安げなく思 思い悩んでおいでの様子だが。 さま びん 一六こんなふうにばかり、夫の大 ふらむかし。誰が御ためにも、いみじく便なくも、見苦しくある事の様かな。 納言が気もそぞろでいらっしやる つひに、いかになるべき事どもならむ」。ことなく、いづかたにも、この事いご様子をご覧になっては。 毛「安げなし」は、安心できない、 不安だ、の意。 みじく嘆かしく、わびしくのみ覚ゅ。 穴宰相中将の心中表現はこのあ から 一九 姫君は、ただ「いかで、骸をだにとどめず、なくなりなむーとのみおぼし人たりから地の文 ( 移行。下に「と」 などありたい。「ことなく」は、他 るに、いといみじく堪へがたく、弱げになりまさりたまふに、心あわたたしく、事なくの意。 一九「骸をだに残さず、この世に とど なくなりなばや」 ( 四八 ) 、「いか せむかたなく、大臣の君、「つねのごとくたゆみたゆみて。いかにしつること で、人の見ざらむ巌のなかにも」 やまひ ぞーと、泣く泣く添ひ居たまひて、「久しき病の、絶え間ありて、いとかく重 ( 六五 ) などと同様の表現。 ニ 0 父太政大臣。 ニ一いつものことだと油断に油断 くなりゆくは、いと頼もしげなきことなり」と、おぼし惑ひたり。 をして。 一三長い病気が、一時もち直して、 このようにまた重くなってゆくの は。「絶え間」は、病気の絶え間。 一六 ま
一中の君を悪く言いたてたうる るるをりありしか。いとあまりに、かく言ひなしつるあきたさ」を思ふにも、 ささ。「あきれたさ」は飽き飽きす 跡とどむべくもあらず、あさましくなりて、いとど大殿がちになりまさりたまる気持。このあたりで、大納言の 心中表現は地の文に移行。 = 北の方の所に住む気になれず。 寝ひつつ、姫君の、やうやう居るほどになりて、物してよく造りたらむやうに、 の 三お座りができるほどになって。 かしら 四何かでうまく作ったように。 夜つぶつぶと肥えて、色はくまなく白く、うつくしげににほひて、頭いと青やか 人形のような愛らしさをいう。 いだ ひび に、日々におよすげまさりつつ、音もいささか泣かず、つねに抱きたまふに面三頭髪は黒々と青みを帯び。 「青やか」は、「緑の黒髪」のように、 な 髪の美しさをいう表現。 馴れて、見付けては笑みかかり、立てば泣きなどしたまふが、いとかなしく、 六大納言がいつもお抱きになる あはれにのみ覚えまされば、片時も放たず、もてあそび見まほしくて、心も慰のになついて。 セ以下、大納言の心中表現。そ れにしても、少将はひどい。 めたまひけり。 ^ 私を突き放すことだ。「るる」 は少将に対する軽い尊敬。 「さても、少将、からくなむ。渡りぬるとばかりは告げよ 〔会〕大納言思い余り、 九中の君への贈歌。「思ふらむ たけ 中将を装って文を送る かし。ことわりながら、あまり猛くも、我を放たるるか憂さ」は、あなたが私に対して思 っていらっしやるだろう憂さ。 一 0 気の紛れようもないであろう な」と、恨めしきにも、忍びがたければ、 山里のつれづれの中で。 = 中の君の御目が止るばかりに 大納言思ふらむ憂さにもまさる今とだに告げで入りにし人のつらさは と、見事な散らし書きにして。 一 = 「すくよか」は、まじめ一方で 紛るるかたなからむ山里のつれづれに、かの御目止まるばかりと乱れ書きて、 風情のないさま。「立文」は書状を さいしゃうのちゅうじゃう たてぶみ 包紙で縦に包んだ、正式な書状の うへはいとすくよかなる立文にて、「宰相中将のもとより」と名のらせて、 ( 現代語訳一一八七 ) 三 かたとき おも