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検索対象: 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)
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1. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

を細め耳を傾けておられるうちに、夜の更けるにつれて、 色をお弾きになる。父太政大臣は、「これは前世の果報に あふ いよいよ興趣は溢れ、しみ入るばかりの感動に引き込まれ よるのだろう。この世だけの才でこれほどお弾きになるの るのであった。「この姫の姿とすばらしい音色を、たった ではあるまいーと、中の君をしみじみいとおしくお思いに 今、物の心のわかる人に見せたい、聞せたい」と、感に堪 寝なっている。 えておられると、すっかり夜が更けて、人々はそのまま御 ーー中秋の名月 夜〔 = 〕中の君、夢の中て八月十五夜のこと、 天人に琵琶を習う といえば月の輝きが違う、その中に琴に身をもたせかけるようにしてお寝みになってしまった が、この妺姫の御夢に、たいそう美しく清らかで、髪上げ も、その夜の月はひときわ澄みわたって、宮中でも月下の からえ 御遊びがあることになっていたのだが、朱雀院の上皇が御姿も整った、唐絵から抜け出たような女の人が、琵琶を手 ふうびよう に現れて、「今夜の御箏の琴の音が、天上までしみじみと 風病をお起しになったため、急に御催しは中止となり、ま こと火が消えたように映えなく、それぞれの邸内で、ただ澄みのぼって来ましたので、あなたをお訪ねしたのです。 私の琵琶の音を弾き伝えることのできる人は、地上ではあ 月を賞でるだけという夜となった。この源氏の太政大臣の やしき お邸でも、御簾をみな巻き上げて、姫君たちも縁先にお出なたただお一人がおいででした。これも定められた前世か おおいぎみびわ らの約束事。さあ、私の教える秘曲をお弾き取りになり、 になり、大君は琵琶を、お姿が美しく、気品の備っている のにふさわしく、深みのある音色をゆったりと興ある調べ国王にまでお伝え申しあげるほどに : : : 」と言って、教え に掻鳴し、中の君は、まだ幼少ともいえるお年なのに、今るのを、中の君はたいそううれしく思って、数多くの曲を、 そう ほんのわずかな間に弾き覚えてしまった。「この残りの曲 夜の月の光にも劣らない輝くばかりの御様子で、箏の琴を たえ で、この世に伝わっていないのが、まだ五曲ありますが、 お弾きになる。その音色の妙なることは言いようもなく、 あまくだ それは来年の今夜また天下って来てお教えしましようと 長年にわたって磨きあげ弾きなじんだのよりも、はるかに 言って、姿がかき消えた、と夢に御覧になって、目をお覚 いきいきと、澄みきっているので、「まったく類がない、 しになると、はや明け方近くになっていた。琵琶は父の殿 かわいいにも何も、そら恐ろしいくらいだ」と、父君も目 すざくいん たぐい ふ かみあ

2. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

そ長うならせたまひにけれ。あはれに、あたらしき御様なりや。見たてまつれ一さすがに兄として中の君を思 8 う情は浅くはない、の意。 けしき のご ば、なかなか心づくしに覚えける」とて、涙押し拭ひたまふ気色も、さすが浅 = 左衛門督が中の君のお部屋に いらっしやるとお聞きになって。 このかみ 寝からず。入道殿も、こなたにおはすると聞きたまひて、あるがなかの御兄に三左衛門督は兄弟姉味のなかの の 長兄であり、中の君を許しなく言 夜て、許しなう思ひきこえたまへるが、いと恨めしきに、かう心許して見たてまっておられたのが、まことに辛か ったのだが つりたまふを、うれしとおぼす。あはれなる御心なり。我も渡りたまひて、御四人道の親心をいう。草子地。 五入道ご自身も中の君のお部屋 においでになって。 台など、こなたにて、もてはやしきこえたまふ。 人々帰りたまひぬる名残り、つれづれに、端近ううちなが 〔奕〕姉君につけ子につ セ以下、〔六六〕終りまで、中の君 さゑもんのかみ け中の君の苦悩深まる めて、左衛門督の、いと心うつくしうおぼしのたまひつるの心に沿って叙されてゆく。 ^ 「恋しく」あたりで中の君の心 うへ も、身の恥づかしさは置き所なう覚えまさりながら、「大納言の上、いつ、か中表現は地の文に融け込む。 九関白邸に引き取られていった 姫君。新年を迎え、数え年で一一歳。 ゃうにおぼし許されなむ。幼うより、またなう思ひ睦れならひきこえしかば、 一 0 「戴餅」は、子供の幸福を願い、 ま 吹く風につけても、まづ思ひ出できこえぬ時の間もなく、恋しく」思ひきこえ新年を祝って年の初めに子供の頭 に餅をいただかせる行事。 一一何かにつけ面倒な世の中に、 たまひけり。 ただもう厭気がさしてしまって。 対の御方、少将など、「姫君、年まさりたまひて、いかにうつくしき御程な一 = 姫君のところに久しく伺って お目にかかっていないことだ。 ただきもちひ らむ。御戴餅などせさせたまふらむかし。わづらはしき世の中に、あいなく一三中の君の耳にとまるのである。 むつ

3. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

( 現代語訳一一三二 ) るとこのあたりで対の君と入れか りて添ひ臥したまふに、女君は、あるにもあらず沈み人りてのみ臥したまひた わったとみるべきか。「掻い探る」 は「掻き探る」の音便。手探りで大 るに、物も覚えず、頭ばかりもたげて、の君をひか ( てわななきたまふを、 納言を押しとどめたのである。 引き放たれぬ。せむかたなし。対の君、「あが君や、などかくあやにくに、心 = 大納言は夜具を押しのけて。 一ニ「対の御方 : こというさきの女 憂き御心にかあらむ。いとかく思ひやりなくなどは、よも、とこそ田 5 ひきこえ房の言葉では対の君はいなかった はず。いつ中の君の傍に来たか明 させつれ」と、いみじと思ひてあはむれど、「すこし世のつねにもてなしたまらかでない。女房や対の君の進退 を省いた書き方か、作者の不注意 はましかば、つゆの心をも慰めてこそはあらましか。ことはかりながら、いとであろう。 一三よもやおありなさるまいの意。 うっしごころ ど跡を絶ちたまふ恨めしさに、現心もなくなりにけるぞや。ともかくも、なの高「あはむ」は、憎む、けなす。 「ことはかる」は、相談する意。 たまひそ。ただあち寄りて、さりげなくもてなしたまへ」とのたまふに、言ふ一六「あち、は、あちら。 宅さきに「亡くなりにし御乳母 み とのあぶら かひもなし。げに御格子下ろし、御殿油などに、人々あまた参り合へれば、御の女一一人、少将、小弁など」 ( 四二 ) と紹介があった。 ちゃうと 穴恋のクライマックスの場面で 帳の外にゐざり出でて、ものなど言ひ紛らはし、さらぬ顔にと思ふ心地も、い は、主役の人物を「男」「女」と呼 一セめのとご じようとう とわななかしくわびしけれど、とかく聞き言ふべきゃうもなければ、御乳母子称するのは物語の常套。 一九以下、次ハー五行目「 : ・わびし かるらむ」まで大納言の心中表現。 の少将の君といふと、ただ目を見交はして居たり。 ただし文章としては地の文的叙述 をとこ 巻 うつつ 一九 つかまおうせ 男は、現とも覚えたまはぬ心まどひに、「『見てもよどまが綯い交ぜになった書き方になっ 〔〕束の間の逢瀬に、 ている。「見てもよどまぬ」は、引 7 大納言心を残して去る ぬ』とは、まことなりけり。旅寝の見し夢には、つぶつぶ歌があると思われるが未詳。 ふ 一六 お

4. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

夜の寝覚 78 けしきも 一中の君が生き永らえなさるこ かにもこの程、おのづからっゅの気色も漏りはべりなば、いとど立ち隠るるこ とでもあったら。 ゆすゑ ニ大納言の北の方。大君。 とはべらじ。もし思ひのほかにながらへさせたまふこともあらば、行く末いか 三「御髪すます」は、髪を洗い清 にもいかにもーと言ひて、耳にも聞き人れぬに、少しことわりなれど、「いみめる意。当時の女性の洗髪は一日 がかりの仕事であった。 こころう じくあるまじく便なきことといへども、いとかくしもあるべきことか」と心憂四「小弓」は遊戯用の小さい弓。 座って左膝を立て、その上に左ひ さま じをのせて射る。多く春の遊び。 けれど、我も、ひとへに人目を慎まず、押し破るべきことの様にはあらねば、 五そっと母屋を通り中の君の部 みぐし ここち うへ わ 沸き返る心地して忍び過ぐしたまふに、上は、御髪すまし暮らす日、我は、殿屋近くに行ってお聞きになると。 六「御格子まゐる」↓一一四謇注一一。 こゆみい じゃうびと 上人あまた参りて小弓射などするに、射暮らしたまひて、タつかた、入りたま「御殿油まゐる」は、油をさし灯を と、も、丁こと 0 ひとおと れいなかさうじ へれば、御前に人もなし。例の中障子の程に寄りて聞きたまへど、人音もせねセ「なれ」は伝聞。大納言は声で 対の君と推察したのである。 みかうし もや ^ 中の君の近くにお仕えしてい ば、やをら母屋より通りて聞きたまへば、対の君の声にて、「御格子まゐりて、 た女房が。 の とのあぶら 九「対の御方 : ・」と問うた人物が 御殿油などまゐりてよ」と言ふなれば、近く参る人のゐざり退きたるほどに、 はっきりしないが、中の君の御前 ちゃうかたびら いとよく推し量りて、やをら帳の帷を引き開けて、すべり人りたまふを、思ひを離れなかった側近の女房であろ う。後文からすると事情を知る少 九 寄るべきことならねば、「対の御方の参りたまふな」と問へば、答へもせず。将の君などか。 一 0 「いとあさましく覚えた」人、 けしき よりくら たそかれの程の内暗なるに、ただ内に入る気色、人がらの、紛るべくもあらぬ「いなや : こと掻き探った人も明確 でない。前からの続きでは残った ふすま を、いとあさましく覚えて、「いなや。こはいかに」と掻い探れば、衾押し遣女房と考えられるが、後文からす おはか びん す つつ いく たい さぐ や てん

5. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

一「あが君ーは、自分の大切に思 せさせたまへ」と、きこえ出でたるに、いみじとおぼして、面の、さと赤みた -4 う人に向って呼びかける語。「わ まふままに、涙こぼれかかりぬる、うつくしさの似るものなきに、いとど悲しが君」よりも親愛の情が強い。 ニそうなるはずの運命と。 寝 くなりて「あが君、かくなおぼし人りそ。命だにはべらば、身を捨てても、よ三お嘆きがあまり強いと。 の 四「かくても」は、私とてこうし ・夜おま ~ に御前の御身に咎あるべくは構へはべらじ。言ふかひなし、みなこの世の事にておそばに仕えておりますにつけ ても、の気持。 もはべらざなれば、たださるべきこととおぼし慰めて、さりげなくてものせさたい〈んお仕えしにくい折々 がございますが。その事情は一八 けしき ハーに述べられていた。 せたまへ。あまりならば、あやしと人も気色見はべりなむ。かくても、いとさ 六 六中の君おひとりのおいたわし ひとところ さから。「所」は高貴な人を数える ぶらひにくきをりをりはべれども、一所の御心苦しさに、一日ばかりの隔ても 助数詞的接尾語。おひとり。ここ なにごと おぼっかなく覚えはべりてこそ、何事も聞き知らぬゃうにて過ぐしはべれ。よは中の君をさす。 セ後れて伸びた短い毛。 れい にうしろめたきことはきこえさせじ。例のやうにはればれしくもてなして、も ^ 「凝り合ふ」は、寄り集る意。 九「こちたし」は外見がことごと しい、うるさいの意。ここは髪が のせさせたまへ。さらになおぼし入れそ」と、うち泣きつつ慰めきこゆれど、 長すぎるさまをいう。 そむ みぐし ひおうぎ 一 0 檜扇の一種。檜扇は檜の薄板 顔に袖を押しあてて背きたまひぬる、姿の限りなくをかしげなるに、御髪は、 の上部を絹の白糸で綴じて親骨の あ ひま すち いただきすゑ ところで紋様に結んだもの。五重 頂より末までいささか後れたる筋なく、つやつやと隙なく凝り合ひて、長さ 扇は板の開く巾を狭く綴じ、一重 いっへあふぎ たけ はこちたくもあらず、丈に五六尺ばかり余りたまへる末の、五重扇を広げたら ( 薄板八枚 ) の五倍の板数を重ねた ものという。閉じた時はもちろん、 たぐひ 広げた時にも分厚い感じになる。 むやうに、きよらに多く凝り合ひて、類なくめでたし。 とか す ひとひ す おもて ひのき

6. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

む」と、うち傾きつつ、物をきこえ止みて、「めでたの人の御様ゃ。我、女に高どれほどにすぐれた女性が。 一五自分が女であって、大納言が きさき て、かばかりうち覚え、ながめたらむを見ては、いみじからむ后の位をも捨てこれほど思い人ったり、物思いに 沈んでいるお姿をみたら。男が男 こずゑうぐひす なび の美しさを評価するとき、「女に て、靡き寄りなむかし」と、つくづくまもり人りたる。花の木末に、鶯のいと て : こといった表現をよく用いる。 一六何ものにもかえがたいことを はなやかに鳴きたるに、 いう強調表現。類似の表現は『更 級日記』や『浜松中納言物語』にも 大納言我がごとや花のあたりにうぐひすの声も涙も忍びわびぬる 見える。 とひとりごっままに、涙もこぼれぬるを、さりげなく紛らはして立ちたまひぬ毛「まもり人りたる」で連体止め とみておく。『大系』は、ここで掛 たぐひ けしき る気色の、もの深くあはれげなるさまぞ類なき。「さればよ。えならずおぼす詞のようになって大納言に主語が ニ 0 転換したものとする。 御心のうちなりかしーと耳とどまれど、我があたりに係ることとは思ひ寄らず入「うぐひす」に「憂く、をひびか せる。 一九宰相中将の心中表現。「えな かし。 らず」は、ひとかたならずの意。 かげ ニ 0 自分の身内に関わることとは。 一夜の名残り、人間に、陰につきて窺ひたまふ気色の、い き〕中の君側、以後警 ひま 戒し大納言を近づけす といみじくわづらはしければ、つゆの隙あるべくもあらず。 = 一大納言は、忍び入った先夜の ことが心から離れず。 さうじ うへ 中の障子も、上の渡りたまふをりならでは、つと掛け固めて、いささかの風の = = 「人間」は、人のいないすき。 ニ三中の君側はわずかなすきをつ こころ・う くることもできない。 迷ひもあるべくもあらずのみもてなせば、いみじく心憂けれど、げにそれもこ 品しつかりと錠を下ろして。 す とわりなれば、夜は寝覚め、昼はながめ暮らしてのみ過ぐしたまふ気色、いみ = = 大納言はひどく辛いが。 かたぶ よるねざ ひとよ ひとま 一七 わ うかが 一五

7. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

って親しもう」と思う当てがあったりしたからこそ、わずになって教え、心をお配りになりつつ、「私を見たことが ある人だと覚えておいでになりますか。あの夜のことを心 幻かに心を慰めてきたのだが、別人と見定めた今となっては、 ゆくえ に深く思っています」などと、そっと声をひそめておっし この恋い焦れる心はどうしたらよいのか、行方も知らず、 むしよう やると、娘は、「あっ、それでは : : : 。考えてもみなかっ 寝果てもなく、あの夜限りの縁だったのかと無性に寂しさが の こみ上げてくるのだが、「とにかく、この娘はあの夜の女た : : ・。気味悪いと驚きあわてたのは、このお方であった 夜 性とまったく無関係ではあるまい。そうだ、せめてこの娘のか」と思い合せたので、ひどくぎごちなく遠慮がちにな って、とっさに答えも出ない。「しばらくの間はこんなふ を私になっけ語り合って、あの人の行方も自然にわかるよ うだろうが、私になじむようになれば、きっとあの時の女 うにしよう」と思うので、あの時の人でなかったからと言 性のことも話してしまうだろう」と中納言はお思いになっ って、それほどひどくも後悔はされなかった。 て、娘に始終親しく付き添い、気を配っていらっしやる。 〔 = こ幻の女を解く鍵、その後中納言は参内なさるたびに、 こうした中納言を、中宮の方では、「ひそかに思いをかけ 但馬守娘の世話をやく中宮にも、「思ったほどでもないと ておいでだ」と、受け取っておられるようだ。娘の局に仕 お思いになりましても、特に召し出したのですから、お心 える付添役も、親の期待を聞いていたので、「中納言が、 にかけてやってください」とお話しになるので、「どうし いつも御親切にお見えになります」と知らせるのを、親た て、期待はずれなどと思いましよう。これほど美しい人は、 ちも、「思ったとおりだ」と、うれしく望みにかない、胸 なかなかいないものです。欠点と思われるところもなく、 をときめかせては娘のこの上の幸福を願い祈り、「同じこ 好ましく思われます」とおっしやると、「いや、月の光で 見ました時より、格段と劣っています。どうも月の光に特となら、このまま宮仕えに落ち着かせよう」と考えて、そ つをね のままに里へは退出させない。衣装なども目を見張るばか 別ひきたつ人のようで : : : 」と笑っては、娘のいる局にも ととの しばしばお立ち寄りになって、「どうですか。宮仕えにおり、次から次へと調えて力を入れてお仕えさせた。 慣れになりましたか。そうなさい、こうなさい」と、親身

8. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

あ ここち 心地には思ひけり。かたみになっかしく覚えて、風涼しく月明かき夜、山里め一中の君と娘は互いに。「なっ かし」は、心がひかれて離れがた い、寄り添っていたい感じ。現在 かしくおもしろき所なれば、端近くゐざり出でて、物語などしたまひつつなが の懐古の意は中世以降といわれる。 ニ僧都の九条邸の東隣をいう。 寝めたまふ。御物忌は十七日なりければ、これは十六日の夜なり。 三それもなんと今日という日に。 くれたけ ひんがし 夜 東に、ただ呉竹ばかりを隔てたる所に、左大臣殿の中納偶然の一致を強調するのである。 〔 0 中納言、たまたま 四「飽く」は満ち足りる意。「飽 めのと めのと 東隣に乳母を見舞う 言殿の御乳母の月ごろわづらひけるが、ここに渡りて尼にかずいみじ」は、乳母の尼の、権 中納言との別れを名残惜しく悲し とぶら なりにける、訪ひに、それも今日の、いみじく忍びやかにておはしたり。「飽いと思う気持。 五「いと近く」は、「いとおもし みす かずいみじ」と思ひきこえたるも見過ぐしがたく、程なく帰りたまはむも心苦ろく聞こゆるに」にかかる。 六「琴」は弦楽器の総称。後の記 そう しうおぼされければ、その夜たちとまりたまひつるに、夜更けて人静まりぬ述から箏の琴、琵琶、和琴である ことがわかる。 七ああ、思いがけないことだ。 るほどに、いと近く、吹き交ふ風につけて、琴の声、一つに掻き合はせられて 「覚えな」は形容詞「覚えなし」の語 いとおもしろく聞こゆるに、おどろきたまひて、「あな、覚えな。誰が住む所幹。感動表現。 〈係助詞「なむ」は一般には連体 にふしゃうじそうづ ゆきより めのとご ぞ」と、問はせたまへば、御乳母子の少納言行頼ときこゆる、「法性寺の僧都形で結ぶが、ここでは「住みさぶ らふなり」 ( 「なり」は伝聞推定、終 たちまのかみときあきらあそんむすめ八 みなづき りゃう の領ずる所には、この六月より、今の但馬守時明の朝臣の女なむ、渡りて住み止形 ) で結ぶ。係結びがこの物語 ではややくずれ始めている。「さ さぶらふなり。月明かき夜は、かくこそ遊びさぶらへ」ときこゆれば、「それぶらふ」は丁寧語。「はべりに比 べて、より改った目上の人への会 むすめ が女どもは、かかる事や好む。思はずの事や」とのたまへば、「かやうに出で話に用いられている。 ( 現代語訳一九三 ) ものいみ こ六 と ふ た

9. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

夜の寝覚 52 一期待はずれにお思いになりま 参りたまひたるごとに、宮にも、「恋ざめにはおぼしめさ 〔三一〕幻の女を解く鍵、 しても。「恋ざめ」は本来恋愛に用 但馬守娘の世話をやく いる語。中納言の本心を含め、中 るとも、わざと召したるものを、御心とどめさせたまへ」 宮に気のきいた言い方をしたもの。 かた と申したまへば、「などてか、こよなく思はむ。かばかりなるこそ、人は難け = どうして格別劣っていると思 いましよう。反語。 れ。後れたりと見ゆるところなく、めやすかめり」とのたまはすれば、「いな = これ程の人はなかなかいない ものです。 や、月影に見たまへしよりは、こよなく劣りにたり。月映えする人にこそあめ四「後る」は、人に後れている、 劣っているの意。 つね れーとうち笑ひて、局にも立ち寄りたまひつつ、「いかに。さぶらひっかれぬ三「局」は宮仕えの女房の居室。 ここは但馬守の娘の部屋。 ゃ。とあれ、かかれ」と、まめやかに教へ、用意したまひつつ、「見し人と覚六宮仕えにお慣れになりました か。「さぶらひっく」 ( 宮仕えに慣 れ落ち着く意 ) の末然形に、親し えたまふや。その夜をあはれと思ふぞ」など、忍びつつのたまへば、「さは、 みを込めた軽い敬語「る」の連用形、 あさましく、むくつけしと思ひまどはれしは、この人にこそ」と思ひ合はすれ更に完了「ぬ」の終止形、疑問「や」 が添ったもの。 みな ば、いみじくもの慎ましげに、答へもせず。「しばしはさこそあれ、見馴れなセそうなさい、こうなさい。 「かかれ」は「かくあれ」の約。 ば、かならず言ひてむ」とおぼして、馴れむつれ、心寄せわたりたまふ。宮の ^ 私のことを見たことのある人 だと覚えておいでになりますか。 こころう 一 0 うしろみ すち 御方には、人知れぬ筋におぼしたるとぞ、心得べかめる。局の後見にはべる人九中納言はひそかに但馬守の娘 に思いをかけておいでだと。 も、親のあらまし事を聞き置きたれば、「中納言なむ、つねにねんごろに見え一 0 但馬守の娘の部屋に付添役と して仕える者をいう。 させたまふーと語れば、親どもも、「さればよーと、うれしう本意ありて、心 = 親の但馬守が娘にかける期待。 く よ こた 六

10. 完訳日本の古典 第25巻 夜の寝覚(一)

くのなら、それほど心に留ることもあるまいが、平素少し になって遠慮されることがかえって不愉快で仕方ありませ ん」と、おっしやるのを、「どうしてこんなはしたない言無愛想で、親しみにくく、しつかりしている人が、こらえ さわ きれずにここまで気弱に見えるのは、よくよくお心にこた 葉をわざわざ口にされるのかーと思うと気に障って、わざ と平静を保ち、流し目をくれて御覧になると、情がこまやえてのことだろう」と思うと、大納言は、ひどく罪なこと をしたようで、気の毒でもあり、いじらしくも感じて、大 かで親しみやすくかわいいといった点こそないが、整った 君のそばに寄り添って、たいそう優しくお慰めになる。そ 美しいお顔で、怒りを抑えきれないでいる目もとのあたり の様子が、まことに優美で優れているので、大君は「まし が、興奮からか、ぼっと赤みをさしているのが、いつもよ て中の君には、こうした優しい様子で、心の限り愛情を見 り新鮮に、ああ美しいと見えるのには、さすがに目がひき せていらっしやるのだろう。だとすれば、あの人だってど つけられて、「何を、どのようにおっしやっても、まった んなに深く思っていることだろう」と、またしてもそちら く身に覚えのないこと。いったい誰が告げロしたのでしょ ねた にばかり気をお回しになるので、少しも心が慰まず、妬ま う。いやな聞きにくいことばかり、次々と耳に入ってくる あふ しさの余り、ますます涙が溢れて、 ものだ。私にとってはともかく、あちらの方の御ためには、 ごろも あま衣たちわかれなむと思ふにもなに人わろく落つる お気の毒ともお思いにならないのですか。私も男だから、 涙ぞ なるほどそんなふうに浮気をしてもよかったなと、かえっ ( 尼に身を変えてあなたとお別れしようと思いますのに、ど て思うようになってしまいましたよ。耳障りな噂は、たと うしてこう恥ずかしいほどに涙がこぼれるのでしよう ) え人が口々に言い立てても、まさかそんなことはと、お気 とおっしやる気配など、まことにしっとりと奥ゆかしい風 を鎮めて、お見きわめになるがよい」と、恥ずかしくて二 巻 の句がっげないほど平静におっしやる大納言の態度に、大情で、このお方もまた並ひと通りの女とは違って優れた御 9 君はいよいよ興奮して言いつまったと思うとほろほろと泣様子なので、大納言は、ひどく心が咎めてかわいそうにな り、御自分も思わず涙ぐんで、「わが君よ、どうして、そ き出してしまわれたのを、「ほんに、まだごく若い人が嘆 とが