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検索対象: 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)
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1. 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)

445 系図 帥の宮 女二の宮 ( 斎宮 ) 女御腹 朱雀院 ( 院の上 ) 左大臣 式部卿の宮 按察使大納言ー女 源氏太政大臣 ( 入道 ) 女御腹 女 ( 母上・故上 ) 宰相 〇 女一の宮 ( 一品の宮 ) 宣耀殿女御 承香殿女御 △ 宮の中将 ( 源宰相中将・右衛門督中納言・入道右衛門督 ) 左衛門督中納言 ( 権大納言 ) ー弁少将 ( 右大将・頭 ) 右宰相中将 ( 中納言・陸奧按察使大納言 ) 蔵人少納言 帥の宮ーー女 大君 ( 姉君・大姫君・中納言の上・大納言の上・故上 ) 囚ー△ 中の君 ( 小姫君・北殿・殿の上・関白の上・寝覚の上・広沢准后 ) 注 2 法性寺の別当 ( 僧都・山の座主 ) 但馬守の妻 と・さあ , り 但馬寸時明朝臣 対の君 ( 御方・大弐の北の方・民部卿の上 ) 注 4 大弐中納言 ( 帥・民部卿 ) ゅ、きあ、ら 注 3 行明 ( 右近の将監 ) 右中弁妻 蔵人少納言妻 三の君 ( 新少将 ) 若君 △ 女三の宮 ( 女宮 ) 小姫君

2. 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)

一無視なさるだけのこと、の意。 いかがはせむとおぼし消つばかり」と、うち笑ひ、たはぶれきこえたまふ。 ニ寝覚の上の返事。出家は心の ここち 「心の中に少しは思ふことなれど、あぢきなく世を厭ふ心もなかりき。心地の中で少しは考えていることですが。 三寝覚の上自身は。 寝苦しかりしかば、永らへもやするとてこそ思ひたまへ寄りしか」と、ほほ笑み 0 出立の時刻が近づくのである。 の 五内大臣の心配。寝覚の上が出 夜たまへる御にほひ、見るかひありと、尽きもせず見たてまつりたまふ。「人道家を決意せぬかと恐れるのである。 六寝覚の上はまことに不本意で、 む かたけさ 殿は、姫君の御方に今朝よりおはしますーと聞きたまへど、我はなかなか向か斎宮に対しあるまじきことと。 七以下、父人道の心中表現。 ひたてまつりたまはず。暮れゆくままに、外には騒ぎ立ちたれど、「なほあぢの . 「」は、中国渡来の七弦無柱 の琴。村上朝頃までは重んぜられ はな あや たが、その後急速に衰え、平安中 きなくと、世をおぼし立ちもやする」と、うしろめたく、危ふさに、立ち離れ すた 期以降は廃れていたといわれる。 せうそく たまはねば、斎宮に御消息ばかりにて、御対面もなきを、いと本意なく怪しと九石山の姫と小姫君のお二人。 一 0 「上」は、ここでは内大臣の北 かな おぼしながら、はかなき御事も心にも叶はず。暮れぬる紛れにぞ、人道殿の御の方の意。これまで寝覚の上が 「上」「殿の上」と呼ばれる時は、 ことば 前にゐざり出でたまひても、はかばかしく一一一口葉続きてきこえたまふこともなく、「故関白殿の上」の意であった。こ の時から内大臣と寝覚の上との仲 たいわうみや 尽きせずおほどかなる御もてなしを、「大皇の宮、いとさがなくきこえおはすは夫婦として世間の認めるところ となったのである。「たてまつる」 る宮なり。いかなる事かあらむ」と、うしろめたく見たてまつりたまふ。姫君は「乗る、の尊敬語。自動詞。 = 後ろに少将が陪乗する。「少 一り・ からきん おくりもの の御贈物に、いともの深く籠め置きたまへりける唐の琴など、この折にぞ引き将」は、寝覚の上側近の女房。 一ニ御前駆の者。 一三たいそう立派で、ことごとし 出でたまひける。 四 たいめん いと 六 五 お こひめ

3. 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)

夜の寝覚 26 かた に、ついでなくては難かるべきを、苦しきまでおぼし嘆かせたまふに、その年一「司召」↓田七七謇注一一。 ニ寝覚の上をさす。 こきぞん たいわうみや かさめし 三以下、内大臣と寝覚の上に対 の司召二月にありければ、大皇の宮人らせたまひて、弘徽殿におはします。 する大皇の宮の心中表現が続く。 とのゐ うちおとど のち この人、内に参りにし後よりは、内の大臣の御宿直がちなるを、「なほ、あ四「これ、は、内大臣。寝覚の上 は内大臣に深く思いを寄せて。 るやうあるべし。我が見る前をつくろふにこそありけれ」と、「これに深く心五大皇の宮が寝覚の上に、朱雀 院妃になるよう勧めたことをいう。 はな けしき ↓一五ハー注一三。 寄せて、我が思ひ寄り勧むることは、殊の外にもて離れたる気色も、いと憎く、 六内大臣が寝覚の上との仲を公 妬し」と、おぼしめせど、「いとさらば、え人持て出づることもなからむほど表できないでいるうちに。「人」は 内大臣をさし、「持て出づるーは世 間に二人の仲を公表すること。 に、なほ、いかでほかざまにしなしてしがな」とおぼす御心、つねよりもまさ 七登花殿は弘黴殿の北隣であり、 るころなれば、いと近きほどにて、ねんごろにうち仰せられなどすれども、い寝覚の上は居所として弘黴殿の北 面をも使用していた。↓一九ハー。 しうね 八大皇の宮は寝覚の上に。 と執念く、また、さまでおぼし寄らせたまふらむとも、思ひ寄らずかし。 九大皇の宮が実に執念深く、ま 一 0 たいおうみや たそこまで考えをめぐらしておい 「たづきも知らぬ心地して、心細く覚えはべるに、人らせ 〔一三〕大皇の宮、寝覚の でになるとは、寝覚の上は思い寄 上を帝に見せんと謀る たまふと承りしより、いと頼もしく。さても暮れに、みづらなかったのだった。 一 0 以下、寝覚の上の大皇の宮に なにごと 宛てた挨拶の文面。「たづき」は寄 から参りて、何事をも」 る辺、頼りの意。 とある御文を、上おはしますほどにて、「いとしもっくろはぬ書きざまも、世 = 帝が大皇の宮のお部屋に。 一ニ格別取り繕ったところのない かた にめづらしくはべる人かな」と、置きがたう御覧ずるに、内の大臣の方ざまに筆つきも。先の帝 ( の返事 ( 二三 ねた ふみ わ 六 四

4. 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)

かた まひつつ、めづらしくいみじきに、明くるも知りたまはず。督の殿の御方に渡一五久々の逢瀬でひとしお寝覚の 上をいとおしく感じるのである。 もやみす りたまひて、若宮見たてまつりたまふ。御方々は、母屋の御簾のうちに、近く実督の君の妹達。 宅ここにも脱文が考えられる。 ひさしす おはしますに、廂の簾のⅡ Ⅱ後に「上も」とあるところから、右 一九 大臣が督の君の眛達、特に次女 うへ ニ 0 えもんのかみ ほす。上も、かの御契りのこよなかりけるは、人の怠りならねば、言ふかひな ( 衛門督の上 ) に関心と同情を抱い たことなどがあったと推測される。 ありさまわ お し、おほかたの有様、我が御心ざしは、督の君に落としきこえむことはいと心穴「思ほす」などとあったか。 一九寝覚の上も。 わたくしもの かた なにごと 苦しうて、私物に、この御方をぞ思ひきこえたまふ。何事もまづきこえ合はせ = 0 「かの : ・言ふかひなし」は挿入 句。衛門督の上の・こ運が格段に劣 たまふに、もの深く、言ふかひあるかたも、いと目安くものしたまへば、さらっていたのは、本人の落度ではな いので仕方がない、の意。 ぬ顔にて殊に御心寄せを浅からず見知られたまひても、身のみ口惜しく覚ゆれ = 一衛門督の上の一般的な暮し向 きや、寝覚の上自身のご愛情は。 をとこぎみおまへ ど、思ひ知り顔ならむもなかなかなべければ、男君の御前にてはただおほどか = = 衛門督の上は。 ニ三寝覚の上がさりげない顔で特 にお寄せになるご愛情を浅からず なるさまにもてないたまへるなどぞ、いと目安う見えたまへる。 お感じになるにつけ、の意。「御 すざくゐん ニ七 朱雀院には、名残り遠くなるままに、宮のいといたく心細心寄すを」とあるとわかりよい。 五〔〕右大臣と女君との 品寝覚の上と間違えて盗み出さ よが 仲、表面平穏に過ぎる げにおぼし乱れたまへるを、この程は夜離れなく慰めたてれ、その人の妻となった身をいう。 巻 孟「男君」は、夫衛門督。 実崩御後、日が経っことをいう。 まつるべきものとおぼせば、あなたがちに、しげうものしたまふを、女君も、 毛「宮」は、女一の宮。 さるべきことわりとみなおぼし知り、いみじからむことをも、心よりほかに漏天どんな辛い事をも、の意。 一七 かん 一六かたがた かんとの くちを おうせ

5. 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)

337 巻四 ( 原文一〇三 ) と、いかにも優雅に口ずさんでお帰りになる御様子、寝覚がちであったろうに、この人のおかげで慰められた思いも し、しみじみとした思いにも浸るのだった。折からほのぼ の上もさすがに耳に残って、その後はそのまま寝つくこと こうし のと夜は明けたので、御前の格子を一枚だけ上げさせて、 ができない。 しつこう さいしようのちゅうじよう 〔一 = 〕寝覚の上、宰相の宰相中将の上も、内大臣が案内お二人とも縁先に膝行して出て行かれたところ、名にし負 あけの う春の曙の空は一面に霞みわたって、今花のほころび始め 上と身の上を嘆き合うを請われて以後、目が覚めた様子な る木々の梢は、たとえようもなく趣のある時期で、寝覚の ので、隠しようもないことを、素知らぬ顔でいるのもいや 上は思わず、昔、西山で「見しながらなる」と口ずさんで なので、まさか実はこれこれとまで詳しくは話さないが、 たいおうみや は物思いに沈んでいたころの嘆かわしさ、身の境遇などを 大皇の宮のおたくらみの恐ろしいことなど、宰相の上がそ れと察しられる程度にほのめかして、思いも寄らぬわが身思い起すと、「あのころだとて、並大抵の苦しさではなか ったのだが、もう過ぎてしまったせいでこう思うのか、こ の上よと、寝覚の上御自身の嘆きを深くこめながらお話し のごろほどの苦しい思いはしなかったのに : : : 」と思い比 になる。宰相の上は、度を過したロ出しこそなさらないが、 がい べられて、どうしても涙をこらえることがおできにならず、 万事たいへんよく心得て、話し効があり、しみじみと心の 通った答えをして、御自身が、親のかねて考え定めておか何につけても、常に嘆かずにはいられなかった年月が、今 たど れたところと違った運命を辿ってしまい、情けない思いを朝は、「うらやましくも」と詠まれた波よりも激しく立ち しながらも、愚痴をこぼしたところで仕方がないと深く思返り、恋しく思われるのだった。 朝ぼらけ憂き身かすみにまがひつついくたび春の花を いつめずに暮している様子などを、これも我賢しと言い続 見つらむ けたりするわけではないが、ただその顔色から「果てしな なが ( 明け方霞にかすむ春の花を眺めると、辛いわが身がこの霞 悩み続けておられるようだ」とうかがわれるので、寝覚 のようにはかないものに思えて仕方がない。曙の春の花をこ の上も身につまされてたまらず、思わず涙に沈んで、もし んな思いで眺めては幾年月を過してきたことだろうか ) 今夜一人だったら、いつもより心を尽し気をもんで寝覚め

6. 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)

夜の寝覚 444 ・は血縁関係、 ・】は婚姻関係を示す。 一、系図は、現存の巻々を中心に作成した。 一、人物名は、原則として現存本文初出の呼称を用いた。以後に現れるおもな呼称は、 ( ) 内に記し た。ただし、紛らわしい場合、あるいは問題のある人物については、注で処理した。 一、現存本文では明確にしるされていないが、諸資料によって確実に原作に存在したと思われるもの は系図に取り入れ、 ・またはで示した。また、人物名は、中間欠巻部分のものには〇を、末 尾欠巻部分のものには△をほどこした。ただし、これらの呼称がそのまま原作に用いられていたか どうか、疑問のものもある。 一、現存本文のほか資料として用いたものは、「寝覚物語絵巻」「無名草子』「拾遺百番歌合」「風葉和 歌集」である。改作本は原則として採用していない △ 権中納言 ( 男君・大納言・大将・内大臣・内の大殿・右大臣・若関白・関白 ) 上 ( 尼上 ) 三位中将 ( 新大納言・大将 ) △ ' : 関白左大臣 ( 大殿 ) 后 ( 中宮・女院 ) 内侍督 ( 督の君 ) 一北の方 △ 〇 宰相中将の上 ( 中の君・右衛門督の上・対の君 ) ! 故殿 ( 老関白・故大臣・前の関白大納言の上 ( 大将の上 ) 四位少将 梅壺女御 △ △ 帝上・内の上・冷泉院・山の帝 ) 右大臣 宮の大夫 大皇の宮 ( 后の宮・大宮 ) 系図 左大臣 ) △ 東宮 ( 帝 ) △ 宣耀殿女御 = △ 若宮 ( 東宮 ) 一 女一の宮 女二の宮 △ 石山の姫君 ( 后の宮・中宮 ) △ 若君 ( まさこ・三位中将・ △ △ 中納言・右大将 )

7. 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)

よそよそしいようで : : : 」とお思いになるので、お知らせ れんばかりなのを、じっと堪えて、再び何かと申しあげる さいしようのちゅうじよう 3 こともなさらない。 になると、宰相中将の北の方や新大納言の北の方なども うわさ いきすだま お越しになって、姫君のお相手をなさり、この上もない姫 覚〔 = 巴寝覚の上、噂を知生霊などと悪い噂が一度立ち始めて かげ 寝らす石山の姫君と睦むしまうと、時とともにただもう寝覚君の御様子を、ほのかな灯影に愛らしく拝見しながら、夜 みちょう の はみな一つ所にお集りになり、昼は御帳の中に女君と姫君 の上にとって聞きづらいことを口々に言って、夢語りなど 夜 ひいな たいおうみや とお二方で、絵を描いたり雛を作ったりなどしては、姫君 をまことしやかに言い出すたびに、大皇の宮は、しめたと ばかりに、これを利しては悪くとりなし、寝覚の上と内大にお見せになっておられる。 たぐい さしず 臣の仲を裂こうとお考えになり指図なさっておられるさま〔 = = 〕寝覚の上生霊の噂姫君は、母君のことを、「類なく立 に撃を受け、苦しむ派で、すばらしいお方」と思い申し がまことに厳しい、その厳しさにお従いしなければならぬ あげて、ここはしばしの開在で当然帰らねばならぬものと わけもないが、女一の宮がこのように重態でおられる際に、 も思い立たれないのを、寝覚の上はまことにいとおしく御 たっておろそかにして顧みないというのも、ひどく情には ずれた仕打に違いないので、内大臣は、心もそぞろに寝覚覧にもなりお思いにもなるのだったが、そこへ降ってわい たような生霊の噂、ーー女一の宮の邸内でも言い騒げば、 の上のことばかり思いながらも、御病床に付き添っておら ごぶ れるのだった。一方、北殿では、無理もない内大臣の御無世間でも驚きあきれ、大皇の宮が悲嘆にくれて仰せになる 沙汰とお思いになり、つい恨んでしまうといったお気持は様子やら、内大臣殿が衝撃を受けられた有様などを、ある ことにも枝葉をつけ、ないことをもまことしやかに、こん さらさらなく、日がたつにつれて、石山の姫君が次第にな じんでこられて、心から楽しそうに語り合っては、慕い遊な折には言い広がるもの、詳しく誰かが寝覚の上にお告げ へきれき したので、まさに青天の霹靂、女君は心底から驚きあきれ、 んでおいでなのが、寝覚の上には実にいとおしく、万事心 目のくらむような思いをされるのであった。 が晴れて、「姫君がおいでのことは、内証だが、様子は自 寝覚の上は思う。「昔から今に至るまで、和泉式部の歌 然どなたも見聞きしておられるだろうに、黙っているのも ( 原文一三六 )

8. 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)

243 巻五 ( 現代語訳四一一八ハー ) とのうへ ふ。殿の上の、いと程なく、小さき御身に、ところせく、よだけげにて、臥しい、窮屈だ、の意。「よだけげ」は、 たいぎ 大儀そうなさま。いずれも出産間 起きも心安からず、いと悩ましげにおぼしたるを、めづらしくめでたしと、か近の身重なさまをいう。 宅大納言の上と宰相中将の上。 さいしゃううへ ともに督の君の妹。 たみに浅からず見交はいたてまつりたまひつつ、大納言、宰相の上もみな渡り 穴内大臣邸の督の君のお部屋に。 つど ものがたり て、待ちきこえたまひければ、一つにさし集ひて、月ごろの御物語に悩ましさ一九督の君宛の手紙に同封した帝 から寝覚の上への贈歌。「あらば あ っとめてうち つか れい ・ましで反実仮想。「つらきを」 も紛れて、明かしたまひつ。早朝、内より御使ひいと疾くあり。例の御文の中 は、つれないあなたを、の意。 にて、 ニ 0 寝覚の上は、こうまで帝を避 けようとしている自分を我ながら 一九 おそ 帝に対し畏れ多いとまで感じたと 帝忘らるる時だにあらばなにさらにつらきをせめて恨みざらまし いうのである。「るる」は自発。 ニ 0 ニ一寝覚の上は。 とあるを、まいていと悩ましきに、なにとかは見人れたまはむ。我ながらかた 一三内大臣は。 じけなきまでぞおぼし知らるるや。 ニ三余程のことでなければ寝覚の 上のもとからお出にもならない。 日に添へていと苦しげにて、をさをさ起き上がりなどもし品以下、寝覚の上を心配する内 〔至〕寝覚の上の出産近 大臣の言葉。「さきざきーは、石山 く男君極度に心配する たまはぬを、「いかにおはせむ」と、心地も騒ぎたちたまの姫やまさこ君出産の折をいう。 ニ五不吉なことを経験してきたの おおいぎみこひめ で。具体的には、大君が小姫君出 ひて、このごろは、おぼろけならでは、さし出でもしたまはず。「さきざきも、 産直後に亡くなったことをいう。 かくやものしたまひし。ゅゅしきことを見ならひしかば、いくらもいくらもか 実このようなかわいい子供が生 れるのは、の意。 ニ七 ふた からむ人のあらむは、厭はしかるべくもあらねど、月日の過ぐるままに、胸塞毛産み月が近づくのをいう。 いと 一七 ニ四 ふみ 一八

9. 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)

ここち せたまひて、御対面どもあり。人道殿は、なにばかり苦しげにはあらぬ御心地一「斎」は、僧の食事。 8 ニ寝覚の上を珍しく思われて。 とき なりけれど、御斎御覧じ人れで、いとか弱くなどぞおぼしめされつる。めづら三「あたらし」は、惜しい、の意。 四寝覚の上の長兄。 覚 よはひあり 寝しく、待ちょろこび、見たてまつりたまふにも、ただ今十五六ほどの齢の御有五故関白のご在世中に思うまま の に出世なさったので。「にほひ出 さま 夜様とのみ、若くうつくしげなること、いにしへよりも光添ひて、にほひまさりづ」は、ここでは恩恵を受けて出 世することをいう。 くちを たまへるを、見たてまつりたまふ、目もくれて、あたらしく口惜しとのみ思ひ六寝覚の上のお陰でこそ名誉あ る地位につけたのだった、の気持。 おおいぎみ 七昔、大君に味方して寝覚の上 きこえたまふ。 つら に辛くあたったことをいう。 わ 権大納一言も、故殿の御世に、我がままににほひ出でたまひしかば、「この御八寝覚の上に対する悪口を。 九権大納言以外の人は、差し出 こころおき て。「きこえ出づるーにかかる。 陰にこそ、面立たしきものなりけれ」とおぼせば、いにしへの心掟ても悔しか 一 0 関白北の方。寝覚の上をいう。 りければ、今はきこえ出でたまふこともなきなるべし。それよりほかは、差し = 故関白北の方であり督の君の 母という高い身分や一一十七歳とい たれ うへ 越え、誰かは殿の上の御事とては、さばかりになりたまひぬる人の御事を、きう年齢をいうのであろう。 = 一一五五ハー一四行目以下の寝覚 の上からのご返事をさす。 こえ出づる人のあらむ。 一三「たましひの : この歌でほのめ うちおいどの 内の大殿は、ありし御返りをうち忍び見たまひて、「にはかされた様子では、の意。 いきすだま 〔哭〕内大臣忌明けを待 一四寝覚の上が生霊の噂を聞き知 ちかね女君を追う っていたとなると、の気持。 かに、音もせでも渡りぬるかな」とおどろかれたまひぬる 一五寝覚の上が、止めようがない けしき に、「ほのめかいたまひつる気色の、この憂き事どもを聞きたまひてけるなめまでに世を厭い果ててしまったで かげ おもだ たいめん 五 ことの 九 かん

10. 完訳日本の古典 第26巻 夜の寝覚(二)

て、残りなからましかば、この御ためなど、いかに心苦しからましーなど、胸一帝と契りを結んでいたらの意。 ニまさこ君の御ためなどにも。 のみつぶれて、返る返る隙なう恨み尽くさせたまふ御文も、督の君の見たまふ三帝のお手紙。 四「百敷」は、宮中。 - も - も 寝らむことさへ、かたはらいたうて、「いかで、かかる事を見ず、疾く、この百 = 寝覚の上の長兄。 六あなた ( 寝覚の上 ) ご自身は。 はな しづどころ 夜しき 敷の内を離れなばや」と、暮れゆくも静心なきままに、権大納言の参りたまひセ「一世の源氏」は、皇子で臣籍 に下り、「源」姓を賜った人をいう。 こよひ ごこち つるに、「乱り心地のいと悪しくはべるに、今宵なども、まかでなばや」ときこの物語では寝覚の上の父太政大 臣がそうであった ( 田一一ハー ) 。寝 てぐるませんじ こえたまへば、「げに久しうならせたまひぬかし。など輦車の宣旨は、渋らせ覚の上はその娘ゆえ、本来一一世の はず。ここは、一世源氏の家の者 みかどむまごさき たまふにか。我が御身、一世の源氏、近き帝の御孫、前の関白左大臣の上にて、の意で言ったものであろう。 ^ 寝覚の上の父は朱雀院と兄弟 かた ( 田一一ハー ) 。したがって寝覚の上 輦車許されたまはむ、難かべきことかは。いとあやしーと、うちつぶやきて、 は先々帝の孫にあたる。 ない おとどおまへ 九正妻。北の方。 案内申させたまへば、大臣も御前にさぶらひたまふ。 一 0 輦車の許可の請願を取り次が せたところ。「せ」は使役。 故関白殿の女房、患ふことありて、まかでたまふべきを、車許させたまふべ = 寝覚の上をいう。帝奏上に際 き由、毳花殿の内侍督、申させたま ( る由、頭の弁奏するに、上の御顔の色移し形式ば。た呼び方をしたもの。 一ニ権大納言は、寝覚の上退出の ろはせたまふ。殿はた、「疾くも出だいてばや」とおぼせど、昔より聞き置か願いを、娘の内侍督からのものと して取り次がせたのである。 こと ・ヘんかんくろうどのとう せたまへる事あるにより、かたはらいたくて一一一口交ぜたまひにくけれど、いと心一三「頭の弁、は、弁官で蔵人頭を 兼ねた者。宮中において帝との間 もとなさに、「許させたまひたらむに、なんでう事かさぶらはむ」と申したまを取り次ぐ重要な職。 かへがヘひま と 八 一五 かん