からともなく現れた。五十歳ほどのが一人、それに二十歳えあれほどだったから、まして山中の恐ろしさは、何とも からかさ ほどのと十四、五歳の遊女だった。人々が宿の前に傘をさ言いようもない。登るにつれておのずと、雲も足の下に踏 させて、そこに彼女たちをすわらせた。男たちが灯火をとむような心地だ。山の中腹あたりの、木の下の狭い所に、 旨ロ あおい 日もして見ると、昔、こはたとかいった者の孫だという。髪葵がたった三本生えているのを、「よくもまあ、人里離れ ひたいがみ 級 てこんな山中に生えたものだなあーと、人々はいとおしが が非常に長く、額髪が美しくたれかかって、色も白くこぎ 更 れいで、「まあこのまま、宮仕えの下女などにしても、十るのだった。谷川はその山中に三か所ほど流れていた。や 分いけそうだ」などと、人々が感心していると、その声た っとのことで足柄山を越えて、関山に泊った。ここからは するか よこはしり るや、まったく何にもたとえようのないほど美しく、空に駿河の国である。横走の関のほとりに岩壺という所がある。 澄みのぼるように上手に歌をうたった。人々がたいそう感なんともいえないほど大きな岩の四角なのがあって、その 嘆して、そば近く呼び寄せてうち興じているとき、ある人中の穴のあいている所からほとばしり出る水の清く冷たい にしぐに ことはこのうえもなかった。 が「西国の遊女はとてもこんなにすばらしくはうたえま なにわ い」などと言うのを聞いて、「難波あたりの遊女にくらべ 〔六〕富士川の古老の物富士山はこの駿河の国にある。私の いま かずさ 語に興す 育った上総の国からは西の方角に見 たら、とても物の数ではございますまい」と当意即妙、今 よう えた山である。その山の姿は、まことに世にも類のない形 様ふうに巧みにうたうのだった。見たところが、いかにも である。一風変ったなだらかな山容が、まるで紺青を塗っ こぎれいなうえに、声までたとえようもなく美しくうたっ て、これほど恐ろしげな山の中に帰っていくのを、人々が たようにそびえているところに、雪が消えるときもなく積 きぬ っているので、濃い紫の衣の上に白い衵を着ているように 名残惜しく思って皆泣くのを見て、おさな心にはましての 見えて、山の頂上の少し平らになっているあたりから煙が こと、印象深いこの宿を、明日発ってゆくのまでが心残り に思われた。 立ちのぼっている。夕暮ともなると、火の燃え立つのも見 あしがらやま える。 翌朝はまだ暗いうちから、足柄山を越えていく。麓でさ ( 原文一二二五謇 ) ふもと あこめ こんじよう
宅「しつかりした」意と「鎖せる」、 宮われもさぞ思ひやりつる雨の音をさせるつまなき宿はいかにと つま 「夫」と「軒端」をかける。男の存在 への疑惑と皮肉がこもる。 昼つかた、の水まさりたりとて人々見る。宮も御覧じて、「ただ今いかが 一ハ賀茂川。史書に洪水記事なし。 一九「漬き」。いつばいにひたす意。 水見になむ行きはべる。 ニ 0 「来し」に「岸」をかける。 一九 ニ一「川」に「彼は」をかける。 大水の岸つきたるにくらぶれど深き心はわれぞまされる 一三お言葉だけではつまりません。 ニ三香を衣服にたきしめること。 さは知りたまへりや」とあり。御返、 品宮を幼少時かあ世話した乳母。 ニ五「なる」は伝聞の助動詞。 女「今はよもきしもせじかし大水の深き心は川と見せつつ 実「やんごとなき」に同じ。 毛貴族の私邸に召して使うとい かひなくなむーと聞こえさせたり。 ニ四 うのは、主人に寵愛される特殊な じじゅうめのと たきもの めしうど おはしまさむとおぼしめして、薫物などせさせたまふほどに、侍従の乳母ま女房としてであり、召人という。 「こそ・ : め」は、・ : するのがよかろ うのぼりて、乳母「出でさせたまふはいづちぞ。このこと人々申すなるは。なう、という勧誘の表現。 穴女の男性関係の多さを指摘。 ニ九「びなき」とも。不都合なこと。 にのやうごとなききはにもあらず。使はせたまはむとおぼしめさむかぎりは、 他の男との複雑な関係から、ゆゅ ありき 1 三ロ 召してこそ使はせたまはめ。かろがろしき御歩は、いと見苦しきことなり。そしい事件が起きるようなこと。 日 ↓一四謇注一。宮の世話をす き 部 る忠実な側近。 式がなかにも、人々あまた来かよふ所なり。びんなきことも出でまうで来なむ。 三一為尊親王は悪疫をも顧みず、 こみや うこんじよう 和 すべてよくもあらぬことは、右近の尉なにがしがし始むることなり。故宮をも、和泉式部などに通って薨じたと 『栄花物語』鳥辺野巻に記す。これ あり これこそゐて歩きたてまつりしか。よる夜中と歩かせたまひては、よきことやも右近の尉の先導だというわけ。 一七
いとあはつけいことも出でくるものから、なさけなくひき人りたる、かうして宅中宮御所にいる間は。 穴地味な雰囲気にあわせて、殿 もあらなむとおぼしのたまはすれど、そのならひなほり難く、また、今やうの上人たちもここにいる間は慎んで 実直にふるまっているのである。 きんだち さいゐん 君達といふもの、たふるるかたにて、あるかぎりみなまめ人なり。斎院などや一九それ一途の風流事。 ニ 0 何でもない普通の言葉。 えん ニ一話の内容を趣の深い物語に寄 うのところにて、月をも見、花をもめづる、ひたぶるの艶なることは、おのづ せて聞きとること。 ニ 0 一三殿上人たちは批評しているよ からもとめ、思ひてもいふらむ。朝夕たちまじり、ゆかしけなきわたりに、た ニ三以上の中宮方への批判が、式 だごとをも聞き寄せ、うちいひ、もしは、をかしきことをもいひかけられて、 部自身直接見聞したことではない ということを断ったもの。 いらへ恥なからずすべき人なむ、よに難くなりにたるをぞ、人々はいひはべる 品「かならずーは下の「ひき出で む」にかかる める。みづからえ見はべらぬことなれば、え知らずかし。 ニ五「にくき」の音便。ここは応対 かならず、人の立ちより、はかなきいらへをせむからに、にくいことをひきのまずさによって人の感情を害す るようなことをいう。 出でむぞあやしき。いとようさてもありぬべきことなり。これを、人の心あり = 六「いとよう、は人との応対につ ニ七 いていったもの。上手に応対して おも 己がたしとはいふにはべるめり。などかかならずしも、面にくくひき人りたらむそれで当然のことである、の意。 日 毛小面憎い。とり澄した様子。 ll< しまりがない。ここは人中を 式がかしこからむ。また、などてひたたけてさまよひさし出づべきぞ。よきほど 紫 あちこちとしまりなく出しやばる さまをいったもの。 に、をりをりの有様にしたがひて、用ゐむことのいと難きなるべし。 ニ九まず一例をあげると。以下前 ニ九 みやだいぶ まづは、宮の大夫まゐりたまひて、啓せさせたまふべきことありけるをりに、述の一般論から具体例に移る。 ニ四 けい 一七 一五 こづら
くれないあこめ うわぎ なければならない人もいないのですよ。われもわれもとあ た。みんな濃い紅の衵を着て、表着はおのおのさまざまで おわりかみ れほど人々が自信をもってさし出したことだからであろう ある。汗衫はみな五重のものを着ている中に、尾張の守は えびぞ がさね か、どれも目移りしてしまって、その優劣もはっきりとは童女にただ葡萄染め襲だけを着せている。それがかえって 見分けられない。現代的な感覚をもった人の目には、きっ 由緒ありげな趣のある様子で、衣装の色合や光沢なども、 とすぐにその優劣も見分けがつくことであろう。ただこの たいそうすぐれている。下仕えの童女の中にとても容貌の くろうど ように陰もない昼中に、顔を隠す扇も満足に持たせずに、 すぐれている者が、その扇を置かぜようとして六位の蔵人 大勢の殿方が立ちまじっている所で、まあ相当な身分才覚などが近寄ると、自分から進んで扇を投げてやったのは、 の人たちとはいうものの、やはり人に負けまいと競いあう けなげなこととはいうものの、あまりにも女らしくないの 気持も、どんなにか気おくれがすることだろうと、むしょ ではないかと思われる。もしも私たちを、あの人たちと同 うに気の毒に思われるのは、まったくわれながら融通のき じように人前に出ていよというのであったら、やはりこん かない思いであるよ。 な批評めいたことを言っていても、あがってしまってうろ たんばかみ かざみ 丹波の守の童女の着ている青い白っるばみの汗衫を美し うろ歩きまわるだけでしようよ。私だって以前はこんなに とうさいしよう いと思っていたところ、藤宰相の童女には、赤い白っるば まで人前に立ち出ようなどとは想像したであろうか。けれ しもづか からぎぬ みの汗衫を着せて、その下仕えの童女に、唐衣に青い白っ ども目の前に見ながらもどうもようもなく浅はかなものは ねた るばみを対照させて着せているのは、妬ましいほどに気が人間の心であるから、私とてこれから以後のあっかましさ 酩きいた趣向である。その童女の容貌も、丹波の守の方の一 は、ただもう宮仕えにすっかり慣れすぎて、男と直接に顔 式人の童女はそれほど整っているとは見えない。宰相の中将を合せるようなことも、きっとたやすくなることだろうと、 紫 のは童女がみな背丈がすらりとしていて、髪の様子も美し わが身のなりゆきが夢のように思い続けられて、果てはあ ものな い。その中の物馴れしすぎた一人の童女を、どんなものだ ってはならないことにまで想像が及んで、そら恐ろしく思 ろうか、あまりよくないのでは、などと、人々は話題にし われるので、眼前の盛儀にも、例によって目がとまること しら ゆいしょ
るに、人声もせず、山風おそろしうおぼえて、おこなひさしてうちまどろみた一七夢の内容が判然としないので、 「かしこ」の指すところも不明。 ゅうし 一七 る夢に、「中堂より麝香賜はりぬ。とくかしこへつげよ」といふ人あるに、う穴祐子内親王家。 一九同行なさったお方と。 ニ 0 永承元年 ( 一 0 四六 ) 。 ちおどろきたれば、夢なりけりと思ふに、よきことならむかしと思ひて、おこ ニ一永承元年の後冷泉天皇の大嘗 一八 なひ明かす。またの日も、いみじく雪降りあれて、宮にかたらひきこゆる人の会。大嘗会は天皇が即位後はじめ て行う新嘗祭の = 。十一月中の 卯の日から四日間行われる。「御 具したまへると、物語して心ぼそさをなぐさむ。三日さぶらひてまかでぬ。 禊」はこれに先立ち十月中・下旬、 だいじゃうゑごけい ニ 0 ・こけい そのかへる年の十月二十五日、大嘗会の御禊とののしるに、天皇が賀茂川に臨幸して行われる みそぎ 〔毛〕大嘗会の御禊をよ 禊で、女御代・文武百官が供奉す きゃう そに、初瀬参籠 る一代の晴儀である。 初瀬の精進はじめて、その日京を出づるに、さるべき人々、 はせぞら 一三長谷寺参詣のための精進潔斎。 ゐなか みもの 「一代に一度の見物にて、田舎せかいの人だに見るものを、月日多かり、その = 三御禊の当日。十月一一十五日。 品作者に自由に意見など述べる 日しも京をふり出でていかむも、いとものぐるほしく、ながれての物語ともなことのできる人々。 ニ五「ちごども」とあることから、 りぬべきことなり」など、はらからなる人はいひ腹立てど、児どもの親なる人長男仲俊以外にも子供のあったこ とがわかる。「親」は夫橘俊通 ニ六どうなりと、いかようにも、 は、「いかにもいかにも心にこそあらめ」とて、いふにしたがひて、出だした あなたのお心まかせだ。 日 級つる心ばへもあはれなり。ともに行く人々も、いといみじく物ゆかしげなるは、毛世間並の好奇心から、見物し 更 たがっている様子。 まう 夭いくらなんでも、やはり。 いとほしけれど、「物見て何にかはせむ。かかるをりに詣でむ志を、さりとも ニ九仏様はきっと分ってくださる あかっき 3 ニ九 だろう。 おぼしなむ。かならず仏の御しるしを見む」と思ひ立ちて、その暁に京を出づ 一五 ざかう はっせ ニ七 い
ちょうげいしまかゼおんじよう がくせんっきやま まんざいらく 舞曲を奏し、長慶子を退出音声に演奏して、楽船が築山の大臣が、「万歳楽が若宮のお声に和して聞えまするわ」と さえもんかみ 先の水路のあたりを漕ぎめぐってゆくとき、だんだん遠く 言って、座を引き立たせ申しあげる。左衛門の督などは、 こだち おおとの なるにつれて、笛の音も鼓の音も松風も、奥深い木立の中「万歳、千秋」と、声をそろえて朗詠し、ご主人の大殿は、 きロ 日に一つに響きあってとても趣がある。 「ああ、これまでの行幸を、どうして名誉あることと思っ やりみず きよう 式たいそうよく手人れをされた遣水が、さも満足げな様子たのでしよう。今日のような光栄なこともありましたのに でさらさらと流れ、池の水波は立ちさざめいて、何となくね」と、酔い泣きをなさる。いまさらあらためて言うまで あこめ 寒さを覚える時なのに、主上は御衵をただ二枚だけお召し もないことだが、殿ご自身も、今日の行幸のかたじけなさ になっておられた。それを左京の命婦が、自分が寒いもの を、心から感じていらっしやるご様子なのは、ほんとうに だから、主上にご同情申しあげるのを、女房たちはくすく 結構なことである。 す忍び笑いをする。筑前の命婦は、「亡くなられた院のご 殿は、あちらの方へお出ましになる。主上は御簾の中へ やしき 在世の折には、このお邸への行幸は、とてもたびたびあっ おはいりになって、右大臣を御前にお召しになり、右大臣 たことですよ。あの折には・ 、その時には : : : 」などと は筆をとって加階の名簿をお書きになる。中宮職の役人や、 やしきけいし 故院のことを思い出して言うのを、不吉な涙もこぼしかね このお邸の家司のしかるべき者は、みんな位階があがる。 とう やっかい ないので、人々は厄介なことだと思って、ことさら相手に 頭の弁に命じて、その加階の草案は、奏上させられるもよ きちょう うである。 もならず、几帳をへだてている様子である。「まあ、その せんげ 時はどんなでしたでしよう」などとでも言う人がいようも 親王宣下という新しい若宮のご慶祝のために、この殿の はいぶ のなら、それこそきっと涙をこぼしてしまったことであろ 一族の公卿がたが、うちそろってお礼の拝舞を申しあげる。 藤原氏であっても、家門の分れた人々は、その列にもお立 おまえかんげん 主上の御前で管弦のお遊びがはじまって、たいそう興が ちにならなかった。つぎに親王家の別当に任ぜられた右衛 もんかみ のってきた時分に、若宮のお声がかわいらしく聞える。右 門の督が拝舞なさる。このかたは中宮の大夫ですよ。つぎ 246 だいぶ
ぬ」といふに、なほ所々はうちこぼれつつ、あはれげに咲きわたれり。「もろ一点々とこぼれ咲いている。 ニ「もろこしが原」なら「唐撫子」 なぞしこ が咲きそうなのに : ・。「こそ」の後 こしが原に、やまと撫子しも咲きけむこそ」など、人々をかしがる。 に「をかしけれ」などが省略 きロ あしがらやま 日足柄山といふは、四五日かねておそろしげに暗がりわたれり。ゃうやう人り三相模と駿河との国境を南北に 級 走る連峰 四四、五日にわたって。「四、 更立っ麓のほどだに、空のけしき、はかばかしくも見えず、えもいはず茂りわた 五日前から」とする説。「日」を やみ りて、いとおそろしげなり。麓に宿りたるに、月もなく暗き夜の、闇にまどふ「里」の誤写と見て「方四、五里に わたり」とする説などもある。 あそびみたり ゃうなるに、遊女三人、いづくよりともなく出で来たり。五十ばかりなる一人、五旅宿を訪れ、歌舞などにより、 旅情を慰めることを業とした婦女。 はたち おおかさ 六柄傘は柄のついた大傘。遊女 二十ばかりなる、十四五なるとあり。庵の前にからかさをささせて据ゑたり。 は傘を負って歩き、客の求めに応 じこれを拡げて、芸を披露した。 をのこども、火をともして見れば、昔、こはたといひけむが孫といふ。髪いと 七遊女たちを座らせたの意。 ひたひ 〈「小幡」か。この地方で名を知 長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕へ られた遊女であろう。 ひたいがみ などにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に九頭から両頬に垂した額髪。 一 0 そのままでも結構通用しそう な。「下仕へ」は貴族の家で雑用を すみのぼりてめでたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、けぢかくて、 勤める下女。 なにはわた にしぐにあそび り = 身近に呼び寄せて。 人々もて興ずるに、「西国の遊女はえかからじ」などいふを聞きて、「難波辺 一ニ江口 ( 大阪市東淀川区 ) や神崎 かみがた ( 兵庫県尼崎市 ) など、上方の遊女 にくらぶればーとめでたくうたひたり。見る目のいときたなげなきに、声さへ だって、これほどすばらしくはあ ゅ 似るものなくうたひて、さばかりおそろしげなる山中にたちて行くを、人々あるまい。 324 ふもと 四 い しもづか か・つか、
はかまぐ 一翌夜。九月十六日の夜。 位は袴一具ぞ見えし。 ニ同じ白の衣装を着た容姿。 またの夜、月いとおもしろく、ころさへをかしきに、若き = 「小大輔」以下「馬」まで中宮女 〔一九〕月夜の舟遊びーー 房。小大輔・源式部・宮木の侍従 酩九月十六日の夜 ・五節の弁は、後の女房批評の中 人は舟にのりて遊ぶ。色々なるをりよりも、おなじさまに 部 にも見える 式 みやぎ ゃうだい 紫 さうぞきたる、様態、髪のほど、くもりなく見ゅ。小大輔、源式部、宮木の侍四中宮付の童女。素姓未詳。 五中宮付の童女名か、「やすら うこんこひやうゑこゑもんむま四 ごせち ひ」の注記か末詳。 従、五節の弁、右近、小兵衛、小衛門、馬、やすらひ、伊勢人など、はし近く = 道長の五男藤原 ひだりさいしゃう っちみかど ゐたるを、左の宰相の中将、殿の中将の君、いざなひ出でたまひて、右の宰相セ土御門邸の北門の詰所。 〈主上付の内裏女房。 かねたかさを の中将兼隆に棹ささせて、舟にのせたまふ。かたへはすべりとどまりて、さす九内裏女房。師輔の娘、従三位 典侍藤原繁子。 がにうらやましくやあらむ、見出だしつつゐたり。いと白き庭に、月の光りあ一 0 内裏女房。素雑詳。 = 内裏女房。源政職妻藤原能子。 一ニ以下五人いずれも内裏女房で ひたる、様態、かたちも、をかしきゃうなる。 あるが素姓未詳。このうち底本を とうさんみ うへびと はじめ諸本には「少輔の命婦」がな 北の陣に車あまたありといふは、上人どもなりけり。藤三位をはじめにて、 い。絵巻本文によって補う。 さこん ちくん せう みやうぶとうせうしゃう 侍従の命婦、藤少将の命婦、馬の命婦、左近の命婦、筑前の命婦、少輔の命婦、一 = 誕生後七日目の夜。 一四朝廷主催の御産養。 あふみ これちか 近江の命婦などぞ聞こえはべりし。くはしく見知らぬ人々なれば、ひがごとも一五藤原道雅。伊周の長男。 一六贈物の品々を書いた目録。 はべらむかし。舟の人々もまどひ人りぬ。殿出でゐたまひて、おぼすことなき毛柳の細枝を編んで作った箱。 穴中宮が目録のはいった柳筥を 御けしきに、もてはやしたはぶれたまふ。おくりものども、しなじなにたまふ。すぐに御使いにお返しになる。 160 こだいふ 0 0
ぢゅうじ つね 住寺の律師、宮の内侍の局にはちそう阿闍梨をあづけたれば、物の怪にひき倒毛大納言藤原津曦の子。 一七 穴宰相の君の係の局のおぎ人の ねんがく されて、いといとほしかりければ、念覚阿闍梨を召し加へてぞののしる。阿闍意。「をぎ人」は招疇人で、物の怪 げんざ を招き寄せる験者。 げん 梨の験のうすきにあらず、御物の怪のいみじうこはきなりけり。宰相の君のを一九当年四十四歳。後に律師。 ニ 0 昼の十二時ごろ。一条天皇の えいかう ひとよ あつひら ぎ人に、叡効をそへたるに、夜一夜ののしり明かして、声もかれにけり。御物第二皇子敦成親王の誕生である。 ニ一待望の皇子誕生に、昨夜から の怪うつれと召しいでたる人々も、みなうつらで、さわがれけり。 の不安や緊張を一掃して将来への ニ 0 輝かしい期待をこめた表現。 むまとき 午の刻に、空晴れて、朝日さし出でたる心地す。たひらかにおはしますうれ = = どうして並ひととおりのもの であろうか。「なのめ」は、平凡、 しさの、たぐひもなきに、をとこにさへおはしましけるよろこび、いかがはないい加減、の意。ここは反語を用 いて強めた表現。 けさ きのふ ニ三年配の女房で産後の付添に適 のめならむ。昨日しをれくらし、今朝のほど、秋霧におぼほれつる女房など、 している人々。 おまへ みな立ちあかれつつやすむ。御前には、うちねびたる人々の、かかるをりふし品僧に施し与える賜り物。米、 布、僧衣など。 つきづきしきさぶらふ。 ニ五医者。典薬寮に属し、医薬の ことを一つかさどる。 うへ みすふどきゃう 一四七ハー注一一四。 殿も上も、あなたに渡らせたまひて、月ごろ御修法、読経 = 六↓ うしよう ニ四 日〔一三〕人々のよろこび 毛当座の褒賞として賜る物で、 きのふけふ ふせ にさぶらひ、昨日今日召しにてまゐりつどひつる僧の布施衣類や絹、布などが多い。 式 紫 ニ七 ll< 新生児に湯をつかわせる儀式。 くすし おんやうじ ろく たまひ、医師、陰陽師など、道々のしるしあらはれたる、禄たまはせ、うちに誕生直後の産湯ではなく、公的な もくト・′、 沐浴の儀式で、その有様は一五三 おほんゅどの ハーに詳述されている。 は、御湯殿の儀式など、かねてまうけさせたまふべし。
によくろうど とのもり もいとりみぐしあ でいる所に、采女、水司、御髪上げの女蔵人たちゃ、殿司、 しい容姿に加えて、白元結に一段と引き立って見える髪の かんもりしもじよかん 下がり具合は、いつもよりも好ましい様子で、かざした扇掃司の下女官など、顔も見知らない者もすわっている。た みかどづかさ ぶん闡司などといった役の者であろうか、いずれも組略に からはずれて見える横顔などは、ほんとうにすっきりして 一三ロ 装束をつけたり化粧したりして、仰山にさした髪飾りも、 日美しゅうございましたよ。 げんしきぶこざえもんこひょうえ 試この夜髪上げをした女房は、源式部、小左衛門、小兵衛、さも儀式ばった様子で、寝殿の東の縁や渡り廊下の妻戸口 ようう すきま たゆうおおうまこうまこひょうぶこもく 大輔、大馬、小馬、小兵部、小木工の八人、いずれも容貌まで、隙間もなく無理にはいりこんですわっているので、 などの美しい若女房ばかりで、向いあってすわって並んで人が通ることもできない。 み お膳をさしあげることがすっかり終って、女房たちは御 いる様子は、ほんとうに見がいのあるものでした。いつも は中宮さまのお膳をさしあげる際、平気で髪を上げること簾のそばに出てすわった。灯火に照らされて、一様にきら おおしきぶ うぶやしない きらと見わたされるなかにも、大式部のおもとの裳や唐衣 はしているのだが、このような御産養の晴れがましいと けしきししゅう おしおやま きというので、わざわざしかるべき女房たちをお選びにな に、小塩山の小松原の景色が刺繍してあるさまは、たいそ みちのくにかみ う趣がある。この大式部のおもとは陸奥の守の妻で、殿の ったのに、人前に出るのがつらいとかいやだとかいって、 せんじ みようぶ 宣旨女房ですよ。大輔の命婦は、唐衣には何の意匠もほど 嘆き訴えたりして、まったく縁起が悪いほどに思われまし す こさず、裳を白銀の泥でたいそう鮮明に大海の景を摺り出 ふたま みちょうだい 御帳台の東に面した二間ほどの所に、三十人あまりも並しているのは、ことに目立つものではないが、見た感じが すはま みもの よい。弁の内侍が、裳に銀泥の洲浜の模様を摺り、鶴を立 んですわっていた女房たちの様子は、まさに見物であった。 ししゅう うねめ 威儀のお膳は采女たちがさしあげる。妻戸口の方に、御湯てている趣向は珍しい。裳の刺繍も松の大枝で、鶴の千年 よわい ときわ びようぶ 殿を隔てて囲んだお屏風に重ねて、もう一双南向きに舁風の蛉と松の常磐を競わせるという趣向で才気が見える。少 みずしだな を立てて、そこに白木の御厨子棚一対に、威儀のお膳を供将のおもとの裳がこれらの人々には見劣りする銀箔なのを、 えおいてある。夜が更けるにつれて、月が隈なくさしこん人々はひそかにつつきあって笑う。少将のおもとというの そう ぞい ぎんばく