な目やすにすぎないが、十か月の期間のなかでの二人の関係の推移は、流動の相において概略をとらえるこ とが可能になるであろう。 たとえば、では「故宮」への追慕の情と罪深いわが身に対する自省、「つれづれーをもて悩む衝動など の葛藤がみられ、この部分に自照的な記述を織りまぜている。になると、「故宮」はしだいに遠景として 退き、基調になり代るのは「すきごとする人」たちと多情な女との世評の頻出である。噂にふりまわされる 宮の誤解と不信による心理の起伏がはげしく、宮の足も遠のきがちで、二人の愛情の上昇と下降が反復する。 では情熱的になった宮に反応した女の昂揚がみられるが、宮の無沙汰はいまだ習慣化されている。女の手 習文や宮の代詠依頼は、今までにない二人の親愛関係を示す。それがに人ると、女の悪い世評に反撥し、 自分の眼と心で女の正体を知覚した宮の心の転機がある。これ以後の宮が女をしばしば訪れるようになった のは画期的であり、女を宮の邸に引き取る決意が生れる。贈答歌には攻防の応酬が見られなくなり、二人の 亠体化した趣もみられる。 3 になると、女が宮の邸に移り住んで以後、和歌がまったく姿を消す散文的世界 に代る。宮の感情の動揺は消えて頼みになる保護者として描かれ、しかし女の立場は物思いのたえぬものと して記される。 以上のように、新しい段階に移るごとに新しい特徴の生起していることが知られる。また古い特徴は消去 するか発展させられており、二人の愛情には迂余曲折が多いが、しかし愛情は段階的に上昇を示しているこ 解とが確かである。したがって、この日記の欠陥を停開感に求めようとする見解も一部にあるけれども、その 評言の額面どおりの意味では通用しないというべきであろう。 このように、この日記は女 ( 和泉式部 ) と宮 ( 敦道親王 ) との緊迫した恋愛心理の関係をえがくものである。
( 私のことをお恨みになるお心はいつまでも絶やさないでく 0 ださい。無限の信頼をささげている宮様に対してだって、私 もまたお疑いすることがあるのですから ) 部と申し上げているうちに、日も暮れたので、宮は女のもと 泉においでになった。「やはり、人があなたのことをあれこ 和 - うわさ れ噂していますので、まさかとは思うものの御文に書いた のでしたが、こんなことを言われたくないとお思いでした ら、さあ私の邸へいらっしゃい」などとおっしやって、夜 が明けると宮はお帰りになった。 〔 = 巴宮邸入り前の期間こんなふうにしてたえず御文はくだ ーー愛の情景 さるけれど、おいでになることはめ ったにない。雨や風などがひどく降ったり吹いたりする日 さえも御文をくださらないので、「人少なな我が家に吹く 風の音のわびしさを、思いやってもくださらないのか」と 思って、日暮どきに御文をさし上げる。 をぎ 霜がれはわびしかりけり秋風の吹くには荻の音づれも しき ( 草葉の霜枯のころというものは本当にわびしいものです。 秋風の吹くころには荻の葉音もし、宮様のおいでもあってま だよかったのですが ) と申し上げると、宮からご返事があったが、そのお書きに なった御文を見ると、「ひどく恐ろしい風の音を、どう聞 しの いておいでかと、しみじみお偲びしています。 かれはててわれよりほかに問ふ人もあらしの風をいか が聞くらむ ( 誰からも見離されてしまって、私のほかにお訪ねする人も いそうにないあなたのお家で、どんな気持で嵐の音を聞いて おいでなのでしよう ) 思いやり申しあげているだけなのが、つらいのです」と書 いてある。いいことをおっしやってくださったと御文を見 かたたが ものい るにつけても、うれしかったことだ。宮は方違えの御物忌 みのため、人目を忍んだ所にいらっしやるからということ で、この間のようにお迎えの車がきたので、今はもうおっ しやるままにと思って、宮のもとに参上した。 のんびりとお話を寝ても起きても申し上げて、つれづれ のわびしさもまぎれる思いがするので、いっそ宮のお邸に あがりたいと思ったが、宮の御物忌みの期間も終ったので、 住みなれたわが家に帰ってきて、その日はいつもより宮の ことが名残多く恋しく思い出されて、どうしようもなく苦 しく思われるので、歌を詠んで宮にさし上げる。 ( 原文五三謇 )
こころう と聞こえつ。宮は、一夜のことをなま心憂くおぼされて、久しくのたまはせで、一先夜のこと。宮が男の車を見 てむなしく帰ってきたこと。 ニ恨めしさと恋しさに思い悩む かくそ、 宮の気持を正直に表現した一首。 日 三 ( 誤解されるような事実はな 宮つらしともまた恋しともさまざまに思ふことこそひまなかりけれ 部 式 い ) と宮に申し上げたいこと。 四 和御返は聞こゅべきことなきにはあらねど、わざとおぼしめさむもはづかしうて、四ことさらしみた弁解だと。 五「ともあれかくもあれ」の略 なげ 逢えなくなっても嘆きはすまいが 女あふことはとまれかうまれ歎かじをうらみ絶えせぬ仲となりなば 六となったら悲しい。女は宮と の憎悪関係だけは避けたいと願う。 とぞ聞こえさする。 とろ 女の切なる真情を吐露した一首。 まど かくて、のちもなほ間遠なり。月の明かき夜、うち臥して、セ「かくばかり経がたく見ゆる 〔一 0 〕宮の訪れーーふた 世の中にうらやましくもすめる月 たび愛と不信 かな」 ( 拾遺・雑上藤原高光 ) 。 「うらやましくも」などながめらるれば、宮に聞こゅ。 ^ 頼る男などいないことを示唆 九どうせ見に来て下さるまいが 女月を見て荒れたる宿にながむとは見に来ぬまでもたれに告げよと 一 0 誰に私の本意を告げたらよい すましわらは 樋洗童して、女「右近の尉にさし取らせて来」とてやる。御前に人々して、御というのですか。宮様以外の男性 はおりませんと誤解に反発する。 しもじも 物語しておはしますほどなりけり。人まかでなどして、右近の尉さし出でたれ一一下々の用事にあたる童女。 一ニ車に牛をつけて支度すること。 女の歌のカで宮の心は反転した。 ば、宮「例の車に装束せさせよーとて、おはします。 一三歌を贈ってからまだ相変らず。 すだれ 女は、まだ端に月ながめてゐたるほどに、人の入り来れば、簾うちおろして奥に退き簾の陰に座った。 一五お目にかかるたびごとに。 なし 一七 ゐたれば、例のたびごとに目馴れてもあらぬ御姿にて、御直衣などのいたうな一六貴族の常用の平服。 うこんじよう さうぞく い すだれ ふ
れいぜいいんはいらい うわさ 年が改って正月一日、冷泉院の拝社の式に廷臣がたが参 ちの噂も聞きづらいし、女の様子も気がかりなので、女の 上された。宮もその中においでになるのを拝見申し上げる 部屋においでになる。 と、たいそう若々しくお美しくて、多くの人の中ですぐれ 北の方は、宮に、「これこれのことがあったそうですが、 ておられる。このお美しさにつけても、女は我が身が気が 部なぜ話してくださらないのですか。おとめできることでも ひけて思われる。北の方づきの女房が端に出て見物するの 泉ありません。でも、こんなにまで私が人並でなく物笑いの 和 に、すぐに廷臣がたを見ないで、「この女を見ようと言 種になっては恥ずかしいのです」と泣く泣くお話しなされ って障子に穴をあけて騒ぐのが、まったく見苦しいことで ると、宮は、「人を召し使うからには、あなたにもお心当 りのないはずがありましようか。あなたのご機嫌が悪いのあった。 日が暮れると、拝礼の式が終って宮はお邸にお帰りにな につれて、中将などが私を憎らしく思っているのが煩わし かんだちめ った。宮のお見送りに上達部が大勢揃っていらっしやって、 くて、髪などもとかさせようと思ってあの女を呼んだので 管弦のお遊びがある。たいそう興があったのにつけても、 す。こちらでもお召し使いなさいよ」などと言われるので、 つれづれでわびしかった我が家の生活が、すぐに思い出さ 北の方はひどく不愉快に思われるが、なにもおっしやらな れるのであった。 こうしてお仕えしているうちに、召使などの中でもいや 〔 = 九〕正月ーー宮邸てのこうして何日かたったので、女はお うわさ 生活 邸でお仕えすることにも慣れて、昼な噂を立てるのを宮はお聞きになって、「こんなふうに北 の方が女のことを悪く思われておっしやるべきでもない。 間なども宮のおそば近くに仕えて、御髪などもすき申し上 げ、宮もあれこれとお召し使いになる。宮の御前から女を不愉快なことだ」と気にくわぬことに思われたので、北の すこしも遠ざけなさらず、北の方のお部屋においでになる方のお部屋にはいられることもひどくまれである。女はこ ういう状態につけても気がとがめるので、どうしようか、 こともだんだんまれになってゆく。北の方のお嘆きになる しかしどうしようもないと、今はもうどうなろうと宮のな ことは限りもない。 ていしん
すだれ となりなば いってきたので簾をおろしていると、いつもながらお逢い のうし ( お逢いすることはたとえどうなりまようとも、お逢いでするたびに目新しい宮のお姿が見え、御直衣など着なれて きなくなっても嘆きませんが、二人の仲が恨みの絶えない間 柔らかになっているのが、ことさらすばらしく思われる。 柄になりましたなら、嘆かずにはいられません ) 何もおっしやらないで、ただ御扇に文を置くと、「御使い と申し上げた。 が受け取らずに帰ってしまいましたので , とおっしやって 〔一 0 〕宮の訪れ・丨ーふたこうして、その後もやはり宮との仲文をおさし出させになった。女はお話を申し上げようにも たび愛と不信 は遠のいている。月の明るい夜、女 間が離れていて具合が悪いので、扇をさし出して受け取っ せんざい は身を臥して、「うらやましくもすめる月かな」などと、 た。宮も女のところに上ろうとお思いになった。前教の美 物思いがちに月がながめられるので、宮に歌をさし上げる。 しい中をぶらぶらなさって、「人は草葉の露なれや」など 月を見て荒れたる宿にながむとは見に来ぬまでもたれ 口ずさまれる。本当に優雅でお美しい。女のそば近くにお に告げよと 寄りになり、「今夜はこれで帰りましよう。あの夜の車が ( 私が月を見て荒れはてた宿で物思いをしていることは、宮誰の所に忍んできたのか、見届けようと思ってきたのです。 様以外のどなたに告げたらよいのでしよう。宮様は、お知ら 明日は物忌みということですから、家にいないのもおかし せしてもどうせおいでにならないでしようけれど ) いと思いまして」とお帰りになろうとするので、 ひすましわらわ うこんじよう 樋洗童に、「右近の尉に渡しておいで」と使いにやる。宮 こころみに雨も降らなむ宿すぎて空行く月の影やとま ると 日は御前に人々を召して、御物語をしておいでのときであっ 式た。人々が退出してから右近の尉が文をさし出すと、「い ( ためしに雨でも降ってみてほしい。わが家を通り過ぎてゆ 和つものように車の支度をさせよーとおっしやって、女のも く、空行く月のような宮様がおとどまりになるかどうかと ) うわさ とにお出かけになる。 人が噂するよりも子供っぽい女で、いじらしいとお思いに はしちか 女はまだ端近の所で月をながめていたところ、誰かがは なる。「あが君よ」とおっしやりながら、宮はしばらく女 ものい
毛真っ先にタ暮の物悲しさを言 宮「タ暮はたれもさのみぞ思ほゆるまづ言ふ君ぞ人にまされる ったあなたが、誰にもまして心細 一九 い思いでいるのですね。 と思ふこそあはれなれ。ただ今参り来ばや」とあり。 穴歌の内容を「と」で受ける。 またの日のまだっとめて、霜のいと白きに、宮「ただ今のほどはいかがーと一九今すぐにでもお伺いしたい。 ニ 0 ( 宮様のおいでを待って ) 寝な あれば、 いで起きたまま明かした霜の朝。 ニ一ひどいもの悲しさはこの世に ありません。宮の歌の「人にまさ 女毬きながら明かせる霜の朝こそまされるものは世になかりけれ れる」の語を受けて転化した。 一三この歌は宮の恋心を訴えつつ、 など聞こえかはす。例のあはれなることども書かせたまひて、 女に宮邸人りを催促したもの。 あつら ニ三「なむ」は誂え望む助詞。 宮われひとり思ふ思ひはかひもなしおなじ心に君もあらなむ 品私は宮様と私を分け隔てしま せんから。宮の歌への切返し。 ニ五ひどく悪いわけではないが 実「よろし」はまあまあだの意。 女君は君われはわれともへだてねば心ごころにあらむものかは 毛下に「おぼゆれ」などの語を省 かくて、女かぜにや、おどろおどろしうはあらねどなやめば、時どき問はせ略。生 ( の執着を感じているから 罪深いという仏教的な考え方。 穴それにしても。罪深いがしか 記たまふ。よろしくなりてあるほどに、宮「いかがある」と問はせたまへれば、 し実は、という逆説的な続き方。 部 式女「すこしよろしうなりにてはべり。しばし生きてはべらばやと思ひたまふる = 九「絶え」は「玉の緒」の縁語。 「ね」は「ぬ」の命令形。 和 こそふかく。さるは、 三 0 玉を貫く緒が切れやすいこと から、はかない生命をたとえる。 一 0 ニ九 三一「より」は「縒り」をかける。 絶えしころ絶えねと思ひし玉の緒の君によりまた惜しまるるかな」 御返り ニ四 三 0 を
は貞元二年 ( 九七七 ) の生れだから、和泉とほぼ同年齢であった。好色で多くの女性遍歴をし、悪疫をも顧み ず和泉や新中納言のもとに通ったので感染して亡くなったと『栄花物語』に記される。長保四年 ( 一 00 一 l) 六 月十一二日、二十六歳のことであった。和泉との関係はせいぜい一年間ぐらいであろうか。なお親王の病気は、 ごんき 『権記』の記事からすると疫病に発するものとは考えにくい。 亡き為尊親王への追慕の場面にはじまる『和泉式部日記』は、長保五年四月十余日のことから起筆して、 あつみち 弟宮の敦道親王とのあらたな恋の十か月間を記す。敦道親王は実兄為尊親王より四歳年少で、時に二十三歳、 だざいのそち そちのみや 和泉のほうが二、三歳年長であったらしい。大宰帥であったため、帥宮とよばれた。性質は兄宮に似て、す こし「軽々」しかったと『大鏡』にいう。歌才にめぐまれ感受性に富むが、心の揺れやすい弱さをもっ宮と めしうど して『和泉式部日記』にえがかれている。同年の十二月十八日に宮は和泉を召人として邸内に住わせ、正妃 が憤然として邸を去ってゆく翌長保六 ( 寛弘元 ) 年正月で日記は終る。その年の二月には、宮と和泉とは藤 きんとう 原公任の白川院につれ立って花見に出かけ ( 家集 ) 、また四月の賀茂祭に二人が同車して人々の注目を集め たのは ( 『大鏡』 ) 、世間に挑戦的にさえなっている二人の昂揚した姿を伝えている。このような宮と和泉との 熱愛は、寛弘四年 ( 一 00 七 ) 十月二日に宮が二十七歳の若さで病没するまで、前後四年半にわたってつづいた のであった。『和泉式部続集』の前半に、百二十二首の歌群として収められている挽歌の悲痛さは、そのこ いわくら とをなによりも雄弁に語ってくれる。宮との間には一子があり、家集に見える「石蔵の宮」がそれにあたる 解らしい。 むつのかみ ところでこの両親王との恋愛の間、夫道貞との仲はどうなったかというと、道貞は陸奥守に任ぜられて長 保六年 ( 一 00 四 ) 三月に都をたったが、半年後に任地によびよせたのは和泉ではなく別の女性であり、子まで
一私は先夜まどろみもせず月を 女まどろまでひと夜ながめし月見るとおきながらしも明かし顔なる 眺めていたのですが。先夜は月を わらは 見ていたと宮に弁解し、今朝まで と聞こえて、この童の「いみじうさいなみつる」と言ふがをかしうて、端に、 起き明かして得意そうな宮こそ怪 けしき 日 しいと逆襲した。手習文中の女の 部 女「霜の上に朝日さすめり今ははやうちとけにたる気色見せなむ 式 歌「まどろまであはれ幾夜に : ・」お 和いみじうわびはべるなり」とあり。宮「今朝したり顔におぼしたりつるも、いよび宮の返歌を意識 ニ霜のようにとけた機嫌 とねたし。この童殺してばやとまでなむ。 四先に贈歌したという得意顔 = 00 〈 000 」〈 000 五下に「いみしけれ」等を省略 朝日影さして消ゅべき霜なれどうちとけがたき空の気色ぞ 六たまに文使いにやって来る童。 宮の疎遠への皮肉をこめる。 とあれば、女「殺させたまふべかなるこそ」とて、 セ「生け」と「行け」とをかける。 生かして文を持って行けとも。 女君は来ずたまたま見ゆる童をばいけとも今は言はじと思ふか 〈人目を忍ぶ隠し妻。前の宮の 上の句「つま恋ふと : ・」からの展開。 と聞こえさせたれば、笑はせたまひて、 宮邸人りの勧めにつながる。 九女の歌に「手枕の袖」が詠みこ 宮「ことわりや今は殺さじこの童忍びのつまの言ふことにより まれていないことを指摘した。 たまくらそぞ 一 0 どうせ忍び妻だから人知れず。 手枕の袖は忘れたまひにけるなめりかし」とあれば、 = 懐かしんでいますのに。宮の 歌の「忍」を「偲」に転用して応じた。 女人知れず心にかけてしのぶるを忘るとや思ふ手枕の袖 一ニ私が手枕の袖のことを何も言 わずに黙っていたとしたら。 と聞こえたれば、 一三「かけて」は女の歌の「心にか けて」を転じ、少しも : ・ないの意。 宮もの言はでやみなましかばかけてだに思ひ出でましや手枕の袖
見てしまったことからの物思いは、今日の長雨同様に、ひと いつもより御歌が興深く思われる上に、宮のお邸で月が明 とおりのものではありません ) るかったあの夜は、だれか人が見ていなかったかと思い出 とある。雨の降っているときであった。女は、「妙なこと 記されるときであったので、ご返事を 日 があったものだ。誰か宮様にこしらえごとを申し上げたの ひと夜見し月ぞと思へばながむれど心もゆかず目は空 部 式 かしら」と思って、 にして 泉 和 君をこそ末の松とは聞きわたれひとしなみにはたれか ( あの夜宮様と見たのと同じ月だと思いますと思わずながめ られますが、私の心は晴れず目はうつろでございます ) 越ゅべき ( 宮様こそ浮気なお方と聞きおよんでおります。宮様と同じ と申し上げて、なおも一人きりでぼんやり月をながめてい ようには誰が心変りなどいたしますものですか ) るうちに、むなしく夜が明けてしまった。 次の夜、宮はおいでになったけれども、女のほうでは知と申し上げた。宮は、先夜のことをなんとなく不愉快に思 われて、久しくお便りもなかったが、こう歌を詠んでこら らなかった。女の家は人々があちこちの部屋に住んでいた ので、そちらに来た誰かの車を、宮は、「車がある。男がれた。 つらしともまた恋しともさまざまに思ふことこそひま 来ているのだーとお思いになる。不愉快だけれど、さすが なかりけれ に女との仲を断ち切ろうとはお思いにならなかったので、 ( 薄情が恨めしいと思い、また一方恋しいとも思い、あなた 女に御文を贈られる。「昨夜私がお訪ねしたことは、お聞 のことをさまざまに思って、心の休まる暇とてありません ) きになりましたか。それさえもご存じないかと思いますと、 ご返事は、申し上げたいことがないわけではないけれど、 ひどく悲しいのです」とお書きになって、 それを宮がことさらじみた言訳にお思いになりそうなのも 松山に波高しとは見てしかど今日のながめはただなら 気がひけて、 ぬかな あふことはとまれかうまれ歎かじをうらみ絶えせぬ仲 ( あなたが浮気好きな方とは承知していましたが、昨夜私が
なイ 歎く今日かな ( 橘の薫る香に亡き兄宮様をかこつけたりなさるよりは、あ ( 私の気持をお聞せしなければよかった。なまじ打ち明けた なたのお声が聞きたいのです。兄宮様とそっくりなお声かど ばかりに、苦しいまでに乱れている今日の心です ) - つ、かン」 ) と詠んでこられた。女は、もともと思慮の深くないたちで、 部とご返事を申し上げさせた。 わらわ 泉宮はまだ縁先にいらっしやったときに、この童が物陰で慣れぬつれづれがどうしようもなくつらく思われていたの 和 で、とりとめもない宮の恋歌にも目がとまって、ご返事を 意味ありげな合図をしたのでお見つけになって、「どうで さし上げた。 あった」とおたずねになるので、ご返事をさし出すと、・こ 今日のまの心にかへて思ひやれながめつつのみ過ぐす 覧になって、 心を おなじ枝に鳴きつつをりしほととぎす声はかはらぬも ( 「歎く今日」とおっしゃいますが、そのわずか今日一日の のと知らずや お気持にくらべてご想像ください。物思いの毎日を送りつづ ( 同じ一つ枝に鳴いていたほととぎすのようなものです。兄 ける私の心の苦しみを ) 宮と声は変らぬものとご承知ください ) とお書きになって、童にわたされるときに、「こんなこと 〔 = 〕宮との契り 1 ー恋こうして、宮からしげしげと御文が 心と自省 あり、ご返事も時々はさし上げる。 をけっして人に言うなよ。色事好きに見えるから」とおっ つれづれのわびしさも少しは慰められる思いで過している。 しやって、奥におはいりになった。 また宮からお手紙がある。文面などいくらかねんごろに そのお歌を童が持ってきたので、女はおもしろく拝見し たけれど、そういつもはと思ってご返事はさし上げなかっ書いてあり、 「語らはばなぐさむこともありやせむ言ふかひなくは 思はざらなむ 宮は、いったんお歌をくださったとなると、ふたたび、 ( お目にかかってお話をしあえば、お心の慰むこともあるで うち出ででもありにしものをなかなかに苦しきまでも ( 原文一三謇 )