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検索対象: 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記
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1. 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記

( 現代語訳一一六九 ) 見どころあり、ほかの人は目も見しらじ、ものをも聞きとどめじと、思ひあないので、興ざめに思うのである。 一三自分のほう。斎院方のこと。 づらむぞ、またわりなき。すべて人をもどくかたはやすく、わが心を用ゐむこ一四非難する。 一五「難かるべき」の音便。むずか とは難かべいわざを、さは思はで、まづわれさかしに、人をなきになし、世をしいはずのことであるのに。 = 〈自分から賢ぶっているさま。 宅人を無視する態度をとること。 そしるほどに、心のきはのみこそ見えあらはるめれ。 一 ^ 心のほど。ここは斎院方の浅 ふみが 一九 いと御覧ぜさせまほしうはべりし文書きかな。人の隠しおきたりけるをぬす薄な心のほどをいう。 一九高貴な人を相手とした書きぶ ニ 0 りになっている。↓一九五注一二。 みて、みそかに見せて、とりかへしはべりにしかば、ねたうこそ。 ニ 0 「ねたうこそはべれ」の略。こ いづみしきぶ 和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されの手紙を見せることができないの 〔哭〕和泉式部・赤染衛 が残念だ、の意。 まさレ」を、 ・清少納言批評 ニ一越前守大江雅致の娘、和泉守 ど、和泉はけしからぬかたこそあれ。うちとけて文はしり 橘道貞の妻、小式部内侍の母。情 書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉の、にほひも見えはべるめり。熱的歌人で泉天皇の皇子為尊・ 敦道親王との恋愛は有名。中宮彰 歌は、いとをかしきこと。ものおぼえ、うたのことわり、まことの歌詠みざま子 ( の出仕は寛弘六年の初夏ごろ と考えられる。 己にこそはべらざめれ、ロにまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、 = = 倫理的に責められるべき行為 日 を指摘したのであろう。 ニ三文章の方面。 目にとまる詠みそへはべり。それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐた 品古歌についての知識。 孟歌の批評。価値判断 らむは、いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめりとぞ、見えたる ニ六こちらが引け目を感じるほど の歌詠み。 すぢにはべるかし。恥づかしげの歌詠みやとはおぼえはべらず。 カた ざえ ニ四 一七 かしこ

2. 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記

( 現代語訳二七二 ) はする仏だに、三宝そしる罪は浅しとやは説いたまふなる。まいて、かばかり一四こちらにつらく当る人には当 然こちらからもつらくしてもよい、 の意。 濁り深き世の人は、なほっらき人はつらかりぬべし。それを、われまさりてい 一五底本はじめ諸本「とも」とある えんじ か、「も」は一宀子。 はむと、いみじき言の葉をいひっげ、向かひゐてけしきあしうまもりかはすと、 一六内裏女房。橘隆子。敦成親王 さはあらずもてかくし、うはべはなだらかなるとのけぢめぞ、心のほどは見え誕生の前後には中宮付をも兼ねて いた。↓一六八謇注九。 一七一条天皇。 はべるかし。 一〈『源氏物語』の作者。紫式部の さいも ないし にんぎみつをねが 左衛門の内侍といふ人はべり。あやしうすずろによからずこと。 〔五一〕日本紀の御局・楽 ふ 一九『日本書紀』の古称。ここでは 府御進講 思ひけるも、え知りはべらぬ、心憂きしりうごとの、おほ『書紀』以下の六国史の総称。 ニ 0 学問。学識。 ニ一左衛門の内侍が式部を妬んで う聞こえはべりし。 言った言葉。 うち 内裏のうへの、源氏の物語人に読ませたまひつつ聞こしめしけるに、「この = = 一条天皇の賞賛の言葉から、 ニ 0 嫉妬深い女房によってつけられた ざえ にんぎ 人は日本紀をこそ読みたまふべけれ。まことに才あるべし」と、のたまはせけ式部のあだ名。 ニ三笑止千万なことです。あだ名 てんじゃうびと 己るを、ふと推しはかりに、「いみじうなむ才がある」と、殿上人などにいひ散をつけられたことに対する強い反 日 発心から出た言葉。 みつね らして、日本紀の御局とぞっけたりける、いとをかしくぞはべる。このふる里 = 0 自分の実家の侍女たちの前で 紫 さえ漢籍を読むことをはばかって の女の前にてだに、つつみはべるものを、さるところにて才さかし出ではべらいたのに。 ニ五宮中のような公的な場所。 むよ。 一八 一天 ねた

3. 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記

あま しぞく すがくゐんい ひえいざん 一京都市左京区。比叡山の麓近 親族なる人、尼になりて修学院に人りぬるに、冬ごろ、 くにあった寺。現在は町名のみが 残る。 涙さへふりはヘつつぞ思ひやるあらし吹くらむ冬の山ざと ニ涙が「降る」から、「ふりはヘ ( わざわざ ) を導き出す修辞。 日かへし、 級 三「わけて」は「踏み分け」と「こ 更 とさらに」を掛けたもの。この歌 わけてとふ心のほどの見ゆるかな木蔭をぐらき夏のしげりを は冬の贈歌に対して「 : ・夏のしげ ひたち りを」とあって不審。御物本の筆 あづまに下りし親、からうじてのぼりて、西山なる所にお 〔一 = 〕父、常陸より上京 者藤原定家も「下句本」 ( 下句は原 西山に再会を喜ふ ちつきたれば、そこにみな渡りて見るに、いみじううれし本にもこうあった ) と不審を注記 している。作者による歌稿整理の 不備であろうか。一応、夏のある きに、月の明かき夜ひと夜、物語などして、 日、作者が訪れたのを尼がなっか しく回想したものと見ておく。 かかるよもありけるものをかぎりとてきみにわかれし秋はいかにぞ 四孝標は長元九年 ( 一 0 三六 ) 秋、上 京した ( 六十四歳 ) 。 といひたれば、いみじく泣きて、 五京都市の北西部。衣笠山付近。 六対面する。 思ふことかなはずなぞといとひこしいのちのほども今ぞうれしき 七「よ」は、「夜」と「世」を掛ける。 たひ これぞ別れの門出と、いひ知らせしほどの悲しさよりは、平らかに待ちつけた ^ 長元五年秋。↓三四七ハー。 九ひとたび別れては再会も期し がたい別れ。『源氏物語』に「逢ふ るうれしさもかぎりなけれど、「人の上にても見しに、老いおとろ ( てに出 を限りて隔たり行かむ・ : やがて別 かどぞ るべき門出にもや・ : 」 ( 須磨巻 ) な で交らひしは、をこがましく見えしかば、われはかくて閉ぢこもりぬべきぞ ど見える。 一 0 世間に立ちまじって、官途に とのみ、のこりなげに世を思ひいふめるに、心ぼそさ耐へず。 352 こかげ た

4. 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記

( 思うことが何一つかなわないなどと、恨んできた命も、な がらえて皆にめぐり会えた今日こそ、満ち足りて本当にうれ しいことです ) なが と答えた。東国に下る父が「これが永の別れの門出となろ うと言って聞せたときの悲しさにくらべれば、無事に再 会の日を待ち得た今のうれしさはこのうえもないけれど、 その父が「今まで他人事ながら見てきたが、老いさらばえ てあくせくと世間に立ち交わるのは、いかにも愚かしく見 みやづか 三宮仕えの記 えたので、私はこのまま隠退してしまうのが相応だ」とば かり、未練げもなく官途をあきらめるロぶりなので、心細 くてならない。 〔 = = 〕母の出家、父の隠母は尼になって、同じ屋敷内ながら、 ひえ 退、作者宮家に出仕 別棟に離れて住むこととなった。父 東の方は野原が遠くひらけて、その先の空には、比叡を す いなり はただ、私を主婦の座に据え、自分は世間の人づき合いも はじめ稲荷などという山までが、くつきりと見わたされる。 ならび 南は双の岡の松風がすぐ耳もと近くに心細く聞え、その手せず、まるで隠居のように、ひっそりと暮している。そん なるこ な父を見るのも頼みがいがなく、心細く思われていると、 前には、つい鼻先まで田というものが迫っていて、鳴子を ひな そんな折柄、私のことをお聞きおよびの、ゆかりのあるお 引き鳴らす音なども鄙びた風情がある。月の明るい夜など 日 級は、そうした情趣豊かな景色を眺め明かしながら日数を重方のもとから、「何をするともなく、ぼんやりと心細く暮 むかしかたぎ へんび むかしなじみ 更 しているよりは : : : 」とお召しがあった。昔気質の親は、 ねていたが、昔馴染の人も、辺鄙な土地柄ゆえおとずれも 宮仕えびとはとてもつらいものだと思って、うち捨ててそ 四しない。あるとき、幸便に託して「いかがお過しですか」 のまま過させていたが、「当世の人は誰でも進んで宮仕え と言ってよこした人があるので、ふと思い起して、 ( 原文三五三ハー ) をぎ 思ひ出でて人こそとはね山里のまがきの荻にあきかぜ は吹く まかきおぎ ( 山里の籬の荻には秋風が吹き寄せるばかりで、思い出して おとずれてくださる人とてもありません。折からのお便り身 にしみております ) と、したためて贈った。十月になってそこを発ち、京の邸 に引き移った。

5. 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記

( 雪が降ったので、木々の木の葉も春でないのに、みな一様などと詠み交しているうちに、いつものようにつれづれの 8 0 わびしさをまぎらわして日をすごしているのも、思えばま に梅の花が咲いたようになりました ) ったくはかないことではないか。 記と詠んでこられたので、 宮は、どう思われるのであろうか、 部梅ははや咲きにけりとて折れば散る花とぞ雪の降れば 〔ニ 0 十ニ月十八日 宮邸入り 心細いことをおっしやってきて、 泉見えける 和 ( 梅がはやくも咲いたのだと思って枝を折ってみたら、散っ 「やはり私はこの世にいつまでも生きられないのではなか てしまいました。雪の降ったのがまるで梅の花のように見え ろうか」と書いてあるので、女は、 くれたけ たのですね ) 呉竹の世々のふるごとおもほゆる昔がたりはわれのみ やせむ つぎの日のこと、朝早く宮から、 ( 何代も語り継がれてきた故事を思わせますような、私たち 冬の夜の恋しきことに目もあはで衣かたしき明けぞし の間の思い出話は、私一人でしてゆくことができますでしょ にける うか ) ( 冬の夜のあなた恋しさに目を合せて眠ることもできず、私 の衣だけを敷いたひとり寝をしているうちに、夜が明けたこ と申し上げると、 とでした ) 呉竹の憂きふししげき世の中にあらじとぞ思ふしばし はかり、も 宮へのご返事、「いえもう、 ( うとましいことの多いこの世に、わずかの間でも生きてい 冬の夜の目さへ氷にとぢられて明かしがたきを明かし たくないと私は思っています ) つるかな ( 冬の夜の涙に濡れた目までが氷に閉ざされてしまって、あ などと詠んでこられて、女を人目につかずに置いておかれ けにくいのをやっとのことであけ、明けにくい冬の夜を明か る所などをとりきめ、「慣れない場所だからきまり悪く思 したことです ) 」 うだろう。この邸の者も聞きづらいことを言うだろう。今

6. 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記

紫式部日記 276 返歌、 「人にまだ折られぬものをたれかこのすきものぞとは〔老〕若宮たちの御戴今年は正月一二日まで、若宮がたが、 もちい いただきもちい ロならしけむ 餅ーー寛弘七年正月御戴餅の御儀のために、毎日清涼 じようろう ( 私はまだどなたにもなびいたことはございませんのに、い殿におのぼりになる、そのお供に、みな上﨟の女房がたも さえもんかみ ったいだれが、この私を浮気者などとは言いふらしたのでご参上する。左衛門の督が、若宮がたをお抱き申しあげなさ ざいましようか ) って、殿がお餅は取り次いで、主上におさしあげになる。 ふたま 心外なことですわ」と申しあげた。 二間の東の戸に向って、主上が若宮がたのおつむにお餅を 渡り廊下にある部屋に寝た夜、部屋 いただかせなさるのである。若宮がたが抱かれて主上の御 まえ 〔五六〕戸をたたく人 の戸をたたいている人がいる、と聞前に参上したり退下したりする儀式作法は、すばらしい見 いたけれど、恐ろしさにそのまま答えもしないで夜を明か ものである。母宮さまはおのぼりにならなかった。 イいん した、その翌朝に、殿より、 今年の元日は、御薬の儀のご陪膳役は宰相の君で、例の くひな しようけ 夜もすがら水鶏よりけになくなくぞまきの戸ぐちにた生気の衣装の色合など、いつもと違っていてとても趣があ によくろうど たくみひょうご たきわびつる る。取次の女蔵人は、内匠と兵庫が奉仕する。髪上げをし くいな ( 夜通し水鶏がほとほとたたくにもまして、わたしは泣く泣 た容貌などこそご陪膳役は格別りつばにお見えになるけれ く槙の戸口で、戸をたたきながら思い嘆いたことだ ) ど、しかしそのお務めの胸中をお察しすると、私はたまら なくせつない気持になるのですよ。御薬の儀の女官に出て ふやはかせ ただならじとばかりたたく水鶏ゅゑあけてはいかにく いる文屋の博士は、しきりに利ロぶって才ありげにふるま やしからまし っていた。献上された膏薬が式後人々に配られたが、それ ( ただではおくまいとばかり熱心に戸をたたくあなたさまの らは例年行われることである。 だいきよう りんじきやくわ ことゆえ、もし戸をあけてみましたら、・ とんなにか後悔した 〔犬〕中宮の臨時客・子二日、中宮さまの大饗は停止になっ りんじきやく の日の遊び ことでございましようね ) て、臨時客が、東面の間をすっかり ( 原文二一七 ) とうやく

7. 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記

りつつ控えていた。たいそう真っ白な白砂の庭に、月の光また中宮さまのご覧にいれる。これもすぐ取次の宮司にお 2 が照りかえし、その月光に映えた女房たちの白装束の姿や返しになる。禄などをご下賜になることだろう。今夜の儀 式は朝廷の御産養であるから一段と盛大で、ぎようさんに 顔つきも、風情のある様子である。 ぎっしゃ 日 北門の詰所のあたりに牛車がたくさんとまっているとい騒ぎたてている。 部 みちょうだい だいり 中宮さまの御帳台の中をおのぞき申しあげたところ、こ 試うのは、内裏の女房たちが来たからであった。藤三位をは さこん みようぶとうしようしよう じめとして、侍従の命婦、藤少将の命婦、馬の命婦、左近のように国の母としてあがめ尊ばれなさるような端麗なご しよう おうみ ちくぜん の命婦、筑前の命婦、少輔の命婦、近江の命婦などと聞き様子にもお見えにならず、少しお苦しげで面やせておやす みになっておられるご様子は、いつもよりも弱々と美しく ました。でも、くわしくは顔を見知らぬ人たちのことなの とうろ で、間違いもあるかもしれません。内裏の女房たちの突然て、お若く愛らしげでいらっしやる。小さい灯炉を御帳台 の内にかけてあるので、隅々まで明るい中に、一段と美し の来訪に、舟に乗っていた若い人たちも、あわてて家の中 いお肌の色がすきとおるほどにおきれいであるうえ、ふさ へはいってしまった。殿がみなの前に出ておいでになって、 ぐし ふさとしたお髪は、おやすみのためにこうして結い上げな 何のもの思いもないご様子で、歓待したり、冗談をおっし さると、いっそうみごとさをお増しになるものなのだなあ やったりなさる。内裏の女房がたへの贈物を、それぞれの と思われる。こんなことを申しあげるのも、ほんとうにい 身分に応じて、お与えになる。 うぶ ご誕生七日目の夜は朝廷主催の御産まさらめいた感じがするので、よく書き続けることもでき 〔ニ 0 〕七日の御産養 くろうど やしない 九月十七日の夜 ません。 養である。蔵人の少将を勅使とし ゃないばこ だいたいの儀式のさまは、先日の五日夜の御産養と同様 て、ご下賜品の名を数々書いた目録を、柳筥に人れて参入 みや である。中宮さまから公卿がたへの禄は、御簾の内から、 される。中宮さまはその目録を一覧されると、そのまま宮 かんがくいんがくしよう づかさ 司に返される。勧学院の学生たちが、整然と威儀をととの女の装束に若宮の御衣などを添えてつかわす。殿上人への くろうどとう え静々とした歩みで参人する。その参加者の連名簿などを、禄は、蔵人の頭二人をはじめとして、順に御簾のそばへ寄 とうさんみ おも

8. 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記

更級日記 の等身像を造ってもらい、手を洗いきよめたりして、誰も じようらく 見ていない隙にこっそりとその仏間にこもっては、「一刻 一上洛の旅 も早く上京させ、都にはたくさんあるとか申しますその物 あづまち びたち おいた 語を、ありったけお見せくださいませ」と、一心不乱にぬ 〔一〕東国の生立ち、あ「東路の道のはてなる常陸 : : : 」な こがれの門出 どといわれるけれど、その常陸より かずいてお祈り申し上げるのだった。とこうするうち、そ かずさすけ も、もっと奥深い土地で育った人、そんな私はどんなにか れは十一二になる年だった、当時、上総の介だった父の任期 ひな りようけん みすぼらしく鄙びてもいたろうに、どういう料簡を起した が無事に終り、いよいよ上京することとなり、九月一二日、 ものか、「世間には物語というものがあるそうな。なんと ひとまず門出をして、「いまたち」という所に移った。 。なが かしてそれを読みたいものだ」と、しきりに思うようにな 永の年月、遊びなじんできた部屋を、外からまる見えに よいだん みすきちょう った。そんな折から、所在もなく退屈な昼間とか、宵の団なるほど、御簾、几帳などを乱雑に取りはずし、人々はそ らん ままはは 欒などに、姉、継母などの大人たちが、あの物語だの、こ の荷造りに大わらわである。やがて日も人りぎわになり、 ひかるげんじ 1 三ロ の物語だの、はては光源氏の暮しぶりなどを、ところどこ あたり一面にたいそうひどく霧の立ちこめるころ、車に乗 日 級ろ話すのを聞いていると、私の物語へのあこがれはつのる ろうとして我が家の方を眺めてみると、今まで人のいない やくしによらい 更 いつぼうだった。けれども、大人たちだって、その一部始折には足しげくお参りして礼拝した、あの薬師如来がつく ねんと立っておいでになる。それをお見捨て申し上げて旅 終をそらんじて、私の心ゆくまで、どうして話してくれた やくしによらい りしようか。私はもう、あまりのもどかしさに、薬師如来立つのが悲しくて、私は人知れず泣かずにはいられなか ひま

9. 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記

( 原文一八 ) ご返事は、 まくるとも見えぬものから玉かづらとふひとすぢもた 「いかでかはまきの戸口をさしながらつらき心のあり えまがちにて なしを見む ( 恋しさに負けて、宮様がおいでになるなどとも思われませ ( 槙の戸口は誰もはいらず鎖したままです。どうして私の心 ん。お便りくださるという一事さえ絶え間がちでいらっしゃ が薄情かどうか、外からおわかりになるでしようか ) るくせに ) 変なご想像をしていらっしやるようですね。人知れぬ私の と宮に申し上げた。 宮は、例のごとく忍んでおいでにな 心の中をお見せできましたなら」と書いてある。宮は、今 〔五〕むなしい訪れ 宮の疑心 った。女はまさかお見えになるまい宵もお出かけになりたかったけれど、こうしたお忍び歩き とうぐう を人々もおとめ申し上げている上に、内大臣や東宮などの と思っている上に、この何日かのお勤めに疲れて、うとう お耳にはいるようなことがあったら、いかにも軽薄に思わ と眠っているときであったので、門をたたいたのに聞きっ うわさ ける人もいない。宮は女の噂でお聞き及びのことがあったれるだろうと、気持を慎んでおられる間に、長い日数がた ってゆくのであった。 から、誰か男が来ているのだろうとお思いになって、そっ とお帰りになり、翌朝、 〔六〕五月雨のつれづれ雨が降りつづいてひどくつれづれな ーー厭世の思い この何日か、女は晴間のない長雨の 「あけざりしまきの戸口に立ちながらつらき心のため うっとうしさに、私の身の上はいったいどうなるのだろう しとぞ見し 旨ロ 日 ( 開けてくださらなかった槙の戸口に立ちつづけて、これが と、果てることのない物思いにふけって、「言いよってく 部 式 あなたの無情なお心の証拠だなと思いました ) る男たちはたくさんいるけれど、今の私はなんの気持も起 泉 らないのに。世間ではあれこれ言っているらしいが、それ 和恋のつらさとはこのことかと思うにつけ、わが身が悲しい もわが身がこうしているからこそっらい目にもあうのだ。 ことです」と御文がある。女は、「昨夜おいでになったと どこかに隠れてしまいたい」と思ってすごしている。宮か みえる、不用意にも寝てしまったものよ」と思う。宮への

10. 完訳日本の古典 第24巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記

一「雪の降れば花とぞ見えける」 とのたまはせたるに、 に同じ。このあたりの二人の贈答 歌は緊迫感が乏しい。二人の関係 女梅ははや咲きにけりとて折れば散る花とぞ雪の降れば見えける 旨ロ の停湍気味であることを示す。 日 ニ冬の夜の肌寒い恋しさに。 部またの日、つとめて、 式 三「目」は「妻」をかける。 泉 四ひとり寝。自分の衣だけを敷 宮冬の夜の恋しきことに目もあはで衣かたしき明けぞしにける 和 いて寝ること。 五夜が明ける ( 目を開ける ) 。 御返し、女「いでや、 六反発ぎみな発語。いえもう。 セ ( 悲しみの涙で ) 目まで凍って 冬の夜の目さへ氷にとぢられて明かしがたきを明かしつるかな しまって。宮様とはちがって私は 涙で目が凍ったという趣意。 など言ふほどに、例のつれづれなぐさめて過ぐすぞ、いとはかなきや。 ハこれらの贈答歌もつれづれを 〔ニ 0 十ニ月十八日ーー 九作者の詠嘆的自己批評 」〈 = 、 0 00 = 〈 00 、、 0 細き 0 《 00 〈 = 」 0 、 0 0 、《」。 0000 一 宮邸入り 一 0 生きながらえられない 宮「なほ世の中にありはつまじきにや」とあれば、 = 「世 ( 節 ) 」の枕詞。 一ニ何代も伝えられた古い故事を 女竹の々のふるごとおもほゆる昔がたりはわれのみやせむ 偲ばせるような私達の思い出話。 一三「呉竹」「ふし」「繁き」は縁語。 と聞こえたれば、 一四宮は歌意のような厭世感と同 時に、女を迎える準備をもする。 宮呉竹の憂きふししげき世の中にあらじとぞ思ふしばしばかりも 一五「おきつ」 ( 決める ) の連用形。 などのたまはせて、人知れず据ゑさせたまふべき所などおきて、「慣らはであ「給ふがないため異解が多い。 一六 ( 女が ) きまり悪がるだろう。 る所なれば、はしたなく思ふめり。ここにも聞きにくくぞ言はむ。ただわれ行宅宮の邸の者も。 四 九