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検索対象: 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草
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1. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

しようかんばく 政・関白のご様子は、いまさら申すまでもない。ただの貴 とねり 序段 族たちでも、朝廷から警固役の舎人などをいただく身分の なすこともない所在なさ、ものさびしさにまかせて、終人は、とりわけりつばに見える。こんな人たちの子や孫ま すずり 日、硯にむかって、心に浮んでは消えてゆく、つまらない では、たとえおちぶれてしまっていても、やはり上品で優 ことを、とりとめもなく書きつけていると、我ながら何と雅なものである。それよりも下級の者は、それぞれの身分 もあやしく、もの狂おしい気持がすることではある。 や家柄に応じて、幸運にめぐりあい栄達して、得意顔をし ているのも、自分では、りつばなものだと思っているであ 第一段 ろうが、そばから見ると、まことにつまらないものだ。 段さてさて、この世に生をうけたからには、誰でも、願わ 法師ほど、うらやましくないものはあるまい。「人には せいしようなごん 第しいと思うことが、あれやこれやと、どっさりあるものの木のはしくれのように思われることよ」と、清少納言が書 段ようだ。 いているのも、なるほど、もっともなことである。その法 序みかど 帝の御位については申し上げるのもおそれ多い。帝のご 師が権勢盛んで、騒ぎたてているにつけても、えらいとは そんのう そうがしようにん 子孫であれば、孫王がたのような御末流にいたるまで、人思われないで、増賀上人が言ったとかのように、世間的な みおし 間の血すじではないのが、まことに尊いことである。摂名誉に執着するのは心苦しく、仏の御教えにそむくであろ 徒然草上 せつ

2. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

で、それをご覧になり、かわいそうにお思いになったから 第一二段 % のことなのです」と人が語ったのこそ、なるほどそれなら もしも同じ心の人があり、その人としんみり物語して、 ば、結構なことであったと思われたのであった。後徳大寺 草 おもしろいことも、この世の無常なことも、心のへだてな 大臣のばあいにも、どんなわけがあったことでございまし 然 く語りあって慰めたとしたら、こんなうれしいことはない 徒 であろうに、そんな人はあるまいから、少しも相手の心持 第一一段 にくいちがわないようにと心がけて、対座しているとすれ 陰暦十月のころ、栗栖野という所を通り過ぎて、ある山ば、まるでひとりでいる心持がするであろう。 お互いに言おうとするほどのことを、「もっともだ」と 里に人を尋ねてはいっていったことがありましたが、はる こけ 聞くだけのかいのあるものの、少しはくいちがうところも か向こうまで続いている苔むした細道を踏みわけ人って、 いおり あるような人のほうが、「自分は、どうもそうは思わない」 心ぼそい様子で住みならしている庵があった。落ち散った かけひ しずく など言いあらそい憎みなどし、「それだから、そうなのだ」 木の葉にうずまっている懸樋から落ちる雫よりほかには、 もみじ あかだな などとも、相手と語りあうとすれば、心のさびしさも慰め まるで音をたてるものもない。庵の閼伽棚に、菊や紅葉な られるだろうと思うけれど、ほんとうのことを言えば、心 どを折りちらしているのは、そうはいっても住む人がいる からであろう。こんなにしてでも、住んでいられるものだ中の不満を嘆くという点でも、自分と等しくないような人 は、ひととおりのつまらないことをいう程度のあいだは、 なあと、感じ人って見ているうちに、向こうの庭に、大き みかん それでよいであろうが、ほんとうの意味の心の友には、は な蜜柑の木で、枝もしなうほどに実っているもののまわり るかに距離があるにちがいないのは、何ともやりきれない を、厳重に囲ってあったのばかりは、少々今までの感興が ことである。 うすれて、この木がなかったらよかったのにと思われた。 くるすの

3. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

内容の特質 1 ー大略以上のようなものが『方丈記』の内容であるが、その内容の特質の一つとして、先ず目 住宅〈の関心につくのは、住宅 ( の関心である。自分の過去を語っても、先ず記されることは三十代に自 分が建てた家屋が、幼少の時そこに住んで育った父方の祖母の大きな邸宅より非常に小さいとか、それなの くるまよせ に建築の費用が足りず、土塀は築いたが門が建てられず、車寄は竹を柱にした、というようなことであり、 作者には、自分が父方の祖母の遺産を相続し得なかった時以来の住宅に対する執念、完全な住宅が建てられ くす なかった中年以来の欲求不満が、あとあとまで燻ぶり続けていたように見える。 すみか カ - り・ 冒頭からして『方丈記』は「人と栖と」を並べて叙し、この世は「仮の宿り」だといいながら、その「宿 りー即ち住居の存亡を、人の生死に劣らず問題にする。平安京の三分の一をなめ尽したという安元三年 ( 二 七七 ) の大火災のことが最初に記事として記されたのも、住居というものは財宝を蓄積する場所だのに、こん なに家屋が密集してしまった京の街なかを、不意に一夜、火災が襲ったということが、作者には何よりも大 きな衝撃だったからであろう。 ひそかに思うに、作者は、先ず居場所が定まらなければ、何も考えられない、何も手につかない、といっ た固定志向の人一倍強い人だったのではあるまいか。そりあ作者でなくたって、人間だれしも、一生うき草 では居られない、どこかに根をはやして落ちつきたいとは、みんな思っている。けれども、若くして自分の 解家が建たなかったからといって、それで仕事をしなくなるという人は滅多にいないだろう。暫定的な「仮の すみか 宿り」を「栖ーとし、暫定的な椅子にかけ、そこをとまり木にして飛び回るのが普通だろう。『方丈記』の 作者には、それができなかったのではなかろうか。

4. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

261 第 2 段第 7 段 き、親の忠告や世間の非難をはばかるのに心の休まるひま もなく、とつおいっ思案にくれ、結局のところ、ひとり寝 かりね することが多く、しばらく仮寝する夜もないようなのが、 情趣あるものなのである。 そうかといって、恋におぼれきっているふうではなくて、 女から、くみしやすくないと思われるのこそ、このましい 身の持ち方というべきである。 第四段 後の世のことを心に持して忘れず、仏の道にうとうとし くないのは、奥ゆかしいものだ。 第五段 不幸にあって、深い悲しみに沈んでいる人が、軽率に思 ていはっ いこんで剃髪し出家したのではなくて、いるのかいないの ~ か、わからないような様子で、ひっそりと門を閉ざしこも って、現世を期待するということもなく、明かし暮してい る、そんなふうでありたいものだ。 あきもと 顕基の中納言が、「配所の月を罪なくて見たい」と言っ たとかいうが、まことに、そのようにも思われることであ 第六段 わが身が高貴であるようなばあいにも、ましてや、もの の数にもはいらぬ身分であるようなばあいにも、子という ものは、ないままでいるのがよかろう。 さきのちゅうしよおうくじようのだいじようだいじんはなぞののさだいじん 前中書王・九条太政大臣・花園左大臣、これらの方々 そめどののだい は、みんな一族の絶えることを、お願いなさった。染殿大 臣についても、「子孫がおいでにならないのが、まことに 結構でございます。ご子孫が劣っていられるのは、みつと しる よっぎおきな もないことです」と、『世継の翁の物語』に記してあると おりだ。聖徳太子が、生前に御墓をお造らせになったとき にも、「ここを切れ、あそこを断て。こうして子孫を断絶 させようと思うのだ」と申されたとかいうことである。 第七段 とりべやま あだし野におく露の消えるときがなく、鳥辺山の煙が立 ち去らないでいるように、この世の中に、いつまでも住み おおせることのできる習わしであったとすれば、どんなに か深い情趣もないことであろう。この世は不定であるから じん ろう。 ( 原文八三謇 )

5. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

一閑暇で孤独な、ものさびしい 心境である。退屈の意ではない。 一一「日暮らし」。一日じゅう。 しさい 三何の子細・理由もないこと。 四とりとめもなく、の意。 ◆筆を進めるにつれて、異常に物 狂おしいまでの思いにかられもし た心境を、まず述べて、序の言葉 としている。 三さてもさても。あらためて言 序段 葉を切りだす気持である。「や」は 感動の助詞。 ごと つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、六「かんめれ」。古くは「ん」を表 記しなかった。「かん」は「かる」の はつおんびん 撥音便。多くあるようだ、の意。 そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 おみくらい セ「大御位」の音便形。 ちくえん ^ 中国で帝王の庭園を竹園と呼 んだ故事から皇族の別称。天皇の 第一段 子孫としては末流の孫王などまで。 九摂政・関白の別称。 一 0 「いふもさらなり」。申すまで 段いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かめれ。 もないの意。 第みかどんくらゐ たね たけそのふすゑば ~ 御門の御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやん = 摂政・関白以外の普通の貴族。 一ニ天皇から近衛府の官人を、警 たま 序 とねり いちひとみありさま一 0 一一うど どとなき。一の人の御有様はさらなり。ただ人も、舎人など賜はるきはは、ゆ固役などに付けていただく身分。 はふ 三「放る」。おちぶれること。 むまご なまめ ゅしと見ゅ。その子・孫までは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより一四優雅だ。「艶かし」ではない。 徒然草上 すずり 三

6. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

にいうものであるうえに、まして年月もたって、場所も隔説になってしまうだろう。 ってしまえば、言いたいほうだいに作り話をして、文字に いずれにしても、うそいつわりの多い世の中である。た まで書きとめてしまえば、そのまま定説になってしまう。 だ、普通にある珍しくないことと同様に、受けとっておい それぞれの専門の方面での芸道に達した人の、すぐれてい たならば、万事まちがいないはずである。下じもの人間の ることなどを、道理をわきまえないで、その道を知らない話は、聞いて驚くようなことばかりだ。教養あるりつばな 人は、むやみやたらに、神のようにいうけれども、その道人は、異常なことは語らないものである。 うわさ を知っている人は、まるで信仰する気もおこさない。噂に こうは言っても、仏や神の霊験、また仏・菩薩が仮に姿 聞くのと目で見るときとは、何事でもちがうものである。 を変えて、この世に現れた人の伝記などは、そう一概に信 語っているはしから、一方ではすぐばれてしまうのもか じてはならないというわけでもない。こういう事柄は、世 まわず、ロからでまかせに言いちらすのは、すぐに根のな 間のうそいつわりを、心の底から信じているのも、ばから いこととわかる。また、自分も真実らしくないとは思いな しいし、「まさか、そんなことはあるまい」などと言って がら、人の言ったとおりに、鼻のあたりをびくびくさせて も、かいのないことであるから、だいたいは真実のことと うそ 得意げに話すのは、その人の作った嘘ではない。いかにも して応対しておいて、いちずに信じたり、また疑って、ば もっともらしく、ところどころぼんやりさせ、よく知らな かにしてはならないものである。 4 いふりをして、それでもつじつまを合せて語るうそいつわ 第七四段 ~ りは、恐ろしいことである。自分のために名誉になるよう 0 に言われてしまった嘘には、人はあまり争わない。たれも 蟻のように集って、東へ西へ急ぎ、南へ北へ走る。身分 かれもがおもしろがる嘘は、自分だけが、「そうでもなか の高い人もあり、低い人もある。年とった人もあり、若い ったのに」と言ってみたところで、しかたがないので、聞人もある。行く所があり、帰る家がある。夜には寝て、朝 いているうちに、その話の証人にさえされて、いよいよ定には起きる。忙しく働いているのは何事であるのか。やた あり なさっ

7. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

ていくぐあいは、まったく似るものもないほどだ。中陰の 感慨深くこれを見るであろうか。そういうわけで、ついに たず 終る日は、まるで情味もなく、お互いにものも言わないで、 は死後を訪ねるということもなくなってしまえば、どこの 分別顔にさっさと物をとりまとめて、ちりぢりに離れ去っ人かと名まえさえもわからなくなり、年ごとの、春の草ば てしまう。山里などから、もとの住みかに帰ってからこそ、 かりを、心ある人は、しみじみと見るであろうが、ついに いっそう悲しいことが多いものであろう。「これこれのこ は、山風に吹かれて、むせぶように鳴った松の木も、千年 たきぎ という年月もたたないのに、砕かれて薪となり、古い墓じ とは、何とも慎むべきこと、遺族のためにきらい避けると すき いうことですよ」などと言っているのは、これほどの悲し るしも鋤で掘り返されて、田となってしまうものだ。古い みのなかで、何ということだと、人間の心というものは、 墳の形さえもなくなってしまうのは、まことに悲しいこと やはりなさけなく思われる。 である。 年月がたっても、少しも忘れるわけではないけれども、 第三一段 「死んで行ったものは、日ごとに縁遠くなる」と言ってい おもむき ることであるから、何といっても、亡くなった当座ほどに 雪が趣のあるさまに降っていた朝、ある人のもとへ、言 は感じないのであろうか、とりとめもないことを言って、 ってやらなければならぬ用事があって、手紙をやるという ひとけ ふと笑ってしまうようにもなる。遺骸は、人気のない山の のに、雪のことをひとことも言ってやらなかった、その返 段 中に埋葬して、墓参すべき日だけに、お参りしては見てい事に、「この雪を、どんな気持で見ているかと、一筆もお そとば とけ ~ ると、間もなく卒都婆に・も苔がついて、木の葉が埋めてし書きにならないほどの、心のひねくれているようなお方の あらし 囲まい、夕方の嵐、夜中の月だけが、話しかけてくれる縁者仰せになることを、どうしてお聞き人れすることができま 第 であるにすぎないようになってしまう。思い出して、あと しようか。かさねがさね、なさけないみ心です」と書いて あったのは、じつにおもしろいことであった。 を慕う人がいるような間はよいだろうが、その人もまた、 まもなく死んで、ただ聞き伝えているだけの子孫たちは、 現在は、この世にいない人なので、これほどのことも忘 いがい つか

8. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

たいまっ つも松明をつけて、夜中すぎるまで、人の家の門をたたき、 子』などに、言いふるされてしまっていることであるが、 2 同じことを、またこと新しく言うまいと思っているのでも走り歩いて、何事であろうか、大げさにわめきたてて、大 ない。胸にたまっていることを言わないのは、腹のふくれ急ぎであわてまどっているのが、明け方から、何といって 草 も静かになってしまうのにこそ、一年の過ぎ去ってゆく余 る思いのすることであるから、筆にまかせながら書く、つ 然 まらない慰みごとであって、書くいっぽうから破って捨て情も、まことに心細く感じられるものだ。亡くなった人の るはずのものなのだから、人が見る価値のあるものでもな魂が、この世に帰ってくる夜というので、魂をまつる行事 は、近来、京都には滅びているのに、関東の地方では、今 でもやっていることであったのは、まことに感慨深いもの さて冬枯のありさまこそ、秋にはほとんど劣るまいと思 みぎわ であった。 われるものだ。池の水際の草に、紅葉が散りとどまってい やりみず こうして、明けてゆく空の様子は、暮れの昨日と変って て、霜が、たいそう白く置いている朝、遣水から水蒸気が いるとは見えないが、うってかわって清新な心持がするも 立っているのは、おもしろい景である。年が暮れてしまっ かどまっ て、誰も彼もが急ぎあっているころは、たぐいなく感慨深のだ。都大路の様子も、家々に門松を立てつらねて、はな やかに、うれしそうなのこそ、また情趣深いものである。 いものである。興ざめなものとして、見る人もない月が、 さむざむとさえている十二月二十日すぎの空こそ、まこと おぶつみよううえ 第二〇段 に心細い感じがするものだ。宮中での御仏名の法会、また そくばく よすてびと うへいし 何某とかいった世捨人が、「俗世間の、心の束縛となる 諸陵墓に奉幣使が出発するさまなどは、情趣深く、また尊 などり い思いがする。朝廷の諸行事を、しきりに新春の準備にと諸縁をもっていない身にとって、ただ自然の名残だけが惜 しまれる」と言ったのこそ、まったく、そのように感じら りかさねて行われる有様は、まことに結構なことである。 おおみそかついな れることであろう。 大晦日の追儺から、すぐ元旦の四方拝に続くのこそ、じっ におもしろい。大つごもりの夜、たいそう暗い中に、いく しうはい

9. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

徒然草 322 しんでみますると、都の人の心が劣っているとは思われま言うものである。ある東国武士の恐ろしそうなのが、傍の じよう にゆうわ せん。都の人は総じて心が柔和で、情があるので、他人の人にむかって、「お子さまはおいでですか」と尋ねたとき に、「一人も持っておりません」と答えたところ、「それ 言うほどのことは、きつばりと断りにくくて、万事言いき では、人間の情愛はおわかりになるまい。情味のないお心 ることができず、気弱く承諾してしまうのです。偽りをし でいらっしやることだろうと、たいそう恐ろしい。子によ ようとは思わないけれど、貧乏で思いにまかせぬ人ばかり ってこそ、すべての情愛は思いあたってわかるようになる が多いので、しぜんと本心を貫けないことが多いのでしょ のだ」と言っていたのは、そうあるにちがいないことであ う。東国人は自分の出身地の人間だが、ほんとうのところ る。親子の情愛の道でなくては、かような者の心に、あわ は心のやさしさがなく、情味に乏しく、ただただ剛直なも れみの心のあるはずがあろうか。孝行をつくす心のない者 のだから、はじめからいやと言って、すましてしまうので す。富み栄え裕福であるから、人には頼りにされるのですも、子を持ってはじめて、親の情愛は心に思いあたるもの である。 よ」と道理をわけて申されましたのこそは、この上人は、 けいるい 世を捨て出家している人で、万事に係累のない人が、一 声になまりがあり、荒つぼくて、仏典のこまかい道理など、 よくも分別していないだろうかと思ったのに、この一言を般に係累の多い人で、何かにつけて追従し、欲の深いのを けいべっ 聞いた後は、奥ゆかしくなって、たくさんの僧侶がいる中見て、ひどく軽蔑するのは、まちがったことである。その で、寺を管理なさったりもするのは、かように心の柔和な人の心になって思えば、まったく、いとしく思うであろう ところがあって、そのむくいもあるからに相違ないと思わ親のため、妻子のためには、恥までも忘れて、盗みさえも しかねないことである。だから、盗人をしばり悪事をだけ れましたことです。 罰するようなことよりは、世間の人が飢えたり、寒い思い 第一四二段 をしたりしないように、この世を治めてほしいものである。 ひとこと 何のわきまえもないと見える者も、何かりつばな一言は人間は、定まった資産がないときは定まった心がないもの ( 原文一八七 ) そうりよ

10. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

一源雅清。承元三年 ( 一一一 0 九 ) 、右 中将。寛喜一一年 ( 一一一三 0 ) 没。 第四二段 ニ伝未詳。「僧都」は僧正に次ぐ 五 僧官名。 カらはしのちゅうじゃう ぎゃうがそうづ けうさう四し 唐橋中将といふ人の子に、行雅僧都とて教相の人の師する僧ありけり。気 = 真言宗で教理の方面を研究・ しゅほう 然 教授する部門。実践的な修法を行 あがやまひ いきい じそう う「事相」に対していう。 徒の上る病ありて、年のやうやうたくるほどに、鼻の中ふたがりて、息も出でが 四 ( 教相方面で ) 人の師範をする まゆひたひ たかりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額意。 五気が頭にあがる、逆上する。 まひおもて などもはれまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二の舞の面のやうに見六「闌くる」で、盛りをすぎる意。 セ治療したけれども。 ひたひ いただきかた えけるが、ただおそろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻ハ病気がひどくなった。 九はれにはれて。はれあがって。 のちばう 一 0 顔におっかぶさってきたので。 になりなどして、後は坊のうちの人にも見えずこもりゐて、年久しくありて、 = 舞楽で、安摩の二の舞といい、 安摩の舞の次に、これを模して男 なほわづらはしくなりて死ににけり。 女二人が舞う。その時の女の面は はれおもて 「腫面」といい、すこぶる醜い。 かかる病もある事にこそありけれ。 一ニ僧坊。僧の常の住い。 ◆この世のものとも思えぬ不思議 なことも、事実としてあるものだ 第四三段 というおどろきと、それこそほか ならぬ現実の世界であるとする兼 春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、いやしからぬ家の、奥深く、木立も好の明識が、ここにも見られる。 一三優美な。 みなみ みすぐ のふりて、庭に散りしをれたる花、見過しがたきを、さし人りて見れば、南一四邸の中に、はいりこんで。 えん に そう こだち