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検索対象: 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草
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1. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

( 原文一一四八ハー ) です」と言ったので、誰も彼も不思議がって、「ほんとう ら、このようなものが映ることはないであろう。 に他の獅子・狛大とちがっていますなあ。都へのみやげ話 空間は、何でもよく物をおさめ人れる。われわれの心に、 にしましよう」などと言うので、上人は、いっそう知りた さまざまの思いが、勝手気ままにやってきて浮ぶのも、心 という主人がいないせいであろうか。心に主人が、もしあ がって、年輩の、ものを心得ているにちがいないような顔 やしろ ったとすれば、胸のうちに、いろいろのことがはいってく をした神官を呼んで、「このお社の獅子のお立てになりよ ることはないだろう。 うは、きっと、いわれがあることでございましよう。少々 承りたいものです」と言われたところ、「そのことでござ 第二三六段 います。いたずらな子供たちがいたしました、けしからぬ いずも かんじよう 丹波に出雲というところがある。出雲大社を勧請してお ことでございます」と言って、立ち寄って、もとのように なにがし 移しし、りつばに造ってある。しだの某とかいう人の領し置きなおして、行ってしまったので、上人の感激の涙は、 しようかいしようにん むだになってしまった。 ているところなので、秋のころ、聖海上人やそのほかにも、 多くの人々をさそって、「さあ、お出でなさい、出雲神社 もち 第二三七段 の参拝に。ぼた餅をごちそうしましよう」と言って、いっ ゃないばこ 柳筥に据えおくものは、縦向きに置くか、横向きに置く 段しょにつれて出雲まで行ったところ、一同は参拝して、深 まきもの かは、置くものによるのがよいのであろうか。「巻物など 四く信心をおこした。神殿の御前にある獅子と狛大とが互い ~ に背中を向けて、後ろ向きに立っていたので、上人がたい は縦の方向に置いて、柳の木の間から、紙よりをとおして すずり そう感動して、「ああ、結構なことだ。この獅子の立ちか結びつける。硯も縦の方向に置いてあるのは、筆がころが さんじようのうだいじんどの 第 たは、たいそう珍しい。深いわけがあるだろう」と涙ぐんらなくて、よい」と、三条右大臣殿は、仰せになった。 がた かぞのこうじけ 勘解由小路家の、能筆の人々は、かりそめにも、硯を縦 で、「なんと、おのおの方、このすばらしいことをばご覧 になって、不審にお思いになりませんか。なさけないこと向きにお置きになることはない。かならず横向きにお置き たんば こまいぬ

2. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

ちくぜんちくご 一筑前・筑後の称。転じて九州 ニ凶徒の鎮定・逮捕をつかさど 第六八段 る役人。多くは国司・郡司の兼任。 だいこん 三大根。当時、薬用にされた。 くし あふりゃうし 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなるもののありけるが、土大根を万四周囲に塀や垣を廻らし、外敵 然 を防げるように備えた武家屋敷。 あさ くすり 徒にいみじき薬とて、朝ごとに二つづっ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。或 = 「てけり」。「てんげり」と読 四 んだ。「て」は完了の助動詞。「け かたきおそきた ときたち 時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて囲み攻めけるに、館り」は伝聞の助動詞でその強調表 現。 たたか き つはものふたりい のうちに兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひかへしてげり。いと六動作や状態を表す動詞。ここ は、住む、いるの意。 ひごろ くどく りやく 七功徳。ご利益 不思議に覚えて、「日比ここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、 きせきたん ◆辺境地帯の民間に伝承の奇跡譚。 としごろたの いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らにさ兼好は、その素朴な信心に共感を こめて、これを記している。 八性空上人。播磨国 ( 兵庫県 ) 書 ぶらふ」といひて失せにけり。 写山を開いた。寛弘四年 ( 一 00 七 ) 没。 しん 九人間の迷いを生み出す眼・耳 深く信をいたしぬれば、かかる徳もありけるにこそ。 ・鼻など六種の感覚器官 ( 六根 ) が、 清浄の境地に達した人の意。 そうち 一 0 中国三世紀の詩人、曹植の、 第六九段 まめがら 「箕ハ釜下ニアリテ燃工、豆ハ釜 中ニアリテ泣ク。本ハ同根ョリ生 ろくこんじゃう つけどくじゅこう しよしやしゃうにん 書写の上人は、法華読誦の功つもりて、六根浄にかなへる人なりけり。旅のズルニ、相煎ルコト何ゾ ( ナ ( ダ 急ナル」 ( 『世説新語』等 ) によるか。 かりや 一 0 からた 仮屋に立ち人られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音の、つぶつぶとなるを = 疎遠でないお前ら。 ( 現代語訳一一八九 ) ひま を に かこせ 五 っちおほねよろづ ある あいに

3. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

359 第 238 段 くじようのしようこくこれみちこう ります。九条相国伊通公の官位申請文にも、格別のこ とのない項目までも書いて載せ、自賛なさっている。 じようざいこういんつりがねめいぶんすがわらのありかねのきよう 一、常在光院の釣鐘の銘文は、菅原在兼卿の草稿であ いがた る。藤原行房朝臣が清書して、鋳型に移し人れさせよう としたときに、命によって執行していた人道が、その草 稿を取り出して、私に見せましたのに、「花の外にタベ きこ はくり を送れば、声百里に聞ゅーという句がある。「他の句は ようとういん ようとういん みな陽唐の韻と思われるのに、百里は陽唐の韻でないの で、まちがいであろうか」と私が申したのを、「ようこ そお見せ申しあげたことよ。これは私の手がらです」と 言って、筆者の在兼卿のもとへ知らせてやったところ、 すこう 「まちがえましたよ。百里を数行とおなおしください」 と返事がありました。「数行」も、どんなものだろうか。 すに あるいは「数歩」の意味だろうか、はっきりしない。 「数行」はやはり不審だ。「数行」の「数」は、四、 五ほどの、わずかな数のことだ。鐘四、五歩では、ど れほどもない距離である。この詩句は、ただ、鐘の音 が遠くまで聞えるという意味である。 えいざん 一、多くの人々とつれだって、叡山の三塔を巡拝するこ よかわじようぎようどう りようげいん とがありましたときに、横川の常行堂の内に、竜華院と 書いてある古い額があった。「額の筆者は、藤原佐理と ふじわらこうい 藤原行成とのうち、どちらであるかに疑問があって、ま だ決着しないと申し伝えている」と、堂守の僧が、大げ さに申しましたのを、「行成ならば、裏書があるはずだ。 佐理ならば、裏書のあるはずがない」と言ったところ、 ちり 額の裏は塵がつもり、虫の巣できたならしいのを、よく 払ってふきとって、みんなで見ましたところ、行成の位 署・名字・年号が、たしかに見えましたので、人々はみ なおもしろがった。 どうげんしようにん はちさい ならんだじ 一、那蘭陀寺で、道眼上人が説法をしたとき、八災とい うことを忘れて、「あなたがたは、覚えておられるか」 と言ったのを、弟子たちはみな覚えていなかったのに、 別席の内から私が、「これこれでしようか」と言いだし たので、人々はたいそう感心いたしました。 けんじよそうじよう かじこうずい 一、賢助僧正のお供をして、加持香水の儀式を拝見しま したときに、まだ儀式の終らないうちに、賢助僧正が式 場から出て、帰途につかれたのでありましたが、儀式の そうず あった座所の外まで僧都の姿が見えない。法師たちを引 き返させて、捜させたが、「同じ姿の僧徒が多くいて、 捜しあてられません」と言って、たいそうたってから出 しょ ふじわらさり い

4. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

( 原文一三〇ハー ) ( 月を賞し花を眺めた昔の優雅な人在原業平は、ここに鎮ま てしまった。たいそう不思議に思って、「日ごろ、ここに っている ) おいでなさるとも思われない人々が、こんなに戦いなさる のは、いったいどういうお方ですか」と尋ねたところ、 と、お詠みになったところは、岩本の社だとお聞き申して 「長年頼みにして、毎朝召しあがっていた大根らでござい おりますが、私どもよりはかえって、よくご存じなどでも ます」と言って、消えうせてしまった。 ございましよう」と、たいそう礼儀正しく言ったのは、ま くどく 深く信じきっていたからこそ、かような功徳もあったわ ことにりつばだと思われた。 いまぞがわのいんこのえ 今出川院の近衛といって、あれこれの歌集にいくつも人けであろう。 集している人は、若かった時、いつも百首歌を詠んで、こ やしろ 第六九段 の二つの社の御前の流れの水で墨をすって書いて、神にお くどく どくじゅ しよしゃざんしようくうしようにん 供えなさったものだ。ほんとうに、たいそうな評判をとっ 書写山の性空上人は、長い年月、法華経を読誦した功徳 ろっこん が積りかさなって、人間の迷いのもとになる六根が清浄な て、人々がよく口にする歌がたくさんある。この人はまた、 かりごや 境地に達している人であった。旅の途中、仮小屋にお立ち 漢詩や詩序などを、みごとに書く人である。 まめがらた 人りになったときに、豆殻を焚いて、豆を煮ている音が、 第六八段 ぐっぐっと鳴るのを、お聞きなさったところ、「親しいお おうりようし 収つくしのくに 筑紫国に、何某という押領使などというような役目の者まえたちともある者が、恨めしくも、わしを煮て、ひどい 目にあわせることよ」と言った。また焚かれる豆殻の、ば ~ がいたが、大根を、すべての病気によくきく薬だといって、 段 ちばちと鳴る音は、「自分の心からすることであるものか 毎朝ふた切れずつ焼いて食べることが、長年になっていた。 ぶにん 第 ある時、屋敷の中が無人であったすきをねらって、敵が襲おれが焼かれるのだって、どんなにかやりきれないことだ けれども、どうにもしようのないことだ。そんなに恨みな いかかってきて、屋敷を囲んで攻めたときに、屋敷の中に、 さるな」と聞えたということだ。 武士が二人現れて、命を惜しまず戦って、敵を皆追い返し だいこん

5. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

である。人間はせつばつまって盗みをする。世の中がよく い。ただ、死んでゆく本人さえ、まちがいがなければよい 治らないで、凍えと飢えの苦しみがあるならば、罪を犯すので、他人の見たり聞いたりしたことによって判断できる 者は絶えるはずがない。人を苦しめ法を犯させておいて、 はずのものではない。 それを罪に当てるようなことは、かわいそうなことである。 第一四四段 それでは、どうやって人民に恵みを与えたらよいかとい とがのおみようえしようにん うならば、上に立つ者が、ぜいたくや、浪費をすることを 栂尾の明恵上人が、道をお通りになったときに、川の中 しも・し - も あしあし やめ、人民をかわいがり、農業を奨励すれば、下々の者に で馬を洗っている男が、「足、足」と言ったので、上人は 利益があるだろうことは、疑いのあるはずがない。衣食が たちどまって、「ああ、尊いことよ。前世の善根が現世に 世間なみであるうえに、悪事をするような人をこそ、ほん発して、善果を結んだ方よ。阿字阿字ととなえていること とうの盗人というべきである。 だよ。どういう方の御馬ですか、何とも尊く思われること ふしようどの です」と、お尋ねになったところ、男は、「府生殿の御馬 第一四三段 でございます」と答えた。上人は、「これは結構なことよ。 あじんふしよう 人の臨終の有様がりつばであったことなど、人が話すと阿字本不生であるそうな。うれしい仏縁を結んだものじ や」と言って、感涙をぬぐわれたということである。 段ころを聞くと、ただ「静かでとり乱さなかった」と言えば、 奥ゆかしくあるはずなのに、愚かな人は、不思議で変った 第 第一四五段 ~ 様相を語りそえ、故人の言った言葉も動作も、自分のすき みずいじんはたのしげみ くめん しもつけのにゆうどうしんがん 院の御随身の秦重躬が、北面の武士の下野人道信願を、 観なようにほめそやすが、それこそ故人の日ごろの本心と違 第 っていはしないかと思われる。 「落馬する人相のある人です。十分におつつしみなさい」 この臨終という大事は、仏神の化身のような人も判定すと言ったのに、人々は、とうていほんとうらしくもないこ ることはできない。学識豊かな人も測定することはできな とと思っていたところ、信願は馬から落ちて死んでしまっ こご

6. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

い おやしろ三 いづも 一京都府亀岡市出雲。 丹波に出雲と言ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだのなにがし ニ島根県大社町の出雲大社。 あまた か ころしゃうかいしゃうにん とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その外も、人数多さそひて、「いざ = 大社の神霊を申し請けて移し。 四しだ ( 「志太」か。未詳 ) の某。 ぐ 草 い おのおのをが をが 給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて、具しもて行きたるに、各拝 = 「知る」。領する。知行する。 然 六伝末詳。 うしろ こまいぬそむ おまへ ↓一一三四ハー注七。 徒みて、ゆゅしく信おこしたり。御前なる獅子・狛大、背きて、後さまに立ちたセ 八悪霊を避ける力ありとされた。 しゃうにん りければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちゃう、いと九背を向けて。 一 0 男子の敬称。「原」は複数を示 とばらしゅしよう とのがた めづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じとがす接尾語。殿方、おのおの方の意。 = すばらしいこと。 まことた おのおのあや ふしん むげ 一ニ見て、ご不審に思われないか。 めずや。無下なり」と言へば、各怪しみて、「誠に他にことなりけり。都のつ みやイもの 一三「つと」は上産物。みやげ話。 とに語らん」など言ふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顔一 0 年配で物を心得ていそうな顔。 一五「性なき」。性質のわるい。 なら みやしろ じんぐわん したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、定めて習ひあること一六けしからぬことの意。 ◆子供の悪戯を神意とありがたが わらはべ 一五 に侍らん。ちと承はらばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どる上人も、これに同調する人々も、 その愚かしい過信を笑いとばされ す きくわい もの仕りける、奇怪に候ふことなり」とて、さし寄りて、据ゑなほして往にける。吉凶日の俗信を退けた九一段 等とともに、兼好の覚めた眼が痛 烈な批判をささえているのである。 れば、上人の感涙いたづらになりにけり。 一七柳の木を細かく三角に削って 寄せ並べ、生糸やこよりなどで二 か所を編み、足をつけて机の形に 第二三七段 し、物を載せるのに用いた台。 ( 現代語訳三ん七ハー ) たんば ゅゑ め 四 い

7. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

がれがあるということは、近年人が言い出したのである。 た。その道に達した人の一言は神の言葉のようだと、人々 は田 5 った。 格式等の法令・細則などにも見えないということである。 そこで、「どんな人相か」と人が尋ねたところ、「たいそ 草 しり 第一四八段 うすわりのわるい尻つきであって、はねあがるはやり馬に 然 きゅう 四十以後の人が、からだに灸をすえて、三里にもすえて 乗ることを好んだので、この人相をあてはめました。いっ おかないと、のぼせることがある。かならず一二里にすえな 私が申しそこなったことがありますか」と言ったというこ くてはならない。 とである。 第一四九段 第一四六段 ろくじよう めいうんざす 鹿茸を鼻にあてて嗅いではならない。鹿茸の中に小さい 明雲座主が人相見にお向いになって、「自分は、もしゃ 武器による災難があるだろうか」とお尋ねになったところ、虫がいて、鼻からはいりこんで、脳を食うといっている。 人相見は、「まさしく、その相がございます」と申しあげ 第一五〇段 た。「どんな相であるか」とお尋ねになったので、「傷害を 芸能を身につけようとする人は、「よくできないような 受ける心配がおありになるはずのないご身分で、かりそめ ないない 時期には、なまじっか人に知られまい。内々で、よく習得 にも、こんなことを思いっかれて、お聞きになるという、 ひょうじよう してから人前に出てゆくようなのこそ、まことに奥ゆかし これがもう、兵仗による災難の前兆であります」と申しあ いことだろう」と、いつも言うようであるが、このように げた。はたして、矢に当って、亡くなられてしまった。 言う人は、一芸も習得することができない。まだまったく 第一四七段 の未熟なうちから、上手の中にまじって、けなされ笑われ けいこ きゅう お灸をすえた所が多くなってしまうと、祭神の行事にけ ても恥ずかしいと思わずに、そしらぬ顔でとおして稽古に きやくしき

8. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

の匂いを追風にただよわせるたしなみをしているのなどは、 柳原の辺に、「強盗の法印」と人の呼ぶ僧があった。た 人の見ることもない山里であるのに、心づかいをしている。 びたび強盗にあったというので、この名をつけたというこ おもいのままに茂っている秋の野のような庭は、こぼれる とである。 ほどの露に一面におおわれて、虫の声が、うらみがましく 第四七段 聞え、庭の引き水の音が、のどかに聞える。都の空よりは 雲の往き来も早いように感じられ、雲間の月が晴れたり曇 ある人が清水寺へ参詣したときに、年老いた尼と道づれ ったりすることも、たえず変化して定めがたい。 になったが、その尼が道々、「くさめ、くさめ」と言いな がら行くので、「尼君、何事を、そんなにおっしやるので 第四五段 すか」と尋ねたけれど、答えもせず、やはり言いつづけて きんよ りようがくそうじよう 公世の二位の兄で、良覚僧正と申しあげた方は、たいそ いたところ、何度も尋ねられて、腹を立てて、「ええ、く う怒りつぼい人であった。僧房のそばに大きな榎の木があ しやみをしているとき、このようにおまじないしなければ、 ったので、人々が「榎の木の僧正」とあだ名をつけた。す死んでしまうものだと申すから、私のお育てした君で、比 えのやまちご ると僧正は、この名はけしからんと言って、その木を伐っ叡山に稚児でいらっしやる方が、もしや今すぐにも、くし ておしまいになった。ところが、その根が残っていたので、 やみをなさるだろうかと思うので、こう申しているのです 段 人々は、「きりくいの僧正」と言った。僧正は、いよいよ ぞ」と言った。世にも珍しい心寄せであったことだ。 あと ~ 腹を立てて、その切株を掘り捨てたところ、その跡が大き ほりけ 第四八段 な堀になっていたので、人々は、「堀池の僧正」と言った みっちかのきよう ごとば さいしようこう 第 ということだ。 光親卿が、後鳥羽上皇の院の御所で行われた最勝講の ぶぎよう ごん 奉行の役をして、お仕えしていたのを、御前へお召しにな 第四六段 、御食膳をお出しになって、お食べさせになった。光親

9. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

徒然草 292 うえに、さらに酔っている。酔っているなかで、さらに夢 らに長寿を願い、利益を求めて、とどまるところがない。 わが身の養生をして、何事を期待するのか。待ちうける を見ている。走りまわって忙しく、夢中になって我を忘れ ところは、ただ老いと死とだけである。老いと死の来るこ ていること、人はみなこのような状態である。まだ真の仏 とは、速やかで、一瞬の間も休止することがない。老死を 道を知らないでも、世俗の諸縁を離れて、身を静かな境地 待っ間、何の楽しみがあろうか。迷っている者は、これを におき、俗事に関与しないで、心を安らかにするようなの 恐れない。名誉利益に心をとられて、死期の近いことを顧こそ、かりそめにも生をたのしむということもできよう。 みないからである。愚かな人は、また老いと死とを悲しむ。「生活・人事・技芸・学問等、さまざまなかかわりあいを、 まかしかん 不滅であろうことを願って、無常の理法を知らないからで とりやめてしまえ」と、『摩訶止観』にも記されていると ある。 おりである。 第七六段 第七五段 世間にもてはやされて、花やかなくらしをしている人の なすこともなく所在ないさびしさを、つらく思う人は、 ところに、不幸な事もあり、喜び事もあったりして、多く どんな気持なのだろう。心が他の事にひかれることなく、 ひじりうし の人が訪問する中に、聖法師が交わって、取次を乞うて立 ただひとりでいるのこそ、このうえない境地である よくじん 俗世間に順応すれば、心が外部の欲塵にとらえられて迷ちどまっているのこそは、そんなことはしなくても、と思 われる。しかるべき理由があっても、法師というものは、 いやすく、人と交際すれば、言葉が他人の思わくに左右さ れて、そのままそっくり、わが心の表出でなくなる。人と世間の人に疎遠であるのがよかろう。 戯れ、相手と争い、ある時は恨み、ある時は喜ぶ。そうし 第七七段 た心の動きは安定することがない。思慮分別が、むやみに 世の中に、そのころ人々が話題の種として言いあってい おこって、利害得失の念の絶えるときがない。迷っている すみ

10. 完訳日本の古典 第37巻 方丈記 徒然草

徒然草 284 出しやばって、目の前にいま見ていることのように、しゃ の極楽往生を願おうのに、むずかしいことがあろうか」と べりちらすので、皆いっしょに笑いざわめく、それがたい 言うのは、まるで来世の往生というものを知らない人であ そう騒がしい。おもしろいことを言っても、やたらにおも る。ほんとうに現世のたよりにならぬことを思い、必ず迷 しろがらないのと、興味のないことを言っても、むやみに いの世界を出離しようと思うのならば、何の興味があって、 じんびん 笑うのとで、人品の程度ははかられてしまうだろう。 朝夕、主君に仕えたり、家庭を顧みたりする仕事に気のり 人の風采のよいわるいについて、また学問のある人は、 するだろうか。人の心は外縁にひかれて移り変るものであ 学問についてなど、人々が判定しあっているときに、自分るから、心しずかでなくては、仏道の修行はなしがたいも の身に引きつけて言い出しているのは、たいそう聞き苦し のである。 いものである。 今の人は、その器量が昔の人にかなわないし、人里離れ いんとん た山や林の中に隠遁しても、身の飢えをしのぎ、風雨を防 第五七段 ぐよりどころがなくては、生きてゆけないことであるから、 人の語り出した歌物語の歌がまずいのは、とりわけがっ たまたま世俗の利欲をむさぼるかと思われるようなことも、 かりするものである。少しでも歌の道を知っているような場合によっては、どうしてないことがあろうか。それだか 人は、そんな歌をよいと思って語ったりはしないだろう。 らといって、「世をそむいて遁世したかいがない。それく 何事でも、それほど知らない方面の物語をしているのは、 らいならば、なんで世を捨てたのか」など言うようなのは、 かたわら 傍で聞くも笑止で、聞き苦しいものである。 まったくお話にならないことである。何といっても、一度 仏道にはいって、俗世間を避けきらうような人は、たとえ 第五八段 欲望があっても、権勢ある人の、飽くことを知らぬ欲望の あさ 求道心があるならば、何も住む所などにかかわることは はげしいのと同様であるはずがない。紙で作った夜具、麻 はち あるまい。出家後も家におり、人と交際していても、来世の衣、鉢一杯の食物、あかざの吸物、そんなものが、どれ ふうさい