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検索対象: 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)
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1. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

さねかめ 「雪の曙」と呼ばれる彼女の初恋の男が西園寺実兼であることは、ほとんど疑う余地がないとい さんろう ってよい。まず彼は春日社を氏社として同社に参籠したり、参籠すると称して代官を立てたりし ているから、藤原氏の人間であることは間違いなく、しかも彼からの贈物を父に尋ねられた二条がとっさに じゅ′一う ときわい 常磐井の准后から頂いたと偽っているところから、どうやら二条の母方につながる縁者でもあるらしく、院 ちしつ と彼女の動静を知悉していることから、院の側近であることも疑いない。そして、きわめて裕福な貴公子で このえ しまよう あることが知られる。以上に加えて、決定的なのは伏見御所での今様伝授の折のことである。彼女が近衛の おおいどの 解大殿の意のままにされた伏見の御所に「雪の曙ーも伺候していたらしいことは前後の叙述から知られるので あるが、西園寺実兼については院のお供をしていたことを明記している。すなわち、「雪の曙」と西園寺実 。となれば、推理小説の手法にも 兼とは同じ御幸に参加していて、しかも両者が同時に登場することはない 「雪の曙」 での「有明の月」は、五部大乗経を竜宮の宝蔵に奉納して、再生し、作者と再び結ばれることを願ったが、 おういっ 邪教ともいうべきものも含めて、神秘思想の横溢する時代なのであった。 さねかぬ この公相の後嗣が実兼 ( 「さねかね」とも ) であった。 作者をめぐる男たち ここで、作者が深く関わった男たちの実像を、やや詳細に探ってみようと思う。

2. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

で、その退廃的な崩れかたが世紀末風な魅力を伝えてくる。 にひまくらこすけだい 後深草院は、作中で「わが新枕は故典侍大にしも習ひた りしかば」 ( 第一冊一四八ハー ) といっているように、昔典侍 日本の古典 だった二条の母に性の手ほどきを受けたとみえる。二条が 第巻とはすがたり 十四歳の時、それまで院から「あが子」と呼ばれて可愛が ・昭和年 6 月日られていた二条は、何の心構えもないまま院に犯されてし こよひ なさけ まう。そのあたりの描写も「今宵はうたて情なくのみあた りたまひて、薄き衣はいたくほころびてけるにや、残る方 鎌倉極楽寺ー古典文学散歩ー なくなりゆくにも : : : 」・ ( 第一冊一九ハー ) などと、妙になま なましいのである。 尾崎左永子 それを手はじめに、「雪の曙」「有明の月」「近衛大殿」 鎌倉に関係のある女流の古典といえば、すぐに阿仏尼のそれに院の弟「亀山院」と、次々に男が入り乱れつつ物語 けんらん いぎよい 『十六夜日記』が頭に浮ぶのだが、昨今は地味な『十六夜は展開する。それも絢爛とした恋の絵巻風ならいいのだが、 日記』は敬遠されて、代りに後深草院二条の『とはずがた後深草院はわざと二条と他の男との仲をとりもって、暗い しっと り』が人気を獲得しつつあるようだ。 嫉妬の炎を燃やすという被虐的な性癖の持主である。二条 『とはずがたり』が活字になったのは比較的新しいのだが、はまた、父の異なる子を何人か生んでは、秘密裡に処理さ はじめてこの書に接したときの、奇妙に鮮烈な印象は、い れるという、何ともやりきれない経過をたどっていく。 これがもし、王朝の和泉式部だったら、たとえ″浮かれ まだに記憶にあたらし い。だいたい、「宮廷女流文学」と いわれる種類のものは、今はすでに失われた優雅艶麗な雰女〃などと言われながらも、男心をくすぐる軽やかな風流 囲気をまとっていて、読者に少なからぬ憧憬を呼び起すののなかに、女が中心になっているという主体性が感じられ が例である。ところが、この『とはずがたり』は全く異質るのだが、後深草院二条の場合には、男たちのいいおもち 月土羊 3 め 、一ろも かた

3. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

へまかで給ひて、節会の儀式、ひきうっしまちとり給ふさ ま、いとめでたく、いまさらならぬ事なれど、ちゝのとの もついの御位はさこそなれど、たゞいまさしあたりては、 いまだあさくおはするに、すがやかに后妃の位にさだまり 給ふ事、かぎりなき御世のおばえと、めでたく見ゅ。大宮 院、本院、東二条院、みなわたりおはしまして、見たてま つり給ふさへぞやむごとなき。今日は、紅のはりひとへが さね、ひへぎ、をみなへしのうはぎ、二あゐのから衣、う すいろの裳、すべて廿人、おなじ色のよそひなり。このほ か、いぎの女房八人、しろきはりひとへがさね、こきひへ ぎ、おなじはかま、をみなへしの衣にてさぶらふ。いづれ となく、かたちどもきょげにめやすし。 そのとしの十一月一日ぞ后の宮の御ちゝ右大将になり給 鏡 3 ひぬる。おなじ廿五日正二位し給ふ。此程は大嘗会五節な 料どのゝしる。さきの御世にはひきかへて中宮皇后宮院たち 考あかれ / 、おほくおはしませば、殿上人どもすいさんの所 録おほくかしらいたきまでめぐりありく。そのとし十二月に 付 御門の御母三位殿院号あり。朝に准后の宣旨ありておなじ タに玄輝門院と申。めでたくいみじかりき。

4. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

ひて、方丈のとばそをたゝくに、 妄想の夢おどろかれてし かたみ、左右のたもと所なく、いよ / 、いきのたゆるをか づかに往事をおもへば、ひざのもとをはなたずあさゆふあぎりて合掌して念仏す。 いせしみどりごも、生死のちりにおかされにければ、めの まへのかなしみ、ったへきくなげき、厭離穢土の境界は身 ず一にきはまりたり。つら / 、いにしへをかへり見れば、愛 と結のきづなにまつはれて、沈麝のにほひに心をそめし床の うへ、後悔してまづ聖霊を思やれば、十王断罪の庭にはし たをまきてや地にふすらん。かへしても / 、たのむ所は得 聞六字の名、たとひ火車現ずとも、花台すなはちむかへん。 こひねがはくは弥施善逝、罪障としをへ、後悔日あさくと も、一心を知見して九品の蓮台にむかへしめ給へ。又、ね がはくは名号功すくなく、深心おもひあさくとも、他力の 舟にのりて本願の海にうかばむと思身は、愚鈍の凡夫なり といへども、今は念仏の行者たり。なんそ分陀利花にこと ならむ。南無観世音大勢至、ねがはくは勝友となりて、生 諸仏家の本懐をとげしめたまへ。南無阿弥施仏 / 、とこゑ をはげましてとなふれば、峯のあらしにたぐひて異香ゃう やく室ににほひ、白毫ほそくめぐりてまゆのあひだにかゝ やけり。須臾にかの地にいたりなむことちかきにあり。本 誓むなしからぬよろこび、随喜のなみだ、来迎のゆやく、

5. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

と思われて、「勤行には何をするのですか。どのような機 めることのできない、明石あたりの船旅の泊りですね ) ほっしん いつくしま 縁で発心したのですか」などと尋ねると、ある尼が申すに 目指す厳島に着いた。広々とした波 〔三〕厳島の景観 は、「わたしはこの島の遊女の長者です。大勢の遊女を抱 の上に鳥居が遥か彼方にそびえ立ち、 えて置いて、めいめいの容貌を売物とし、旅人を頼りとし百八十間の回廊はそのまま海の上に建てられているので、 ずて、彼らが留まることを喜び、船を漕いで行ってしまうこ たくさんの船もこの廊に横着けされている。大法会が行わ ととを嘆いておりました。また、知らない人に向っても、それるであろうということで、内侍と呼ばれる巫女たちが、 の人の千秋万歳を祈り、花の下でいささかの情けをかけ、 めいめい舞などをするようである。九月十二日が試楽とい 酒に酔うことを勧めなどして、五十も過ぎましたが、前の うことで、回廊をめぐらした海の上に舞台を建てて、社前 こそで 世の因縁がきざしたのでしようか、有為の眠り ( この世の の廊から上る。内侍八人が、皆、色とりどりの小袖に白い げんそうちょうひょう すべての現象に伴う迷い ) が一度に覚めて、二度と故郷へも湯巻を着ている。普通の舞楽である。唐の玄宗の寵妃、楊 きひ デいしよううい 帰らず、この島に来て、毎朝花を摘みにこの山に登ること 貴妃が奏楽したという、霓裳羽衣の舞姿とか、その名を聞 うらや をして、三世の諸仏に奉っております」などと言うのも羨 くにつけ懐かしく思われる。 ましく思われる。 法会の当日は、左右の舞、青や赤の錦に飾られた装束は、 とうりゅう に一、二日逗留してから、また船を沖へ漕ぎ出して 菩薩の姿に少しも変らない。天冠をしてかんざしを挿して 行くと、遊女たちが名残を惜しんで、「いつごろ都に漕ぎ いる舞人は、これは楊貴妃の姿であろうかと見えた。暮れ しゅうふうらく 帰られるのですか」などと言うので、「さあ、これが最後 てゆくにつれて楽の声もまさって聞えたが、秋風楽がとく の旅になるかもしれない」などという気がして、 、耳につくように思われました。 いくよ いさやその幾夜明かしの泊りともかねてはえこそ思ひ 日が暮れる時分に終ったので、大勢集っていた人も、皆 さんろう 定めね めいめいの家に帰った。御前ももの寂しくなった。参籠し ( さあ、これから先幾夜を明かすかとも、前々からは思い定ている人々も少々見える。十三夜の月が社殿の後ろの深山 ( 原文六五ハー ) 138 てんかん

6. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

すさのおのみこと いずものくにやまたおろち ねぎ 生れは素盞嗚尊であった時、出雲国で八岐の大蛇の尾の中ある。神館という所に、一、 二の禰宜から神官たちが伺候 から取り出して、わたしに与えた剣である。ここに錦の袋している。このお宮では、出家者の参詣ははばかられるこ がある。これを、敵に攻められて、これが最後と思う時、 とと聞いているから、どこでどのように参詣したらよいか とりい するがのくにみかり にわどころ 開けて見よ』と仰せられて下賜されたのを、駿河国の御狩ともわからないので、尋ねると、「二の御鳥居・御庭所と ず野で野に火を放たれるという難に遭われた時、佩いていら いうあたりまで行くのはさしつかえあるまい」と言う。 とっしやった剣がおのずと抜けて、お近くの草を切り捨てた。 神域の有様は、たいそう神々しげである。館のあたりに その折、錦の袋の中にあった火打石で火を打ち出されたの たたずんでいると、二、三人の、神官と思われる男が出て で、炎が敵の方へ覆い、眼をくらませて、敵はここで滅び来て、「どこから来られたのですか」と尋ねる。「都から結 えん た。その故に、この野を焼津野ともいった。また、御剣を縁のためにお参りしました」と言うと、「普通では、その くさなぎつるぎ 草薙の剣と申すのである」という御縁起が焼け残っておら ような出家した人のお姿でははばかりがありますが、くた れたのを、ちょっとお聞きしたが、見た夢の言葉が思い合 びれていらっしやるご様子ですから、御神もお許しなされ されて、不思議にも、尊くも思われました。 るでしよう」と言って、神館の内へ入れて、いろいろもて このような騒ぎの際であるから、経なしてくれ、「ご案内してあげましよう。宮の内へ入るこ く・」っ・ 三九〕外宮参詣 供養のこともいよいよ折が悪い気が とはできないから、外側から」などと言う っしま して、津島の渡りというのを経験して、伊勢神宮に参詣し 千枝の杉の下、御池の端まで参って、宮人はお祓いを神 た。四月の初め頃のことであるから、何ということなく、 神しくして、幣を捧げて出て来たが、わが心の内の深い濁 こずえ 一面青々としている梢も一風変って趣がある。 りは、このようなお祓いにもどうして清くなることがあろ げくう まず外宮にお参りすると、山田の原の杉の群立ちは、ほ , つかと思 , っと、情けない。 はつね ととぎすの初音を待つついでもあって、「ここをせにせむ 帰途には、そのあたり付近の小さな 〔三 0 〕度会常良との贈答 ( ここを、ほととぎすを待っ場所としよう ) 」と語らいたそうで 家を借りて宿ったが、「ところで、 126 おお やきつの きよう かんだち めさ

7. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

31 巻四 さっ また混じる物もなく、これが高さは、馬に乗りたる男の見えぬほどなれば、推賜ノ御衣ハ今此ニ在リ捧ゲ持チ よきゃう テ毎日余香ヲ拝ス ) 」 ( 菅家後集 ) を みち しはかるべし。三日にや分けゆけども、尽きもせず。ちとそばへ行く道にこそ踏まえる。同詩は『大鏡』に引く。 九一定の法式に従って経文を書 しゆく ひととほ かた 写すること。その経文をもいう。 宿などもあれ、はるばる一通りは、来し方行く末、野原なり。 一 0 八幡大菩薩。石清水八幡宮に くわんおんだう 観音堂はちと引き上がりて、それも木などはなき原の中におはしますに、ま奉納したか。ただし、記事はない = 宮城。 、 ) よひ 一ニ「思ひ草葉末に結ぶ白露のた めやかに、「草の原より出づる月影」と思ひ出づれば、今宵は十五夜なりけり。 またま来ては手にもたまらず」 ( 金 あそ うへ おんぞ によほふきゃう ふせ だい要 雲の上の御遊びも思ひやらるるに、御形見の御衣は如法経の折、御布施に大替葉・恋上源俊頼 ) を引くか。 一三十五夜の月は、昔、宮中で見 薩に参らせて、今ここにありとはおばえねども、鳳闕の雲の上忘れたてまつらた思い出があるので悲しいとの心。 一四満月から院の面影を連想した よきゃう 歌。「くまもなき折しも人を思ひ ざれば、余香をば拝する心ざしも、深きに変はらずそおばえし。 出でて心と月をやっしつるかな」 ふ しらっゅ 草の原より出でし月影、更けゆくままに澄み昇り、葉末に結ぶ白露は玉かと ( 新古今・恋四西行 ) などに通う。 。武蔵野の秋の気色」は、西行仮 ここち 託の『撰集抄』巻六に「さいっ頃武 見ゆる心地して、 蔵野を過ぎ侍りしに、東西南北草 - 一よひ のみ茂りて、人も住ます、花色々 雲の上に見しもなかなか月ゅゑの身の思ひ出は今宵なりけり もも、つ、ら に咲き乱れて、百浦に唐錦を拡げ たらん心地し侍りて、武蔵野は行 涙に浮かぶ心地して、 一四 けども秋のはてぞなきいかなる風 おもかげ の末に吹くらんと、はるばる思ひ 隈もなき月になりゆくながめにもなほ面影は忘れやはする やり侍り」と叙す。成立時期も関 やど 係するが、これらに触発されるか 明けぬれば、さのみ野原に宿るべきならねば、帰りぬ ま すのば ほ - つ、けっ 九 はずゑ 0 うへ 六 お

8. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

暮るるほどなれば、遊女ども契り求めて歩くさま、憂かりける世のならひか一「鏡山いざたちよりて見てゆ かむ年経ぬる身は老いやしぬる かねおとすす と」 ( 古今・雑上読人しらず、左 なとおばえて、いと悲し。明けゆく鐘の音に勧められて出で立つも、あはれに 注大友黒主 ) の本歌取り。 ニ旧中山道の宿場町。現、岐阜 が悲しきに、 県大垣市の北西。三河国にも東海 かがみやま おもかげ 道の宿駅、赤坂があり、遊女カ寿 し立ち寄りて見るとも知らじ鏡山心の内に残る面影 は、大江定基 ( 寂昭 ) の発心の縁と ひかずふ なった説話で知られる。 ゃうやう日数経るほどに、美濃国赤坂の宿といふ所に着き 〔ニ〕赤坂・八橋 小さな折敷 ( 檜の片木で作っ ぬ。ならはぬ旅の日数もさすが重なれば、苦しくもわびし四 た角盆 ) 。 けふとど やどあるじ ことび ければ、これに今日は留まりぬるに、宿の主に若き遊女おとといあり。琴・琵五「思ひ」に「煙」の縁語「火」を掛 ける。「立つ」も「煙」の縁語。ある ここち な一け くこん いは「世の中を心高くも厭ふかな 琶などきて情あるさまなれば、昔思ひ出でらるる心地して、九献など取らせ 富士の煙を身の思ひにて」 ( 新古 ふたり 今・雑中慈円 ) を念頭に置くか て、遊ばするに、二人ある遊女の姉とおばしきが、いみじく物思ふさまにて、 六「恋をす」から「駿河」へと言い ばち まぎ めとど 琵琶の撥にて紛らかせども、涙がちなるも、身のたぐひにおばえて目留まるに、掛け、「思ひ」に「煙」の縁語「火」を 掛ける。「くらべばや恋を駿河の すみぞめ そで さかづきす これもまた墨染の色にはあらぬ袖の涙をあやしく思ひけるにや、盃据ゑたる山高み及ばぬ富士の煙なりとも」 四 ( 続古今・恋一一宗尊親王 ) 。 セ三河国の歌枕。現、愛知県知 ト折敷に書きてさしおこせたる。 立市。在原寺・無量寿寺がある。 五 けぶり 尾張国熱田の社の前に八橋につい 思ひ立っ心は何の色そとも富士の煙の末そゆかしき て記すのはおかしい。美濃国赤坂 なさけ は三河国赤坂と混同したものか いと思はずに、情ある、い地して、 こをしき あ みののくにあかさかしゆく かさ

9. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

なあ。 ( 源氏・葵源氏 ) あはれなるかな 空に立ち昇ったあの人の荼毘の煙はそれとはっきり区別しが 詞書「物言ひ侍りける女ののちにつれなく侍りて、さらに逢 たいが、おしなべて雲のたたずまいはしみじみとあわれに思 はず侍りければ」 ワー・ワ われるなあ。 朝顔の露のわが身をおきながらまづ消えにける ( 新勅撰・雑一一一賀茂重保 ) 9 ・貶たれこめて春のゆくへも知らぬまに待ちし桜も 人ぞかなしき ( 古今・春下藤原因香朝臣 ) 朝顔の露にも似た無常なわが身をさしおいて、まず先立って移ろひにけり かたきら 几帳の帷を垂してこもって春の行方も知らないうちに、待っ 消えて ( 死んで ) しまった人が悲しぐ思われるよ。 ていた桜もうつろってしまいました。 詞書「病に沈みはべりけるころ、新少将身まかりぬと聞きて、 詞書「心地そこなひてわづらひける時に、風に当らじとて、 素覚法師がもとにつかはしける」 おろしこめてのみはべりける間に、折れる桜の散りがたにな ・Ⅲ・ 2 世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もは れりけるを見てよめる」 てしなければ ( 新古今・雑下蝉丸 ) 世の中は、どうこうしても結局は同じことだ。たとえすばら ・・ 2 もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に年もわが世 ( 源氏・幻源氏 ) しい宮殿に住んでも、またみすばらしい藁屋に住んでも、上もけふや尽きぬる には上、下には下があって、果てしないのであるから。 悲しみに沈んでいて過ぎてゆく月日も知らないうちに、今年 も、そしてわたしの生も、大晦日の今日に尽きてしまうので 詞書「題しらず ゅ あろうか ・・ 6 行く方なき空のけぶりとなりぬとも思ふあたり ( 源氏・柏木柏木 ) ・・ 4 願ハクハ今生世俗文字ノ業狂言綺語ノ誤リヲモ 覧を立ちははなれじ 行方のわからない空の煙となってしまっても、わたしが恋し テ翻シテ当来世々讃仏乗ノ因転法輪ノ縁トセム 歌 ( 和漢朗詠集・雑・仏事白楽天 ) く思うあなたのあたりを立ち離れはいたしますまい 戸 0 0 今生において世俗的な文学関係の仕事に携り、狂言綺語を書 飽かざりし袖のなかにや入りにけむわが魂のな 付 ( 古今・雑下陸奥 ) くという誤ちを犯してきた。願わくは、この罪科を翻して、 き心地する 来世の多くの生で、仏法を讃嘆し説法する際の因縁とせんこ 前出↓・ 6 とを。 ・・ 8 のばりぬる煙はそれと分かねどもなべて雲ゐの へ だび

10. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

63 巻五 一厳島神社。厳島 ( 宮島 ) にある。 主神、市杵島姫命。 ニ第八十代の天皇。諱は憲仁。 後白河院の皇子。 三現、京都市伏見区。鳥羽殿が あり、下鳥羽に鳥羽津があった。 あきのくにいつくしまやしろ たかくらせんていみゆき さても、安芸国厳島の社は、高倉の先帝も御幸したまひけ四現、尼崎市、神崎川の河口。 ニ〕西国への旅立ち 海の船に乗り移ると。 る跡の白波もゆかしくて、思ひ立ちはべりしに、例の鳥羽六現、神戸市須磨区。 四 セ在原行平。阿保親王の男。 かはドレめ・ うへす ^ 行平の「わくらばに問ふ人あ より船に乗りつつ、河尻より海のに乗り移れば、波の上の住まひも心細きに、 六 らば須磨の浦に藻塩たれつつわぶ うら ゆきひらちゅうなごんもしほ ここは須磨の浦と聞けば、行平の中納言、藻塩垂れつつわびける住まひもいづと答へよ」 ( 古今・雑下 ) を引く。 たもと 九やはり行平の「旅人は袂涼し ながっき しもが くなりにけり関吹き越ゆる須磨の くのほどにかと、吹きこす風にも問はまほし。長月の初めのことなれば、霜枯 浦風」 ( 続古今・羇旅 ) を引くか。 れの草むらに、鳴き尽くしたる虫の声絶え絶え聞こえて、岸に船着けて泊まり一 0 「八月九月正長夜千声万声 まさ 無了時 ( 八月九月正ニ長キ夜千 せんせいばんせい きぬた ぬるに、千声万声の砧の音は夜寒の里にやと音づれて、波の枕をそばだてて聞声万声了ム時ナシ ) 」 ( 和漢朗詠集・ 秋・擣衣白楽天 ) を引く。 くも悲しきころなり。 = 「ほのばのとあかしの浦の朝 霧に島隠れゆく舟をしそ思ふ」 ( 古 あかしうら - しまがく ひかるげんじ 明石の浦の朝霧に島隠れゆく船どもも、 いかなる方へとあはれなり。光源氏今・羇旅読人しらず ) を引く。 一ニ「秋の夜のつきげの駒よわが こま の、月毛の駒にかこちけむ心の内まで、残る方なく推しはかられて、とかく漕恋ふる雲居をかけれ時のまも見 ん」 ( 源氏・明石 ) の歌を引く。 びんごのくにとも 一三現、広島県福山市鞆。 ぎゅくほどに、備後国鞆といふ所に至りぬ。 つきげ 九 しらなみ よさむ ただ かた かた まくら っ れい