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検索対象: 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)
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1. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

くだ いては期待するところはないと言いながら、東国へ下った ださいまして、私に対してお憐れみのお心が深くいらっし つるがおかはちまんだい 最初にも、まず神社に参拝し申しあげたのは、鶴岡八幡大やいました。そのご庇護によって、父母に別れた恨みも、 ばさっ 菩薩だけです。近くは心の内に秘めた所願を思い、遠くはすっかり慰まりました。ようやく成長して、初めてありが 罪が滅んで善縁が生ずることを祈誓しました。正直な者の たい愛情のお一一一一口葉をお受けしましたからには、どうしてこ 第一うべ ず頭をお照らしなさるという八幡大菩薩のご誓願はあらたかれを重くお思い申しあげないことがありましようか。った むさしのくにすみだがわ とでございます。東は武蔵国隅田川を限りとして訪ねてみま ない心で愚かなものは畜生でございます。それですらなお、 したが、男と一夜の契りを結んだことがございますならば、 父母の恩、国王の恩、衆生の恩、三宝の恩の四種の恩を重 ほんじ あみださんぞん 本地は阿弥陀三尊でいらっしやる八幡神の本願に洩れて、 いものとしております。ましてや、人間の身として、どう えい′一うむけんじ 1 ) く みもすそ 永劫に無間地獄の底に沈むことでございましよう。御裳濯して御所様のお情けをお忘れ申しあげましようか。幼かっ がわ 川の清い流れを尋ねて見て、もしまた心を留める男との契 た昔は、日月の光以上にかたじけなく、成人したその頃は、 たいぞうこんごう りがあったならば、本地は胎蔵・金剛両部の教主である大父母と慣れむつぶより以上に懐かしく感じられるお方でい 日如来と伝え聞く、伊勢の御神の神罰もあらたかでござい らっしゃいました。思いもかけすお別れ申しあげて、空し ましよう。三笠山で秋の菊を詠んだのは、思いを述べるつ く多くの年月を送り迎えるにつけても、御幸・臨幸に参り ならぎか いでです。もしまた、奈良坂より南で契りを結び、あてに 合せた時々は、昔のことを懐かしく思う涙に袂を濡らし、 じもく かすがのやしろ じよい する人がいて春日社へも参拝したならば、四所大明神のお叙位・除目を聞き、他家の繁栄、同僚の昇進を聞くたびに、 さんず 守りに洩れて、空しく三途の八難苦を受けることでしよう。 心を痛ましめないということはありませんので、そのよう おもかげ 幼少の昔は二歳で母に死別して、その面影を知らない恨 な妄念が静まれば、涙をもよおすのもつまらないことです しの みを悲しみ、十五歳で父を先立てた後は、その親心を偲び、 ので、思いをさますこともあるでしようかと思って、あち たもと とうりゆ・う 恋慕懐旧の涙はまだ袂をうるおしておりますが、幼うござ こちをさすらっておりますから、ある時は僧房に逗留し、 しました、いには、 かたじけなくも御所様がお目をおかけく ある時は俗男の中に立ち交わります。三十一字の言葉を述 134 みか * 、 ひご

2. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

五月の頃でさえも鹿の子まだらに雪が残っていたというの に沈んでいる人ではあるまいと思われた。月は宵過ぎる時 みじかよ だから、三月という時期を思えば、それも道理」とながめ分に、人々に待たれてやっと出る頃なので、短夜の空も今 かぐら やられるにつけ、跡を継ぐ者もないこの身の思いは、積る からかねて物憂く思われるのに、神楽ということで巫子た ちはや かいもなかったのだ。煙も今はすっかり絶えてしまって見ちが舞う舞の手ぶりも見なれぬ有様である。襷という衵の さいぎ、っ やおとめまい ずえないので、西行の歌と違って、風にも何が靡くことがあ ようなものを着て、八少女舞と称して、三、四人が立って とろうかと思われる。 入れ違って舞う有様も興があっておもしろいので、一晩中 ったかえで それにしても、宇津の山を越えた際も、蔦や楓も見えな そこに座って夜を明かした後、鶏の声に促されて出ました。 かったので、そこが宇津の山だということさえ知らず、判 三月二十日余りの頃に、江の島とい 〔五〕江の島 別もっかなかったのだが、ここで聞くと、早くも過ぎてし う所に着いた。その所の有様は、趣 まっていたのだった。 が深いとも何とも、かえってふさわしい言葉もない。広々 - 」とは 言の葉もしげしと聞きし蔦はい・ つら夢にだに見ず宇津とした海上に離れて浮ぶ島に岩屋がいくらもあるのに泊る。 せんじゅ の山越え これは千手の岩屋というそうで、長らく苦行を重ねて年を やまぶし ( その趣を歌った古人の言葉も多いと聞いた蔦の細道は、い とったと見える山伏が一人修行している。霧の立ちこめる まがき ったいどこでしようか。宇津の山越えがどこなのか、夢にさ籬、竹の編戸など、粗末なものながら、優にやさしい住い え見ません ) である。こうして山伏が世話してくれて、食事には場所に ずのくに ほうへい 伊豆国三島神社に参詣すると、奉幣の仕方は熊野参詣とふさわしい貝などを取って出してくれた。こちらからも、 ながむしろ みやげ 変らない。長筵などをした有様も、たいそう神々しげであ供人の笈の中から、都の土産として扇などを出して与える いちまん る。亡き頼朝の右大将がし始められたという、浜の一万と と、「このような住しし 、こま、都の方の伝言もないので、風 つばしようぞく かいって、由緒ありげな女房が壺装束で行き帰りするのが の便りにも見ませんのに、今夜は昔の友に逢えましたよ」 大儀そうなのを見るにつけても、わたしほどひどく物思い などと言うのも、さそかしその通りだろうと思う。 おい ( 原文一六ハー ) あこめ

3. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

はんにやきよう いっとなく乾く間もなき袂かな涙も今日を果てとこそ 『般若経』の残り一一十巻を今年書き終ろうとの宿願を、長 くまの 聞け 年熊野で果そうと思っておりましたが、ひどく水が凍りつ ( いっということなく、乾く間もないわたしの袂です。人々 く以前にと思い立って、九月十日頃に熊野へ出立しました の涙も御一周忌の今日を果てとすると聞いておりますが ) が、法皇様の御所のご様子はまだ同じようにご危篤とおう じみよういん 力がいするにつけ、ついにはどのようなことになられたと け持明院の御所 ( 伏見院 ) ・新院 ( 後伏見院 ) が御聴聞所に とおいでである。そのお姿が御簾に透けてお見えになったが、 おうかがいするのだろうかなどとはお思い申しあげたけれ にびいろ のうし 持明院様は鈍色の御直衣がとくに黒くお見えになったのも、 ども、去年の御所様のお隠れになった時の悲しみほどには 今日限りであろうかと悲しく思われた。また後宇多院の御お嘆き申しあげられなかったのは、情けない愛別離苦とい 幸がおありになって、同じ御聴聞所へお入りでいらっしゃ うものであろうか よいあかっきこり るお有様を拝見するにつけても、御所様の亡き御跡までも いつものように、宵暁の垢離の水を 三九〕那智での夢想ぜんほうべん お子様方が久しくご繁栄されるご様子はご立派な御事だな 前方便になぞらえて、那智の御山で と思われる。 『般若経』を書写する。九月二十日余りのことなので、峰 あらし この頃からであったか、また亀山法の嵐もややはげしくなり、滝の音も涙と競い合う心地がし うわさ 三 ^ 〕亀山院病む 皇様がご病気という噂があった。そ て、このうえなく哀れなので、 そで う皇室関係のご不幸が続くはすもない。御悩みはいつもの 物思ふ袖の涙をいくしほとせめてはよそに人の問へか ーし ことだから、これがご最期とお思いすべきでもないのに、 くれない とてもお助かりなさりそうもないご様子ですということで、 ( 物思う袖の涙の紅を、幾入染めたのでそのように深いのか さがどの すでに嵯峨殿に御幸されたという噂である。去年・今年と と、せめてよそごととしてでも、人は尋ねてください ) 引き続く皇室のご不幸は、どうしたことであろうかと、及 形見の残りをありったけ売り払ったお金で経供養を営む ごんげん ばぬ御事ながら、お気の毒に思われる。 志を、み熊野の権現様も納受なさったのであろうか、写経 156 たもと いくしお

4. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

うわさ して、宝前にお納め申しあげたところ、「わたしには、苦 の浦にいると噂に聞いたのか、「院の御所に縁のある女房 海の魚類を救おうと思う誓願がある」と仰せられて、ご自のもとから」と言って、手紙があった。思いがけす不思議 あらわ ふたみ 身、宝前から飛び出して、岩の上にお顕れになられる。岩な心地がしながらも、開けて見ると、「二見の浦の月に慣 既のそばに桜の木が一本ある。高潮が満ちる時は、ご神体でれて、御所様の御面影はすっかり忘れてしまったのか。思 こずえ ずあるお鏡はこの木の梢に宿り、そうでない時は岩の上にお いもよらず出逢ってした、いっぞやのような話も、もう一 といでになると申すので、すべての生き物にあまねく及ばさ度したいものだ」など、こまごまと、御所様がわたしに逢 れるご誓願も頼みに思われまして、一、二日ゆっくりと参 いたいご意向である旨書いてあったのを見た心の内は、我 しおあい おおみやづかさ 詣しようという気がして、潮合という所にある大宮司とい ながら、どれほどとも判断がしにくいほどである。ご返事 う者の家に宿を借りる。 たいそう親切な様子なので、居心地がよくて、またここ 思へただ馴れし雲居の夜半の月ほかに澄むにも忘れや はする にも二、三日経つうちに、「二見の浦は月の夜がおもしろ ( ただ、ご想像なさってください。住み慣れた雲居の夜半の うございます」と言って、女房たちをも引き連れて出かけ 澄んだ月は、ほかに住んでいても忘れることなどあるでしょ た。本当に心も留まって、おもしろいともしみじみとも、 , つ、か ) 言いようもないが、夜通し渚で遊んで、夜が明けたので帰 ります時に、 〔三六〕荒木田尚良と名残そういつまでもいるわけにもゆかな おもかげ げくう を惜しむ 忘れじな清き渚に澄む月の明けゆく空に残る面影 いので、外宮へ帰参して、もはや火 きようくよう ( きっと忘れないでしようね。伊勢の海の清い渚に澄む月が、 事にともなう世の騒ぎも静まったので、経供養の宿願をも あった 明けゆく空に有明の月となって残る、その面影は ) 果しに熱田の宮へ戻ろうとしたが、お名残も惜しいので、 てるつき とくせん 〔 = 宝〕後深草院からの消照月という得選は伊勢の祭主に縁あ外宮の中に参って、 わたらひ る人なのだが、どうしてわたしがこ あり果てむ身の行く末のしるべせよ憂き世の中を度会 130 息 た なぎさ くもゐ う

5. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

は大騒ぎし、村郡をあげての準備をする。絹障子を張って とで、その女房が、「あちらの方をも御覧なさい。絵が美 しく描けるでしよう」などと一言うので、この和知の住いも Ⅱ絵を描きたがっていたので、何という分別もなく、つい とも 「絵の具さえあれば描きましように」と申したところ、「鞆あまりに面倒で、「都へは、この雪で上京もできないでし 既という場所にある」といって、取りに人を走らせる。ひど よう」と一一 = ロうので、年内もそこで過そうかと思って、何と すく後悔したけれども、どうしようもない。絵の具を持って なく行ったところ、この和知の主は予想していた以上に怒 げにん と来たので描いた。 って、「わたしが長年使っていた下人を逃してしまったの いつくしま 主が喜んで、「今はここに落ち着いていらっしゃい」な を、厳島で見つけたのだが、また江田へさらわれてしまっ ・一つけい どと一言うのも滑稽に聞いているうちに、この入道とかいう た。打ち殺そう」などといきまく。「下人とはいったい何 人がやって来た。総じて、「何をしたらよかろう」といっ を言うのであろうか」と思うけれども、「訳のわからない いなか て歓待するうちに、その入道が障子の絵を見て、「田舎に 者は、そのようなとんでもないことをしでかすかもしれな あろうとも思われない筆遣いだ。どのような人が描いたの 動かない方がいい」などと江田の兄に当る者は言う。 か」と言うので、「ここにおいでの人です」と主が言うと、 この江田という所は若い娘たちが大勢いて、親切な様子 「きっと歌などをお詠みになるであろう。修行の常とて、 なので、何ということなく、心が留まるというまでのこと そういうものだ。お目にかかりたい」などと言うのも煩わはないけれども、前の住いよりは気分ものびのびする心地 であったのに、いったいどうしたことかと、ひどくあきれ しくて、熊野参詣という話なので、「今度お下向の折にゆ つくりとお会いしましよう」などとごまかして、わたしは ていると、熊野参詣をした入道が、帰路にまた下って来た。 席を立った。 すると、和知の主は、この入道にこんなけしからぬことが よぞうにゆうどう 広沢与三入道の接待の機会に、女房あって、自分の下人を取られた由、自分の兄を訴えたとい 〔 0 江田に身を寄せる 一一、三人がやって来た。江田という う。この入道は彼ら兄弟の伯父であって、同時にこの土地 じとう の地頭とかいう者なのである。 所に、この主の兄がいるが、娘の縁などがある、というこ くまの ( 原文七一ハー )

6. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

こうようらんけい ひま 「光耀鸞鏡を磨いて」とはこれを言うのであろうかと思わ服所の人々も、隙がないと言って知らぬ顔をしているので、 げだつようらく りようらきんしゅう こつけい れ、解脱の瓔珞ではないけれども、綾羅錦繍を身にまとい ここで裁縫しましたので」などと言う。滑稽だが、重なり きちょうかたびらひきもの さがみのかみ 几帳の帷子や引物まで、目にもきらきらして、あたりも光だけは直させなどするうちに、相模守殿から使いがあり、 既り輝く有様である。 「将軍の御所のご設備を、外側のことは記録によって男た ず御方とかいう人が出て来た。地は薄青に紫の濃いのや薄ちが指図し申しあげたが、普通の御所のご設備を京の人に もみじ い糸で、紅葉を大きな木に浮織にした唐織物の二つ衣に白見せよ」と言われた。これはどうしたことかと面倒だけれ も い裳を着ている。容貌風采は堂々としていて、背が高く大ども、かかわったからには無愛想なことを一言うべきではな 柄である。このようにすばらしいと思って見ているうちに、 いので、参上した。 ひたたれ 夫の平入道が向こうから走って来て、袖の短い白い直垂姿 こちらはそれほど正視に堪えないほどみつともないこと で、いかにも仲良さそうに寄り添っていたので、見劣りすでもなく、一般の公用ふうのことであった。、 こ設備のこと る感じがしました。 は、たった今、とかく指図をして言うべきことでもないの 御所から頂いた衣服といって取り出したのを見ると、蘇で、お厨子を立てる所、場所柄、お召物の掛けようなどは、 おう 芳の匂いの、内へしだいに濃くなるように重ねた五つ衣に、 このようであったらよいでしようかという程度の指示をし 青い単衣が重なっているものである。上は、地は薄い赤紫て帰った。 に濃い紫、青い格子が交互に織られてあるのを、いろいろ しよいよ将軍がお着きの日になると、 〔一三〕新将軍到着わかみやこうじ と取り違えて裁縫してしまっている。重なり具合は内へし 若宮小路は場所もないくらい混み合 あしがら だいに濃くすべきであるのに、上を濃くしたので、一番上 っている。足柄の関までお迎えの人々の先陣は早くも進ん は白く、二番目は濃い紫などといった具合で、ひどく珍妙 だということで、二、三十騎、四、五十騎と、ものものし である。 く過ぎる , っちに、早くもここへさしかかられるとい , っこと めしつぎ こどねり 「どうして、このようになさったのです」と言うと、「御で、召次ふうの姿に直垂を着た者、小舎人というそうだが、 114 ひとえ ふたぎめ す ふくどころ

7. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

の日数も残り少なくなって、御山を出なければならない時は、わたしたちのような無知の衆生を、家来として多く後 も近くなったので、お名残も惜しく思われて、夜通し参拝ろに従えていらっしやって、これを憐れみはぐくみお思い になるゆえである。まったくご自身のお過ちではない」と などし申しあげて、まどろんだ暁方の夢に、そばにいた故 言われる。またこちらから拝見すると、御所様はやはり同 父大納言が、「出御の最中であるそ」と告げる。拝見する とりだすきうきおりもの じようにご機嫌のよいお顔で、「近く参れーとお思いのご と、御所様は鳥襷を浮織物に織った柿色の御衣を召して、 お身体は右の方へちょっと傾いていらっしやるさまで、わ様子である。立って御殿の前にひざまずく。白い箸のよう なぎ しようじようでん に、元は白々と削って、末には梛の葉が二つずつ付いてい たしは左の方の御簾から出てお向き申しあげる。証誠殿の やしろ る枝を二つ取り揃えて下賜されたと思って、はっと目が覚 お社にお入りになって、御簾を少しお上げになって、ほほ によいりんどうせんばう めると、如意輪堂の懺法が始っている。何ということなく えまれ、じつにご機嫌うるわしいご様子である。また、 ゅうもんいん 「遊義門院の御方もお出になられたそ」と告げられる。拝そばを探ると、檜の骨の白い扇が一本ある。夏などでもな こそで はかま いのに、たいそう不思議で、めったにないありがたいこと 見すると、女院様は白いお袴にお小袖ばかりで、西の御前 と申す社の中に、こちらも御簾を半ば上げて、白い衣二枚だと思われて、取って写経の場に置く。 かくどう ふたおや このことを語ると、那智の御山の師、備後律師覚道とい を左右から取り出していらっしやって、「二親の形見を東 う人が、「扇は千手観音の御体というようである。きっと と西にやったそなたの志、しのびがたく思われます。そこ でこれを取り合せて与えるのですよ」とおっしやるのを頂権現のご利生があるであろう」と言う。 五 夢の中の御所様の御面影も、目覚め いて、本の座に帰って、父大納言に向って、わたしが、 ゆか 〔三 0 〕帰洛、亀山院崩御たもと た袂の涙に残り留まって、写経も終 「御所様は十善の床をお踏みでいらっしやりながら、どの すくせ 巻 りましたので、とくに残して奉持していた御衣を、いつま ような宿世のご因縁で、右のお肩はあのようにご不自由で で持ち続けていられようかと思って、お布施にと泣く泣く いらっしやるのですか」と申すと、父は、「あのお肩は、 はれもの 座っていらっしやる下に御腫物がある。この腫物というの取り出しまして、

8. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

になられる」などと言っているうちに、遊義門院の御幸が ったならば、どのようだったかなどと思われて、 まずお急ぎになるということで、北面が門院の御車を寄せ さてもかく数ならぬ身は長らへて今はと見つる夢そ悲 しき ると拝見していると、また、まだしばらくお出にならない ( それにしても、このようにものの数でもないこの身は長ら ということで、また車を退けて帰り入らせられたかと思わ えて、東二条院様のご葬送を、夢かと思いながら拝すること れることが二、三度にもなったので、お母君の最期のお姿 は悲しい ) を御覧になるのもまたいつのことかと、遊義門院がお名残 惜しくお思いでいらっしやることも、哀れに悲しく思われ ご葬送は伏見殿の御所ということで、 ニ三〕後深草院発病 て、大勢見物する人たちもいるので、それに紛れて御車近 法皇様も遊義門院様もいらっしやる くに参ってうかがうと、すでに御車に召されたと思ううち とうかがったので、お嘆きのほどもさぞかしと推量し申し に、「またお戻りになられたのだろうか」と言っているの あげたけれども、消急を伝えた風の便りも跡絶えてしまっ が聞える。お召しになった後も、普通ではないお心まどい た後は、どのようにして申し出るべき方法もないので、空 たもと うわさ のご様子は、他人の袂も涙でいつばいなくらいにお噂した しく心だけで嘆いて明かし暮しておりますうちに、同じ年 ので、心ある者も心ない者も、袂を絞らぬ人はいない。宮 の六月頃であろうか、法皇が御不予という噂が聞えてきた。 お - 一り 様は大勢いらっしやったけれども、皆、先立ってお亡くな御瘧気味だなど申すので、人知れすもうお落ちなさった とい , っことを , つけたまわるだろ , つかと思っている , っちに、 りになられて、遊義門院がただお一人いらっしやったのだ えんまてんく 五 から、お互いのご愛情の深さはさこそとお思いやられる通重態におなりになったということで、閻魔天供とかいう祈 とう り、お悲しみがひどくお見えであったことこそ、数ならぬ疇が行われるなどとうけたまわったので、事の有様も知り 巻 身であるこのわたしが父を失った時の思いにも、つい比べ たくて、参ってうかがったけれども、誰にお尋ねしようも 5 られるような心地がしました。 ないので、空しく帰る時、心の内にこのように思っており ご葬送の御幸を拝見するにつけても、昔のままの身であ

9. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

の女、右に新大納言、おなじ三位兼行とかやの女。四の左をしなべてみなすはうのはり一重がさね、くれなゐのひへ 宰相君、房門三位基輔の女、右治部卿かねともの三位の女ぎ、こきはかま、すはうのうはぎ、あをくち葉のから衣、 なり。それよりしもはれいのむつかしくてなん。おほくは うす色のも、みへだすき、上下おなじさまなる。まいり給 本所のけいし、なにくれがむすめどもなるべし。わらは、 ひぬれば、蔵人左衛門権佐俊光うけたまはりて、手ぐるま しもづかへ、御ざうし、はした物にいたるまで、かみかた のせんじあり。殿上人まいりて御車ひき入。御せうと中納 ちめやすく、おやうちぐし、すこしもかたほなるなくとゝ 言公衡、別当かね給へり。うへの御おいの左衛門督通重、 のヘられたり。 御せうとになずらふるよしきこゆれば、御びやうぶ、御木 そのくれつかた、頭中将為兼朝臣、御消息もてまいれり。丁たてらる。ひの御座へ御車よる。御ふすま、二位殿まい 内のうへ、身づからあそばしけり。 らせ給ふ。御だいまいりて、夜のおとゞへ御のばり。この 雲のうへに千代をめぐらんはじめとてけふの日かげも御ふすまは、京極院のめでたかりしれいとかや聞えて、公 かくや久しき 守の大納言さたし申されけるとかやうけたまはりしは、ま くれなゐのうすやう、おなじうすやうにぞっゝまれため ことにや侍りけん。三夜のもちゐも、やがてかの大納言さ る。関白殿、「つゝむやうしらず」とかやのたまひけると たし申さる。内のうへの、夜のおとゞへめしていらせ給へ 鏡 増て、花山に心えたるときかせ給ひければ、つかはしてつゝ る御さうかいをば、二位殿とりていでさせ給ひて、大納一言 料ませられけるとぞうけたまはりしとかたるに、又このぐし殿とふたりの御中にいだきてね給ふと聞えし。さきみ、も 考たる女、「いっぞやは、御つかひ、実教の中将とこそはか さる事にてこそは侍りけめ。 八日、御所あらはしとて、うへわたらせ給へば、袖ロど 録たり給ひしか」といふ。 付 女御の御よそひは、すはうのはり一重がさね、こきうら も心ことにて、わざとなくをしいださる。けふは、をの / 、紅のひとへがさね、あをくちばのうはぎ、二あゐのか のひへぎ、こきすはうの御うはぎ、あかいろの御から衣、 こき御はかま、地ずりの御もたてまつる。女房のよそひ、 ら衣なり。大納言どのもさぶらはせ給ふ。うへも御だいま

10. 完訳日本の古典 第39巻 とはずがたり(二)

135 巻四 ただ今までは、古い人とも新しい知合の人とも、そのよう べ、風雅の情を慕わしく思う所には多くの夜を泊り重ね、 なことはございません。もし偽りを申しましたならば、私 日数を重ねますので、怪しんで噂をする人は、都にも田舎 てんどく ほけきよう が頼む一乗の法である『法華経』の転読二千日に及び、如 にも数多くございますけれども、尼の中には、修行者とい ほうしやきよう′ ) んぎよう ばろばろ 法写経の勤行として、自身、筆をとって、いくたびも写経 、梵論梵論などと申す風情の者と出会いなどして、思い くどく みやげ した功徳も、そのまま三途の川の土産となって、希望は空 も寄らない契りを結ぶ例もございますとか聞きますが、そ そで みろく りゆ - っげ・ しくなり、弥勒菩薩が世に出でたもう、竜華の雲のたなび うなるべき宿縁もないのでしようか、空しく独り寝の袖を く暁の空を見ないで、無間地獄の住みかで、永劫消えぬ身 片敷いております。都の内にもこのような契りもございま となることでございましよう」と申した時、御所様はどの すならば、重ねる袖も二つになったならば、冴える霜夜の ようにお思いになられたのであろうか、しばしのうちは物 山風も防ぐことでございましようが、それもまた、そのよ もおっしやることもなくて、しばらくして、「何につけ、 うな友もございませんので、待っているだろうと思う人が もみじ いないにつけては、花の下で空しく日を暮し、紅葉の秋は人がこうと思い込む心は、由ないものである。本当に、そ 野原の虫が霜にあってすがれてゆく声を、私自身の身の上なたが生みの母に先立たれ、父に死別した後は、わたしだ まくら と悲しみながら、人もいない野べに草を枕として明かす夜けが育てなければならないと思ったのに、事態が違ってい いんねん な夜ながあります」など申しあげると、また、「修行の時ったことも、まったく二人の因縁は浅かったのであろうと のことは、潔白に多くの社の御名をかけて誓ったが、都のわたしは思っているのに、そなたがこのようにまで心に深 くわたしのことを思ってくれていたのを知らない様子で過 ことについては誓言がないのは、昔の男との契りの中にも、 してきたが、八幡大菩薩がお知らせになる機縁を作ってく さらに以前に返って親しくしている者があるのであろう」 だされたからこそ、男山の御山でそなたを見つけたのであ と、また仰せられる。 ろう」などとおっしやるうちに、西に傾いた月は、山の端 「生き長らえまいと思いましたが、まだ四十にすらなって おりませんから、将来は存じませんが、今日という月日の にかかって沈む。そして東の空に出た朝日は、ようやく光 やしろ うわ一 いなか