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検索対象: 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)
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1. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

137 巻 を立てたことも。 入れられぬ。御所にも、人もなし。「こはいか , 三残念なので。 かなはず。 一三気がお済みになって。 一四うたた寝の夢でもないが、ま としつき るで夢のような体験の名残の意。 「年月思ひ初めし」などは、なべて聞き古りぬることなれば、あなむつかしと 「うばたまの闇のうつつはさだか ちぎ なる夢にいくらもまさらざりけ おばゆるに、とかく言ひ契りたまふも、なべてのことと、耳にも入らねば、た り」 ( 古今・恋三読人しらす ) など だ急ぎ参らむとするに、「夜の長きとて、御目覚まして、御尋ねある」と言ふの古歌に通ずる状態をいうか。 0 院が寝ている間に作者が筒井の ひま にことつけて、立ち出でむとするに、「いかなる隙をも作り出でて、帰り来む御所に赴いたのは、おそらく「雪 の曙」に逢うためであろう。院は ちか よもやしろ と誓へ」と言はるるも、逃るることなければ、四方の社にかけぬるも、誓ひの夜伽として白拍子の姉妹を召すで あろうから、その隙に「雪の曙」と すゑ 忍び逢いをしようという約束が交 末恐ろしき心地して、立ち出でぬ。 されていたか。すると、その途中 く、」ん また九献参るとて、人々参りてひしめく。なのめならず酔はせおはしまして、で作者が近衛の大殿に捉えられ、 抱かれたことは、当然「雪の曙」に ねん あすとうりう いまど はすっかり知れていたのであろう。 「若菊をとく帰されたるが念なければ、明日御逗留ありて、今一度召さるべし」 巻三に入って、「ありし伏見の夢 く - れ 一一と御気色あり。うけたまはりぬるよしにて後、御心ゆきて、九献ことに参りて、の恨み」という言い方が見える ( ↓ 一五三ハー注一一 0 ) 。近衛の大殿の愛 御寝になりぬるにも、うたた寝にもあらぬ夢のなごりは、うつつとしもなき心情告白を「なべて聞き古りぬるこ と」として聞き流そうとしている 地して、まどろまで明けぬ。 あたりは、男の虚偽を見すかして いる作者の覚めた目をうかがわせ る。 よる のが ふ めさ 。いかに」と申せども、 ゑ

2. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

とい , っこと一は ) 置きするわけにもいかないので、斎宮の御上臥しをしてい 更けたので、前斎宮の御前に伺候し る女房のそばに寝ると、その人は今になって目を覚して、 〔三九〕折りやすき花 「あなたはどなた」と言う。「お人少ななのもお気の毒です ている女房も皆寄り臥している。ご とのい こギ、ち - よう やす 本人も小几帳を引き寄せて、お寝みになっておられた。近ので、御宿直しております」と答えると、本当だと思って ずく参って、事の有様を申しあげると、お顔を赤らめて、と話をするのも、心配りのないことよと情けなく感じられる ので、「眠たいわ。夜も更けました」と言って、眠ったふ とくに何もおっしやらない。お手紙も見るともないままにお みきちょう りをしていると、御几帳の内側も遠くないので気配がわか 置きになった。「何とご返事申しましようか」と申しあげ るのだが、斎宮は、ひどく御所様がお心を尽されることな ると、「思いがけないお言葉は、何とご返事申しようもな とが 早くもうちとけなさったと思われたのは、あまりにも くて」とばかりで、また寝てしまわれたのも気が咎めるの あっけなかった。気強くお許しにならないでお明かしにな で、帰参して、このことを御所様に申しあげる。 ったならば、どんなにおもしろいだろうと思われたのに、 「ただ、寝ておられる所へ、わたしを案内しろ、案内し ろ」とせき立てられるのも面倒なので、お供に参るのはお御所様はすっかり夜が明けてしまわないうちに帰って来ら かん 安い御用だから、ご案内して参る。御所様は甘のお召物なれて、「桜は色つやは美しいけれども、枝がもろく、手折 おおくちばかま おおよう りやすい花だなあ」などとおっしやったので、だからわた どは大仰なので、ただ大口袴だけで、こっそりとお入りに なる。 しの思った通りだわと思われました。 やす 日が高くなるまでお寝みなさって、昼というほどの時刻 まずわたしが先に参って、お障子をそうっと開けると、 になって目をお覚しになって、「ひどくまあ、今朝に限っ さっきのままでお寝みになっている。御前の女房も寝入っ きめぎめ てしまっているのだろうか、音を立てる人もなく、御所様て寝坊したよ」などと言われて、今になって後朝のお手紙 をしたためられる。斎宮のご返事には、ただ、「夢のよう がお身体を低くなさって這うようにしてお入りになった後、 どのようなことがあったのであろうか。そのまま放ってお にして拝見した御面影は覚めようもございません」などだ 248 うえぶ

3. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

103 巻 ( 現代語訳一一六五ハー ) いとま 芝いしいしと、御心の暇なく言ひわたりたまへるを、いかにしたまひけるにや、もするかな」 ( 千載・恋一藤原実 能 ) 。 かんなづき よひ 神無月十日宵のほどに参るべきになりて、御心の置き所なく、心ことに出で立三手引。 一三藤原 ( 山科 ) 資行。↓七〇ハー注 すけゆきちゅうじゃう ちたまふところへ、資行の中将参りて、「うけたまはりさぶらひし御傾城、具一 = 。 一四美人。↓七六ハー注六。 あんない きゃうごくおもて して参りつる」よし、案内すれば、「しばし、車ながら京極面の南の端の、釣三京極大路に面した側。 一六池に臨んで建ててある建物。 どのへん 殿の辺に置け」と仰せありぬ。 宅襲の色目。表は青、裏は柑子。 しょや あをかうじふたつぎめ 初夜打つほどに、三年の人参りたり。青柑子の二衣に、紫一 ^ それとなく部屋中を薫らせる、 いわゆる空薫きであろう。 った すはううすぎぬ から の糸にて蔦を縫ひたりしに、蘇芳の薄衣重ねて、赤色の唐一九糊気が強いのを。だから、前 に「衣の音よりけしからず : ことい 衣ぞ着てはべりし。例の、「導け」とてありしかば、車寄せへ行きたるに、降う状態だったのである。 ニ 0 底本のまま。未詳だが、上の おと 「こはき」との関連で、あるいは、 るる音なひなど、衣の音よりけしからず、おびたたしく鳴りひそめくさまも思 かは′一 「皮籠造りが皮籠」などの誤写か。 ひおまし はずなるに、具して参りつつ、例の昼の御座のそばの四間、心ことにしつらひ、『七十一番職人歌合』皮籠造りの歌 かは に「逢ふことの熟せぬ柿のさね皮 たきものか ひあふぎ 二薫物の香も心ことにて、入れたるに、一尺ばかりなる檜扇を浮き織りたる衣に、籠しぶしぶにだに人の来ぬかな」 とある。「僧綱聖が僧綱」「高野聖 あをうらふたつぎぬくれなゐはかま 一九 青裏の二衣に紅の袴、いづれもなべてならずこはきを、いと着しつけざりけるが皮籠」「紙子、聖が紙子」などと 解する説もある。 にや、かうこひしりかかうこなどのやうに、後ろに多く高々と見えて、顔のや三「たをやかに」に同じ。もの柔 らかで優美に。 うもいとたわやかに、目も鼻もあざやかにて、美々しげなる人かなと見ゆれど = = 派手な顔立ちの人だなあ。 ぎめ 〔一巴三年の人 ニ 0 きぬ れい みとせひと びび たかだか 一四けいせい きめ つり

4. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

つけても、世に従うのはつらい習わしだなあとばかり思わきしている時に、どうしたというのか、「ご様子が変って しの お見えです」と、御所様へ申しあげると、入っていらっし れながら、とにかく、「またこのごろや偲ばれむ ( 生き長ら えていたならば、つらい今もまた懐かしく思い出されるだろう やったところ、女院はたいそう弱っていらっしやるご様子 みきちょう きょすけ 既か ) 」とばかり、あの清輔の古歌も思い出されて、明け暮なので、御験者を近くお召しになって、御几帳だけを隔て だいあじゃり にんなじ てお祈りになる。如法愛染の大阿闍梨として、仁和寺の御 ずれするうちに、秋にもなった。 むろ と一 八月のことだったろうか、東二条院室が伺候しておられたのを、女院のおそば近くお入れ申し すみごしょ 〔九〕東ニ条院の御産 がお産をなさるについて、角の御所あげなさって、「女院はお命も危険なご様子にお見えでい らっしゃいます。どうしましようか」と御所様が申される でなさるということだったが、お年も普通よりは少し召し と、御室は、「定まった寿命をも転じて延命させるのは、 ていらっしやるうえに、今までのお産でも難産でいらっし 仏菩薩のご誓願です。さらさらお大事のはずがありませ やったということなので、人々はひどく恐れて、大法・秘 ーしし 4 、つく、つ しち きとう ねんじゅ しゅほう 法は残ることなく、祈疇が行われる。それらの修法は、七ん」と言われて、ご念誦に添えて、御験者は、あの証空の こん′一うどうじ によほうあいぜんおう ぶつやくし ふげんえんめい 仏薬師、五壇の御修法、普賢延命、金剛童子、如法愛染王命に代られたというご本尊であろうか、絵像の不動尊を御 いちじひみつじゅしよう ぶししゅぎようじゃゅによばかばん うわさ 前に掛けて、「奉仕修行者、猶如薄伽梵、一持秘密呪、生 などが行われたという噂であった。五壇の軍荼利の法は、 しようにか′ ごんしゅ おわりのくに ふどうみようおう いつも尾張国の負担で勤修しているのだったが、今回は格生而加護 ( 不動明王に奉仕する者は如来と同様で、一度、明王の 秘密呪を保持すれば、後々の生までもその加護がある ) 」と『不 別御所様のお志を添えられてというので、金剛童子法のこ じようじゅういん じゅずす げんじゃ 御験者には常住院動経』の偈を唱えて、数珠を摺って、「われは幼少の昔は とも、父大納言がお世話申しあげた。 , ゆか そうじよう 念誦を唱える床に一夜を明かし、成人した現在は難行苦行 の僧正が参上された。 に日を重ねている。だから、信心が通じ、仏のご加護があ 二十日余りであろうか、「産気づかれた」ということで りやく るのが当然で、仏のご利益が空しいということがあろう 集って大騒ぎする。「もうすぐ、もうすぐ」と言ってから か」と言って揉みに揉んで身を伏せると、すでにご出産の も、二、三日過ぎていらっしやったので、誰も誰もどきど 216 ぐんだり も ( 原文一一三ハー ) お

5. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

ふしみどの一ニ 自己敬語。 またいかがと思ひて、伏見殿へ入らせおはしますとて、立ち入らせたまひたり。 一五内侍所に奉祀する伊勢大神宮、 何と思はむにつけても、このほどのいぶせさも、心静かに」と、さまざまうけすなわち天照大神。 一六八幡大菩薩、すなわち石清水 八幡。 たまはれば、例の心弱さは、御車に参りぬ。 宅局に置いてあった物も。 のち 夜もすがら、「わが知らせたまはぬ御事、またこの後もいかなることありと一〈↓五八ハー注 = 。 一九世間一般に順応するという心 ないしどころだいぼさっ も、人におばしめし落とさじ」など、内侍所・大菩薩引き掛けうけたまはるもの習い。巻一にも「世に従ふは憂 きならひかな」 ( ↓二三ハー注 = 0 ) と 畏ければ、参りはべるべきよしを申しぬるも、なほ憂き世出づべき限りの遠かあった。「世に随へば望み有るに 似たり、俗に背けば狂人の如し。 くわんぎよ りけるにやと心憂きに、明け放るるほどに還御なる。「御供に、やがてやがて」穴憂きかな世間、一身を何の処に か隠さん」 ( 行基菩薩遺誡 ) 。 ニ 0 着帯をしたが。 と仰せあれば、つひに参るべからむものゆゑはと思ひて、参りぬ。 一七 0 院を迎える作者の態度は「雪の つばね きゃうごくどのつばね 局もみな里へ移してければ、京極殿の局へそ、まかりはべりし。世に従ふな曙」の来訪に驚いた時と異なり、 すねて、ふてくされているような らひも今さらすさまじきに、つごもりごろにや、御所にて帯をしぬるにも、思感じを与える。この態度によって、 身を隠した背後には院その人への 不満も潜在することを暗に訴えよ 二ひ出づる数々多かり。 うとしたか。その気持を察したの ところ ニ一おもかげ さても、「夢の面影の人、わづらひなほ所せし」とて、思で、院も誓言を立てるのであろう。 巻〔三一〕夢の面影の人 ニ一「雪の曙」との間に生れた女の しゆくしょ ひがけぬ人の宿所へ呼びて、見せらる。「五月五日は、た子。 一三母の遠忌を供養するために。 と ニ三五月は斎月だからいうか らちめの跡弔ひにまかるべきついでに」と申ししを、「五月ははばかるうへ、 かし - 」 よ とも ニ 0 一九

6. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

で、善勝寺や西園寺が参って、「これは格別の勅定でござ に御供して参った。 いますのに」と言うけれども、「何であれ、そんなことが 三一〕御所から行方をく今参りは当日に家紋を付けた車で、 さぶらい らます 。しったんはそう言 侍を連れなどして参院したのを見あってよいものか」と言われるうえま、、 るにつけ、わたし自身の昔のことが思い出されてしんみり ったものの、そう抗弁する人もないので、そして御所様が あちらにいらっしやるのに誰かお告げ申しあげてもかいの ずした気持になっていると、新院の御幸があった。 ないことなので、わたしは座を下へ降ろされた。 と早くも酒宴が始りなどして、こちらに女房が順に座って、 いだぐるま しとね めいめいの楽器を前に置き、思い思いの褥などを敷き、 出し車の時の誇らしさも今さらのように思い出されて、 わかな ひどく悲しい。姪・叔母という約束にはどうしてよるべき 『源氏物語』の若菜の巻だったかに記す本文のままに手は ずを決められて、その時になって、主の御所様は六条院であろうか。身分の卑しい者の腹に宿る人も多くいるので ( 光源氏 ) に代り、新院はタ霧大将に代り、殿の中納言中将ある。それでも、やれ叔母だ、やれ祖母だといって、大事 ひちりき に捧げておかなくてはならないのだろうか。これは何事で や洞院の三位中将などをであろうか、笛や篳篥の役で階下 あろう。総じて興ざめのすることであった。これほど面目 へ召されるはずということで、まず女房の座を皆点検して、 並んで座って、あちらの裏でお酒盛りがあって、酒宴半ば まるつぶれのことに立ち交じってもかいがないと思って、 になってこちらへお入りになられるという手はずのところわたしはこの座を立った。 たかちか つばね 局へすべり出て、「もし御所様からお尋ねがあったなら へ、兵部卿隆親が参って、女房の座はどうかといって見ら ぶんだい れたが、「この席次の有様は悪い。女三の宮役は文台の御ば、この消息を差し上げよ」と言い残しておいて、小林と いよどの せんようもんいん いうのは、乳母の母で、宣陽門院に伊予殿といって仕えて 前である。今、明石の上を演じる人の、こちらは叔母であ そくじよう めい る。あちらは姪である。上に座るべき人である。隆親は故 いた女房で、女院がお亡くなりになった際尼となって即成 まさただ いん 大納言雅忠よりは上位だった。どうしてその娘が下座に座院の女院のお墓近くに奉仕している人の所だが、その所へ うすよう るべきだろうか。座り直せ、座り直せ」と声高に言ったの尋ねて行った。御所様に差し上げる消急には、白い薄様に 274 ↓っ画くじよう

7. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

とはすがたり 186 でよ。夜さり、迎へにやるべし」といふ文あり。 心得ずおばえて、御所へ持ちて参りて、「かく申してさぶらふ。何事そ」と げんきもんゐん どの かへりごと 申せば、ともかくも御返事なし。何とあることもおばえで、玄輝門院、三位殿一 と申す御ころのことにや、「何とあることどものさぶらふやらむ。かくさぶら あんない ふを、御所にて案内しさぶらへども、御返事さぶらはぬ」と申せば、「我も知 らず」とてあり。 さればとて、「出でじーと言ふべきにあらねば、出でなむとするしたためを さとゐ ながっき ニ弘長元年 ( 一一一六 D のこととなる。 するに、四つといひける長月のころより参り初めて、時々の里居のほどだに心 巻四でも「四つになりし長月二十 めとど もとなくおばえつる御所の内、今日や限りと思へば、よろづの草木も目止まら日余りにや、仙洞に知られたてま つりて御札の列に連なりて」とい ひと ぬもなく、涙にくれてはべるに、をりふし恨みの人参る音して、「下のほどか」う。 三「雪の曙」、すなわち西園寺実 なぬ そで と言はるるもあはれに悲しければ、ちとさし出でたるに、泣き濡らしたる袖の兼。 つばね 四局に下がっておられるか 五 ↓三三ハー注一一 = 。 色もよそにしるかりけるにや、「いかなることそ」など尋ねらるるも、「問ふに 0 「出でなむとするしたためをす ふみ るに」以下の叙述は、『平家物語』巻 つらさ」とかやおばえて、物も言はれねば、今朝の文取り出でて、「これが心 一・祇王で、平相国清盛に飽きら 細くて」とばかりにて、こなたへ入れて泣き居たるに、「されば、何としたるれて追い出される祇王が、その局 ふみ ↓六七ハー注一六。

8. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

189 巻 あやま すゑ ねけるかと誤たれ、明かし暮らして年の末にもなれば、送り迎ふる営みも何のれども神に心をかけぬ間そなき」 ( 新古今・神祇成清 ) 。 こも としごろしゆくぐわん ぎをんやしろ いさみにすべきにしあらねば、年頃の宿願にて、祇園の社に千日籠るべきにて一四「頼みをいふ」から「ゆふだす き」へと続ける。「かくる」は「たす はじ あるを、よろづに障り多くて籠らざりつるを、思ひ立ちて、十一月の二日、初き」の縁語。 0 弘安年間 ( 一 = 天 ~ 八 0 に十一月二 よ はちまんぐうかぐら めの卯の日にて八幡宮御神楽なるにまづ参りたるに、「神に心を」と詠みける日が卯の日であった年はない。弘 安六年十一月五日が乙卯で、亀山 院の石清水御幸があり、院は七日 人も思ひ出でられて、 間参籠した。翌七年十一月五日は 己卯で、石清水社では恒例御神楽 いつもただ神に頼みをゆふだすきかくるかひなき身をぞ恨むる が行われ、やはり亀山院の御幸が さんろう 七日の参籠果てぬれば、やがて祇園に参りぬ。「今はこのあったことが、『勘仲記』などから 〔三五〕法華講讃 知られる。作者の石清水参詣と関 さんがい 世には残る思ひもあるべきにあらねば、三界の家を出でて係があるか否かはわからない。 一五一切衆生の生死輪廻する三種 げだっかど ありあけみとせ 解脱の門に入れたまへ」と申すに、今年は有明の三年に当たりたまへば、東の世界、欲界・色界・無色界。 一六『法華経』の経文の意を講説し ちゃう やまひじり ほっけこうさん一セしゅぎゃう 。↓一八一ハー注一三。 山の聖のもとにて、七日法華講讃を五種の行に行なはせたてまつるに、昼は聴て讃嘆する法会 一セ『法華経』法師品第十に説く もん けちぐわん 三聞に参り、夜は祇園へ参りなどして、結願には、露消えたまひし日なれば、こ同経を受持・読経・誦経・解説・ 書写する五種の修行。 ここち かね 一 ^ 法会などの最終日。↓一〇〇 とさらうち添ゆる鐘も涙もよほす心地して、 一九「音」は泣く音。「鐘」の縁語。 折々の鐘の響きに音を添へて何と憂き世になほ残るらむ ニ 0 以下、弘安七年の記事と見る。 ありし赤子引き隠したるもつつましながら、物思ひの慰めにもとて、年も返作者二十七歳。 うひ あかご さは いとな ひんがし

9. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

なほし 事ゅゅしくして、院の御方へ御直衣・かいで御小袖十・御太刀一つ参る。二条一仰々しくて。 かへで ニ「かいで」は「楓」 ( 襲の色目、 くぎゃう でう によら・ばう 左大臣より公卿六人に太刀一つづつ、女房たちの中へ檀紙百帖参らせらる。二表裏共に萌黄 ) の転か。 まゆみ 四 三厚手で白い紙。昔、檀の樹皮 あやねりぬきむらさき 十一日、やがて善勝寺の大納一一 = ロ、御事常のごとく、御所へは綾・練貫、紫にて、 ( 後に楮 ) から作った。陸奥紙とも。 たて 四綾織物と練貫 ( 生糸を経、練 十 6 ことびは しろがねゃないばこるり さかづき 当琴・琵琶を作りて、参らせらる。また銀の柳筥に瑠璃の御盃参る。公卿に糸を緯として織った絹布 ) 。 五柳の細枝を編んで作った箱。 そめもの ほかゐ 七がふ 馬・牛、女房たちの中へ、染物にて行器を作りて、糸にて瓜を作りて、十合参六食物を入れて運ぶ器。外にそ った足が三本ついている。 らせらる。 セ十個。「合」は箱を数える単位。 ^ 藤原 ( 四条 ) 隆房の男。この年 りゅうべんそうじゃう 御酒盛、いつよりもおびたたしきに、をりふし隆弁僧正参らる。やがて御六十八歳。隆親男の隆遍とすると、 年齢的に若すぎるか。 まへ こひ うぢ 前へ召されて、御酒盛のみぎりへ参る。鯉を取り出だしたるを、「宇治の僧正九未詳。 一 0 庖丁 ( 料理 ) 道の家、四条家。 = どうして黙視しているべきで の例あり。その家より生まれて、いかがもだすべき。切るべき」よし、僧正に あろうか じたい たかあきまないた 御気色あり。固く辞退申す。仰せたびたびになる折、隆顕、俎を取りて僧正の三主語は隆顕。 一三料理用の刀 ( 今の庖丁 ) と、魚 ふところはうちゃうがたなまなばし 前に置く。懐より庖丁刀・真魚箸を取り出でて、このそばに置く。「このうへを料理する際に用いる箸。 一四俎のそば。 ちからな かうぞめたもと ちょうじ は」としきりに仰せらる。御所の御前に御盃あり。カ無くて、香染の袂にて切三丁子の煮汁で染めた、黄味を 帯びた薄紅色の衣。 めづら 一六頭を割ることはいたしかねま られたりし、いと珍かなりき。 す。いかにも残酷で、僧侶の振舞 せうせう かしら 一セ いとしてふさわしくないので言う。 少々切りて、「頭をばえ割りはべらじーと申されしを、「さるやういかが」と みけしき れい 一か。もり かた まへ つね こそで だんし たち めき

10. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

61 巻 合はせらるる」の「合はせ」は「夢 けて、里がちにのみ居たれば、常に来つつ、見知ることもありけるにや、「さ と縁語的効果を持つ。 にこそ」など言ふより、いとどねんごろなるさまに言ひ通ひつつ、「君に知ら一三神事にかこつけて。あるいは、 月の障りなどを理由としたか。 一四「雪の曙」が常に訪れて。 れたてまつらぬわざもがな」と言ふ。 一五わが君がお気づかれにならな とが いで出産を済せることができたら 祈りいしいし心を尽くすも、誰が咎とか言はむと思ひつづけられてあるほど なあ。「雪の曙」は院の忠実な側近 二月の末よりは御所ざまへも参り通ひしかば、五月のころは四月ばかりのであるだけに、主君の寵人と密通 したという罪の意識は、人一倍強 むつき ちが よしをおばしめさせたれども、まことには六月なれば、違ひざまも行く末いと きとう 一六安産のための祈疇。 宅他ならぬわたし自身の咎では あさましきに、「六月七日、里へ出でよ」としきりに言はるれば、何事そと思 ないかという気持で言うか。「雪 ニ 0 ひて出でたれば、帯を手づから用意して、「ことさらと思ひて、四月にてあるの曙」の責任だという気持ではな いであろう。 ちゃくたい べかりしを、世の恐ろしさに今日までになりぬるを、御所より、十二日は着帯天後深草院はお思いだったが。 一九「雪の曙」が言われるので。 のよし聞くを、ことに思ふやうありて」と言はるるそ、心ざしもなほざりならニ 0 格別、実の親であるわたしが 帯をさせなくてはと思っての意か とくに妊娠を目立たせる手段とし ずおばゆれども、身のなりゆかむ果てぞ悲しくおばえはべりし。 て、と解する説もある。 三日はことさら例の隠れ居られたりしかば、十日には参りはべるべきにてあ りしを、その夜よりにはかにわづらふことありしほどに、参ることもかなはざ ぜんしようじさきれい おび りしかば、十二日の夕方、善勝寺、先の例にとて、御帯を持ちて来たりたるを れい ゐ た 一九 よっき