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検索対象: 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)
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1. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

とはすがたり 186 でよ。夜さり、迎へにやるべし」といふ文あり。 心得ずおばえて、御所へ持ちて参りて、「かく申してさぶらふ。何事そ」と げんきもんゐん どの かへりごと 申せば、ともかくも御返事なし。何とあることもおばえで、玄輝門院、三位殿一 と申す御ころのことにや、「何とあることどものさぶらふやらむ。かくさぶら あんない ふを、御所にて案内しさぶらへども、御返事さぶらはぬ」と申せば、「我も知 らず」とてあり。 さればとて、「出でじーと言ふべきにあらねば、出でなむとするしたためを さとゐ ながっき ニ弘長元年 ( 一一一六 D のこととなる。 するに、四つといひける長月のころより参り初めて、時々の里居のほどだに心 巻四でも「四つになりし長月二十 めとど もとなくおばえつる御所の内、今日や限りと思へば、よろづの草木も目止まら日余りにや、仙洞に知られたてま つりて御札の列に連なりて」とい ひと ぬもなく、涙にくれてはべるに、をりふし恨みの人参る音して、「下のほどか」う。 三「雪の曙」、すなわち西園寺実 なぬ そで と言はるるもあはれに悲しければ、ちとさし出でたるに、泣き濡らしたる袖の兼。 つばね 四局に下がっておられるか 五 ↓三三ハー注一一 = 。 色もよそにしるかりけるにや、「いかなることそ」など尋ねらるるも、「問ふに 0 「出でなむとするしたためをす ふみ るに」以下の叙述は、『平家物語』巻 つらさ」とかやおばえて、物も言はれねば、今朝の文取り出でて、「これが心 一・祇王で、平相国清盛に飽きら 細くて」とばかりにて、こなたへ入れて泣き居たるに、「されば、何としたるれて追い出される祇王が、その局 ふみ ↓六七ハー注一六。

2. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

も、姫君などは言ひぬべくもなし。肥えらかに、高く、太く、色白くなどあり一大内裏の八省院の北部の中央 にあった正殿。 いちないし だいり に . トでつばう . だいごくでんぎゃうかう て、内裏などの女房にて、大極殿の行幸の儀式などに、一の内侍などにて、髪ニ第一の内侍。 三天皇の剣を奉仕する役。 ぎよけん 四『源氏物語』絵合巻で、朱雀院 既上げて、御剣の役などを勤めさせたくぞ見えはべりし。 が前斎宮 ( 秋好中宮 ) の入内に際し そう うすいろ なほし おほくち ↓よ 「はや参りぬ」と奏せしかば、御所は菊を織りたる薄色の御直衣に御大口にて、て「香壺の箱ども世の常ならず、 くめえかう と 四 くさぐさの御薫物ども、薫衣香、 びやうぶ ひやくぶほか ぶほか 入らせたまふ。百歩の外といふほどなる御匂ひ、御屏風のこなたまで、いとこまたなきさまに、百歩の外を多く 過ぎ匂ふまで、心ことにととのヘ 、と御答へがちなるも、御心に合はずやと思ひやさせたまへり」とあり、鈴虫巻に ちたし。御物語などあるに、し / みやうがう からひやくぶえかうた は「名香には唐の百歩の衣香を焚 よる 一いをんじ られてをかしきに、御寝になりぬ。例の、ほど近く上臥ししたるに、西園寺のきたまへり」という。 五ひどく仰山だ。 だいなごんあかりしゃうじと なげししも とのゐ 大納一一 = ロ、明障子の外、長押の下に御宿直したるに、いたく更けぬ先に、はや何六男でも女でも、言葉少ないの がむしろよい、とされていた。 セ藤原実兼。作者の恋人「雪の 事も果てぬるにや、いとあさましきほどのことなり。 曙」である。 たまがは ^ 廂の間。↓九五ハー注一一九。 さて、いっしかあらはヘ出でさせおはしまして召すに、参りたれば、「玉川 九すっかり女が院の意のままに さと の里」とうけたまはるそ、よそも悲しき。深き鐘だに打たぬ先に帰されぬ。御なったことを婉曲にいう。 一 0 早速、部屋の外へお出になり。 心地わびしくて、御衣召し替へなどして、小供御だに参らで、「ここあそこ打 = 「見渡せば波のしがらみかけ てけり卯の花咲ける玉川の里」 ( 後 そでうへ て」などとて、御寝になりぬ。雨おびたたしく降れば、帰るさの袖の上も思ひ拾遺・夏相模 ) の歌などを引くか。 三お夜食。 一三ここを打て、あそこを打て。 やられて。 104 ひめぎみ よる れい きく うへぶ かう′一

3. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

よふ 更けぬれば、御前なる人もみな寄り臥したる。御主も小几よう作者に求めるあたりに、幼児 〔三九〕折りやすき花 性がうかがわれておもしろい ちゃう 一三とのごも 帳引き寄せて、御殿籠りたるなりけり。近く参りて、事 = 御前に侍る女房。 三ご本人。 そう やす のやう奏すれば、御顔うち赤めて、いと物ものたまはず、文も見るとしもなく一三お寝みになっておられる。 、一とは て、うち置きたまひぬ。「何とか申すべき」と申せば、「思ひょらぬ御言の葉は、 何と申すべき方もなくて」とばかりにて、また寝たまひぬるも心やましければ、一四気が咎められるので。 帰り参りて、このよしを申す。 「ただ、寝たまふらむ所へ導け、導け」と責めさせたまふもむつかしければ、 とも 御供に参らむことはやすくこそ、しるべして参る。甘の御衣などはことごとし 一五おほくち 一五大口袴。束帯の時、表袴の下 ければ、ただ御大口ばかりにて、忍びつつ入らせたまふ。 にはノ、袴 しゃうじ一六 まづ先に参りて、御障子をやをら開けたれば、ありつるままにて御殿籠りた一六静かに。そっと。 まへ ちひ る。御前なる人も寝入りぬるにや、音する人もなく、小さらかに這ひ入らせた宅身体を小さくして。後深草院 は実際にも小柄だったらしい のち まひぬる麦、 彳いかなる御事どもかありけむ。うち捨てまゐらすべきならねば、 天前斎宮のお傍で寝ている ( 宿 一 ^ うへぶ 一九 御上臥ししたる人のそばに寝れば、今そおどろきて、「こは誰そ」と言ふ。「御している ) 女房。 一九今になって目を覚して。 7 ひとずく とのゐ 人少ななるも御いたはしくて、御宿直しはべり」と答へば、まことと思ひて物 = 0 お気の毒で。 さき ニ 0 かた あ かん 一ニめしこぎ との

4. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

とど 、実兼は傾城の思ひざししつるー 宵はまたこれに御留まりあり、次の日ぞ、京の御所へ入らせおはしましぬる。 とは、おそらく後深草院が作者と にようゐん つかひ一ニ 実兼 ( 雪の曙 ) との仲を疑ってあて 還御の夕方、女院の御方より、御使に中納言殿参らる。 〔四一〕東ニ条院の嫉妬 こすりを言っているのであろう。 = 東二条院。 「何事ぞ」と聞けば、「二条殿がふるまひのやう、心得ぬこ 三東二条院の女房。 し - 」うとど とのみさぶらふ時に、この御方の御伺候を止めてさぶらへば、ことさらもてな一三作者のこと。 みつぎぬ どうしゃ 一四三枚重ねの袿。 されて、三衣を着て御車に参りさぶらへば、人のみな、女院の御同車と申しさ せん めんばく ぶらふなり。これ、詮なくおばえさぶらふ。よろづ面目なきことのみさぶらへ いとま 第ャも ふしみ ば、暇を賜はりて、伏見などに引き籠りて、出家してさぶらはむと思ひさぶら一五山城国の伏見。現、京都市伏 ふ」といふ御使なり。 御返事には、 うけたまはり候ひぬ。二条がこと、今さらうけたまはるべきゃうも候はず。 こだいなごんのすけ よるひる 故大納言典侍あり、そのほど夜昼奉公し候へば、人よりすぐれて不憫におば一六作者の母。↓三五ハー注一 0 。 え候ひしか、 。。しカ宅「領状」とも書く。承知しまし しいかほどもと思ひしに、あへなく失せ候ひし形見こよ、、ゝ りゃうじゃう にもと申し置き候ひしに、領掌申しき。故大納言、また最期に申す子細候天二条の父、源雅忠。「最期に 申す子細」とは三五ハー四行の雅忠 しんか ひき。君の君たるは臣下の心ざしにより、臣下の臣たることは、君の忍によの言葉をさす。 かへり′と きみ かた つぎ う ふびん 見区。

5. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

とはすがたり 「げに」とて文あり。 かへりごと 一後深草院。 とばかり御返事に申さる。 0 東二条院の抗議に対する院の返 ことあ のち その袤ま、 、とど事悪しきゃうなるもむつかしながら、ただ御一所の御心ざ事は、この頃の院の作者への愛情 が並々ならぬものがあったことを 物語る。記憶による叙述とは考え しなほざりならずさに、慰めてそはべる。 にくいが、草稿などを見せられて、 のち まことや、前斎宮は、嵯峨野の夢の後は、御訪れもなけれ写しておいたものを、ここで院の 愛情の証として引くか 〔四ニ〕嵯峨野の夢の後 三みちしば ニ嵯峨殿での旅寝で結んだ夢の ば、御心の内も御心苦しく、わが道芝もかれがれならずな ような思い出 ( 後深草院との契り ) 。 三わたしの道しるべもとぎれと ど思ふにとわびしくて、「さても、年をさへ隔てたまふべきか」と申したれば、 ぎれでなくしたい。 四ご養母と申しあげた尼君。右 大臣藤原 ( 近衛 ) 道経の女か。 みなかみ 五「涙川落つる水上早ければ堰 「いかなる隙にても、おばしめし立て、など申されたりしを、御養ひと聞こ きぞかねつる袖のしがらみ」 ( 拾 がほ あまごぜん えし尼御前、やがて聞かれたりけるとて、参りたれば、いっしかかこち顔なる遺・恋四紀貫之 ) 。 六伊勢の御神。一生独身でお過 そで しになるであろう、の意。 袖のしがらみ堰きあへず、「神よりほかの御よすがなくてと思ひしに、よしな 七どのような支障がありましょ ものおも き夢の迷ひょり、御物思ひのいしいしとくどきかけらるるもわづらはしけれうか。「湊入りの葦別け小舟陬り 多みわが思ふ君に逢はぬ頃かも」 ひま つかひ ひま ( 万葉・巻十一 ) などの古歌による。 ども、「隙しあらばの御使にて参りたるーと答ふれば、「これの御隙はいつも、 ^ 障害を乗りこえようというこ はやましげやま 七あしわ 何の蘆分けかあらむ」など聞こゆるよしを伝へ申せば、「端山繁山の中を分けとならば。「筑波山端山繁山しげ けれど思ひ入るにはさはらざりけ こ、一ち り」 ( 新古今・恋一源重之 ) による。 むなどならば、さもあやにくなる心いられもあるべきに、越え過ぎたる、い地し ひま ふみ せ 九 さがの や し な 一ひとところ せ

6. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

ふしみどの一ニ 自己敬語。 またいかがと思ひて、伏見殿へ入らせおはしますとて、立ち入らせたまひたり。 一五内侍所に奉祀する伊勢大神宮、 何と思はむにつけても、このほどのいぶせさも、心静かに」と、さまざまうけすなわち天照大神。 一六八幡大菩薩、すなわち石清水 八幡。 たまはれば、例の心弱さは、御車に参りぬ。 宅局に置いてあった物も。 のち 夜もすがら、「わが知らせたまはぬ御事、またこの後もいかなることありと一〈↓五八ハー注 = 。 一九世間一般に順応するという心 ないしどころだいぼさっ も、人におばしめし落とさじ」など、内侍所・大菩薩引き掛けうけたまはるもの習い。巻一にも「世に従ふは憂 きならひかな」 ( ↓二三ハー注 = 0 ) と 畏ければ、参りはべるべきよしを申しぬるも、なほ憂き世出づべき限りの遠かあった。「世に随へば望み有るに 似たり、俗に背けば狂人の如し。 くわんぎよ りけるにやと心憂きに、明け放るるほどに還御なる。「御供に、やがてやがて」穴憂きかな世間、一身を何の処に か隠さん」 ( 行基菩薩遺誡 ) 。 ニ 0 着帯をしたが。 と仰せあれば、つひに参るべからむものゆゑはと思ひて、参りぬ。 一七 0 院を迎える作者の態度は「雪の つばね きゃうごくどのつばね 局もみな里へ移してければ、京極殿の局へそ、まかりはべりし。世に従ふな曙」の来訪に驚いた時と異なり、 すねて、ふてくされているような らひも今さらすさまじきに、つごもりごろにや、御所にて帯をしぬるにも、思感じを与える。この態度によって、 身を隠した背後には院その人への 不満も潜在することを暗に訴えよ 二ひ出づる数々多かり。 うとしたか。その気持を察したの ところ ニ一おもかげ さても、「夢の面影の人、わづらひなほ所せし」とて、思で、院も誓言を立てるのであろう。 巻〔三一〕夢の面影の人 ニ一「雪の曙」との間に生れた女の しゆくしょ ひがけぬ人の宿所へ呼びて、見せらる。「五月五日は、た子。 一三母の遠忌を供養するために。 と ニ三五月は斎月だからいうか らちめの跡弔ひにまかるべきついでに」と申ししを、「五月ははばかるうへ、 かし - 」 よ とも ニ 0 一九

7. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

121 巻 しはす ちか 師走にや、おびたたしき誓ひの文を賜はりて、いくほども過ぎぬに、今年の三月草の花すり衣露に濡るとも」 ( 新 古今・秋上永縁 ) 、「咲く花にう としつき な つるてふ名はつつめども折らで過 月十三日に、年月さぶらひ馴れぬる御所の内をも住みうかれ、琵琶をも長く思 ぎうきけさの朝顔」 ( 源氏・タ顔 ) な のち われ ひ捨て、大納一一 = ロ隠れて後は、親ざまに思ひつる兵部卿も快からず思ひて、「我どの古歌を引いて作者に迫ったか。 ただし、前にそのような叙述はな とが 一 ^ いちご 一九 申したることを咎めて出づるほどの者は、わが一期には、よも参りはべらじ」 おおよう 一五大仰な起請文。↓一一〇ハー一 ここち いと行。 など申さるると聞けば、道閉ちめぬる心地して、いかなりけることぞと、 一六住みづらくなってさまよい出。 宅親のように思っていた。 恐ろしくぞおばえし。 一 ^ わたしの生きている間は。 によほふ ゆきあけばのやまやまてらでら 一九まさか御所に参りますまい 如法、御所よりも、あなたこなたを尋ねられ、雪の曙も、山々寺々までも、 自分が寄せつけないと言わぬばか もんほふ 思ひ残す隈なく、尋ねらるるよし聞けども、つゆも動かれず、隠れ居て、聞法りのロ吻。 ニ 0 ニ 0 ↓五二ハー注九。 けちえんたよ しんぐわんばうむろ ニ一賀茂祭。 の結縁も便りありぬべくおばえて、真願房の室にそ、また隠れ出ではべりし。 一三後宇多天皇。建治三年 ( 一毛七 ) 正月三日、十一歳で元服した。 さるほどに、四月の祭の御桟敷のこと、兵部卿用意して、 三巴隆親・隆顕父子の ニ三煕仁親王。建治三年十二月十 ′ ) かう 不和 両院御幸なすなどひしめくよしも、耳のよそに伝へ聞きし九日、十三歳で元服した。 ニ四『公卿補任』建治一一年、大納言 ニニとうぐう げんぶく ほどに、同じ四月のころにや、内・春宮の御元服に、大納言の年の長けたるが隆親の項に「十二月廿還任。依明 年正月主上御元服上寿事。罷子息 わろ ちゅう ぜんしようじ 入るべきに、「前官悪し」とて、余りの奉公の忠のよしにや、善勝寺が大納言隆顕所職任之。同廿七日賜兵部卿 兼字」、権大納言隆顕の項に「十一一 しんべう を一日借りわたして参るべきよし申す。「神妙なり」とて、参りて、ふるまひ月廿辞退。依父隆親卿還任也」。 か と おや さじき ニ四 とした かくゐ ・ ) とし

8. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

117 巻 ひんがしかたわごん 東の御方の和琴とても、日ごろしつけたることならねども、ただこのほどの一 ^ おっくうな気がしながら。 一九『源氏物語』若菜下巻、女楽の 、一と きんこと くだりに、明石の上の有様を「柳 御習ひなり。琴の琴の代はりの今参りの琴ばかりぞ、しつけたることならむ。 もえ の織物の細長、萌黄にゃあらむ、 ニ六 にようごきみくわざんゐんのだいじゃうだいじんむすめニ五 かた うすものも 小袿着て、羅の裳のはかなげなる 女御の君は花山院太政大臣の女、西の御方なれば、紫の上に並びたまへり。こ ひきかけて、ことさら卑下したれ じゃうらふす たが れは対座に敷かれたる畳の右の上﨟に据ゑらるべし。「御鞠の折に違ふべからど、けはひ、思ひなしも心にくく あなづ 侮らはしからず」と描写する。 ず」とてあれば、などやらむ、さるべしともおばえず。今参りは女三の宮とニ 0 格が落ちる明石の上。 ニ一日本古来の絃楽器。六絃。 ふしみどの いちぢゃう て、一定上にこそあらめと思ひながら、御気色のうへはと思ひて、まづ伏見殿一三し慣れたこと。 ニ三『源氏物語』の明石の女御。源 と - も 氏と明石の上との間に生れ、若菜 へは御供に参りぬ。 下巻での今上の女御。 さぶらひ 今参りは当日に紋の車にて、侍具しなどして参りたるをニ四藤原通雅の女。 三一〕御所から行方をく ニ五後深草院の妃。 らます 見るにも、わが身の昔思ひ出でられてあはれなるに、新院ニ六わたしは。 あじろぐるま 毛家紋を入れた網代車。 ′、かう 御幸なりぬ。 ニ ^ 後深草院。 がくき にトでつばう・ ニ九光源氏。 一一すでに九献始まりなどして、こなたに女房、しだいに居て、心々の楽器前し 三 0 亀山院。 まき しとね わかな 置き、思ひ思ひの褥など、若菜の巻にやしるし文のままに定め置かれて、時な三一タ霧。 三ニ「殿」は鷹司兼平。「中納言中 とうゐん あるじゐんニ九 だいしゃう りて、主の院は六条院に代はり、新院は大将に代はり、殿の中納一一 = ロ中将・洞院将」はその男兼忠。ただし、この 年十六歳で権大納言正二位。 さんみのちゅうじゃう ひちりき の三位中将にや、笛・篳篥に階下へ召さるべきとて、まづ女房の座、みなし三三藤原公守か。 たいざ く - 一ん たうじっ 三 0 ニセ みけしき ふみ 三ニ まり 三三 ・一うち・き

9. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

とはずがたり 202 のち たれ 一「見る人もなき山里の桜花ほ ゆるも、「ほかの散りなむ後」とは、誰か教へけむとゆかしきに、「御遊あるべ かの散りなむのちそ咲かまし」 ( 古 きめかづ しとてひしめけば、衣被きに混じりつつ、人々あまた参るに、誰もさそはれ今・春上伊勢 ) を引く。この部分、 『源氏物語』花宴巻の右大臣家での 藤の宴の叙述の影響があるか。 つつ見まゐらすれば、両院・春宮、内に渡らせたまふ。 かぶ ニ顔を隠すため衣を被った女房。 ひさしふえ ひちりきかねゆきびは 、一と 廂に、笛花山院大納言、笙左衛門督、篳篥兼行、琵琶春宮御方、大夫琴、太三源具顕。参議具氏の男。 六 四藤原範藤。左馬頭範継の男。 ともあきかっこのりふぢ さいしゃうらうそがふ はきふはくちゅうせんしうらく 鼓具顕、羯鼓範藤、調子盤渉調にて、採桑老・蘇合三の帖破急・白柱・千秋楽。従三位に至る。正応五年 ( 一 = 〈一 D 三 月出家、没年等未詳。この年従四 九しゃうゑん ものねととの 位上左中将。 兼行、「花上苑に明らかなり」と詠ず。ことさら物の音調ほりておもしろきに、 五雅楽の一。唐楽。盤渉調。舞 へん のちなさけ きふねた 二返終はりて後、「情なきことを機婦に妬む」と一院詠ぜさせおはしましたる楽では老人の一人舞。 六蘇合香。雅楽の一。唐楽。盤 こゑ - カく くわんぎよ 、新院・春宮御声加へたるは、なべてにやは聞こえむ。楽終はりぬれば還御渉調。舞楽では六人舞。 セ雅楽の一。唐楽。盤渉調。舞 あるも、飽かず御なごり多くそ人々申しはべりし。 ^ 雅楽の一。唐楽。盤渉調。舞 何となく世の中の華やかにおもしろきを見るにつけても、 〔罕〕後深草院の文 九「花明上苑軽軒馳九陌之塵 うち くや 猿叫空山斜月瑩千巌之路 ( 花 かきくらす心の中は、さし出でつらむも悔しき心地して、 しゃうゑん ーしーんきうはく 上苑ニ明ラカナリ軽軒九陌ノ塵 めうおんだう ・ノ、ん しゃぐゑっ ニ馳ス猿空山ニ叫プ斜月千 妙音堂の御声なごり悲しきままに、御鞠など聞こゆれども、さしも出でぬに、 みが 巌ノ路ヲ瑩ク ) 」 ( 和漢朗詠集・春・ たかよし 隆良、「文ーとて持ちて来たり。「所違へにや」と言へども、しひて賜はすれば花閑賦 ) 。 一 0 「羅綺之為重衣妬無情於機 開けたるに、 婦管絃之在長曲怒不関於伶人 ばんしきてう しゃう ま ところたが まり えい ぎよいう , 一こち

10. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

巻 一月日の過ぎてゆくのが速いこ との比喩。『荘子』などに基づく ニ「早しの意。縁語「年波」 ( 年 齢 ) を導く。「老らくの月日はいと ど早瀬川返らぬ波に濡るる袖か な」 ( 新古今・雑下覚弁 ) によるか。 こまはやせがは 隙ゆく駒の早瀬川、越えて返らぬ年波のわが身に積もるを三「数ふればわが身に積もる年 四 〔こ物思わしき春 月を送り迎ふと何急ぐらむ」 ( 拾 かぞ ももちどり 数ふれば、今年は十八になりはべるにこそ。百千鳥さへづ遺・冬平兼盛 ) 、「尽きもせず同 じ憂き世を惜しむとやわが身に積 ひかげ もる年は見るらむ」 ( 続古今・雑上 る春の日影のどかなるを見るにも、何となき心の中の物思はしさ、忘るる時も 俊成卿女 ) などを念頭に置くか。 はな なければ、華やかなるもうれしからぬ心地ぞしはべる。 四「百千鳥さへづる春は物ごと にあらたまれども我ぞふりゆく」 ことし五くすり くわぎんのゐんのだいじゃうだいじん こぞごゐんのべったう 今年の御薬には、花山院太政大臣参らる。去年、後院別当とかやになりて ( 古今・春上読人しらず ) を引く。 五 ↓一一ハー注七。 ′ ) しょ とろ・ おはせしかば、何とやらむ、この御所ざまには快からぬ御事なりしかども、春六藤原 ( 花山院 ) 通雅。四十一一一歳。 セ ↓六七ハー注一三。 ぐう うら 宮に立たせおはしましぬれば、世の御恨みもをさをさ慰みたまひぬれば、また〈後深草院の皇子煕仁親王。 九台盤所に詰めている女房たち。 のち とが 後までおばしめし咎むべきにあらねば、御薬に参りたまふなるべし。ことさら、一 0 文永八年。↓一一ハー六行。 = 「新しき年ともいはずふるも にようばうそでぐち だいばんどころ 一ころ きめ 女房の袖ロもひきつくろひなどして、台盤所ざまも人々心ことに、衣の色をものはふりぬる人の涙なりけり」 ( 源 氏・葵 ) を引くか ひととせなかのゐんのだいなごん 尽くしはべるやらむ。一年、中院大納一言御薬に参りたりしことなど、改まる年 0 作者の内向的で暗い心情が述べ られている。白楽天の新楽府「上 陽白髪人」などの影響があるか。 ともいはず思ひ出でられて、古りぬる涙ぞなほ袖濡らしはべりし。 ひま ふ - 】とし こころよ としなみ三