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検索対象: 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)
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1. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

きようどころ げさせて、東の経所の前に捧げましたが、その時、縹色の れしくて、打出の際に参りましようか」とつい申しあげる たんぎく 薄様の短冊でその桜の枝に付けました。 と、「万事さしつかえないでしよう。そのうえ、准后の御 さくらばな こだいなごんのすけ 、そなたとい 根なくとも色には出でよ桜花契る心は神ぞ知るらむ 事は、とくに幼い時から故大納一 = ロ典寺と、 ( たとえ根がなくても美しい色に咲き出でておくれ、桜花よ。 、子供同然だったのだから、このような一世一代のお世 神恩をこうむりたいとお約束したわたしの心は牛頭天王の御話を申しあげるのに、何の不都合なことがあるのでしよう 神がご照覧あらせられよう ) か」など、ご自身さまざまにおっしやるのをうかがって、 この枝が根づいて、花が咲いたのを見るにつけ、神恩を そうお断り申しあげるのも訳ありげなので、参上いたしま 願う心の末は空しかるまいと頼もしく思われるのだが、千しようと申しあげた。 つぼね 部経を初めて読みますのに、そう局ばかりに籠っているの 祇園への参籠の日数は四百日以上であるので、帰って来 ほうとういん も差障りがあり、何かとはばかられるので、宝塔院の後ろ てまたお参りするまでの間は代人を籠らせておき、西園寺 さねかぬ に二つある庵の東の方のをわたしのものとして、そこに籠実兼が大宮院のご指図をうけたまわって、車などを頂いた やまがっ っているうちに、この年も暮れた。 ので、今はすっかり山賤となってしまったような心地で、 翌年の正月末に、大宮院からお手紙晴れ晴れしい装いも落ち着かないものの、紅梅の三つ衣に じゅ′ ) う さくらもよギ、 〔一毛〕北山准后九十賀 があった。「北山准后の九十の御賀桜萌黄の薄絹を重ねて参上して見ると、思っていた通り晴 をこの春行おうと考えて準備を急いでいます。そなたの里の席である。 住みもずいぶんになったが、何の不都合なことがあるでし 〔三 0 北山邸への行幸・一院と新院の両院・東二条院、それ うちいで ゅうぎもん 行啓 ようか。打出の人数に加えようと思います。准后の御方に にまだ姫宮でいらっしやった遊義門 いん しんよう 伺候しなさい」とおっしやる。 院もかねてからおいでになっておられたのであろう。新陽 めいもんいん 四「当然伺候申しあげるべき御事ではございますが、御所様明門院もこっそりと御幸された。御賀は二月の月末に行わ がご不快なご機嫌なので里住みをして、どうして、何がうれるというので、まず二十九日、北山邸に行幸・行啓があ はなだいろ みぎめ

2. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

まんぎいらくがくびようしかてんりようおう にしきしとね みかど い気持になる。左方は、万歳楽・楽拍子・賀殿・陵王、右錦の茵を敷いて、御門の御座を設けてある。両院の御座は、 えんぎらくなそり おおのひさ とうギ一よう 方は地久・延喜楽・納蘇利を奏する。二の者として、多久母屋に設けてある。東の対の一の間に繧繝を敷いて、東京 ただ 忠が勅禄の手とかいう手を舞う。この間、右大臣が座を立の錦の茵を敷いて、春宮の御座をしつらえたと見えた。主 こまのちかやす もろただ って、左の舞人狛近泰を召して、勧賞のことをお命じにな上・両院の御簾の役は関白殿、春宮には傅の大臣師忠の遅 ずる。うけたまわって、再拝すべきであるのに、右の舞人多参で、春宮大夫が御簾の役に参上されたのであった。 まさあき のうし うちおんぞ と久資、楽人豊原政秋も、同じように勧賞をうけたまわる。 主上は常の御直衣に紅の打御衣の綿を入れたのをお出し しよう かたおりもの さしめき 「政秋が、笙の笛を持ちながら拝舞して起き伏す様子は似になる。一院は固織物の薄色の御指貫、新院は浮織物の御 合わしい」などとおほめのご沙汰があった。 直衣に同じ御指貫をお召しになり、これも紅の打御衣の綿 ふせんりよう 講師が座を下りて、楽人は楽を奏す。その後、お布施を の入ったのをお出しになる。春宮は浮線綾の御指貫で、打 きんあっ やすなか 引かれる。頭中将藤原公敦・左中将京極為兼・少将源康仲御衣の綿の入らないのをお出しになる。 わきあけひらやなぐい もとおし はいぜん など、闕腋に平胡籐を負っている。その他の人々は縫腋に 御膳を差し上げる。主上の陪膳は花山院大納言、役送は きんつら 革緒の太刀、多くは細太刀であったのに、衆僧たちが退出四条宰相隆康・三条宰相中将公貫、一院の陪膳は大炊御門 力いこっちょ、つけいし する時に、廻忽・長慶子を演奏して、楽人・舞人は退出す大納言、新院は春宮大夫、春宮は三条宰相中将が、春宮の る。 役送を務めるとのことで、桜の直衣、薄色の絹、同じ色の つばやなぐいおいかけ 大宮院・東二条院・准后の御膳を差し上げる。准后の指貫、紅の単衣、壺胡・老懸までも、今日を晴と見える。 ぜん 膳は四条宰相、役送は左衛門督である。 御膳が終った後、管絃の御遊がある。主上の御笛として、 ただよ 次の日は三月一日に当っていた。主柯亭という御笛を箱に入れて、忠世が参上する。関白が取 とうぐう 〔四三〕管絃の御遊 びわげんじよう 上・春宮・両院に御膳を差し上げる。 って御前に置かれる。春宮は御琵琶、玄上を弾かれる。春 の ごんのすけ ちかさだ 舞台を取り除けて、母屋の四面に壁代を掛けてある、その 宮権亮土御門親定が持って参上するのを春宮大夫が御前 うげん から 西の隅に御屏風を立てて、中の間に繧繝二畳を敷いて、唐 に置かれる。臣下の笛の箱は別にある。笙は土御門大納一言、 322 と もや さた かべしろ ためかめ かてい

3. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

とはずがたり ろしく感じられた。 それを添えて差し上げるというので、経の包み紙に次のよ 思った通り、御所からもあちこちをお尋ねになり、「雪 2 うに書き付けた。 のりみづぐき の曙ーも、山々寺々まで、考えられる限り残る隈なく尋ね この世には思ひ切りぬる四つの緒の形見や法の水茎の ておられるということを聞いたが、少しも動く気にもなれ 跡 ( この世では弾くことを断念した故法皇御下賜の琵琶、そのず、隠れていて、法文聴聞の結縁にもよいついでがありそ うに思われて、小林から真願房の庵室に行って、また隠れ 伝来を物語る父の形見の文にこの法文を書き写して八幡宮に けちえん ておりました。 奉納申しあげることが結縁となるでしようか ) おととし つくづくと考えると、一昨年の春三 三巴隆親・隆顕父子のそうこうしているうちに、四月の賀 さじき 三三〕道ふさがる 茂祭の御桟敷のことを兵部卿が用意 月十三日に、「有明の月」から、「折不和 して、両院が御幸されるなど大騒ぎしているとのことも、 らでは過ぎじ ( 美しい花のようなそなたを、手折らずには過ぎ まい ) 」とかいう仰せをうかがったのが最初で、去年の十聞くともなしに伝え聞くうちに、同じ四月の頃であったか、 とうぐう おおよう 二月であったか、大仰な誓いの文を頂いてからいくらも過帝・春宮のご元服に、大納言で年をとった人が参入するこ ぎないのに、今年の三月十三日には、長年伺候し慣れた御とになったが、「前官 ( 退官した者 ) では悪い」ということ たかちか で、隆親がたいそう忠義に奉公したせいであろうか、善勝 所の内に住んでいられなくなってさまよい出で、琵琶をも たかあき 永久に断念し、父大納言が亡くなった後は親同然に思って寺隆顕の大納言の官を一日借りて隆親が大納言に任ぜられ て参上しましようということを申しあげた。「神妙である」 いた兵部卿もわたしのことを不愉快に思っていて、「わた ということで、参上して、お勤めを果して、大納言の官は しが申したことを問題にして御所を出たような者は、わた 隆顕に返し与えられるはずであったのが、そうではなくて、 しの目の玉が黒いうちは、まさか参上できないでしよう」 つねとう 引き違えて、経任が権大納言にされた。 など申されると聞くと、八方ふさがりにふさがってしまっ はくだっ そのうちに、善勝寺大納言は理由もないのに官を剥奪さ た心地がして、いったいどうなることだろうと、ひどく恐 ( 原文一二〇ハー )

4. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

うちうち 内々に静かな座敷で、御所様の御前。。 」こよ女房が一、二人参上されたのであった。わたしがここにいるとも、どうし 、しトうじ 繝 ばかりしかいないのも、あまりにおもしろみがないという てお聞きになるはずがあろうかと思うのに、承仕法師がこ ひろごしよもろちかさねかめ わけで、「弘御所に師親や実兼などの声がした」というこ こにやって来て、「御所からのお使いでございます。『御扇 が御堂に落ちているかどうか、御覧になるようにと申せ』 既とで、これらの人々が一緒になってのふざけたお遊びもな しょや ずお感興が尽きないほどで終ると、姫宮の御方で初夜のお勤ということでございます」と一言う。合点がいかないように 思われながらも、中の障子を開けて見たけれども、ない。 とめをして、「有明の月」は退出された。その名残惜しさも ぎようぎよう そこで障子を引き立てて、「ございません」と申して、承 愚痴をこばしようもないが、仰々しくない有様で、御所で すきま 帯をするにつけ、御所様のお心の中を推察するとひどく堪仕法師が帰った後、「有明の月」が少し障子の隙間を細く うつくっ うえぶ えがたい。その夜は上臥しをさえしたので、夜通し語り明 なさって、「あまりにも日数の積る鬱屈した気持も、この かされるにも、少しも隔意のないご様子をされるにつけて ような時分はとくに驚かれるほどなのだが、不都合でない も、どうしてつらくないことがあろうか 人を頼りとして、あなたの里を訪れよう。少しも他人には 九月の御供花は、いつもよりも立派洩らすまいから安心だ」などとおっしやるけれども、どの 〔三〕扇の使 に行おうということで、以前から大ようなことで世間に洩れるだろうかと不安に思われ、「有 明の月」のお名前が出るのもいたわしく思われるので、と 騒ぎしている。懐妊中のこの身は遠慮されるようだから、 いとま お暇を頂くように申すけれども、さほど目立たないから、 いって、そう「いやです」と一言うのもどうかと思われるの 人数を揃えるために参るようにとのお言葉があるので、薄で、「総じて世間に洩れませんでしたら ( 結構です」とだ からぎめくちば ひとえがさね けお答えして、障子を引き立てた。 色衣に赤色の唐衣、朽葉の単衣襲に青葉の唐衣で、夜の当 きとう 番を勤めておりますと、「『有明の月』がご参上になりまし お帰りになって後、祈疇の時刻も過ぎたので、御所様の た」という声がするので、何ということなく胸がどきどき御前へ参ると、「扇の使いはどうだった」とおっしやって みどう けちえん 笑っていらっしやるので、いつものわけあってのお使いだ して聞いていると、御供花の御結縁ということで、御堂に ( 原文一六一一ハー ) いろきめ くうげ

5. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

( 原文一〇三ハー ) 、一とうら 「異浦にすむ月は見るとも ( 他の浦に澄む月を見るとしても ) 」というご命令だったので、車寄せへ行ったところ、車から と書き付けたのをよこしたので、換え扇としたのを持って降りる音など、衣ずれの音からして乱暴で、ひどく鳴り響 参院したところ、前々の筆跡と同じとも見えないものだか くさまも意外だったが、彼女を連れて参って、いつもの昼 そらだ ら、御所様が、「どのような関係の人の形見だ」などと、 の御座所のそばの四間を、特別に設営して、空薫きの香り しつこくお尋ねになるのも面倒なので、ありのままを申し も格別心をこめて焚いてあるところに導き入れたところ、 ひおうぎ この人は一尺ばかりの檜扇を浮織にした衣装に、青裏の二 あげるうちに、その絵が美しいことから始って、浮気な恋 のりけ はかま 路に迷い初められて、三年の間、ともすれば恋の手引をすっ衣に紅の袴をはき、どれも普通でなく糊気のきいたのを、 かわご るよう、いろいろと、お心の休まるまもなく熱心に言い続着慣れていないのであろうか、まるで皮籠作りの皮籠など のように、背中にひどく高々と出つばって見えて、顔の有 けていらっしやったが、どんなふうに連絡をお付けになっ たのであろうか、十月十日の宵の時分にその人が参院する様もたいそう色つばく、目鼻立ちもはっきりとしていて、 いかにも、美人だなと見えるけれども、姫君などとはとて という手はずになって、御所様はお心の置き所もないほど、 すけゆき 、。巴り気味で、背が高く、肉づきがよく、 格別なお心遣いでお支度なさるところへ、資行中将が参上も言えそうもなし月 だいごくでん して、「ご下命いただいておりました美人を連れて参りま色白で、内裏などの女房で、大極殿の行幸の儀式などに、 いちないし した」という由を申し入れたので、御所様は、「しばらく 一の内侍などとして、髪を結い上げて、御剣を奉持する役 つりどの などを勤めさせたいと見える人でした。 車に乗せたまま京極面の南の端の、釣殿のあたりに留めて 置け」とご命令なさった。 「もう参りました」と申しあげると、御所様は菊を織った のうし おおくちばかま しょや うすいろ 初夜の鐘を打っ頃に、三年越しの恋薄色の御直衣に大口袴をお召しになってお入りになる。 たきもの あおこうじ 巻〔一巴三年の人 「百歩の外まで薫る」というほどの薫物の匂いは、屏風の 人が参上した。青柑子の二つ衣に、 ぎようさん すおううすぎぬ こちら側までひどく仰山にかおってくる。お話などなさる 紫の糸で蔦を縫い取りしたのに、蘇芳の薄衣を重ねて、赤 からぎめ のに対して、ともすれば彼女ははきはきとお答えする傾向 色の唐衣を着ておりました。いつものように、「案内せよ」 った きぬ た

6. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

なってしまったのだった。 故法皇のお供をして一日も早く死にたいと思う」などと言 ろっかくくしげ って、祈疇などもせず、しばらくは六角櫛笥の家にいたが、 ニ巴父の発病と作者の五月は、世間一般の人々の袖にも五 だれ 懐妊 月雨の露がかかる時候だからであろ七月十四日の夜、河崎の家へ引き移った際にも、幼い子供 たちは六角櫛笥の家にとどめておいて、心静かに臨終の折 うか、父の嘆きは秋以上に露けく見えたが、あれほど一夜 も空しくひとり寝はすまいとしていたのに、そのような女のことなどあらかじめ考えて用意していた様子で、成人し た子のことだからと一人で出向いて参りますと、わたしの 性とのこともまるでなく、酒を飲むなどの遊びもばったり とだえてしないせいであろうか、「ひどく痩せ衰えられた」気分がすぐれないのを、父はしばらくは自分の病を嘆いて と皆が申してしたが、 、 ' 五月十四日の夜、大谷という所で念物なども食べないのだと思って、何かとわたしを慰めてお ちょうもん ぜんく られるうちに、それとはっきりわかることがあったのであ 仏があったのを聴聞して帰る車で、前駆もついていた際、 みおも ろうか、「身重になったのだな」と言って、早くも自身の その者たちが、「あまりにもお顔色が黄色にお見えになら れます。どうしたことでしよう」など言い出したのを、ど命も今度ばかりは生き延びたいと思うようになって、初め たいぎんぶく えいぎんこんほんちゅうどう きやまい うも変だというわけで医師に見せたところ、「これは黄病て叡山の根本中堂で、法式通り泰山府君を七日祭らせ、日 えしゃ しばでんがく 吉社で七社奉納の七番の芝田楽、石清水八幡宮で一日の という病気です。あまりひどく物を思いつめるとなる病で だいはんにやきよう きゅうじ す」と申して、灸治をたくさんした。それでどうなること『大般若経』転読、賀茂河原で石塔供養をするなど、あれ これと指図されたのは、自身の命惜しさではなくて、わた だろうかと痛ましい思いでいると、病状はしだいに重くな しの懐妊の結果を見とどけたさと思われて、罪深く感じら ってゆく有様なので、どうしてよいか見当もっかないのに 加えて、わたしさえ六月の頃からは気分も普通でなく、妊れました。 】しんちょうこう 娠の徴候があって、ひどく苦しいけれども、このような最ニ = 〕後深草院、雅忠を二十日頃には、父の容態もそう急に 見舞う どうということでもない状態なので、 中だから、どうして言い出すことができようか 御所へ参上した。わたしの身体が普通ではないとおわかり 父は、「どうしても逃れられないことと思われるから、 そで さみ きとう ひ

7. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

301 巻 ったのだと合点しました。 立ち寄って取次ぎを乞うので、いつよりも思いもかけない しぐれ 十月の頃になると、おしなべて時雨心地がするのだが、「急に大宮院のご様子がおよろしくな そで ニ三〕法輪に籠る がちな空の様子も袖の涙と競うかの いということで、今朝からこの嵯峨の御所に御幸があった ようで、万事いつもの年々よりも心細さもまさってつまら ので、あなたのお里をお尋ねになったが、ここにおられる ほろ・め・ん ないので、嵯峨に住んでいる継母の所へ下がって、法輪に ということがわかって、また仰せられたのです。女房もお あらしやまもみじ 籠っておりますと、嵐山の紅葉も憂き世を吹き払う風に誘供していないで、急の御幸です。宿願ならば、あとでまた われて、大井川の瀬々に波打ちながら寄せる錦かと思われ籠ったらいい ともあれ参上しなさい」というお使いであ る。 るにつけても、公私にわたって忘れがたい思い出の中でも、 ごさがのいんしんびつ 後嵯峨院の宸筆の御経供養の折、人々の姿、捧げ物の有様 籠って五日になる日なので、あと二日というのに宿願を なりひら まで、あれこれと思い出されて、あの業平の古歌ではない 果さないのも後ろめたかったけれども、車までも頂いたう うらや が、「うらやましくも返る波かな ( 川波は羨ましくも昔に立ち えに、嵯峨にわたしがおりますのをあてになさってほかに 返るよ ) 」と思われるのに、ただこのあたりで鳴く鹿の声は、女房も連れていらっしやらないということを、中将が話す おおい 誰が一緒に泣いている声なのだろうかと悲しくて、 ので、とやかく申すべきことではないから、そのまま大井 しの どの わが身こそいつも涙の隙なきに何を偲びて鹿の鳴くら殿の御所へ参上すると、皆女房たちも里へ退出しなどして、 む ちゃんとした人も伺候していないうえ、わたしがここにい ( このわたしこそいつも涙の乾く時もないのに、鹿はいった るのをあてにされて、一院、すなわちこちらの御所様と新 い何を偲んで鳴いているのでしようか ) 院のお二方がご同車でいらっしやったので、女房もいない。 しりさいおんじ いつもよりも物悲しいタ暮どきに、 御車の後に西園寺大納言実兼が参っておられるのだった。 ニ巴大井殿に召される 由緒ある殿上人のおいでがあった。 女院から、たった今、お食事を差し上げる時分だった。 やまもも かねゆき つばね 誰だろうと見ると、楊梅の中将兼行である。局のあたりに さが ひま 寺、さもの

8. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

よきよう お船を着けると、方々がお下りになるのも、余興尽きない うきねとこ 御事であったのであろう。あたかも水鳥の浮寝の床のよう に不安定な境遇に浮き沈みしているようなわたしの思いは、 やすかわ 既よその人にも推量されそうなものなのに、天の川の安の河 ず原でもないからか、尋ねてくれる人のいないのは悲しい。 と そうそう、そういえばこの日の昼は、 〔五 0 〕憂き身はいつも きよかげ ふたあい 春宮の御方から、帯刀清景が、二藍 ししゅ・う・ おいかけ 打上下、松と藤を刺繍してあるのを着て、振舞い、老懸の うわさ 具合もさまになっているなどと噂されたのが、内裏へお使 いとして参上させられたのと入れ違いに、内裏からは蔵人 ただよ 頭大蔵卿平忠世が参ったということだった。今回の御贈物 は、内の御方へ御琵琶、春宮へ和琴ということだったろう けんじよう きゅう か。勧賞が行われるであろうということで、一院御給とし としさだ これすけ て、坊城俊定が正四位下に、春宮御給として平惟輔が正五 位下に、春宮大夫の琵琶の賞は二条為道に譲って、為道が 従四位上に昇進するなど、多く聞きましたが、そう詳しく 記すこともできません。 春宮の行啓も還御なられたので、総じてしめやかに名残 も多かったが、御所様は西園寺の方角へ御幸なるというの で、たびたびお使いを頂いたが、「憂き身はいつも ( 憂いわ 328 が身はいつも同じこと ) 」と思われて、とても差し出る気に もなれないでおりましたのも、われながら哀れな心の中で あろうよ。

9. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

161 巻 「憂き世に住まぬ身にもがな」など、今さら山のあなたに急がるる心地のみすした後は、その公認のもとに「有 おうせ 明の月」との逢瀬を続けているの るに、御果てなるべければ、参りたまひて、常よりのどやかなる御物語もそぞであるから、今さら院が嫉妬する のは理不尽に感じられる。けれど じゃうにち ゅどのうへかた も院としては、自分の愛した女が ろはしきゃうにて、御湯殿の上の方ざまに立ち出でたるに、「このほどは上日 現に弟に愛され、女もその愛情を し - っ 、一とは なれば、伺候してはべれども、おのづから御言の葉にだにかからぬこそ」など受け入れている事実を目の当りに して、愉快なはずがない。男女の ごぜん 愛欲の業を感じさせる部分。 言はるるも、とにかくに身の置き所なくて聞き居たるに、御前より召しあり。 一 0 引歌があるか。 く , ) ん = 「み吉野の山のあなたに宿も 何事にかとて参りたれば、九献参るべきなりけり。 がな世の憂き時のかくれがにせ うちうち まへによら・ばう 内々に静かなる座敷にて、御前女房一、二人ばかりにてあるも、余りにあむ」 ( 古今・雑下読人しらず ) の歌 を引く。↓一四五ハー注三。 ひろごしょ もろちかさねかめ ひなしとて、「弘御所に、師親・実兼など音しつる」とて召されて、うち乱れ三真言の御談義の結願。 一三「有明の月」が参上なさって。 しょや かた たる御遊び、なごりあるほどにて果てぬれば、宮の御方にて初夜勤めて、まか一四そわそわする気分で。 一五以下、「雪の曙」の言葉。 くもゐ かた ことごとし一六当番の日。 り出でたまひぬる。なごりの空も、なべて雲居もかこっ方なきに、 宅主語は「有明の月」。 た 天院のご心中を想像すると。 三からぬさまにて、御所にて帯をしつるこそ、御心の内、いと堪へがたけれ。今 0 手を返すように、時折変る院の よ よひうへぶ ほんろう 宵は上臥しをさへしたれば、夜もすがら語らひ明かしたまふも、つゆうらなき愛憎の念に翻弄され、しかも「雪 の曙」の嫉妬までも加わって、二 はギ一ま 人ならず三人の男の恋情の間に苦 いかでかわびしからざらむ。 御もてなしにつけても、 しんでいる作者のいたたまれなさ がよく表れている部分。 ぎしき 一セ

10. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

285 巻 からぎぬ すずし を刺繍して露を置いた赤色の唐衣を重ねて、生絹の小袖やそのあたりで鼓を探し求めて、善勝寺大納言が打つ。まず はかま 若菊が舞う。御所様は、「姉を舞わせよ」というご意向で 袴など、いろいろの衣装を「雪の曙」が下さったのは、い つのことよりも , つれしかった。 ある。舞は長いことやめております由をしきりに申して辞 大殿・前の関白殿・中納言中将殿、この御所には西園寺退申しあげたのを、懇切に仰せられたので、袴の上に妹の もろちか 実兼・三条坊門通頼・源師親以外は人はいない。「善勝寺水干を着て舞ったが、一風変っておもしろかった。あまり がいる九条の家は近い距離だ。この御所には隆顕がご遠慮短くないものというわけで、祝言の白拍子を舞った。御所 申しあげねばならないことはない」というわけで、度々参様はたいそうお酔いになって後、夜が更けてすぐ白拍子は るように申されたが、籠居している時であるから参上は恐帰されたが、それもご存じでない。人々はこの夜は皆伺候 かんぎよ きよなが れある由を申して参らなかったのを、清長を遣わしてお召申しあげ、明日一度に還御などという予定である。 やす し・らび ) ・よろ・し 御所様がお寝みの間に、筒井の御所 しになったので、参上した。思いがけぬことに白拍子を二 〔三巴筒井の御所の夜 の方へちょっと用があって出たとこ 人召し連れて来られたが、そのことは誰が知ろうか。下の 御所の広問で今様伝授のことは行われた。白拍子は上の御ろ、松風の音も身に染み、人を待っかのような松虫の声も 袖の涙に声を添えるかと思われて、その出が待たれる月も 所の方に、車ごと置かれていた。 遊宴が始って、隆顕は御所様にその旨を申しあげる。御澄んで昇った時分であるので、思っていたよりももの哀れ 所様はおもしろがられて白拍子をお召しになる。姉妹であ な心地がして、御所へ帰ろうとしたが、山里の御所の夜な かけゅまき すおうひとえがさねはかま るという。姉は二十余り、蘇芳の単衣襲に袴をはき、妹は ので皆人は寝静まっている感じがして、掛湯巻で通ると、 みす おみなえしすじすいかんはぎ しーレゅう おおくちばかま 女郎花で素地の水干に萩を袖に刺繍した大口袴を着ていた。筒井の御所の前の御簾の中から袖を控える人がいる。本当 はるく わかぎく 姉は春菊、妹は若菊といった。白拍子を少しばかり申した に化物に襲われたような気がして、大声で、「ああ、怖い」 一が、ま と言った。「夜の声には木魂というものが訪れるというこ 後、「立ち姿を御覧なさろう」という御所様のご意向だっ つづみう た。「鼓打ちを連れておりません」と申しあげる。そこで とだから、ひどく気味が悪いですね」と言うお声は、あの ししゅう つつい