ろうとも思われないのに、三月の初め頃であったか、いっ の月ーはさぞ気をもんでいることだろう ) 』など思っていたが、 もよりも人少なで、夜のお食事などということもなくて、 四ただ世の常のことならば、こうまでもわけありげにもある ふたむね 二棟の方へお入りになるお供に召される。 まいに、ご当人のお人柄がいい加減でないことに免じて、 どのようなことをおっしやるのだろうかなどと思うけれ 既そなたとの恋を許したのだ。それにしても、今宵、不思議 ども、尽きることなく穏やかなお言葉で愛情をお約束くだ すな夢を見たよ。今のお方が五鈷を下さったのを、そなたは ふところ さるのも、うれしいと言おうか、またつらいと言おうかな とわたしにちょっと隠すようにして懐に入れたのを、わたし どと思っていると、「いっぞやの夢の後は、わざと言葉を が袖を引っぱって、『わたしがこれほどわけがわかってい るのに、どうしてこのような態度なのだ』と言われて、そ掛けなかったのだ。そなたと共寝するのも、一月を置いて のことにしようと待っていたのも、ひどく、い細いよ」とお なたはつらげに思って涙のこばれたのを振り払って、懐か ら取り出したのを見ると、銀の五鈷だった。それは亡き法っしやるので、それではやはりお考えがあってのことだっ たのだと、ひどく驚いた。間違いなくその月から普通の身 皇の御物なので、『わたしの物にしよう』と言って、立ち ながら見ると思って、夢が覚めた。今宵きっとこの夢のし体ではなくなったので、「有明の月」の子を身ごもった疑 いが紛れようもないにつけても、見た夢のような契りの結 るしとなることがあるのだろうと思われるよ。もしそうで もあるならば、疑いなくそなたが岩根の松を儲けるのであ果の懐妊も、今さらながら心にかかるのははかないことで ある。 ろう」などとおっしやったけれども、真実のこととあてに さてそれにしても、あれほど新枕と すべきでもないのに、それ以後は翌月になるまで、御所様 〔セ〕浅くなりゆく契り も言ってもよい、お互いに浅からぬ は特別のお言葉をも掛けられないので、何かにつけわたし ふしみ 愛情を抱いていた人ーー・雪の曙ーーは、いっそや伏見での の側に過ちばかりあるものだから、御所様のことをつらい と申すべきことでもなくて明け暮れするうちに、思い合さ近衛の大殿との夢のような清事の後は、そのことを恨んで 訪れも間遠にばかりなってゆくにつけても、それももっと れる徴候までもあったので、どうなるこの世の有様なのだ もう このえおおいどの
いちお 琵琶の一の緒を二つに切って包んで、 のもおもしろみのないことでしよう。この歌を頂いて帰り 数ならぬ憂き身を知れば四つの緒もこの世のほかに思 ましよう」とおっしやって、お帰りになったということで ひ切りつつ ある。この上は今参りが琴を弾くこともかなわない。めい ( ものの数でもない憂いわが身のことはよくわかっておりま めい、「兵部卿は正気の沙汰ではない。老人のひがみか すので、琵琶の道もこの世では私に関わりないことと思いあ あが子の振舞いはこころにくかった」など申して済んでし きらめました ) まった。 ろっかくくしげ と書き置いて、「お尋ねがあったならば、都へ出ましたと 朝はまだ早く、四条大宮の乳母のもとや、六角櫛笥の あまうえ 申しあげよ」と言い置いて出ました。 久我の尼上のもとなどに、お使いを頂いて、わたしをお尋 そうこうしているうちに、酒宴も半ねになったけれども、「行方はわかりません」と申したと 三ニ〕琵琶を思い切る ば過ぎて、お約束通りお入りになる いうことである。 と、明石の上の代役の琵琶弾きがいない。事の有様をお尋 そうこうしているうちに、あちこちを尋ねられるけれど ねになるので、東の御方はありのままに申された。御所様も、どこからいると申すはずがあろうか。これをよい機会 はお聞きになって、「道理だよ、あが子が座を立ったのは、 に憂き世を逃れようと思うと、十二月の頃から身体が普通 もっともだ」と言われて、局をお尋ねになると、「これを ではなくなったと思う時でもあるので、それもそう簡単に 差し上げて、もはや都へ出ました。きっとお召しがあるで 。いかなくて、それではしばらく隠れていて、この妊娠と あろうが、そうしたならば差し上げよということで、お手出産の時分を過して、身二つとなったならば出家しようと 思っていた。 紙がございます」と申したので、拍子抜けして、奇妙なこ ばち 巻 とであるということで、すべて気まずい雰囲気になってし これ以後、永久に琵琶の撥を取るまいと誓って、後嵯峨 いわしみずはちまんぐう まい、わたしの、「数ならぬ」の歌を新院も御覧になって、 院から頂いた琵琶を石清水八幡宮へ奉納申しあげたが、父 「たいそうこころにくいことです。今夜の女楽を演奏する大納言が書いて下さった文書の裏に『法華経』を書いて、 かか さた
おおいどの お方、近衛の大殿かと思うものの、恐ろしくて、何という召せ」というご意向である。承知いたしましたということ やす でご満足されて、お酒をひどくおあがりになってお寝みに 2 ことなく控えられた袖を引っぱって行き過ぎようとするの なったにつけ、わたしはうたた寝でもなくさっき見た夢の だが、袂はそのままほころびてしまってもお放しにならな うつつ ような経験の名残は、それでも現のこととも思われない気 人の気配もないので、御簾の中に引っぱり込まれてし ずまった。筒井の御所にも人はいない。「これはどうしたこ持で、まんじりともせずに夜は明けた。 「今日は御所のお世話ということで ととでしよう、どうしたことでしよう」と申しあげるけれど すけたか 〔三五〕近衛の大殿 宴は行われる」というので、資高が も、ど , っしょ , つもない ぎようさん 「思い初めてから長い年月になる」などというのは、普通お役をうけたまわる。諸事仰山に用意された。白拍子の姉 ち 妹が参上して、たいそうなお酒盛りである。御所様のご馳 聞き古していることだから、ああ、面倒だと思われるのに、 じんおしき そう 走ということで、人々は格別大騒ぎをされる。沈の折敷に 何かと言って約束されるのも、普通のことと思われ、耳に も入らないので、ただ急いで帰参しようとして、「夜が長鉄の盃を据えて、麝香の臍を三つ入れて、姉が頂く。鉄の いというので、御所様がお目を覚して、お尋ねになりま折敷に瑠璃の器物に同じ臍を一つ入れて、妹が頂いた。 ごや 後夜の鐘を打っ時分までお遊びになるが、また若菊を舞 す」というのにかこつけて立ち出ようとすると、「どのよ そうおうかしよう にお立たせになって、「相応和尚の割れ不動」の今様の拍 うな隙をも作り出して、戻って来ると誓え」と言われるの かきのもときのそうじよういったんもうしゅう も、逃れようがないので、四方の神社の名にかけて誓った子を数える時に、「柿本の紀僧正、一旦の妄執や残りけむ」 というあたりを歌う時、善勝寺大納言がふとわたしの方を のも、誓言を守らない結果が恐ろしくて、そこを立ち去っ 意味ありげに見た。わたしも思い合せられる節もあるので、 またお酒を召しあがるということで、人々が参って大騒哀れにも恐ろしくも思われて、ただ座っていた。おしまい は、人々の声々や乱舞で酒宴も終った。 ぎする。御所様は一通りでなくお酔いになって、「若菊を とうりゅう 御所様はお寝みになっておられ、わたしはお腰をお打ち 早く帰したのが残念なので、明日も逗留されて、もう一度 ひま たもと このえ るり やす じゃこうへそ
305 巻 うもなくてお仕えしているのも、今さらながら憂き世のな退出した。 ありあけ 早くも「有明の月」からのお手紙が らいも思い知られました。 かんぎよ 三 0 〕後深草院の訪れ ある。ここから、ほど近い所に御愛 こうして還御なされるので、「私は 〔一九〕東ニ条院の愁訴ほうりん 法輪の宿願も残っておりますうえ、 弟子の稚児がいるが、そこへおいでになって、わたしがそ とど こへこっそりと参上などするのも度重なったので、人のロ ただ今は身体も面倒な時ですので」と申しあげて、止まっ さがなさには、しだいに世間の噂の種になっていると聞く て実家へ退出しようとすると、両院の御幸、同様に還御が とういん のもどきどきすることだけれども、「この身が破滅すると あった。一院には春宮大夫が、新院には、洞院大納言があ かたやまぎと しても、どうしようか、しかたない。そうしたら片山里の とで参上された。「にぎやかに還御されたおあとも寂しい いおり ので、今日はここに伺候していよ」という大宮院のご意向柴の庵の住みかで暮そうと思う」などとおっしやって、稚 なので、この御所に伺候していると、東二条院からという児の所へ通い歩きなさるのは、ひどくあきれてしまう。 そうこうしているうちに十月の末になるといつもよりも ことでお手紙がある。 何とも判断もっかないでいるうちに、女院は御覧になら気分も悩ましくうっとうしいので、心細く悲しいのに、御 ひょうぶきよう れた後、「とはまた何事ですか。正気の沙汰ではないこと」所様からのご指示で、兵部卿が出産の世話をしているのも、 とおっしやる。「何事でございましようか」とお尋ね申し「露のわが身 ( 露のようにはかないこの身 ) 」の置き所もない あげると、「そなたをここで、『女院の待遇として、その披ようで、いったいどうなるだろうかと思っているうちに、 ひどく夜も更けた時分、こっそりと世間を忍んだ車の音が 露の意向があって、御遊をはじめさまざまの催し事がある とみのこうじどの きつごくどの つばね たた と聞くのは、羨まし い。私はふけてしまった身でも、お見して、門を叩く。「富小路殿から、京極殿の御局のおいで 捨てになるはずはないとお思い申しあげておりましたの ですよ」と言う。 に』と繰り返し言っておられる」とおっしやってお笑いに たいそう不思議な心地がするけれども、開けたところ、 あじろぐるま なるのも厄介に思われるので、四条大宮にある乳母の所へ網代車にひどくやっされて、御所様がいらっしやったので さた
限ったことでもなかったのに、御所様からこの日の暮れ方と申しあげたほかは、 別に言葉もなかった。 しんごん に、「急用がある」といって車を遣わしていただいたので、 その頃、真言の御談義ということが始って、人々などに 参院した。 お尋ねになられたついでに、「有明の月」が参院なさり、 ほうもん 秋の初めになっては、、 しつ治るかと四、五日ご伺候なさることがあった。法文のご議論などが が〔 0 真言の御談義 はいぜんさぶら もはっきりしなかった心地もよくな終って、お酒を少々あがられる。わたしがご陪膳に候って しめ とったのだが、「男を近づけぬよう標を結うほどにもなった いると、御所様が「ところで、広く尋ね、深く学問するに あじゃり みおも のだろうな。阿闍梨はそなたがこのように身重になったと つけては、男女の愛欲こそは罪のないことです。逃れがた はおわかりになっておられるだろうか」などとおっしやら い契りであるのは、どうしようもないことです。であるか じようぞう れるけれども、「そのようなこともございません。どのよ ら、昔もその例が多くあります。浄蔵と呼ばれた行者は陸 ちのくに うなついでに申しあげましようか」などと申すと、「何事奥国の女と宿縁があるということを聞き知って、その女を でも、『有明の月』はわたしには少しも遠慮なさるべきで殺害しようとしたけれども、どうにもできなくて、その女 そめどのきさきしがでらしようにん はよい。しばらくのうちこそ遠慮されるようにお考えにな のために堕落した。染殿の后は志賀寺の上人に、『われを るとも、どうしようもないご宿命は逃れられないことだか いざなへ』とも言った。この恋慕の思いに堪えかねて、青 ばうふせき ら、かえって、どうして遠慮されるべきことがあろうか、 い鬼ともなるし、望夫石という石も、恋ゆえに女の成った そんなことはないと、お知らせしようと思うのだ」とおっ姿である。あるいは畜類や獣と契るのも、皆前世の業の報 しやるので、何事を申しようもなく、「有明の月」のお心 いである。人間がしようとしてできることではない」など の中もそうだろうと思うけれども、「いえ、かないますま とおっしやるのも、わたし一人のことをおっしやっていら い」と申しあげるにつけても、やはりいかにも心がありげ れるようについ聞いてしまって、冷汗も涙も一緒に流れる な様子であろうと、われながら憎いように聞えるであろう 心地がするのだが、ひどくわざとらしくない様子で、誰も かと思うので、「何ともよろしいようにお計いください」 退出した。「有明の月」も出ようとなさるのを、「夜更けで ( 原文一五五ハー ) なお
211 巻 とうとうご返事申しあげないでいると、「ああ、どうにも と言って、いらっしやる気配だ。「このお手紙を持って騒 のうし ならないな」とおっしやって、お起きになって、御直衣な いでいるのに、何という頼りなさだ。もうご返事を申すま どをお召しになり、お供の人が、「御車を寄せよ」などと いというつもりなのか」と言って、こちらに来る足音がす かゆ 言うので、父の声で、「お粥を召しあがるでしようか」と る。お手紙には、 よ′」ろも そで 聞いているのも、もう顔を合すことができない人のように あまた年さすがに馴れしさ夜衣重ねぬ袖に残る移り香 ( 多くの年慣れ親しんできたのに、まだ重ねていない夜着の 思われ、こんなことを知らなかった昨日までが恋しい気持 がする。 袖に残る、そなたの移り香よ ) むら・さきうすよう 還御されたと聞いたけれど、前と同と、紫の薄様に書かれてあった。このお歌を見て、人々は 〔五〕なびきもやらぬ じ有様で着物を引きかぶって寝てい 口々に、「このごろの若い人とは違っているよ」などと言 ると、いつのまにか、「院からのお手紙を頂いた」と言う うのも、ひどくうるさく思われるので、起き上がりもしな こがあまうえ のも不愉快になる。継母や久我の尼上などがやって来て、 いでいると、「そう代筆のご返事ばかりなのも、かえって 「どうしたの。どうして起きないの」などと言うのも悲し不都合だろう」など、ご返事をしようともしないわたしを にしまくら いので、「昨夜から気分が悪くて」と言うと、「新枕を交し説得するのにもくたびれて、お使いの人への贈物をするだ た後の恥ずかしさのせいだろうか」などと人が思っている けで、わたしが頼りない同じような様子で横になっている 様子もつらいところに、この御所様からのお手紙を持って うちに、御所様へは、「このようにもったいないお手紙も 大騒ぎをするけれども、そのようなものは誰が見ようか。 娘はまだ拝見いたしませんで」などとご返事申しあげたの 「お使いの人が立って待ったまま困っているのよ。ご返事であろうか はどうするの、どうするの」と、わたしを説得しあぐねて、 昼頃、思いがけない人からの手紙があった。見ると、 「大納言様に申しあげて」などと言うのも堪えられないよ 「今よりや思ひ消えなむひとかたに煙の末のなびきは てなば うな気持でいる時に、父が、「気分が悪いそうではないか」 うつが
あった。思いがけないことなので、ひどく驚きあきれてい がたくて」と、懇切にお書きになって、 やどいたびさし ると、「とくに話をしておかなくてはならないことがあっ 荒れにけるむぐらの宿の板廂さすが離れぬ心地こそす れ て」とおっしやって、こまごまとお話しになる。「ところ ( むぐらが生い茂って荒れてしまったそなたの隠れ忍んでい 既で、この『有明の月』のことは、世間に隠れなくなってし めれぎめ る宿にさしかけた板廂、そのようにさすがにそなたとは離れ ずまったよ。わたしの着せられた濡衣さえさまざまに妙なふ られない心地がするよ ) とうに誤解されていると聞くのが、まったくつまらなく思わ れるのだが、この頃、別の方で気がかりだったある女性が、 とあるのも、いつまで続くことかと心細く思われて、 今宵死産をしたと聞いたのだが、『決して口外するな』と あはれとて訪はるることもいつまでと思へば悲し庭の よもぎふ 言って、まだお産は済んでいないということにしてあるの 蓬生 ( 庭に蓬の生い茂ったこのあばら屋に住む私のことを、かわ だ。ただ今にでもここで生れてくる子をあちらへやって、 いそうだとお尋ねくださいますこともいつまで続くことやら ここの子は死産したことにせよ。そうすることで、このこ うわさ とぎた と思うと悲しく思われます ) とについての噂は、少しは人が取り沙汰するのも静まるだ はから ろう。興ざめに、噂を聞くのがつらいので、このように計 三一〕有明の月の子を産この暮には「有明の月」も近くにお ったのだよ」とおっしやって、夜明けを告げる鶏の声に驚む 住いと聞くけれども、産気のせいで かされてお帰りになられたのも、浅からぬご配慮はうれし あろうか、昼のうちから心地もいつものようでないので、 いものの、まるで昔物語みたいで、世間の人々が噂として こちらから訪れることは思い立たないのに、夜がひどく更 聞くであろうその契りというのも、わたしにとってはつら けてからいらっしやったのも思いがけずびつくりするけれ かったことの多い普通の関係ではなくて、しかもそれが度ども、訳がわかっている二、三人の人以外は混じっていな 重なったのであるということを悲しく思っていると、早く いので、部屋にお入れ申しあげて、昨夜の御所様のお話の もお手紙がある。「今宵の訪れ方は珍しかったのも、忘れ趣旨を申しあげると、「とても、この身に添えて育てるこ きよう
かて の糧としている。この恋心を抑えがたいので、あの善勝と書いて、天照大神・正八幡宮と、たくさんの神々の名を ぎようさん ひどく仰山にお書きになって下された文を見ると、身の毛 寺大納言に相談すれば会う機会もたやすいだろうかなど と思う。またいくら何でも、そなたもわたしのことを愛もよだち、気分も悪くなるほどであるが、だからといって、 してくれるだろうと思ったことは、皆かなわなかった。 どうしたらよいのだろうか。これを皆巻き集めて、お返し 、刀 ずこのうえは、手紙を出したり、言葉を交そうと思う望み申しあげるその包み紙に、 とを、今生においては断念する。ではあるが、心中にそな 今よりは絶えぬと見ゆる水茎の跡を見るには袖ぞしを りんね るる たを忘れることは、転生輪廻してもあるはずもないから、 お ( これからはおっきあいが絶えてしまうと見える筆の跡を拝 わたしはきっと悪道に堕ちるであろう。であるから、こ 見すると、袖は悲しみの涙でしおれます ) の恨みが尽きる時があろうはずはない。金剛・胎蔵両界 けぎトっ・ ぎっ・ほう ふう かんじよう の加行以来、灌頂に至るまで、一期の行法、読誦大乗四とだけ書いて、初めと同様に封してお返し申しあげた後は、 え - 一う ぎぎよう 威儀の行、一生の間修するところを、皆三悪道に回向すふつつりと御訪れもない。またこちらから何と申すべきこ とではないので、空しくその年も暮れた。 る。この法力でもって、今生は長く空しくて、後生には 新春は、このお方は早々と御所に参られる例なので、お 悪道に生を享けるであろう。そもそも、生れて以来、幼 むつき 少の昔、襁褓の中にいた時のことは記憶のないままに過 いでになった時に、お盃を差し上げる。格別にほかの人も ていはっ いず、ひっそりとしたおもてなしで、いつものように常の ぎてしまった。七歳で剃髪し、墨染の衣をまとうように ゆか なって後、女性と同じ床にいたり、または愛欲の念を起御所でのことなので、逃げ隠れようもなくて、御前に伺候 しやく していた。御所様が、「お酌に参れ」とおっしやったので、 したことなど、思い浮ぶことはない。今後もまたあろう はずがない。わたしにも言った言葉は、おしなべての人参ろうとして、立ち上がりざまに鼻血が垂れて、目がくら にも同様だと思っているのだろうかと思い、大納言の心んだりしたので、御前を立った。その後十日ばかり、ひど いったいどういうことだっ の中も、かえすがえす残念である。 く重く病んでおりましたのも、 270 おさ みらぐき そで
御所様をはじめ、人々との間柄もた 御所様が女房を召すお声が聞えたので、何事だろうかと 〔一〕恨み寝の夢 いそう面倒な具合になってゆくにつ 思って参上したところ、御前には人もいない。御所様はお ひとり けても、 したいいつまで同じように物思いにふけってい 湯殿の上に、お一人で立っていらっしやるのであった。 るのだろうかとばかり、つまらなく感じられるので、「山「このごろは女房たちが里住みで、あまりにも寂しい心地 よすてびと つばね のあなた ( 山のかなた ) 」の世捨人の住いだけが慕わしく思 がするのに、そなたはいつも局に籠りがちなのは、どこの われるけれども、それも意のままにならないなどと思うの男に心惹かれているからか」などとおっしやるのも、例の も、やはりこの世が捨てにくいからであろうと、われとわお癖が始ったと煩わしく思われる時に、「有明の月」が参 が身を恨んで寝た夜の夢にまで、御所様から遠ざかり申し上されたということが奏聞される。 あげることになるであろうという運命が見えたが、その悪〔ニ〕障子のあなたの立ただちに常の御所へお入れ申しあげ 聞き 夢をどのようにして変えさせようかと思うのもかいなく るので、どうしたらよかろうか、や て、そのままにしてしまった。二月も半ばになると、たい むなく知らぬ顔して御前に伺候している。その頃、今御所 ゅうぎもんいん ていの花もようやく咲き始める気配を見せて、梅のよい匂と申すお方は、まだ姫宮でいらっしやった頃の遊義門院の 巻 いがかおる風が吹いてくるのももの足りない心地がして、 御事を申しあげるのだが、その今御所のご病気がお悪くて きとう によほうあいぜんおう 心細さも悲しさもいつよりもまさって、愚痴をこばしよう何日も経っていらっしやるご祈疇に、如法愛染王を行われ もない ることを御所様はお頼みになられる。またそのほかにも、
ちゅうもん 角の御所の中門に御車を引き入れて、御所様はお降りに の光源氏に誘い出された時にタ顔の女君が、「心も知らで なって、善勝寺大納言に、「この子が、あまりにも頼りな 幻 ( あなたの本当のお心もわからないままに ) 」と歌ったことなど い赤子のような有様なので、放って置きにくくて連れて来 になぞらえて考えるべき事柄ではないけれども、わたしは ありあけ 思い乱れて立っていると、少しの曇りもない有明の月の光たのだ。しばらく他人に知らせまいと思う。お前が世話を ずが白む時分になってゆくので、御所様は、「ああ、いじらするように」と言い置かれて、常の御所へお入りになった。 幼い時からお仕えし慣れた御所とも思われず、恐ろしく としい様子よ」とおっしやって、わたしを引っ張ってお乗せ はばかられる感じで、家を出て来たことも後悔され、「こ になった。そして、御車は引き出されたので、このように 御所にご一緒するとも父に言って置かなかったので、まるれから、このわたしはどうなることだろうか」とあれこれ 思い続けられて、またも涙ばかりひまなくこばれるのに、 で昔物語みたいで、これからわたしはどうなってゆくのだ 父の声が聞えるのは、わたしのことが気がかりに思っての ろうかなどと思われて、心の内で、次のようにつぶやいて ことかと、しみじみとした心になる。善勝寺大納言が御所 きさき ありあけ かねおと 鐘の音におどろくとしもなき夢のなごりも悲し有明の様のお言葉を伝えると、父は、「今さらこのように妃でも に . よう・ばう なく女房でもないというような中途半端な状態ではよくな 空 まかない夢の名残も いことでしよう。ただ今までと同様の状態で召し置かれて ( 鐘の音に目覚めたというのでもない、。 うわさも 悲しく思われる、この有明の空よ ) いただきたい。隠すにつけて噂が洩れるのも、かえってよ ろしくないのではないでしようか」と言って出て行かれた 途中も、たった今こっそりと連れ出して行く女に対する かのように変らぬ愛情をお誓いになるのも、おもしろいと足音がするにつけ、「本当に、どうなることだろうか」と、 一一 = ロえば言えるのであろうが、、い細さにつらさを添えて行く 今さら身の置き所もないような気がして悲しいのに、御所 道は、涙以外は訪ねるものもないという有様で、御車は御様が入っていらっしやって、尽きない愛の誓いのお言葉ば かりをうかがうと、そうは言うもののしだいに心も慰めら 所へお着きになった。 すみ