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検索対象: 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)
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1. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

とはずがたり 9 底本は漢字交じりの仮名文である。「御」をはじめ、読みの決めかねる語について以外は、当時の読 みに即して、読み仮名を施した。 一、脚注の執筆に当っては、つぎの点に留意した。 簡潔、明快を旨とし、現代語訳と重なる部分についても、重要箇所では繰り返した。 本文の見開きごとに注番号を通し、注は見開き内に収めた。 3 スペースの関係から脚注に十分意を尽せなかった本文校訂の経緯と登場人物についての解説は、「校 訂一覧」および「登場人物略伝」として第二冊の末尾に一括して掲げた。また本文中の引歌についても、 同様に「引歌一覧」として解説した。それぞれ、本文中の位置を明示してあるので、参照のうえ、作品 理解の一助としてご利用いただきたい。 4 、鑑賞上、注意を要する部分については、 0 を冠して、適宜、解説した。 一、現代語訳については、つぎの通りである。 原文の文脈に即して忠実な訳を心がけたが、独立して理解できるよう、適宜、言葉を補った。 和歌は、全文を引用した後、 ( ) 内に現代語訳を加えた。 3 見出しは、本文中と同じものを、該当箇所に付した。 4 原文と現代語訳とを照合する際に便利なよう、それそれ数ベージおきの下段内側に、対応するべージ を示した。 一、各巻扉裏には梗概を掲げ、展開の大筋をつかめるよう配慮した。 一、本巻の巻末には、「官位相当表」「主要人物関係図」「地図」「図録」を収めた。

2. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

解説 : ・ 官位相当表・・ 主要人物関係図 : ・ 地図 : ・ 図録 : ・ 凡例 : ・ 目次 原文現代語訳 ・ : 三四 0 ・ : 三四三 : ・三四四 ・ : 天九

3. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

155 巻 ( 現代語訳二九六ハー ) さと・ はたん かくてしばしも里住みせば、今宵に限るべきことにしあらざりしに、この暮て破綻してゆくさまを、哀感をも って語る。 九 いっ治るのかわからなかった れに、「とみのことあり」とて、車を賜はせたりしかば、参りぬ。 つわり 不快な気分。悪阻の苦しみをいう。 秋の初めになりては、いっとなかりし心地もおこたりぬる一 0 なおったが。 〔 0 真言の御談義 = 男を近づけてはならない程度 しめゅ に、「標結ふほどにもなりぬらむな。かくとは知りたまひの意。 一ニ「有明の月」は、そなたがご自 たよ 分の子を宿しているとご存じか。 たりや」と仰せらるれども、「さもはべらず。いつの便りにかーなど申せば、 一三「何かそれによるべき。よる 「何事なりとも、我にはっゅはばかりたまふまじ。しばしこそっつましくおばべきことならず」というところを 続けて言った文脈。「それ」は前の ちからな しゆくせのが 「つつましくおばしめす」を受ける。 しめすとも、カ無き御宿世、逃れざりけることなれば、なかなか、何かそれに 何もご遠慮なさるべきではない。 よるべきことならずなど、申し知らせむと思ふそ」と仰せらるれば、何申しゃ一四自身に関することであるのに、 いかにも冷静に判断する心を持っ うち ている様子であろうと、の意か る方なく、人の御心の中もさこそと思へども、「いな、かなはじ」と申さむに 「数ならぬ身をも心の持ちがほに 一四 つけても、なほも心を持ち顔ならむと、我ながら憎きゃうにやと思へば、「何浮かれてはまた帰り来にけり」 ( 新 古今・雑下西行 ) を念頭に置くか。 はか 、 ) とは 三真言の教義に関する講義。 三ともよきゃうに御計らひ」と申しぬるよりほかは、また言の葉もなし。 『五代帝王物語』にも、後嵯峨院が しんごん だんぎ 「止観の御談義ーを行ったことが記 そのころ、真言の御談義といふこと始まりて、人々に御尋ねなどありしつい され、宮廷で法文 ( 仏法に関する し - 一う ほふもん でに、御参りありて、四、五日御伺候あることあり。法文の御談義ども果てて、文章 ) の講義の盛んだったことが 想像される。 はいぜん 、刀く 一六「有明の月」が。 九献ちと参る。御陪膳にさぶらふに、「さても、広く尋ね、深く学するにつき く、一ん かた

4. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

201 巻 ど 〔四五〕蹴 ( 現代語訳三二四ハー ) 一ニ「立ちー「より」は「波ーの縁語。 世々のあとになほ立ち昇る老の波よりけむ年は今日のためかも 一三藤原実氏。↓一九四ハー注一。 さねうぢおと まことにとおもしろきよし、おほやけわたくし申しけるとかや。「実氏の大一四正嘉三年 ( 一 = 五九 ) 三月五日、西 園寺において行われた。 いっさいきゃう くわい ごさがゐん 一五『続古今集』賀の「正元元年三 臣の一切経の供養の折の御会に、後嵯峨の院、『花もわが身も今日さかりかも』 月、大宮院西園寺にて一切経供養 よ おとど 一六やどやど とあそばし、大臣の、『わが宿々の千代のかざしに』と詠まれたりしは、ことぜられし日行幸侍りしに、東宮同 じく行啓ありて、次の日人々、翫 さた 花歌よみ侍りしに / いろいろに枝 わりにおもしろく聞こえしに劣らずなど、沙汰ありしにや。 を連ねて咲きにけり花もわが代も まり のち そで この後、御鞠とて、色々の袖を出だせる、内・春宮・新今盛りかも」の詠。 一六同じ集で、右の詠に続く、実 すがたみどころ 院・関白殿・内の大臣より、思ひ思ひの御姿、見所多かり氏の「色々に栄えてにほへ桜花わ が君々の千代のかざしに」の詠。 ゐんけんにん ためし 一 ^ あげまり いだぎめ 宅色とりどりの袖を出し衣とし き。後鳥羽の院、建仁のころの例とて、新院御上鞠なり。 て出したが。 たび ぎゃうかうこよひ 御鞠果てぬれば、行幸は今宵還御なり。飽かずおばしめさるる御度なれども、一 ^ 蹴鞠で、最初に鞠を蹴上げる こと。貴人または名人の役。↓一 つかさめ 一四ハー注一。 春の司召しあるべしとて急がるるとそ聞こえはべりし。 のち ゑふ またの日は行幸還御の後なれば、衛府の姿もいとなく、う 〔四六〕妙音堂の朗詠 うまとき きたどの さいをんじ ち解けたるさまなり。午の刻ばかりに、北殿より西園寺ヘ一九西園寺邸内の妙音天を祭る堂。 ほととぎす ニ 0 「山郭公の一声も、君の御幸 とう・ぐう だうだう くくあ えんだう えばしなほし 筵道を敷く。両院御烏帽子直衣、春宮御直衣に括り上げさせおはします。堂々をまちがほなり」 ( 平家・灌頂巻・大 原御幸 ) という叙述を念頭に置い じゅんれい めうおんだう まがほ 御巡礼ありて、妙音堂に御参りあり。今日の御幸を待ち顔なる花のただ一木見ていうか。 と ひ 一セ あ

5. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

みかど 御門と新院のお歌は、関白殿下が頂戴される。春宮のお 歌はやはり臣下と同列で、臣下と同じ講師がお読み申しあ きんひらどくし げる。御門と院のお歌は、左衛門督公衡が読師で、関白殿 下がそのつど披講される。 ず披講が終ると、まず春宮がお入りになる。その間も公卿 とへの禄がある。御門の御製は関白がお書きになる。御門と はただ今の大覚寺法皇、後宇多法皇の御事である。 よわい 従一位藤原朝臣貞子九十の齢を賀する歌、 やよひ 行く末をなほ長き世とよするかな弥生にうつる今日の はるひ 春日に ( 行く末をなお長いお命とおたとえするなあ。一一月から三月 に移る今日の春の日に ) いえもと 新院のお歌は内大臣家基がお書きになる。端書は同様で あるけれども、貞子の二字をお書きにならない。 ももいろ ここのかへ 百色と今や鳴くらむうぐひすの九返りの君が春経て うぐいす ( 黄の鶯は今や百種の音色に鳴くのであろうか。あなたが九 十の長寿になられる春を経ることによって ) かねただ 春宮のお歌は、左大将兼忠がお書きになる。端書は、 きたやまてい 「春の日、北山の第にて行幸するに侍して、従一位藤原朝 さん 臣九十の算を賀して制に応ずる歌」として、さらに「上」 324 はしがき へ の文字を書き添えられたのは、古い例であろうか。 よはひ ここのそぢちょ 限りなき齢は今は九十なほ千代遠き春にもあるかな ( 限りないあなたのお命は今は九十ですから、千代までは遥 か遠い春であります ) このほかの歌は、これを別に書きとめておく。 さねかぬ それにしても、春宮大夫実兼の、 世々のあとになほ立ち昇る老の波よりけむ年は今日の ためかも りようが ( 代々、佳例を重ねた後にそれらをさらに凌駕するよ。老い の波が寄られたのは、今日のよき日のためであったろうか ) えい うわ、 という詠は本当におもしろいということが、公私の間で噂 さねうじ されたとかいう。「実氏の大臣が催された一切経供養の際 の御会で、後嵯峨院が、『花もわが身も今日さかりかも ( 花もこの身も今日が全盛であろうか ) 』とお詠みあそばし、大 やどやど 臣が、『わが宿々の千代のかざしに ( わが家が千代までも栄え る、そのかざしとして ) 』とお詠みになったのは、道理もか なっておもしろく聞えたが、それに劣らない」などという 評判があったのだろうか。 この後、御鞠が行われるというので、 そでいだぎめ 鹽〕蹴 鞠 色とりどりの袖を出し衣として出し ( 原文二〇一ハー ) おい まり

6. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

とはすがたり 一主従は三世の契りという。 別れても三代の契りのありと聞けばなほ行く末を頼むばかりそ ごらん 「あはれに御覧ぜられぬる。何事も心やすく思ひ置け」など、かへすがヘす仰 = 院の自己敬語。 みづか くわんぎよ 三早速。 せられつつ、還御なりて、いっしか御自らの御手にて、 う あかっきありあけ 四 四「めぐり」は「有明 ( 月 ) 」の縁語。 このたびは憂き世のほかにめぐりあはむ待っ暁の有明の空 みろくばさっ 「待っ暁」は弥勒菩薩が世に現れて 「何となく御、いに入りたるもうれしく」など思ひ置かれたるも、あはれに悲し。無明の闇路に迷う衆生を救いたま う暁。 五おび 八月二日、いっしか善勝寺大納一言、「御帯」とて持ちて来五岩田帯。 六 〔宅〕父の遺言 りゃうあん たり。「『諒闇ならぬ姿にてあれ』と仰せ下されたる」とて、六喪服ではない正装。 なほし せんくうさぶらひ セ騎馬で先導する侍。 直衣にて、前駆侍ことごとしくひきつくろひたるも、見る折とおばしめし、 けんばい やまひびと 〈盃を勧めること。ここでは使 急ぎけるにやとおばゅ。病人もいと喜びて、「献盃」など言ひ、、営まるるそ、 九 者の労をねぎらって盃を勧めた。 おむろ 九性助法親王。 これや限りとあはれにおばえはべりし。御室より賜はりて秘蔵せられたりし、 しほがま 一 0 引出物とされた。名ある良い 塩竈といふ牛をぞ引かれたりし。 牛が引出物として珍重された有様 ・ ) こち は、『駿牛絵詞』などによってもう 今日などは、い地もすこしおこたるやうなれば、もしゃなど思ひ居たるに、更 かがわれる。 けぬれば、かたはらにうち休むと思ふほどに、寝入りにけり。おどろかされて = 病気が快方に向う。 三白楽天の「長恨歌」に楊貴妃が けふあす 起きたるに、「あなはかなや。今日明日とも知らぬ道に出で立っ嘆きをも忘ら玄宗の寵愛を集めたことを「後宮 ( 現代語訳一一二四ハー ) みよ よ ひさう ゐ

7. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

ぐ あり びやうぶうし 一亀山院がわたしを連れ歩きな る人もなければ、「ほかへはいかがーとて、御屏風後ろに、具し歩きなどせさ どなさったのも。屏風の背後で情 事を迫ったことをいうか せたまふも、つゆ知りたまはぬそあさましきや。 ニ後深草院は少しもご存じない。 あがた 既明け方近くなれば、御そばへ帰り入らせたまひて、おどろかし聞こえたまふ三亀山院が後深草院の御そばに 戻ってこられて。 四お目をお覚し申しあげたので。 にぞ、初めておどろきたまひぬる。「御寝ぎたなさに、御添臥しも逃げにけり」 と一 三眠りこけていて。寝坊して。 後深草院の自己敬語。この語を亀 など申させたまへば、「ただ今まで、ここにはべりつ」など申さるるもなかな 山院とする説もある。 をか か恐ろしけれど、犯せる罪もそれとなければ、頼みをかけてはべるに、とかく六二条のこと。 セ亀山院の言葉。この語を後深 さた ぶん の御沙汰もなくて、またタ方になれば、今日は新院の御分とて、景房が御事し草院とする説もある。 ^ 「八百よろづ神もあはれと思 っ ふらむ犯せる罪のそれとなけれ ば」 ( 源氏・須磨源氏 ) を引く。後 きのふさいをんじ だいくわん 「昨日西園寺の御雑掌に、今日景房が御所の御代官ながら深草院も黙認したことなので、作 ニ 0 亀山院の御慶び 者としては罪の意識はないのであ わろ 並びまゐらせたる、雑掌がら悪し」など、人々つぶやき申る。↓六八ハー注九。 九藤原氏則光流、左衛門尉景頼 しぎく′」 く、」ん すもありしかども、御事はうちまかせたる仕儀の供御・九献など、常のことなの子。亀山院の上北面。没年未詳。 一 0 雑務に当る役。ここは接待係。 = 新院。 三物を載せる台。土台。 そめもの ぢばん ぢん ちゃうじ にようゐん 女院の御方へ、染物にて岩を作りて、地盤に水の紋をして、沈の船に丁子を三丁子香。丁子の蕾から製した まくらす しろがねゃないばこ 一四糸を繰って作った綿。 積みて参らす。一院へ、銀の柳筥に沈の御枕を据ゑて参る。女房たちの中に、 ( 現代語訳三〇四ハー ) 0 0 かた 一 0 ぎしゃう かげふさ なか 香料。

8. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

( 現代語訳一一三二 、つカ きぬぬ 一 0 恋人との後朝の別れのあと、 また寝ること。 = 「雪の曙」からの後朝の文。 ありあけ 「帰るさは涙にくれて有明の月さへつらきしののめの空 三「ほの見えし月を恋しと帰る さの雲路の波に濡れてこしかな」 いつのほどに積もりぬるにか、暮れまでの心尽くし、消えかへりぬべきを、な ( 新古今・恋四読人しらす ) の歌 に通うものがある。 かへり′と べてつつましき世の憂さも」などあり。御返事には、 たもと おもかげそで ありあけ 一三あなたが私を偲んでいるかど 帰るさの袂は知らず面影は袖の涙に有明の空 うかはわかりませんが、私はあな たの面影を偲んでいますの意で、 かかるほどには、しひて逃れつるかひなくなりぬる身の仕儀も、かこっ方な 恋心を表白している。 お 、、かにもはかばかしからじとおばゆる行く末も推しはかられて、人知らぬ 一四これは後深草院からの手紙。 泣く音も露けき昼っ方、文あり。「いかなる方に思ひなりて、かくのみ里住み 0 敬語表現が頻出することから、 新枕を交した相手を皇族かと疑う ′ ) しょ まぎ かた ひとずく 久しかるらむ。このごろはなべて、御所ざまも紛るる方なく、御人少ななる説もあるが、この直後や巻二の一 二九ハー注一 0 の叙述とのつながりか いとあさまし。 に」など、常よりもこまやかなるも、 らも、やはり「雪の曙」と見るべき である。 - 一よひ 一五主語は「雪の曙」。 暮るれば、今宵はいたく更かさでおはしたるさへ、そら恐 一六藤原仲綱。↓三八ハー注一一。 巻三三〕伊予の湯桁 しやかどう ろしく、初めたることのやうにおばえて、ものだに言はれ宅千本釈迦堂の上人。千本釈迦 一セ 堂は瑞応山大報恩寺 ( 現、京都市 4- めのとにふだう のちせんばんひじり 上京区溝前町にある ) 。 ずながら、傅の入道なども、出家の後は千本の聖のもとにのみ住まひたれば、 た寝にやとまでは思はねども、そのままにて臥したるに、まだしののめも明け やらぬに、文あり。 ふみ ひるかた一四 のが かた しぎ かた

9. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

一心配りがないことよと。 語するも、用意なきことやとわびしければ、「眠たしゃ。更けはべりぬ」と言 ニ院が苦心することもなく。 そらねぶ みきちゃう 冫しオく御心も尽くさず、三早くも許してしまわれたよと。 ひて、空眠りして居たれば、御几帳の内も遠からぬこ《、こ 四残念だった。 ねん 力はやうち解けたまひにけりとおばゆるそ、余りに念なかりし。、い強くて明かし五気強く院を拒んで。 六寝過してすっかり明るくなら ないうちに。院が、期待したほど したまま、 。。いかにおもしろからむとおばえしに、明け過ぎぬ先に帰り入らせた には満足しなかったことを示す。 七先の作者自身の見立て ( ↓七 まひて、「は匂ひはうつくしけれども、枝もろく、折りやすき花にてある」 一一ハー一行 ) と照応する。 ^ 色つや。 など仰せありしそ、さればよとおばえはべりし。 九前斎宮がいともたやすく意に との′ ) も 日高くなるまで御殿籠りて、昼といふばかりになりておどろかせおはしまし従ったので、手折りやすい花と言 った。手応えのない前斎宮は色好 ふみ て、「けしからず、今朝しも寝ぎたなかりける」などとて、今ぞ文ある。御返みな院の心をそそらない。 一 0 はたして、思った通りだわ。 おもかげさ = ひどく。 事には、ただ、「夢の面影は覚むる方なく」などばかりにてありけるとかや。 三寝坊をしたよ。 かた にようゐん 「今日は珍しき御方の御慰めに、何事か」など、女院の御 0 院の好色で乱倫とすら評しうる 〔四 0 〕後深草院の今様 情事を描いて著名な箇所。ただし 方へ申されたれば、「ことさらなることもはべらず」と返この時代では異母兄妹の情交は今 日ほどには抵抗感を与えなかった たかあききゃう くこん みけしき か。洞院公宗が同母の妹佶子 ( 京 事あり。隆顕の卿に、九献の式あるべき御気色ある。夕方になりて、したため 極院 ) への恋心に悩む話は、『増 一三かた たるよし申し、女院の御方へ事のよし申して、入れまゐらせらる。いづ方にも鏡』第七・北野の雪にも語られてい る。 しやく のち 御入立ちなりとて、御酌に参る。三献までは御空盃、その後、「余りに念なく一三わたしが大宮院にも前斎宮に ( 現代語訳二四九ハー ) ごと ごと いりた こん 一四からさかづき ねぶ かへり かへり

10. 完訳日本の古典 第38巻 とはずがたり(一)

とはずがたり 176 たましひとど 一「たましひをつれなき袖にと あくがるるわが魂は留め置きぬ何の残りて物思ふらむ どめおきてわが心からまどはるる かな」 ( 源氏・タ霧タ霧 ) 、「心を いつよりも、悲しさもあはれさも置き所なくて、 ばとどめてこそは帰りつれあやし そで や何の暮を待つらむ」 ( 詞花・恋下 物思ふ涙の色をくらべばやげに誰が袖かしをれまさると 顕広Ⅱ俊成 ) などと同じ発想の歌。 ニ贈歌の「物思ふらむ」を受けて 、いにきと思ひつづくるままなるなり。 「物思ふ涙の色」 ( 血の涙の色 ) と言 やがてその日に御所へ入らせたまふと聞きしほどに、十八つたが、贈歌との照応は十分では 三巴有明の月の死 やみけ 日よりにや、「世の中はやりたるかたはら病の気おはしま三即座に。 0 ここに語られる「鴛鴦の夢も、 くすし す」とて、医師召さるるなど聞きしほどに、「しだいに御わづらはし」など申先の二つの夢 ( ↓一五三ハー 0 ) と同 じく、性心理に由来する夢であろ , 一こち ふみ かた すを聞きまゐらせしほどに、思ふ方なき心地するに、二十一日にや、文あり。 四 たいめん やまひと 冫かかる病に取り籠められ四病魔に取りつかれて。 「この世にて対面ありしを、限りとも思はざりしこ、 てはかなくなりなむ命よりも、思ひ置くことどもこそ罪深けれ。見しむばたま五作者のことや生れた子のこと など。 六鴛鴦の夢。 の夢もいかなることにか」と書き書きて、奥に、 セ柏木の女三の宮への「行く方 なき」の歌 ( ↓一七五ハー注一六 ) や「下 身はかくて思ひ消えなむ煙だにそなたの空になびきだにせば 燃えに思ひ消えなむ煙だに跡なき あかっき とあるを見る心地、いかでかおろかならむ。げに、ありし暁を限りにやと思ふ雲の果てそ悲しき」 ( 新古今・恋一一 俊成卿女 ) などによる。「思ひ」に 「火」を掛け、「煙 [ と縁語となる。 も悲しければ、 ( 現代語訳三〇九ハー ) た おく つみ