銀 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用
377件見つかりました。

1. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

目録 : 都の顔見世芝居 : 年の内の餅ばなは詠め : 巻四・ 目録 : 闇の夜の悪口 : 奈良の庭竈 : ・ 巻五 目録 : つまりての夜市 : 才覚の軸すだれ : 目録 : 銀一匁の講中 : 訛言も只はきかぬ宿・ 尤も始末の異見 : ・ : 三一九門柱も皆かりの世 : ト判は寝姿の夢・ ・ : 三三 0 神さへ御目違ひ : 亭主の入替り・ ・ : 三四一長崎の餅柱 : ・ : 三四三 平太郎殿・・ ・ : 三五一一長久の江戸棚 ・ : 三五五 三 0 一一 : ・ : 三一一四 ・ : 三毛 ・ : 三三 0 ・ : 三三五 ・ : 三三八 ・ : 三四一 ・ : 三四六 ・ : 三哭 ・ : 三五七

2. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

万の文反古 154 とり 巻四 ま第」と 屋もなかなか引き合わず、めいめいが暮しを立てるくふう 冂「一南部の人が見たも真言 をしております。京都もしだいに計算高くなり、先頃から 九州の珍しい話などお聞せくだされ、長崎のこと、見る東福寺のほとりに、献立看板というものを出しておき、銀 一分から二匁までの値段の即席料理の店ができました。た ように存じました。あなたがそちらへご滞在中の一両年の しるま。しばはまぐり とえば、お汁はモ葉に蛤のむき身、料理鱠は見つくろって うちに、私もそちらへ下り、また上方とは万事変っている ひきぎかな おおみなと の注文で、煮物は生貝にぜんまいの盛合せ、焼魚は引肴と 大湊 ( 長崎 ) の様子を、一見したいと存じます。さてまた - 一う ふんぜん もの あまりよう うわ一 しての干鱈で、香の物がっきます。これは代銀五分の膳で 当地で噂しておりますには、艮竜の子飼いがございますと のこと、なにとぞくふうされまして、金子五十両以内の値すが、品数もあり、食器もきれいです。淀川の夜船に乗る 京都の人は、これで腹ごしらえをして、伏見の船宿へ寄ら 段ならば、お買い求めを頼みたく存じます。こちらは、 ないで大坂へ下ります。すべてこんな手軽なことになって、 原での見世物に不自由しております。もしも艮竜が手には もう 息も鼻もつまるようなせちがらさで、せつない命をつない いるならば、春の間に大きな儲けをすることができます。 艮竜に限らず、角の生えている猿か、足の四、五本ある唐でおります。しかしながら、やはり都でございます。算用 だいじん なしに金をつかう大尽があらわれました。引き合わないと 鳥か、何か変った生き物を希望しております。内々、お心 知りながら、また今年も、芝居への出資二千両までは請け 近頃は芝居へも本見物の客がまいりませんので、芝居茶合って、新しく芝居の一座を組織し、大坂役者もよい役者 ( 原文八一ハー ) なんぶ つの かみがた ら ひだら なます

3. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

よろづ 世もゆるりとおくり、万願ひのままなる折節、心がかりは、軒下のひくき居宅、一光がよく入らない陰気な家。 ニ元和 ( 一六一五 ~ 一一四 ) 初年から元禄 げんわねんちゅうふしん かね までは約七十年。 元和年中の普請なれば、ひとっとして気にいらず、近年のうちに何そ銀まうけ まかない 古 三買物役人。武家で、台所・賄 いしよくぢゅうみ 文いたさば、思ひのままに建てなほし、衣食住の三つに楽しみ極めんとぞんじ候方などに用いる品物を買い入れる の 五 役人。 ・一むらひはき : みば、一もちひとり ちゅうばうしょ 一刀ところだいみやうかひものつかひ 四挾箱を担いで供をする郎党。 処へ、大名の買物使らしき侍の、挾箱持一人めしつれ、中奉書入るよしにて、 六 挾箱は、外出時着更えの着物や雑 だいぎんうけと ひと きゃうげん 品を入れ、供に担がせる柄のつい 三百枚売りわたし、代銀請取り、その人帰られさまに、ひとっふたっ狂言しば た箱。 つかまつまうし ゐの物語仕り申候が、財布を取残してゆかれし。跡にて引提げて見れば、し五中型の奉書紙。奉書は、楮を 原料とする純白の良質紙。 われ よくしん ふくろ っとりと重きより、我あさましき欲心おこりて、かの袋をふかく隠して、さら六単に芝居に同じ。歌舞伎芝居。 セそ知らぬふり。 まかりありところ さむらひあしばや さいぜん かねぶくろ ぬていに罷有候処へ、くだんの侍、足早にもどり、「最前ここに金袋わすれ行 ^ 例の。先ほどの。 九賜もれ。下され。 さむらひ く、それをたもれ」といふ。「何もござりませぬ」とあらそふ。この侍歯を食一 0 そうは言うが、の意。 いちぶきん = 一歩金。一両の四分の一の価 と、一ろ すなは ひしめ、「さりとては、この所に置き忘れしにはうたがひなし。則ちその中に格の金貨。約一万五千円。 一ニ六十匁。約金一両。約六万円。 いれおき わたくし 小判百八十三両、一歩が二十四五、銀が六十目あまり入置候。これは私の金銀一三主人の命令で買物の代金とし て持参した金銀なので。 しゅうめい いちぶん ぜひ 一四面目。体面。 にあらず。主命なれば、この粗忽、武士の一分立ちがたし。是非に給はれ。こ 三刀と脇指の二腰をさす人で、 おん ふたこし の恩はわすれじ」と、二腰さす人の、町人に手をさげて、さまみ、詫びられし武士をさす。庶民は、旅行の道中 に限り脇指をさすことが許されて いひかけ いた。腰は、刀を数える単位。 に、、いづよく隠しすまし、かへって言掛のやうに申しなし候へば、せんかたな た そこっ とりのこ をりふし きんねん あと ひきさ きは のきした わ ゐたく かた え

4. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

じんじっ これがなうてもよいは、というてはおかれぬものぢゃ。欲心でいふではなけれ一正月七日の人日、三月三日の ドにう・し 8 たんご 上巳、五月五日の端午、七月七日 そう さき ほど ども、惣じて五節句の取りやり、先から来た物を能々ねうちして、それ程に見の七夕、九月九日の重陽の節句。 用 ニ伊勢の御師をいう。 とく まいとしたいふどの おはらひばこかつをぶし 算えて、少しづっ徳のいくやうにして返す物ぢゃ。毎年太夫殿から御祓箱に鰹節 = 伊勢神宮の千度祓・万度祓の 数取りに用いた太麻を納めた箱。 ひとは・一をりほん しゃうじんあをのりは 世一連、はらや一箱、折本のこよみ、正真の青苔五把、かれこれこまかにねだん 0 伊勢の名産。縄でつなぐ。 はらや いさわ 五水銀粉白粉。伊勢射和地方産 まうしう ふん おはつを ふん 付けて、二匁八分がもの申請けて、銀三匁御初尾上ぐれば、高で二分あまりて、の伊勢白粉。 六折本仕立ての暦。伊勢神宮の お伊勢様も損のゆかぬゃうに、この家三十年仕来ったに、そちに世をわたして祭主藤波家から朝廷に奏達して、 許可を得て発行した。 しんじん から、銀一枚づつ上げらるる事、いかに神の信心なればとて、いはれざる事なセ「御初穂」で、賽銭。 ^ 丁銀一枚。約四万三千円。 だいじんぐう おば り。太神宮にも、算用なしに物つかふ人、うれしくは思しめさず。そのためし九理由のないこと。無用のこと。 一 0 賽銭。 さんせん ずいぶん には、散銭さへ一貫といふを六百の鳩の目を拵へ置き、宮めぐりにも随分物の = 伊勢神宮に限って通用する鉛 の銭で、賽銭に用いた。六十文で いらぬゃうにあそばしける」。 百文、六百文で一貫文に通用 一ニ内宮・外宮のほか、末社・摂 まっしゃ えびすだいこく さる程に欲の世の中、百二十末社の中にも、銭の多きは恵美酒・大黒、「多社を巡拝すること。 一七 一三恵比須・大黒は福の神ゆえ。 いのちがみすみよしふなだまいづも なかうど かがみみや 賀は命神、住吉の船玉、出雲は仲人の神、鏡の宮は娘の顔をうつくしうなさる一 0 外宮の一あ捌綰。祭神は豊 一九 ニ 0 受大神の荒魂気吹戸主。長寿の さんわう したみ、 なりどのしんだい る神、山王は二十一人下々をつかはさしやる神、稲荷殿は身代の尾が見えぬや神の近江犬上郡の多賀明神と混同。 ふなだま 一五住吉大社。船霊の神。 こゑ、あきなぐち うに守らしやる神」と、宮すずめ声々に商ひ口をたたく。皆これさし当って耳一六出雲大社。縁結びの神という。 が ごせつく くわん 、 ) しら しきた たか

5. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

を望みに御座候。色白にさへ 一三無筆でも。 候へば、たとへ物かかずと 家 出 あはう こうじゃう 女 と 一四物を言うことが下手でも。 も、口上あしくとも、阿呆に 世一五雇い入れの条件は。 ても苦しからず候。定めは木 交 物 : っ めんきるものきびらかたびらきぬおび 見 一六晒さない布。 を 綿着物、生平の帷子、絹帯一 で こころづけ 外 筋、その外も、い付いたし候。 内 の 宅雇用期間を五年に限って。 一七ねんほど 庵 一 ^ 銀五十匁。約五万円。 五年程切って、五十目ばかり かし 一九給料を先払いするゆえに「借」 としみ、つか あひわた たうぶん ぎんすかし といったもの。奉公人が、奉公の 銀子借申すべく候。それも当分は二十五匁か三十目相渡し、残り年々遣はし候 最初に俸給の全部、または一部を しゆけ まうし おんきは 約束に御極め頼み申候。すゑみ、その者の心ざし次第に目をかけ、もし出家な前借りすることは、当時、一般に 行われていた。 まうし ごぞんぢ どになり申候はば、この草庵ゅづり申候。御存知のごとく、外に箸かたしとら = 0 銀三十匁。約三万円。 三一対のうちの片方 9 もと おほかたかっかう 五する者持ず候。大方恰好は、そこ元備前屋九郎右衛門殿に居申候六三郎ぐらゐ = = 姿かたち。 なるものを望みに御座候。 しきよくきは すて ずいぶん 随分世は捨候へども、はなれがたき物は色欲に極まり申候事、今の身になり、ニ三せいぜい ニ四出家精進しているような顔に ニ四 かひ おもひあたり候。この心は出家をつとめ顔、その甲斐はなく候へども、せめて対して、の意。 もた いろじろ さだ さうあん まうし が まうし ゐまうし

6. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

巻一あらまし 序注意して処分しておかないと、とんだ恥さらしになるものは手紙である。去年の暮、流行の張子の美人人形を作る人の ところで、集められた反古紙の中の多くの手紙を見たが、人の心の真実が見えて、興味が尽きないものはこれである 一世帯の大事は正月仕舞商用で播州に出掛けている父親が、大坂で家を守っている息子にあてた手紙である。米価の下 落で武士からの集金がうまくゆかないと言い、正月の準備から、掛買いの品の代金の支払いなどこまかく指示し、いっ分 散になるかわからない状態にあることを告げ、資金を借りての商売ゆえに、このような始末になったことを嘆いている ニ栄花の引込所家督を継いだ呉服屋の若主人の放蕩に困った手代九人が、親類の隠居に、若主人をしばらく鎌倉に隠居 させたいと訴えた手紙である。若主人が無断で店の金を使ったことを、具体的に金額をあげて示し、遊興の事実を報告し、 二、三年鎌倉に引っ込ませたいこと、承知してもらえない時は手代九人とも辞職すること、鎌倉に隠居後の若主人の生活 の保証を述べて、若主人に納得させてくれるよう頼んでいる。 いっかくせんきん 三百三十里の所を十匁の無心一攫千金を狙って江戸へ下った男が、商売に失敗して、せめて故郷の大坂で死にたいと、 兄にあてて旅費の無心をしている手紙である。若気ゆえの江戸下りを後悔していること、商売に失敗したこと、三人口に なって生活できないことを述べ、女房と子供は女房の姉に引き取らせるからと、ひたすら誠実を誓って、旅費を出してく れるよう懇願している。 かわおや 四来る十九日の栄耀献立中流程度の商人が、資金をスムーズに借りるために、銀親の旦那を、川遊山に招待したいと、 先方の手代へ申し入れたことに対する返事の手紙である。銀親の手代は招待される日を指定し、旦那の供をする者を知ら せ、料理について指図し、最後に自分が貰った羽織を仕立て替えてくれと注文をつけている。 ほ ) 一がみ

7. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

ぶんげん 年十一月より諸国を勧進した。 べし。分限になりけるもの一 ^ 東大寺寺中の坊。ここは公慶 上人のこと。 は、その生れつき格別なり。一 九銭一貫文。 一 0 諺に「阿弥陀も銭ほど光る」。 ある人のむすこ、九歳より十 さいせん ち 仏の霊験もお賽銭次第だ、の意 てならひ 二のとしのくれまで、手習に 一供 = 仏法の盛んなことをいう。 三倶舎・成実・律・法相・三 あひだ を論・華厳の南都六宗に、天台・真 つかはしけるに、その間の筆 言の平安一一宗を加えたもの。東大 手 寺は八宗兼学であったが、ここは、 のぢくをあつめ、その外人の一 屋 子 どの宗旨も、の意 ほど 寺 一三仏堂の造営などに財物を施す すてたるをも取りためて、程 こと。寄進に同じ。 ひと なく十三の春、我が手細工にして軸すだれをこしらへ、一つを一匁五分づつの一四長者の万灯より貧者の一 灯」を踏まえる。長者の一万貫か ただ 、つめ・は、ら 三つまで売払ひ、はじめて銀四匁五分まうけし事、我が子ながら只ものにあらら貧者の一文に至るまで、の意 一五銀十二貫目約千二百万円 うれ てならひししゃう すと、親の身にしては嬉しさのあまりに、手習の師匠に語りければ、師の坊こ分限になる者は、生れつきの性 質によるものだとして、次に寺子 われ しなん すひやくにん 屋の子供の例を描く 五の事をよしとは誉め給はず。「我この年まで、数百人子供を預かりて、指南い 一六寺子屋の師匠は、もと僧侶が 多かった。 たして見およびしに、この方の一子のごとく、気のはたらき過ぎたる子供の、 しんだい 末に分限に世をくらしたるためしなし。又乞食するほどの身代にもならぬもの、 ワ」ちゅうぶん 中分より下の渡世をするものなりかかる事には、さまみ、の子細ある事なり とせい わてぎいく ぢく 4 ふん 一六 0 宅中程度

8. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

101 巻五 よろら 万の文反古 さいかくをとこ O 広き江一尸に才覚男 ふみみもち この文に身持の異見 しかけくだんのごとし かね 銀かる仕掛如件 おもかげ にぜんす 0 二膳居ゑる旅の面影 あぶない物乳母がさし櫛 いんぐわ 因果は身に添ひて桑名まで ふみほうぐ 目録 う いけん 五巻 一三重県桑名市。この頃、久松 松平家十一万石の城下町であるが、 あった また東海道の宿駅で、対岸の熱田 まで、海上七里 ( 約二八じの渡 し場。

9. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

よろづ 万の文反古 O 京都の花嫌ひ やまさうあんはぎじぶん ひがし山の草庵萩の時分 ながいもありどころ 長芋の有所をかし かきおきばこ 0 明けて驚く書置箱 かしがね四 借銀時の用には立ち難し いれもの 女の欲の入物重たし / 、 ふみほうぐ 目録 はなぎら がた 三巻 ニ遺言状を入れた箱。遺言状は 町役人・五人組などの立ち合いの 上で開封するのが当時の習慣。 三貸し金。「借」は、当時、貸 し・借りの二義に用いる。 四大事の時。 かもがわ 一京都賀茂川の東に連なる丘陵。

10. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

ごとく、大晦日の七つさがり候へば、銀子いづかたから参りてもうけとり申さ ぬと、かねみ、申しわたし置きしに、夜に入りてこのはした銀、事やかまし 用 ついしよう あは 算といひてうけとらぬを、色々わびごと追従いひて、三ロ合して六百七十貫目渡 = 受取り証文。 三台所の土間に、大世帯ではい うけとりてがた たちかへ かまど くつも釜が掛けられるよう、竈が 世して、請取手形おしいただきて立帰る。もはや御蔵はしめけるとて、大釜のう 四 造ってある。 かねには いーレがはら しろにかさね置きける。この銀は庭にて年をとりける。まことに石瓦のごとし。四土間。ここは台所の土間。 五堺から奈良へ行商に通う。 ならにはかま / 」 六一種類。 二奈良の庭竈 セ商売の手懸りができて。 ^ 家族三人が生活することがで きた。『日本永代蔵』四の一に「惣 むかしから今に、同じ顔を見るこそをかしき世の中、この二十四五年も、奈 みす じて、三人口までを身過とはいは さかなや 良がよひする肴屋ありけるが、行くたびにただ一色にきはめて、鮹より外に売ぬなり。五人より世をわたるとは いふ事なり」。 たこうりはちすけ る事なし。後には人も鮹売の八助とて、見しらぬ人もなく、それ / 、に商ひの九諺。食べるだけで精いつばい で。 みち ぐち おほっごもりぜに つひ 道付きて、ゆるりと三人口を過ぎける。されども大晦日に銭五百もって、終に一 0 雑煮を祝っただけの程度だ。 ふた = 土火桶。蓋つきの手あぶり火 くちく 年を取りたる事なし。ロ食うて一盃に、雑煮いはうた分なり。この男、つね鉢。奈良の細工品。 一ニ手数料。ロ銭。 ひをけか み、世わたりに油断せず、ひとりある母親のたのまれて、火桶買うて来るにも、一三忙しい時。 よ おほっごもり一 ぎんす ぎふに ひといろ おくら ぶん がね たこ おほがま あきな 一午後四時頃を過ぎると。 ( 現代語訳三四三ハー )