23 巻 の三季に分けて支給され、春借 不自由は見せ申すまじく候。 、つ 米・夏借米・冬切米といった。こ 従 こは、転じて給金の意。妾は、京 この外御望みも御座候はば、 主 坊都の女性が最高とされていた。 三この妾の世話をする大振袖の 何やうにも御好みなさるべく 代 腰元を三人、の意。腰元は主人の 手 お 側にあって雑用を勤める女奉公人。 候。面々相談の目録、所は御 尺 一三茶の間にあって、諸道具の出 ひ・つギ、しき一く し入れ、料理、部屋の掃除などを 姿 見立あそばされ、広座敷を作 出 し、主人や家族の外出の供をもす 外 こめあぶらみそ の る女奉公人。中通り女とも。中居 事仕り、米・油・味噌・塩 九は町家の名目で、中居に相当する をり / 、おこそで 重 ものを武家では茶の間、茶の間女 ・焼木、折々の御小袖はこの といったが、ここではこの二つを お あひわた しんじゃう ねんぢゅうおっかひきん 方より進上申し、年中の御遣金として二百四十両相渡し、京より百両切米の御合せて、一つにしていっている。 一四台所の仕事をする女奉公人。 おものぬひをんな一四 おほふりそでこしもと なかゐちゃま 妾女二人かかへ、この大振袖の腰元づかひ三人、中居茶の間、御物縫女、下一五主人の身辺の世話をする少年 の奉公人。 あんまとりぎとうごしゅ でっち 女二人、小姓二人、小坊主一人、按摩取の座頭、御酒の相手に歌うたひの伝右一六丁稚。商家で、最下位の少年 の奉公人。 ろくしやく おぎうりとりニ 0 あひっ おれうりにん 宅江戸時代、盲人の最下位の官 衛門、御料理人一人、六尺二人、御草履取大小二人、手代の一人づっ相詰め、 位。あんま・鍼を業とするもの。 おこころ おくら たちまうし ー - み′かーれ 以上二十二人にて御心のままに御暮しなされ候はば、二年三年の立申候は夢天小唄を芸とする間。 一九駕籠かき、また下男の称。 おんこと すぎまうし ニ 0 ふつうの草履取りと、男色の の間の御事に候。三年過申候はば、以前のごとく遊女ぐるひにてもあそばさ 相手の小草履取り一一人、の意か。 ニ一重九郎と奉公人、合せた人数。 るべく候。 じっかまっ みたて てかけをんな たきぎ ま ま、 、一しゃう ごぎ こば , っ・ 0 0 0 0 きりまい
一遺産分配の慣習法。兄弟では、 兄が六分、弟が四分がふつう。 ニ持参金。 もっとしまっ 三支度。 用 三尤も始末の異見 算 四衣類を入れる塗長持 五 ↓二〇〇ハー注六。 しょむ そうりゃう 六婚礼の夜の蝦燭の明るい灯火。 世所務わけの大法は、たとへば千貫目の身代なれば、惣領に四百貫目、居宅に セ何と言っても。 ととの ^ 金持。富裕者 付けて渡し、二男に三百貫目、外に家屋敷を調へゅづり、三男は百貫目付け、 九お多福。 また 他家へ養子につかはし、もし又娘あれば、三十貫目の敷銀に、二十貫目の諸道一 0 皺畩。女子の外出用。 = 裲襠小袖。衣服に帯を締めた わさうおう えんぐみ 具こしらへて、我が相応よりかるき縁組よし。むかしは四十貫目が仕入れして、上から打ち掛ける小袖。かいどり。 五 一ニ指先。転じて、手足の形。 たうだい ひとごころ ながもちちゃうぎんぎふながもち 十貫目の敷銀せしが、当代は銀をよぶ人心なれば、ぬり長持に丁銀、雑長持に一三産婆の首に手を回してりきむ。 一四月の利率六厘。 一五次の、内儀・腰元・中居女・ 銭を入れて送るべし。 物師の生活費や給料が出る。 むすめご六 すこし娘子はらふそくの火にては見せにくい顔にても、三十貫目が花に咲き一六貴人の雑用を勤める女奉公人。 宅奥の間と台所との間の茶の間 七 てまへしゃ にあって、道具の出し入れから、 て、花嫁さまともてはやし、「何が手前者の子にて、ちひさい時からうまいも 料理、掃除、外出の供などをした にぎ ひたひ のばかりでそだてられ、頬さきの握り出したる丸顔も見よし。又額のひょっと女奉公人。仲通り女とも。 一 ^ 裁縫女。御物師とも。 出たも、かづきの着ぶりがよいものなり。鼻の穴のひろきは、自 5 づかひのせは一九持参金で生活を支えながら。 ニ 0 夫や両親をさす。 かみ なっすず しき事なし。髪のすくなきは夏涼しく、腰のふときは、うちかけ小袖を不断めニ一手落ち。手ぬかり。 ( 現代語訳三二四ハー ) 日 っ たいはふ いけん かね ま、 しんだい 四 しきぎん こそでふだん し ゐたく
141 巻 ともかせ かけおちもの 婿養子の身で気儘にならないのは知っていながら、ほうつ断することなく、たいてい駆落者の夫婦は共稼ぎをします てらまちおし から、女房を持つのも家計のためになると思い、寺町の白 てしまって、こちらへ上って来たのです。一人でも暮しに ぜにりようがえ かわらまち 粉屋の娘で、器量も十人並なので、この女を女房に呼び迎 くいので、四条通の河原町のほとりに銭両替の店を開き、 ゆさん でっちめした 丁稚・飯炊き女を雇って、都合三人口の世帯を小規模に立えました。そちらの女房とは格段にちがい、遊山や夜歩き にかまわず、一度も悋気しません。なんとなく納得できず、 てて、儲けも予測できない商売だと存じ、年中の倹約を第 たキ、ギ一 様子を見ていますうちに、私を嫌って、たびたび暇をくれ 一に心がけました。薪の高価な土地なので、箸より細かに くろき つめひ と申します。これは男として口惜しく存じ、憎い女めと引 割った黒木を使用しますが、「爪に灯をともす」とは、こ なべかま きつけておきましたところ、過失だということで、椀や皿 のことです。朝夕の食事の鍋釜も、それそれに食べる量を あらかじめ仕込んでおいて炊くので、さてさて手軽な暮し箱をこわし、仮病をつかって昼寝をし、銭を勘定させると、 ものおけ でした。関東で使う釣鍋に、大束の薪をくべて二時ばかり丁百につないで損をかけ、香の物桶の塩の入れ時にかまわ うりなす 焚いても、物が煮えないのとくらべて、所々の暮し方の違ないで、もったいない、瓜や茄子を腐らして捨てさせ、有 あけあんどん 明行灯に灯心を六本も七本も入れて明るく照らし、傘は干 いとおかしく存じました。そちらの下女一人の食い物で、 かどづけじようるりがた 京の女五人が、ゆっくりと夜昼を送ることができます。人さないでたたみ、門付の浄瑠璃語りに銭や米を与え、毎日、 ことわぎ の世帯ほど、さまざまに変るものはございません。そちら湯を沸かしてはいり、「湯を沸かして水へ入る」との諺ど なまいわし おり、手にふれ足にさわるところに損ができ、この損も積 で生鰯を一銭に十四、五も売ると、召使のロにも、十分は しんだい いって、一度に十ばかりも焼いて、頭から食べます。これれば身代の妨げになると存じ、一日でも置くだけ損と思い きわめて、離縁いたしました。 に対し、都では小さい干鰯で、一銭で十六、七も買えるの きじようゆ その後よく考えて、とかく年をとった女房が世帯のため を、一人に三つあてがいに焼いて、生醤油につけて食べま になると存じ、この希望を人に頼みましたところ、さいわ すが、下女さえも、この頭は食べません。何事も上品に世 かみがた い六角堂の門前に順礼宿の娘がいました。夫に死に別れて 渡りをしますので、女は上方が第一で、しかも手仕事を油 きまま ふたとき けんやく わん かイ、 あり
ほそぞめももいろ 細染百色がはりの染賃は高く、金子一両宛出して、これさのみ人の目だたぬ事一「今渡り」に対し、古く中国よ り輸入された品物。 ほんじゅすひとはば たけ に、あたら金銀を捨てける。帯とてもむかしわたりの本繻子、一幅に一丈二尺、ニ帯地は丈一丈二尺、幅二尺五 寸で、女帯は二つ割り、男帯は三 用 ねだん ひとすぢ 算一筋につき銀二枚が物を腰にまとひ、小判二両のさし櫛、今の値段の米にしてつ割りにして用いる。 六 四 三丁銀一一枚。約八十六匁。 しろめめたび ほんもみ ほんべうごく 四標準の重量がはいった俵。当 世は本俵三石あたまにいただき、襠も本紅の二枚がさね、白絖の足袋はくなど、 時、米一石約銀四十匁。約四万円 みやう によス′ばうぶん きやふ むかしは大名の御前方にもあそばさぬ事、おもへば町人の女房の分として、冥五湯具。女性の下帯。京で脚布、 畿内及び美濃・近江で湯具という 加おそろしき事ぞかし。せめて金銀我がものに持ちあまりてすればなり。降っ ( 物類称呼 ) 。「襠」は当字。 べにばな 六高価な紅花で染めた紅染。茜 かね ちうや ぞめすおう ても照っても、昼夜油断のならざる利を出す銀かる人の身代にて、かかる女の染・蘇枋染に対していう。 セ古くは革足袋であったが、貞 くわんくわっよく / 、ふんべっ 享頃から絹足袋が流行。絖は表面 寛闊、能々分別しては、我と なめらかで光沢のある薄い絹布。 わこころは 袋 ^ 武家・大名の妻をいう。 我が心の恥づかしき義なり。 九冥加は神仏が人に与える利益。 あすぶんさん 袋 もったいない、ぐらいの意。 の 明日分散にあうても、女の諸 肩 一 0 自己破産。多数の貸手からの のが 必借金を返済し得ない時、全債権者 道具は遁るるによって、打ち て の同意を得て、全財産を提供し、 訪借金額に応じて配当返済すること。 つぶして又取りつき、世帯の = 債権者が承諾する時は、財産 ものだね 乞の一部を留保できた。女房の持ち 物種にするかと思はれける。 物は留保できる場合が多かった。 知三諺に「女の知恵は鼻の先」。 惣じて女は鼻のさきにし そう が た そめちん せたい われ きんす 五 わ づっ しんだい 0 あかね
いたくら ひょうたんくじ りあわせの菜で食べ、借家の親仁に板倉殿の瓢簟公事の話 に入らないところがあろうとも、その点を考えて、色里は たかまくら をさせ、遠慮なしに高枕して横になり、腰元に足の指を引みな嘘だと思えば、遊びもやむものです。この点を見定め かせ、茶は寝たまま女房に持たせておいて、手も出さすに るのが、若主人の代になった家がおさまるところです」と、 用 なこうど 算飲んでも、めいめい一家の主人の働きですることです。家京都の物慣れた仲人が、仲人口で大晦日に長物語をするこ だんな 間 の中に旦那に続く者もいないのですから、誰といって他か とだが、耳の役として聞いていても悪くないことである。 世 ら非難する人もなく、楽しみはこれでも済むことです。 ところで、近年の女は、見よう見まねに、よい遊女の風 てだい やさか 『旦那が家におられる』といって、店の手代どもも、八坂俗に、姿を似せることである。京都の呉服店の奥様といわ おいけ の色茶屋へ出かける無分別をやめ、また御池あたりの奉公れるほどの人は、みな遊女と取り違えるほどのおしゃれで 人宿へ忍んで出かける約束もおのずから思いとまって、そある。また、手代上がりの商人の女房は、おしなべて風呂 のままいるわけにもいかず、江戸からの書類を繰り返して屋女に生き写しの姿となり、それより下の男の女房、たと めいはくや 読み、忘れていたことなどを見つけ出して、主人の徳にな えば、横町の仕立物屋や縫箔屋の女房は、そのまま茶屋女 すたほごがみこより でっち ることもあります。廃る反古紙を紙縒にひねる丁稚は、ま の風俗で、それぞれに分際相応の色めいた姿をつくってい せんぎ けいせいしろうとおんな た奥へ聞えるほど手習の本を読み、本人の徳にもなります。ておかしい。詮議してみると、傾城と素人女とに別に変っ よいね - にさし 宵寝をする下男の久七も、鰤を包んだ菰をほどいて銭緡を たこともないけれども、素人女は、第一に心の働きがにぶ な かぶ 綯うと、下女の竹は朝のやりくりがうまくゆかないと、蕪 、物事にくどくて、卑しいところがあって、手紙の書き な そろ おものしひのぎめふし 菜を揃えます。御物師は日野絹の節を、一日仕事ほど取り ようが違い、酒の飲み方が下手で、歌をうたうことができ まないた 除きます。猫までが目を光らせて俎板をにらんで、肴掛が なくて、着物の着こなしが下手で、立ち居があぶなくて、 ごとりとしても声を出して守ります。旦那一人が家におら歩きぶりに腰がすわらないでふらふらとし、寝物語に台所 きやら れる徳は、一晩でもどれほどになりますか、まして一年中のことを言い出し、倹約から鼻紙を一枚ずつ使って、伽羅 に勘定してみると、大変な額になります。少しは女房に気は飲み薬と覚え、すべてにうんざりすることばかりである。 さい ぶり おやじ さかなかけ うそ ぶんぎい
の出戻りでしたが、先方で二十七歳と申しますので、三つ の女にも暇を出しました。 四つ年を隠したところで、三十前後の女だと見定め、なん その後また、烏丸に、家賃七十匁すっ取れる家屋敷が自 といっても器量のよいのにひかれて祝言いたしましたとこ分の住居のほかにある後家のところへ、世話をする人があ 古 反ろ、思いのほかに年寄ったところが見えてきましたので、 って婿にゆきましたが、 ほかに隠居の祖父母夫婦がおり、 めい の第三者で事情を知っている人に尋ねましたら、今三十六歳 これだけでなく、妹であるとか、姪であるとか、寄宿する になる娘がある。これは十七歳の時の子供だから、今年五者が八、九人もございました。これさえやりきれなく存じ 十二歳か、三歳かと言います。さても大変なまやかし物と、 ましたのに、家についた借金が銀二十三貫目もあり、一生 しだいにうるさくなって、横目で様子を見ていますと、毎返済しきることはできまいと思い この家も少しの損をし て、出てしまいました。 日の仕事に、・白髪を忍び忍びに抜く手つきが堪忍できませ たけやちょう ん。今までの出費はなかったことにして、離縁してしまい この後、竹屋町の古道具屋の娘で、器量も人並で、持参 ました。 金三貫目がついていて、夏冬の着物も寒くないだけのもの じゅうぶいちゃ その後、お公家さんの所へ勤めていた女官上がりの女と は持っていると、十分一屋の仲人が世話をしてくれ、これ いうことで、器量も申し分なく、心もやさしく、誰からも は幸せと呼び迎えましたら、月に二、三度ずつ気が狂って、 気に入られ、これはよい楽しみ、末々まで添いとげようと丸裸で門口から飛び出る始末で、閉ロしてそのまま送り返 かねてんびん 思いましたが、それにしては世間の物事にうとく、銀天秤しました。 すりばち の目を読めないのはもっともとして、摺鉢のうつぶせにし 当地は、女のずいぶん多い所ですが、さて縁組と申すと、 つるべと てあるのを、富士山の姿を写した焼物かと眺め、釣瓶取り 思うようなことはございません。私も十七年のうち二十三 、カめ・ を小舟の碇かと不思議そうに見るのですから、まして五合人の女房を持ち替えてみましたが、どの女房にも欠点がご ます 升などは知りません。こんな状態では小家の台所は預けら さいまして、実家に帰しました。私に少しはございました ただいま むいち れず、別れることは悲しく、惜しゅうございましたが、こ金銀も、この祝言につかいこみ、只今は手と身だけの無一 からすま
万の文反古 36 きゃう 0 京にも思ふやうなる事なし ふみ この文に仙台に置きざりの女 たのだる三 しんだい 頼み樽からになる身代 お 一離縁状を渡さないで、夫が女 房を捨てて姿を隠すこと。夫の出 奔後十か月たって婚姻関係が解消 し、妻の再婚が認められた。 ゆいのう ニ結納の際におくる酒樽。 三樽がからになるに、身代がす つかりなくなる、の意の「からに なるをかけた。 四お手紙。 五海老をゆでて干したもの。 六浜焼鯛。鯛を塩釜の中に入れ むしやき て、蒸焼にしたもの。 セ私の内心では。「相待申候処 ししカカる ぎおんえ ^ 祇園会の見物をかねて。祇園 会は、六月七日より十四日までの 祇園社の祭礼。 九 ↓一四ハー注四。
はなし きんぎん 一親旦那が、隠居する時のため 咄して行くをきけば、「世界にない / 、といへど、あるものは金銀ぢゃ。この いんきよがね に、自分の財産としての隠居銀を 2 ぎんす いんきよばば てらまゐがね おやだんなわけお みやうれきぐわんねん 銀子は、隠居の祖母への寺参り銀とて、親旦那が分置かれ、明暦元年の四月に取っておき、さらにその中から自 用 分の女房の分を別にしておいた金。 とりだ か . ねば・一 算蔵入れして、又取出すは今晩、この銀箱が世間を久しぶりにて見て、気のつき寺参り銀は、隠居銀に同じ。 ニ正しくはメイレキ。逆算して むすめ 三十五年前。 世を晴らすべし。おもへばこの銀は、うつくしき娘をうまれ / 、出家にしたやう 三退屈。蔵に納められている金 ほど なものぢやは。一生人手にわたりてよい事にもあはず、後は寺のものになる程銀の精が、退屈してうめくという 五 六 俗信があった。 かね うちぐら むかやしき くわん にーと大笑ひして、「けふこの銀を出す次而に、向ひ屋敷の内蔵を見れば、寛四死者の冥福を祈るため、祠堂 の修理用として寺へ寄付する金銀 かきつけ そう 永年中の書付の箱ばかりも山のごとし。一代にあのごとくたまるものかよ。惣を祠堂金という。祠堂金として寺 へ寄付されるだろうと予想した。 ふうき じて世上の分限、第一しわき名を取りて、何ぞいちもつなうては、富貴にはな五道を隔てた屋敷 六戸前が屋内にある蔵 われら だいみやうふう えいぐわ りがたきに、我等が旦那は、万事大名風にして、一代栄花にくらし、その上のセ逆算して五 + 年ほど前。 ^ 何か胸中に一分別がなくては。 しあは ふくじん そうりゃう この仕合せ、そなはりし福人。されば今までは惣領どのに隠居したまへども、 九栄華な生活をいう決り文句。 一 0 天性の金持 じなん一ニ なに一と 二男の家をもたれければ、又気を替へてそこへの隠居の望み。何事も御心まか = 長男の屋敷内に隠居所を建て て隠居していたが。 しもっき よろづ 一ニ妻帯して分家したので。 せとて、霜月はじめごろより万の道具をはこび、けふこの銀がうちどめなり。 一三分れて。 いんきょづき のりもの ひとなみ 面屋よりわかりて、隠居付の女十一人、猫も七匹、乗物にのりて人並に越され一四隠居の身辺の世話をする女。 一五ここは、女乗物。自家用の女 し。この二十一日に例年の衣くばりとて、一門中、下人ども、かれこれ集めて性用駕籠。 日 おもや えい くらい せじゃうぶんげん れいねんきめ ひとで せかい かね ついで げに , 九 のぞ かね 四 うへ
がてん ほどくわん 一三重県鈴鹿郡関町の九関山宝 「これでは人も合点せぬはず」と、身の程を観じける。又一人は、東海道関の 蔵寺地蔵院。 四 1 ぢぎう はたごやでをんな きちんどま ニ飯盛女。宿屋の亭主と契約し、 地蔵に近き旅籠屋の出女せし時、木賃泊りのぬけ参りにつらくあたり、米など とめおんな 色も売った。おじゃれ、留女とも。 用 むく はち とが ばうず しゅしよう 算盗みし科にや、同じ世に報ひて、米の乏しき鉢ひらき坊主となりて、顔を殊勝↓『好色一代女』六の二。 まき 六 三薪代だけ払う下等な宿泊客。 間 ほかそらねんぶつ おほかみころも しゃうじん 世らしく作り、心の外の空念仏、思へば心の鬼、狼に衣そかし。精進の事は忘れ 0 親や主人に無断で伊勢参宮す ること、また、その参宮者。親・ わしかしら すみぞめあさごろも て、鰯の頭も信心からとて、墨染の麻衣を着るゆゑに、この十四五年も仏のお主人とも咎めることのできぬ習慣。 五托鉢して米銭を乞う乞食坊主。 ところ 九ちゃう ふたところ 一 0 うち すぎゃう ゃう / 、 蔭にて、毎朝修行に出しに、一町にて二所づつの手の中、二十所を集めて漸六口先だけで唱える念仏。 セ心が不実な僧を罵る語。 がふ ちゃうかけまは だうしんけんご 一合あり。五十丁駆回らねば、米五合はなし。道心も堅固になくては勤めが ^ 諺。つまらないものも、信ず れば霊験がある、の意。 - 一ろも くわくらん ふん みところ たし。過ぎにし夏霍乱をわづらひて、せんかたなく衣を一匁八分の質に置きけ九諺「一町三所」。まばらなこと。 一 0 施しの米銭。乞食には、米な のち ごせしんじんかは るが、その後請くる事なりがたく、渡世の種のつきける。人の後世信心に替るらば片手に握った量を与えるのが ふつう。 くわんじん ここは乞食僧の意。 事はなきに、衣を着たる朝は米五合ももらはれ、衣なしには二合も勧進なし。 一ニ暑気あたりが原因と考えられ めいにち ことしはすばうず としゃ た日射病。吐瀉・下痢を伴う熱病 殊に極月坊主とて、この月はいそがしきに取りまぎれ、親の命日もわすれ、 の総称。 ぜひ 一三施しがない。 れねば、是非もなく、銭八文にて年をこしける。 一四諺に「師走坊主師走浪人」「師 こじちゃ ひんか まことに世の中の哀れを見る事、貧家の辺りの小質屋、心よわくてはならぬ走坊主棚上げ」。十二月は忙しく、 坊主や浪人は相手にされないこと。 かず / 、 0 悲惨な下層町人の生活を描きな 事なり。脇から見るさへ悲しきことの数々なる、年のくれにぞありける。 わき ぜにもん とせい たね せき たくはっ とが
219 巻 とく れ付きたる徳」と、あたまおさへてむかしをかたれば、この女、「ゆるし給へ」でも若く見えるという。 一セ 一六頭から高飛車に。 宅遊女の年齢の吟味は禁物。 と手を合はせ、気のつまる年ぜんさくやめて、うちとけて夢むすぶうちに、こ 天情交する。 の女の母親らしきものの来て、ひそかによび出し、ひとっふたつ物いひしが、 これが顔の見をさめ、十四五匁の事に身をなげる」といふ。 「何の事はない、 じまこそで なみだ 一九甲斐国都留郡 ( 郡内 ) 産の絹織 この女泪ぐみて、今までうへに着たるぐんない縞の小袖を、ふろしきづつみに 物。郡内縞。 いかにしても見かねて、又一角とニ 0 歌舞伎若衆の草履取り。金剛、 手まはしはやくして、親にわたすありさま、 跡付とも。遊女における遣手と同 もど 一る〔」か わかしゅ らせて戻し、心おもしろう声高に物いふを聞付け、若衆のざうり取めきたる者じく、若衆の世話をするもの。歌 舞伎若衆は男色を売った。 おやど だんな ニ一この男の家をさす。 二人っけこみて、「旦那これにござります。御宿へけさから四五度もまゐれど、 一 = 一詰開き。駆引き、応対。 おるす ニ三あるだけを全部。 御留守は是非なし。御目にかかるこそ幸ひ」と、何やらつめひらきしてのち、 一西着物。上下二枚、または三枚 ニ四 あづ かねニ三しだい を重ねて着ているので、そのうち 銀あり次第、羽織・わきざし、きるものひとっ預かり、「跡は正月五日までに ニ五 の一枚を抵当に取った。 かふりよく 一一といひ捨てて帰る。このお客しゅびあしく、「人にいひかけられて、合カせね = = 金銭を施すこと。 ニ六見込みがある人。 せつき ばならず。とかく節季に出ありくがわるいと、これにも分別がほして、夜の◆考えれば哀れな男だが、金を持 ニ六 たないまでも、持っている姿勢を みやく 明けがたにここを帰る。「たはけといふは、すこし脈がある人の事」と、笑う示さない以上、人間として扱われ ない、厳しい町人社会ゆえの小説 である。 て果しける。 はた で ききっ あと とり ・つく