始末 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用
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1. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

です」と言う。船中の客の身の上話は、どれを聞いても、 いどもは、とても片がっかないことと思って、みな帰りま 心配のない人は一人もいなかった。 す。これを大晦日の入れ替り男といって、このごろの新し おおみそか この船の乗客で、自分の家を持ちながら、大晦日に家に い掛取り撃退の方法です。まだ場末では知らないことで、 用 算いられる者は一人もいないだろう。平日とはちがって、自 うまく掛取りをだますのです」と言った。 ながさきもちはしら 分も人も忙しい最中なので、人のところへも訪れにくい 世 えま 四長崎の餅柱 そこで昼のうちは寺社の絵馬を見て時間を過すが、夜には とうじんぶね いってからは行くところがない。それゆえ、多額の借金を 十一月末日限りに、唐人船が残らず港を出て行くと、長 ごせつき している人は、五節季の借金取りからの隠れ家に、気やす崎もしだいに物寂しくなった。しかし、この土地の商売は、 めかけ かねもう い妾を囲っておくということだ。しかし、それは家計のや万事、唐人船との交易の期間に金儲けして、一年間の費用 りくりも、金銭の融通もなんとかできる人のことで、貧乏を一度に儲けておいて、貧乏人も金持も分相応にゆるゆる こうた むねぎんよう 人ではできないことである。「宵から小唄機嫌のお人、お と暮し、すべてこまかに胸算用をしない土地である。ほと そらくゆっくりと家計の始末をつけられたのでしよう。お んどの買物は現金払いにして、収支決算期の金のやりとり うらや 羨ましい」と尋ねたところ、この男は大笑いして、「皆さ もうるさいことはない。正月の近づく頃も、平素と変らず ん方は、大晦日に、人のためにも、自分のためにもなり、 酒を楽しみ、この町は暮しやすいところである。 しかも家にいるくふうを、まだご存じないようです。この 十二月になっても、人の足音もせわしくなく、上方のよ せつきぞろ いせごよみ 二、三年、入れ替りということを考えっき、これで始末を うに節季候も来ないので、ただ伊勢暦を見て正月の近づく つけています。お互いに親しい亭主が、入れ替って留守の のを知り、昔からの習慣を守って、十二月十三日にきまっ すすは むなぎ 家を守り、借金取りの来る頃を見合せ、『お内儀、私のほ て煤掃きをし、その竹を棟木にくくりつけておいて、翌年 もち はらわた きちれい うの金は、ほかの掛買いの代金とは違います。亭主の腸をの煤掃きまで置いていることである。餅はその家々の吉例 かけ ) 」 はーりもち くり出しても、取るものは取ります』と言うと、他の掛乞 によってつくのである。ことにおかしいのは、柱餅といっ ( 原文二七六ハー ) 日 かみがた

2. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

そう の畳数二百四十畳、ほかに江戸回船一艘、五人乗りの御座ように集って来た。どうして始末をつけるかと思うと、こ ぶね 船に通い船をつけて売ります。来る正月十九日に、この町のごろ、金を持たない商人たちが、手元に金銀がある時、 はりふだ りようがえや の会所で競売』との貼札が評判になり、財産はみな他人の無利子で両替屋へ預けておいて、また金が入用の時は借り ふりてがた るために、 物になることが、仏の目にははっきりと見えて悲しく、さ 小利ロな者が振手形というものを案じ出したが、 だめて仏具も人手に渡るだろう。その中でも、青銅の三つお互いにやりくりの都合のよいことである。この亭主も、 ぐそく 具足は、この家に代々持ち伝えた品物で惜しいから、来年その心づもりで、十一月の末から銀二十五貫目を懇意な両 たままつり はす おおみそか の七月、魂祭の送り火の時、蓮の葉に包んで極楽に取って替屋へ預けておき、大晦日の支払い時に、米屋も呉服屋も、 あげや 帰ることにする。どうせこの家は来年だけのもの、お前の味噌屋・紙屋・魚屋、観音講の割当の金も、揚屋での遊興 たんば 心底もその考えゆえ、丹波にだいぶんの田地を買い込み、 費も、受け取りに来るほどの者に、「その両替屋で受け取 分散後に引っ込む場所をこしらえているが、たいへんな無れ」と、振手形一枚ずつを渡して、全部始末をつけた、と とし′一も すみよし 分別である。お前が賢ければ、お前に金を貸すほどの人も年籠りの住吉参りに出かけたが、さてその心中は落ち着か さいせん また利ロで、一つ一つ調べあげて、全部、他人の物になる 。こんな人の賽銭は、もらわれたところで神様もお気 たくら づかいなさるだろう。 ことだ。くだらない悪事を企むよりは、何とぞもう一度、 まくらもと 商売をやり直せ。死んでも子供はかわいいので、枕元に現 さてその振手形は、預けた銀二十五貫目に八十貫目余り れて、このことを知らすそ」と、ありありと親仁の姿を見を振り出し、掛乞いがそれを持って押しかけるものだから、 た夢は覚めて、明ければ十二月二十九日の朝であった。こ両替屋では、「勘定してみて、あとで渡そう。この男の振 の商人は寝室から大笑いして、「さてさて、今日と明日し り出した手形は、預け金より多い」と、さまざま調べるう かない年末の忙しい最中に、死んだ親仁の欲心を夢に見た。 ちに、掛乞いもその手形を支払いに当て、また先方へと渡 のち ばだいじ し、後にはどさくさと入り乱れ、役に立たない振手形を金 8 あの三つ具足は菩提寺へ奉納せよ。後の世までも欲のやま しやくせんご ぬことだ」と、親をそしるうちに、諸方の借銭乞いが山の の代りに握って新年を迎えた。一夜明ければ、豊かな正月 きた 1 一ギ一

3. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

き、います 飢えてまいります。 またこちらで女房を持ちましたのも、決してうわっいた なおなお、こちらで持ちました女房は、私の浮気心から 気持で持ったのではありません。ある武家屋敷に奉公して持ったのではない証拠には、私よりも十二、三歳も年上で 古 反いた裁縫女で、裁縫の腕が立って、共稼ぎのできかねる女ございます。万事、この清左衛門殿のお話をお聞き願いと のではございませんでした。ことに倹約者で、数年間、給料うございます。以上。 江戸白がね町 をためておき、八百匁の持参金がありましたので、そこで 五月二十八日 源右衛門判 女房に持ちました。この女房もすいぶん働いてくれました 大帳新五丁目 が、近年は何の商売もなく、暮し向きにさしつまり、さん 団扇屋源五左衛門様 ざんの始末となり、そちらへ帰りますにも、旅費に困って おります。兄弟のお慈悲とお考えになり、銀十二匁ほど、 この手紙の内容を考えてみると、この男は世帯を持ち この便りと同時におことづけをお願いいたします。その銀 くずして、兄にも相談せすに江戸へ下ったのだと知られ もう を旅費として、こちらの始末をつけて帰りとう存じます。 る。どこでも、今の世の中は金が金を儲ける時代になっ 女房のことは、倅をそのままつけて離縁状を渡し、それ た。朝夕その覚悟をもって、めいめいの家業に精を出す かなす きりにいたしても差支えございません。金杉という所にき ことが必要である。ない所には一匁の銀でもないものは なわむしろ ちんとした姉が住んで、縄・筵の買置きの商売をしており 金である。日本国の金銀が集り、瓦石のように見える繁 ます。その方へ引き取ってもらい、始末をつけます。私の 盛の江戸から、わすか十匁ほどの銀に困って、長々と無 はちひら 身の始末が、何ともなりません。たとえ鉢開き坊主になり 心を言ってよこすのも、まだ兄弟の縁があるからである。 ましても、大坂の土になって死にとうございます。ぜひぜ 他人の所へは、たとえ銭一文であっても無心は言いにく ぜにかんもん ひ銀十二匁か銭一貫文、この人におことづけくださるよう 世渡りは大事である。 お頼み申し上げます。一日でもこちらにおればおるほど、 せがれ さしつか ともかせ がせき かね かね

4. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

巻四あらまし 一南部の人が見たも真言京の商人が長崎滞在中の知人に、京都の様子を知らせた手紙である。川原町の利平が奥州へ行 商の留守、南部から来た人の話によって、利平が最上川の洪水で死んだと信じた人々が、女房に家のためだからと、利平 の弟と結婚させたところ、その翌日、利平が無事に帰って来る。利平兄弟は運命の暴力に抗して、人間の誇りを保っため に自害し、女房も行方知れずになった、と伝えている。 ニこの通りと始末の書付江戸に下って成功した男が、勝手元不如意になって、相談の手紙をよこした大坂の親類へ与え た、返事の手紙である。自分が大坂を立ち退く時の不人情な仕打ちへの恨みと、江戸に出てから成功するまでの苦労をつ づり、江戸へ下ったら世話をしてやるが、そのためにはどのような身の持ちょうが必要かを説いている ひっそく 三人のしらぬ祖母の埋み金親に勘当されて飛騨に逼塞させられた男が、京都の腹違いの兄にあてた手紙である。父親の 知らない自分のさまざまの借金の跡始末をこまごまと頼み、隠居した祖母がへそくり金五百両を庭の隅に埋めていたのを、 掘り出して使ってしまっていることを告白している。

5. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

がき 書をいたしました。年中の日記を書いてお目にかけ、一昼きないところと、神々にお礼申すことでございます。今宵 かごや いっときぶみ が明けまして昼前までに、このご返事を駕籠屋の吉右衛門 夜に十二通の一時文も送り、女郎のするほどのことは残ら を通じてお遣わしください。そうでなければ、私のほうよ ずあなた様に勤めましたのに、今またこのお仕打ちでは、 古 り人をやります。今になって、どうしてこのような手紙を 反なんとしても世間へ私の面目が立ちません。 の このように申しますのも、一日も暇のないほどはやって差し上げますことか、思いもかけなかった悲しみでござい 万 おりますから、けっしてあなたの気に入らないことは、申ます。心の落ち着かぬままに、あらまし申し上げました。 もう他人が見ても恥ではありませんから、いつものように し上げません。またあなた様にも、一か月の買い詰めがで きかねるからといって、愛想づかしにこのようなことを申封じ目に印判は捺しません。以上。 し上げるのではございません。私の身を今までいろいろと 十月二十一日 しも - に さいなまれたあなた様に、逢い通さないわけにはいかない 名所屋七二サマ のです。今から後、あなた様がたとえどのような身になら この手紙の一部始終を考えてみると、遊里でのロ舌の れ、人は見捨てましようとも、私は一日もお目にかからな 文であることはわかっているが、わからないのは、太夫 いでいては、この身の面目が立ちません。女には似合いの かみそり で白雲という替名は誰のことだろうか。これをひそかに 剃刀がございます。この手紙のご返事次第で、自殺の覚悟 考えるに、はやらない時によい客に逃げられては、女郎 ) 一人冥土の をいたします。あなた様にはかまいなく、たた わきみち は命も捨てるものである。はやりの遊女の身となって、 旅をまいります。脇道のない道筋で、あなた様の来られる 意気地から死のうとは、なんとしても、遊女勤めの女と のを、いつまででもお待ち申します。 ただいま してはしおらしいことである。我も人も、無分別に女郎 只今私がはやっておりませんなら、死後に悪い評判が立 ちますことも、あなたにとっては口惜しいことですが、は を手に入れ、その身に疵をつけさせ、別れる時になって 必ず、始末のつかないことになってしまうものである。 やっている最中に死にますことは、女郎の身として運の尽 しらくも 白雲 くぜっ

6. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

の出戻りでしたが、先方で二十七歳と申しますので、三つ の女にも暇を出しました。 四つ年を隠したところで、三十前後の女だと見定め、なん その後また、烏丸に、家賃七十匁すっ取れる家屋敷が自 といっても器量のよいのにひかれて祝言いたしましたとこ分の住居のほかにある後家のところへ、世話をする人があ 古 反ろ、思いのほかに年寄ったところが見えてきましたので、 って婿にゆきましたが、 ほかに隠居の祖父母夫婦がおり、 めい の第三者で事情を知っている人に尋ねましたら、今三十六歳 これだけでなく、妹であるとか、姪であるとか、寄宿する になる娘がある。これは十七歳の時の子供だから、今年五者が八、九人もございました。これさえやりきれなく存じ 十二歳か、三歳かと言います。さても大変なまやかし物と、 ましたのに、家についた借金が銀二十三貫目もあり、一生 しだいにうるさくなって、横目で様子を見ていますと、毎返済しきることはできまいと思い この家も少しの損をし て、出てしまいました。 日の仕事に、・白髪を忍び忍びに抜く手つきが堪忍できませ たけやちょう ん。今までの出費はなかったことにして、離縁してしまい この後、竹屋町の古道具屋の娘で、器量も人並で、持参 ました。 金三貫目がついていて、夏冬の着物も寒くないだけのもの じゅうぶいちゃ その後、お公家さんの所へ勤めていた女官上がりの女と は持っていると、十分一屋の仲人が世話をしてくれ、これ いうことで、器量も申し分なく、心もやさしく、誰からも は幸せと呼び迎えましたら、月に二、三度ずつ気が狂って、 気に入られ、これはよい楽しみ、末々まで添いとげようと丸裸で門口から飛び出る始末で、閉ロしてそのまま送り返 かねてんびん 思いましたが、それにしては世間の物事にうとく、銀天秤しました。 すりばち の目を読めないのはもっともとして、摺鉢のうつぶせにし 当地は、女のずいぶん多い所ですが、さて縁組と申すと、 つるべと てあるのを、富士山の姿を写した焼物かと眺め、釣瓶取り 思うようなことはございません。私も十七年のうち二十三 、カめ・ を小舟の碇かと不思議そうに見るのですから、まして五合人の女房を持ち替えてみましたが、どの女房にも欠点がご ます 升などは知りません。こんな状態では小家の台所は預けら さいまして、実家に帰しました。私に少しはございました ただいま むいち れず、別れることは悲しく、惜しゅうございましたが、こ金銀も、この祝言につかいこみ、只今は手と身だけの無一 からすま

7. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

目録 : 都の顔見世芝居 : 年の内の餅ばなは詠め : 巻四・ 目録 : 闇の夜の悪口 : 奈良の庭竈 : ・ 巻五 目録 : つまりての夜市 : 才覚の軸すだれ : 目録 : 銀一匁の講中 : 訛言も只はきかぬ宿・ 尤も始末の異見 : ・ : 三一九門柱も皆かりの世 : ト判は寝姿の夢・ ・ : 三三 0 神さへ御目違ひ : 亭主の入替り・ ・ : 三四一長崎の餅柱 : ・ : 三四三 平太郎殿・・ ・ : 三五一一長久の江戸棚 ・ : 三五五 三 0 一一 : ・ : 三一一四 ・ : 三毛 ・ : 三三 0 ・ : 三三五 ・ : 三三八 ・ : 三四一 ・ : 三四六 ・ : 三哭 ・ : 三五七

8. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

巻四・ 目録 : 南部の人が見たも真言 : ・ 巻五・ 目録 : 広き江戸にて才覚男・ 二膳居ゑる旅の面影 : 世間胸算用 目録 : 原文現代語訳 ・ : 七九 ・ : 一 0 八 この通りと始末の書付 : ・ : 一五四人のしらぬ祖母の埋み金 : ・ ・ : き七長刀はむかしの鞘 : 伊勢海老は春の杷 : ・ : き七鼠の文づかひ : 御恨みを伝へまゐらせ候 : ・ : 一六三桜よし野山難儀の冬・ 一六五 原文現代語訳 ・ : 八六 : ・ : 一五六 ・ : 三 0 七 ・ : 一六七

9. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

急に腹の立っことがおきて、自殺する役に立つかもしれな ら数珠を取り出し、数珠の玉を一粒ずつ繰りながら、ロの い。私も年をとって今年五十六歳、命の惜しいことはない 中で念仏を唱えていたが、人もいなくなり、騒ぎも静まっ なかようぶげんしゃ わかじに ので、中京の分限者の腹つぶくれが、かわいそうに若死し て後、「さて、お芝居は終ったようでございます。私のほ 用 かけが たが、私の掛買いの代金をさつばりと払ってくれるなら、 うの代金をいただいて帰りましよう」と一言うと、亭主は、 胸 いなり 氏神稲荷大明神もご覧くだされ、偽りなしに腹をかっさば 「男盛りの者さえ承知して帰ったのに、お前一人あとに残 世 きつねっ いて、身代りに立ってみせるに」と、そのまま狐憑きの目 って、人のすることをお芝居とは何だ」、「この忙しい最中 をして包丁を振りまわすところへ、唐丸が鳴きながらやっ に、役にも立たぬ自殺のまねごとと思いました」、「その穿 さく かどで て来た。「おのれ、死出の門出の血祭だ」と、細首を打ち鑿はよけいなことだ」、「ともかく、受け取らねば帰らぬ」、 かけご 落すと、これを見て掛乞いどもは肝をつぶし、無分別な男「何を受け取るのだ」、「代金を」、「誰が受け取るのだ」、 に言葉じりをつかまえられてはうるさいと、一人一人帰っ 「誰とは何を言われる。掛売りの代金を受け取るのが、私 ちゃがま て行くが、帰りがけに、茶釜の前に立ちながら、「あんな の得意とするところ。仲間が大勢いるうちに、人の手にあ 気の短い男に連れ添っておられるお内儀が、縁あってのこ まって取りにくい掛売りの代金ばかりを、二十七軒ほど私 ととよ、、 。ししながらお気の毒だ」と、各自が皮肉な捨てぜり が引き受け、この帳面を見なされ、二十六軒をすでに受け ふを残して帰った。これはよくある借金取りの撃退法だが、取り、この家だけ受け取らないでは帰らないわけだ。この うちぶしん たちのよくない、年末の始末のつけ方である。なんの詫び代金を支払わない以上、内普請なさった材木はこちらのも かどぐち おおづち も言わずに、さつばりと片づけてしまった。 の。それでは持って帰ろう」と、門ロの柱から大槌で打ち その掛乞いの中に、堀川の材木屋の丁稚がいた。まだ十はずすので、亭主は駆け出して、「堪忍できない」と言う。 よ・一ぐるま すみまえがみ 八、九の角前髪の少年で、しかも弱々として女のような体「これこれ、お前さんの横車は、今時はもう古い。今のや しん つきで、、いは強いところのある若者であったが、亭主のお り方をご承知ないようだ。この柱をはずして取るのが、今 どかしのうちは、相手にしないで竹縁に腰をかけて、袂か の掛取りの金の取り方だ」と、少しも驚く様子がないので、 日 とうまる でっち たもと せん

10. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

せんばんまっすそがた しだ の事を聞きあはせ、見おばえ、「千本松の裾形もふるし。当年の仕出しは夕日一千本松の裾模様。 五 ニ新しい流行。 ワ ~ ギ ) さ ちゅうがた六 笹のもやうとぞ」と、 いまだ京・大坂にもはしみ、はしらずして、中形のしの三笹の散らし模様に、肩先から 用 夕日の二字を染め出したものか。 こぎり いしゃう きゃうぞめ 四端々。場末の町。 算ぶ小桐の衣装きるうちに、はやゐなかに京染はしゃれたり。むかしもやうの、 五 ↓二四一ハー注一一一 0 。 そめこみほととぎす あかねそめいれ 世肩さきから染込の郭公の二字、又はぶだうだなの所々につるはを茜の染入をか〈忍草や小桐の模様を染めた衣 装。 きんぎん し。見し時は格別ぞかし。何国に居ても、金銀さへもちければ、自由のならぬ , 右肩から斜め半分を桔梗色に 薄を染め出し、左半分は白地で、 といふ事なし。 右肩から大きく郭公の二字を染め 出したもの。 ひんじゃおほぜっき ことさら貧者の大節季、何と分別しても済みがたし。ないというてから、銭 ^ 葡萄棚の模様で、蔓や葉を茜 色に染めたもの。 たな でどころ ねんぢゅう が一文、おかぬ棚をまぶりてから出所なし。これを思へば、年中始末をすべし。九それでも、それを最初に見た 時は一段とよく見えたものだ。 日に一文づっ莨若にてのばしければ、一年に三百六十文、十年に三貫六百なり。 0 冒頭、世間に金はある、その金 を儲けるか儲けないかは、商人の こ - 一ろ ちやたきぎみそ ひんか この心から算用すれば、茶・焼木・味噌・塩、万事に何ほどの貧家にても一年胸算用によるものだといい、その 根拠を世間の繁盛に求める。これ に対し、以下、胸算用の悪い酒飲 に三十六匁の違ひあり。十年に三百六十目、これに利をもりかけて見るときは、 みの例を出して、貧乏人の窮乏を そう ふだんじゃうぢゅう 三十年につもれば八貫目余の銀高なり。惣じてすこしの事とて、不断常住の示す夜市をとりあげる。 一 0 ないといっても、銭が一文な けぎけの びんばふ いはずはないのだが、貧乏人には 事には気をつけて見るべし。ことにむかしより、食酒を呑むものは貧乏の花ざ 文字どおり一文もないので、の意。 かりといふ事あり。 = 諺に「置かぬ棚をまぶる」。 日 もん一 いづく かねだか 四 ゅふひ