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検索対象: 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用
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1. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

まな ) ) しそく きをほめ出し、『かしこさうなる眼ざし、こなたの御子急にしては、お、いに掛一諺に「鳶が鷹を産む」。 ニ美男。男でも美人といった。 とびくじゃくう 三あっかましい けさしやるな、鳶が孔雀を産んだとはこの子の事、玉のやうなる美人。ちかご 四娘の亭主にして。 用 しょまう おしつ むこ 五これの娘も。私の娘も。 算ろ押付けたる所望なれども、わたくしもらひまして聟にいたします。酒ひとっ 六ひとりの子の意ともとれるが、 すご むすめ 世過しましていふではござらぬ。われらが子ながら、これ娘も十人並よ。そのう持参金とか、貰うてくださるかと 言っているから、ひとり娘の意。 へ親仁のひとり子なれば、五十貫目付けてやるとはつねみ、の覚悟。又われらセ私金。へそくり金の意だが、 ここは女房の私有財産の意か がわたくしがね三百五十両、長堀の角屋敷、捨てうりにしても二十五貫目がも ^ 大阪市南区内の、長堀川に沿 った東西の筋。 そで いしゃう・ の、してから袖も通さぬ衣装六十五、ひとりの娘より外にやるものがござらぬ。九町角を引き回して建てた家。 角屋敷は売買の価格が高かった。 むこどの - とば これがこちの聟殿』と、思ひ入りたる顔つきして、これを言葉のはじめにして、一 0 仕立ててから一度も着ない。 = 商売の手伝いを頼み。大坂商 のち かへ もっ その後折ふし、すこしづつ物をやれば返しを請け、これ以て損のいかぬ事。そ人は富家といえども、自分の子は 他家へ奉公に出し、商売の方法を かねか れよりよいほどを見合はせ、やとひにつかはし、銀掛くるそばに置きて数をよ覚えさせた ( 大阪商業習慣録 ) 。 三天秤で銀貨を計量する。 うちぐら ませ、極印をうたせ、内蔵へはこばせなどして、一日つかうて帰し、そののち一三銀貨は、天秤で計量し、紙に 包んで、重さと数量を上書きする。 ひと 「数をよむ」は、数量を数えるの意。 先の身になる人を見たて、ひそかによびにつかはし、『その人の二番目の子を、 一四銀貨には大黒像・宝・常是の ぜひ 印が打ってあるが、別に盗難防止 女房どもが何と思ひ入りましたやら、是非にと望みます。いそがぬ事ながら次 あいじるし のため自家の合印を打つ。 - もら・ 而もあらば、此方の娘を貰うてくださるか、たづねてくだされ。こなたへ取り一五金銀・衣類などを納める、戸 キ ) き で おやぢ こくいん なに っ ながばりかどやしき かく 1 さけ

2. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

一、脚注は、見開きページ内におさめ、簡明のうちに意を尽したものとするようっとめた。また、作品鑑賞 の手引となるような事柄については、脚注欄に、◆をつけて記した。 算一、本文の該当箇所におさめた挿絵については、『万の文反古』については京都府立総合資料館所蔵本、『世 間胸算用』については早稲田大学図書館所蔵本を、それぞれ参照した。同館に対し、厚く謝意を表する。 世 また、ロ絵についても、貴重な資料の紹介を央くお許しくださったご所蔵先に、御礼申し上げる次第であ 古 反 る。 文 の 万一、本書の校注には、既刊の評釈・注釈書から多くの示教を得たが、とりわけ野間光辰『西鶴集下』 ( 日本古 典文学大系、岩波書店刊 ) に教えられるところが多かった。記して感謝の意を表したい。

3. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

西鶴自画賛十ニケ月帖 / 十ニ月 兵庫県柿衛文庫蔵 大晦日さだめ なき世の定哉 伝存する西鶴の十一一ヶ月の風物自画賛のなかでも、最も 入念に描かれたもの。元禄四年 ( 一六九一 ) 頃の制作といわ れる。図の二人の人物は掛取りである。詞書にあるよう に、『心然草』十九段を踏まえ、昔も今も変らぬた晦日 の現実を詠み切っており、『世間胸算用』の主題でもあ る。発句は天和一一年 ( 一六八一 l) の作。句意は、人生は無常 であるといわれるけれども、一年を締めくくる最大の決 算日の大晦日ばかりは、ぜひとも越えねばならない関所 であるよ、の意。 縦二三 ・一弩横三三・ よし田の其人っれ / \ 草に 書出し 世間は 其時も 今も 西鶴

4. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

233 巻 胸算用 むね もち 二餅ばなは年の内の詠め かけとりじゃ - っ・ 〇掛取上手の五郎左衛門 五 しかたまひ おほっごもり 〇大晦日に無用の仕形舞 みやこかほみせしばゐ 一都の顔見世芝居 〇それ / 、の仕出し羽織 おほっごもりあみがさ 〇大晦日の編笠はかづき物 ざん 目録 ・よ、つ 大晦日は一日千金 しだ ばおり 巻三 もの 一十一月一日から、新しく抱え た役者を紹介する意味で興行する 芝居。面見世とも。当時分芝居の 役者は一年契約で、十一・一 三・五・七・九月の年六回興行で、 十月に役者の入れ替えを行った。 ニ自慢のしゃれ羽織。 三被き物。頭にかぶるの意の 「かづく」に、人に欺かれるの意の 「かづく」をかけた。 四餅の小片を柳の小枝に花のよ うにつけた正月の飾り物。歳徳神 の棚に供える。↓二四三ハー挿絵。 五言葉に合せた動作をして舞う 舞 つらみせ

5. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

ぶんげん 年十一月より諸国を勧進した。 べし。分限になりけるもの一 ^ 東大寺寺中の坊。ここは公慶 上人のこと。 は、その生れつき格別なり。一 九銭一貫文。 一 0 諺に「阿弥陀も銭ほど光る」。 ある人のむすこ、九歳より十 さいせん ち 仏の霊験もお賽銭次第だ、の意 てならひ 二のとしのくれまで、手習に 一供 = 仏法の盛んなことをいう。 三倶舎・成実・律・法相・三 あひだ を論・華厳の南都六宗に、天台・真 つかはしけるに、その間の筆 言の平安一一宗を加えたもの。東大 手 寺は八宗兼学であったが、ここは、 のぢくをあつめ、その外人の一 屋 子 どの宗旨も、の意 ほど 寺 一三仏堂の造営などに財物を施す すてたるをも取りためて、程 こと。寄進に同じ。 ひと なく十三の春、我が手細工にして軸すだれをこしらへ、一つを一匁五分づつの一四長者の万灯より貧者の一 灯」を踏まえる。長者の一万貫か ただ 、つめ・は、ら 三つまで売払ひ、はじめて銀四匁五分まうけし事、我が子ながら只ものにあらら貧者の一文に至るまで、の意 一五銀十二貫目約千二百万円 うれ てならひししゃう すと、親の身にしては嬉しさのあまりに、手習の師匠に語りければ、師の坊こ分限になる者は、生れつきの性 質によるものだとして、次に寺子 われ しなん すひやくにん 屋の子供の例を描く 五の事をよしとは誉め給はず。「我この年まで、数百人子供を預かりて、指南い 一六寺子屋の師匠は、もと僧侶が 多かった。 たして見およびしに、この方の一子のごとく、気のはたらき過ぎたる子供の、 しんだい 末に分限に世をくらしたるためしなし。又乞食するほどの身代にもならぬもの、 ワ」ちゅうぶん 中分より下の渡世をするものなりかかる事には、さまみ、の子細ある事なり とせい わてぎいく ぢく 4 ふん 一六 0 宅中程度

6. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

かず のかし、山を立ちのき、還俗する人数をしらず。この中にまぎれて、我ひとり一僧籍を離れて、俗人にかえる すま ニ心を澄す。行い澄す。 すまし候へども、おのづからそれに心ざし移りて、いやな事の目にかかるとい 古 ぶっしん 反ふも、はやいまだ仏心にいたらぬ所あればなり。 の ぐそう やらう 万しかし愚僧事は、一生に妻子持ってころし、遊女の野郎のたはむれに身をな三歌舞伎若衆。 四身を打ちこみ。耽り。 むじゃう ほっしん おんこと し、世におもひ残す事もなく、無常を見ての発心、けふまではそまつなる御事、五仏の道をおろそかにしたこと。 六挿入句。自分でつくろって言 もうと、つ′、ギ ) かく 1 一 自身の取りあはせながら、毛頭御座なく候。尤も、仮なる世とは兼ねて覚悟のうことだが、の意。「取りあはせ」 は、ほどよく配合する、の意。 所、百年三万六千日、むなしく胡蝶の春をとまるに似たり。とかく夢とぞんじ、 とうぜん よあらしそで ただ洞然として暮すうちにも、夏は蚊といふものに身をいため、冬は夜嵐袖に ふきこ ねぎけ 一 0 吹込み、この難儀素湯ではしのぎかね、飲酒は破って、寝酒はすこしづったべ 士・う・し ぎよてう ほかしよくもっ イいかな / 、魚島は匂ひもいやに 申候。これより外に食物願ひも御座なく戻。 なり候。 ちかごろまうしかね かんにん これは堪忍いたし候へども、 いかにしても寝覚淋しく候。近頃申兼候へど = 近頃になく。たいへん。 にんおかか 一ニ丁稚。小僧。 も、年頃は十五六七までの小者一人、御抱へなされ、御越し頼み申候。見よき かみふう 生れ付なるは、なか / 、山家へはおよびなく候。髪の風よく、すこし肥えたる うまっき 六 とし′」ろ さゆ げんぞく やまが さいし 、一もの こてふ ごぎ おんじゅ もっと ねぎめさび なか ま : っーレ カ われ セ「洞」は、むなし、うつろ、の 意。ばんやり。 ^ 原本「蚊といふ身をいため」。 九五戒の一、飲酒戒 一 0 酒を飲むこと。↓二六 行。 こレ」。 でっち ふけ

7. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

181 巻 胸算用 むね 二長刀はむかしの鞘 たひ らつに・ん、いく 牢人細工の鯛つり こじちゃなみだ おほっごもり 大晦日の小質屋は泪 とひやくわんくわっをんな 一問屋の寛闊女 こそでちぐさももしなぞめ はやり小袖は千種百品染 おほっごもりふりてがたくだんのごとし 大晦日の振手形如件 さや ぎん 目録 なぎなた 大晦日は一日千金 意。 一気性が派手で、伊達な服装を する女房。諺に「問屋長者の如し というように、問屋は資産以上に 華美な生活をするとされていた。 ほそぞめももいろ ニ本文に「千種の細染百色がは り」 ( ↓一八三ハー一二行 ) とある。 秋の千草を、線がはっきり出る細 染めにし、模様を色変りに仕上げ たもの。 三振出し手形の一種。現代の小 切手に相当するもの。 よって 四手形 ( 証書 ) 類の文言に「仍而 如件」と書くのを踏まえた。型の ごとく処置する、の意。 五昔の長刀も今は鞘ばかり、の 六浪人の内職の手細工。 つる セ 小さい竹の弓の弦に通してあ る切抜きの厚紙製の鯛を、弓の端 を持って、力を加えたりゆるめた りして上下させる玩具であろう。 だて

8. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

し、り △この文の子細を考見るに、分里のロ舌の文はしれた事、しれぬは太夫に白一遊里 ニ馴染客に手紙を送る時、その くも 雲といふ替名は誰が事ぞ。これをひそかにおもふに、はやらぬ時によき男に客だけにわかる替名を用いる。 三しおらしい きぢ 四 いざ別れるという時になって。 反のかれては、命も捨つる物なり。時めく身となり、意気地にて死ぬべしとは、 五遊里では、五兵衛ならば二三、 の ぢよらう われ 万 いかにしても勤め女にはやさしき。我も人も無分別に女郎を手に入れ、身に九兵衛ならば七二というふうに、 分解して替名とした。本名を用い らち きず 疵を付けさし、かならず退きさまに埒のあかぬ物にしなしける。これ皆上気ず、替名を用いるのを原則とする。 ◆遊女という特殊な女性を主人公 ぎんみ としながら、普遍的な愛情にまっ の沙汰なり。とても人にも勤めける身なれば、つよう吟味だていらぬ物なり。 わる人間の、とりわけて女性の意 地を描いている。愛情と執念とが 七二とま 。いかなる九兵衛か九右衛門か、本の名がしれずしてせめてもなり。 入り交じり、せつばつまった女の 心情を的確に伝える作品である。 六天下太平をいう語だが、ここ さくら - 、の意。 は逆に、、どこ・も暮ーしに / 、い 「四〕桜よし野山難儀の冬 セ御地も海に近く、暮しにくい 六 が、私も難波の浦風をしのぎかね。 よしの ょにはか、せ 力いき・よ せんりどうふうセ ^ 「見定め候も」の意。 千里同風、そこ元海居の難儀、難波風しのぎかね、隠れ家は吉野と見定め、 九紙子。和紙で仕立てた。防寒 ばうず 一んき・よ しようふうかみぎめ 山居も殊更松風紙衣を通し、焼木もひとり坊主のたくはヘ絶えて、ふれる白用にも着る。 一 0 「あさばらけ有明けの月と見 ごせ ほか なが ほんか 、、かな / 、目につかず、後世の事も外になり候。無るまでに吉野の里に降れる白雪」 雪と読みし本歌の詠めも ( 古今・冬坂上是則 ) 。 ほっしん = 和歌。 用の発心と、おの / 、御留めなされしを、今は悔しく候。 ( 現代語訳一七一ハー ) さた ふみしさい かへな た かんがみ のやま たきぎ わけぎとく ぜっ ほん くや か たいふ うはき なじみ

9. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

89 巻四 一六「かたり」は商売上の駆引の意。 なく候。 あごむ 商売上の駆引で人を欺くこともあ なん 公 るものだ。 これ程憂き難にあひ、小田 主宅神奈川県小田原市。江戸まで しゆく ろせん はら ) 二日 原と申す宿より路銭なくて、 去二十里一一十町 ( 約八一言毖。 み 間の道程。 を 二日は水ばかり呑みて、やう 竹天諺。天の慈悲の広大なことを まうし くだ てんたう いう。神は人を見捨てない、の意。 主 / 、下りつき申候に、天道人 坊 一九家族・奉公人あわせての人数。 鉢 で ニ 0 くふう。算段。 をころし給はず、五六年に 市三投下した資本に応ずるだけは。 ただ 今 一三身柄。身ひとつで、の意。 二千両あまりかせぎ出し、只 しキ、わら うまや ニ三厩に敷く敷藁を商う人。 まうし いま一九 われら ゆる / 、 ニ四藁の穂先の部分を適当な長さ 今二十三人、我等の才覚ひとつにて、緩々とやしなひ申候。 に切り揃えて束ねたもの。花瓶の え ニ一ぎんほど りはっ この方も世上かしこくなって、その銀程利を得、徳を取申候。利発なる男中に入れて、花木をささえるのに 用いる。 らち ごぎ いれ だいみやううまや の身がらくだりて、埒の明く事には御座なく候。たとへば御大名の馬屋に入一宝まだしも。原もたも」。 ニ四 兵品のよい まうしわらう すゑ くわびんこみした はなびせんかうしん 毛『日本永代蔵』二の三にも、 申候藁売り、末のきれいなる所を花瓶の込に仕立て、その末を花火線香の芯 「大分にすたり行く貝がらを拾ひ まかりな おほかた れいがんじま て、霊岩島にして石灰を焼くか」 いたし候ゃうに、せちかしこく罷成り、大方の事にて、なか / 、銭はまうけさ と見える。 われ / 、 もちゃしだ たくさん せ申さず候。まだも我々の見立て、手のよき餅屋仕出し、又は貝がらの沢山な夭原本「沢山所」。 ニ九 三 0 ニ九職人。 さいくにん ふたいろ い . しばひやきまうし 三 0 一一種類。 る所なれば、細工人をつれくだり、石灰を焼申候か、この二色より見立申さ はうせじゃう の さいかく をだ とりまうし ニセ みたて

10. 完訳日本の古典 第53巻 万の文反古 世間胸算用

はらわ人ぶつ 一諺に「世帯仏法腹念仏」。仏法 を信じ、念仏を唱えるのも、生活 の手段だ、の意 へいたらうどの 用 ニ浄土真宗の寺院浄土真宗を 一一一平太郎殿 算 門徒宗、その信者を門徒という。 胸 たた 三賛嘆とも。仏徳を賛えること 、一じ人 いまもっ 四大晦日と節分が一致したのは、 世古人も「世帯仏法ーと申されし事、今以てその通りなり。毎年節分の夜は、 延宝元年 ( 一六七三 ) 十二月三十日。 もんとでら 門徒寺に、定まって平太郎殿の事讃談せらるるなり。聞くたびに替らぬ事なが 0 読者は、二 + 年前を思い出すわ けで、作品は現実性を帯びる。 しゅし・よう らうにやくなんによ さんけい おほっごもりせつぶん ↓二六八ハー注一セ。 ら、殊勝なる儀なれば、老若男女ともに参詣多し。一とせ、大晦日に節分あり 六節分の豆まきの音。 かけごひやく まめ セ諺。気味の悪いたとえ。 て、掛乞・厄はらひ、天秤のひびき、大豆うつ音、まことに「くらがりに鬼っ ^ 仏法修行の道場の意で、寺院 だうぢゃう ぶつぜんみ なぐ」とは今宵なるべし、おそろし。さて道場には太鼓おとづれて、仏前し , こ御九太鼓の音が鳴り響いて。夕方 の勤行の時間を告げる太鼓。 まゐ どうぎゃうみあは しょや かね あかしあげて、参りの同行を見合せけるに、初夜の鐘をつくまでに、やう一 0 浄土真宗で信者仲間をいう。 阿弥陀仏に導かれて、同じく極楽 一んけい ていばう せけん に行く仲間、の意。 / 、参詣三人ならではなかりし。亭坊っとめ過ぎて、しばらく世間の事どもを = 一夜を初・二・三・四・五夜 一四ぢゅう に分け、初夜は午後八時頃 かんがへ、「されば今晩一年中のさだめなるゆゑ、それ / 、にいとまなく、参 三破格の文。「やう / \ 参詣三 しか しそん一五 りの衆もないと見えました。然れども子孫に世を渡し、隙の明きたるお祖た人のみにて、その他にはなかり き」とあるべきところ。 ぶね ちは、けふとても何の用あるまじ。仏のおむかひ船が来たらば、それにのるま一三住職 一四一年中の総決算の日。 ひと 三家督を譲って隠居し。 いといふ事はいはれまじ。おろかなる人ごころ、ふびんやな、あさましゃな。 ( 現代語訳三五七ハー ) 日 さだ - 一よひ せたいぶつばふ てんびん さんだん と ひま せつぶ人