65 巻 じなん きさま すなは あひわた / 、に相渡し申せとのいげん、則ち目録の通り書きしるし、貴様へもこの飛脚人の加判があって正式のものと見 なされる。 まうし おんうけと しょむわけ に所務分おくり申候。慥かに御請取りくださるべく候。まづ住宅に諸道具その三初七日。 一三戸前が屋内にあり、金銀貨・ どうまち一七けんぐちいへやしき そうりゃう 衣類などを収める蔵。 まま、銀三百五十貫目、惣領の甚太郎同町十一間ロの家屋敷に銀二百貫目、 一四遺言。 おとと めうさん せんしうしんでん 二男の甚次郎さて泉州の新田、銀三十貫目、姉妙三。銀五十貫目、弟甚太兵三遺言による資産分配 一九 一六家督を相続する長男。 キ、、ま ほかしよしんるいした、、てらたー、 衛。銀二十貫目、貴様へ。銀五貫目は手代の九郎兵衛。この外諸親類下々寺々宅間口が + 一間 ( 約二 9 しある、 ニ 0 とりおき まで、残らず書付いたし、残る所もなき身の取置と、いづれもかんじ申され候。一 ^ 和泉国 ( 現、大阪府南部 ) 。 一九下人。奉公人。 かきおき 時に後家の事は書置には何とも見えず、別紙一枚あり。つねみ、両人の悴子 = 0 始末。処置。 三衣服や家具などを入れて、棒 おやもと ながもち などで担いで持ち運ぶ櫃。嫁入り に当りよろしからねば、長持万事ずいぶんそこねぬゃうに、親許へおくるべし。 の時、衣服や身の回りの道具を納 しきぎん いまだ若き者なれば、かさねて縁付のためなり。右に敷銀なければ、このたびめて持参する。 一三持参金。 いひおき べつでう 一一三心配ない。妻を離縁する時、 かへすに別条なし。三十五日より内にかへせとの一一 = ロ置。 持参金は返す。 つきまうしおんこと 一西隠居所。家督を子供に譲った この段は甚太郎おとなしく申出候。「このたび親と名の付申候御事なれば、 ニ四 老夫婦、また子供が一家の主人と おんてらまゐがね ごゐんきょ ごいひげん こればかりは御遺一言をそむき、この屋敷に御隠居をこしらへ、御寺参り銀二十なった後の母親は、母屋を離れて 隠居所を建て、別居するのがふつ じゃくねん うであった。 貫目しんじ申したき」との所存。いづれも泪をこばし、「若年の人の、さりと 一宝隠居して後の生計を立てるた きも ぶん てはやさしき申し分」と、おの / 、肝にめいじ、「これは後家御もまんそくなめの財産の俗称。隠居銀とも。 あた ぎん かきつけ たし まうしいで えんづき てだい べっし なみだ ひきやく せがれ の意。 ひっ
ます。重九郎様のお心次第のご返事を、あなた様からお聞 さるように、この書付けを重九郎様へお見せのうえ、ご納 せいただきとう存じます。 得がゆきますよう、あなた様からおとりなしをお願い申し 重九郎様、鎌倉へ三年間ご隠居くだされ、私どもの希望上げます。以上。 古 重九郎手代 反が入れられますならば、次のようにいたしまして、ご不自 二月二十四日 九人連判 の由はおかけいたしません。このほかにご希望がございます 南桜庵 なら、何なりとお望みを出していただきます。私ども相談 見山様 のうえの計画は、土地は若旦那様がお見立てくださいまし て、そこに広い座敷を新築し、米・油・味噌・塩・薪、季 この手紙の内容を考えてみると、若主人の好色がすぎ 節のお着物などは、こちらから差し上げ、一年間のお小遣 て、身代の妨げになるのを、手代どもが真心からの相談 として二百四十両をお渡しし、京都から給料百両の妾を二 で、親類のご隠居に頼んで、意見をする手紙と知られる。 なかいおんな とが 人雇い、この若い妾の腰元を三人、中居女、裁縫師、下女 世の中には分際を知らない奢り者もあるものだ。天の咎 を二人、小姓を二人、小坊主一人、それに按摩の座頭、ご めも恐ろしい。町人の身分では、奢りにも程度というも 酒宴の相手に歌うたいの伝右衛門、料理人一人、駕籠かき のがある。この書付けのような栄華な生活なら、蝦夷が 挈こつめ・と 二人、草履取りは大人と子供の二人を雇いまして、私ども 島のような辺土でも、不自由なく住むことができよう。 てだい もんめむしん の中から手代一人ずつ交替で詰めて、すべて二十二人で重 「弖凵百三十里の所を十匁の無心 九郎様のお心次第にお暮しなさるならば、二年、三年のた つのは夢の間でございます。こうして三年がたちましたな この手紙を持参される鎌倉屋清左衛門殿と申す人は、当 さしものギ一いく ら、またもとのように遊女狂いでもなされてよろしゅうご地で私と同じ長屋に住んで、指物細工の職人をされている ざいます。 人で、とりわけ懇意につきあっています。このたびお父上 こうやさん 以上のとおりご承知くださいまして、鎌倉へご隠居くだ の十七年忌にあたり、高野山参詣のついでに堺・大坂をも ( 原文一一四ハー ) あんまざとう かご たきぎ てかけ 、一づかい しんだい おご 、力い
はなし きんぎん 一親旦那が、隠居する時のため 咄して行くをきけば、「世界にない / 、といへど、あるものは金銀ぢゃ。この いんきよがね に、自分の財産としての隠居銀を 2 ぎんす いんきよばば てらまゐがね おやだんなわけお みやうれきぐわんねん 銀子は、隠居の祖母への寺参り銀とて、親旦那が分置かれ、明暦元年の四月に取っておき、さらにその中から自 用 分の女房の分を別にしておいた金。 とりだ か . ねば・一 算蔵入れして、又取出すは今晩、この銀箱が世間を久しぶりにて見て、気のつき寺参り銀は、隠居銀に同じ。 ニ正しくはメイレキ。逆算して むすめ 三十五年前。 世を晴らすべし。おもへばこの銀は、うつくしき娘をうまれ / 、出家にしたやう 三退屈。蔵に納められている金 ほど なものぢやは。一生人手にわたりてよい事にもあはず、後は寺のものになる程銀の精が、退屈してうめくという 五 六 俗信があった。 かね うちぐら むかやしき くわん にーと大笑ひして、「けふこの銀を出す次而に、向ひ屋敷の内蔵を見れば、寛四死者の冥福を祈るため、祠堂 の修理用として寺へ寄付する金銀 かきつけ そう 永年中の書付の箱ばかりも山のごとし。一代にあのごとくたまるものかよ。惣を祠堂金という。祠堂金として寺 へ寄付されるだろうと予想した。 ふうき じて世上の分限、第一しわき名を取りて、何ぞいちもつなうては、富貴にはな五道を隔てた屋敷 六戸前が屋内にある蔵 われら だいみやうふう えいぐわ りがたきに、我等が旦那は、万事大名風にして、一代栄花にくらし、その上のセ逆算して五 + 年ほど前。 ^ 何か胸中に一分別がなくては。 しあは ふくじん そうりゃう この仕合せ、そなはりし福人。されば今までは惣領どのに隠居したまへども、 九栄華な生活をいう決り文句。 一 0 天性の金持 じなん一ニ なに一と 二男の家をもたれければ、又気を替へてそこへの隠居の望み。何事も御心まか = 長男の屋敷内に隠居所を建て て隠居していたが。 しもっき よろづ 一ニ妻帯して分家したので。 せとて、霜月はじめごろより万の道具をはこび、けふこの銀がうちどめなり。 一三分れて。 いんきょづき のりもの ひとなみ 面屋よりわかりて、隠居付の女十一人、猫も七匹、乗物にのりて人並に越され一四隠居の身辺の世話をする女。 一五ここは、女乗物。自家用の女 し。この二十一日に例年の衣くばりとて、一門中、下人ども、かれこれ集めて性用駕籠。 日 おもや えい くらい せじゃうぶんげん れいねんきめ ひとで せかい かね ついで げに , 九 のぞ かね 四 うへ
巻一あらまし 序注意して処分しておかないと、とんだ恥さらしになるものは手紙である。去年の暮、流行の張子の美人人形を作る人の ところで、集められた反古紙の中の多くの手紙を見たが、人の心の真実が見えて、興味が尽きないものはこれである 一世帯の大事は正月仕舞商用で播州に出掛けている父親が、大坂で家を守っている息子にあてた手紙である。米価の下 落で武士からの集金がうまくゆかないと言い、正月の準備から、掛買いの品の代金の支払いなどこまかく指示し、いっ分 散になるかわからない状態にあることを告げ、資金を借りての商売ゆえに、このような始末になったことを嘆いている ニ栄花の引込所家督を継いだ呉服屋の若主人の放蕩に困った手代九人が、親類の隠居に、若主人をしばらく鎌倉に隠居 させたいと訴えた手紙である。若主人が無断で店の金を使ったことを、具体的に金額をあげて示し、遊興の事実を報告し、 二、三年鎌倉に引っ込ませたいこと、承知してもらえない時は手代九人とも辞職すること、鎌倉に隠居後の若主人の生活 の保証を述べて、若主人に納得させてくれるよう頼んでいる。 いっかくせんきん 三百三十里の所を十匁の無心一攫千金を狙って江戸へ下った男が、商売に失敗して、せめて故郷の大坂で死にたいと、 兄にあてて旅費の無心をしている手紙である。若気ゆえの江戸下りを後悔していること、商売に失敗したこと、三人口に なって生活できないことを述べ、女房と子供は女房の姉に引き取らせるからと、ひたすら誠実を誓って、旅費を出してく れるよう懇願している。 かわおや 四来る十九日の栄耀献立中流程度の商人が、資金をスムーズに借りるために、銀親の旦那を、川遊山に招待したいと、 先方の手代へ申し入れたことに対する返事の手紙である。銀親の手代は招待される日を指定し、旦那の供をする者を知ら せ、料理について指図し、最後に自分が貰った羽織を仕立て替えてくれと注文をつけている。 ほ ) 一がみ
259 巻四 胸算胖 むね やみよ わるくち 一闇の夜の悪口 世にある人の衣くばり いんきよがね 地車に引く隠居銀 五 ならにはかまど 二奈良の庭竈 ばんじ六 万事正月払ひぞよし かず・、一 山路を越ゆる数の子 ざん 目録 ぢぐるま 大晦日は一日千金 きめ 巻四 一京都八坂神社の、けずりかけ の神事の奇習。↓一一六一ハー注一八。 こそでじ ニ正月の晴着用として、小袖地 を一家一門から召使に至るまで配 る行事。 三重い荷物を引く、車体が低く 車輪四つをつけた車。 四隠居の財産としての金。 五元日より三日間、台所の土間 むしろ に新しくいろりを作り、筵を敷き、 奉公人や出入りの者が集って茶や 酒を飲み、餅を食う風習。京都そ の他各地にもあったが、当時は廃 れ、奈良に残っていたもの。 ならざらし 六奈良晒布の問屋同士の決算は、 正月五日の初市から五月までと、 七月・十二月であった。
「お前の伯母は子おろし屋をしているわい」、「お前の姉は、 二人の男が三条通を帰って行くと、山形に三つ星の定紋を ちょうちん 腰巻をしないで味噌を買いに行って、道でころびおるわい つけた提灯を六つともして、車三両に銀箱を積み、手代ら ゃい」。いずれもロやかましゅうしゃべり、何やかやと取しい者が一一人、あとについて話をしながら行くのを聞けば、 用 算り交ぜて、悪口のやむ時がない。その中でも二十七、八歳「世間にない、ないというが、あるものは金銀じゃ。この 間の若い男が、人にまさって口拍子よく、誰が出ても言いま銀貨は、隠居の婆への寺参り銀だといって、親旦那が別に めいれき かされて、後にはこの男の相手になる者もない。その時、 しておかれ、明暦元年の四月に金蔵に入れて、また取り出 ぬのこ 左の方の松の木陰から、「そこの男よ。正月布子をこしらすのは今晩である。この銀箱が世の中を久しぶりに見て、 えた男と同じように、人並な口をきくな。見ればこの寒し 退屈をはらすことだろう。考えれば、この銀貨は、美しい のに、綿入も着ないで何を言うのかい」と、当てずつばう娘を生れるとすぐに尼にしたようなものじやわ。一生、人 で言ったところ、しぜんとこの男の急所をついて、返す言 の手に渡ってよい思いもせず、後には寺の物になるのだか かね 葉もなくて、大勢の中へ隠れて、一度にどっと笑われてし ら」と大笑いをして、「今日、この銀を出すついでに、向 ら・′ぐら かんえい まった。これから考えると、人の身の上で、真実ほど恥ず い屋敷の内蔵を見たら、寛永年中の書付のある銀箱だけで おおみそか かしいものはない。なんにしても大晦日のせつなさを、ま も山のようにある。一代で、あのようにたまるものかよ。 かせ りんしト・く だ手遅れにならない時から心がけて稼ぐなら、「稼ぐに追 いったい世間の金持というのは、第一に吝嗇だと評判され、 ことわぎ いつく貧乏なし」の諺どおり、大晦日に苦しむことはない その上で何か一つ胸中に商売のもくろみがなくては、富貴 のだ。 にはなりにくいものなのに、私たちの旦那は、万事、大名 おうよう 「さてさて、花の都というのに、この金銀はどこに行った のように鷹揚で、一生栄華に暮し、それでいてこのような ことか」、「毎年、節分の鬼が取って帰るものでござろう。 幸せで、生れついての福人です。それで、今まではご長男 かねばこ ことに私は、このごろは銀と仲が悪くなって、銀箱には、 の所に隠居されていたが、ご次男が分家なさったので、ま った姿を見ません」と、世間が不景気になった話をして、 た気を変えて、そこへご隠居の希望です。何事もお心任せ かね てだい
319 巻 ぎんもんめこうじゅう 基礎を固め、総領に家督を譲って、六十歳の前に隠居した らくいんきょ 一銀一匁の講中 人について言えることだ。楽隠居してお寺へ参詣し、世間 の手前も見よい年頃であるのに、仏とも法ともわきまえず、 人が金持になることは幸運によるというのは言葉だけの ことで、本当は各人が知恵才覚で稼ぎ出し、その家が栄え欲の世の中に安住している老人どもがいる。死んでしまえ かたら えびす ることである。金持になるのは、福の神の恵比須殿の自由ば、たとえ万貫目の資産があっても、帷子一つを持って行 だい一く・一う にもならないことである。大坂の裕福な者が、大黒講を結けるだけで、それ以外はすべてこの世に残るのである。こ よ . りあい おやじ んで集り、諸国の大名衆への御用銀の貸入れの相談を、酒の寄合の親仁たちも、二千貫目より少ない金持は一人もい ない。また、近年各自の働きで、わずかな身代の者どもが 宴や遊興よりもおもしろいこの世の慰み事と思い定め、会 もう いくだましたでらまち 合の座敷も色里近い所を避け、生玉や下寺町の寺の貸座敷金を儲け、二百貫目、三百貫目、あるいは五百貫目までの を借りて、毎月、大名衆の資産状態の調査に明け暮れして、金持二十八人が親しく付き合って、一匁講という講を結成 ごせ し、毎月、会合する家も定めず、一匁の仕出し弁当をあっ 死を目前にひかえた老人どもが、後世安楽の願いは忘れて、 じト - み一 かね らえ、下戸も上戸も酒なしで、遊び事にも倹約第一とし、 ただ利息の銀がふえ、富貴になることを楽しんでいた。 気づまりな話である。朝から日の暮れるまで、ほかのこと 世の中で金銀があり余るほどめでたいことはほかにない のだが、それは二十五歳の若盛りより油断することなく、 は話さず、世渡りの話、中でも貸金の確かな借り手を調査 三十五歳の男盛りに稼ぎ出し、五十歳の分別盛りに家業のし、一日も金を遊ばせない思案をめぐらしていた。 かせ
の出戻りでしたが、先方で二十七歳と申しますので、三つ の女にも暇を出しました。 四つ年を隠したところで、三十前後の女だと見定め、なん その後また、烏丸に、家賃七十匁すっ取れる家屋敷が自 といっても器量のよいのにひかれて祝言いたしましたとこ分の住居のほかにある後家のところへ、世話をする人があ 古 反ろ、思いのほかに年寄ったところが見えてきましたので、 って婿にゆきましたが、 ほかに隠居の祖父母夫婦がおり、 めい の第三者で事情を知っている人に尋ねましたら、今三十六歳 これだけでなく、妹であるとか、姪であるとか、寄宿する になる娘がある。これは十七歳の時の子供だから、今年五者が八、九人もございました。これさえやりきれなく存じ 十二歳か、三歳かと言います。さても大変なまやかし物と、 ましたのに、家についた借金が銀二十三貫目もあり、一生 しだいにうるさくなって、横目で様子を見ていますと、毎返済しきることはできまいと思い この家も少しの損をし て、出てしまいました。 日の仕事に、・白髪を忍び忍びに抜く手つきが堪忍できませ たけやちょう ん。今までの出費はなかったことにして、離縁してしまい この後、竹屋町の古道具屋の娘で、器量も人並で、持参 ました。 金三貫目がついていて、夏冬の着物も寒くないだけのもの じゅうぶいちゃ その後、お公家さんの所へ勤めていた女官上がりの女と は持っていると、十分一屋の仲人が世話をしてくれ、これ いうことで、器量も申し分なく、心もやさしく、誰からも は幸せと呼び迎えましたら、月に二、三度ずつ気が狂って、 気に入られ、これはよい楽しみ、末々まで添いとげようと丸裸で門口から飛び出る始末で、閉ロしてそのまま送り返 かねてんびん 思いましたが、それにしては世間の物事にうとく、銀天秤しました。 すりばち の目を読めないのはもっともとして、摺鉢のうつぶせにし 当地は、女のずいぶん多い所ですが、さて縁組と申すと、 つるべと てあるのを、富士山の姿を写した焼物かと眺め、釣瓶取り 思うようなことはございません。私も十七年のうち二十三 、カめ・ を小舟の碇かと不思議そうに見るのですから、まして五合人の女房を持ち替えてみましたが、どの女房にも欠点がご ます 升などは知りません。こんな状態では小家の台所は預けら さいまして、実家に帰しました。私に少しはございました ただいま むいち れず、別れることは悲しく、惜しゅうございましたが、こ金銀も、この祝言につかいこみ、只今は手と身だけの無一 からすま
万の文反古 24 おき かきつけ 右の通り御聞きわけあそばし、鎌倉隠居なされくだされ候ゃうに、この書付 ごがってん おんと たのみあげ 重九郎様へ御見せあそばされ、御合点まゐり候ゃうに御取りなし頼上候。以上。 重九郎手代 二月二十四日 九人連判 えいぐわ 南桜庵 見山様 一家督を相続した若主人。 ニ親類で、法体隠居している者。 三「町人の分としてよい程 [ と同 わかよひと この文を考見るに、若代の人、色好み過ぎ、身代のさはりとなるを、手代格で、「あり」にかかる。 四蝦夷が島のような辺土でも、 しけん どもまことある相談し こて、親類法師をたのみ、異見すると見えたり。世には楽に住むことができよう、の意。 ◆好色本の世界に通ずる、大町人 とが ′一うしゃ 身をしらぬ奢者あり。天の咎めも、町人の分としてよい程あり。この書付のの豪奢な生活が、しかし否定的に 描かれているところに、『日本永 代蔵』などの町人物に通ずるもの 栄花にては、夷が島にても住むべし。 がある。 もんめむしん 五同じ長屋の一軒を借りている 「国」百三十里の所を十匁の無心 こと、またその人。 かなく 六金釘を使わないで、板を組合 - も . ど かまくらやせいぎゑもんどの あひだなさしものざいく たんす この鎌倉屋清左衛門殿と申すは、ここ元にて我ら相棚の指物細工いたされ候わせて箱・机・簟笥類を作ること。 ( 現代語訳一三〇ハー ) ふみかんがみ おごりもの 四 えぞしま しんるいほふし いろごの ぶん しんだい かきつけ てだい はったい
くす たたみ あすかのいたぶきのみや ねずみの業、これからは油断のならぬ事」と、畳たたきてわめかれければ、薬皇の皇居飛鳥板蓋宮にいた。同じ 奈良県高市郡明日香村岡にあった、 か、つレ」ノ、 にんわう 師水風呂よりあがり、「かかる事には古代にもためしあり。人皇三十七代孝徳舒明天皇の皇居飛鳥岡本宮と混同。 一五難波長柄豊碕宮。 やまと をかもとみやこなにはながらとよさき てんわうおんときたいくわ 天皇の御時、大化元年十二月晦日に、大和の国岡本の都を難波長柄の豊崎に移一六大和。 宅修繕した。 せたいだうぐ やどがヘ わしう させ給へば、和州の鼠もつれて宿替しけるに、それ / 、の世帯道具をばはこぶ一〈猫・鼬とともに鼠の大敵 一九紙衾。紙を外被とした綿入れ ねこ とび こそをかしけれ。穴をくろめし古綿、鳶にかくるる紙ぶすま、猫の見付けぬ守蒲団。以下は西鶴の俳諧 ます ニ 0 升を棒で支え、餌を置き、触 かつをぶし ぐひます り袋、鼬の道切るとがり杭、桝おとしのかいづめ、油火を消す板ぎれ、鰹節引れると升が鼠を捕える仕掛。 ニ七 ニ四 三升の支えに詰める棒。 こ」め くまのまゐ ほか・よめり くてこまくら、その外嫁入の時の熨斗、ごまめのかしら、熊野参りの小米づと一三鼠は油が好物という。 ニ三梃子枕。梃子にあてがう枕木。 いんきよおもや ふつかぢ まで、二日路ある所をくはヘてはこびければ、まして隠居と面屋わづかの所、一西お伽話に「鼠の嫁入り」がある。 一宝熨斗鮑。祝儀の贈答用。 ねんだいき 引くまじき事にあらず」と、年代記を引いて申せど、なか / 、同心いたされず。 = 六↓一八八ハー注 = 。 毛紀州熊野権現に参詣の際、道 わら もくぜん 「ロがしこくは仰せらるれども、目前に見ぬ事はまことにならぬ」と申されけ中の食糧としての小米を入れた藁 苞。神社の模型を作り、神符をく 一れば、何ともせんかたなく、やう / 、案じ出し、長崎水右衛門がしいれたる鼠わえて来させる鼠の芸からの連想 ニ ^ 歴史上の重大事件や、天変地 ただいま とうべゑ づかひの藤兵衛をやとひにつかはし、「只今あの鼠が、人のいふ事を聞入れて異などを年代順に記した雑書。 え江戸湯島天神前に住んでいた 巻 ふう しゅう ふみ さまみ、の芸づくし。若い衆にたのまれ恋の文づかひ」といへば、封じたる獣使い。「長崎」は長崎仕込みの意。 三 0 大坂に水右衛門の弟子の獣使 ぜにもん そでぐち ふみ あとさきみまは 2 ふみ いがいた ( 諸艶大鑑五の一 I)O 文くはヘて、跡先を見回し、人の袖ロより文を入れける。又銭一文なげて、 し わざ ニ 0 っ ) 」もり ニ九 ながさき 一九 ききい 三 0