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検索対象: 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男
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1. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

巻七あらまし その面影は雪むかし ( 四十九歳 ) 島原の太夫高橋は、容姿・諸芸ともにぬきんでていたが、特に暴力や権威に屈しない張 ざんまい の強い女郎であった。世之介と逢っていた時、かねて約束の尾張の大尽からの矢の催促も受けつけず、大尽が刃物三昧に およばうとしたが、遂に断り通した。 あげやまち まっしゃ 末社らく遊び ( 五十歳 ) ある日、世之介は島原揚屋町の風呂屋を借り切って、京都で知られた太鼓持どもに揃いの浴衣を 着せ、向き合った揚屋の二階から掛合漫才をさせて廓中を楽しませた。 がね 人のしらぬわたくし銀 ( 五十一歳 ) 物になる大尽と見れば、併をの客でもかまわず恋文をつけて稼ぐ、評判の新町の太夫 があった。「憎さもにくし」と世之介は、だまされたふりをして、懲らしめる。 たかお さかづき さす盃は百ニ十里 ( 五十二歳 ) 江戸吉原の代表的名妓、三浦屋抱えの高尾に逢おうと、世之介一行六人は東海道を下った が、九月から翌年正月までは約束済みという。そこで、口説きかけて二十八日めに、やっと客の目を盗んで逢うことがで キ、た。 しょわけひちゃう 諸分の日帳 ( 五十三歳 ) 出羽国に米の仕入れで出張中の世之介に、新町の太夫和州から不遇を訴える日記が届いた。廓勤 めのすべてを記した日記を贈るのは、愛する男への心中立て。世之介はただちに大坂へ引き上げる。 あづま ロ添へて酒軽籠 ( 五十四歳 ) さる大尽に請け出されたが喜ばす、湯水を絶って死んだ新町の名妓吾妻がひそかに言い交し た男は世之介であった。その吾妻の名妓ぶりを描く。 もんび しんまち しまばらあけばの 新町の夕暮島原の曙 ( 五十五歳 ) 九月九日、菊の節句の紋日に新町の揚屋で遊んでいた世之介は、ふと島原が恋しくなり、 はやか′」 早駕籠で、翌早朝、島原に駆けつけて遊ぶ。 さかかるこ わしゅう ゆかた

2. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

よびかへ ろき、耳近く呼返して、正気の時やうすを問へば、はじめをかたる。不思議、 きしゃう と二階にあがれば、世之介四人の女に書かせたる起請、さんみ、に切りやぶり三起請文。神仏に誓いを立てて 誠実を記した文。誓紙 てありける。されども、神おろしの所々は残り侍る。これおもふに、仮にも書一三起請文で誓いの文句を記した あと、署名の前に記す前書。梵天 帝釈・四大天王・総日本国中六十 かすまい物はこれそかし。 余州大小神祇などと神仏の名を連 ね、「神罰・冥罰各罷リ蒙ル可シ」 などと書く。 0 十歳の章・袖の時雨は懸るが幸 ひ」 ( ↓二二ハー ) の兄分との再会。 替った物は男傾城 一四男妾。 のち きたおんかた じようとうく さてもその後、物のあはれをとどめしは、さる大名の北の御方に召しつかは一五古浄瑠璃の書出しの常套句。 「さてもその後、兄弟の人々は、 れて、日のめもつひに見給はぬ女郎達やおはしたなり。そのこころもなき時よ駒をはやめて打つほどに」 ( 小袖曾 我 ) 。 まれ り、奥の間近くありて、男といふ者見る事さへ稀なれば、ましてそんな事をし一六貴人の正妻の敬称。もと平安 一九 時代の貴族の住宅 ( 寝殿造り ) で、 まくらゑひとりわら としつき 正妻は北の対屋に住んでいたので 四た事もなく、あたら年月二十四五までも、このもしき枕絵・一人笑ひを見て、 宅奥女中と下女。 「こりやどうもならぬ、ああ / 、気がヘる」と、顔は赤くなり目の玉すわり、 巻 天色気づかないころから。 ほ】て′し 鼻急おのづとあらく、歯ぎりして細腰もだえて、「さても / 、にくい女がある一九ともに春画本。「独りわらひ は恋の根本」 ( 西鶴大矢数・一 ) 。 ニ 0 げんなりする。 物かな。かまはずに寝てゐたさうなる男の腹の上へ、もったいなや美しうない おくま をとこげいせい ニ 0 ところム、 はべ 。カり たいのや ( 現代語訳二七三ハー )

3. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

そうめいもん くれないからふさ 叟の縫紋をした上着、萌黄の薄絹に紅の唐房をつけ、尾長「ちょっと行って断ってきますほどに、世之介様の寂しさ うちかけ ちごびたい 鳥の散らし模様のある袿をまとい、髪は稚子額にして金の は、皆様でどうぞ」と、門ロへ出たが、二、三度ちょこち ひらもとゆい こさかずき 平元結を掛けたその風情のあでやかさ、天女の妹とでもい よこと引っ返して、「私のいぬうちは小盃で差し上げてく 男 せんのりきゅう 代えよう。点茶の手前のしおらしさは千利休がこの人に生れださい」と禿を残して丸屋に行ったが、すぐに座敷へは行 色かわられたのかと疑われるはどであった。茶事の済んだあかず、台所にたたずんで世之介方への届け文をはてしもな とは、ぐっとくつろいで乱れ酒、いつもと変った慰みであ く書いているので、揚屋の亭主も内儀もなだめすかして、 った。酔った勢いで世之介が、金貨・銀貨を紙入れからう 「どうぞまあ、少しの間奥へ」と頼んでも、そ知らぬ顔を ぜん ちあけて、両手ですくいながら、「太夫いただけ、やろう」している。そのうちに、「お膳が出ます、どうぞお二階へ」 と言った。この人中では、とてもいただけるものではない。 と、太鼓持どもが取持ち顔で勧めると、「皆さんも太鼓持 うぶ 初心な女郎は人ごとながら赤面していたのに、高橋はしと なら、ここの女郎の様子もわかっておられそうなものじゃ。 ほほえ やかに微笑んで、「いかにもいただきます」と、そばにあ そんなに気ぜわしいお客には、会ってもおもしろくありま った丸盆に受けて、「今皆さんの前でいただくのも、こっ せん」と言い捨てて、喜右衛門方に戻った。丸屋からいく あいみたが そり手紙でご無心いたすのも同じことです」と言いながら ら呼び立てても行こうとしない。世之介も恋は相見互いと かぶろ 禿を呼び寄せ、「なくてはならぬ物じゃ、とっておけ」と 思って太夫をさとし、「ぜひ行け」と勧めたが、「今日に限 言った、その捌きのみごとさ、い つの世にまたとあろうか。 って日本国じゅうの神様に誓って行きません」と言う。 する事なす事おもしろく、女郎も客も夢のように楽しい 「よくよく覚悟をきめておけよ。よもや先でもこのままは おわり 一日の暮を惜しむところへ、丸屋から、「尾張のお客が先おくまい。引き立てに来たとき、腰から下の半分を切って ほどからお待ちかねです」と、せわしい使いが度重なった。 やって、頭をこっちへ置くがどうだ」と念を押すと、「お 初会の客ゆえ貰いもきかず、「何の因果でこんな日に約束っしやるまでもない、ちゃんと覚悟しております」と、世 ひぎまくら したことか」と勤めの身の悲しさに高橋は涙ぐみながら、 之介に三味線を弾かせ、膝枕して、「嘆きながらも月日を もえぎ

4. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

( 原文一六二 これから先、今のような勤めを続けてもしかたがない」と につまって、お前との仲もこれまでだ』とおっしやったの だんな 自分で髪を切って、出家したいからと旦那から暇をもらい で、あまりの悲しさに今の有様、お恥ずかしゅうございま 浮世を捨てて尼寺に駆け込み、後生を願う仏の道にはいっ す」と自害でもしかねない様子であった。世之介がようよ た。この太夫が廓にいたころの誉れは、数え尽せぬくらい うなだめて、それほどの仲になってからこのかたの苦労を である。 きいてみると、これから二度と現れそうにない感心な女で ねざめさい あった。 寝覚の菜好み ( 三十九歳 ) 床を離れる様子もしとやかで、酒も程よく飲み、「お呼 もら さどしまちょう 新町佐渡嶋町の揚屋京屋仁左衛門が自慢の庭の松さえ枝び申せ」と、ほかの揚屋から貰いがかかっても聞捨てにし ないぎ て、客に心残りのないように腰を落ち着け、揚屋の内儀、 折れて、少しは惜しまれる大雪の夜、寒さしのぎに飲んだ いとま 1 」 めりげた 酒が回って、さあ、これからは枕を借りて一寝入と、世之女中たちにもうれしがるほどの暇乞いをして、塗下駄の音 あいかたみふね からかさ そで 介と敵娼の御舟はもぐり込むやいなや、同じ寝姿で一緒に も静かに、さしかけ傘から漏れて袖に降りかかる雪も厭わ いびき あいどこあたらしゃ おうよう 鼾をかきはじめた。相床には新屋の金太夫が槌屋の万作に ず、鷹揚な道中ぶりであった。「どうして京では太夫にし まじわ なかったのだろう」と世之介が言うと、「たいして美しく 聞かれて笑われるのも知らず、客と気持よさそうに情交っ ひたい ているうちに、御舟が額にしわをよせて目を見開き、声あありませんからね」と言うので、「馬鹿だなあ、お前たち。 らく、「弓矢八幡、大事は今、七左様のがしませぬ」と世太夫は器量でなるんじゃないそ」と言いながら、いつまで 之介の左の肩先にかみつき、歯ぎしりして大粒の涙をこば も御舟の帰って行く後ろ姿を見送っていた。やがて、ひと した。世之介はびつくりして、「おれは世之介だよ」と騒り寂しく二階に上がると、下では迎えの遅い女郎たちが茶 巻 ぎ立てると、御舟は夢を覚して、「どうぞ、堪忍してくだ 釜のそばに集って、椀を片づけている女中どもの邪魔をし、 こごぶな 四さい。私の島原での浮名は隠すまでもございません。相手煮凍り鮒の鉢を荒らし、湯の、水のと、休むまもなく口を の丸屋七左衛門殿と夢で会いましたところ、『世間の義理動かし、丸盆を割ってそ知らぬ体でくつつけておいたり、 くるわ まくら っちゃ わん

5. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

いのち のちニ 一味な気持になり。 命ぎりと申しあはせて、初めの程はおもしろく、中程はをかしく、後は気の毒 ニ不都合が重なり。 かさなり、宿よりは前廉の書出し、親方よりはせかるる。死なうならば今なれ三前々からの勘定書を突きつけ られ。 男 代ども、太夫がおもはくを見捨て兼ね、自由にあはれぬ人目をしのび、今すこし 色 四名判官として知られた京都所 好さきにここを通ったあとぞと、その道すぢを行きては帰り、「もしもかかるく司代板倉伊賀守勝重とその子重宗 の訴訟裁断の大要を記した『板倉 やみ ら闇に鬼の落した小判もがな。加賀殿のお言葉ひとつで済む事ぢやに」と、お政要』 ( 別名、板倉伊賀守殿掟覚 書 ) がある。伊賀守の裁きで、拾 おもかげ ちたび もうて甲斐なき欲先だって、まばろしにも面影をみる事千度なり。又いつものった金を正直に届けた者に与えた という話があったのであろう。所 しちさま こよひなかたちうり 六 時分とて太夫しのび出て、「今宵は中立売の竹屋の七様の一座に、紀州の人き司代をはばかって、伊賀殿を加賀 殿と言い替えたか。 ぜひ ちじょにはじめて出合ひ、おもはしからず。きさまの事をあらため、是非にみ五京都一条通の南の通り筋。 六吉千代のなまりか。 そでぐち 七あなたのことをほじくって。 きれとはつらし。これが見かぎらるる物か」と、左の袖ロより手をさし入れ、 〈盛りを思わせる季節はずれの わきばら なみだ さみだれ 脇腹をいたくはつめらず。泪まじりの空五月雨の頃、忘れては盛かと見し蜜柑蜜柑。「忘れては」は和歌用語。用 例が多い。「忘れては春の夜や、 さま ひとつ、我がロ添へし跡ながら、手から手に渡して、「かた様は覚えてか。過花火の盛りを見んと」 ( 諸艶大鑑・ さる みづか ぎにし秋、自らが黒髪をぬかせられ、猿などして遊びし夜は、誰しのぶともな九蜜柑の袋を猿の形にくくる遊 び。 くち くさわぎて、あんま取の休斎が二階より落ちて」とはやロにかたるうちに、 こた よひとがほ 「太夫様は」と声々に尋ねけるこそ、身に応へて悲しく、「あすの夜は人顔の見 かひ まへかどかきだ とりき、つさい 四 一かめ・ みつかん

6. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

おん の中で紅葉狩りを楽しむ風情。 台所は二十畳ほどの板の間と庭 ( 土間 ) になっています。 かま 西鶴さんは、じっと土間の冷えた釜に目を注いで、つぶや きました。 まったけさかな ーー煮えたぎった釜の横で、岩倉の松茸を肴に一杯やり ながら、太夫さんの帰りを待つのも粋なもんですよ。 輪違屋さんを出て歩きはじめた西鶴さんの口から、小声 で唄がもれてきました。 どうすじ 「這入り口をば出口といい、何もないのに胴筋と、下へ しもち・よ・つ・ かみちょう 行くのを上ノ町、上へ行くのを下ノ町、橋もないのに端 やしろ 女郎、社もないのに天神さん、語りもせぬのに太夫さん なにやら昔の俗謡のようです。おもしろい言回し。けど、 うまく島原を説明していますね。 元禄のおもかげを伝える、揚屋町の角屋さんは、残念な がら一般には見せていません。ただし、夜の定期観光バス のコースには組まれているので、そちらで現代の色里、祇 園と一緒に見学することにして、今日は前を素通りです。 あ、気の短い、 西鶴さん、西鶴さん。どこへ行くの。ま だまだ教えてほしいことがいつばいあるのに。呼び止める 間もなく、西鶴さんは足早に横町へ消えてしまいました。 どう すみや きっと新しい小説の構想が浮んだにちがいありません。 ( 随筆家 ) 【メモ】 ・交通 島原口へ ハスⅡ市営バス 京都駅 ( 市内循環 ) ー島原口分 ( 徒歩 5 分 ) 西鶴さんと私のように、駅から歩いても、分ぐらいです。 ・味 サンビーム ( レストラン / 七条大宮東北角 0 七五ー三七一ー三 0 八 0 気軽に入れて、お値段も手ごろです。特製のハンバ グやしそ巻の唐揚など、メニューは全部手づくり、材料も一 よく吟味されています。年中無休。営業時間は午前十一時 半 ~ 午後九時。 笹屋伊織 ( 和菓子 / 七条大宮西入南側 0 七五ー三七一ー一一一三三一 (l) 和 菓子の老舗。特に、毎月二十一日の弘法大師のご命日の前 後三日間に限ってつくられるをどら焼〃が有名。二階は喫 茶室トレド。ウインナ・コーヒーなどがおいしい 利 ( 京漬物 / 七条堀川上ル東側 0 七五ー三六一ー八一全 ) 千枚漬、 すぐき、しば漬、赤かぶら、ゆず大根など、全国的にファ ンの多い京漬物の専門店。年中無休。午前八時半 ~ 午後七 時。 学生のころからの、私のお気に入りのお店ばかり、厳選 しておすすめします。 いおり

7. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

一下着の長襦袢。 様。それは初音様」と申す。春めきて空色の御はだっき、中にはかば繻子にこ ニ切付け模様。今のアップリケ。 はごいたはまゆみ ひどんす ばれ梅のちらし、上は緋緞子に五色のきり付け、羽根・羽子板・破魔弓、玉ひ三男の子への正月の贈物にした おもちゃの弓矢。悪魔払い 男 かず 四 しめなは五 代 かりをかざり、かたには注連縄・ゅづり葉・おもひ葉数をつくし、紫の羽織に四染模様。 五トウダイグサ科の常緑高木。 色 ぬきあし たちき くれなゐくけひば 好紅の絎紐を結びさげ、立木の梅に名をなく鳥をとまらせ、抜足のぬめり譲るという名の縁起をかついで、 葉を飾りに用いる。 き だうちゅう 道中、見てなほ恋をもとむる。「女郎はうは気らしく見えて心のかしこきが上六草木の葉が向い合い、触れ合 っているのを、俗におもい葉とい もの う ( 万葉代匠記 ) 。男女相思のたと 物」と、くつわの又市が申せし。さもあるべし。 えに用いる。 正月二十五日まではもらひもならず、やう / 、二十六日七日を定め、はじめセ鶯。「鶯の初音といふ太夫」に よってい , つ。 をりふしかたさまめな しあは てあいさつ、「折節は方様も目馴れて、どなたかあはせらるる人の仕合せ、よ〈音を立てないように、足を抜 きあげるようにして歩くこと。ぬ との き風なる殿ぶり」と、かしらからいただかせて皆うれしがらせ、こなたから申めり道中は、内八文字や外八文字 で、すべるように道中すること。 あと 九轡。女郎屋の異名。又市は大 す事跡になって、おのづから身のたしなみ出来て、言葉もせまり汗をかきて、 坂新町を創始した木村屋又市 ( 又 きやら 座っきむつかしくなって、酒もでかしだてに飲みて、伽羅も惜しまず焼き捨て、一 ) 。 おおみそか 一 0 正月買いは大晦日から正月三 ふしん 日まで、都合四日揚げることにな 中二階の古きに気をつけ、亭主よび出し、「これでは置かれじ」と普請をうけ っていたが、全盛の太夫なので二 なげぶし したんつぎざを かか一四 あひ、嚊によき物をとらせ、投節うたふ女に紫檀の椄棹をはずみ、太夫手前の + 五日まで引き続いて揚詰めにさ れていて、途中から割り込むこと まへ ができず、の意。 全盛、すこし前かたなるおかた狂ひのやうに見えて、伴ひし金右衛門も気の毒 ふう ぐる さだ じゅす た てまへ じゃう くつわ

8. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

いっぞやの雨の日、珍しく客も来ず、慰もうにもするこ であったが、こんな物を着るとは身のほどを知らぬ奢りで、 ねはんえ もったいない話だ。尾張の伝七も世之介に負けず女郎二十とがない。しかもその日は二月十五日の涅槃会で、新町の せんちゃ もんび 三人の誓紙を継ぎ集めて、これも羽織に仕立て、新町の太紋日であった。内儀は煎茶を入れかえ、野秋のもてなしに、 もちばな のあき 夫野秋を中に互いに男ぶりを競ったが、いずれもその道の桜の咲くのを待たず、柳の枝につけた餅花をむしりとって ほうろく もさ ぜにかね 焙烙で煎り、「お上品をやめて、向こう歯の続く限り食べ 猛者なので、後には銭金の張合いを越えて、一命にも及び かぶろやりて かねぬ有様となった。野秋の身にとってこの二人は、菟名よう」と禿や遣手のひさなどと一緒に遠慮のない内輪話を いくた いおとめ 日処女を争って生田川に身を投げた男たちのようなもので始めた。暮し向きのことまで打ち明けて語り合うようにな ったとき、野秋が、「世之介様、伝七様お二人は車の両輪 ある。どちらが好きで、どちらが嫌いというわけでもない うわさ から、一日おきに会うことにした。昨日の噂を今日言わず、とでも申しましようか、これほどゆかしくいとしく思うの は、おおかた前世の因縁でしよう。このうえの望みには、 今日のことを明日語らず、生れついた利ロ者で、文をやる 体が二つ欲しゅうございます」と人知れぬ涙にむせんで話 にも両方に同じ心を尽し、誓紙もお二人だけにと書いた したこともあった。「この心底では、世間で噂しているよ みごとな捌きである。世の常として、きまって悪い評判を もみじ うな卑しい考えからではない」と、それを聞いた太鼓持の 立て、「野秋は勤めのために、両手に花と紅葉を眺めてい るのだ」と言うが、それはまだ浅瀬を渡っている人の考え清介が、開き直って大一座の中で話したが、なるほどそう ふち くるわ もあろう。 で、この廓の恋の淵の深さを知らぬ人の言うことだ。少し ひきふね その後、三月の二日から三日間の桃の節句の紋日は世之 泳ぎを覚えて、せめては一度でも引舟女郎なりと買ってみ きよくすい 介、三日は曲水の宴を口実に伝七が会う約束をしたので、 るがよい。世之介にしても伝七にしても、どっちか一人に 片づいたところで、五万日でも太夫を揚詰にできかねる男珍しく二人が出会うことになった。このとき二人は話し合 まくら って、野秋を中に三人枕を並べて寝たが、おかしなまねを ではない。といって、何も今更、太夫の肩をもつわけでは みもん するはずもなく、洒落たことばかり、前代未聞の女郎買い うな

9. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

さだ お 隅田川の浅草辺の呼称 はや正月も定まり、年内に御 = 現、台東区駒形の隅田川沿い にある馬頭観音。 とては一日もなし。この方 介 之 一ニ浅茅が原 ( 現、台東区清川二 る丁目 ) 、小塚原 ( 現、荒川区南千住 に年を御取りあそばし、春の一 す 五丁目 ) 、それに吉原で三野。 肘一三日本堤から大門に至る五十間 事になされませい」と申す。 姿道の両側にあった編笠茶屋。 一 0 揚屋町の揚屋尾張屋清十郎 いづれもあきれて、「その敵 の 一五ひょっとして。万一。 尾 高一六揚屋町北側の揚屋桐屋市左衛 は何者ぢや」ときけば、トリ 吉 宅同南側の揚屋蔦屋理右衛門 は木になる物やら海にある物 天忘年会の月である十二月三十 日は私方へお約束。 やらしらぬ人なり。世之介もこの度つかひ捨てがね千両の光などではなか / 、 一九時代は違うが、二代目の万治 くどか 及び難し。十月二日はつの豕の日より話き懸けて、やうやうその月の二十九日高尾 ( 万治二年病死。十九歳 ) に通 った、仙台侯伊達綱宗を想定。 めす ニ 0 延宝八年 ( 一六八 0 ) 十月二日は初 、清十郎、平吉がはたらきにて嘆きすまし、盗みあひと申す事に定めぬ。 の亥の日 ( 丁亥 ) 。吉原の紋日。 からおりたぐ しのべば平吉ばかり御供にて、暮方より帰り姿をみるに、惣鹿子、唐織類ひ、ニ一泣き落して。 七 一三先客の目を盗んで忍び逢い ちが むなだか 帯は胸高にして、身を据ゑてのあし取り、また上方とは違うて目に立たぬ物か = 三腰を据えた八文字の歩き方。 ニ四 巻 ニ四太夫を送迎する下男。 ろくしやく やりて かぶろっ ちかづき は。近付にも言葉を懸けず、禿も対の着物二人引きつれ、遣手、六尺までも御 = 五「山もさらに堂の前に動きい でたるやうになむ見えける」 ( 伊勢 まわ こよひ いろごの やま / 、 もんもみぢ 紋の紅葉、色好みの山々さらに動くがごとし。是非今宵はと待ち侘びて、夜半物語・七 + 七段 ) 。 ひ ニ 0 ねんない 一九 ゐのこひ てき たび いきるもの かみがた そうがのこ よ

10. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

き裂いて、こよりをよって小さな軽籠を作り、湯飲み茶碗しているのを見ると、この世の人とも思われない。まるで あっかん をのせて熱燗の酒をつぎ、ちょっと口をつけてから、そろ見知らない人が節句の回礼に見えたようである。まずご祝 くるわ そろ下へおろしてきた。世之介はその心遣いを感じ、三度儀を述べ、さて今日からは菊の節句で、廓では衣装重ねの のど せつな 行事、これを見物するのは命の洗濯というものだ。世之介 おしいただいて喉をしめしたが、その刹那の楽しさは、い ゅうげしき は濡れに濡れて匂いも深い菊の節句のタ景色を見に、この ついつまでも忘れられないことであろう。半分ほど飲みほ うぐいす・ すだれご つけぎんしようひとふさ して息をつくところへ、長津が漬山椒の一房を、「お肴は新町の廓に来て、鶯の太兵衛方の軒端にかけさせた簾越し にほのかな女郎たちの姿を見た。名も知らぬ鹿恋女郎さえ、 これに」と小声でくれたのも重ね重ねのうれしさであった。 これは、と心のときめくのは、よき日に眺めるゆえんであ その後、長津は二階に世之介を手引して、久都にとりつき、 たかま ろう。まして太夫高間はすぐれて美しく、初めて勤めに出 「かわいらしい坊さん、この胸のつかえをさすって」と、 ふところ る妹女郎を引き連れて、悠々と千里を行くの趣がある。こ うれしがるように手を取って懐へ引き入れ、「そこら、そ れそまことに極楽浄土、揚屋の入口の土間には太夫金吾の の下、まだその下」と、肝心のあたりまで手をやらして、 やりて 久都がときめいているうちに吾妻に思いを晴させ、まこと長持を運び、井筒に出入る遣手までも、光り輝く一歩金 ( 約一万五千円 ) をもらい、機嫌のよい顔つきを見ることだ。 に賢い働きであった。目の見えぬ久都こそ知らぬが仏、あ くけん はだえ また所を替えて九軒町の住吉屋に行き、亭主の四郎右衛門 あ、ありがたい太夫様の黄金の肌とうかうかとさすってい あげまき かぶろ、、 るうちに、お客立たしやりませい、と揚屋の男衆の客を起にどもる軽口を言わせ、総角に付いている禿のるいに好物 の酒を飲ませたりしながら端居して、通る女郎をとらえて す声が聞えてきて、久都もお預けをくわされた。 しまばらあけばの しんまち は一人一人いやがることを言って、たちまち躍起とならせ、 こさかずき 巻新町の夕暮島原の曙 ( 五十五歳 ) いやいやながら腰かけさせて、小盃の数も重なると、「下 あさがみしも 戸でない男前のいい方が好きです」と、吉田という太夫が 浅黄の麻裃に茶小紋の着物、小脇差といういでたちで、 茶屋の亭主がふだんと変っていくらか利ロそうな顔つきを言った。 かるこ さかな いづっ のきば