恋 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男
383件見つかりました。

1. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

り かみなが 髪長を、定めもあへずそこ / 、寝て、何かたるべき恋のもと末もなく、夢もむ一 0 急行用の舟。物見・飛脚用。 一五広島県沼隅半島東南端の港町。 ひょりみ 一六恋を語る手がかり。 すばずありしに、日和見に起され、帆をまく音、酒うる声、さもにはしきちぎ 一セ天候観測の水夫。 一八あかっきなごり 天俳諧用語。「その暁、夜分に り、その夜あうてその暁の名残、しかと顔さへ見しらず、「御縁があらば」と、 ニ 0 非ず。釈教なり。弥勒出世の暁の はなかみいれ とりかぢ あゆみの板をあげて、取舵になほして、はや二三里も出て、世之介鼻紙入取り事なり」 ( 産衣 ) 。 一九岸と船に掛け渡した橋板。 きしゃう のこして、ふかく惜しむをきけば、「花川といへる女に起請を書かせ、指しば = 0 船首を左方に向けること。 ニ一鼻紙袋。鼻紙・小道具入れ。 らせて名書の下を染めさせけるに」と申せば、「油断もなき所にめいよの女郎ニ = 起請誓紙。起請文。 ニ三船縁。船端。 、 ) くら・ ふな たらし」と、舟ばりたたきて大笑ひ、行くに程なく小倉に着きて、朝げしきを = 四着物の茜 ( 暗赤色 ) 裏。 ニ四 一宝当時、上方産の帯地。どし織。 おび あかねうら たけなが もめん ニ六丈長をたたんだ元結。 見るに、木綿かのこのちらしがたに茜裏をふきかへさせ、どしの帯前結びに、 たらい おけ ニ七 毛底の浅い盥形の桶 われ はんぎり ひらもとゆひ 平髻ふとくすべらかしに結びさげ、盤切のあさきをいただきつれて、我から = 《「海人の刈る、藻に住む虫に あらねども、われから濡らす袂か まて いしかれひとりかさ うきも さはら ぬらす袂まくり手にして、浮藻まじりの桜貝・鰆・いとより・馬刀・石鰈取重な」 ( 謡曲・海人 ) 。 ニ九北九州市門司区。小島は未詳。 ねて、大橋をわたりて、おもひ / 、に道いそぐをきけば、「これなんこの所の = 0 「たた」は生魚行商女をいう方 ニ九 言で現存。「じゃう」は女のなまり。 さかなうりだいり 肴売、内裏・小島より出るたたじゃう」と申す。伊勢一一旨葉にややといへり。所三一「やや、伊勢の南方にて母を 然いへり」 ( 俚言集覧 ) 。 ざう さかな によりて替りたる事笑しくて、なほ尋ねければ、いづれにても肴をかへば、草三 = 「草の名も所によりてかはる なり難波の蘆は伊勢の浜荻」 ( 菟玖 履をぬぎて奥座敷にもあがるとかや。浦風のかよひて汐ふくみし脚布も、折節玻集 ) による。 ながき たもと さだ よ 力し ・ ) じま をか 三 0 ニ五 すゑ きやふ をりふし 三ニ

2. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

にしょこまちまは くとみえしが、車屋の黒大にとがめられて、又西の横町へ廻るも笑し。おもは一新町瓢簟町南側の女郎屋車屋 8 庄九郎。木村屋の筋向い ぬ男これほど違ひのある物かと、我がこころのおそろしく、宿より使来て、ゆ = 九軒町の揚屋川口屋彦兵衛。 三取引が終った肥後国 ( 現、熊 男 ついたちさう / 、 本県 ) 八代の米商人たち。肥後米 代きて、朔日早々からのロ舌。 を最上とする西国米は、冬季に上 色 きりやまふしみや ひご やっしろ 好二日は、川口屋にはじめて肥後の八代の衆、一座には八木屋の霧山、伏見屋。てくるので、冬米とい。た。 六 四新町の太夫、桐山。 * 吉川は じゃうるりみちゅき よしかはきよみづ の吉川、清水の利兵衛など参りて、浄瑠璃道行になりて、「東の空はそなたぞ」天神。 * 五大坂新清水の安居天神付近の はりまのじトっ と語り出すより耳おどろかし、我も世之介様を尋ねゆかるる身ならばと、哀れ徳屋という料亭。井上播磨掾の門 に入って、播磨の没後 ( 貞享二年 にもない所にて泪をこばすを、脇より見てはこの恋ゅゑとはしるまじ。床まで没 ) は今播磨といわれた。竹本義 太夫の師。没年未詳。 カレ く、らかり・ もんでうちんなでしこ もなく暮れてそのまま帰るさに、「紋挑灯の瞿麦、今に替らぬかーと闇よりの六七五調で、主人公の心情を季 節的な叙景を通じて語る、浄瑠璃 てんま きき↓つが わるくち に不可欠な一段。 悪口、声聞違へて見もどれば天満の又様、「介様のお帰りの程は」と御尋ね候。 七新町の太夫。 * これも越前殿とはわけあって、二十日にあまってこの里うとくならせられ、南 ^ 道頓堀。芝居町。 九 九若衆方、峰の小曝。 * にて小ざらし憎からずと、毎日これも替りたる御なぐさみそかし。かた様御一 0 若女方の二代目上村吉弥。 * = 七月の盆節句の紋日。桃の節 きちやさま おとと 句と同格 弟ぶんの吉弥様もいよ / 、美しく御入り候。 一ニ「三月三日、泉州堺の浜、住 からっしゃうすけさま すみよしゃ しほひ 三日四日は住吉屋長四郎方へ出候。唐津の庄介様、これは去年の盆をしても吉の塩干、無双の壮観なり」 ( 諸国 年中行事 ) 。 ひろ らひ候客なり。昼の内は住吉の汐干に御行き、桜貝・うっせ貝など手づから拾一三身のない貝殻。「わが恋はあ なみだ くぜっ かた わき しほひ すけさま 四 やぎや あづま をか つかひ とこ さま

3. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

173 巻 からかんやうきゅうしまんぐわんめ 宅『色道大鏡』の「禿名」に「りん す事、唐の咸陽宮に四万貫目持たせても、終には雁門を夜ぬけに近し。 や」とある。白楽天の・林間ニ酒 はっゆき かみこばおりれうさぎは うたぎれよりまささんしゅ 世之介初雪のあした、紙子羽織に了佐極めの手鑑、定家の歌切、頼政が三首ヲ暖メテ紅葉ヲ焼ク」のもじり。 かんよう 一 ^ 秦の始皇帝が咸陽に造った豪 ものそせい ながうた びと 物、素性法師の長歌、その他世々のうた人の筆の跡をつがせて、これを着る事、華な宮殿。この一節は謡曲「咸陽 宮」による。雁門は百余丈の築地 びしう にあけた雁の通い路 身の程しらずもったいなし。尾州の伝七も傾城二十三人の誓紙をつぎ集め、こ 一九古筆了佐。古人の筆跡の鑑定 たがひ のあき ニ四もののち れも羽織にして互に男ぶりをあらそひ、野秋にあひそめ、両方すれ者、後は金家古筆氏の祖。寛文二年 ( 一六六 = ) 没。 ニ五 一一 0 藤原定家真筆の歌書切。 いくたがは げんざんみ 三源三位頼政の和歌三首の草稿。 銀の沙汰にもあらず、命あぶなし。野秋これをおもふに、生田川に身捨てし二 一三平安前期の歌僧。僧正遍照の いちにち 人もこれなるべし。いづれをおもび、いづれをおもふまじきにあらねば、一日子。三十六歌仙の一人。 一一三新町の太夫野関。 * う . はさけふ はさみにあひぬ。きのふの噂を今日いはず、今日の事を明日かたらず、そなは = 0 世慣れた男一 おとめ 一宝蘆屋の菟名日処女の伝説。 りはつじんふみ め・わ : つはう・ さだおとこちめますらお っての利発人、文つかはしけるにも両方同じこころを尽し、起請もおふたりよ竹田男と血沼の丈夫の二人は、生 田川に投身自殺した愛する処女の せじゃう り外はと書きぬ。これ名誉のしなしなり。世上とて必ずあしき評判して、「野跡を追ってともに投身した ( 謡 もとめづか 曲・求塚、大和物語、万葉一八 0 九な もみぢなが ~ 秋は勤めのために両の手に花と紅葉を詠めつる物」といへり。これは浅瀬をわど ) 。 ニ ^ ニ九 一宍一日おきに。 こひふち みづごころ ひとたびひきふね 毛まだ遊びの味を知らない人。 たる人、この里の恋の淵をしらず。水心覚えて、せめては一度引舟に取りつき 三 0 夭遊びの味を覚えて。 ひと しまさら たまへかし。独りにかたづけ、五万日にても勤めかぬべき男にはあらず。今更ニ九引舟女郎。太夫付きの鹿恋女 郎浅瀬・淵・泳ぎ・引舟は縁語。 三 0 二人のうち一人に決めても。 太夫様の事取持って申すにはあらず。 さた とりも ほか けいせい つひ てかがみていか がんもんよ きしゃう ニ七

4. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

51 巻 な′」り ′」わうさいだい ごおうほういん 一 0 東大寺一一月堂で出す牛王法印 名残とて、二月堂の牛王、西大 ( 護符 ) 。悪疫除け。 つか ぶ 一一西大寺で製造販売した気付薬 寺、こころを付けて遣はし侍 はうしんたん 遊 で の豊心丹。 てき 三客・遊女ともに、相方を敵と る。てきも笑しき奴にて、「古 お、一り ・辻一 = マラリヤ性の熱病。その発作 里の山の神見て瘧ふるうたら おき、亠まること を「ふるう」といし 訪を「落ちる」という。 ば、これにて落すべし」と笑う を 良 奈 て、立ちざまに亭主をよび出 で 用 そう ぢゅう一四 商 一四遊び方。 し、「惣じてこの中のしなし、 物をもっかはず。おそらく今といふ今、粋になったと存ずる」と申せば、宿屋一 = 世情や人情に通じて老巧にな ること。粋人。 笑しき者にて、「まだたらぬ所があり。まことの粋はここへまゐらず、内にて よそ 小判をようで居まする」と申せば、一座、「これはもっともといふを余所な よ たがひ がら聞くに、 かかる所にもすれものありやと、夜も明くれば互に別れ、恋にの 一六自家の商標を縫い入れるので こる所ありて、重ねて宿によびよせ、近江にさらしの縫ひじるしなどさせてかあろう。 0 奈良の廓のローカル・カラーが せいし ばん 。いがられ、にくからずかための誓紙、うるし亊のくちぬまでとそいのりける。ューモラスに描かれる。 さと をか をか やっ ふる

5. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

171 巻 たたみ つけ、障子をあけて畳の上へ廻 らるるこそ、一代の大事ここな れうじ り。小兵衛も聊爾申してはと、 しばしこれをだまりぬ。世之介 いたじき も二の足を踏みて、かの板敷あ ゅめどもならざりし。されども 一六言いそびれて。 出しおくれてゐるうちに、吉田 ぢゅう 一セ 方より申し出して、「この中の御仕方、惣じてよめぬ事のみ。はじめよりあカ宅腑に落ちないことばかり。 一 ^ わたしがあなたを飽きるまで。 った のち 一九「御げん」は御見参の略。もう るるまでとの御伝へ、なるほど今日ぎりにあきました。御げんも今より後は」 お目にかかりますまい ニ 0 と申し捨て、おもての見世に出、犬にさんたさせてあそばるるこそすこしは憎ニ 0 大が前足を上げて立っ芸。賛 嘆 ( 両手をあげてほめる姿勢 ) の約 、し。両人ぜひなく、屁はかづきながら論はうらをかかれ、さらばともいはずにという説がよい。俗に「ちんちん」 ンい , っ 立ちかへる。「世之介、小兵衛よからぬしなし」と、この沙汰あって、望みのニ一ひっかけられた上に。 一三もつばら廓中の評判となって。 つひ 太夫も終にはあはざりき。 ニ三天神や鹿恋など下位の女郎や すゑ \ ざとうやりて しげいち - 吉田この事をつつまず、末々の女郎、宿屋の内儀、重都といふ座頭、遣手ま揚屋の女房。 へ しかたそう 一九 さた ゝ吉田に難癖をつけ裏をかかれる世之介一行。 一四うかつなこと。 一五ためらって。

6. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

219 巻八 ながら見えますによって、先 さまの人、憎さもにくし、あ あ んな男に逢うてとらしまし よこで た」といふ。世之介横手をう って、「何をか隠すべし。京 よりそればかりにあれは下り ける」と申す。その跡色々く どきても逢はず。心にくき女これなり。 を 0 人もなげな大尽のいたずらの、 め 鼻をあかす名妓の心意気。 を 文 証 任 を 身 = 最後の一杯の酒が足りなかっ 呆たために、島原で豪遊することに なった、との意。 三京都室町通二、三条付近には、 諸家出入りの呉服所や呉服問屋が 多かった ( 万買物調方記 ) 。 一三御影供は真言宗で弘法大師の 真影を供養する法会の称で、毎年 大師の亡くなった三月二十一日に こひぎと いつ・い 行う。特に大師を開祖とする、島 一盃たらいで恋里 原に近い八条大宮西入ルの東寺の それは盛大であった。島原の紋日。 のち むろまち 難波男呉服物ととのヘにのばりて室町にありしが、「それより後は」と世之一四世話役。 一五東寺の総門である四ッ塚街道 と、つじ みえいく に面した南大門の、東の築地にあ 介かたへ尋ねけるに、「けふは東寺の御影供、いざ」と誘引ひける。その日の る穴門で、破戒僧の追放や死人を ちくしゃうもんほとり きちすけ おでいり 運び出すときにだけ開閉した。 亭主は御出入申す紙屋の吉介、五人前をこしらへ、畜生門の辺に幕うたせて、 なにはをとこ さき さそ 一 0 賭をしかけた人。

7. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

157 巻 手をにぎらせ、八百屋五郎八ま でも一一一一口葉をよろこばせ、ただこ の女郎の人をすてずにまことな るこころを思ひ合せ、はじめの たかごゑ 程は高声せしが、いっとなく静 なみだ かになりて、いづれか泪をこば さぬはなし。人に笑しがられ、 一五本職としている。 人に笑はるるをほんとする伝八も、この太夫様にはとなづみぬ。 これを聞くにその座にたまり兼ねて、作りわづらひして人より先に帰り、お一六仮病をつかって。 宅「人目忍ぶの通ひ路の、月に 一七よ もふ程を書きくどきて、よすがを求めつかはしける。雨の夜風の夜、雪の道をも行く闇にも行く、雨の夜も風の しぐれ 夜も、木の葉の時雨雪深し」 ( 謡曲 みさだ 六もわけて、この恋かなふまでと通へば、心の程を見定め、その年の十二月二十・卒都婆小町 ) による。 天歳末多忙であるうえに新町の あげや 一九ないしよう もんび 五日、さも忙しき折ふし、「けふこそしのべーとの御内証、さる揚屋にいつよ紋日。紋日は、女郎がどうしても 客をとらねばならぬ日 ( 色道大鏡 ) 。 うれ りははやく御出あって待ち給ふこそ嬉しく、上する女に心をあはせ、小座敷に一九内々の便り。 ニ 0 座敷働きの女中。下女に対す。 おばめ ニ一激しい寒さなのに。 入りて語りぬ。いかが思し召しけん、火燵の火を消させて、折柄のはげしきに、 おいで やほや をか こたっ 0 かみ 0 をりからニ一 , ) ざしき 忍び会った世之介をこたつに隠すタ霧。 一四優しい言葉をかけて。 やみ

8. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

先に懸って果つれば、このうき なキ ) け 目は見ず。御情にて御とめあそ ばし、なほ思ひは胸にせまり、 くわたく こころの鬼骨を砕き、火宅のく なみだ るしみも今ぞ」と、こばるる泪 そでかか ゆだま 袖に懸れば湯玉のごとし。「さ ては誰をか恋ひたまふ」とい おんおもかげ ふ。「問はれてつらし。毎日芝居にて御面影をがみ、楽屋帰りの御跡にしのび、 かどぐちたたず おんくわい 御門口に彳み、御声をきく時、死に入る事いくたびか。けふは東山への御会と 一セ ひま 一六役者の草履取り。大形で丈夫 金剛どもひそめくを聞きて、今一度拝し、首くくりて浮世の隙を明けむと、こ な草履を金剛草履というのにちな こずゑ ふびん 五れなる梢にのばり、しかも御言葉をかはす事、思ひは残さじ。不便におばしめんだ呼称。 宅ひそひそ話をしているのを。 じゅず 天この世をおさらばしようと。 されば、なき跡にて一ペんの御廻向」と、水晶の珠数を捨つる。「さてこそ思 巻 一九一片。少しばかりの意。 かか ひ合せ候事。わたくしもこころに懸ればこそ、あやしめる人をとどめてこれま いちねん すてお で尋ね候、一念通ふこそうれしけれ。いかでそのままそのこころざしを捨置く め - 了れがう カカ 1 」ゑかう ど がくや あと 霊山の懸崖造りの座敷で歌舞伎若衆と遊ぶ。 一四煩悩に責められて。 一五衆苦の充満した現世を、火災 の家にたとえた仏教語。

9. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

61 巻 だけ 竹のわたし、とびざやの脚布、糠ぶくろ懸けてありしはくせものなり。兼好が一五底の抜けた篩の修繕屋。 ニ 0 一六托鋼の乞食坊主。 いのちめすびと 見たらば、命盗人と申すべき婆々あり。それが娘にはおとなしく、物もかくと宅手品曲芸師。 一〈食うや食わずの有様。 やど すずりばこっ みえて硯箱、釣りお前の下にくくり枕、第一目にかかる物ぞかし。宿に似合は一九飛紗綾。斜紋絹物で、斜紋線 を交差し、稲妻形としたもの。脚 おほまないた ぬ大俎板、つぶれ懸りてもかな色あり。昔はかくはあらざらぬ者のはてなるべ布は腰巻 はぢ ニ 0 「命長ければ辱多し。長くと いりむ・一をぐり よそぢ も四十に足らぬほどにて死なんこ しと、いな所に気を付けて、世之介是非に入聟、小栗もいにしへにあらす。 そ、めやすかるべけれ」 ( 徒然草・ 七段 ) 。 ニ一絵像で掛軸に仕立てた持仏。 一三両端をくくった坊主枕 しんちゅうすず ニ三真鍮や錫製の銚子など。 おぐり ひたち ニ四常陸国 ( 現、茨城県 ) 小栗の城 主小栗判官が、相模国 ( 現、神奈 てるて 川県 ) 横山の郡司の娘照手姫に恋 して押しかけ婿となったが、その 夜、郡司に毒殺された話。説経浄 瑠璃「小栗判官」がある。 0 難波に舞いもどった世之介。私 娼の入婿に身を落す。 かか まへ きやふ めか ぜひ まくら か め ニ四 けーれかう・ ふるい

10. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

なさけ 巻八あらまし いわしみずはちまん らく寝の車 ( 五十六歳 ) 正月十八日の夜、石清水八幡へ厄払いに参りたいという七人の太鼓持の願いにまかせ、鳥羽に帰 る牛車三両を借り切って島原を出かけ、太夫たちへの土産に一個銀五匁 ( 約五千円 ) の金銀でまぶしたまんじゅう九百 個を注文する。 情のかけろく ( 五十七歳 ) 京都の大尽が、私なら初対面から振られますまいという少し足りない男を、賭ずくで江戸吉原 こむらさき へ送りこんだことを知った太夫小紫は身をまかせ、証文まで書いてやる。面白がって付いていった世之介が口説いても、 ト紫は逢わなかった。 もんび こひぎと 一盃たらいで恋里 ( 五十八歳 ) 呉服物を仕入れに上京した友人を島原へ案内したが、あいにく紋日で出払って太夫は一人 よしギ、き もいなかった。ちょうど水揚 ( 初見世 ) の吉崎という太夫がいたので、定めの通り盛大な儀式を行って、友人のために揚 げる。 都の姿人形 ( 五十九歳 ) 世之介は、まだ一見しない長崎の丸山遊廓に見物に出かける。中国人やオランダ人をも客とす る、海外貿易港の廓は、万事、様子が変って珍しく、揚屋には常舞台があって、女郎が能楽を演ずるのだった。 よしいろまる とこせめだうぐ 床の責道具 ( 六十歳 ) 世之介もすでに六十歳、定まる妻子もなく、国内の遊女町も見尽した今、親友六人を誘って好色丸 によご を仕立て、ありとあらゆる強精剤や性器具などを積み込んで、本書刊行年月と同じ天和二年十月に伊豆国から女護の島へ と船出した。 いつばい