恋 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男
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1. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

と頃吉野の花にも見まさり、全盛の春を咲き誇った大坂新 平吉もかせ山という女郎と、しつばりとした床入りであっ でわのくにしようない わしゅう このむら た。しばらくすると高尾がいそいそとやって来て、「私よ町木村屋抱えの太夫和州であった。出羽国庄内へ商いに下 り先へは寝させません」と世之介を引き起し、平吉、かせり、米など買い込んで大坂への便船の回り遠いことをもど なぞ ふとん かしがっている世之介へ、三月三十日間の部厚な日記を送 山の恋の邪魔をして呼び寄せ、皆蒲団の上にあげて、謎な さと ってきたのであった。この廓のことはひとしお懐かしいも どかけてたわいもなく、「これもおもしろくない」と、か のをと、封を切って読みはじめた。「夜明けとともに見え せ山、平吉をそれそれ床に帰し、その後、「帯を解いてお たお客は、中の島の塩屋宇右衛門の手代で、昼は暇のない やすみなさいませ」と言われたが、けおされて帯が解けな すると高尾は、「それでは私の志が無になるというも身なので高嶋屋で会いました。親方のうちで休んでいます の、初めのうちは蒲団も冷えていますので、用もない二人と、前夜の勤めの疲れが出て、お便りの紙筆を持ちながら、 いつのまにかくたびれて横になり、あなた様のことを、ま をわざわざ呼んで温めさせましたかいもありませぬ」と言 ざまざとよい夢を見かかっていましたのに、惜しいことに って上手に帯を解かせ、じかに肌をゆるして、「また近々 格子をたたく音に起され、ほんとに憎らしゅうございまし にお目にかかることもできますまい、御心まかせに」と、 おうせ た。しばらく返事もせずにいますと、しきりに音ずれる声 初めての逢瀬には格別のもてなし、世に二人とはあるまい やちょ に寝坊の八千代まで目を覚し、『もうし、もうし』と呼び 太夫である。 しょわけひちょう 継がれて是非なく起きだし、『行水を取れ』と言いつけま 七諸分の日帳 ( 五十三歳 ) した。迎えの男は身支度ができるまでは待たず、ぶりぶり しながら出ていったと思うと、車屋の黒犬に吠えられて、 女郎にとってうれしいものは、その日の客の早帰り、間 〕ぶなかど わざわざ西の横町へ回ったのはいい気味でした。思う男と 夫と中戸で忍び会っての別れ、やかましい遣手がわずらっ ているうち、客から届く現金入りの嵩だかな手紙などであ思わぬ男とではこれほどの違いのあるものかと、わが心な がら空恐ろしく思われました。そこへまた揚屋からの使い る。さて世之介がうれしく読んだ嵩だかな手紙の主は、ひ かさ

2. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

311 巻七 は、ほら、例のあすこの太夫から来たのじゃないか」と言 人のしらぬわたくし銀 ( 五十一歳 ) う。「どうしてこのわけを知っているんだ、白状しろ」と 「もしもし、まずお戻りなさいまし」と、高嶋屋の女中に 言うと、「いや、その女郎ならそんなに喜ぶには当らない。 呼びかけられて、何の用かと振り返ると、「さる御方から」というのはお前さんに限らず、この頃も半太夫様のお客や あてな ふところ つぶみ と、宛名も書いてない手紙を一本懐に押し込み、わけも薩摩様のお客にそのとおり付け文して、人の客を横取りす あらて 言わずに逃げていく。心当りもないのだが、かねて高嶋屋るのが近頃の新手なんです。その心根のいやなところは、 なかだち もんび の滝川を恋している者があって、自分がその媒をして返事さらさら恋でなく、紋日を欠かさず勤めてくれるほどの大 を待っていたので、それではないかと、家まで帰って見る尽ばかりに目をつけてのやり口なんです。男ぶりなどにか じゅんけい つじあんどん のももどかしく、順慶町の辻行灯に立ち寄って開いて見た まわないという証拠には、河内の庄屋に鼻のない客がある 、腑に落ちぬところがある。よくよく読んでみると、滝のですが、それにも付け文して、この三年が間の身揚りの 川の一件の返事ではなく、さる太夫が自分にそっこん惚れ借銭から、掛買いの借金まで払わせたあげく、しばらくは たといって、うっとりするほど書き口説いてあった。いい 目をつぶって抱かれて寝ていたが、やがて、『顔が気にく 気になった世之介が、連れに向って、「これ見たか、こっ わぬ』と無理難題を吹っかけられ、庄屋殿は仕方なく、 ちから口説いても不首尾に終ることがあるのに、先方から『それが今になって目につきましたか。何やかやもらって もちかけというやっさ。しかも、さる太夫様からだ。世間 おきながら、あんまりひどい仕打でござる。私の変らない しるし に若い者は多いというのに、お見立てにあずかったのは、 真心の印には、遣手に小麦をやれといわれたによって、真 あっぴん おれの上品な厚鬢のせいだろう。世之介にあやかれ」とあ搗きにして二俵まで、今日も運ばせ、親たちのほうに綿が ちり りがたがらせると、「合点がいかぬ」とせせら笑っている。 いるとあれば、塵までよらして百斤 ( 約六〇ハラ ?) も四、五 うそ ほしかぶらうりなすび てんま 躍起になって、「お前に嘘を言うものか、これを見ろ」と 日前に差し上げ、干蕪、瓜、茄子までも、遠い天満の果て 手紙を突きつけると、「なあに見るまでもない。その手紙まで仕送りを続けて、こなたの気に入るように努めたもの がね さつま やりて かわち

3. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

つく所もあり。脇顔うつくしく、鼻すぢも指し通って、気の毒はその穴、くろ一「黒うても堪忍してみる物、 翁の面、朝妻が鼻の穴」 ( 好色盛衰 きやしゃ すす き事煤はきの手伝ひかとおもはる。されども花車がっておとなしく、すこしす記・三の一 ) 。 ニ上品ぶって。 男 三「するどに」のなまりという解 代んどにみゆる時もあり。いづれか太夫にしていやとはいはじ。 釈に従いたし 色 おんけいせい たぐひ ゃないはんじゃうかみよ 好朔日より晦日までの勤め、屋内繁昌の神代このかた、又類なき御傾城の鏡、四福の神と神代をかけた。 五亀鑑。手本。鏡・姿をみるは ぢがほすあしじんじゃう六 ゅ 姿をみるまでもなし、髪を結ふまでもなし、地顔素足の尋常、はづれゆたかに縁語。 六爪はずれ。手足の指。 かっかう オセ肉づきがよく。 ほそく、なり恰好しとやかに、ししのって眼ざしぬからず、物ごしよく、は。こ ^ 音声。 とこじゃうず へ雪をあらそひ、床上手にして、名誉の好にて、命をとる所あって、あかず酒 さみせん うた 飲みて、歌に声よく、琴の弾手、三味線は得もの、一座のこなし、文づらけ高九文章は品がよくて。 ながぶん く長文の書きて、物をもらはず、物を惜しまず、情ふかくて手くだの名人、一 0 手管。恋の駆引。 ゅふぎり いちど 「これは誰が事」と申せば、五人一度に、「タ霧より外に、日本広しと申せども、 = 新町の太夫。 * そろ つれも情にあづかりし過ぎにし事ど この君 / 、」と、ロを揃へて誉めける。い。 も語るに、あるは命を捨つる程になれば、道理を詰めて遠ざかり、名の立ちか れうけん かれば了簡してやめさせ、つのれば義理をつめて見ばなし、身おもふ人には世三よく話し合って廓通いをやめ させ。 うをや がてん いけん の事を異見し、女房のある男にはうらむべき程を合点させ、魚屋の長兵衛にも一三体面を重んずる人には。 ついたち っ′ ) もり わきがほ ひきて すき まなこ み 五 だか

4. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

151 巻 段 ) を踏まえての昔三笠・袖の橘 である。 ふろ・さい ニ太夫にふさわしい風采。 そでたちばな 三親方の家から揚屋へ行く途中 喰ひさして袖の橘 の行装をいう。 すし すし 四「すし・ : 酸也、又鮨也。な いしゃう なさけ 情あって大気に生れつき、風俗太夫職にそなはって、衣裳よくきこなし、道れ過ぎたるといふ心也」 ( 色道大 五 鏡 ) 。 はギ・ まれ 中たいていに替り、すこしすしに見えて、幅のなき男はおそれてあふ事稀なり。玉威勢のない男。 なじみ 六馴染になってみると。 取入りてはよき事おほき人にして、座配にぎやかに床しめやかに、名誉おもひセ座持ち。一座のき。 ^ 目立たぬように事を運んで。 九やりとりをしない盃をやる。 を残させ、別るるよりはや重ねてあふまでの日を、いづれの敵にも待ち兼ねさ 酒を飲ませてやる。 九 あらし めしつ せ、召連れの者、駕籠までも、嵐ふく夜はわざとならぬ首尾に仕懸けて、さし一 0 太夫の思いやりはこれで十分 下々の者へ通じるというものだ。 さかづき一 0 捨ての盃、御こころざしはこれでもった。太鼓女郎にも大方なるわけは見ゆる = 座持ち女郎。位は鹿恋。 一ニ揚屋の若い衆。女郎が廓内の やりて やど はっと し、宿の男などとの事は、末に名の立つをひそかにしめし、遣手が欲ばかりの男と情を通ずることは法度であっ よふけ かぶろ 六算用もきかず、いやしき物は手にもたず、禿が眠るをもしからず、「夜更過ぐ一 = 金銭。 一四悪賢いわけ。世之介を情人と して忍びあっていた。 るまで用の事ありてあのはず」と、よろづよしなに申しなしてはよろこばせ、 一五借金のため一定の揚屋で逢う こともできず。 太夫様の事ならばと、常々思はせて置き、黠しき子細ありける。 一六島原揚屋町西側の揚屋三文字 みかさ 一五さだ 世之介はその年より宿も定めず、権左衛門方にて、三笠にあひそめ、何事も屋権左衛門 ( 色道大鏡 ) 。 とりい たいき かご たいふしよく ぎはい よ ^ こギ、か かた しさい とこ しゅびしか おほかた てき

5. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

由 ( 屋号灰屋 ) の養子となる。寛永 八年 ( 一六三一 ) 八月、吉野を妻とす。 元禄四年 ( 一六九一 ) 十一月没。八十二 のちさま 歳。吉野 * 後は様付けて呼ぶ せをもり 三「人しれぬわが通ひ路の関守 はよひょひごとにうちも寝なな よ よしのしで 都をば花なき里になしにけり、吉野は死出の山にうっして、とある人の詠めむ」 ( 伊勢物語・五段 ) 。 四銀五十三匁 ( 約五万三千円 ) は たいふぜんだいみもん 六条三筋町時代の太夫の揚代。 り。なき跡まで名を残せし太夫、前代未聞の遊女なり。いづれをひとつあしき 五楚王が宋を攻めた際、魯般に なさけ 雲梯という長い梯子を作らせたと と申すべき所なし。情第一深し。 えなんじ いう故事 ( 淮南子 ) による。普通、 こがたなかぢでし どほりするがのかみきんつな ここに七条通に、駿河守金綱と申す小刀鍛冶の弟子、吉野を見初めて、人し「雲に梯」といえば、及ばぬことの たとえであるが、ここはそれさえ ) ) さん せきもりよひ / 、ごと もない、との意。 れぬ我が恋の関守は宵々毎の仕事に打ちて、五十三日に五十三本、五三のあた いつはり 六「偽のなき世なりけり神無月 そでしぐれ ひをためて、いっその時節を待てども、魯般が雲のよすがもなく、袖の時雨はたが誠よりしぐれそめけむ」 ( 続後 拾遺・冬定家 ) 。 ふいごまつり 神かけて、こればかりは偽なし。吹革祭の夕暮に立ちしのび、「及ぶ事のおよセ十一月八日、稲荷神社の御火 たき 焼 ( 火祭 ) の日、鍛冶・金銀細工の くちを もの ふいご 職人は鞴に供え物をして祝い、一 五ばざるは」と、「身の程いと口惜し」と嘆くを、ある者太夫にしらせければ、 日休む。 ふびん ひそ 「その心入れ不便」と偸かに呼び入れ、こころの程を語らせけるに、身をふる ^ 金さえあれば自由になるはず 巻 の女なのに、太夫は身分の卑しい なみだ はして前後を忘れ、うそよごれたる顔より泪をこばし、「この有難き御事いつ者と逢ってはならないという廓の 掟のために、逢うことのできない たもと の世にか。年頃の願ひもこれまで」と、座をたって逃げてゆくを、袂引きとど卑しい分際が悔しいと。 ろはん みそ 四 はいや

6. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

好色代男 88 しゃ れて、「お年は」と問へば、うそなしに今年二十一社、茂りたる森はおもひ葉一二十一歳と二十一末社をかけ る。「麓に山王二十一社、茂りた るす る峰は八王寺」 ( 謡曲・兼平 ) 。 となり、世之介二十七の十月、「神のお留守、きく人もなきぞ」とさまみ、く ニ男女相愛のたとえ。 三十月は神無月。この月に日本 一どきて、それより常陸の国鹿島に伴ひ行きて、その身も神職となって、国々 国じゅうの諸神が出雲の大社に集 所々に廻る。 り、男女の縁を結ぶという ( 俗説 ごめん 水戸の本町に入りて、「これやこなたへ御免なりましよ。過ぎつる二十五日四茨城県鹿島郡鹿島町の鹿島神 宮。 くぜってんじん ごふくりふ こひかぜ 五水戸市の下町の大通り。 のロ舌、天神にまけさせられ、大じん御腹立あって、すなはち恋風をふかせ、 六毎月二十五日は天神の縁日。 はたち なき、け 十七より二十までの情しらすの娘、りんきつよき女房を取りころさんとの御事天神を太夫の次位の天神 ( 遊女 ) に 見立てた。 ふみへんじ なり。こはい事かな。これおそろしおもはば、文の返事もしたり、こころを懸セ天照大神の略。大尽客に見立 てた。 くる男によろこばせたがよい」と、わけもきこえぬ事どもをふれて、「さてこ おしおき さだ の所のなぐさみ物は」と尋ねければ、御仕置かたく、 定めての遊女といふ事も〈お上のお米蔵の摺り。 九下女。 さび おくらもみひき 一 0 簡単になびくのは、ろくな女 なくて、物の淋しきあしたは、御蔵の籾挽とて、やとはるる女のあるぞかし。 ではない げすひま やしきまち これは人のつかひ下主、隙の時はつかはしける。数百人っれだうて屋敷町を行 = 馴染の男。 三渋皮のむけた。垢ぬけした。 そで がてん く。その中によきもの見立てて、袖をひけども合点せず。なるはいやかたぎな一三江戸産の化粧水。↓五七ハー注 ちいん り。しをらしき女は大方知音ありてそこにたよりぬ。所々にそれ / 、の恋はあ一四のひき賃一日分。約五百四 みと 九 ひたち 四 かしま す 六 かみ かんなづき

7. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

好色代男 72 は興あり。 しもせき ある日、伴ひし人と棚もなき舟飛ぶがごとく礒をおさせて、下の関いなり町一船縁に棚板のない小舟。 ニ下関の廓、稲荷町。秀吉時代 とりみだ かみがた 一に行きて詠めやるに、女郎は上方のしなしあって取乱さず、髪さげながら大方に始る。初期はともかく、太夫は かこい なく、天神・小天神・鹿恋を上級 はうち懸け、物いふにすこしなまる所なほよし。今のはやり物、長崎屋のにな妓とした ( 色道大鏡 ) 。 三上方風のところがあって。 ゑっちゅう ふちなみ 、茶屋の越中、たばこ屋の藤浪、かからばこの三人、太夫の中にも外はなく「傾城の風儀よき事、西国第一な り」 ( 色道大鏡 ) 。 さんば あげや ひごろだいじん て尋常なり。内証きけば三八と申し侍る。揚屋町に行けば、日来の大臣よろし四揚代はいくらだときくと。三 八は銀三十八匁。約三万八千円。 ないぎ くさばき置かるるとみえて、大座敷わたし、亭主、内儀が、入れ替りけいはく五明け渡し。通し。 六お世辞。 はなし 数を尽し、「上方のお客さまに何をか、ひなびたる事をも咄の種に」などと申セ敵娼。あいかた。 ^ さされた盃をおさえて、相手 に盃を重ねさせること。 す。 九酒宴の座持ちがきちょうめん とやかくの内に、一所におてきござって、銚子もうごき出ける。いまだ古風である。 一 0 「まはる男の気にちがはじ 一か ぜん かたち やめず、一度々々におさへて、酒ぶりかたし。膳をすゆる事たび / 、にしてやと、女のかたよりしたがふ貌なり。 たとへば、風車の風にまかせてく さみせん る / / 、とまはるやうに、男の、いに かまし。これを馳走とおもへばなり。無理まじりに、歌の三味線の、ただやか したがふなるべし」 ( 色道大鏡 ) 。 ましくなって取りじめなく、おのづからかうした座配にし。女郎寝てまはせば、「まはす」は、その他動詞。 = 女郎は馴染客の友達とは逢わ 男は酔ひて前後をしらず。何かたると思へば、友どちにあふ事のせんさく、そないのが当時の廓の作法。 カ 四 ちそう たな ふね はべ てうし ぎはいいそが ほか 六 一 0 おほかた

8. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

巻三あらまし かどづけうたいや やわた 恋の捨銀 ( 二十一歳 ) 私娼の亭主役も長くは続かず、門付の謡屋となってさまよう世之介。山城の八幡町で金持の楽隠居 の目にとまり、その取巻となって、京都へ妾を抱えに出かけ、妾奉公人の風俗を知る。 そで * 一か′よ・つり 袖の海の肴売 ( 二十二歳 ) 男山八幡の祭礼見物に、九州の小倉からやってきた人に誘われて、世之介は初めて九州へ下 びんご る。途中、備後の鞆の津で遊んだりしたあげく、地方の廓としては格式のある下関稲荷町を見学する。 きるもの 是非もらひ着物 ( 二十三歳 ) 色事で九州もしくじり、大坂に舞いもどった世之介は、問屋で諸国の客の伽をするかたわ はすはおんな ら、出合宿に男を誘って小遣を稼ぐ蓮葉女にうつつを抜かす。 まくらもの おおみそか くらまでら 一夜の枕物ぐるひ ( 二十四歳 ) 大晦日の借金取りを居留守で切り抜けて新春を迎えた世之介は、ある人に誘われて鞍馬寺 うたがき に福詣でに出かけた帰途、古代の歌垣そのままの大原のざこ寝を見物し、老婆に化けて難を避けようとしていた美女と仲 よくなる。 しゆらい いずもぎき 集礼は五匁の外 ( 二十五歳 ) 大原の女との同棲生活も半年で御破算となった世之介は、佐渡の金山を目ざして出雲崎まで てらどまり やってきて、船宿の亭主の案内で寺泊の廓に遊ぶ。翌朝、銭六百文 ( 約九千円 ) の祝儀をばらまくと、船端まで送ってき た女郎が、あなたは日本の地に居つかぬ人じゃ、と言った。 もめんぬのこ 木綿布子もかりの世 ( 二十六歳 ) 佐渡も不景気で暮せなくなった世之介は、魚売りとなって酒田港に辿り着いた。ここに よたか は、上方の蓮葉女にあたる「しやく」という私娼や、「かんびよう」という夜鷹がいて、あさましい世渡りをしていた。 かまばら くぜっことふれ ロ舌の事触 ( 二十七歳 ) 竈祓いの巫女と馴染んだのがきっかけで、鹿島神宮の神主に化けて辿り着いた塩竈明神で、主あ かたこびんそ ゆだて る湯立の巫女を強姦しそこね、掟通り片小鬢を剃られて追放される。 すてがわ はか おきて たど とぎ

9. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

ひらかたくずは よどがわ うたい すてがね の謡うたいとなって、淀川べりを交野、枚方、葛葉と流れ やまと 恋の捨銀 ( 二十一歳 ) 歩き、橋本に泊ると、大和の猿回しや西の宮の傀儡師、さ きつね うたねんぶつ ひぐら はかまかたぎめ ては日暮しの歌念仏のような類の宿なので、皆同じ穴の狐、 世間づきあいをしていると、礼装の袴だの肩衣だのと、 ゅ みだしな さまざまに素姓を隠して化けたものばかりである。この宿 なにかにつけて面倒だ。男の身嗜みとして毎朝髪を結わせ うりわかしゆいろびく じっとくすがた ていはっ も売若衆、色比丘尼などの集り場所なので、昼間稼いだ金 るのも厄介なので、剃髪して直綴姿になり、昔は戸主とし を夜になるとはたいてしまい、後に残った商売道具の古扇 て世帯を張っていたものだが、今こそ楽隠居の身となり、 ほう・じしム、つ あみがさ ぎんまい ふもとやわた と古編笠だけを身につけて、男山の麓の放生川を渡り、柴 男山の麓の八幡町の柴の座という所で、したい三昧に暮し たけむら ときわ うちぐら やしき の座に近い常盤町にはいると、とある竹叢の奥にちらりと ている。邸の東に三十万両 ( 約百八十億円 ) の小判の内蔵を てらこし・よう・ ふすま 造らせ、西の銀の間の襖には春画を描かせ、都から美女を寺小姓の姿が見えた。「ここはどういう所だ」と土地の人 すずし はだかずもう にきくと、「お歴々の遊び所だ」と答えた。それでは謡は 多数取り寄せ、誰はばからず裸相撲をとらせ、生絹の腰巻 はだ をさせて白い肌が陰毛までも透けて見える趣向、無礼講と堅苦しいと思ったので、ぐっとくだけて、「我ふり捨てて」 し ろうさい わかさおばま と、一調子あげて弄斎の一曲を、名人忠兵衛の歌い口で枝 はこれをいうのであろう。この人はもと若狭の小浜の人で、 おりど つるが 巻 北国筋の船着きの女をはじめ、敦賀の遊女まで残らず見尽折戸から声を惜しまず歌った。耳のこえた人が聞きつけて、 「ただの歌じゃない。様子を」と言われて出て見ると、公 5 して、今、上方に住んでいるのである。 おもざし おとしだね げ 世之介は勘当の身となり、頼る先もないままに、門づけ卿の落胤かと思われる上品な面貌であった。 ぎんま たぐい かたの かせ

10. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

231 巻 て 寺、んギ一 かずらき いよいよ情が積り、夢介はその頃とりわけ全盛の太夫葛城、 みうけ かおるさんせき けした所が恋のはじまり ( 七歳 ) 薫、三タの三人を、それそれ身請して、嵯峨や東山のほと り、または藤の森などに人知れず囲い、契りを重ねている 桜もすぐ散ってしまって嘆きの種だし、月も限りがあっ よのすけ うちに、その中の一人の腹から生れた子を、世之介と名づ て山の端にはいってしまう。そんなはかない眺めよりもと、 によしよくなんしよくふたみち 限りのない、女色・男色の二道に打ち込んで、夢介と替名けた。はっきり書くまでもない。すでにご存じのはずであ だいじん いるさやま る。 を呼ばれる太尽は、その名も月の入佐山という歌名所のあ ちょうあい たじまのくにいくの 両親の寵愛はいうまでもない。手を打ったり頭を振った る但馬国生野銀山の辺りから、世事を捨てて、その道ばか なうてあそびて りで京へ出てきた人であった。当時有名の遊蕩児、名古屋りして遊んでいたその頭も固まり、四つの年の十一月には はかまギ一 かみおきしゅう 三左や加賀の八などと、菱の七つ紋を印として徒党を組み、髪置の祝儀、明くる春は袴着の祝いも済せ、神参りのかい よわ ほうそう・ みすじまち びた 身は酒浸しとなり、夜更けて三筋町からの帰り道、一条堀あって六つの年の疱瘡も軽く、明くれば七歳の夏の夜半に まくら ふん ふと目覚めた世之介が、枕をのけ、あくびをしながら、障 川の戻り橋を通るのに、あるときは若衆に扮するかと思え おとぎ たてがみかずら ば、またあるときは坊主に変装したり、立髪鬘をかぶって子の掛金をはずそうとしているので、次の間に御伽をして てしよく いた女中が心得て手燭をともし、長い廊下を渡っていった。 男伊達になったり、場所柄だけに化物が通るとはこのこと やかげ うわさ である。何かと噂されても、鬼を背負うた彦七のように平南天の植込みのある東北の家陰に来て、敷松葉の庭に小用 めれえん ちょうず たゆう をして手水を使うとき、濡縁のひしぎ竹がささくれ立って 気な顔つきで、太夫にかみ殺されてもと通いつめたので、 ひし かけがね ふじもり さが