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検索対象: 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男
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1. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

ふろ こおろしぐすり ある日世之介は揚屋町の風呂を借り切って、もろもろの太様の形を見せると、南からは障子に、「極上の堕胎薬あり、 鼓持どもを集め、今日一日は楽遊びということにした。み同じく日雇の産姿もあり」と書いて見せる。すると、中ほ ゆかた はたてんがい なでしこ そろ どの二階からは幡・天蓋など葬式道具を出せば、泣くやら んなに自分の定紋の瞿麦模様の揃いの浴衣を着せ、一同さ 男 ふんどし 笑うやら、揚屋町にその日出かけた女郎も客も残らす表に 代んばら髪になって褌もかかず、かれこれ九人一列に並び、 ちょう みところ 色八文字屋の二階に上がって騒ぐと、揚屋町一町は鳴りをし出て、夢中になって三所の二階を眺め暮した。これこそ古 ずめておもしろがったが、なるほど京じゅうの変り者の寄今にまれな慰みであろう。興に乗じて見物が、「もっとも こうじよう・ちやばん 合だから無理もない。 っと」と望むままに、後には大道に出ての口上茶番、誰も あそび しゅろばうきしで 彼も腰をよじっておかしがった。よその遊興はいつの間に まず願西弥七が棕櫚箒に幣をぶら下げて、虫籠窓からに だいこくえび ゆっと突きだすと、丸屋の二階からそれに応じて大黒恵比か消えて、つまらなくなったのに、なお立ち騒いで果てし かしわや かけこだい 、カナ : し 須を差しだす。これを見て柏屋の二階から懸小鯛を見せる かぐら ほうろくつりひげ 「この騒ぎをたった今しずめる工夫はないものか」と誰か と、神楽庄左衛門は焙烙に釣髭を書いて出す。と見て隣か かなづち さんじやたくせん ら三社の託宣を拝ませる。また向いから金槌を出すと、そ が言うと、東側の中ほどの揚屋の見世から、「すぐに騒ぎ ふくさ おうむ かけとうがい のとき鸚鵡の吉兵衛は懸灯蓋に火をともして見せた。丸屋をとめてみせよう」と声がかかった。その大尽は袱紗をあ しゅじ・トっ いちぶきん ずきん から仏に頭巾を着せて出すと、柏屋から衆生をすくうと洒けて、一歩金を山のように盛りあげてあったのを、「太夫、 まないた れつるべ 落て釣瓶取りを出す。八文字屋から俎板を見せると、丸屋慰みに金を拾わせてお目にかける」と小坊主に言いつけて、 ねこ だれ 唯一人拾おうとする者も からはごばうを一把見せかける。猫に大小を差させて出せ雨のように表へまき散らしたが、 ; つばしめなわ からぎけようじ なく、ただ太鼓持の芸尽しに見とれているのは、さすが都 ば、乾鮭に楊枝をくわえさせて見せる。火消壺に注連縄を . しようゆ ひと ) ころ 張って出すと、火吹竹の先に醤油の通い帳をぶら下げて突 の人心である。金を捨てながらしらけて、人に笑われて内 かみくず に引っ込むと、そのあとで、乞食坊主や紙屑拾いが掻き集 きだす。弥七が烏帽子を着て頭を差しだすと、向いから十 あまべ 二文の包み銭を投げる。北から摺粉木に綿帽子をまいて婆めて天部へ帰っていった。 す がんさい すりこ ばあ しゃ さま

2. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

一三白紙を切った神祭用具。御幣。 見せ懸ける。猫に大小ささせ 前 一四虫籠。目の細かい格子窓。 手 からぎけやうじ 三西側の揚屋。↓一六二ハー注二。 て出せば、干鮭に歯枝くはヘ 介 之 一六東側の揚屋柏屋長右衛門 しめ 世 宅正月に二尾の塩小鯛をわら縄 る させて見する。炭けしに注連 かまど す でしばり、竈の上に掛けておき、 み なは 涼 六月一日に食すると邪気を払うと 縄はりて出せば、竹の先に醤 タ で した。恵比須に対する鯛 ほら ; つく かよ 通一 ^ 丸く白い焙烙に八の字の末を 油の通ひを付けて出す。弥七 つりひげ の はね上げた釣髭を書いた。恵比須 町 いだ 屋 の顔のつもり。 烏帽子着てあたまさし出せ 揚 原 一九室町時代から広く行われた天 つつみぜに 島 照大神・八幡大菩薩・春日大明神 ば、むかひょり十二文の包銭 ニ四 三社の託宣。神の縁。 じゃう / ー、きち しゃうじ すりこぎわた を投げる。北から摺粉木に綿ばうしまいて出せば、南から障子に、「上々吉子 = 0 神罰があたるという洒落。 ニ一油皿をつるす仏具。金槌で打 とりあげ・はよ・ たれて目から火が出るという洒落。 おろし薬あり。同日やとひの取揚婆もあり」と書いてみする。中の二階より 一三火消壺。次の竹は火消しに対 あげやまち は幡・天蓋、葬礼の道具を出せば、泣くやら大笑ひやら、揚屋町にその日出かする火吹竹のつもり。 ニ三十二銅、十二灯とも。銭十一一 みところ 七けたる女郎も男ものこらず表に出て、こころは空になりて三所の二階を詠め暮文 ( 約百八十円 ) を、灯明料として 献じた。十二月に当てたという。 しょまうノ、、 きようじよう ここんまれ 一西老婆に見立てた。 して、古今稀なるなぐさみこれなるべしと、興に乗じて、まだ、「所望々々」 はた 一宝荘厳具。幡は仏前や境内に立 巻 ほかゆ ニ六 だいだう 、づれか腰をよらざるはなし。外の遊て、天蓋は仏像や本堂内の高座の といふ程に、後は大道に出てもんさく、し 上にかける。死産と見立てた。 たちさわ 1 ・さん ニ六文作。即興の洒落・地ロ。 山はいっとなくきえて面白からず。なほ立噪いでやむ事なし。 ゅ はたてんがい だいせう しゃう そら 0 なが で

3. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

ている太鼓持どもを連れて出かけた。住吉神社の前を過ぎ、 ここまでやって来たのです。互いの思いが通って、うれし たかす 堺の北端にはいると、はや高洲の色町、中の丁を経て袋町 ゅうございます。どうしてこのまま、あなたのお志を無に したみ に着いた。あれこれと集めて下見するまでもない。総揚げ いたしましよう。お望みにまかせます。夜の明けるのを待 したところで幾らにもなるまいに、天神、小天神などと、 って、明日は必ず私の家に来てください」と言うのを、 あいかた たいまっ 人々は耳もかさず、てんでに松明をかざして大勢で取り囲せちがらく位を分けている。二階座敷で敵娼を決め、盃も み、手荒く引きずり下ろした。山三郎がいろいろとりなすまだ下座までは回りきらないうちに、「かずらき様ちょっ この と借りましょ , つ」と一一 = ロ , っと、すぐ立っていく。かと田っと、 のも聞き入れずに引きすえてみると、みすばらしい またさっきの女が出て来て、「高崎様」と呼び立てる。先 寺の役僧であった。「男色の心意気はりつばなものだ」と、 のが帰って来ると、次のが入れ替り立ち替り、二時間ほど 世之介が仲をとりもって、自由に会えるようにしてやった。 ふかま の間に一人に七、八度ずつ借りに来たので、「どうもたい すると後には少し深間気どりで山三郎の自宅に入りびたり、 のぞ なじみきやく 固めの証文をまだ疑い、山三郎の左の腕に一大事と入れした繁盛ぶりだ。馴染客が大勢あるのだろう」と下を覗い せん てみると、話相手の男さえ見えず、女郎が一人手枕して煎 ばくろまでさしたのは、その坊主の名を慶順といったから じ茶をがぶがぶ飲み、あくびをしては二階に現れ、やがて だという。この話は後に江戸で、世之介が役者と一座して じようるりばん ざんげ 懺悔話をしたとき、「何を隠そう」と、山三郎の身の上話また下りては浄瑠璃本など読み、何の用もないのに、一座 くるわ をまざまざと嘆きながら物語ったのである。決して作り話の興をさましているのであった。この廓の習いで、たびた もら 五 び貰いがかかるのを全盛だと思い込んでいるらしい ではない。 よもすがら 何かにつけてせせこましく、せつかくの遊びが、終夜、 よどがわ 一日かして何程が物ぞ ( 三十九歳 ) 巻 淀川の新三十石に乗り合せているような心持であった。足 ふとん をのばせず蒲団が短くて冷えわたる始末に、太鼓持の一人 7 「堺の浦の桜鯛を地引網で引かせて、生きているところを が、「なんと世之介様、旅のつらさをよくご合点あそばし 見せてやろう」と、世之介は京都で明け暮れ山ばかり眺め さかい さくらだい てまくら

4. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

はぎそでがき ぐんないじま なども、庭に下りて萩の袖垣など物静かに眺め、露に濡れ郡内縞の表を約束するのも迷惑なことだった。会いはじめ 8 のねいた つま かたじけな かね 引た着物の褄をかいどって、野根板の戸を開けるにも音をた てからは、毎日忝 いことばかりであった。銀をやって遊 したじ のぞ てず、下地窓から外を覗くようなまねもせず、出るときに ぶ男が、今のこの目からは馬鹿に見えて仕方がなかった。 男 くけん 代は惜しげもなく紙を散らし、出てもしばらく座敷へ上がら その年の十一月二十五日、九軒町の揚屋紙屋方で平野の つきやま ちょうず 色ず、築山の景色を様子ありげに見渡し、いっとなく手水を綿屋吉様という客に会うが、暮方には必すお帰りのはずだ すそ 使い、その後一娃の香を裾にとめて、おもむろに座に直る から、忍んで来い、との吾妻よりの便り、庭先に身を隠し うかが ひさいち というふうであったが、太夫の身持はかくありたいものだ。 て二階座敷の様子を窺うと、久都という太鼓持の座頭を残 常々この人は、勤めのほかは忘れても人に手を握らせず、して、「太夫様のお相手をせよ」と申しつけて吉左は戻っ まして客を待っているときは人目の多い台所にいて、仮に ていった。そのあとを久都が後生大事に付き添っているの よなか も物陰に引っ込まず、その身持の正しさ、どうまちがって は、まことに迷惑至極であった。仕方なく宵は待ち、夜半 くつめ も間夫などよもやあるまいと思っていたのに、その二年余過ぎから降りだした雪は袖をも払いかね、沓脱の上の駒下 まくら なかだち り、世之介と浅からぬ仲になっていた。媒は越後町のある駄を枕に、凍えながらいっしか寝入ってしまった。下座敷 なじみ 揚屋の女房であった。座敷踊の果て、乱れ姿の暮方、着替の床には扇屋の太夫長津、馴染の人との寝覚めに障子をあ ゆかた えの浴衣を用意して、「腰巻まで今日の汗で」とそこそこ けて、「下駄は」と禿にきくとき、身をすくめ縁の下に隠 はだかみ に解き捨てて、行水をつかっている裸身の美しさ、久米の れるところを、早くも世之介と見てとって、「もうよい 仙人が通力を失ったのもこんなのを見てのことであろう。 下駄は捜さなくてもよい」と禿を制したのは、まことに深 つりあんどん 真木の戸袋に忍んでいた世之介は、釣行灯の灯をわざと消 い恋知りである。このときのうれしさ、あの君はいつまで した内儀に、「それそこに」と押しやられ、こわごわ湯殿も太夫として栄えたまうように、と願うのであった。二階 はしごだん に駆け込み、気のせくままにちょっと何して出るところを、 には久都が梯子段を上がり下りする足音にまで気を配って ふる 遣手のよしに見つけられて、悲しやさまざま口止めして、 いるのも面憎い。吾妻はくさくさするので、古手紙など引 やりて まぶ ひとたき た つら そで

5. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

からきざいくねつけ いうぜんうきょ いんろう いろかはきんちゃくめなう 印籠に色革の巾着、瑪瑙のふたっ玉、唐木細工の根付、扇も十二本祐善が浮世一中国舶来の紫檀・黒檀などを 細工した根付。 おほぎうりとりかさっゑ うんさいおりふくろたび六 1 ゑ四 絵、こぎくの鼻紙、運斎織の袋足踏、中ぬきの細緒をはき、大草履取に笠杖もニ骨の数。多いほど上等。 三京都の絵師、宮崎友禅。手描 男 おぢよらうかひ き・手彩色の友禅染の創始者。 代たせて、名ある太鼓のつくこそ、くらがりにても御女郎買としるぞかし。「日 四縦七寸 ( 約一一一 ) ・横九寸ほ 色 せんだくきるものふんどし 好野の洗濯着物、犢鼻褌のかき替へもなき人ゆく所にあらず」と藤屋の市兵衛がどの極上の鼻紙。美濃 ( 岐阜県 ) ・ 三河 ( 愛知県 ) ・出雲 ( 島根県 ) 産。 五厚地運斎。綿織物で足袋底地 申す事を、もっともと思はば始末をすべし。それもしなぬ身か、あらばっかへ 用。津山 ( 現、岡山県津山市 ) の雲 さだ ふろ と、ある日世之介風呂をとめて、もろ / 、の末社をあつめ、今日らく遊びと定斎の創案という。袋足袋は、親指 と他の指との隔てのない足袋。 したおび なでしこそろゆかた め、瞿麦の揃へ浴衣、みなさばき髪になって、下帯をもかかず、かれこれ九人六わらから中抜きしたわらしべ で作った草履。緒は白紙を巻く。 をか はちもんじゃ 一筋にならびて、八文字屋の二階にあがりてさわげば、一町のなりをやめて笑セ滋賀県日野地方産の薄地の絹。 ^ 京都室町御池に住した初代藤 よりあひ 屋市兵衛。長崎商いで一代分限と しがる事、京中のそげものの寄合さもあるべし。 しまっ なり、その倹約話は『日本永代蔵』 だいこくえ 一ニしゅろばうきしで 弥七棕櫚箒に四手切りてむしこよりによっと出せば、丸屋の二階より大黒恵巻二の一ほかに散見。寛文末年没。 九風呂屋を借りきって。揚屋町 かしはや かけこだひ 美酒をさし出す。これを見て柏屋の二階より懸小鯛見せければ、庄左衛門は炮西側には徳兵衛風呂 ( 色道大鏡 ) 。 一九 一 0 西側の揚屋八文字屋喜右衛門 ニ 0 づち ろく さんじやたくせんをが つりひげ 烙に釣髭を作り出せば、隣より三社の託宣を拝ます。又むかひょりかな槌を出 = 変り者。「そげ」は、それるの意。 三延宝・天和・貞享頃 ( 一六七三 ~ 八 かけとうがい ほとけづきん がんさい す。その時あうむは、懸灯蓋に火ともしてみせる。丸屋から仏に頭巾着せて出 0 の京都の太鼓持四天王の願西弥 七、神楽庄左衛門、鸚鵡の吉兵衛、 まないた ) ) ばういちは せば、柏屋より釣瓶取を出す。八文字屋より真魚板みすれば、丸屋に牛房一把乱酒の与左衛門 びす ひとすぢ いだ つるべとり しまっ がみ ほそを おうむ

6. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

= 住吉神社。宮司は歴代津守氏 らが物そ、天神、小天神とせち かみやしろ なので、津守の神社といった。 一ニ堺の北端郷。 がしこくきはめぬ。二階座敷に 一三堺の北の廓。揚屋三軒。昼の しなさだ すゑみ、 介 うち女郎の貸しありと『色道大鏡』 品を定め、酒もいまだ末々には 之 ちもり 世 に見える。南の廓は津守 ( 乳守と ~ カ 央も ) という。 まはらぬ内に、「かづらき様ち おおしようじ 階一四堺大小路の南宿院町付近にあ った遊女町。天和元年 ( 一六八一 ) 禁止。 よっと借りませう」といふ。は 袋町は堺の妙国寺門前町にあった また 遊 で遊女町。天和一兀年禁止。 や立ちて行く。又女出て、「高崎 の 一五総揚げしたところで。 堺 一六堺の廓は南北とも太夫なく、 様」と呼立つる。座につけば入 天神は二十八匁 ( 約二万八千円 ) 、 かはたちかは 小天神は二十一匁であった ( 色道 替り立替り、一時程のうちに七八度づっ貸す程に、「さてもはんじゃうの所ぞ。 大鏡 ) 。 なじみ かず のぞ せんちゃ あいかた 馴染の客数もあるか」と下を覗けば、物をいふ男もみえず。手枕して煎じ茶が宅敵娼を決め。 のみつく じゃうるりばん ぶ / 、呑尽し、あくびしてはあがり、おりては浄瑠璃本など読み、何の用もな天大坂方言。場所が狭くて十分 な設備や活動ができにくい場合に いう ( 大阪方言事典 ) 。 五きに一座をさましぬ。この里の習ひにて、たび / 、貸しに立つ事を全盛に思は 一九伏見・大坂間十三里 ( 約五二 キロしを一日二回上下した三十石乗 れけるとみえたり。 巻 合船には、当時、新旧があり、新 よもすがら一九 こくのりあひここち 三十石は寛文七、八年 ( 一六六七、 0 よろづかちくろしく、あたら夜終新三十石に乗合の心地するなり。足をのば に建造された。新船の定員は二十 せば寝道具みじかく、蒲団はひえわたる。「なんと世之介様、旅の悲しさをよ八人、水主四人を定法とした。 一八 いっとき こてんじん ふとん なら てまくら ぜんせい

7. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

かぶろ いついつまでも。 し」と禿をしづめ給ふは、深き恋しりぞかし。この時のうれしさ、あの君七代一 4 ニ梯子段。 みやうが あがお ぎんみ まで太夫冥加あれ、とぞ願ふ。二階には久都、はしのこの上り下りまで吟味し三あまりくさくさするので。 男 四観世こより。 あづま三 ふみ 代をるこそ憎し。吾妻しんきの片手に文ども引きさき、くわんぜこよりをのべて、 = すり鉢形の抹茶茶碗。 さん′一う 六身・ロ・意の三業に敬意を示 色 てんもく あつがん し、礼拝する仏教の作法に基づく 好ちひさき軽籠を仕懸け、天目をのせて熱燗の酒をつぎ、我がロ添へてそろ / 、 セ「君をはじめて見る折は、千 いただのど 下へおろせば、世之介この心入れを感じ、三度戴き喉通る間の楽しみ、千代も代も経ぬべし姫小松」 ( 平家・巻一・ 妓王 ) による。 はんぶんすぎ つけぎんせうひとふさ さかな 〈半分あまり飲み干して。 経ぬべし。半分過引きて息をつく所へ、長津、漬山椒を一房、「肴はこれに」 九塩漬の山椒の実。 こごゑ かたじけな と、小声になって給はるこそ又忝し。それより長津は二階に世之介を手引し一 0 諺。 = 紫磨黄金。仏身の形容。 ひさいちとりつ ばんさま て、久都に取付き、「尤愛らしき坊様、この胸のつかへをさすれ」と、うれし三揚屋の男が客の帰宅を促す声。 0 世之介が金に詰るのは、情に厚 あたり い吾妻を描く構成上の無理。 がるやうに手を取って、「そこら、その下、まだその下」と、かんじん辺まで うすあいあさかみしも 一三薄藍の麻裃に茶の散らし模様。 ひさいち あろま しわざ 手をやらして、久都ときめく内に吾妻に思ひをはらさせ、かしこき仕業、目の一四長さ一尺一寸九分 ( 約三六 ) までの短い脇差。 わうごん くれなゐ 見えぬ者こそしらぬが仏、ああ有難き太夫さまの黄金のはだへと、うか / 、と一五「紅深き顔ばせの、この世の 人とも思はれす」 ( 謡曲・紅葉狩 ) 。 一六知らばくれる意の諺。 さすって居る内に、お客立たしやりませい 宅菊の節句 ( 九月九日 ) の回礼 一 ^ 太夫・天神は揚屋の座敷に衣 装道具を飾った ( 島原大和暦 ) 。 一九「処も山路の菊の酒を飲まう へ かるこ 一 0 ひさいちニ 六 ま きみ一 てびき

8. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

取っておけと申されし。そ や小粒の銀貨。 一五たとえ二人っきりの場合でも、 橋 の見事さ、いつの世か又ある 高女郎 ( 上級妓 ) は金に手を触れない たてまえであったから。 を 一六手紙で無心して。 節 をか 投 する程の事笑しく、女郎も くれ 客もかんたんの一日、暮惜し 宅感嘆と邯鄲の掛詞。盧生が邯 客 鄲で道士から枕を借りて寝ると、 まるやかた る こうりゃん む所へ、丸屋方より、「尾張 枕頭の黄粱がまだ煮えない間に、 り生涯の立身と栄華を夢みたという 」きほど のお客様、先程から御出」 ( 謡曲・邯鄲 ) 。 一 ^ 島原揚屋町西側の揚屋丸屋七 一九 と、せはしき使かさなりぬ。初めてなればもらひもならず、「何の因果にけふ左衛門 一九相手が女郎の馴染客であると、 なみだ ・一とわ の約束はしたぞ」と、高橋泪ながら、勤むる身の悲しさは、「まづまゐりて断その女郎を譲。てもらうこ比がで きたが、初会の客の場合は貰いが かどぐちで きかないしきたりであった。 りを申して今くるうち、世之介様の淋しさは皆様を頼む」と、門ロへ出さまに こもど こさかづきしん かぶろ 七二三度も小戻りして、「わが居ぬうちは小盃で進ぜませい」と、禿も残して丸 ニ 0 ゐ 屋に行き、すぐに座敷へはゆかず、台所につい居て、世之介方へのとどけのかニ 0 たたすんで。 巻 あひだ ぎりもなく書く程に、亭主も内儀も色々わびて、「まづすこしの間奥へ」と申 ぜん たいこもち せど、それは耳にも聞きいれぬ内、「お膳が出まする。二階へ御出ーと太鼓持 0 つかひ をはり さび なんいんぐわ 0 かんたん

9. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

た加賀殿のお言葉一つで万事うまく運ぶのに」と思っても 二人の仲は誰知らぬ者もないほどの評判になったので、 まばろし 2 かいない欲に責められながら、太夫の幻を見ることが幾度抱え主が太夫を折檻してもやめない。むごく扱っても、 であったろう。しめし合せておいたいつもの時刻に太夫が っそうきかないので、しかたなく台所に下ろして木綿の縫 男 なかたちうり みそ きらず 代忍び出て来て、「今夜は中立売の竹屋の七様の一座で、紀直し物を着せ、味噌こしを持たせて雪花菜買いにやったが、 色州のきちじよという人に初めて会いましたが、いやなこと、 これも恥じず、思う男ゆえだからと平気でいる。その年の あなたのことをほじくって、是非切れてしまえとはむごい 十一月、初雪の降り積った日、憎さも積って太夫を丸裸に そでぐち これが見限られるものか」と左の袖口から手を差し入れて、 し、広庭の柳にくくりつけて、「これでもまだ会うつもり わ、ばら そっと脇腹をつねって涙ぐんだ。梅雨空の今日この頃には か」と責め立てても、会いますまいとは、かっていわない みかん 珍しい盛りを思わせる蜜柑を一つ取りだし、私の食べかけ死ぬ覚悟で五、七日も食事を絶っていたが、ある日涙をこ なさけ ですけど、と手から手に渡して、「あなたは覚えていらっ ばしているのを、妹女郎が、「見る目も情のうございます」 しやるかしら。去年の秋、私の黒髪を抜いて蜜柑の袋を猿といたわると、「わが身の成行きを悲しんで泣いているの の形にくくったりして遊んだ夜は誰に遠慮もなく騒いで、 ではありません。これほどに思うているとは、よもやあの あんま 按摩の休斎が二階から転げ落ちたりして」と、早口に話し方はご存じなかろうと思って」と言っているところへ、匂 ているうちに、「太夫様は」と大勢で捜している声が身に い油売りの太右衛門が来合せて、ともに嘆いた。この男が こたえて悲しく、「明日の晩は人顔の見える明るいうちか世之介方へ日頃出入りしていることを思いだして、「この らでもかまいません」と泣き別れると、折から、「門を閉縄を解いてください。何だかひどく気分が悪くなりました さしつか しろりんず めるぞ」と呼ぶ声がした。主人持ちゃ何か差支えのある人から」と縄を解かせ、白綸子の腰巻を引き裂き、右の小指 あんどん たちの帰るのに紛れて出て行くと、出口の茶屋の行灯もう を食い切って思いのたけを書き尽し、「頼みます」と太右 るさく、顔を背けて走り過ぎ、昔はここらまで見送らした衛門に渡して、またもとのように縄目にかかった。今はも ぼんとちょう ものをと口惜しく思いながら、先斗町の小宿に帰った。 うこれまでと、太夫が舌をかみ切ろうとするところへ、世 さる せつかん にお

10. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

「はいはい」と出て来て下さったのが、実年の美人の女将。 門をくぐって島原の町並を一見した西鶴さん、すっかり途端に西鶴さんの機嫌がなおります。 しょげかえってしまいました。日本一の色里の名残は、こ玄関の敷台を踏んで上がると、奥に広い板敷の間。左手 うして見る限り、何もありません。ただ、古い造りの家が、 に二メートル以上は幅のある階段。ははーん、なるほど。 いくつか残っているのと、今も花街として生きている街な太夫さんの長持を下ろすために、こんな幅の広い階段がっ ので、そこはかとなく感じられる雰囲気ーー時折、垢ぬけ けられているのですね。見とれているうちに、西鶴さんは た和服の美人が三味線片手に通り過ぎて行きます。 女将の案内で二階へ。あっ、待って、西鶴さん。もう傘の 私は、なんだか西鶴さんが気の毒になってしまって、わ 1 情を見ているの。 ざと陽気に言いました。 大きな和傘の紙をめくったのを、銀地の襖に貼りつけた わちがいや 「間違いやなんて言わずに、 輪違屋さんへ行きましよう。豪華な広間。「高」の文字が染めぬかれた傘。きっと、高 なかちょう すぐそこの中ノ町、オリンピックのマークのような大きな橋太夫さんが道中に使った傘にちがいない。 輪を二つ重ね合せた家紋がユニークですよ」 「西鶴さん、見覚えござりますか」 格子づくりの古風な建物の外見に、明治になって取り付「高橋家の高です。うちは高橋いいます」 はなおうぎ かす けられたようなガラス張りの大きな外灯が、屋根の上からと女将さんが代って返事をして下さる。今も花扇さんと春 が 人を招いています。 日さん、二人の太夫さんが、この家から出ています、との 「西鶴さん、私も少し勉強してきました。ここは、遊女をこと。 うちかけ きんしゅう 抱えていた置屋 ( 女郎屋 ) さん。お座敷がかかると、ここ次の間、衣桁に太夫さんの打掛がかけてあります。錦繍 ふとん うちはちもんじ あげや わろうそく あや から蒲団などを入れた長持を運ばせて、内八文字で揚屋まを和蝦燭の光が妖しく照らし出します。 たゆう で太夫さんが道中するのですね。揚屋の並んだ揚屋町まで、 その次の間、ここは太夫さんの私室です。六畳くらいの もみじ 道中の道のりは七、八百メートルというところでしようか。部屋は、全体の壁に紅葉の葉を塗り込んで、葉の形を残し いや、ともかく、ごめん下さい」 てあります。一枚一枚色が違っていて、居ながら全山紅葉 ふすま おかみ かさ