き裂いて、こよりをよって小さな軽籠を作り、湯飲み茶碗しているのを見ると、この世の人とも思われない。まるで あっかん をのせて熱燗の酒をつぎ、ちょっと口をつけてから、そろ見知らない人が節句の回礼に見えたようである。まずご祝 くるわ そろ下へおろしてきた。世之介はその心遣いを感じ、三度儀を述べ、さて今日からは菊の節句で、廓では衣装重ねの のど せつな 行事、これを見物するのは命の洗濯というものだ。世之介 おしいただいて喉をしめしたが、その刹那の楽しさは、い ゅうげしき は濡れに濡れて匂いも深い菊の節句のタ景色を見に、この ついつまでも忘れられないことであろう。半分ほど飲みほ うぐいす・ すだれご つけぎんしようひとふさ して息をつくところへ、長津が漬山椒の一房を、「お肴は新町の廓に来て、鶯の太兵衛方の軒端にかけさせた簾越し にほのかな女郎たちの姿を見た。名も知らぬ鹿恋女郎さえ、 これに」と小声でくれたのも重ね重ねのうれしさであった。 これは、と心のときめくのは、よき日に眺めるゆえんであ その後、長津は二階に世之介を手引して、久都にとりつき、 たかま ろう。まして太夫高間はすぐれて美しく、初めて勤めに出 「かわいらしい坊さん、この胸のつかえをさすって」と、 ふところ る妹女郎を引き連れて、悠々と千里を行くの趣がある。こ うれしがるように手を取って懐へ引き入れ、「そこら、そ れそまことに極楽浄土、揚屋の入口の土間には太夫金吾の の下、まだその下」と、肝心のあたりまで手をやらして、 やりて 久都がときめいているうちに吾妻に思いを晴させ、まこと長持を運び、井筒に出入る遣手までも、光り輝く一歩金 ( 約一万五千円 ) をもらい、機嫌のよい顔つきを見ることだ。 に賢い働きであった。目の見えぬ久都こそ知らぬが仏、あ くけん はだえ また所を替えて九軒町の住吉屋に行き、亭主の四郎右衛門 あ、ありがたい太夫様の黄金の肌とうかうかとさすってい あげまき かぶろ、、 るうちに、お客立たしやりませい、と揚屋の男衆の客を起にどもる軽口を言わせ、総角に付いている禿のるいに好物 の酒を飲ませたりしながら端居して、通る女郎をとらえて す声が聞えてきて、久都もお預けをくわされた。 しまばらあけばの しんまち は一人一人いやがることを言って、たちまち躍起とならせ、 こさかずき 巻新町の夕暮島原の曙 ( 五十五歳 ) いやいやながら腰かけさせて、小盃の数も重なると、「下 あさがみしも 戸でない男前のいい方が好きです」と、吉田という太夫が 浅黄の麻裃に茶小紋の着物、小脇差といういでたちで、 茶屋の亭主がふだんと変っていくらか利ロそうな顔つきを言った。 かるこ さかな いづっ のきば
ぢよらうさま ごがてん 一諺。塩を踏む。つらい目にあ く御合点あそばして、京の女郎様の御気に入るやうにあそばせ」といふ。「い うとの意。 かにもこの浦のしほを踏んで、老いての咄にもとおもふぞ。寝覚めのきづかひニ家の見取図。設計図。 三掛絡とも。根付のある印籠。 男 はだ 四灸穴の名。膝頭の下で、外側 代さに、人に肌をゆるさず、帯しながら寝入る」とあれば、同じ枕の友ども、一 の少しくばんだ所。万病に効く。 色 すずり さしづ 好人は硯引きよせ家の差図を書いて居る。又一人は、ただ居よよりはと寝ながら = 腕相撲。 六神社仏閣で信者が参籠してお くわら あみがさを 編笠の緒こしらへける。独りは象牙の掛羅よりもぐさを取出し、三里にすゑて祈りするお堂。 セ幅をきかせている若い連中。 てずまふ あいかた 顔をしかむる。女郎は女郎でかたより、更けゆくまで糸取り・手相撲して、折 ^ 手ごろな敵娼。 九時間で客を取る端女郎 - ャもだう 一 0 諺「一文惜しみの百知らずーの ふしは眠り、きのどくなる夜の明くるを待つは、そのまま籠り堂のごとし。 もじり。四十六匁 ( 約四万六千円 ) こしら しんまち ^ は大坂新町の太夫の揚代。 面白からずとて、この所にても口きく程の若き人、新町に手あひを拵へ、た 一一垢じみた腰巻。 けいせいぐる しまばらっか めて置いて一度に島原で遣ひ捨つる事もっともなり。傾城狂ひのしまっと、下三島原揚屋町の揚屋。ただし 『色道大鏡』『諸国色里案内』には、 かこひ きれうり さかやきそ 手に月代剃らすほど世にいやなる物はなし。きたなき鹿恋するも、切売の女に丸屋三郎兵衛とあるから、その先 代、寛文期 ( 一六六一 ~ 七三 ) の揚屋であ よい着物をきせて見るも、同じ事ぞと思ふ。一文惜しみの四十六匁をしらず、ろう。 まきえ 一三蒔絵の一種。金銀の粉末を蒔 いて、梨の実の肌のように研ぎ出 ただ一度にても太夫の寝姿を見るべし。色の替りたる紅裏、際づきし脚布をせ したもの。 ず、よごれたる枕にたよらず、さりとては大きに違ひのあるものなり。されば一四枕を入れる箱。手回り品や金 銭入れにも用いた。 だいじん たま′、、 いうきようぜひ ぢゃうやど ゐなか ひのき 一五檜の薄板を重ねて、要を金物 田舎の人、適々の遊興は是非なし。定宿をきはめ、大臣といはるる程の人、 た きるもの まくら ひと ギつげ - も み う ら 六 ねぎ まくら きやふ をり へ ひぎがしら かなめ
ここが分別どころ、どうするつもりだ」、「今日は顔ぶれを て見上げると、なお星のようにきらめいて、同時に、ひと 変えて、玉川、伊藤、そのほか四、五人呼び寄せろ」と、 かたまりの真っ黒なものが動いた。山三郎は心を落ち着け、 早駕籠を仕立てて、宮川町へ迎えにやると、またたく間に、 「怪しいやっ、何者だ」と、言葉をかけると、「ほんとに、 男 代繰り込んで来た。この美しい姿を見ては、いやといわれた お恨みに存じます。矢先にかかって死んでしまえば、こん な * け 色ものではない。ある人がたとえて、「野郎遊びは散りかか な憂き目もみますまいに。お情でおとめくださったばかり おおかみ ばんのう る花のもとに、狼が寝ているようなものだし、女郎に馴染 に、なお思いは胸に迫り、煩悩に責められて骨は砕け、こ ちょうちん むのは、入りかかった月の前に提灯のないような気持だ」 の世ながらの地獄の苦しみでございます」と言いながら流 ふたみち そで と言ったが、どんな人でもこの二道には迷うであろう。 す涙が山三郎の袖にかかると、熱湯のようであった。「さ まくら 夜通し寝もしないで枕おどりや、いい年をしてぺい独楽、ては、どなたかをお慕いですか」と言うと、「問われてい さては扇引き、なんこなどして、自然、子供心になって立っそうせつのうございます。毎日、芝居であなたのお顔を あと たたず ち騒ぎ、びっしより汗をかいて風待ち顔に南向きの縁側に 拝み、楽屋帰りのお後をつけ、門口に佇んでお声を聞くた さっきやみたかべい えのき 出た。折からの五月闇、高塀の見越しに榎が茂っていたが、 びに、失神したことが何度もございました。今日は東山の ぞうりと その茂みの下葉から玉のような幾つもの光り物が見えた。 御会にお出かけと、草履取りどもがひそひそ話をしている みんなびつくりして庫裏や方丈に逃げ込み、気を失ったり のを聞きつけ、今一度お顔を拝したうえで、首をくくって こずえ 伏し転んだりした。なかに男一匹といわれ、ちっとは腕っ この世を去ろうと、この梢に登りましたところ、お顔を拝 やじり 節の強い者が、半弓に鳥の舌の形をした鏃のある矢をつがすのみかお一言葉まで交すことができたのですから、思い残 くれえん さんざぶろう ふびん えて、榑縁から飛び下りようとするのを、滝井山三郎とい すことはありません。不憫と思ってくださるなら、死んだ う若衆が後ろからその男を引き留め、「たとえ何者にせよ、 後でちょっとだけでも冥福を祈ってください」と、水晶の じゅず それほどのこともございますまい しばらくお待ちくださ数珠を投げ捨てた。「そうおっしゃれば、思い当ることが 手捕りにもできましようから」と、遠い木陰まで行っ あります。私も、心にかかればこそ、怪しむ人をとどめて、 や か
( 原文一〇五ハー ) いた。これを思うと、かりそめにも書かすまいものは起請 身のたけ二丈 ( 約六 ) ばかり、手足は楓の葉のように見 もみじ える女が、風を吹きつけるような声で、「私は高雄の紅葉誓紙の類である。 見に誘われてから、生涯連れ添う男をあなたに見替えて毒 替った物は男傾城 ( 三十一歳 ) まで盛ったのに、よくもすぐさま見捨てなさった。次郎吉 さてここに気の毒でならないのは、さる大名の奥方に仕 が女房、覚えているか」とかみつくのを、組み伏せて討ち とめた。このときもはや目もくらみ、気勢も尽きはて、い えて、ついぞ日のめもご覧にならぬ奥女中たちゃ端女たち であった。まだ色気づかぬ頃から奥の間近く仕え、男とい よいよ最期かと思っていると、また空から十四、五間 ( 約 まれ おおづな うものは見ることさえ稀なので、まして肌触れたことなど 二七 ) も続いた大綱の先に女の首のくつついたのが舞い としつき かみだいご あろうはずもない。あたら年月を二十四、五までもむだに 下がってきて、「我こそは、上の醍醐の辺りで尼になり、 ) 」し、よう・ 後生大事と行い澄していたものを、再び髪を伸ばさせて、 過し、心地よい春画や春本を見て、「こりやどうもならぬ。 ばんのう ああああ、げんなりする」と、顔は赤くなり、目がすわり、 もとの煩悩の身に引き戻された恨み、その場を去らず取り 殺してやる」と、這いまつわって息を止め、咽笛に食いっ鼻息は自然と荒くなり、歯ぎしりして細腰をもだえ、「ほ かまわずに寝ていたそ くのを、身をかわして刺し殺した。もはやこれまでと念仏んとにまあ憎い女があるものじゃ。 を唱え、邪心を捨てて西方極楽浄土を伏し拝み、すでに危うな男の腹の上へ、もったいない、美しくもない足で踏み くさって、あの目を糸のようにしおって、人目もあるのに ないところへ、かの浪人が帰ってきた。辺りを見ると血だ しり 四 らけで、その中に世之介が前後不覚に倒れている。驚いて丸裸になって、脇腹から尻つき、大きな体、下のお方が重 たかろうこ、 しいかに絵なればとてこの女房め」と本気でつ 耳に口を寄せて呼び返し、正気に返ったところで様子をき 巻 まはじきして、その絵を破ってしまうのであった。奥女中 くと、一部始終を語ったので、不思議に思って二階に上が きしようもん がしら つばね って見ると、世之介が四人の女に書かせた起請文がちりぢ頭のお局もそうした中の一人であったが、使い番の女中を りに切り破ってあった。けれども神降しの所だけは残って呼んで錦の袋を渡し、「丈はこれより少し長く、太い分に かえで のどぶえ わきばら おとこげいせい たけ はした
な一け みがいていたが、よそ目にはまだ世之介に情の道のわきま に時雨も晴れ、タ虹も消えかかるばかりのうれしい言葉を えがあろうとも思われず、ちょうど雪中に梅花の開くのを交した末、「私は今まで思う人もなく、むなしく月日を過 待ち望んでいるような状態であった。 してきたのも、愛敬のないせいだろうと、我とわが身を恨 男 くらぶやま 代ある日、暗部山の辺りに住む知人を訪れ、小鳥を捕ろう んでいました。今日こうしてお目にかかれたのは、不思議 おとりふくろう かすみあみ ぎお なご縁です。この後は親身にかわいがっていただきたいも 色というので、霞網やもち竿、赤頭巾を着せた囮の梟などを かやのきば のです」とかき口説いた。しかし男はいっこうに冷淡で、 使って、もの寂しい茅の軒端や、草木の陰に身を忍ばせて 「途中お困りのご様子ゆえ、お助け申し上げたまでのこと、 遊び、尽きぬ興を惜しみながら麓近くまで帰ってくると、 衆道の契りなどは思いもよらぬことです」と、とりつくし にわかに雨雲が立ち重なったが、ひどくは降らず、露をく だいて玉と散る風情であった。あたりに雨宿りするような まもなく、しばし興ざめてしまった。世之介はすっかり立 木陰もないので、どうせ濡れたのだからと袖を笠にしてみ場をなくして、年はとっていても、恋も知らずに朽ちてい ひげ く男めと心中に恨みながら、木陰に腰をおろし、「あなた たものの、墨で書いた僕の作り髭の落ちるのは困ったもの つれ だと思っている折から、そのあたりの里に世を忍んで住ん はどうしてそう情ないのでしよう。同じ恋に流す涙でも、 かな これは叶わぬ思いに流す涙です。孔子気どりで納まってい でいた男が、跡を慕ってきて、傘を差しかけてくれた。ふ かものちょうめい と雨がかからなくなったので、晴れたのかしらんと振り返 た鴨長明でさえ、いっとなく門前の美童に戯れて、庵の灯 を消し、心の闇に迷ったということです。美少年として名 って顔を見合せ、「これはご親切にありがとうございます。 ふわ らんじゃ お近づきのためにお名前をうかがわせてください」と言っ高い不破の万作が、勢田の橋詰である武士と契り、蘭麝の ぞうり ふところ なキ」け たが、ろくに返事もせずに、履き替えの草履を渡し、懐か香りをその人の袖に移したということも、みんな衆道の情 くし でっち ゆえではありますまいか」と、長々と口説いたが、男はさ らとてもきれいな櫛道具を取りだして供の僕に渡し、「そ らに聞き入れない。若衆の世之介のほうから兄分をとやか そけたおくれ毛をお直しなさい」と、気をつけてくれた。 く口説くのは、寺から里へのたとえのとおり、あべこべと 時にとってのうれしさはどのようであったろう。まこと でっち ふもと ずきん そでかさ しぐれ ゅうにじ せた
いた。通る客を呼びかけるでもなく、注意を引こうとする の壁の腰張まで頼んで、やっと風を防いでいます。小野炭 8 ふう ひでんいんうわばき ととの 風も見えない。「袖の香ぞ」または「今日の菊」と、筆持や吉野紙や、悲田院の上草履まで自費で調え、そればかり ほっく ちながら発句の上五文字を案じかねているような風情であ か、雨の日は客足も遠く、風の夜はなおのこと待つ人は来 男 ひと 代った。ひどく奥ゆかしく思われて、「こんないい女をどうず、御香の祭のときだの、五月五日、六日など、売らねば もんび 色してこんな格の低い家に置くのだろう」ときくと、瀬平が ならぬ紋日がきても、誰と頼んで世話していただくお客の くるわ 言うには、「ここの親方は隠れもない廓で一番の貧乏人であてもないのに、親方からがみがみとしばられ、ようよう すから、気の毒なわけです。あまり美人でなくても、身の の思いで二年ほどは暮してまいりましたが、先々のことを かたいなか 持ち方しだいでどんなにでもよく見えるものです。島原の考えますと、生きる空もありません。片田舎に住んでおら あやめ からおり 太夫たちの着古した、菖蒲八丈や唐織なども、この廓に持れる親たちはどうして暮しておられましようか。ここへ来 ち込んでりつばに見せているのです」と語った。なるほど てからは便りもありませんし、まして、訪ねても来てはく おやご 手軽な遊び所なのだろう。 れませんので」と、女は涙ながらに話した。「その親御の やましな 世之介は断りなしに店先に腰かけ、脇差や紙入れをぞん在所はどこです」ときくと、「山科の里の源八という者で さいに置きながら、見れば見るほどい、 しところのある女だ ございます」と言う。「知らぬ先ならともかく、こうして うち った。「どんな伝てでこんな家にいらっしやるのです。こ 一度契ったうえからは、近いうちに訪ねて、そなたの無事 とに所柄のひどい勤めで、さぞっらいことでしよう」と世な様子だけでもお伝えしよう」と言ったが、女はうれしそ 之介が慰めると、「他人様に心底を見すかされるのも恥ずうな様子もなく、「お訪ねになるなんて、そんなもったい かしいことでございますが、こんな勤めをしていますと、 ないことは決してなさらないでくださいまし。初めのうち あかね 自然とはしたなくなりまして、何かにつけて不自由なもの は赤根など掘って命をつないでおりましたが、今ではもう でございますから、思わぬ欲も出てまいります。客に無心老衰してそれもできず、乞食になりさがってしまいました きら を言って、自分の身の回りのことは申すまでもなく、部屋うえに、しかも不運なことには人の嫌う病気までありまし たゆう ひと寺一ま
一ニ出羽国 ( 山形県 ) 酒田の歌枕。 恋情をこめた部厚な便り、の意。 一三山形県北西部、最上川下流の しょわけひちゃう 日本海に臨む米作地帯。中心都市 諸分の日帳 は酒田市、鶴岡市。 ずいけ人 一四河村瑞軒が、幕命によって、 やりてわづら うれしき物、その日の男はやういぬるの、中戸であうての別れ、遣手煩うて酒田から日本海沿岸を下関経由で 大坂に至る西回り航路の開設に成 ながい このむらやわしう 功したのは、寛文十年 ( 一六七 0 ) 。 居る内、かさの高き文、かたじけなく詠め入りまゐらせ候は、木村屋の和州、 一五封を切って開けると、夜が明 よしの ぜんせい けるの掛詞。ここから和州の日記 一盛りは吉野の花を見越し、全盛の春にぞありける。三月三十日の日帳を書き 文となる。 しゃうない ととの ておくられける。これぞ恋の山、出羽の国庄内といふ所へ下りて、米など調ヘ一六前夜来られなかった者が七つ 時 ( 午前四時頃 ) の開門を待って入 ふなだより ふうめ て、大坂への舟便もまはり遠く、この里の事なほゆかしきにと、封じ目切りて、廓し、夜明けまで遊興すること。 宅『難波鶴』 ( 延宝七年刊 ) に中の てだい みようだい あけそむるより、朝ごみの客は中の島の塩屋の宇右衛門手代にて、昼は隙なき島における諸藩の蔵屋敷の名代 ( 名義人 ) として、塩屋平三郎と塩 身とて高嶋屋にてあひ初め、宵の勤め残りて、紙筆を持ちながらおのづと気を屋宗貞・塩屋治兵衛の名が見える。 一〈新町佐渡嶋町南側の揚屋高嶋 たまくら 七尽しての手枕、かた様の御事まざ / 、とよい夢見懸りしに、惜しゃ格子をたた屋八兵衛 ( 色道大鏡 ) 。 一九前夜の勤めの疲れ。 き起こされて、そのにくさいかばかり、しばし返事もせぬに、頻りにおとづるニ 0 寝坊の。八千代は和州と同じ 巻 木村屋抱えの太夫。 * やちょ ニ一女郎が揚屋から親方の家へ帰 るに、寝ごい八千代さへ目覚めて、「申し / 、」と呼びつがるるもぜひなく、 った時、または勤めに出かける前 ぎゃうずい に使う行水。 「行水とれ」といふ声を聞きて、男それまでは待たず、腹の立ちながら独りゆ ひと一か たかしまや さま ふみ 一九 なかしま なかど かみふで みかか くだ しき かうし ひちゃう ひま
なさけ 知らぬ恋の道かな」と自分より先に情を知る人があって詠まよいながら泉州堺まで辿り着き、大道筋柳の町に昔使っ ていた手代の親が住んでいたので、そこへ頼って行った。 んでいることなど思うのであった。 そうして漁師の女房たちとの情事もたび重なり、「ここ夫婦は喜んで迎え、「ただ今もあなたのことばかり心配し も案外住みいい所だ」と、足をとどめているうちに、訪ねて、大勢手分けして諸国をお尋ねしていたのでございます。 この六日の晩に親父様がお果てなさいました」と話してい てきて恨みをいう女が限りなくあった。どの女にもまとも しいかげんにまるめ るうちに、また京から人が来て、「これは不思議なところ に顔をあげて返事ができかねるのを、 込んで、女たちにせつない思いをさせた。この身一つを大へ来合せたものです。おふくろ様がどんなにお嘆きになっ ていることでしよう。とにかく急いでお帰りあそばせ」と、 勢で取り殺されたところで、どうなるものでもない。せめ はやかご ては皆さんの憂さ晴しにと酒をすすめ、昔の思い出話をし早駕籠でほどなく昔の住いに帰り着くと、一同つもる涙に いりまめ くれ、煎豆に花の咲く心地がして、「今は何を惜しむこと て慰め、船遊びして年月の難儀を忘れようと、今ここに多 かぎ があろう」と、母親が数ある蔵の鍵を渡したので、長年見 くの小舟を並べて、冲合はるかに漕ぎだした。折から六月 たんば の末で、山々に丹波太郎という入道雲がものすごく湧き上るかげもなく暮してきた世之介は、うって変って大金持と かね なった。「思う存分この銀をつかえ」と、母親が気をきか がり、にわかにタ立となって、雷が臍をねらって落ちはじ めた。息つくひまなく大風・稲光、女たちの乗っていた船して、二万五千貫目 ( 約二百五十億円 ) をそっくり渡した。 はどこへ吹き流されたのか、行方がわからなくなってしま確かなことである。いつでも、御用しだいに、太夫様へさ 四 つつ ) 0 しあげよう。「日頃の願いが今こそかなうときだ。思う者 しかし世之介は四時間あまりも波に漂い、吹飯の浦に打は請け出し、また名高い女郎は一人残らず、今こそ買わず 巻 におくものか」と神に誓って、太鼓持どもをかり集めての ち寄せられた。しばらくは気を失って、そのまま砂の中に つる うずも 四埋れていたが、流れ木を拾う人に呼び生かされ、名物の鶴豪遊に、またとない大尽ともてはやされた。 の鳴き声だけをかすかに聞き覚えたのみで、生死の境をさ へそ ふけい さかい だいどうすじ
たちばな おもかげ の橘の定紋を付けてあったが、一度使ったら捨ててしまう その面影は雪むかし ( 四十九歳 ) 当座の新しい道具も、所によってはおもしろいものだ。し たゆうたかはし ばらくして台所で、「久次郎が宇治からただ今帰りました」 初代の太夫高橋に思いをかけない男とてはなかった。 あいきよう と言う声がして、やがて水漉しが始った。さては、わざわ 「太夫に生れついたような女で、顔に愛敬があり、目がば ざ宇治橋の三の間の水を汲みにやったのかと、ひとしおう っちりとして、腰つきに何ともいわれぬ味があって、まだ そろ ほかによいところがある」と、帯解いて寝たことのある人れしかった。客が揃うと高橋は墨をすって、「この雪をた だ眺めておいでなさることもございますまい」と、当座の が語った。そこまで言わなくても、髪の結い方といし禾 ほっ 俳諧を求めたので、例の白紙の掛物に各々筆をとって、発 ロな口のきき方といし 、この太夫の風采をすべてにつけて なかだ 句より五句目まで、いずれもみごとな付句であった。中立 今に見習う者が多い つば ある初雪の朝、高橋はにわかに思い立って、壺のロを切ちの後の案内に、獅子踊の三味線を弾いたので、一同うき かんばやし うきとして囲いにはいると、竹の筒ばかり掛けてあって花 り、茶の湯を催すことになった。上林抱えの太夫たちも加 が生けてないのは不思議であった。察するに今日は太夫ば わって、世之介を正客とし、揚屋の八文字屋喜右衛門方の びようぶ 巻 二階座敷を屏風で囲って茶室に仕立て、白紙を表具した掛かりの集り、これにまさる花があろうか、と思われてのこ とであろう。 7 物を掛けてあるのは、何か深い趣向がありそうに見えた。 しろじゅすさんば まかい てんもくみずこば 高橋その日のいでたちは、紅梅染の下着に白繻子に三番 茶菓子は雛の行器に盛り、その他、天目や水翻しにも太夫 もの ひな 巻七 ふうさい かけ ま つけく
そ。いそげ」と、清十郎方に行きて太夫にあひて、そも / より横をゆけども、一吉原揚屋町北側の揚屋尾張屋 0 清十郎。 がってん はや合点してすこしも気やぶらず常の酒ぶり、かさね飲みになって、無理を肴ニ横車を押してみたが。 三逆らわず。 男 だいじん すいきゃう かんなべ さざなみ 四こちらはついがぶ飲みになっ 代になすそかし。大臣わざと酔狂して、あたりあらく踏立て、燗鍋より漣波たっ て。 色 はながみ 好ていと見ぐるしく、小兵衛鼻紙にてせけどもとまらず、吉田が上がへの褄まで = 袵。着物の前の左右の端。 六黒い茶宇縞の着物。もとイン きるもの かぶろこばやし くろちゃう ドより舶来の薄い平織の絹布。当 流れよる時、禿の小林、我がぬぎ置きし黒茶宇の着物にて残らずしたみ、かい 時、国産。 やり捨てける。太夫につかはれし程の心根これそと 、いはずに誉めける。このセ吸い取り。 そとうば ^ 蘇東坡の「春夜」の詩「春宵一 しゅんせういちゑあたひせんまいどころ あたひ 刻値千金、花ニ清香アリ月ニ陰 有様、吉田もうれしかるべし。春宵一衣価千枚所なり。 アリ」による。千枚は大判金十両 らうかなかば 花も火ともす時分になって、太夫勝手へ立ちさまに、廊下を半過ぎてとりは千枚。 九桜花を火に見立てて「花の火」 よこで づされて、その音に疑ひなし。世之介も小兵衛も横手をうって、「おもしろの ( 歌語 ) という。「花も火ともす」は、 桜花のほころび初めるとの意であ はるべ あつばれ一ニ るが、それを灯ともすたそがれ時 春辺ゃな。天晴くぜっのもとだて。重ねて出たらば座敷が嗅うてゐられぬと言 の意に用いた 一 0 放屁して。粗相して。 はう」、「いや、両人ともに鼻ふさぎて、あの方からあらためる時に、今日よき = 「面白の春べや、あら面白の 匂ひをかぎにきたと申せ」。これにきはめて待てども出ず。「よもや出らるる所春べや」 ( 謡曲・田村 ) 。 いざこざの種。 しか 一三いったいどうしたんですと、 でない」と大笑ひしてみるに、衣装仕替へて桜一本持ちながら立出るより、二 言い出した時に め しきいた 人目を付けてゐるに、さいぜん屁をこきたる敷板まで来て、そこにてこころを かた へ かって さか ふみた くさ つま さかオよ