駕籠 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男
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1. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

だいだう ゃなぎまち の堺まで来て、大道すぢ柳の町 に、むかし召仕ひし若い者の親 あり。このもとにたよりゆく ふうふ ただいま一 0 、夫婦よろこび、「唯今も御 てわけ 事のみに人々手分して国々を尋 ね侍る。過ぎつる六日の夜、御 親父様御はて遊ばしける」とか ふくろ たる内に、又京より人来りて、「これは不思議にまゐり候。お袋さまの御なげ きいかばかり、とかくいそいで御帰りあそばせ」と、はや乗物、程なくむかし = 早駕籠。一つの駕籠に三人の 駕籠かきのつく三枚肩、四人っく すみか なみだ いりまめ 四枚肩、六人っく六枚肩があった。 の住家にかへれば、いづれもつもる泪にくれて、煎豆に花の咲く心地して、 三諺。まれなることのたとえ。 かぎ 四「今は何をか惜しむべし」と、もろ / 、の蔵の鑰わたして、年頃あさましく日 かね おくりしに替りぬ。「こころのままこの銀つかへ」と、母親気を通して、二万一三今の約二百五十億円。 めいはくじっしゃう なんどき 五千貫目たしかに渡しける。明白実正なり。何時なりとも、御用次第に太夫さ一四遺言状の決り文句。次の「何 時なりとも御用次第は借用証書 うけだ まへ進じ申すべし。「日来の願ひ今なり。おもふ者を請出し、又は名だかき女の決り文句 しんぶさま さかひ はべ かは めしつか ひごろ きた よ 漁師の女房どもと舟遊びして難破する。 九堺市を南北に通じている大通 りで二十四の町名があり、柳町は その一つ。 一 0 あなたのことばかり心配して。

2. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

こさかづき をのこ 小盃も数かさなれば、「下戸ならぬ男のよいをすいた」と、兼好といへる太夫一「下戸ならぬこそ男はよけれ」 -0 ( 徒然草・一段 ) 。 しゃ ニ新町の太夫、吉田を兼好と洒 が申し侍る。 れ 落た。 * 男 しゅび 三佐渡嶋町の揚屋扇屋四郎兵衛。 。 : こくからぬ首尾ながら、ふと都こひしくおもふこ 代その日は扇屋にありし力し 四 四現、南区道頓堀畳屋町。歌舞 色 たたみや だうとんばり すてお ふたみち 好そ二道なり。この人を捨置き、それよりすぐに道頓堀にまかり、畳屋町にしる伎役者の居住地であった。 五四枚肩という。駕籠かき四人 きちゃ かご がか とが が付く急行駕籠。 べの役者のかたより、科なき身にもしのび駕籠、四人懸りに乗りさまに、吉弥 六世之介の弟分の若女方上村吉 ことづて と申しかはせし事も、恋が替ればそこ / 、に言伝して、いそぐ心の夜の道、初弥。 * ↓一九八ハー注一 0 。 セ「タを急ぐ人心 : ・まづ初夜の ま 夜の鐘のなる時、「佐太の天神」と申す。「太夫は居ずとものむまいか」と、真鐘を擶く時は、諸行無常と響くな り」 ( 謡曲・三井寺 ) 。初夜は午後八 よどこばし かたのきんや 柴折りくべ焼味噌をかしく、この酔のうちに交野・禁野も跡に、淀の小橋は霧時頃。 ^ 大阪府守口市の佐太宮天神を ど こひづかがってん こめて、鳥羽の恋塚合点ぢやと目覚まし、ほどなく四つ塚の茶屋、あみ戸をあ太夫の次位の天神にとりなした。 九大阪府枚方市一帯の平野で、 したみ、こゑ らくたたき起して、「湯まではまたじ。息がきるるは、水のませ」と、下々声平安時代の皇室領の狩猟地。禁野 も枚方市の一部。 もの まことひととせ 声に申し侍る。誠に一年森が道いそぐとて、駕籠の者殺せし野辺もこのあたり一 0 京街道に沿う伏見区淀から北 対岸の納所に渡した橋で、当時、 たんばぐち あは とおもひ合せ、北の空ゆかしく、星のうすきを待ち兼ね、丹波ロの小兵衛方に全長七十間一尺五寸 ( 約一二八 ) 。 宀于【治川はツしまい , 淀川 A い , つ。 ひとまがほかたみせ = 京都上鳥羽の実相寺と、下鳥 行けば、朝帰りの人待ち顔に片見世あけて起き出るより、「これはめづらしき 羽の恋塚寺の二箇所にある伝説の かうけう、ま おのば 御上り。高橋様も『まちびさしき』ときのふも仰せられしに、まづ聞かしまし塚。遠藤盛遠が渡辺渡の妻袈裟に はべ あふぎや やきみそ おこ さだてんじん ゑひ 五 けんかっ よる かた し ひらかた

3. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

まずお知らせ申して喜ばしてさしあげませい」と、門をた その日世之介は扇屋でさる太夫と楽しく会っていたが、 みやこ ふと島原が恋しくなったのは、二道かけた浮気心であった。 たいて出口の茶屋に伝え、はや三文字屋へ使いを出した。 どうとん 、いギャトっ そのままその太夫をほったらかして、それからすぐに道頓「この朝景色のおもしろさ、西行は何を知って、松島の曙、 男 とが きさかた 代堀に行き、畳屋町にある知合の役者の家から、科もない身象潟のタベをほめたのであろう。昨日は新町の暮を見捨て、 くるわ かご あさなが 色を、四人肩の廓通いの忍び駕籠に乗り込んだ。弟分の吉弥その目をすぐに今日は島原の朝眺め、これが唐にもあろう ことづ との約束も、恋の目当が変ったので、そこそこに一言伝てし か。世之介、そうではないか」「いかにも」と話しながら あんどん て急ぐ心の夜の道、初夜 ( 午後八時頃 ) の鐘の鳴るとき、 出口の茶屋の藤屋彦右衛門方に立ち寄ると、昨夜の行灯も かたわら かま まったけ 「佐太の天神です」と駕籠屋が言う。「なに、天神だ、太夫消え、傍に物さびた釜がたぎっていた。そこで岩倉の松茸 たきびあっかん しるわん はいなくとも、一杯やろうじゃよ、、 オしカーと焚火の熱燗、焼を焼いて中型の汁椀で二つ飲み、「これはまた格別だ」と かたのきんや さかな かせん 味噌の肴も一興であった。この酔いのうちに、交野、禁野舌つづみを打っているところへ、幸せにも身請された歌仙 こいづか を過ぎ、淀の小橋は霧がたちこめ、程なく鳥羽の恋塚とい が、姿も人の女房らしくなってやって来た。「いよいよこ う声に、合点だと目を覚すと、やがて四つ塚の茶屋に着い れでお別れだが、いったいどちらへ」ときくと、「わが庵 は」とだけ言い捨てて別れた。 た。竹の編戸を手荒くたたき起して、「湯などとは言って 「なんの、宇治へ行くものか、知らぬと思って、六角堂の おられぬ、息が切れる、水を飲ませ」と駕籠かきどもが 声々にどなっている。そういえば先年、遊び仲間の森が急裏の辺りへ行く人さ」と言いも終らぬうちに、太夫からの っしま みよし お使い、引舟の対馬、太鼓女郎の三芳、土佐など、揚屋か がせすぎて駕籠屋を殺した野辺もこのあたりと思い合せ、 たんばぐち らは次兵衛、その他の男衆がご機嫌うかがいに参上して、 島原の空が懐かしく、星の薄れゆくのを待ちかね、丹波ロ の茶屋の小兵衛方に着くと、朝帰りの客待ち顔に見世の片「どうそあちらへ」と祭のようにひっきりなしに使いが来 方を開けて起き出るなり、「これは珍しいおのばり、高橋るのは、今全盛の高橋の威勢である。このときの有様、大 名もこんなことであろう。昼寝て、まず昨夜のくたびれを 様も、『待ち久しい』と昨日もおっしやってござりました。 ーり さ

4. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

165 巻 くちそろ はつね を聞いたか」。初音の太兵衛まじりに、四人口を揃へて、「おもひ出申しまし宅たつぶりご馳走になりました。 一九 一 ^ 以下、太夫・天神の行状。 * よしをかすいくわ た」と、笑ひ捨ててそかへりぬ。過ぎにし夏、吉岡に西瓜ふるまひ、出歯をあ一九寛文ごろ ( 一奕一 ~ 世 ID から上方 でも食しはじめた ( 近代世事談 ) 。 ところてんく らはし、妻木に海藻凝を喰はせ、「うまいなあーといはせし事も人の仕業そか = 0 九軒町の揚屋。 三御華足。仏の供物を盛る器 だん こたっ し。一とせ住吉屋の納戸にして、きぬがヘ・初雪、火燵の火にておけそくの団一三西区の京町堀の一名。 0 世之介が美の審判者となって、 ふしみぼり ちやごと 子を手にふれ茶事せし事、見て興あり。女のまじはりさもあるべしと、伏見堀太夫たちのはしたない一面を嘲笑。 ニ三正月の道中姿。 わるくち 一西廓通いの駕籠。 の悪口いひも、これをよしとぞ申し侍る。 一宝駕籠屋または駕籠かきをいう。 一天丹波街道の茶屋町、大宮通西 入町。客の送り迎えをした所。 毛丹波ロの茶屋の亭主。 天新年の祝い言葉。およろこび。 ながめは初すがた たん 元丹波口から島原大門に至る田 ニ ^ ニセ 餅一帯。「野辺ちかく家居しせれ ぎよけい ころくまか ニ四いれものニ五 姿の入物、おろせがいそげば、丹波ロの初朝、小六が罷り出て御慶と申し納ば鶯の鳴くなる声はあさなあさな ニ九 聞く」 ( 古今・春上 ) を踏まえる。初 うぐひすはつね しゅじゃくのべ 六め、朱雀の野辺近く、はや鶯の初音といふ太夫のけふの礼を見いではと、出口音は島原の太夫。 * 三 0 島原の大門を入った所の茶屋。 おほぶく の茶屋に腰懸けながら、さこが大福祝うて、「三度ござりませいとのお使誰ぢ「さこ」は女房の左近。 三一若水で沸かした大福茶 でんぎ や」、「鶴屋の伝左かたよりであんすあんす」と申す。「さらばそれへ行かうか三 = 揚屋町西側の揚屋鶴屋伝三郎。 三四 三三「でありますーのなまり。 のかぜ おもかげ こだいふさま あげやまち の」。揚屋町にさし懸れば、人の命をとる面影、「あれは小太夫様。これは野風 = 西以下、島原の太夫。 * ひと 三ニ , 一しか つまき かか なんど 三三 ニ六 たんばぐちはつあさ で しわざ つかひ 三 0

5. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

巻七あらまし その面影は雪むかし ( 四十九歳 ) 島原の太夫高橋は、容姿・諸芸ともにぬきんでていたが、特に暴力や権威に屈しない張 ざんまい の強い女郎であった。世之介と逢っていた時、かねて約束の尾張の大尽からの矢の催促も受けつけず、大尽が刃物三昧に およばうとしたが、遂に断り通した。 あげやまち まっしゃ 末社らく遊び ( 五十歳 ) ある日、世之介は島原揚屋町の風呂屋を借り切って、京都で知られた太鼓持どもに揃いの浴衣を 着せ、向き合った揚屋の二階から掛合漫才をさせて廓中を楽しませた。 がね 人のしらぬわたくし銀 ( 五十一歳 ) 物になる大尽と見れば、併をの客でもかまわず恋文をつけて稼ぐ、評判の新町の太夫 があった。「憎さもにくし」と世之介は、だまされたふりをして、懲らしめる。 たかお さかづき さす盃は百ニ十里 ( 五十二歳 ) 江戸吉原の代表的名妓、三浦屋抱えの高尾に逢おうと、世之介一行六人は東海道を下った が、九月から翌年正月までは約束済みという。そこで、口説きかけて二十八日めに、やっと客の目を盗んで逢うことがで キ、た。 しょわけひちゃう 諸分の日帳 ( 五十三歳 ) 出羽国に米の仕入れで出張中の世之介に、新町の太夫和州から不遇を訴える日記が届いた。廓勤 めのすべてを記した日記を贈るのは、愛する男への心中立て。世之介はただちに大坂へ引き上げる。 あづま ロ添へて酒軽籠 ( 五十四歳 ) さる大尽に請け出されたが喜ばす、湯水を絶って死んだ新町の名妓吾妻がひそかに言い交し た男は世之介であった。その吾妻の名妓ぶりを描く。 もんび しんまち しまばらあけばの 新町の夕暮島原の曙 ( 五十五歳 ) 九月九日、菊の節句の紋日に新町の揚屋で遊んでいた世之介は、ふと島原が恋しくなり、 はやか′」 早駕籠で、翌早朝、島原に駆けつけて遊ぶ。 さかかるこ わしゅう ゆかた

6. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

こんこん やりて たちばな 立っことを懇々とさとし、遣手の欲得づくの勘定も聞かず、 かぶろ かね 喰いさして袖の橘 ( 三十六歳 ) 銀などはかって手に持たす、禿が居眠りしてもしからず、 おうよう みか寺 ) 島原の三笠という女郎は、情が深くて鷹揚に生れつき、 「毎晩おそくまで用があるのだから無理もない」と、何事 ふ、つさい 太夫職にふさわしい風采である。衣装もよく着こなし、揚も都合よくとりなしてやって喜ばせ、太夫様のことならば 屋への道中姿も一風変り、少し世間ずれしているように見と、常々から思わせておき、実は世之介と忍び会っていた。 えるので、威勢のない男はおそれをなして、めったに会う 世之介はその年から揚屋の権左衛門方で三笠に会い初め ことがない てからというもの、借金のために決った揚屋では会えなく 。しかし馴染んでみると、 しいところの多い女で、 と・一 なった。何事も命が果てるまでと約束し、初めのうちはお 座持ちは賑やかに、床はしめやかに、不思議なほど思いを おうせ もしろく、中頃は味になり、後には不都合なことが重なり、 残させ、別れるなりはや重ねての逢瀬をどんな客にも待ち かご かねさせる。また、客の供の者、駕籠かきにいたるまで、 揚屋からは前々からの勘定書を突きつけられるし、三笠の 木枯しの吹く夜などは目立たぬように事を運んで、酒を飲抱え主からは堰かれる。死ぬなら今だと思うのだが、太夫 の真心を見捨てかねて、死ぬにも死なれない。自由に会え ませてやる。ちょっとしたことだが、下を恵む太夫の志は 巻 これで十分に通じるというものだ。自分に付いている座持ない身の上なので、人目を忍び、いま少し前に太夫の通っ た跡だと、その道筋を行きっ戻りつしながら、「もしも、 ちの太鼓女郎に対しても、たいていの情事は見逃すが、そ こんな暗がりに鬼の落した小判でもあればよい。話に聞い れでも揚屋の若い衆などと情交のある場合は、末に浮名の たゆう 巻 かかめし せ

7. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

好色代男 74 はやしかた 一「定めなき世の習ひ。・ : 今は 看板を見わたせば、都にて目を懸けて羽織などくれし、囃方の庄七といへる役 おんなげ 何と御嘆き候ひてもかひなき事」 さだ 者、これにたよりてあらましを語れば、「定めなき世のならひ、今嘆き給ふ事 ( 謡曲・隅田川 ) 。 ニ唄の心得がおありだから。 ひとふし くちすぎ 三出端踊りの唄。立役や若衆方 一なかれ」とたのもしく、「一節あそばしたれば、ロ過とおもはれて舞台勤めた の登場の際、花道で踊る時の伴奏 ながばかま しなのじようでは うた まへ」と、着おろしの長袴、足もとも定め兼ね、品之丞が出端の唄に、人なみの唄。 四女方の中で、特に若く美しい 女性に扮する役。 に頭をふって間をあはすこそをかし。 四 五 五男色で客を取ること。 わかをんながた 色ふかくて身のほどをしらず、若女方をそそのかし、外の勤めの邪魔なして、六高麗橋筋と今橋筋の中間にあ 六 った小路で、奉公人の出合宿、廓 おひだ ひかず うきよせうぢ 又そこをも追出されて、不思議の日数へて、けふ大坂の浮世小路に、我が事忘通いの駕籠屋その他、いろいろな 小店があった。 かごかきにしどなり れぬ人ありと尋ね行くに、花屋・煙草切り・駕籠舁の西隣に、何して世をわたセ紅欝金。赤みのある詳金色。 かち ^ 「かちん」は褐のなまり。褐染 ち のんれん は褐色の染色。布子は木綿の綿入 るともなく、柿ぞめの暖簾かけて女の一人暮せり。これは乳をのませし乳母が 着物。 あと 妹なり。この乳母も二三年跡に、はかなくさりぬ。されども、むかしの御恩と九「帯地類。幅二尺五寸、たけ 一丈、また一丈二尺。二つわり女 くれがた はだ て、あしからずもてなし奉りける。その暮方に、色つくりたる女、肌には紅う帯、三つわりにして男帯とす」 ( 万 金産業袋 ) 。一一つ割り女帯の幅は、 きめもの しまじゅす九 あかまへ こんの絹物、上にかちん染の布子、縞繻子の二つ割り左の方に結び、赤前だれ一尺二寸五分 ( 約三八じ。それを 二つに折って締める。 きりひきげた ごばうはなゅ して、桐の引下駄をはきて、たばね牛房に花柚などさげて、かの小家にはしり一 0 駒下駄に同じ。台も歯も一つ の材を挽いて作った下駄。 いっぞやたつじまきるもの よりて、「日外の竪縞の着物の、質の札を手もとにござるか」と、嚊にささや = 「小柚は俗に花柚といふ」 ( 和 かき ま ぞめぬのこ カ くら かた カカ

8. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

151 巻 段 ) を踏まえての昔三笠・袖の橘 である。 ふろ・さい ニ太夫にふさわしい風采。 そでたちばな 三親方の家から揚屋へ行く途中 喰ひさして袖の橘 の行装をいう。 すし すし 四「すし・ : 酸也、又鮨也。な いしゃう なさけ 情あって大気に生れつき、風俗太夫職にそなはって、衣裳よくきこなし、道れ過ぎたるといふ心也」 ( 色道大 五 鏡 ) 。 はギ・ まれ 中たいていに替り、すこしすしに見えて、幅のなき男はおそれてあふ事稀なり。玉威勢のない男。 なじみ 六馴染になってみると。 取入りてはよき事おほき人にして、座配にぎやかに床しめやかに、名誉おもひセ座持ち。一座のき。 ^ 目立たぬように事を運んで。 九やりとりをしない盃をやる。 を残させ、別るるよりはや重ねてあふまでの日を、いづれの敵にも待ち兼ねさ 酒を飲ませてやる。 九 あらし めしつ せ、召連れの者、駕籠までも、嵐ふく夜はわざとならぬ首尾に仕懸けて、さし一 0 太夫の思いやりはこれで十分 下々の者へ通じるというものだ。 さかづき一 0 捨ての盃、御こころざしはこれでもった。太鼓女郎にも大方なるわけは見ゆる = 座持ち女郎。位は鹿恋。 一ニ揚屋の若い衆。女郎が廓内の やりて やど はっと し、宿の男などとの事は、末に名の立つをひそかにしめし、遣手が欲ばかりの男と情を通ずることは法度であっ よふけ かぶろ 六算用もきかず、いやしき物は手にもたず、禿が眠るをもしからず、「夜更過ぐ一 = 金銭。 一四悪賢いわけ。世之介を情人と して忍びあっていた。 るまで用の事ありてあのはず」と、よろづよしなに申しなしてはよろこばせ、 一五借金のため一定の揚屋で逢う こともできず。 太夫様の事ならばと、常々思はせて置き、黠しき子細ありける。 一六島原揚屋町西側の揚屋三文字 みかさ 一五さだ 世之介はその年より宿も定めず、権左衛門方にて、三笠にあひそめ、何事も屋権左衛門 ( 色道大鏡 ) 。 とりい たいき かご たいふしよく ぎはい よ ^ こギ、か かた しさい とこ しゅびしか おほかた てき

9. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

ここが分別どころ、どうするつもりだ」、「今日は顔ぶれを て見上げると、なお星のようにきらめいて、同時に、ひと 変えて、玉川、伊藤、そのほか四、五人呼び寄せろ」と、 かたまりの真っ黒なものが動いた。山三郎は心を落ち着け、 早駕籠を仕立てて、宮川町へ迎えにやると、またたく間に、 「怪しいやっ、何者だ」と、言葉をかけると、「ほんとに、 男 代繰り込んで来た。この美しい姿を見ては、いやといわれた お恨みに存じます。矢先にかかって死んでしまえば、こん な * け 色ものではない。ある人がたとえて、「野郎遊びは散りかか な憂き目もみますまいに。お情でおとめくださったばかり おおかみ ばんのう る花のもとに、狼が寝ているようなものだし、女郎に馴染 に、なお思いは胸に迫り、煩悩に責められて骨は砕け、こ ちょうちん むのは、入りかかった月の前に提灯のないような気持だ」 の世ながらの地獄の苦しみでございます」と言いながら流 ふたみち そで と言ったが、どんな人でもこの二道には迷うであろう。 す涙が山三郎の袖にかかると、熱湯のようであった。「さ まくら 夜通し寝もしないで枕おどりや、いい年をしてぺい独楽、ては、どなたかをお慕いですか」と言うと、「問われてい さては扇引き、なんこなどして、自然、子供心になって立っそうせつのうございます。毎日、芝居であなたのお顔を あと たたず ち騒ぎ、びっしより汗をかいて風待ち顔に南向きの縁側に 拝み、楽屋帰りのお後をつけ、門口に佇んでお声を聞くた さっきやみたかべい えのき 出た。折からの五月闇、高塀の見越しに榎が茂っていたが、 びに、失神したことが何度もございました。今日は東山の ぞうりと その茂みの下葉から玉のような幾つもの光り物が見えた。 御会にお出かけと、草履取りどもがひそひそ話をしている みんなびつくりして庫裏や方丈に逃げ込み、気を失ったり のを聞きつけ、今一度お顔を拝したうえで、首をくくって こずえ 伏し転んだりした。なかに男一匹といわれ、ちっとは腕っ この世を去ろうと、この梢に登りましたところ、お顔を拝 やじり 節の強い者が、半弓に鳥の舌の形をした鏃のある矢をつがすのみかお一言葉まで交すことができたのですから、思い残 くれえん さんざぶろう ふびん えて、榑縁から飛び下りようとするのを、滝井山三郎とい すことはありません。不憫と思ってくださるなら、死んだ う若衆が後ろからその男を引き留め、「たとえ何者にせよ、 後でちょっとだけでも冥福を祈ってください」と、水晶の じゅず それほどのこともございますまい しばらくお待ちくださ数珠を投げ捨てた。「そうおっしゃれば、思い当ることが 手捕りにもできましようから」と、遠い木陰まで行っ あります。私も、心にかかればこそ、怪しむ人をとどめて、 や か

10. 完訳日本の古典 第50巻 好色一代男

なさけ 知らぬ恋の道かな」と自分より先に情を知る人があって詠まよいながら泉州堺まで辿り着き、大道筋柳の町に昔使っ ていた手代の親が住んでいたので、そこへ頼って行った。 んでいることなど思うのであった。 そうして漁師の女房たちとの情事もたび重なり、「ここ夫婦は喜んで迎え、「ただ今もあなたのことばかり心配し も案外住みいい所だ」と、足をとどめているうちに、訪ねて、大勢手分けして諸国をお尋ねしていたのでございます。 この六日の晩に親父様がお果てなさいました」と話してい てきて恨みをいう女が限りなくあった。どの女にもまとも しいかげんにまるめ るうちに、また京から人が来て、「これは不思議なところ に顔をあげて返事ができかねるのを、 込んで、女たちにせつない思いをさせた。この身一つを大へ来合せたものです。おふくろ様がどんなにお嘆きになっ ていることでしよう。とにかく急いでお帰りあそばせ」と、 勢で取り殺されたところで、どうなるものでもない。せめ はやかご ては皆さんの憂さ晴しにと酒をすすめ、昔の思い出話をし早駕籠でほどなく昔の住いに帰り着くと、一同つもる涙に いりまめ くれ、煎豆に花の咲く心地がして、「今は何を惜しむこと て慰め、船遊びして年月の難儀を忘れようと、今ここに多 かぎ があろう」と、母親が数ある蔵の鍵を渡したので、長年見 くの小舟を並べて、冲合はるかに漕ぎだした。折から六月 たんば の末で、山々に丹波太郎という入道雲がものすごく湧き上るかげもなく暮してきた世之介は、うって変って大金持と かね なった。「思う存分この銀をつかえ」と、母親が気をきか がり、にわかにタ立となって、雷が臍をねらって落ちはじ めた。息つくひまなく大風・稲光、女たちの乗っていた船して、二万五千貫目 ( 約二百五十億円 ) をそっくり渡した。 はどこへ吹き流されたのか、行方がわからなくなってしま確かなことである。いつでも、御用しだいに、太夫様へさ 四 つつ ) 0 しあげよう。「日頃の願いが今こそかなうときだ。思う者 しかし世之介は四時間あまりも波に漂い、吹飯の浦に打は請け出し、また名高い女郎は一人残らず、今こそ買わず 巻 におくものか」と神に誓って、太鼓持どもをかり集めての ち寄せられた。しばらくは気を失って、そのまま砂の中に つる うずも 四埋れていたが、流れ木を拾う人に呼び生かされ、名物の鶴豪遊に、またとない大尽ともてはやされた。 の鳴き声だけをかすかに聞き覚えたのみで、生死の境をさ へそ ふけい さかい だいどうすじ