この女 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)
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1. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

うしてあるのです。昔、金持の家がありました。この家は あげおめし 倉かなんかの跡でございます」と。まことに見ると、大き 一上緒の主が金を得る事 な土台石の石などがある。女はさらに、「その腰をかけて うね ひょうえふ おいでになった石は、その倉の跡を畑にしようとして畝を 今は昔、兵衛府の次官である人がいた。冠の上緒が長か ったので、世の人は、「上緒の主」と呼んでいた。ところ掘っているうちに、土の底から掘り出されたものです。そ れがこうして家の中にあるので、退けようと思うのですが、 で西の八条と京極との畑の中にそまつな小家が一軒ある。 ある時、上緒の主がその前を通っていた時にタ立が降って女は力が弱くて、かたづけようもありません。しやくにさ きたので、この家に馬から降りて入った。見れば女が一人わりながらもこうして置いてあるのです」と言った。そこ で上緒の主は、「自分がこの石を是非手にいれよう、後で いる。馬を引き入れて、タ立のやむのを待とうと、平らな からびつ 目の利く者が見つけるかもしれぬ」と思って、女に、「こ 小さな唐櫃のような石があるのに腰をかけていた。小石を たた の石を私がいただきましようよ」と言うと、「ありがたし 持ってこの石を手慰みに叩いていたが、打たれてへこんだ 十 ことです」と言う。そこでそのあたりの知合いの下人に荷 第ところを見ると、そこが金色に光っている。 巻 「珍しいことかな」と思って、はげたところに土を塗って車を借りにやらせて、石を積んで出ようという時に、ただ 隠して、女に尋ねる、「この石はどういう石だ」。すると女で取りあげるのは罪深く思われたので、着ていた綿入れの が答えて言う、「さあ、どういう石でしようか。昔からこ着物を脱いでこの女に与えた。女はわけも分らず、大騒ぎ 巻第十三

2. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

に取らせし袴なりけり。こは 、、に、この女と思ひつるは、さは、この観音の示す。 しづく せさせ給ふなりけりと思ふに、涙の雨雫と降りて、忍ぶとすれど伏しまろび泣 けしき く気色を、男聞きつけて、あやしと思ひて走り来て、「何事そ」と問ふに、泣 くさまおばろけならず。「いかなる事のあるぞ」とて見まはすに、観音の御肩一三一通りでない。普通でない。 一四その女に与えたと思っていた に赤き袴かかりたり。これを見るに、「いかなる事にかあらん」とて有様を問袴が。 一五言い終りもせぬうちに。 へば、この女の思ひもかけず来て、しつる有様をこまかに語りて、「それに取一六胸がつまるほど感動的で。 宅ものごとの道理をわきまえる らすと思ひつる袴の、この観音の御肩にかかりたるそ」といひもやらず、声を心を持っている者は。 一〈手をすり合せて、観音像を拝 をのこそらね 立てて泣けば、男も空寝して聞きしに、女に取らせつる袴にこそあんなれと思んで。『今昔』は「此レヲ聞テ、貴 かなしま ビ不悲ズト云フ事無シ」。 らうどう 一 ^ す ふがかなしくて同じゃうに泣く。郎等どもも物の心知りたるは、手を摺り泣き一九観音像をお納めし、御堂の戸 かへすがヘ を閉めて。『今昔』は「女返々ス礼 みの とぢ 拝シテ、堂ヲ閉納メテ」。 けり。かくてたて納め奉りて、美濃へ越えにけり。 ニ 0 それそれ他の男女に気を散ら のち よこめ その後思ひかはして、また横目する事なくて住みければ、子ども産み続けなすことなくむつまじく暮している ほかおもひ 九 うちに。『今昔』は「他ノ念無ク棲 つるが ケル程ニ」。 第どして、この敦賀にも常に来通ひて、観音に返す返すっかうまつりけり。あり 三心をこめて。ねんごろに。 巻 し女は、「さる者やある」とて、近く遠く尋ねさせけれども、さらにさる女な一三そういう者がいるかどうか。 ニ三その女が再び訪れて姿を見せ のちニ三 かりけり。それより後、またおとづるる事もなかりければ、ひとへにこの観音るようなこともなかったので。 一九をさ なにごと 三これはどうしたことだ。 たふと

3. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

一三現在の福井県敦賀市。巻一第 ゑちぜんのくに一三 一八話参照。 越前国に敦賀といふ所に住みける人ありけり。とかくして、身一つばかり、 一四あれこれ才覚を働かせて。 むすめひとり わびしからで過しけり。女一人より外に、また子もなかりければ、この女をそ一五不自由なく。貧しくはなく。 一六無二の者として。このうえも またなきものにかなしくしける。この女を、我があらん折、頼もしく見置かん 宅かわいがっていた。 とて、男あはせけれど、男もたまらざりければ、これやこれやと四五人まで天生きているうちに。存命中に。 一九夫によさそうな男を引き合せ のち はあはせけれども、なほたまらざりければ、思ひわびて、後にはあはせざりけ ニ 0 通婚時代であったことを念頭 うしろ す におけば、長く通い続けてくれな り。居たる家の後に堂を建てて、「この女助け給へ」とて、観音を据ゑ奉りけ かったので、の意と解したい。 る。供養し奉りなどして、いくばくも経ぬ程に、父失せにけり。それだに思ひ三観世音菩薩。諸菩薩中最も広 く崇拝される。大慈大悲に富み、 なげ 歎くに、引き続くやうに母も失せにければ、泣き悲しめども、いふかひもな三十三身に姿を変えて衆生の苦悩 九 を除くとされる。 一三開眼の供養をしたことをいう。 ニ三知行する所。所領地。 ニ四注意深くやりくりして。 知る所などもなくて構へて世を過しければ、やもめなる女一人あらんには、 いかにしてか、はかばかしき事あらん。親の物の少しありける程は、使はるる ゑちぜんつるが = 一越前敦賀の女観音助け給ふ事 すぐ 一セ ニ四 すぐ

4. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

物腰が気高く感じられたので、栗を焼き、また茹でなどし あった。「ではどうしたらよかろうか」と仰せられると、 びと て高坏に盛って差しあげた。皇太子はその二種類の栗を、 女は、「お見受け申すところ、ただ人ではいらっしやらな 「願い事が成就するなら、芽を出して木になれ」と言って、 いお方のようです。ではお隠しいたしましよう」と言って、 山の傍らに埋められた。里人はこれを見て不思議に思い 洗い桶をひっくり返してその下にお隠しして、その上に布 目印をさして置いた を多く置いて、水を汲みかけては洗っていた。しばらくし しまのくに そこを出られて志摩国の方へ、山に沿ってお出になった。 て兵が四、五百人ばかりやって来た。女に、「ここから人 その国の人が不審がってお尋ねすると、「道に迷った者だ。 が渡ったか」と聞くと、女は、「高貴なお方が、軍勢千人 しなののくに 喉がかわいた。水を飲ませよ」と仰せられたので、大きな ばかりを連れておいでになりました。今ごろは信濃国にお つるべ 釣瓶に水を汲んで差しあげると、皇太子は喜んで、「おま入りになったでしよう。すばらしい竜のような馬に乗って かみ みののくに えの一族をこの国の守としよう」と仰せになって、美濃国飛ぶようにしておいでになりました。この小勢では、たと へおいでになった。 え追いっきなされたとしても、みな殺されてしまいましょ すのまた この国の墨俣の渡し場に、舟もなくてお立ちになってい う。これから帰って軍勢を多く調えたうえでなら、追いか た時に、女が大きな桶に布を入れて洗っていたが、皇太子けることもできましよう」と言ったので、まことと思って、 が、「この渡し場を何とかして渡してくれないか」とおつ大友皇子の軍勢は引き返してしまった。 しやると、女は、「一昨日、大友の大臣のお使いという者 その後、皇太子は女に向って、「このあたりで軍勢を募 五 が来て、渡しの舟などをみな取り隠させて行ってしまいま ったら、集って来るだろうか」とお尋ねになったので、女 十 第したので、ここをお渡し申したとしても、この先のたくさ はあちこち走りまわって、その国の主だった者たちを集め 巻 こうしてたくらん んの渡し場をお通りにはなれますまい て説きふせると、たちまち二、三千人ほどの軍勢がそろっ おうみのくに た。それを引き連れて大友皇子を追撃され、近江国大津と でいることですから、今ごろ軍勢が攻め寄せて来ているこ とでしよう。とてもお逃れにはなれますまい」と言うので いう所に追いつめて戦ったところ、皇子の軍は敗れて散り たかっき おけ おも

5. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

った。気だては分らぬが、顔つきはさわやかである。お供話してください」と言う。まき人は喜んで、あの若君が先 の人を四、五人ほど連れていた。この君が、「ここが夢解ほど入って来たのと同じように入って来て、夢語りをする きの女の家か」と尋ねると、お供の侍が、「ここでござい と、女も同じように言う。まき人はたいへんうれしく思っ 語 物ます」と言ってやって来るので、まき人は奥の方に引っ込て、着物を脱いで与えて立ち去った。 拾み、そこにある部屋に入って、穴からのぞいて見ていた。 その後、書物を習い学ぶと、めきめきと進みに進んで、 宇すると、この君がお入りになり、「夢をしかじか見たのだ。 学識のある者になった。朝廷でもお聞きになって試験をさ もろ・一し どういうものか」と言って、語って聞かせる。女はそれをれたが、まことに学才が深かったので、唐へ、「文物をよ もろ - 一し 聞いて、「本当にすばらしい夢です。きっと大臣にまで御 くよく学び来よ」と言って派遣した。長らく唐にいて、 出世なさるはずです。返す返すもすてきな夢を御覧になり ろいろのことを習い伝えて帰って来たので、天皇はすぐれ おば ました。決して決して人にお話しなさいますな」と申した た人物と思されて、しだいに昇進せしめられて、大臣にま ので、この君はうれしそうな様子で、着物を脱いで女に与でなされたのであった。 えて帰って行った。 だから、夢を取るということま、、、 。し力にも恐ろしいこと びっちゅうのかみ その時、まき人は部屋から出て来て、女に言った。「夢である。あの夢を取られてしまった備中守の子は、官職も は取るということがあると聞いている。この君の御夢を自 ない者で終ってしまった。もし夢を取られなかったなら、 分に取らせてほしい。 国守は四年過ぎると都に帰り上って大臣にまでもなったであろう。だから夢を人に聞かせては しまう。私はこの国の者だから、いつまでも長くここにい ならぬものだと、言い伝えているのである。 るわけだし、そのうえに郡司の子なのだから、私をこそた いせつに思ってはどうか」。女は、「おっしやるとおりにい 六大井光遠の妹の強力の事嫺 たしましよう。それでは、さっきおいでになった若君のよ かいのくにすもうとり うにしてお入りになり、その語られた夢を、寸分違わすに 今は昔、甲斐国の相撲取の大井光遠は、背が低く太って ( 原文一六八ハー )

6. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

あか もしてあれば、明くあり。さてこの道則思ふやう、よによにねんごろにもてな一五はなはだ。まったくもって。 一六好意を見せてくれたあの郡司 の妻である人に対して。 して志ありつる郡司の妻を、うしろめたなき心つかはん事いとほしけれど、こ 宅気がとがめるようなよからぬ の人の有様を見るに、ただあらん事かなはじと思ひて、寄りて傍に臥すに、女、思いを抱くこと。「うしろめたな し」は「うしろめたし」に同じ。 。いはん方なくうれしく覚え天郡司に対しては体裁が悪いが。 けにくくも驚かず。ロおほひをして笑ひ臥したり 申し訳ないが。 ひとかさね ければ、長月十日比なれば衣もあまた着ず、一襲ばかり男も女も着たり。香ば一九少し憎らしい感じがするくら い落ち着いていて。 ふところ かぎり きぬ しき事限なし。我が衣をば脱ぎて女の懐へ入るに、しばしは引き塞ぐゃうにしニ 0 陰暦の九月十日。 ニ一一対の上着と下着の衣服だけ。 けれども、あながちにけにくからず懐に入れぬ。男の前の痒きゃうなりければ、一三強く拒むようなそぶりも見せ ニ五 ず。 おとがひひげ ニ四 ニ三底本「いりぬ」。文意により改 探りて見るに物なし。驚きあやしみて、よくよく探れども、頤の鬚を探るやう める。諸本は「入ぬ」。 あとかた まらうせ 一西『今昔』は「閘失ニタリ」とする。 にて、すべて跡形なし。大きに驚きて、この女のめでたげなるも忘られぬ。こ あごひげ ニ五顎鬚。 の男探りて、あやしみくるめくに、女、少しほほゑみてありければ、いよいよ兵きれいにさつばりとない。 毛取り乱してあわてる。うろた ねどころ 心得ず覚えて、やはら起きて我が寝所へ帰りて探るに、さらになし。あさましえる。 九 第くなりて、近く使ふ郎等を呼びて、かかるとはいはで、「ここにめでたき女あ よろこ 巻 り。我も行きたりつるなり」といへば、悦びてこの男往ぬれば、しばしありて、 ニ九 3 ニ ^ ょによにあさましげにて、この男出で来たれば、これもさるなめりと思うて、 ながっき ′一ろ ニ七 ニ三 かた かゆ かたはら ふた ニ〈まったくどうもムロ点がい力な いというような顔つきをして。 ニ九自分と同じ目にあってきたよ

7. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

267 巻第九 き・ト - う あたりには人もいない。灯火は几帳の外にともしてあるの たきぐちみちのり で明るい。そこで、この道則が思うには、実に心から丁重 一滝ロ道則が術を習う事 にもてなして好意を尽してくれた郡司の妻にうしろ暗いや ちよくし ようぜいいん ましい心を抱くのは郡司に気の毒であるが、この女の様子 昔、陽成院が御位についておられた時、滝ロ道則が勅旨 しなののくに みちのく を見ると、このまま黙っていることはできそうもないと思 を承って陸奥へ下る途中、信濃国ひくうという所に泊った。 ごちそう 郡司の家に宿をとった。御馳走をしてもてなしてから、主って、近寄って傍らに寝ると、女は憎らしいくらいに落ち 人の郡司は、家来を引き連れて出て行った。なかなか眠れ着いていて驚かない。袖でロをおおって笑いながら寝てい る。言いようもなくうれしい気分であり、九月十日ごろな なかったので、そっと起き出して、ぶらぶら歩いているう びようぶ ちに、ふと見ると、屏風を立てめぐらして畳などを小ぎれので、着物もあまり着ておらず、男も女も一重ねだけ着て いた。このうえもなくかぐわしい。男は自分の着物を脱し いに敷き、火をともして万事感じよく整えられている。香 ふところ で、女の懐に入ろうとすると、しばらくは肌をふさぐよう をたいているものとみえて、かぐわしい匂いがしている。 にしたが、しいて拒むようなそぶりを見せるわけでもなく、 いよいよ奥ゆかしく思われて、よくのそいて見ると、年の ころ二十七、八ばかりになる女が一人いた。顔だちや人品、懐に入れた。その時に男は前の物がかゆいような気がした いちもっ ので、探ってみると、一物がない。驚き怪しんでよくよく 姿、様子などの格別に美しい人がたった一人で寝ていた。 あごひげ 探ったが、顎鬚を探るようで、まったく跡形もない。大い それを見るや、ただ黙って見過すべき気持になれない。 巻第九 106

8. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

一 0 現在の岐阜県の南部。 あんばちすのまた = 岐阜県安八郡墨俣町。上代か おほき この国のすのまたの渡に舟もなくて立ち給ひたりけるに、女の、大なる舟にらの交通の要衝。 一ニ槽。木製の大きな箱形の桶 わたりなに ここは洗濯槽 布入れて洗ひけるに、「この渡、何ともして渡してんや」とのたまひければ、 をとつひ わたり 女申しけるは、「一昨日、大友の大臣の御使といふ者来たりて、渡の舟ども、 わたり みな取り隠させて往にしかば、これを渡し奉りたりとも、多くの渡、え過ぎさ せ給ふまじ。かく謀りぬる事なれば、今、軍責め来たらんずらん。いかがして一三追手の軍勢が攻め寄せて来て しることでーよ , つ。 のがれ給ふべき」といふ。「さてはいかがすべき」とのたまひければ、女申し けるは、「見奉るやう、ただにはいませぬ人にこそ。さらば隠し奉らんーとい 五ひて、湯舟をうつぶしになしてその下に伏せ奉りて、上に布を多く置きて、水 十 第汲みかけて洗ひ居たり。しばしばかりありて、兵四五百人ばかり来たり。女 ここから誰か渡ったか。 に問うて日く、「これより人や渡りつる」といへば、女のいふやう、「やごとな一六追手をたじろがせるためにわ ざと員数を誇張して言った。 しなののくに 宅現在の長野県。 き人の、軍千人ばかり具しておはしつる。今は信濃国には入り給ひぬらん。 のど がりて問ひ奉れば、「道に迷ひたる人なり。喉渇きたり。水飲ませよーと仰せ つるべ られければ、大なる釣瓶に水を汲みて参らせたりければ、喜びて仰せられける なんぢぞう かみ は、「汝が族に、この国の守とはなさん」とて美濃国へおはしぬ。 わたり おおき ぐ いくき一 つかひ みののくに つはもの びと 一四どうもただ人ではいらっしゃ らないお方のようです。

9. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

腹、胸を踏まんに、おのれは生きてんや。それにかの御許の力は、光遠二人ば一生きていられようか、ひとた まりもないだろう。 かり合せたる力にておはするものを。さこそ細やかに女めかしくおはすれども、ニ握っている手が広がって放し てしまうほどなのだから。 語 うで 三ああ、男であったならば。 物光遠が手戯れするに、捕へたる腕を捕へられぬれば、手ひろごりてゆるしつべ 四対抗できる相手はいないであ をのこご 治きものを。あはれ男子にてあらましかば、あふ敵なくてそあらまし。口惜しくろうに。 五ぞっとして生きた心地がしな かったとい , っこと。 女にてある」といふを聞くに、この盗人死ぬべき心地す。女と思ひて、いみじ 六その効果はなかった。 しち セおまえをば殺すはずのところ き質を取りたると思ひてあれども、その儀はなし。「おれをば殺すべけれども、 と 御許の死ぬべくはこそ殺さめ。おれ死ぬべかりけるに、かしこう疾く逃げて退 ^ 妹が死にそうになったのなら し・もしょ , つ。 からき 九おまえは死ぬはずのところで きたるよ。大なる鹿の角を膝に当てて、小さき枯木の細きなんどを折るやうに かへりおのれ あったのに。『今昔』は「返テ己ガ しめべ 可死カリケルガ」とする。 あるものを」とて、追ひ放ちてやりけり。 にが 一 0 『今昔』は「男ヲバ追ヒ逃シテ もろこしびとむすめ = 『今昔』巻九第一八話に「震旦 七ある唐人女の羊に生れたるを知らずして殺す事 ノ貞観ノ中ニ魏王府ノ長吏トシテ、 京兆ノ人、韋ノ慶植ト云フ人有ケ リ」とある。貞観は唐の太宗の年 つかさ 今は昔、唐に、何とかやいふ司になりて下らんとする者侍りき。名をば慶植号で、六二七 ~ 六四九年。 一ニ底本および諸本「けいそく」。 う といふ。それが女一人ありけり。ならびなくをかしげなりし。十余歳にして失一三『今昔』は「幼クシテ死ヌ」。 たはぶ おほき むすめ 九 五 ほそ かたき おもと みつとほ くちを 167 の

10. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

さた 妻に似たらん人をと思ひて、やもめにて過しけるが、若狭に沙汰すべき事あり一現在の福井県の一部。 一一始末をつけなければならない 問題があって。 て行くなりけり。昼宿り居る程に、片隅に居たる所も何の隠れもなかりければ、 語 三女の居所をさす。 のぞ 遺いかなる者の居たるそと覗きて見るに、ただありし妻のありけると覚えければ、四亡くなった妻。 . 拾 五待ち遠しい気持。 ~ 于目もくれ、心も騒ぎて、「いっしかとく暮れよかし。近からん気色も試みん 六近くで見て受ける感じ。 とて、入り来たるなりけり。 っゆたが 物うちいひたるより始め、露違ふ所なかりければ、「あさましく、かかりけセ意外さにあきれるほどに驚く こと る事もありけり」とて、「若狭へと思ひ立たざらましかば、この人を見ましゃ ^ 亡妻と今見る女とが瓜二つで あるという不思議をいう。 は」と、うれしき旅にそありける。若狭にも十日ばかりあるべかりけれども、 この人のうしろめたさに、「明けば行きて、またの日帰るべきぞ」と、返す返九気がかりなために。 一 0 次の日。 らうどう す契り置きて、寒げなりければ、衣も着せ置き、郎等四五人ばかり、それが従 = 女が寒そうに見えたので。 『今昔』は「女ノ着物ノ无キヲ見テ、 ぐ こえ 者など取り具して廿人ばかりの人のあるに、物食はすべきゃうもなく、馬に衣共着セ置テ、超ニケリ。郎等四 一ニ五人ガ従者共取リ加へテ、二十人 なげ おき 草食はすべきゃうもなかりけれよ、 。いかにせましと思ひ歎きける程に、親の御許ノ人ヲゾ置タリケル」。 にしびさし 一ニ元来は内裏後諒殿の西廂にあ づしどころ をんな きかよ る賄い所。転じて、台所。「厨子」 厨子所に使ひける女の、むすめのありとばかりは聞きけれども、来通ふ事もな は調度類を置く戸棚 くて、よき男して事かなひてありとばかりは聞きわたりけるが、思ひもかけぬ一三幸せな暮しをしている。 すぐ 四 六 わかさ けしき