太刀 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)
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1. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

あけくれ りて、それに生きたる猿丸を捕へて、明暮は、やくやくと食ひ殺させて習はす。一「役々と」で、仕事として、も つばらに、の意。 かたき ニこのうえないほどに鋭い太刀。 さらぬだに猿丸と犬とは敵なるに、いとかうのみ習はせば、猿を見ては躍りか 語 「太刀」は大ぶりの刀。「大刀和名 たちみが かぎり 遺かりて食ひ殺す事限なし。さて明暮はいらなき太刀を磨き、刀を研ぎ、剣を設太知、小刀加太奈」 ( 和名抄 ) 。 もろは 四 三多く両刀の刀をいう。 一き ちぎり 一とぐ一 ~ 于けつつ、ただこの女の君と一一 = ロ種にするやう、「あはれ、前の世にいかなる契を四きまって口にする話題 五ああ。詠嘆語。 六きっとお別れ申しあげること して、御命にかはりていたづらになり侍りなんとすらん。されど御かはりと思 になろうと思いますことが。「給 六 と心細ふる」は謙譲の補助動詞 ( 下二段活 へば、命はさらに惜しからず。ただ別れ聞えなんずと思ひ給ふるが、い 用 ) 。会話文に用いられる。 セ大きな神社におかれ、神事を くあはれなる」などいへば、女も、「まことに、、かなる人のかくおはして思 主宰する神官。神官の長。 〈長形の櫃、長持の類。衣類・ ひ物し給ふにか」と言ひ続けられて、悲しうあはれなる事いみじ。 調度類を入れ、運ぶ時は棒を通し みやづかさ さて過ぎ行く程に、その祭の日になりて、宮司より始め、万の人々こそり集て前後でかつぐ。 九ひそかに。『今昔』は「男狩衣 ながびつ ひきそへ ばかり りて迎へにののしり来て、新しき長櫃をこの女の居たる所にさし入れていふや袴許ヲ着テ、刀ヲ身ニ引副テ長櫃 ニ入ヌ」とする。 いけにへいだ う、「例のやうにこれに入れて、その生贄出されよ」といへば、このあづま人、一 0 自分よりも下位の卑しい相手 に対していう対称代名詞。おまえ ひっ九 ら。キ、き、士玉ら。ここは - 冢 ~ 論に対す・ 「ただこの度の事は、みづからの申さんままにし給へ」とて、この櫃にみそか る物言いに用いたもの。『今丑日』に は、この男の大に呼びかけ言い聞 に入り伏して、左右の側にこの犬どもを取り入れて、いふやう、「おのれら、 かせる言葉や、犬が鼻を鳴らして この日比いたはり飼ひつるかひありて、この度の我が命にかはれ。おのれら身をすり寄せてくるという叙述が ひごろ め 五 よろづ と をど つるぎ

2. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

夜もすがら、我がしたるなど聞えやあらんずらんと、胸うち騒ぎて思ふ程に、一四洗ったりしてきちんと始末し て。 のち おほひ みかど おほき いく一五東大宮大路に面した大炊の御 夜明けて後、物ども言ひ騒ぐ。「大宮、大炊の御門辺に、大なる男三人、 門、すなわち郁芳門のあたり。 程も隔てず斬り伏せたる、あさましく使ひたる太刀かな。かたみに斬り合ひて一六驚くほど見事な太刀さばきよ。 宅お互いに。 死にたるかと見れば、同じ太刀の使ひざまなり。敵のしたりけるにや。されど、 てんじゃうびと おーしきゃう 盗人と覚しきさまそしたる」などいひののしるを、殿上人ども「いざ、行きて一 ^ 『今昔』は「盗人ト思様ニシタ ルナリ」と、微妙に異なる。 一九 見て来ん」とて誘ひて行けば、行かじはやと思へども、行かざらんもまた心得一九行きたくないなあ。 ニ 0 現場に走らせ近寄せて見ると。 られぬさまなれば、しぶしぶに往ぬ。 ニ一鬚むくじゃらな男。 ニ 0 車に乗りこばれて、やり寄せて見れ、 。いまだともかくもしなさで置きたり一三無地の。 ニ三狩襖。裏つきの狩衣。 かつらひげ むもんはかま けるに、年四十余りばかりなる男の鬘鬚なるが、無文の袴に紺の洗ひざらしの = 四汗取りの短い単衣。 ニ四 ニ六 一宝底本および諸本「さやっか」。 あを きめかぎみ しりざや さかつら 襖着、山吹の絹の衫よくさらされたる着たるが、猪のさかつらの尻鞘したる太『今昔』により改める。「逆頬」は猪 などの獣の毛並を逆立てたもの。 くっ および 一宍水などから太刀の鞘を保護す 一刀はきて、猿の皮の足袋に沓きりはきなして、脇を掻き、指をさして、と向き 十 るための毛皮の袋。 第かう向き、物いふ男立てり。 毛書陵部本・陽明文庫本・京大 本・吉田本は「牛ノ皮」。『今昔』は ざふしき かたき 何男にかと見る程に、雑色の寄り来て、「あの男の、盗人敵にあひて、つか「鹿ノ皮ノ沓履タル有リ」とする。 夭得意然とした気持でいるそぶ うまつりたると申す」といひければ、うれしくもいふなる男かなと思ふ程に、 ニ三 おぼ ニ七 さそ たび わきか ひ

3. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

「してやったり」と思っていると、「おおい、どうしたの ころを斬ることになり、太刀を持った腕を肩先から打ち落 してしまった。 だ」と言って、また誰かが走りかかって来たので、太刀を さす隙もなく小脇にはさんで逃げるのを、「こしやくなや そして走り去って、ほかに人がいるかと様子をうかが たが、人の気配もしなかった。そこで大走りに走って、中 つめ」と言って走りかかって来る者は、初めの者よりは走 るのが早く思われた。それで、「これは、まさか前にやっ御門の門から入って柱の陰に身をひそめて立ち、「召使い の子供はどうしたか」と待っていると、少年は東大宮大路 たよ , つには , つまく謀れまい」と思って、にわかに , つずくま を北に泣く泣く来たので、呼び止めると、喜んで走り寄っ ったところ、勢いよく突っ走っていたので、自分にけつま とのいどころ て来た。宿直所に戻って、着替えの衣服を取り寄せて着替 ずいてうつ伏せに倒れてしまったのを入れ違いに躍りかか ほうさしめき えて、前に着ていた袍と指貫には血がついてしまったので、 って起き上がらせず、そいつの頭をもまたぶち割ってしま 人目につかぬように少年に隠させ、しゃべらぬように口止 めをして、太刀に血のついたのを洗い落しなどして身なり 「もうこれでよい」と思っていると、実は三人いたので、 をととのえ、そ知らぬふりで宿直所に入って寝てしまった。 もう一人が、「そのまま逃しはすまいぞ。こしやくなこと うわさ をするやつめ」と言ってしつこく走りかかって来た。「今 夜通し、「自分がやったのだなどと噂になるのではない かみほとけ 度はわしはもうやられるだろう。神仏お助けください」と か」と、胸をどきどきさせて考えているうちに夜が明け、 おおい 祈り、太刀をのように取り持って、勢いつけて走って来それから人々ががやがや言い合っている。「大宮・大炊の みかど る者に、にわかにすっと立ち向うと、まっ正面から突き当御門辺に、大きな男を三人、いくらも隔てず斬り倒してい 十 第った。やつも斬ったが、あまりにも近く走り当ったために、 るのは、恐ろしくみごとな太刀さばきだ。互いに仲間同士 巻 着物さえ斬れなかった。自分は桙のように持っていた太刀 で斬り合って死んだのかと見ると、みな同じ太刀の使いよ かたき うだ。敵がやったものか。しかしどうも盗賊と思われる風 だったので、相手の体を受け止めて体のまん中を刺し通し たが、太刀の柄を返したために、のけざまにぶつ倒れると体だが」などと言い騒ぐ。それを聞いて殿上人たちが、 ひま つか

4. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

しうね けくしていくやっかな」とて、執念く走りかかりて来ければ、「この度は、我一殺されるだろう。「あやまっ」 は殺す意。 もろま はあやまたれなんず。神仏助け給へ」と念じて、太刀を桙のやうに取りなして、ニ長い柄の先に諸の剣のつい 語 た武器。 三意味不明。このあたり誤伝が 物走りはやまりたる者に、にはかにふと立ち向ひければ、はるはるとあはせて、 あるか。相手は腹を合せるように して、の意にとっておく。『今昔』 治走り当りにけり。やつも斬りけれども、余りに近く走り当りてければ、衣だに は「腹ヲ合セテ」とする。 斬れざりけり。桙のやうに持ちたりける太刀なりければ、受けられて中より通四相手の体を受け止める格好に なって。 つか りたりけるを、太刀の柄を返しければ、のけざまにたうれたりけるを斬りてけ五体のまん中を刺し貫いたとこ ろを。 六あおむけざまに倒れたところ れば、太刀持ちたる腕を肩より打ち落してけり。 たふ を。「たうれ . 、は「倒れ」の音便形 たふれ さて走り退きて、また人やあると聞きけれども、人の音もせざりければ、走『今昔』は「倒ニケルヲ」。 セ耳をすまして様子をうかがっ ことねりわらは り舞ひて、中御門の門より入りて柱にかい沿ひて立ちて、小舎人童はいかがし ^ 脇目もふらすに走りまわって。 よろこ つらんと待ちければ、童は大宮を上りに泣く泣く行きけるを呼びければ、脱び九大内裏の東面、東大宮大路に 面する待賢門のこと。 とのゐどころ きがヘ て走り来にけり。殿居所にやりて、着替取り寄せて着替へて、もと着たりける一 0 柱の陰に身をひそめて立って。 = 袍のこと。束帯・衣冠などの うへきめさしめき 上の衣、指貫には血の付きたりければ、童して深く隠させて、童のロよく固め際に着る上衣。 三指貫袴。裾に通っている紐を て、太刀に血の付きたる、洗ひなどしたためて、殿居所にさりげなく入りて臥足首の所で締めるようにな 0 てい る袴。 一三童にしつかり口止めして。 九 の かひな のば 六 たち 四 たび 五 きめ

5. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

んだので詮ないことであった。 て行った。そうして過しているうちに、雪が高く降り積っ この子が遊びに出 た日、外出もせずに家に籠っていたが、 かんだちめ て行ったまま、なかなか帰って来なかった。それでおかし 二十一ある上達部が中将の時召人に会う事 いと思って出て見ると、子供の足跡の後ろの方から、踏ん 今は昔、ある公卿がまだ近衛中将と言われたころ、宮中 だ足どりに沿うて、大きな犬の足跡があって、それからこ へ参内なさる途中で、法師を捕えて連れて行くのを見て、 の子の足跡が消えている。山の方へ行っているのを見て、 「これは虎がくわえて行ったもののようだ」と思うと、ど「これは何をした法師か」と聞かせると、「長年使われてい た主人を殺した者です」と言ったので、「それは実に罪の うしようもなく悲しくて、太刀を抜いて足跡をたずねて山 の方に行って見ると、岩穴の入口に、虎がこの子を食い殺重いことをしたものだ。ひどいことをした者かな」と、何 気なくつぶやいてお通りになった。この法師がそれを聞い して腹をなめて伏せっている。太刀を持って走り寄ると、 て、赤い血走ったようなけわしい目つきでにらみつけたの 逃げもせずにうずくまっているのを、太刀で頭を打っと、 で、中将は、「つまらぬことを言ってしまったものだ」と、 鯉の頭を割るように割れた。次にまたわきの方から食いっ こうと、走り寄って来る虎の背中を打っと、背骨を打ち切薄気味悪くお思いになって通って行かれた。するとまた別 の男をつかまえて引いて行くので、「これは何をした者か」 ったのでぐにやぐにやとなった。そうして子を死なせたけ しよう第一 れども、なきがらを小脇に挟んで家に帰ったので、その国と、性懲りもなく聞くと、「人の家に追い入れられていま した。追った男は逃げてしまいましたから、こいつを捕え の人々は見て、このうえもなく驚いた 十 - もみ、一し て行くのです」と言ったので、「たいしたことをしたわけ 第唐の人は虎にあったら逃げることさえむずかしいのに、 もろ - 一し こうして虎を打ち殺して子を取り返して来たので、唐の人でもなかろう」と言って、その捕えた人を見知っていたの で、頼んで許しておやりになった。 たちは、たいしたことだとほめそやして、「やはり日本の およそこういう心根の方で、悲しいめを見ている人をお 国は、武術のほうでは並びない国だ」と讃えたが、子が死 こも たた

6. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

たまは たる者あり。その玉取りて給らんーといひければ、さだしげ、人を呼びて、 「この供なる者の中に玉持ちたる者やある。それ尋ねて呼べ」といひければ、 そで このさへづる唐人走り出でて、やがてそのをのこの袖を控へて、「くは、これ三たちまちに。 一三ほら、この者だこの者だ。 ぞこれぞ」とて引き出でたりければ、さだしげ、「まことに玉や持ちたる」と さぶらふよし しぶしぶ 問ひければ、しぶしぶに候由をいひければ、「いで、くれよ」と乞はれて、袴一四『今昔』は「男渋々ニ候フト「ム」 とする。 らうどう の腰より取り出でたりけるを、さだしげ、郎等して取らせけり。それを取り一五さあ。どれ。 て、向ひ居たる唐人、手に入れ受け取りてうち振りてみて、立ち走り、内に入 一六七千疋を借用した質ぐさとし りぬ。何事にかあらんと見る程に、さだしげが七十貫が質に置きし太刀どもをて。 宅十振りの太刀をそっくり全部。 ふるすい なが 十ながら取らせたりければ、さだしげはあきれたるやうにてそありける。古水『今昔』に「十腰乍ラ貞重ニ返シ とら あたひ ひきなり 取セテ、玉ノ直高シ、短也ト云事 いはずな モ不云、何ニモ云事無シテ止ニケ 干一つにかへたるものをそこばくの物にかへてやみにけん、げにあきれぬべき 貞重モ用テゾ有ケル」と ある。 事そかし。 四 一 ^ たくさんの物。「十腰の太刀」 キ・一九あたひかぎり 第玉の価は限なきものといふ事は、今始めたる事にはあらず。筑紫にたうしせをさす。 巻 一九以下は『今昔』に見えない。 うずといふ者あり。それが語りけるは、物へ行きける道に、をのこの、「玉やニ 0 伝未詳。一説には「導師少僧 都」かとするが、不明。 ふところ 買ふ」といひて、反古の端に包みたる玉を懐より引き出でて取らせたりけるをニ一ある所へ出かける途上で。 かん 一七 ほう ) 」 つくし たち やみ

7. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

られた。こういう事情とも知らない寺の僧が、「御帳の布 いう人がいた。武士の家ではないが、人に尊敬され、こと 3 地を盗んだのではないか」と疑うかもしれないと思うと、 のほかに力が強かった。世間の評判などもよかった。 ふところ くろうど とのいどころ 困りはてて、まだ夜深いうちにそれを懐に入れて退出した。 若くて衛府の蔵人であった時に、宿直所から女のもとに 語 物「これをどうしたらよかろう」と思って広げて見て、着る 行こうとして、太刀だけを帯びて、召使いの少年をただ一 拾べき着物もなかったので、それでは「これを着物にして着人連れて、東大宮大路を南の方に下って行くと、内裏の大 宇よう」と思い至った。さて、これを着物にして着てからと 垣の内に人の立っている気配がしたので、恐ろしいと思っ いうものは、およそこの女を見る人は誰もみな、男も女も て通り過ぎて行った。折しも八、九日ごろの夜もふけて月 この女が愛らしくいとおしいものに思われて、何のゆかり は西山に近くなっていたので、西の大垣の内は陰になって もない人の手から、たくさんの物をもらったりした。むず人の立っているのも見えないが、大垣の方から声だけして、 かしい他人の訴訟にも、その着物を着て何の面識もない高「そこを行く男、止りおれ。若君がおいでだそ。通すまい 貴な方の所に参上して申しあげさせると、必ず成功した。 ぞ」と言った。そこで、「やはり来たな」と思って、すば こんなふうにして、人のもとから物をもらい、立派な夫に やく走り過ぎると、「きさま、そのまま通しはせぬそ」と、 も愛されて裕福に暮した。 走りかかって何か襲って来たので、うつ伏せになって見る それで、その着物をしまっておいて、必ず一大事と思う と、弓の形は見えずに、太刀がきらきらと光るのが見えた。 ような時に取り出して着るのであった。すると、必ず願い 「さては弓ではないな」と思って体を低くして逃げるのを、 がかなうのであった。 追いかけて来たので、「頭を打ち割られそうだ」と感じて、 にわかに脇の方につと寄った。追う者は走って来る勢いで、 のりみつ とどまることができず、先に出たので、則光はやり過して 八則光が盗人を斬る事 おいて太刀を抜いてひと打ちすると、頭をまん中から打ち たちばなのすえみち みちのく 今は昔、駿河の前司橘季通の父に、陸奥の前司則光と 割った。相手はうつ伏せになってどうと倒れた。 ( 原文一一〇ハー ) するが わき えふ

8. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

ますぞ。え過ぎじ」といひければ、さればこそと思ひて、すすどく歩みて過ぐ冠して語勢を強める接頭語。 一六通すまいぞ。 ニ 0 るを、「おれは、さてはまかりなんや」とて、走りかかりて物の来ければ、う宅案の定出た。 天用心深くすばやく。 つぶきて見るに、弓のかげは見えず。太刀のきらきらとして見えければ、木に一九こいつめ。きさま。 ニ 0 そのまま通すものか。そうは はあらざりけりと思ひて、かい伏して逃ぐるを、追ひつけて来れば、頭打ち破させぬそ。 ニ一『今昔』は「弓ニハ非ザリケリ かたはら おもひ ト心安ク思テ」とする。 られぬと覚ゆれば、にはかに傍ざまにふと寄りたれば、追ふ者の走りはやまり 一三伏せるように身を低くして。 すご て、えとどまりあへず先に出でたれば、過し立てて、太刀を抜きて打ちければ、 = 三走ってきた勢いにのって。 ニ四やり過しておいて。 まろ 一宝全書本は「ようしつ」。うまく 頭を中より打ち破りたりければ、うつぶしに走り転びぬ。 やった、の意。『今昔』は「吉ク打 ようしんと思ふ程に、「あれはいかにしつるぞ」といひて、また物の走りか ニ六おまえはどうしたのだ。 ニセ かり来れば、太刀をもえさしあへず、脇に挟みて逃ぐるを、「けやけきやっか毛腰にさすこともできず。 ニ ^ ①腕の立つやつだな、②こし はじめ やくな野郎め、ちょこざいなやっ な」といひて走りかかりて来る者、初のよりは走りのとく覚えければ、これは め、の両義があるが、ここは後者。 ニ九 三 0 一よもありつるやうには謀られじと思ひて、にはかに居たりければ、走りはやま = 九よもやさっきのようには。 十 三 0 急にしやがみ込んだところ。 第りたる者にて、我にけつまづきてうつぶしに倒れたりけるを、ちがひて立ちか三一先後入れ違いに立ち上がり、 たがへたち 巻 打ちかかって。『今昔』に「違テ立 かしら あがり かりて、起し立てず、頭をまた打ち破りてけり。 上テ」。 三ニ起き上がらせずに。 今はかくと思ふ程に、三人ありければ、今一人が、「さてはえやらじ。けや三三そのまま逃しはせぬそ。 ニ六 わ わき ニ四 三三

9. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

うず高く大きく盛り上げた品々を、次々に持って来ては並養の式の世話だけをするのか」と聞くと、「そうではござ いません。この政行めが供養申しあげるのです」と言う。 べていく。付添いの侍のためにもそう悪くもない料理を一、 二膳ほど前に並べた。下男や女たちの分にいたるまで、た「ではどうしてこれこれの仏と分っていないのか」と言う と、「きっと仏師が知っておりましよう」と言う。「変な話 くさん持って来た。また、講師のお食事として盛りだくさ たか、いかにもそうかもしれぬ、この男は仏の御名を忘れ んなものが並べられた。そ 講師にはこの旅の人の連れている たのであろう」と思って、「その仏師はどこにいるのか」 僧をあてよ , っとい , つのであった。 えいめいじ と聞くと、「叡明寺におります」と言う。「ならば近くだな。 こうして物を食べ酒を飲んだりしている時に、この講師 に招かれた僧が言うには、「明日の講師とは承っています呼べ」と言うと、この男は帰って行って呼んで来た。平べ ったい顔の法師で太っており、六十ばかりの者である。 が、これこれの仏を供養しようということはまだ承ってお いかにも分別のなさそうな様子をしたのが出て来て、政 りません。何という仏を供養申しあげるのでしようか。仏 ′ばう 行と並んで座ったのに、「御坊は仏師か」と聞くと、「さよ はさまざまおいでになります。それを承って説経をもした うです」と言う。「政行の仏を造ったのか」と聞くと、「お いものです」。これを直正が聞いて、もっともなことと思 、「政行はおるか」と言うと、この仏を供養奉ろうとす造りしました」と一 = ロう。「幾体お造りしたのか」と聞くと、 あかひげ る男であろう、背が高く、猫背で赤の、年五十ばかりの 「五体お造りしました」と言う。「さて、それは何という仏 ももめき をお造りしたのか」と聞くと、「分りません」と答える。 者が、太刀を帯び、股貫をはいて出て来た。 九 「それはまたどうしてか。政行も知らぬと言う。仏師が知 「こちらへまいれ」と言うと、この男は庭の中にまわって 第 らぬなら、 いったい誰が知っているのだ」と言うと、「仏 控えた。恒正が「あのお僧は何という仏を供養し奉ること 巻 になるのか」と言うと、「どうしてそんなことを存じあげ師はどうして知っておりましよう。仏師が知るはずはあり 9 ましようか」と言う。「それはまたどうしてか。誰が分る ません」と言う。「ではいったい誰が知っているのか」と のか。もしやほかの人が供養し奉るのを、おまえはただ供言うと、「講師の御坊が御存じでしよう」と一言う。「これは

10. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

をねぶりて臥せり。太刀を持ちて走り寄れば、え逃げていかで、かい屈まりて一なめて。なめまわして。 ニ体をまるめて。 、ひかしら 居たるを太刀にて頭を打てば、鯉の頭を割るやうに割れぬ。次にまたそばざま三横の方から食いっこうとして。 語 ハ、にやハ、にやにしてし士った。 物に食はんとて走り寄る背中を打てば、背骨を打ち切りてくたくたとなしつ。さ 治て子をば死なせたれども、脇にかい挟みて家に帰りたれば、その国の人々、見 = 意味上は、「子をば」は「脇に かい挟みて」にもかかる。 かギめ・ て怖ぢあさむ事限なし。 一もろ - 一し 唐の人は虎にあひて逃ぐる事だに難きに、かく虎をば打ち殺して、子を取六「には」は、「は」とあるべきと ころ。前話の「なほ兵の道は、日 もろこし り返して来たれば、唐の人は、いみじき事にいひて、「なほ日本の国には兵のの本の人い当るべくもあらす、 ( 一四八ハー ) に引かれたか。 セ何になろうか。むなしいこと 方はならびなき国なり」とめでけれど、子死にければ何にかはせん。 だ、の意 めしうど かんだちめ 二十一ある上達部中将の時召人にあふ事 今は昔、上達部のまだ中将と申しける、内へ参り給ふ道に、法師を捕へて率〈近衛中将。近衛府の次官。従 四位下にあたる。 さぶらふ て行きけるを、「こは何法師そーと問はせければ、「年比使はれて候主を殺し九宮中。 一 0 これは何をした法師か こ、一ろう さぶらふ て候者なり」といひたれば、「まことに罪重きわざしたる者にこそ。心憂きわ かた お ふ わき はさ かた とし′、ろ な七 157 かが 六つはもの 四