つねまさ いっかいっかと。今か今かと。 明けぬれば、いっしかと待ち居たる程に、恒正出で来にたり。さなめりと思 ニそうらしい。持って来たよう ふ程に、「いづら。これ参らせよ」といふ。さればよと思ふに、さる事はなけ 語 三さあ、どうそ。 ・も す さぶらひれう 遺れど、高く大きに盛りたる物ども持て来つつ据ゅめり。侍の料とて、悪しくも四これをお召しあがりください。 五やはりそうか。 きゃう ・も ざふしき ~ 于あらぬ饗一二膳ばかり据ゑつ。雑色、女どもの料にいたるまで数多く持て来た六格別なことはないけれども。 京大本などは「させることはなけ り。講師の御試みとて、こだいなる物据ゑたり。講師にはこの旅なる人の具しれど」とする。 セ「据う」 ( ワ行下一一段活用 ) がヤ たる僧をせんとしけるなりけり。 行に転じたもの。 ^ 従者の分。 しゃう かくて、物食ひ、酒飲みなどする程に、この講師に請ぜられんずる僧のいふ九小者。下男 一 0 試食の品。食物。「身どもに こころみをくれなんだ程」 ( 狂言・ ゃうは、「明日の講師とは承れども、その仏を供養せんずるぞとこそえ承らね。 河原太郎 ) 。 なにほとけ 何仏を供養し奉るにかあらん。仏はあまたおはしますなり。承りて説経をもせ = 巨大なもの。「古代なる」「小 台なる」ととる異説もある。 ま一ゆき ばや」といへば、恒正聞きて、さる事なりとて、「政行や候」といへば、この三話頭部の「あからさまに居た る人」をさす。 あかひげ 仏供養し奉らんとするをのこなるべし、長高く、おせぐみたる者、赤鬚にて年一三これこれの仏。 一四承っておりません。 たち ももめき 一五もっともなことである。 五十ばかりなる、太刀はき、股貫はきて出で来たり。 おほせくぐ 一六「大背屈む」の転訛か。背のや 「こなたへ参れ」といへば、庭中に参りて居たるに、恒正、「かのまうとは何や曲っている格好。いわゆる猫背。 ↓田一一一四ハー注九。 仏を供養し奉らんずるそ」といへば、「いかでか知り奉らんずる」といふ。「と宅股まである皮製の沓。 ロ かうじ たけ ぐ
むすめ むこ 長者の家にかしづく女のありけるに、顔よからん聟取らんと母の求めける一大事に育てている娘。 ニ顔のよいような婿。 あめした を伝へ聞きて、「天の下の顔よしといふ、『聟にならん』とのたまふ」といひけ 語 四 よろこ ちぎ 遺れば、長者脱びて、「聟に取らん」とて、日をとりて契りてけり。その夜にな = 吉日を選んで。 四婿に取る。 あか ~ 于りて、装束など人に借りて、月は明かりけれど、顔見えぬゃうにもてなして博 五 ( 行列も大勢で ) 格式高い相当 ち 打ども集りてありければ、人々しく覚えて心にくく思ふ。 の家から婿入りする人物であるよ うに見えて。 よるよるい さて夜々行くに、昼ゐるべき程になりぬ。いかがせんと思ひめぐらして、博六奥ゆかしく。 セ夜ごとに通っていたが。 ふたり 打一人、長者の家の天井に上りて、二人寝たる上の天井をひしひしと踏み鳴ら〈「ゐる、は、底本「ぬる」。諸本 により改める。昼もいっしょに暮 あめした して、いかめしく恐ろしげなる声にて、「天の下の顔よし」と呼ぶ。家の内のすような段階になった。婿入りが 正式なものになる状態。 者ども、「いかなる事ぞ」と聞き惑ふ。聟いみじく怖ぢて、「おのれをこそ、世 の人、『天の下の顔よし』といふと聞ナ。、、 ドレし力なる事ならん」といふに、三度 まで呼べば、いらへつ。「これはいかにいらへつるそ」といへば、「、いにもあら九どういうつもりで返事をした のか むすめ一一りゃう でいらへつるなりといふ。鬼のいふやう、「この家の女は我が領じて三年に一 0 つい思わす。我知らず。 = 自分のものにして。 なんぢ なりぬるを、汝いかに思ひて、かくは通ふぞ」といふ。「さる御事とも知らで 通ひ候ひつるなり。ただ御助け候へ」といへば、鬼、「いといと憎き事なり。 ち さぶら のば 三なんとも彼とも。 か
あぶみ さらなる鐙の、かくうべくもあらず。それに馬はいたくつまづけば落ちぬ。そ一盤のような平らな輪鐙であっ あぶみ て。「鐙」は「足踏」の意。鞍の両脇 あ かぶり に下げ、騎者が足をのせる馬具。 れ悪しからず。また冠の落つる事は、物して結ふものにあらず、髪をよくかき ニ底本「かくうへへも」。諸本に 語 より改める。ただし、ここは、踏 物入れたるにとらへらるるものなり。それに鬢は失せにたれば、ひたぶるになし。 六 み掛けることもできない、の意で なにおとどだいじゃう 「かくうべく」は「かくべく」とある 治されば落ちん事、冠恨むべきゃうなし。また例なきにあらず。何の大臣は大嘗 べきところか ゑごけい 会の御禊に落つ。何の中納言はその時の行幸に落つ。かくのごとく例も考へや三しかもそのうえに。 四紐などで結びつけておくもの あんない ではなく。 るべからず。しかれば、案内も知り給はぬこの比の若き君達、笑ひ給ふべきに 五留められているものなのだ。 にいなめ あらず。笑ひ給はばをこなるべし」とて、車ごとに手を折りつつ数へて言ひ聞六天皇が即位後初めて行う新嘗 祭。「御禊」は大嘗会の前の月の十 月、天皇が荒見川や賀茂川の河原 かす。 に出御して行うみそぎの儀式。 セ事情。 かくのごとく言ひ果てて、「冠持て来」というてなん取りてさし入れける。 かぎり うまぞひ その時に、とよみて笑ひののしる事限なし。冠せさすとて、馬添の日く、「落〈落ちられたらすぐに。 すなは 九ど , つでもよいこと。 ち給ふ則ち冠を奉らで、などかくよしなし事は仰せらるるぞ」と問ひければ、 のちのち 「痴事ないひそ。かく道理をいひ聞かせたらばこそ、この君達は後々にも笑は ざらめ。さらずは、口さがなき君達は長く笑ひなんものをや」とそいひける。 やく 人笑はする事役にするなりけり。 しれ′」と びんう ごろ かみ 一 0 そうしなければ。 = ロのうるさい。ロの悪い 三折につけて人を笑わせるよう なことを言う人物なのであった。 さら
かうどの = 上野守殿の略。頼信をさす。 らざりけり。聞く事だにもなかりけり。しかるに、「この守殿、この国をばこ はじめ ぢゅうだい れこそ始にておはするに、我らはこれの重代の者どもにてあるに、聞きだにも三この土地に何代も住み続けて いる住人。 せず、知らぬに、かく知り給へるは、げに人にすぐれたる兵の道かな」と皆さ ただつね さやき、怖ぢて渡り行く程に、忠直は、海をまはりてそ寄せ給はんずらん、舟一三主語は「討ち手の軍」。 はみな取り隠したれば、浅道をば我ばかりこそ知りたれ。すぐにはえ渡り給は さう じ。浜をまはり給はん間には、とかくもし、逃げもしてん。左右なくは、え攻一四容易には。たやすくは。 そろ らっレ J う め給はじと思ひて、心静かに軍揃へて居たるに、家のめぐりなる郎等、あわて かうづけどの さぶら 走り来て日く、「上野殿は、この海の中に浅き道の候ひけるより、多くの軍を 一五心用意。作戦計画。 引き具して、すでにここへ来給ひぬ。いかがせさせ給はん」とわななき声に、 一六「仕立て奉らん ( 用意をして使 したくたが あわてていひければ、忠恒、かねての仕度に違ひて、「我すでに攻められなんいを差しあげよう ) 」の意とみる大 系本の解釈に従う。 一六 みやうぶ ふみばさみ 宅服従を誓う証書としての名札。 一ず。かやうにしたて奉らん」といひて、たちまちに名簿を書きて、文挟にはさ 一 ^ 貴人などに書面を奉る時の用 十 第みてさし上げて、小舟に郎等一人乗せて持たせて、迎へて、参らせたりければ、具。長さ一・五ほどの白木の棒 とりぐち・ 巻 で、端に鳥ロという金具をつけ、 かうどの おこたりぶみ いだ 守殿見て、かの名簿を受け取らせて日く、「かやうに、名簿に怠文を添へて出その嘴の間に文書をはさむ。 0 一九謝罪文。降伏書。 せ す。すでに来たれるなり。さればあながちに攻むべきにあらず」とて、この文ニ 0 すでに降参して来ているのだ。 ぐ ニ 0 お つはもの
一七月の相撲の節の相撲人を召 果には相撲の使に下りぬ 8 集するために二、三月ごろ諸国に すまひ ことりづかい よき相撲ども多く催し出でぬ。また数知らず物まうけて上りけるに、かばね遣わされる官人。部領使とも。 五ロ ニ骨島。備前国 ( 岡山県 ) の瀬戸 1 一 = ロ 物嶋といふ所は海賊の集る所なり、過ぎ行く程に、具したる者のいふやう、「あ内海にあ。たとされる島で、『日 本霊異記』上巻七話の例からみて さぶら 治れ御覧候へ。あの舟どもは海賊の舟どもにこそ候めれ。こま、 : 、 。しカカせさせ給ふも、そこは海賊の巣窟であったら かどべのふしゃう べき」といへば、この門部府生いふやう、「をのこ、な騒ぎそ。千万人の海賊三皮で張った籠。 四きちんと身づくろいをして。 かは′ ) のりゆみ おいかけ ありとも、今見よ」といひて、皮籠より、賭弓の時着たりける装束取り出でて五矮。武官が冠が落ちるのを 五 ふせぐために用いた懸緒。毛で作 しゃうぞ ・おいかけ 六 ぢゃう り、菊花を半切にした形で冠の左 うるはしく装束きて、冠、老懸など、あるべき定にしければ、従者ども、「こ ほおすけ 右につける。頬をおおうので頬助 たて A も一い , つ。 いり・めキ、 は物に狂はせ給ふか。かなはぬまでも、楯づきなどし給へかしーと、 六きめられた作法どおりに。 めてうしろ セ手向い。抵抗 合ひたり。うるはしく取りつけて肩脱ぎて、馬手、後見まはして、屋形の上に 〈わあわあ言って、いらだっこ 立ちて、「今は四十六歩に寄り来にたるか」といへば、従者ども、「大方とかく 九手綱を持つほうの手の意で、 わうずい 右手。転じて右の方。すきの出来 申すに及ばず」とて黄水をつき合ひたり。「いかにかく寄り来にたるか」とい る後方と右方に敵がまわっていな うはやかた いかどうかを確かめた。 へば、「四十六歩に近づき候ひぬらん」といふ時に、上屋形へ出でて、あるべ 一 0 私註に「のり弓のやごろ也 ゆだち むね きゃうに弓立して、弓をさしかざしてしばしありてうち上げたれば、海賊が宗約十五間ほど也。とあり、一間は ほば三歩にあたると見れば、一歩 と は成人の歩幅と解される。 徒のもの、黒ばみたる物着て赤き扇を開き使ひて、「とくとく漕ぎ寄せて乗り はて すまひっかひくだ かい」く 0 さぶらふ のば おほかた ほお
きつど はるか かぬ程に、恐ろしげなる者来集ひて、遥なる山の険しく恐ろしき所へ率て行き こざかしい真似をする者。差 て、柴の編みたるやうなる物を高く造りたるにさし置きて、「さかしらする人し出口をきく者。 語 ニたいした罪でもないものをば。 物をば、かくそする。やすき事はひとへに罪重くいひなして悲しき目を見せしか軽い罪をば。 三仕返しに。返報に 治ば、その答にあぶり殺さんずるぞ」とて、火を山のごとく焚きければ、夢など 0 年若くかよわな、うぶな。ち なみに、この人物が後出の公任な 四 を見る、い地して、若くきびはなる程にてはあり、物覚え給はず。熱さはただあらば、十八歳から二十三歳までの ころにあたる。 かたとき かぶらや つになりて、ただ片時に死ぬべく覚え給ひけるに、山の上より、ゆゅしき鏑矢五わすかの間に。 六音のものすごい鏑矢。「鏑矢」 かぶら は木や鹿の角で蕪の形に作り、中 を射おこせければ、ある者ども、「こよ、 。しかに」と騒ぎける程に、雨の降るや を空洞にして数個の穴をあけた かりまた 「鏑」のついた矢。その先に雁股の うに射ければ、これらしばしこなたよりも射けれど、あなたには人の数多く、 やじり 鏃をつける。空を飛ぶ時、鏑の穴 ちら え射あふべくもなかりけるにや、火の行くへも知らず射散されて、逃げて往にを風が通って高い音響を発する。 なりかぶら 鳴鏑ともい、つ。 セ弓矢で渡り合うことはできそ うもなかったものか ひとり おば その折、男一人出で来て、「いかに恐ろしく思し召しつらん。おのれはその ^ ( 薪を山のように積んで焚い ていた ) 火もどこへやら。 九とく 月のその日、からめられてまかりしを、御徳に許されて世にうれしく、御恩報九おかげで。おかげをもって。 一 0 つけねらっているのを。 き一ぶら あ ひ ) 一ろ ひ参らせばやと思ひ候ひつるに、法師の事は悪しく仰せられたりとて、日比 = 自分がこうやってついていま すから心配ないと思っておりまし さぶらふ 窺ひ参らせつるを見て候程に、告げ参らせばやと思ひながら、我が身かくてたところ。 うかが あ たふ ゐ
かたはら した ら、つレ」う 一けしからぬ。 ひたり。路の傍なる木の下にうち入りて立てたりけるを、国司の郎等ども、 ニ一人で敵千人を相手にできる おきな きくわい とが 「この翁、など馬よりおりざるそ。奇怪なり。咎めおろすべし」といふ。ここような勇士の馬の控えぶり。馬術 にたけた者の隙のない構え。 1 一口 おおや 三平致頼の子。字は大箭。左衛 物に国司の日く、「一人当千の馬の立てやうなり。ただにはあらぬ人そ。咎むべ 門大尉で、強弓を引いた腕きき。 さゑもんのじようむねつね 治からず」と制してうち過ぐる程に、三町ばかり行きて、大矢の左衛門尉致経、『尊卑分脈』に治承三年 ( 一一き七月 出家、同八月没、四十二歳とある あまた 四 ゑしやく らうじゃ が、後出の父致頼の没年 ( 一 0 一 l) や 数多の兵を具してあへり。国司会釈する間、致経が日く、「ここに老者一人あ 六 保昌の生存年代からみて、それは 五 けん′」 ゐなか ひ奉りて候ひつらん。致経が父平五大夫に候。堅固の田舎人にて子細を知らず。誤伝。長元四年 ( 一 0 三 D 安房守平正 輔と合戦、罪を得ている。『今昔』 むらい のち 無礼を現し候ひつらん」といふ。致経過ぎて後、「さればこそ」とそいひける巻二三第一四話参照。 四国司 ( 保昌 ) が挨拶をしたので。 とか 五平致頼 ( ? ~ 一 0 一 l) 。備中掾、 従五位下。「平五」は平氏の五男、 「大夫」は五位の称。長保元年 ( 究 九 ) 平維衡と合戦、隠岐に配流、長 保三年召還。『十訓抄』第三所収の 同文話では源頼信・藤原保昌・平 維衡とともに「世に勝れる四人の 武士」と伝える。 これも今は昔、筑紫にたうさかの塞と申す斎の神まします。その祠に、修行六①頑固な、②まるつきりの、 両義にとれる。 しける僧の宿りて寝たりける夜、夜中ばかりにはなりぬらんと思ふ程に、馬のセやはり言ったとおりであろう。 ^ 九州の異称。 九新釈は「たかさか ( 豊後国大分 足音あまたして、人の過ぐると聞く程に、「斎はましますか」と問ふ声す。こ さぶら くどく 十二出家功徳の事 ぐ つくし 136 さへ
宇治拾遺物語 182 一これという特別の目当てはな ニただいろいろのものが見たか ったので。 三「為歩く」で歩きまわる、の意。 四山の片陰に。 てんぢく もろ , 」し 今は昔、唐にありける僧の、天竺に渡りて、他事にあらず、ただ物のゆかし = 何があるのかと知りたくなっ て。 ければ、物見にしありきければ、所々見行きけり。ある片山に大なる穴あり。 六見たこともない世界。「第聞 集』第二〇話には「天竺ニモ不似」 五 牛のありけるがこの穴に入りけるを見て、ゆかしく覚えければ、牛の行くにつとある。 セ梵語 amrta の訳。不死・天 あか とうりてん きて、僧も入りけり。遥に行きて、明き所へ出でぬ。見まはせば、あらぬ世界酒。朷利天の甘味の霊液。美味で、 一度これを飲めば苦悩もなく、長 命を保っと信じられていた。 と覚えて、見も知らぬ花の色いみじきが咲き乱れたり。牛この花を食ひけり。 ^ たいへん美味であったのにつ かんろ うまき 試みにこの花を一房取りて食ひたりければ、うまき事、天の甘露もかくあらんられて。『打聞集』は「甘ママニ」。 九『打聞集』では「食ニ三房許 こえこゅ くふ と覚えて、めでたかりけるままに多く食ひたりければ、ただ肥えに肥え太りけ食ママニ只肥ニ肥」。 一 0 ようやくのことで。 = 『打聞集』には「内チホラナル いづる かへる ニ帰モ帰ラズ、出モ出デデ、穴ョ ばかりさしいでてやみ リ頭許ヲ指出止ヌ」。 たすく わたりわたる 三『打聞集』は「渡ト渡人ニ助べ キ由ヲ云ドモ」。 め給ひけりとなん。 はじめ 心得ず恐ろしく思ひて、ありつる穴の方へ帰り行くに、初はやすく通りつる せば 穴、身の太くなりて狭く覚えて、やうやうとして穴のロまでは出でたれども、 0 十一渡天の僧穴に入る事 はるか かた たじ かたやまおほき 七 六
てんじゃうびと 車の前に乗りたる殿上人の、「かの男召し寄せよ。子細問はん」といへば、雑一頬骨が盛りあがっている鬚づ らで。 たかづらひげ おとがひそ ニ顎がしやくれており。 色走り寄りて召しもて来たり。見れば、高面鬚にて、頤反り、鼻下りたり。 三鼻先が下を向いている。 つか 四充血して真っ赤な目。 物赤鬚なる男の、血目に見なし片膝つきて、太刀の柄に手をかけて居たり。 五きさまは、どうしてここを通 治「いかなりつる事そ」と問へば、「この夜中ばかりに、物へまかるとて、ここるつもりだ。通しはせぬぞ。 六思いまして。 をまかり過ぎつる程に、物の三人、『おれはまさに過ぎなんや』とて、走り続セ争い合って、やつつけたので かまへ す。『今昔』は「相構テ打チ伏セテ くら セ さぶらふ きてまうで来つるを、盗人なめりと思ひ給へて、あへ競べ伏せて候なり。今朝候ヒッルガ」。 〈私めを不都合な者と狙ってい さぶら かたき 見れば、なにがしをみなしと思ひ給ふべきやつばらにて候ひければ、敵にて仕たようなやつらでありましたので。 「なにがし」は自称の代名詞、私。 さぶらふ りたりけるなめりと思ひ給ふれば、しや頭どもをまって、かく候なり」と、立「みなし」は「便なし」の意とする説 に一応従っておく。「今昔』は「己 および としごろたより ヲ年来便有ラバト思フ者共ニテ」。 ちぬ居ぬ、指をさしなど語り居れば、人々、「さてさてーといひて問ひ聞けば、 九そっ首。そやつらの首。 いとど狂ふやうにして語りをる。その時にそ、人に譲りえて面ももたげられて一 0 諸本同じ。「きって」の誤伝か = 立ったり、座ったり。 見ける。気色やしるからんと、人知れず思ひたりけれど、我と名のる者の出で三それでそれで。それからそれ から。 のち 一三ますます勢いづいて夢中にな 来たりければ、それに譲りてやみにしと、老いて後に、子どもにぞ語りける。 一四自分の所業を他人に肩代りし てもら , っことができて。 一五自分のしわざと気づかれるの けしき 四 かたひざ 九 たち
のぞ 一うめき、うなる声。 くて、また異所を聞けば、同じくによふ音す。覗きて見れば、色あさましう青 ニ『今昔』は「色極テ青キ者共痩 ふ セ枯タル」。 びれたる者どもの、やせ損じたるあまた臥せり。一人を招き寄せて、「これは いとすぢ 三『今昔』は「縷ノ様ナル肱ヲ指 語 きれ 物 シロペテ」 ( ロは「延ーか ) とする。 いかなる事そ。かやうに堪へがたげにはいかであるぞ」と問へば、木の切をも こうけちぞめ 遺 四 四纐纈染を作る城。「纐纈」は飛 かうけちじゃう 治ちて細き腕をさし出でて土に書くを見れば、「これは纐纈城なり。これへ来た鳥・奈良時代に多く行われた絞り 染めの名。布を結んだ浸み染めに のち よる最も古い模様染め。 る人には、まづ物いはぬ薬を食はせて、次に肥ゆる薬を食はす。さてその後、 五したたらして。流し落して。 五 高き所につり下げて所々をさし切りて血をあやして、その血にて纐纈を染め六そういう物を持ってきて勧め たならば。 くひもの て売り侍るなり。これを知らずして、かかる目を見るなり。食物の中に、胡麻セ『今昔』は「物ヲ不「ムヌ様ニテ ゅめゅめのたま ウメキテ、努々物宣フ事無力レ」。 六 ^ 並たいていのことでは。 のやうにて黒ばみたる物あり。それは物いはぬ薬なり。さる物参らせたらば、 九先ほど指示された居場所。 食ふまねをして捨て給へ。さて人の物申さば、うめきのみうめき給へ。さて一 0 あやしげなもの。『今昔』では 「胡麻ノ様ナル物盛テ居へタリ」。 彳しいかにもして逃ぐべき支度をして逃げ給へ。門は固くさして、おばろけ = これでうまくいった。 三東北の方角。比叡山が京都の にて逃ぐべきゃうなし」と、くはしく教へければ、ありつる居所に帰り居給ひ東北方にあることの連想から出た 表現。実際には中国から見れば見 当違いの方角を向いていることに ぬ。 なる。 一三仏、法、僧の総称。ここでは さる程に、人、食物持ちて来たり。教へつるやうに気色のある物中にあり。 特に仏をさす。『今昔』には「本山 のち 食ふやうにして懐に入れて、後に捨てつ。人来りて物を問へば、うめきて物もノ三宝薬師仏、我レヲ助テ古郷ニ かひな ことどころ ふところ くひもの したく 九 けしき ひぢ