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検索対象: 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)
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1. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

夜もすがら、我がしたるなど聞えやあらんずらんと、胸うち騒ぎて思ふ程に、一四洗ったりしてきちんと始末し て。 のち おほひ みかど おほき いく一五東大宮大路に面した大炊の御 夜明けて後、物ども言ひ騒ぐ。「大宮、大炊の御門辺に、大なる男三人、 門、すなわち郁芳門のあたり。 程も隔てず斬り伏せたる、あさましく使ひたる太刀かな。かたみに斬り合ひて一六驚くほど見事な太刀さばきよ。 宅お互いに。 死にたるかと見れば、同じ太刀の使ひざまなり。敵のしたりけるにや。されど、 てんじゃうびと おーしきゃう 盗人と覚しきさまそしたる」などいひののしるを、殿上人ども「いざ、行きて一 ^ 『今昔』は「盗人ト思様ニシタ ルナリ」と、微妙に異なる。 一九 見て来ん」とて誘ひて行けば、行かじはやと思へども、行かざらんもまた心得一九行きたくないなあ。 ニ 0 現場に走らせ近寄せて見ると。 られぬさまなれば、しぶしぶに往ぬ。 ニ一鬚むくじゃらな男。 ニ 0 車に乗りこばれて、やり寄せて見れ、 。いまだともかくもしなさで置きたり一三無地の。 ニ三狩襖。裏つきの狩衣。 かつらひげ むもんはかま けるに、年四十余りばかりなる男の鬘鬚なるが、無文の袴に紺の洗ひざらしの = 四汗取りの短い単衣。 ニ四 ニ六 一宝底本および諸本「さやっか」。 あを きめかぎみ しりざや さかつら 襖着、山吹の絹の衫よくさらされたる着たるが、猪のさかつらの尻鞘したる太『今昔』により改める。「逆頬」は猪 などの獣の毛並を逆立てたもの。 くっ および 一宍水などから太刀の鞘を保護す 一刀はきて、猿の皮の足袋に沓きりはきなして、脇を掻き、指をさして、と向き 十 るための毛皮の袋。 第かう向き、物いふ男立てり。 毛書陵部本・陽明文庫本・京大 本・吉田本は「牛ノ皮」。『今昔』は ざふしき かたき 何男にかと見る程に、雑色の寄り来て、「あの男の、盗人敵にあひて、つか「鹿ノ皮ノ沓履タル有リ」とする。 夭得意然とした気持でいるそぶ うまつりたると申す」といひければ、うれしくもいふなる男かなと思ふ程に、 ニ三 おぼ ニ七 さそ たび わきか ひ

2. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

かかりける程に、我が居たる上ざまより、水瓶来て水を汲む。いかなる者のる仏像。 一三座禅時の睡眠を防いだりする ために、僧侶が経を読みながら一 またかくはするやらんと、そねましく覚えければ、みあらはさんと思ふ程に、 定の地を回り歩くこと。経行とも。 一四仏前に供える水または花など 例の水瓶飛び来て水を汲みて行く。その時水瓶につきて行きて見るに、水上に を置く棚。「閼伽」は梵語 argha ぢぶつだう の音写で、器・水・功徳水と訳す。 五六十町上りて庵見ゅ。行きて見れば、三間ばかりなる庵あり。持仏堂別にい 神仏に捧げる供物や供物を入れる たふと たちばな 器をいう みじく造りたり。まことにいみじう貴し。物清く住ひたり。庭に橘の木あり。 一五一度仏に供えた花で枯れん ぎゃうだう あかだな みぎりこけ で捨てたもの。 木の下に行道したる跡あり。閼伽棚の下に花がら多く積れり。砌に苔むしたり。 一六軒の下、または階の下などの かぎり のぞ 敷石。 神さびたる事限なし。窓の隙より覗けば、机に経多く巻きさしたるなどあり。 宅神々しい雰囲気。 ふだんかう 不断香の煙満ちたり。よく見れば、歳七八十ばかりなる僧の貴げなり。五鈷を天昼夜絶え間なくたき続ける供 養の香。 一九五鈷杵。両端が五頭に分れて 握り、脇急に押しかかりて眠り居たり。 いる金剛杵。密教で、すべての煩 くわかいじゅ くわえん この聖を試みんと思ひて、やはら寄りて、火界咒をもちて加持す。火焔には悩を打ち砕く象徴とする法具。 ニ 0 やおら。そっと静かに さんぢゃう かうオ・い 三かに起りて庵につく。聖眠りながら散杖を取りて香水にさし浸して四方にそそ = 一底本「火咒界」、諸本により改 める。不動明王の陀羅尼で、火炎 十 第ぐ。その時庵の火は消えて、我が衣に火つきてただ焼きに焼く。下の聖、大声を現出させるためのもの。 しやすいき 一三密教で、加持の時、灑水器の を放ちて惑ふ時に、上の聖、目を見上げて、散杖をもちて下の聖の頭にそそぐ。香水をつけてまくのに用いる棒状 一 0 の法具。長さ三十数垰一 ~ 五十余 れう その時火消えぬ。上の聖日く、「何料にかかる目をば見るそ」と問ふ。答へて けふそく 一 0 のば ひま すま ゅ かぢ 一九 - 一う′一う

3. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

ぎだりん まず祇陀林寺で百日間の法華懺法を行う者がいたので、遠言うのか。今にも入水しようというのに、『祇陀林へやれ、 近の人たちが道もふさがるほどに集り、また拝みに行き来目鼻に入ってたまらない』などと言うのはどうもおかし い」などとささやく者もいる。 する女房車などすきまもないほどであった。 見ると、三十を過ぎたほどの僧で、ほっそりとしており、 さて、牛車をだんだん進めて行って、七条大路の果てま 目をも人に見合せず、つむっているような目で、時々阿弥で出て行くと、京の町なか以上に、入水の聖を拝もうと、 くちびる 川原の石よりも大勢の人が集っている。川のほとりに車を 陀仏を唱えるのである。その間には、唇だけが動いている なんどき のは、念仏なのだろうと見える。また時々、ふうっと息を進め寄せて停めると、聖は、「ただ今は何時か」と言う。 おうじ、よう・ 吐くようにして集っている者たちの顔を見渡すと、その目供の聖たちが、「四時過ぎになりました」と言う。「往生の に視線を合せようと、集っている者たちが、こっちへ押し時刻にはまだ早いわ。もう少し待て」と言う。待ちかねて あっちへ押しして、ひしめきあった。 遠くから来た者は帰ったりなどして、川原は人少なになっ た。これを最後まで見届けようと思っている者はまだ立っ そうして、いよいよその日の早朝には堂へ入って、先に ぞう 入っていた僧たちが大勢それに続いた。この僧は後ろの雑ている。その中に僧がいたが、「往生には時刻を定めるも やくぐるま のだろうか。合点のいかないことだ」と言う。 役車に紙の衣や袈裟などを着て乗った。何と言っているの か、唇が動いている。人に目も見合せずに、時々大きな息 かれこれするうちに、この聖はふんどし一つになり、西 に向って川にざんぶと入ったが、舟ばたにある縄に足をひ をついている。行く道に立ち並んでいる見物の者たちは、 あられ 散米を霰の降るようにまきかける。すると聖は、「なんと つかけて、どばんとも入らずにもがいているので、弟子の 十 第みなさん、こんなに目鼻に入るのではたまらない。お気持僧がはずしてやると、真っ逆さまに落ちてあつぶあつぶし があるなら紙袋などに入れて、わしのもといた寺へ送って ていた。たまたま川の中へおりて行って、よく見ようとし て立っていた男が、この聖の手を取って引き上げてやった。 8 くれ」と、時々言う。これを下賤の者は手をすって拝む。 少し分別のある者の中には、「なぜこんなことをこの聖はすると、聖は左右の手で顔の水をはらい、ロに含んだ水を ぎだりんじ せんぼう

4. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

といへば、「さらに我も心も及ばず。まして助かるべき力はあるべきにあらず」三ま 0 たく私にも分りかねる。 といふに、歩む空なし。 一三足も地につかない 。うわの空 の状態をいう。 おほき すみ また行けば、大なる川あり。その水を見れば、濃くすりたる墨の色にて流れ たり。あやしき水の色かなと見て、「これはいかなる水なれば、墨の色なるそ」 と問へば、「知らすや。これこそ汝が書き奉りたる法華経の墨の、かく流るる よ」といふ。「それはいかなれば、かくー 月にて流るるそ」と問ふに、「、いのよく一四心からの誠意を尽して。 一五身と心とを清らかに保って書 まことをいたして清く書き奉りたる経は、さながら王宮に納められぬ。汝が書写した経典。『今昔』は「心清ク誠 かき ヲ至シテ精進ニテ書タル経」。 き奉りたるやうに、、いきたなく身けがらはしうて書き奉りたる経は、広き野辺一六そのままそっくり閻魔王宮に。 『今昔』は「竜宮」すなわち海中の竜 に捨て置きたれば、その墨の雨に濡れて、かく川にて流るるなり。この川は汝王の宮殿とする。 ふじゃうけだい 宅『今昔』は「不浄懈怠ニシテ書 タル経とする。 が書き奉りたる経の墨の川なり」といふに、、 しとど恐ろしともおろかなり。 天いよいよその恐ろしさは言い 「さてもこの事ま 。いかにしてか助かるべき事ある。教へて助け給へ」と泣く泣ようもないはどである。『今昔』に かギ一り 八 は「弥ョ怖ル、心無限ナシ」とある。 第くし。 、へ、よ、「いとほしけれども、よろしき罪ならばこそは助かるべき方をも構究並の、一通りの罪であるのな ら。「よろし」は、普通程度の、ま 巻 あまあの、の意。 へめ、これは心も及び、ロにても述ぶべきゃうもなき罪なれば、 しかがせん」 といふに、ともかくもいふべき方なうて行く程に、恐ろしげなるもの走りあひ かた かた かき

5. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

257 巻第八 うとんでもないことが起りました。この鉢がいつもやって て倉の隅に投げおいて、すぐには物を入れなかった。鉢は 来ますので、そのたびに物を入れては差しあげておりまし 待っていたが、人々は倉の中の物などをかたづけ終って、 この鉢のことを忘れて物も入れず、取り出しもせずに、主たが、今日は忙しさに取り紛れて、倉にふと置き忘れて、 人も倉の戸に錠をおろして帰ってしまった。すると、しば取り出しもせずに錠をおろしましたら、この倉がもう揺れ に揺れてここに飛んでまいって落ちたのでございます。こ らくして、この倉がひとりでにゆさゆさと揺れだした。 の倉をお返しください」と申しあげた。すると聖は、「ほ 「どうした、どうした」と見て騒ぐうちに、大揺れに揺れ んに不思議なことだが、せつかく飛んで来てしまったのだ て地上から一尺ほど揺れ上がる時に、「これはどうしたこ ここにはこ , つい , つ物も・ないカ から、倉はお返しできまい とだ」と不思議がって騒いだ。「ああ、そうそう、さっき ら、何かと物を置くのにも都合がよい。ただし、中にある の鉢を忘れて取り出さないままだった、それのしわざか な」などと言ううちに、この鉢が倉のすきまから外に出て、物はそっくりお取りなさい」と言われる。持主は、「どう してすぐに運んで持ち帰れましよう。千石も積んであるの その上に倉が乗ってぐんぐん上り、空の方に一、二丈ほど です」と言うと、「それはいともたやすいことだ。確かに 上る。そうして飛んで行くのを人々は見上げてわいわい言 このわしが運んで進ぜよう」と言って、この鉢に一俵を入 い合い、あきれかえって大騒ぎをしていた。 れて飛ばすと、雁かなんそが続いて行くように残りの俵も 倉の持主もまったくどうしようもないので、「この倉の それに続いた。群がる雀なんかのように飛び続いて行くの 行き着く先を見よう」と後について行く。そのあたりの を見ると、ただただあっけにとられるばかりに尊く思われ 人々もみな走った。そうして見ていると、だんだん飛んで て、持主が、「しばらくお待ちを。皆はやらないでくださ 河内国の、この聖の修行する山の中に飛んで行って、聖の 米二、三百石はここに残してお使いください」と言う 僧坊の脇にどしんと落ちた。 いよいよこれは驚いたと思ったが、そのままにもしてお と、聖は、「とんでもないことだ。それをここに置いたと てどうしよう」と言う。「ならばただお使いになるだけ、 けないので、この倉の持主は聖のそばに寄って、「こうい

6. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

321 巻第十二 な そしてその日のうちに亡くなってしまった。気の毒な次第った。 であった。 たかただ 十一一高忠の侍が歌を詠む事 こわらわかくしだい 十一木こりの小童が隠題の歌を詠む事博 今は昔、高忠という人が越前守の時に、きわめて不遇で 今は昔、物の名を歌の中に隠して詠むことを、たいへん貧しかった侍がおり、夜昼まじめに勤めていたが、冬でも ひちりき ひとえ おもしろがられておいでになった帝が、篳篥というのを詠一重の着物を着ていた。雪のひどく降る日、この侍が掃除 っ ませられたのに、誰もがうまく詠めなかった折のこと、木をするといって、なにか憑き物でもついたようにぶるぶる を伐る子供が明け方山へ行くといってこんなことを言った。震えているのを見て、守が、「歌を詠め。みごとに降る雪 「このころ篳篥をお詠ませになるということだが、誰一人よ」と言うと、この侍が、「何を題にして詠みましようか」 上手にお詠みになれないそうな。この自分ならうまく詠んと問う。「裸でいることを詠め」と言うと、間もなく震え だのだが」と。するといっしょに連れ立って行く子供が、 る声を張りあげて詠み出した。 がら 「ああ身の程知らずな、そんなことを言うな。柄にもない はだかなる我が身にかかる白雪はうちふるヘども消え せざりけり いや味だ」と言うと、「どうして柄によると決っているも のか」と言って、 ( 裸でいる自分の身に降りかかる白雪ー白髪ーま、 。いくら振 り払っても消えないことです ) めぐりくる春々ごとに桜花いくたびちりき人に問はば や こう詠んだので、守はたいそうほめて、着ていた着物を脱 ( 毎年めぐって来る春ごとに桜の花は幾度咲き、また散って いで与えた。奥方も気の毒がって薄紫色のよく香をたきし いったことか、誰かに聞いてみたいものだ ) めた衣服を与えた。すると、侍は二つとも受け取って、く わき と詠んだのである。柄にも似合わず思いがけないことであるくると丸めこんで脇にはさんで立ち去った。侍所に行く

7. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

こんじゃう むねばねこと 身の色は紺青の色にて、髪は火のごとくに赤く、首細く、胸骨は殊にさし出で はぎ ごっごっと角だって見えるこ ていらめき、腹ふくれて、脛は細くありけるが、この行ひ人にあひて、手をつ 語 かぎり ニ行者。日蔵をさす。 物かねて泣く事限なし。 三腕を組んで顔に押しあてて、 の意と解しておく。 治「これは何事する鬼そ」と問へば、この鬼涙にむせびながら申すやう、「我は、 四おまえはどういう鬼か。「何 さぶら 五 この四五百年を過ぎての昔人にて候ひしが、人のために恨を残して、今はかか事する」は、何とした、どうした、 の意。 おもひ 五他人に対して。 る鬼の身となりて候。さてその敵をば思のごとくに取り殺してき。それが子、 六仇敵。怨敵。 のこり ひこやしは 1 一 孫、曾孫、玄孫にいたるまで残なく取り殺し果てて、今は殺すべき者なくなりセ孫の子。ひまご。ひいまご。 「問、孫ガコヲヒコトナヅク如何 答、ヒコハ曾孫也。曾ハムカシ也 ぬ。されば、なほ彼らが 云々」 ( 名語記 ) 。 ^ 曾孫の子。やしやご。「ヤシ 生れ変りまかる後までも ロ ワゴ」 ( 日葡辞書 ) 。 九生れ変って行くさき。 知りて、取り殺さんと思 の 青 さぶらふ ひ候に、次々の生れ所、 の っゅ 一 0 まるで分らないので。 露も知らねば、取り殺す 尺 しんい ほのほ 丈 = 仏教語。三毒 ( 貪欲・瞋恚・ べきゃうなし。瞋恚の炎 愚痴 ) の一。自分の心にかなわぬ 日 ものを怒り憎み、恨むこと。 は同じゃうに燃ゆれども、 九 なにごと 六 かたき うらみ

8. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

しうね けくしていくやっかな」とて、執念く走りかかりて来ければ、「この度は、我一殺されるだろう。「あやまっ」 は殺す意。 もろま はあやまたれなんず。神仏助け給へ」と念じて、太刀を桙のやうに取りなして、ニ長い柄の先に諸の剣のつい 語 た武器。 三意味不明。このあたり誤伝が 物走りはやまりたる者に、にはかにふと立ち向ひければ、はるはるとあはせて、 あるか。相手は腹を合せるように して、の意にとっておく。『今昔』 治走り当りにけり。やつも斬りけれども、余りに近く走り当りてければ、衣だに は「腹ヲ合セテ」とする。 斬れざりけり。桙のやうに持ちたりける太刀なりければ、受けられて中より通四相手の体を受け止める格好に なって。 つか りたりけるを、太刀の柄を返しければ、のけざまにたうれたりけるを斬りてけ五体のまん中を刺し貫いたとこ ろを。 六あおむけざまに倒れたところ れば、太刀持ちたる腕を肩より打ち落してけり。 たふ を。「たうれ . 、は「倒れ」の音便形 たふれ さて走り退きて、また人やあると聞きけれども、人の音もせざりければ、走『今昔』は「倒ニケルヲ」。 セ耳をすまして様子をうかがっ ことねりわらは り舞ひて、中御門の門より入りて柱にかい沿ひて立ちて、小舎人童はいかがし ^ 脇目もふらすに走りまわって。 よろこ つらんと待ちければ、童は大宮を上りに泣く泣く行きけるを呼びければ、脱び九大内裏の東面、東大宮大路に 面する待賢門のこと。 とのゐどころ きがヘ て走り来にけり。殿居所にやりて、着替取り寄せて着替へて、もと着たりける一 0 柱の陰に身をひそめて立って。 = 袍のこと。束帯・衣冠などの うへきめさしめき 上の衣、指貫には血の付きたりければ、童して深く隠させて、童のロよく固め際に着る上衣。 三指貫袴。裾に通っている紐を て、太刀に血の付きたる、洗ひなどしたためて、殿居所にさりげなく入りて臥足首の所で締めるようにな 0 てい る袴。 一三童にしつかり口止めして。 九 の かひな のば 六 たち 四 たび 五 きめ

9. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

( 原文二〇七ハー ) ういうわけで、そのあたりで落した玉です」と言うと、男ので、侍が出て行って、「こちらへおいでなさい」と言う も違うと言い張りもならず、「そのあたりで見つけた玉で と、「それは分不相応なことです」などと言う。侍が帰っ す」と言った。そこでわずかの礼物をやって帰した。 て来て、「召し入れますと、『似合わしくありません』と申 さて、その玉を返してから後のこと、唐綾一つを唐では して恐縮しております」と言うので、遠慮して拒むのであ ろうと思 美濃絹五疋ほどに通用するということであるが、せうずの . い、「なんでそんなことを言うのか。すぐに来い」 あたい 玉を唐綾五千段に換えたのであった。その価のほどを考え と言うが、「何かのまちがいでございましよう。以前にも ると、日本では絹六十疋に換えた玉を、五万貫に売ったこ院の御所の客間などへはまいったこともありませんのに」 とにもなる。それを思うと、さだしげが七十貫の質を返し と言うのであった。それでこの大勢いた人々も、「かまわ たというのも、さして驚くべきでもないことであったのだずお入りなさい。何かわけがあってのことだろう」と責め おそ と、ある人が語った。 たてると、「とんでもなく畏れ多いことですが、お召しで ぎよう すから」と言ってやって来た。ここの主人が見やると、刑 ぞうし ろく ろく びん ひげ 部省の録という院庁の官人が鬢にも鬚にも白髪がまじり、 七北面の女雑仕の六の事 とくさ 木賊色の狩衣に青袴をはいてまことにきちんとして、さら しやく これも今は昔、白河院の御時、北面の武士の詰所の雑仕さらと衣ずれの音をさせ、扇を笏のようにして持って、少 てんじようびと 女に気の利いた女がいた。名を六といった。殿上人たちが しうつ伏せになってうずくまっていた。これにはまったく 四 ちやほやしておもしろがっていたが、雨がしよばしよば降何とも言いようがなく、言葉も出ないので、この庁官はま 十 第って所在のなかった日、ある人が、「六を呼んで退屈しの すます畏れかしこまって平伏していた。主人は、黙ってい 巻 ぎをしよう」と、使いをやって、「六を呼んで来い」と言 るわけにもいかないので、「おい、役所にはほかにまた誰 7 った。まもなく、「六を召し連れてまいりました」と言う。 がいるか」と言うと、「誰それ、かれそれ」と言う。これ 「あちらから院の御所の客間の方へ連れて来い」と言った では召し出されたわけが分らず、庁官は後ろの方へにじり きめ かりぎめ

10. 完訳日本の古典 第41巻 宇治拾遺物語(二)

けふ一 0 いかでかやんごとなき人に今日参るばかりの粟をば奉らん。返す返すおのが恥 = どう考えてみても。きっと必 三苦しそうに跳ねあばれている。 なるべし」といへば、荘子の日く、「昨日道をまかりしに、跡に呼ばふ声あり。 一三どういう鮒なのであろうかと。 かへり わあと しようすいふな 顧みれば人なし。ただ車の輪跡のくばみたる所にたまりたる少水に鮒一つふた一四河の神。『荘子』には「我ハ東 海ノ波臣ナリ . 、とある。「波臣」は めく。何その鮒にかあらんと思ひて寄りて見れば、少しばかりの水にいみじう魚名 ( 字類抄 ) 。一説に鮒の異名と も。『今昔』巻一〇第一一話には かはくしんつかひ 大なる鮒あり。『何その鮒ぞ』と問へば、鮒の日く、『我は河伯神の使に、江湖「我レハ、此レ、河伯神ノ使トシ テ高麗ニ行ク也。我レハ、東ノ海 のど へ行くなり。それが飛びそこなひてこの溝に落ち入りたるなり。喉渇き死なんノ波ノ神也」とある。 一五大河と湖。 われ とす。我を助けよと思ひて呼びつるなり』といふ。答へて日く、『吾今二三日一六底本「・江湖もとといふ所」。国 史大系所引一本に従い、「もと」を がうこ 削る。前出の一般名詞の「江湖」を ありて江湖といふ所に遊しに行かんとす。そこにもて行きて放さん』といふに、 固有名詞と取り違えたための誤用。 けふひとひさげ のど 魚の日く、『さらにそれまでえ待つまじ。ただ今日一提ばかりの水をもて喉を宅とてもそれまでは待てないで しよう。生きていられないでしょ 一九 うるヘよ』といひしかば、さてなん助けし。鮒のいひし事、我が身に知りぬ 天提一杯。「提」は水や酒など のち - 一が。ね を入れてつぐための容器。 五さらに今日の命、物食はずは生くべからず。後の千の金さらに益なし」とそい 一九鮒の言うとおりにして。 十 のち ニ 0 後日になってからの千金は何 第ひける。それより、後の千金といふ事名誉せり。 巻 の役にも立たない てつふ ニ一「轍鮒の急」ともいわれる著名 なたとえ。 一三有名になった。 おほき 九 あそび 一うし あは やく 0 すや。 ひさげ