275 巻第九 ( 原文五一一ハー ) の男は寝ながら聞いていた。 思うと胸がつまって、同じように泣く。家来たちも物の情 鳥が鳴いたので急いで起き、例の娘が用意してくれたも理をわきまえた者は、手をすり合せて泣いた。こうして堂 くら みの のを食べたりして、馬に鞍を置き、引き出して、この女をの扉を閉じ奉って美濃へ越えて行った。 乗せようとすると、女は、「人の命は分らないから、二度 その後二人は深く愛し合って、他人に心を移すこともな つるが と拝せないようになるかもしれない」と言って、旅装束の く暮したので、子供を次々と産み続けなどして、この敦賀 まま、手を洗って後ろの堂にまいって観音を拝もうとして にも常に往来して、観音にねんごろにお仕えしたのであっ 拝見すると、観音の御肩に赤い物がかかっている。おかし た。例の娘については、「そういう者がいるか」と遠近 っこ , つにそ , つい、つ亠名はいなかった。 いと思って見ると、例の娘に与えた袴であった。「これは方々を尋ねさせたが、い どうしたこと。あの娘と思ったのは、さてはこの観音がな それから後、再びこの娘が訪れることもなかったので、ひ されたことであったのだ」と思うと、涙が雨のように流れとえにこの観音のなし給うたことであったのだ。この男女 て、こらえようとするがこらえきれず、ころげまわって泣はお互いに七、八十になるまで長命して、男子や女子を産 く。その様子を、男が聞きつけて不審に思い、走って来て、 みもうけて、死に別れるまで添い遂げたのであった。 「どうしたのか」と聞くが、泣く様子は尋常でない。「何が あったのか」と見まわすと、観音の御肩に赤い袴がかかっ 四くうすけが仏を供養する事鵬 ている。これを見て、「どういうことなのか」と様子を聞 くと、例の娘が思いもかけずやって来て、してくれたいき くうすけといって武勇だてする法師がいた。親しくして さつを細かに語って、「その娘に与えたと思った袴が、な いた僧のもとに身を寄せていた。その法師が、「仏を造っ んとこの観音の御肩にかかっているのです」と言いもはて て供養し奉りたい」と言いふらしたので、聞く人は仏師に ず声をたてて泣くので、男も、「あの時は寝たふりをして報酬を払ってお造りしようというのだろうと思って、仏師 聞いていたが、ではあの時娘に与えた袴であったのか」と を家に招くと、法師は、「三尺の仏をお造りしたいのです。
「どうしたことだ」と問うと、男は、「この夜中ごろに、 「さあ、行って見て来よう」と誘い合って行くので、「行き 8 たくないな」と思ったが、行かないというのもまた人に疑ある所へ行こうとして、ここを通り過ぎた時に、怪しげな われそうなので、しぶしぶ出て行った。 三人が『きさまはなんでここを通るつもりか』と言って、 語 物車から落ちこばれるほどに乗ってその場に寄せて見ると、次々に走りかかって来ましたが、盗賊のようだなと思いま して、争い合ってたたき伏せたのです。今朝見ると、私を 拾死体はまだ取り片づけすにそのままにして置いてあった。 かずら 日ごろ、折あらばと狙っていたようなやつらでしたので、 宇ところが、そこに年四十過ぎばかりの男で、鬘のようにび あお ひげ っしり鬚をはやし、無地の袴に紺の洗いざらしの襖を着て、 さては敵として討ち取ったようなものだと思いまして、そ かざみ っ首どもを斬って、こうしているのです」と、立ったり座 山吹色の絹の汗衫のよく洗いさらされたのを着込み、猪の さやぶくろ ったり、指さしをしたりして話している。人々は、「それ 毛並を逆立てた鞘袋をした太刀を帯びて、猿の皮の足袋に で、それで」と言って、いろいろ尋ね聞くと、ますます夢 沓をきりつとはいて、得意そうに脇をさすり、指をさし示 して、あっちを向いたりこっちを向いたりしてしゃべって中になって話している。その時になって、下手人を人に譲 ることができて、ようやく顔を上げて人の顔も見ることが いる男が立っている。 ぞうしき 何者かと見ていると、雑色の男が寄って来て、「あの男できた。それまでは「自分が殺したと気どられるのではな かたき いか」と人知れず思っていたが、自分が下手人だと名のる が、盗賊の敵に会って、やりましたと言っています」と言 ったので、「うれしいことを言ってくれる男よ」と思う , つ者が出て来たので、その者に譲ってそのままにしてしまっ たと、年をとってから後に、子供に語ったのであった。 ちに、車の前に乗っていた殿上人が、「あの男を召し寄せ よ。詳しい話を聞こう」と言うと、雑色が走り寄って召し そらじゅすい ひげ ほおばね 連れて来た。見ると、頬骨が盛り上がっている鬚づらで、 九空入水をした僧の事齠 あご 赤鬚の男で血走った目をして、 顎がそりかえり、鼻は低い。 かたひぎ これも今は昔、桂川に身を投げようとする聖だといって、 片膝をついて、太刀の柄に手をかけていた。 ( 原文一一五ハー ) くっ つか かたき ひじり
287 巻第十 ( 原文七四ハー ) 樋爪の橋のもとに行って苦しみを受けているのです。それていた。高野の祭神は蛇、中山は猿でいらっしやる。その にしても自分の罪障は深く、私の体がきわめて重いため、 神には毎年の祭に必ず生贄を捧げる。娘の中から器量がよ 乗物がこの重さに耐えきれず、是非なく歩いて行くが、そ 、髪が長く色白で、体つきが端正で、姿のかわいらしい あめまだら れも苦しく、この飴斑の御車牛は力が強いので、それを借者を捜し選んで奉っていた。昔から今にいたるまで、その りて乗っています。あなたが懸命に捜しておられますから、祭の途絶えたことはない。さてある人の娘が、その生贄に もう五日して、六日目の午前十時ごろにはお返し申しまし ふり当てられてしまった。親たちの泣き悲しみようといっ よう。そんなにあわててお捜しなさいますな」と話すと見たらない。人が親となり子となることは、前世からの約束 て、目が覚めた。そして「こんな夢を見たわい」と言って であるから、醜い子でさえもおろそかに思うことはない。 過していた。 まして、この娘は何から何まですぐれていたから、わが身 その夢を見てから六日目という午前十時ごろに、どこか にもまさっていとおしく思 , つが、さりとて逃れることはで らともなく牛が歩いて入って来たが、たいそうな大仕事で きないので、嘆きながら月日を送るうちに、しだいに娘の 命は縮まってくる。親子としていっしょに暮すのもあとど もしてきたような様子で、苦しそうに舌をたれ、汗みずく になって入って来た。「この樋爪の橋で車が落ち込み、牛れほどもないと思うにつけて、残りの日を数えては、明け だけが残った折などに出会って、カの強い牛とみて、借り ても暮れてもただ声を上げて泣いていた。 こうしているうちに東国の人で、狩ということだけを仕 て乗り歩いていたのであろうかと思うにつけても恐ろしか いのしし った」と、河内の前司は語ったのであった。 事にして、猪というものが腹を立てて怒り狂うのは実に恐 ろしいものだが、それをさえ何とも思っておらず、思いの あずまびといけにえ ままに殺し取って食うことを仕事とする男で、ものすごく 六東人が生贄をとどめる事 力が強く、気性の激しい恐ろしいほどの荒武者がたまたま ちゅうさんこうや 今は昔、山陽道美作国に、中山、高野と申す神が祭られやって来て、その付近に立ちまわるうちに、この娘の父母 みま * かのくに のが
よど あめまだら 河内前司がもとに飴斑なる牛ありけり。その牛を人の借りて、車掛けて淀へやノ朝臣」とする。定成ならば季通 の子。斎院長官、能登守、天喜四 うしかひあ りけるに、樋爪の橋にて、牛飼悪しくやりて片輪を橋より落したりけるに、引年 ( 一 0 契 ) 河内守、康平元年 ( 一 0 夭 ) 越前守、さらに薩摩守などを歴任。 かれて車の橋より下に落ちけるを、車の落つると心得て牛の踏み広ごりて立て従四位下。 一セ 一ニ『今昔』は「河内禅師」。伝末詳。 むながい りければ、鞅切れて車は落ちて砕けにけり。牛は一つ、橋の上にとどまりて一三牛の毛色が暗黄色でまだらの あめうし あるもの。黄牛。 ぞありける。人も乗らぬ車なりければ、そこなはるる人もなかりけり。「ゑせ一四京都市伏見区の町。賀茂川 桂川・宇治川・木津川の合流点に 引かれて落ちて、牛もそこなはれまし。いみじき牛のカかあり、特に中世は京都の外港とし 牛ならましかば、 て栄えた。 一五京都市伏見区淀樋爪町、桂川 な」とて、その辺の人いひほめける。 西岸の地にあった橋。 かくて、この牛をいたはり飼ふ程に、この牛、いかにして失せたるといふ事一六足を広げてふんばって。 宅「むなかき」の音便形。牛・馬 くらばね なくて失せにけり。「こはいかなる事ぞ」と、求め騒げどなし。「離れて出でたの胸から鞍橋に掛け渡す組緒。 一 ^ 見かけだけでカのない駄牛。 るか」と、近くより遠くまで尋ね求めさすれどもなければ、「いみじかりつる一九綱からはすれて。 ニ 0 牛を失ひつる」と歎く程に、河内前司が夢に見るやう、この佐大夫が来たりニ 0 やって来たので。 十 ニ一気味悪く思いながら出て行っ 第ければ、これは海に落ち入りて死にけると聞く人は、、かに来たるにかと、思 て会ってみると。 うしとらすみ ひ思ひ出であひたりければ、佐大夫がいふやう、「我はこの丑寅の隅にあり。 それより日に一度、樋爪の橋のもとにまかりて苦を受け侍るなり。それに、お ひづめ 一九
一 0 勝手に泊り込んでしまったな きあるじもなくて、我がままにも宿り居るかな」と言ひ合ひたり。 らうどう = 家来。武士の従僕。 覗きて見れば、あるじは三十ばかりなる男の、いと清げなるなり。郎等二三 三下人。下男。 十人ばかりある、下種など取り具して、七八十人ばかりあらんとそ見ゆる。た一三「皮籠」は皮張りの箱、行李。 むしろ 這皮籠を包んでいる莚。『今昔』巻一 はづ ツツミ だゐに居るに、莚、畳を取らせばやと思へども、恥かしと思ひて居たるに、皮六第七話には「主人皮子裏タル莚 ヲ敷皮ニ重テ敷テ居ヌ」とある。 ′一むしろこ 籠莚を乞ひて皮に重ねて敷きて、幕引きまはして居ぬ。そそめく程に日も暮れ一四人のざわざわする音がしたり しているうちに。 ぬれども、物食ふとも見えぬは、物のなきにゃあらんとそ見ゆる。物あらば取一五与えてやれるのに。 一六何事でございましようか。今 ふ らせてましと思ひ居たる程に、夜うち更けて、この旅人のけはひにて、「このや遅しと、ひそかに胸をときめか せていた女の言葉。 宅男はすっと入ってきて女の手 おはします人、寄らせ給へ。物申さん」といへば、「何事にか侍らんーとて、 をおさえた。 なに * 一はり 天これは何をなさいます。 ゐざり寄りたるを、何の障もなければ、ふと入り来て控へつ。「こはいかに」 一九男が有無を言わせそうもない いなうべ といへど、いはすべくもなきに合せて、夢に見し事もありしかば、とかく思ひ態度なのと。『今昔』は「辞ビ可得 クモ無キニ合セテ」。 ニ 0 あれこれあらがうべきでもな いふべきにもあらず。 したがひ 九 い。『今昔』は「云フ事ニ随ヌ」。 みののくにまうしゃう ニ一現在の岐阜県の一部。 第この男は、美濃国に猛将ありけり、それが独子にて、その親失せにければ、 一三『今昔』は「勢徳有ケル者」。 おく 】よろづ 万の物受け伝へて親にも劣らぬ者にてありけるが、思ひける妻に後れて、やも = 三『今昔』は「心指シ深ク思タリ ケル妻とする。 -4 めにてありけるを、これかれ聟に取らんといふ者あまたありけれども、ありしニ四もとの妻に似ているような人。 一九 むこ ぐ 一セ ひとりご 一六 ニ四 あ。
すいかん げると、他国の人でも御利益をいただかないということは た。舎人が着ていた水干を脱いで、「これと換えてくれる 3 ないそうである。 か」と一言うと、玉の持主の男は得をしたと思い、あわてふ ためいて受け取って、寄せた舟を突き放して去って行った。 語 あたい 物六玉の価のはかりしれない事 舎人も「高く買ったかな」と思ったけれども、玉売が舟を 離れて行ってしまったので、残念だと思いながら、玉を袴 つくし 宇これも今は昔、筑紫に大夫さだしげという者がいた。こ の腰に包んで、別の水干に着替えていた。 のごろいる箱崎の大夫のりしげの祖父である。そのさだし そのうちに日数が積って、博多という所に到着した。さ げが京に上った時に、故宇治殿に差しあげ、また個人的に だしげは舟から降りるとすぐに、品物を借してくれた唐人 知っている人々にも贈ろうとして、唐人に銭を六、七千疋のもとに、「入れた質物は少なかったのに、品物は多くあ ほど借りようと、太刀を十腰質においた。 りまして」などとお礼を言おうと出かけて行くと、唐人も さて京に上って、宇治殿に献上し、思いのままに個人的待っていて喜んで、酒を飲ませなどして話をしていた。そ な知合いにも贈ったりなどして帰り下って来たが、淀の渡の時に例の玉を持っていた男が、唐人の召使いに会って、 しで舟に乗った時に、同船の人が饗応してくれたので、ご 「玉を買わないか」と、袴の腰から玉を取り出して見せた。 馳走になったりしていた。すると小舟で商売をする者たちするとその召使いは玉を受け取って手の上にのせて、うち が寄って来て、「これ買わんか。あれ買わんか」など、尋振って見るや、意外だと驚いたような顔つきで、「これは ねまわっている中に、「玉を買わんか」という者がいたの いかほどか」と聞いたので、ほしいと思っている顔つきを だが、誰も聞き入れる者もいなかった。その時、さだしげ見て、「十貫」と言うと、ひどくせいて、「十貫で買おう」 とねり へさき の舎人として仕えていた男が舟の舳先に立っていたが、 と言った。「本当は二十貫」と言うと、それにもせいて、 はかま 「ここへ持っておいで。見よう」と言ったので、玉売は袴「買おう」と言った。「さては値段の高いものなのだろう」 の腰から真珠の、大粒の豆ほどもあるのを取り出して渡し と思って、「返してくれ、ひとまず」と頼むと、惜しんだ ( 原文一一〇〇ハー ) くだ 180 びき はかた
の間に逃げもし、また寄せられぬ構へもせられなん。今日のうちに寄せて攻め んこそ、あのやつは存じの外にして、あわて惑はんずれ。しかるに、舟どもは 語 一軍兵ども。 物みな取り隠したる、いかがはすべき」と、軍どもに問はれけるに、軍ども、 さぶら 治「さらに渡し給ふべきゃうなし。まはりてこそ寄せさせ給ふべく候ヘーと申し = ま 0 たく馬で海をま 0 すぐお 渡りになる方法はありません。 よりのぶ ければ、「この軍どもの中に、さりとも、この道知りたる者はあるらん。頼信三しかしながら。 四 ばんどうがた たび は、坂東方はこの度こそ初めて見れ。されども我が家の伝へにて、聞き置きた四関東方面。関東の地。 五まっすぐに通じている道。後 る事あり。この海中には、堤のやうにて、広さ一丈ばかりして、すぐに渡りた出の「浅道」。 六あるということだ。 ふとばら る道あるなり。深さは馬の太腹に立っと聞く。この程にこそ、その道は当りたセ馬の太腹が水にもぐらないこ と。すなわち、深さが三尺 ( 約一 るらめ。さりとも、この多くの軍どもの中に、知りたるもあるらん。さらば先 ) 程度を越えないこと。 ^ このあたりにこそきっと。 に立ちて渡せ。頼信続きて渡さん」とて、馬をかき早めて寄りければ、知りた九馬をあおり早めて水際に近寄 ると。 る者にゃありけん、四五騎ばかり、馬を海にうちおろして、ただ渡りに渡りけ れば、それにつきて五六百騎ばかりの軍ども渡しけり。まことに馬の太腹に立 ちて渡る。 のこりつゆ 多くの兵どもの中に、ただ三人ばかりぞこの道は知りたりける。残は露も知一 0 まるつきり知らなかった。 六 七 つつみ
りて濡れたり。かかる程に、人のけはひのすれば、髪を顔にふりかくるを見れ 一三深く思いに沈んでいる有様。 ば、髪も濡れ、顔も涙に洗はれて思ひ入りたるさまなるに、人の来たれば、し 一四たいへん気恥ずかしそうに。 とどっつましげに思ひたるけはひして、少しそば向きたる姿、まことにらうた三脇を向いている姿。「そば」は 側、傍ら、の意。 ゐなか 一六いかにも上品である。素姓の げなり。およそけだかくしなじなしう、をかしげなる事、田舎人の子といふべ よさを思わせる品格がそなわって しるさ十。 からす。あづま人これを見るに、かなしき事いはん方なし。 宅いとおしいこと。抱きしめて 一九 さればいかにもいかにも我が身亡くならばなれ、ただこれにかはりなんと思やりたいような気持を覚えたこと。 一 ^ 死ぬならば死んでもよい。ど うなってもかまわない。 ひて、この女の父母にいふやう、「思ひ構ふる事こそ侍れ。もしこの君の御事 一九娘の身代りになろう。娘の命 おば に代って死のう。 によりて滅びなどし給はば、苦しとや思さるべき」と問へば、「このために、 ニ 0 この家が滅びるようなことに なりましたら。 みづからはいたづらにもならばなれ、さらに苦しからず。生きても何にかはし 侍らんずる。ただ思されんままに、、かにもいかにもし給へ」といらふれば、 ニ一注連縄。境界を限って出入り 「さらばこの御祭の御清めするなりとてしめ引きめぐらして、いかにもいかに 十 を禁ずるために張る縄 第も人な寄せ給ひそ。またこれにみづから侍りと、な人にゆめゅめ知らせ給ひ一三決して絶対に人を近寄せない でください 巻 ひごろこも そ」といふ。さて日比籠り居て、この女房と思ひ住む事いみじ。 ニ三よい働きをする犬の中から、 とし′」ろ かかる程に、年比山に使ひ習はしたる犬の、いみじき中にかしこきを二つ選さらにすぐれてかしこい大を。 な 一八 かた なか え しめなわ
われ さてこの軍は先立ちて往ぬ。我からめて行く人に、「あれはいかなる軍そ」 なんぢ と問へば、「え知らぬか。これこそ汝に経あつらへて書かせたる者どもの、そ一仏からよい果報を期待し得る 語 積善の力。ここでは、『法華経』を くどく ) ) くらく 遺の功徳によりて天にも生れ、極楽にも参り、また人に生れ返るとも、よき身と書写させた善行の力。 ニ諸天王界。ここは、いわゆる ~ 于も生るべかりしが、汝がその経書き奉るとて魚をも食ひ、女にも触れて、清ま六道の「天。ではなく、死後に生れ るべき諸天王のいる理想世界と考 とうり えられていた六欲天の中の仞利 はる事もなくて、心をば女のもとに置きて書き奉りたれば、その功徳のかなは てんとそってんたけじぎいてん 六 天・兜率天・他化自在天などをさ ねた たまは ずして、かくいかう武き身に生れて、汝を妬がりて、『呼びて給らん。その仇すか。 三極楽浄土。西方十万億土のか たび ^ たび うれへ 報ぜん』と愁へ申せば、この度は道理にて召さるべき度にあらねども、この愁なた、阿弥陀仏のいるという安楽 世界。 によりて召さるるなり」といふに、身も切るるやうに、いもしみ凍りて、これを四精進潔斎すること。 五厳つく猛々しいもの。はなは だ荒々しくふるまうもの。 聞くに死ぬべき心地す。 六憎々しく思って。 「さて我をばいかにせんとて、かくは申すぞと問へば、「おろかにも問ふかセ恨みを晴したい。 ^ 寿命が尽きてこの冥界に当然 な。その持ちたりつる太刀、刀にて、汝が身はまづ二百に斬り裂きて、おのお呼び出される順番に当ってはいな いのだが。 きれ の一切づっ取りてんとす。その二百の切に汝が心も分れて、切ごとに心のあり九おまえの体をば。 一 0 是が非でも手に入れようとい うのだ。 て、責められんに随ひて悲しくわびしき目を見んずるそかし。堪へがたき事た = きっと悲痛な思いをすること になろうそ。 とへん方あらんやは」といふ。「さてその事を、 。いかにしてか助かるべき」 ひときれ かた 五 したが たけ たち きれ 四 あた
て参らせんとこそ思ひ候に、この御帳ばかりを賜りて、まかり出づべきゃうも 一五犬よけ。仏堂内の内陣と外陣 候はず。返し参らせ候ひなん」と申して、犬防の内にさし入れて置きぬ。 との境、すなわち、仏壇の前に立 ついたて またまどろみ入りたる夢に、「などさかしくはあるそ。ただ賜ばん物をば賜てる低い格子の衝立。 一六ござかしい真似をするのか らで、かく返し参らする、あやしき事なり」とて、また賜ると見る。さて覚め宅礼儀にはずれたよくないこと 、、こ。け・しからぬことだ。 たるに、また同じゃうに前にあれば、泣く泣く返し参らせつ。かやうにしつつ、 みたび たび たび 三度返し奉るに、なほまた返し給びて、果ての度は、この度返し奉らんは無礼一 ^ 最後の時には。すなわち、三 度目には。 なるべき由を戒められければ、かかるとも知らざらん寺僧は、御帳の帷を盗み一九『今昔』は「放チ取タリトャ ( は ずし取ったかと ) 」。 たるとや疑はんずらんと思ふも苦しければ、まだ夜深く、懐に入れてまかり出ニ 0 困ってしまい。心外なことな ので。 三何のゆかりもない人。「そそ これをいかにとすべきならんと思ひて、引き広げて見て、着るべき衣もなき ろ」は「すずろ」と同じ。これとい のち うはっきりした理由もないこと。 に、さは、これを衣にして着んと思ふ心つきぬ。これを衣にして着て後、見と もろもろ 『今昔』は「諸ノ人」。 十 おもひかけ 第見る男にもあれ、女にもあれ、あはれにいとほしきものに思はれて、そそろなニニ『今昔』は「不思係ヌ物ヲ得ケ 巻 うれへ る人の手より、物を多く得てけり。大事なる人の愁をも、その衣を着て知らぬ = 三むずかしい他人の訴訟事。 ニ四成就した。成功した。『今昔』 ゃんごとなき所にも参りて申させければ、必ず成りけり。かやうにしつつ、人は「叶ケリ」。 さぶらふ た いめふせぎ ニ四 ふところ た きめ きめ たまは かなひ