者どもをば、敵とのたまへば、この国へは人れぬなり。あひかまへて、葦原国へくそくして、を ( 欠字 ) ろき事き かんとて、つれまいらせて、かい お しゅぎゃうじゃ しやく ( 欠字 ) てまつりつゝ申ける の者とばし仰せあるな、修行者」と申しける。まことにまめやかに語りける。 は」とある。 たんごのくに 一 0 吹き落されて。吹き流されて。 「いかに修行者、わが身は、もとは日本の丹後国の者なるが、西風に落されて、 = はい、そうです。「さにさう らふ」の音便。応答の敬語。 今この国にありしなり。日本はいづくの人にてましますぞ。御なっかしや」と 一ニ一人称の代名詞。単数の謙称 つくし 一一ざうら 申しけり。「さん候ふ、われわれは筑紫の者にて候ふが、遁世修行の者にてあとしても用いられる。 一三笹野本に「人のやとをかす時 り。いづくをすみかと定めねば、なきままの宿として、幾度夢やさますらん。もあり、さなきときは、ふるたう、 みややしろを、やとなきま、にや こんじゃうゆめまろし ととして」、慶応本に「とせいしゃ されば、今生は夢幻のごとくなり。さるほどに、われらも、御身のごとく、 にやとをかすときもあり、さなき きた ときは、ふるきたうてら、みやや 悪風に吹き落され、今この国に来りたり。さて、はくもん王の内裏は、いづく しろをやとなきまゝにやとゝし たてまっ て」とある。宿のないままに、ど にて候ふぞ。拝み奉りたき」とのたまへば、「やすきほどのこと、みづからが んな所でも宿としての意。 かた むすめ 女をば、しやこん女と申して、姫君の御方に候ふなり。そのほか、はさら女、一四未詳。笹野本に「しやこっ女。 とある。 きさき 国じんつう女、あくとう女、しゅんしや女とて、あまたの女房を后に付け申され一 = 以下、未詳。笹野本に「ひは 女、はきら女、しんつう女、はら ちょうあい 天 とう女、やしや女、あくとく女な 候ふ。そのうへ、修行者をば、はくもん王も御寵愛候ふぞ。参らせ給へ」と 梵 とゝ申て」、慶応本に「はさらによ、 しんつう女、さうそくによ、あく ぞ申しける。 とくおんな、しゅんしやおんなと こよひ て」とある。 さるほどに、はくもん王より御使ひあり、「今宵、不思議の鳴るものあり、 一四 かたき とんせい み 一五
りぬべし。ただかくて、いつまでも笛を吹きて聞かせ参らせん」と申し給へば、一 = 天理本に「くはん女たちのそ の中に、りやしやによと申せし わう か」、笹野本に「はきら女とて、せ 「ただ連れて落ちさせ候へ。三千里駆ける車には、はくもん王が乗りて行きぬ。 いたかく、いろあかく、かみはや くるまよせ そぞ 一一千里駆ける車あり、これに召されよ」とて、車寄に立ち出で、御袖をぞ引きしほのことくなる女あり」、慶応 本に「はさら女とて、せいたかく、 ( 絵 ) ひぎゃうじざい いろくろく、かみはやしろのこと 給ふ。中納言は、夢現ともおぼえず、車に乗り給ふ。飛行自在の車とは申せど くなるをんなあり」とある。 も、はくもん王の車なれば、主の心をやはばかりけん、さらに飛ぶことなかり一三説法の座に列して、仏法を守 護する八部衆の一。人の精気を奪 けり。一一千里を飛びすみてこそ、かちはだしにもなるべけれ、いまだ二千里をう鬼神であ 0 たが、仏にして 正法を守護するものとなった。 さへ過ぎざれば、かかるところに、はさら女とて、色黒くして、夜叉のごとく一四大急ぎで起き上がるさま 「かつば」は、急に起きるさま、ま たは伏せるさまなどを表す。 なる女あり、人は寝れどもまどろまず、笛の音も聞えず、姫君も御心もとなく 一五この部分に脱文があるか。笹 きさきしゅぎゃうじゃ 野本に「もしゃ月おもしろくあり 思ひて、かつばと起きて、走りまはりて見るに、后も修行者も見えざりける。 ぬれは、みなみの大りへかましま いかにせん、じんつう女、あくとく女、二三人起きあがりて、もし月も白けれすとて、四はうの大りをはしりま はりみれとも、とふくるまもな くちを し」、慶応本に「もし月もしろけれ 国ば、南、二千里駆ける車もなし。「さては、口惜しきことなり、はくもん王の、 は、み ( 欠字 ) します ) 四ほう大り いか 天 いかばかり怒り給はんずらん、われわれ、憂き目を見むずる悲しさよ」と叫びにまわりて見けれは、くる ( 欠字 ) し」とある。 あひづ ける。中にも、やしや女が申すやうは、「自然のこともあらばとて、合図の太一六「夜叉女」か。前出の「はさら 女」と同じとは決められない。 - 、 1 こ 鼓を、一里に一つづっ置かせたりけるを、打たせばや」と申して、打ち続けけ毛万一のこと。もしものこと。 一四 ゅめうつつ 一五 たい
一『源氏物語』の主人公、光源氏。 も、なんぢは、譬へを申すものかな。さりながら、それは、御立ち姿までよく ↓五四ハー注九。 ニ源氏の兄にあたる朱雀院の皇 見ての恋、ただ一目見ての恋はおぼっかなし」とのたまへば、猿源氏申すやう、 女で、源氏の妻。 によさんみや だいしゃう 子「一目見ての恋したるためし、われに限らず。源氏の大将は、女三の宮を御寵 = 左大臣の娘で、源氏の妻。女 三の宮の誕生の前に死んだ。 伽 ど あい 四「宮へ」の誤りか。「宮」は、女 る 御愛ありしに、程なくおぼしめし捨てさ れ 三の宮か。 ら あふひうへ 現五蹴鞠の遊び。『源氏物語』若菜 せ給ひ、葵の上に御心を移させ給ふ。 姿上巻によると、六条院の蹴鞠の日 直に、柏木が女一二の宮を見たという。 源氏、いかがとおぼしめしけん、ある 六「あそばす」は、する意の尊敬 子 四 帽五ロ 0 きロ 夕暮に、宮の車をやり人れさせ給ひ きわ 五 や 七「つめ」は、端、際。 まり六 姿 ハ葵の上の兄にあたる内大臣 衣 て、鞠をあそばしける。御つめには、 とうの 直 ( 頭中将 ) の子。「衛門督」は「右衛 かしはきもんのかみ 門督」で、右衛門府の長官。 柏木の衛門督参り給ふ。女三の宮は、 る 九蹴鞠をする正方形の場所、ま かきね め たはその垣根に植える木。 そ 御簾近うかけさせ、鞠を御覧ありし 見 一 0 心が落ち着かないさま を 宮 一一風の吹くようなわずかなって。 に、その頃、猫を御寵愛ありしに、朱 の 一ニ『源氏物語』柏木巻、源氏の歌 をりふし九 つな 女 に、「誰が世にかたねはまきしと の綱にてつながせ給ひしが、折節、か 木 人問はばいかが岩根の松はこたへ でんーとある。「岩根ーに「言はん」の かりへ駆け出でんとせしほどに、猫の の意をこめたもの。 一三『源氏物語』柏木巻に、女一一一の 綱にて御簾上げければ、その隙より、 あ い たと ひとめ ひま あけ さるげんじ 0 ちょう
きさき ふすま りまわって見ると、后も修行者も見えなかった。どうしょ ので、間の懊をあけ、「さあ、私をば、連れてお逃げくだ うか、じんつう女、あくとく女と二、三人が起き上がって、 さい」とおっしやると、中納言は、「私も、そうしようと は思いますが、思うままにならないことなので、うまく逃あるいは月も明るいので、南の方に行かれたかと見ると、 集 子げおおせることは、とてもできそうもありませんから、取二千里走る車もない。「さてさて残念なととだ。はくもん 王がどんなにかお怒りになることだろう、私どもがつらい 伽グ返されて、つらい目におあわせするのは、よくないこと 目にあうのは悲しいことだ」と叫んだ。中でも、やしや女 です。私の身は、何とでもなりましようが、今はただ、こ が、「万一のことがあったならばというので、合図の太鼓 うして、いつまでも笛を吹いてお聞かせしましよう」と申 されるので、「ぜひ連れてお逃げください。三千里走る車を一里に一つずつ置かせていたのを、打たせたいもので には、はくもん王が乗っていきました。二千里走る車があす」と申して、打ちつづけたところが、けいしん国への道 くるまよせ のりは、五百里の所であるが、四、五百打ちつづけたとこ るので、これにお乗りください」とおっしやって、車寄に らせつ ろで、けいしん国へ聞えた。はくもん王が聞かれ、「羅刹 出ていって、中納言のお袖を引かれる。中納言は、夢とも 現ともわからぬままに、車にお乗りになる。自由に飛行す国では、何事が起ったのであろうか、合図の太鼓が鳴る」 とおっしやって、三千里走る車に乗って、飛ばせられたの る車とは申すものの、はくもん王の車であるから、持主の で、一瞬のうちに飛んで着いた。やしや女が走り出て、あ 心に気がねしたのであろうか、いっこうに飛ぶことはなか りのままに申した。「けしからぬことだ。ここにおった修 った。二千里をうまく飛んでこそ、車からおりてはだしで 行者は、日本国の中納言であったのだな。しかしながら、 歩くこともできようが、まだ二千里をさえ過ぎないので、 二千里走る車だ、追いつくことはたやすいことだ」とおっ はだしで行くわけにもいかない。このようにしているとこ しやって、「私のことを思う者どもは、供をせよ」とお怒 ろに、はさら女といって、色が黒くて鬼神のような女がお りになった。人の腹をたてるのをたとえて、はくもん王の り、人は寝ても自分は眠らないでいたので、笛の音も聞え ず、姫君のことも気がかりに思って、あわてて起きて、走ようだというが、まことに頭の髪が天に向って逆立ち、目 うつつ こく
( 原文一〇九 ) と と詠んだのも、魚あってのことではありませんか」と申し たが世にか種をまきしと人問はばいかが岩間の松は答 たので、南阿弥がお聞きになって、「それにしても、おま ( だれの世に種をまいたのかと人が尋ねたならば、どう言っ えは、うまく例を引くものだな。しかしながら、それはお いわま て岩間の松は答えるであろうか ) 立ち姿までよく見たうえでの恋で、ただ一目見ただけの恋 では心もとない」とおっしやると、猿源氏は、「一目見た とお詠みになり、そののちは、ご訪問もなかったので、女 だけの恋をした例は、私だけではありません。源氏の大将三の宮は、お姿を変えて出家の身となられます。衛門督は、 ちょうあい おんなさんみや は、女三の宮をご寵愛になりましたが、まもなくお見捨て その思いがつのったせいか、まもなく亡くなられたと、 あおいうえ になって、葵の上にお心をお移しになります。源氏は、何『源氏物語』に見えています。この物語だけではありませ くよう なにわ わたな・ヘさ とお思いになったのでしようか、あるタ暮に、女三の宮の ん、ある年、難波の人江で橋の供養があった時に、渡辺左 けまり えもんもりとお もとへ車をお乗人れになって、蹴鞠をなさいました。お庭衛門盛遠は、その担当者でしたが、身分にかかわりなく かしわぎえもんのかみ とまぶき の端には、柏木の衛門督がおいでになります。女三の宮は、人々がおおぜい集って、その供養を聴いていた中に、苫葺 そう 御簾を身近に掛けさせ、蹴鞠をごらんになっておられまし の屋形をした舟が一艘、供養のそばまで漕ぎ寄せて聴いて うらかぜ た。その頃、猫をご寵愛になっていましたが、赤い綱でつ おりましたが、ちょうどその時に、浦風が激しく吹いて、 したすだれ ないでおかれたのが、折も折、蹴鞠の庭へ駆けだそうとし下簾を吹き上げたそのすきまから、御簾の内の女人を一目 たために、猫の綱で御簾を上げたので、そのすきまから、 見てからというものは、恋となり、都へも帰らず、それか ゆくえ おとこやま らすぐに男山に参詣し、『難波の浦で見そめた人の行方を 草衛門督は、女三の宮を一目ごらんになりました。その時か うわそら 源ら、心も上の空におなりになって、わずかなってをもって知らせてください』と、祈願を申したところが、ありがた はちまんだいさっ 猿 お手紙をさしあげられると、ご返事があって、それからは、 いことに、八幡大菩薩が、枕もとにお立ちになり、『おま てんによ とばあまぎみ えの恋い慕う女は、鳥羽の尼君という者の娘で、天女とい 引たがいのお心も浅からず、そのうえ、お子様がお生れにな さいじよ ります。源氏は、この若君をごらんになって、 って、渡辺左衛門の妻女であるぞ』とお教えになったとこ いはま
ひかりもの 目に、大風が吹いて、波が荒く、光物が飛びしきり、二十に詳しく語った。「なんと修行者、私は、もとは日本の丹 もやい 後国の者ですが、西風に吹き流されて、今はこの国に住ん 四艘の船の、舫の綱も吹き切って、ちりちりになったが、 らせつこく ちゅうなどん でいるのです。日本はどこの人でいらっしゃいますか。お 中納言の乗られた船をば、吹き切ることもなく、羅刹国へ つくし なっかしいことです」と申しあげた。「さよう、私は筑紫 子と吹きつけた。 みなと の者でございますが、世をのがれて修行する者なのです。 とある湊に上がり、心細いので笛をお吹きになる。ちょ どこをすみかと定めていないので、どんな所をも宿として、 うどその時に、この世の人とも思われない、頭髪は上方へ 生え上り、色が黒く、背の高い者が大勢集って、吹いたも幾度目ざめることでしよう。そういうわけで、・この世は夢 まをろし や幻のようなものです。そのうちに、私も、あなたのよ のは優雅なことだと、ひどく感動して聞いていた。「いか にも、これは日本国の人であろう」などと言う。「この国うに、悪い風に吹き流され、今はこの国にやって来てしま いました。ところで、はくもん王の御殿は、どこでござい はどこか」とお尋ねになると、「これこそ羅刹国で、この ますか。拝見したいものです」とおっしやると、「やさし 国のご主君は、はくもん王」とお答えした。「いっぞや、 をんぞんこく いことです、私の娘は、しやこん女と申しまして、姫君の 梵天王の姫君を取ろうとして、梵天国へおいでになりまし ろう おそばにお仕えしております。そのほか、はさら女、じん たが、四天王がお捕えなさって、牢に置かれました。とこ ろが、大王の御殿の米を食い、神通力を得て牢を破り、姫つう女、あくとう女、しゅんしや女といって、数多くの女 き」き を奪い取り、一の后として大事にお世話しておられるので房を后におつけしています。そのうえ都合のよいことに、 す。このごろは、姫君が母君の後世を弔うためというので、修行者をば、はくもん王もおかわいがりなさいますよ。い せんにちきよう らっしやってごらんなさいませ」と申しあげた。 別に御殿を建て、千日経を読んでいらっしゃいます。はく かたき そのうちに、はくもん王からご使者があり、「今晩、思 もん王が日本国の人々をば敵とおっしやるので、この国へ ねいろ いも及ばない音色が聞えたが、吹いた者を、急いで御殿へ は人れないのです。よく気をつけて、日本国の者とはおっ しゃいますな、修行の方」と申しあげた。そして、まこと参上させよ」という仰せである。そこで、すぐに宮殿へ参 ( 原文一七四 ) そう ごせ ごのくに たん
この『浦島太郎』の物語は、異類婚姻譚の一類に属して、竜宮女房の話型にあたるものである。同じ浦島 子のことは、『日本書紀』『風土記』『万葉集』『浦島子伝』『続浦島子伝記』など、かなり多くの文献にも取 集りあげられている。すなわち、『日本書紀』雄略天皇一一十二年の条には、大亀の化した女に従って、海中の とこよのくに 草蓬莢国に到ったと記され、『丹後国風土記』逸文には、五色亀の化した女に従って、海中博大之島に到った わたつみ 御 と記されている。『万葉集』巻九によると、海若の神の女にあって、そのまま常世に到り、その神の宮に暮 したというのである。また、『浦島子伝』や『続浦島子伝記』では、神女とともに蓬莢山におもむいたとあ って、著しく神仙思想の影響をうけている。それに対して、御伽草子の『浦島太郎』では、亀の化した女に しろかねついちっ こがねいらか 従って、その女の故郷におもむくのであるが、その場の情景については、「銀の築地を築きて、金の甍を並 もん すまゐ べ、門を建て、いかならん天上の住居も、これにはいかでまさるべき」と記され、また、「これは竜宮城と 」う - もく 申す所なり。この所に、四方に四季の草木を現せり」とものべられている。そのように、先行の文献では、 常世または莢と記されたものが、御伽草子にいたって、竜宮という名に落ち着いたのである。さらに、こ の御伽草子では、亀を助けてやったために、竜宮に迎えとられたというように、動物報恩譚の要素を加えて おり、ついには、浦島太郎と亀とが、夫婦の明神とあらわれたというように、本地物の傾向を示している。 参考文献〇高木敏雄「浦島伝説の研究」 ( 『日本神話伝説の研究』大岡書院 ) 〇出石誠彦「浦島の説話とその類 例について」 ( 『支那神話伝説の研究』昭中央公論社 ) 〇阪ロ保『浦島説話の研究』 ( 昭新元社 ) 〇関敬吾 『昔話の歴史』 ( 昭至文堂 ) 〇秋谷治「浦島太郎ー怪婚譚の流れー」 ( 『国文学』一一十一一巻十六号 ) 〇重松明久『浦島 子伝』 ( 昭現代思潮社 ) しゅてんどうじ たんばのくに みなもとのらいこう 丹波国の大江山には、酒呑童子という鬼神がすんで、多くの人を取っていた。源頼光をは 酒呑童子 じめ、六人の武士が、この鬼神を討つように命じられて、山伏姿で大江山に人っていった。 おとめ
ふちかは 淵河へも身を人れん」と歎きける。文正、さめざめと泣きて、また大宮司殿へに守 ( 長官 ) には中央の貴族が任じ られた。常陸国は親王任国で、守 すけ には遥任で皇族があてられ、介 参り、このよしを申しければ、「それほどの儀ならば、カなし」とぞ仰せける。 ( 次官 ) に中央の貴族が任じられた。 くらんど のちゑぶ ひたちこくし くだ さて、その後、衛府の蔵人みちしげと申す人、常陸の国司を給はりて下り給 = ひととおりでなく。非常に。 一ニ好んで男女の交情にふけるこ ←まかっしづめ と。よく恋愛の情趣を解すること。 ひけり。この人は、なのめならず色好みにて、いかなる山賤、賤の女なりとも、 一三木こりなど、山中に住む身分 こくちゅう みめかたち世にすぐれたる人をと、心がけておはしける。国中の大名たち、わの低い者。 一四身分の低い女。いやしい女。 あか れもわれもと見せけれども、心に合はずして、明し暮し給ひけり。ある人申す一五「用ふ」は、可として取りあげ る、採用する意。 かしま ざふしき むすめ 一六美女を形容する決り文句。 ゃう、「鹿島の大宮司の雑色に、文正と申す者、光るほどの女を持ちて候ふ。 毛主人の大宮司にお仰せつけに あまくだ 国中大名、われもわれもと申されけれども、用ひ候はず。これは、天人の天降なって、その娘をお召しなさいよ の意。京大本に「それを大くうし むすめ り給ふかとおぼえ候ふほどの女二人持ちて候ふ。主の大宮司仰せられて、召さ殿におほせてめされ候〈かし」、 丹緑本に「それをしうの大くうし みうち れ候へかし」と申しければ、喜び給ひ、大宮司を召し、「まことや、御内の雑とのにおほせられ候てめし候 ( 」 とある。 むすめ うけたまは 色に、文正とやらん者、並びなき女を持ちたるよし承りて候ふ。御はからひ穴おとりはからい。ご処置。 子 一九「給はるは「受ける」の謙譲語 で、いただくの意。中世に「給ふ」 正にて給はり候 ( 。そのよろこびには、国司を譲り申すべし」とのたま ( ば、 と混同されて、「与えるーの尊敬語 めい 「かしこまって候へども、すべて人の申すことをも聞かず、親の命にも従はずで、下さるの意にも用いられる。 ニ 0 お社をすること。謝礼 候ふなり。さりながら、申してみ候はん」とて、御前を立ち給ふ。文正も御供 = 一かしこまりましたが。 ニ 0 なげ ろごの 一八 しトも かみ
もののたとえ。「むくり」は蒙古。 男を参らせん」と、暇乞してたばかり る 一一女だけが住むという想像上の ( 絵 ) まか す すまし、御船をおし出す。風に任せて 一ニ男女の親しみあうこと。 で 船 一三男の種をつけるのか。 行くほどに、三十余日と申すには、ま 形 屋 一四いや、そのことですよ。「さ てれば」は、相手のことばをうけて たある島に著き給ふ。 ら 言うことば。 なぎさ 送 一五秋田本に「にほんよりなんぶ さるほどに、御船、渚に寄せて見給 に ち うのふきけるを、おとこかせとう た 人 けとりて、さいあいするなり」と へば、背の高さは一尺二寸ばかり、扇 のある。『嶺外代答』『諸蕃志』など に、南海の女人国の女は南風に感 のたけに等しきほどの者、三十人ばか 武 っ じて女を産むという。伊豆の八丈 きた を島の女は南風に吹かれてはらんだ り出で来れり。御曹子は御覧じて、 とも、南風の吹く日に南方の青ケ の 「この島の名は、何といふぞ」と問は 種島から男を迎えて契ったともいう。 一七 一六もっとも愛する者。 しまびとまなこかど 島 の 宅こわい目つきで見ること。 せ給へば、島人、眼に角をたて、「何・ヘ 護 穴秋田本に「こひとしま」とある。 女 一九古梓堂本に「南方ふたらくせ と言ふぞや、冠者は。これこそは、隠 渡 かいとある。阿弥陀仏の極楽浄 島 ちひごじま なさつじま さ子島と申す土は西方にあたり、観世音菩薩の 子れもなき小さ子島とはこの所なり。また菩薩島とも申すなり。小 補陀落世界は南方にあたる。 なんばうごく は、あまり背の小さき故なり。また菩薩島とは、夜も三度、昼も三度、南方極 = 0 阿弥陀仏に従う二十五の菩薩。 ニ一音楽。 ゃうがう・ いきゃうくん 8 らくせかい ニ 0 一三神仏がこの世に現れること。 楽世界より、一一十五の菩薩たち、管絃を奏し、影向なり、異香薫じ、花降り い せい っ くわじゃ いとまごひ いだ ゅゑ ふ
こうじ っておられるので、あちらの小路、こちらの辻、あちらこ あった。もう、自分の女に逢った気がして、うれしいこと いぬおうものかさかけ 引ちらをくるくるとやりすごして逃げまわり、春の風に桜の はことばに言い尽くせない。その屋敷では、大追物、笠懸、 まりあそ かんげん すごろく 花が散るように、逃げ隠れられた。ものくさ太郎は、これ鞠遊び、あるいは管絃を奏し、碁・将棋をさし、双六をう いまようそうか 子を見て、「そなたは、どこへ行くのか」と、あちらの小路ち、今様・早歌を歌うというように、思い思いの遊びが行 伽へつつと寄り、こちらの辻 ( 行きあたり、間もおかずに追われている。あちらこちらへ行って見るが、自分の思う女 はいなかった。もしかしたら出てくることもあるかもしれ いつめた。ある所であとをつけそこない、後へ帰って前を えんした じじゅうつをね 見るが、人もいない。往来の人に尋ねたところが知らない ないと、縁の下に隠れた。この女は、お屋敷では侍従の局 きよみず と呼ばれていた。夜がふけるまでおそばに仕えて、それか と答えて通りすぎた。清水で立っていた所へ帰ってきて、 ひろえん こちら向きになって、女房は立っていたし、あちらへ向い ら自分の部屋へおはいりになるが、広縁に出てきて、なで て、これこれこのようなことを言っていたが、どちらへ行 しこという下女を召して、「まだ月は出てこられませんか。 きよみず それはともかく、清水で出会った男は、どうなりましたか。 ったのであろうと、悩み苦しみ恋い慕われたが、どうしょ から うもない。なるほどそうだ、思い出したことがある、「唐これほど暗い折に、あの男に行きあったならば、命もない たちイな でしようね」などと語られると、「縁起でもない。どうし 橘紫の門」とおっしやっていたが、尋ねてみようと思っ つめしょ て、ここまでは来るはずがありましようか。なまじおこと て、紙一かさねを竹にはさみ、ある侍の詰所へはいってい ありさま ばに出されますと、その有様が見えてきます」と申した。 って、「私は、田舎の者でございますが、家をたずねあぐ その時に、ものくさ太郎は、縁の下で、これを聞き、ここ ねておりまして、そのありかは、唐橘紫の門とおっしやっ ておりましたが、そのような門は、どこにございましよう にこそ自分の奥方はいたのだ、それにしても、縁は尽きな おど しち - じよう ぶんのかみさま いものだとうれしく思って、縁の下から躍り出て、「なん か」と尋ねたところが、「七条のはずれの、豊前守様のお 屋敷には唐橘と紫とがあったよ、その小路へ向って尋ねて と女よ、そなたのためにいろいろと気をもみ、骨を折った ごらん」と教えた。尋ねて行って見ると、まさしくそれで ぞ」と言って、縁から上へ上がった。女は、これを聞き、