涙 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集
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1. 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集

一そうでなくてさえ。ただでさ りやるかたなきままに、母の御墓へ参りて、泣く泣く申させ給ふやう、「さら え。 なみだがは ニ涙の流れるのを川にたとえた でだに、憂きに数そふ世の中の、別れを慕ふ涙川、沈みも果てずながらへて、 集 もの。『源氏物語』早蕨巻に「さき 草あるにかひなきわが身ぞと、思ふにいとど不思議なる、片端のつきぬることのに立っ涙の川に身を投げば人にお 伽 くれぬ命ならまし」とある。 ままははごん ことわり 御うら 三「御前」は、特に女に対する敬 怨めしさよ。継母御前の憎み給ふも理な 称として用いられる。 ははうへ 四「何ともなる」は、ここでは死 り。親しき母上に捨てられ参らせ、わが ぬことをいう。あからさまに「死」 のち ちちごん と言うのを忌んで、ほかのことば 身何ともなりての後に、父御前いかが御 る を用いる。 なげ あ 五私が死んでも父上が思い残さ が 歎きのあるべきと思ふばかりを心苦しく 絵 れることもない。父上として心残 はは の りもない。 思ひしに、今の御母に姫君出で来給へ 廟六私に対して、おろそかである。 に疎略である。 ば、はやおぼしめしおかんこともなし。 七早く極楽浄土へ迎えとってく 太 ださい。 継母御前の憎み給ふ故、頼みし父おろか 島 浦 ^ ともに極楽浄土に生れあわせ。 極楽浄土で同じ蓮の花の上に生れ なり。今はかひなき憂き身の命、とくし 嘆ることをいう。現世でかなわぬこ はちす て とを来世に期待するのである。 っ て迎ひ取り給へ。同じ蓮の縁となり、心 九 九「流涕」は、涙を流すこと。 に りうてい 所「こがる」は、恋い慕って思い悩む 安くあるべき」と、流涕こがれて悲しみ の こと。「流涕こがる」は、御伽草子 母 や浄瑠璃の決り文句で、悲しみ嘆 給へども、生を隔つる悲しさは、さぞと 四 五 八 ゅ い はか 六 っ - かたは

2. 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集

( 君を恋しく思う涙の雨に袖が濡れて、干そうとすると、ま けではないけれども、あまりにも歌の意味がおもしろいか こうじ たも涙の雨が降り降りする ) ら、柑子を一つお添えなさい」と言うので、一つ添えて、 このように、 という歌の趣である」とのおことばがあった。そこで、例 集 なさけ ことば つをねにようう 子 二十一と、一度の情こめんとて多くの言葉語り尽しつ の局の女房は、そういうことならば、深く心を奪われて落 草 おののこまち 伽 ( 二十一とや、一度だけの情けをこめようとして、多くのこ ち着かないことだと、つくづくと思案にくれる。小野小町 とばを語り尽してしまった ) は、若い盛りに姿が美しいために人から恋い慕われたが、 イじよどうめい と詠んだところが、かの下女が道命をつくづくと見て、 つれなくしてその恨みの気持がとけないので、はかりしれ 「これほどみやびやかなことができるのに、なぜ柑子を売ない罪を負うて、その行いの報いからのがれられず、つい しいしようしよう っていらっしやるのですか」と言ったので、「ふりふりし に小町は四位の少将の思いが離れることなく、 ことは なさけ て」と答えた。下女は不審に思った。 言ひ捨つる言の葉までも情あるやただいたづらに朽ち そのうちに、、天子様も、このことをお聞きなされ、「た はつる身を だ今の商人の帰り道を見よ」とおっしやって、あとをつけ ( 言い捨てることばまでも情けがあってほしい、ただむなし く朽ちはてる身であるから ) て見守らせられると、道命は、宮中を出て、内心に、今日 は日も暮れた、明日こそと思い、宿をとった。そこで、下と詠んだ歌の心を忘れないで、いつも人にひととおりでな 女が宿をよく見定めておいて帰り、このことを、こうこう い情けをこめたいことでと考えつづけて、そこで、下女一 しかじかと申しあげると、天子様から、「あの商人の言っ人を連れて宮中を出て、道命の宿へ行って、戸をことこと とたたいて、このように、 たことばを、まさか知るまいが、あれは、伊勢が源氏を恋 こよひ たもと しく思って詠んだ歌なのだ。 出でて干せ今宵ばかりの月影にふりふり濡らす恋の袂 を 君恋ふる涙の雨に袖濡れて干さんとすればまたはふり ( 今夜だけは照っている月の光で、恋のために涙の雨が降り ( 原文一八八謇 )

3. 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集

参って申してからのちは、一日中鉢かずきのもとにとどま 一生をだいなしにしてよいものでしようか、私がどこかへ っておられた。そこで、兄君たちも、自分たち一家の座敷出ていきましよう」と申した。そこで、宰相殿が、「あな に来てはならないとおっしやったが、気にかけるご様子も たと離れては、少しの間も生きられません。どこへなりと 集 子ない。いよいよ人目をもかまわず、朝なタなお通いなさっ もともに行きましよう」とおっしやるので、鉢かずきは、 伽こ。 どうしてよいかと途方にくれて、涙を流していた。 よめあわせ 母上は、「ともかくも、鉢かずきは、きっとあやしい化 それでも、とにかく時はたっていき、嫁合の日ともなっ 物で、若君をとり殺そうと思っているのだろう、どうしょ たので、宰相殿は鉢かずきと二人で、どこへでも出ていこ れいい うか、冷泉よ」とおっしやった。冷泉が、「あの若君は、 うと思いつめられたのはかわいそうなことである。そのう わらじ それほどでないことでも情深く恥ずかしく思われて、ひと ちに、夜も明け方になったので、履かれたこともない草鞋 とおりのことまでも控え目なお方であられるが、このこと の紐をお締めになって、やはり父母と長く住んでおられる なごり では恥ずかしがられる様子もありません。それでは、ご子ことであるから、お名残惜しくお思いになり、落ちる涙に 息たちの嫁くらべをなさってごらんなさい。そうしました 目も曇り、もう一度父母にお目にかかっていきたいが、そ ならば、あの鉢かずきは恥ずかしく思って、どこへでも出れにしてもどこともわからずに出ていくのは悲しいことだ ていくことでしよう」と申されたので、なるほどとお思い と思われるけれども、一生に一度はお別れするのだからと になり、「何日の何時に、ご子息たちの嫁くらべがあるだ 思いきられる。鉢かずきはこの様子を拝見して、「私一人 さいしようどの ろう」と、口々にふれまわらせた。そこで、宰相殿は鉢か で、どこへでも出ていきましよう。これほどに契りの深い ずきのもとへおいでになって、「あれをお聞きなさい。わ ものなのですから、まためぐりあうことでしよう」とおっ れわれを追い出すために、嫁くらべということを言い出し しやると、宰相は、「恨めしいことをおっしやるのですね。 てふれていますが、どうしましようか」と涙を流されたの どこまでも、お供いたしましよう」と、このように、 いはま で、鉢かずきもともに涙を流して、「私のためにあなたの 君思ふ心のうちはわきかへる岩間の水にたぐへても ひも

4. 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集

こめぶく ん。この米を服したるによって、神力 を得て、鎖をも踏み切りたるなり」と だいわう て、かたじけなくも、大王、御涙を流 きもたましひ し給ふなり。中納言、肝魂も身に添 はず、とりあへず涙をおさへ、姫君の 御ことを聞き、「それはさる御ことに あ はん て候へども、御自筆の御判を給はり 言 納 中一五何とでもなりましよう。天理 て、天下に名をとどめ、その後、とも 王本に「宮の御ゆくゑをたつね、ら かくもまかりなるべし」と申させ給ひ 梵せんこくにわたり、おなし草はの た 露ともきえはやとそんする也」 きんさっ っ 座笹野本に「とにもかくにも、とん ければ、金札に御判をあそばし、中納 子せいっかまつり候はん」とある。 たれ 一六笹野本に「しろかねのふたに、 国言にたびたり。その後、「誰かある、 こかねの御はんをあそはし」とあ あしはらこく たてまっ 天 り、「銀札」とも解される。金札は 葦原国へ送り奉れーとのたまへば、中納言、知らぬ国とは思へども、姫君の父 梵 最高の権威のある文書にあたる。 なごり の御もとと思へば、名残惜しさは限りなし。はるばる日本へ帰りても、姫君の おはしまさばこそ頼みもあれと、涙にむせび給ひけり。梵天王も、いとあはれ ノ′ じひっ のち一五 しんりき すか千日にまんするを、けふにか しつる事の、むねんさよ」とある。 一ニ極楽浄土をさす。↓一六〇ハー 注。 一三情けないことだ。笹野本に 「かれにくはせたまふ事のうたて さよ」とある。 一四上の空で落ち着かない。ぼん やりとするさま。

5. 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集

御伽草子集 260 かたの かわちのくに それほど古くないころのことであったろうか、河内国の末栄えて幸せであるようにさせてくださいとお祈りになる。 びっちゅうのかみ こうして年月がたつうちに、姫君が十一二という年に、母 交野の辺に、備中守さねたかという人がいらっしやった。 多くの財宝を持っておられる。十分に満ち足りて、不自由上がふだんと違って風邪の気分とおっしやって、一日、二 しいかかんげん な思いをなさることもない。詩歌管絃に心を寄せたが、花日といううちに、これで最期と見えたので、姫君をそばに の下では散るのを悲しみ、歌を詠み詩を作り、のどかな空呼んで、緑の黒髪を撫であげ、「ああいたわしいことだ、 十七、八にも育て、適当な人に縁づけておき、心おきなく をながめ暮しておられた。奥方様も、『古今集』『万葉集』 『伊勢物語』など、多くの草子をごらんになって、月をな見とどけ、それから死ぬのではなくて、幼いさまの姫を見 がめて夜を明かし、その沈むのを悲しみ、風流な毎日を送捨てていくとは、情けないことだ」と、涙をお流しになる。 おしどり られながら、気にかかることもない。鴛鴦のようにむつま姫君もともに涙をお流しになった。母上は流れる涙をおし とどめ、そばの手箱を取り出し、中には何を人れられたの じく、隔てをおかれることもなく、思いどおりのお仲では ぐし か、まことに重そうなのを姫君のお髪に載せ、その上に肩 あるが、お子様が一人もない。朝夕悲しんでおられたが、 の隠れるほどの鉢をおかぶせして、母上はこのようにお詠 どうしたわけか、姫君を一人もうけられて、父母のお喜び はことばで言い尽くせないほどであった。こうして、大事みなさった。 ぐさ くわんおん かんのん さしも草深くぞ頼む観世音誓ひのままにいただかせぬ に育てられることはなみなみでない。日ごろ観音を信心さ る れていたために、長谷の観音に参っては、この姫君が行く 鉢かづき はち てばこ はは

6. 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集

45 鉢かづき すゑはんじゃう の観音に参りては、かの姫君の末繁昌の 本の古典を代表するものとして、 特に和歌の道で重んぜられた。 果報あらせ給へとぞ祈り給ふ。 九物語・歌書など、かながきの 書。 としつきふ 一 0 何の心残りもない。満足のさ かくて年月を経るほどに、姫君十三と まをいう。 ははうへ る 申せし年、母上例ならずかぜのここちと 一一オシドリの雄と雌。鴛鴦は常 ら に雌雄が連れ添うことから、夫婦 被 のたまひて、一日二日と申せしほどに、 を の深い契りのたとえに引かれる。 一ニ御巫本には長谷の観音の申し 一七 な き子と明記されている。 今を限りに見えければ、姫君を近づけ に 一三ことばで言い尽くせないほど て、緑のかんざしを撫であげ、「あらむ 姫であった。 一四「いつく」は、大事に世話する 母「かしづく」は、大切に養い守る意 ざんやな、十七八にもなし、いかなる物 っ な 本尊は十一面観音。 にもつけおき、心安く見おき、とにもか 身 一六本来は因果の応報であるが、 の 特に幸福の意味に用いられる。 くにもならずして、いとけなき有様を捨 限 を 宅もうこれで終り。臨終の状態。 今 穴黒くてつやつやした髪。「か ておかんこと、あさましさよ」と、涙を んざし」は、髪の状態をいう。 流し給ふ。姫君も、もろともに涙を流し給ひける。母上は流るる涙をおしとど一九ああいたわしいことだ。 ニ 0 「縁につく」は、結婚させる意。 め、そばなる手箱を取り出し、中には何をか人れられけん、世に重げなるを姫 = 一何とでもならないで。死ぬの ではなくて。 はち 一三頭髪の尊敬語。 君の御髪にいただかせ、その上に肩の隠るるほどの鉢をきせ参らせて、母上、 てばこ な いだ ありさま えんおう

7. 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集

年の寿命を保っていたのだった。あけて見るなと言われた のを、あけてしまったのはかいのないことであった。 あよ たまてばこ 君に逢ふ夜は浦島が玉手箱あけて悔しきわが涙かな ( あなたに逢う夜は、浦島の玉手箱をあけてくやしい思いを したように、明けてくやしく田 5 われ、涙が流れることだ ) と、歌にも詠まれている。命のあるものは、どれも情けを 知らないということはない。まして、人間の身として、恩 をうけて恩を知らないのは、木や石にたとえられている。 情愛の深い夫婦は二世の契りというが、まったくめったに にうらい ないことであるよ。浦島は鶴になり、蓬莢の山で遊んでい る。亀は、甲に三せきのいわゐをそなえ、万年を経たとい うことである。そうだからこそ、めでたいことのたとえに も、鶴や亀のことを申すのである。ひとえに人には情けが あってほしい、情けのある人は行く末めでたいというよう たんごの に申し伝えている。さて、そののちに、浦島太郎は、丹後 みようじん 国に浦島の明神として現れ、いっさいの生物をお救いなさ 太 島っている。亀も、同じ所に神として現れ、夫婦の明神とお なりなさる。まことにめでたかった先例である。 343 くに

8. 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集

ゆくへ て候へば、浦島の行方をば、御尋ね候ふやらん、不思議にこそ候へ。その浦島 とやらんは、はや七百年以前のことと申し伝へ候ふ」と申しければ、太郎おほ 子きに驚き、こはいかなることぞとて、そのいはれをありのままに語りければ、 伽 おきな 御翁も、不思議の思ひをなし、涙を流し 申しけるは、「あれに見えて候ふ古き せきたう べうしょ 塚、古き石塔こそ、その人の廟所と申 し伝へてこそ候へ」とて、指をさして ( 絵 ) ふか 教へける。太郎は、泣く泣く、草深く 露しげき野辺を分け、古き塚に参り、 涙を流し、かくなん、 かりそめに出でにし跡を来て見れ ば虎臥す野辺となるぞ悲しき ひともと こかげ さて、浦島太郎は、一本の松の木蔭 に立ち寄り、あきれはててぞゐたりけ つか ふ い あと 箱を開けると、たちまち老人となる。山中で土坡が多く、松には蔦がかかる。 ニ墓所。禿氏本に「あとのしる し」とある。 一わけ。理由。

9. 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集

271 鉢かづき みよ とお詠みになって、今にも出ていこうとなさるが、やはり ( あなたを思う心の中は、湧きたっ岩の間の水に比べてもみ お名残惜しく、悲しくお思いになって、そのまま出かける てください ) こともできず、ただお涙がとめどなく流れる。このように と、このようにお詠みになり、出ていこうとなさる時に、 とどまっているわけにもいかないで、夜もしだいに明け方 鉢かずきは、このように、 になったので、急いで出かけようと思って、涙ながら二人 わが思ふ心のうちもわきかへる岩間の水を見るにつけ ともに出ようとなさった時に、頭に載せておられた鉢がど ても っと前に落ちた。 ( 湧きたっ岩間の水を見るにつけても、私があなたを思う心 宰相殿は驚かれて、姫君のお顔をつくづくとごらんにな の中も湧きたっています ) ると、十五夜の月が雲間を出たのと変らず、髪の様子や姿 などと詠じ、また鉢かずきは、このように、 かたちは何にたとえようもない。若君はうれしく思われ、 よしさらば野辺の草ともなりもせで君を露ともともに落ちた鉢を上げてごらんになると、二つ懸子のその下に、 さかずき こひさげ 消えなん 金の丸かせ、金の盃、銀の小提、砂金で作った一二つなりの たちばな なしじゅうにひとえ こそぞくれないちしお ( ではそれならば、野辺の草ともなりもしないが、その草と 橘、銀で作ったけんぼの梨、十二単のお小袖、紅の千人 はかま 同じような気持で、あなたを露とも思って、いっしょに消え の袴、多くの宝物が人れられていた。姫君はこれをごらん かんのん りやく てしまいましよう ) になって、自分の母が長谷の観音を信じられたご利益と思 とお詠みになったので、また宰相殿は、このように、 われて、うれしいにつけ悲しいにつけ、先立つものは涙で ちぎ はぎすゑば 道の辺の萩の末葉の露ほども契りて知るぞわれもたま ある。そこで、宰相殿はこれをごらんになって、「これほ らん どすばらしい幸福者であられるとはうれしいことだ。今は はぎはずえ ( 道ばたの萩の葉末の露ほどのわずかな間でも、契りを結ん どこへも行かなくてよい」と、嫁合の座敷へ出ようと用意 であなたの心を知ったからには、私もいっしょに日を送ろう ) をなさる。すでにはや夜も明けたので、世間はざわめいて べ かけご

10. 完訳日本の古典 第49巻 御伽草子集

せんじようだけ ので、一行は、千丈嶽を登って、暗い岩穴を十丈くらいく です、この所は、鬼の岩屋と申して、人間はけっして来る 3 ぐりぬけて、幅狭い谷川においでになる。老人は、「この ことはありません。客僧たちは、どうしてここまでおいで 川上をお上りなさってごらんなさい。十七、八歳の婦人が になったのですか。何とかして私を都へ帰してください」 子いらっしやるでしよう。詳しくは会ってお尋ねください。 と、おっしやるやいなや、たださめざめとお泣きになる。 きじん 伽鬼神を討とうとするその時には、なおさらにわれわれも助頼光がこのことをお聞きになり、「あなたは、都のどなた すみよしはちまんくまの はなぞの 力いたしましよう。住吉・八幡・熊野の神が、ここまで出 のご息女ですか」とお尋ねになると、「はい、私は花園の ちゅうなごん 現してきたのです」とおっしやって、かき消すように見え中納言の一人娘でございましたが、私だけでなく、ほかに なくなられた。 十人あまりとらわれておられます。近ごろ、池田の中納言 六人の人々は、この様子をごらんになって、三社の神が くにたかの姫君も、さらわれてここにおられます。かわい お帰りになった方向を伏し拝まれてから、教えに従って、 がっておいてそのあげく、体の中から血をしぼり、酒と称 さかな 川上を上っていかれてごらんになると、教えのとおり、十して血をば飲み、肴と称して肉をそいで食われる、その悲 りかわ 七、八歳の婦人が、血のついたものを洗っていて、涙を流しみは、そばで見るのもかわいそうです。堀河の中納言の けさ かた しておられる。頼光が、この有様をごらんになって、「ど姫君も、今朝、血をおしぼられなさったのですよ。その帷 のような方ですか」とお尋ねになると、姫君は、このこと子を私が洗うとは悲しいことです。まったく情けないこと ばをお聞きになり、「はい、私は都の者でございますが、 ですわ」と、さめざめとお泣きになるので、鬼のように強 ある夜、鬼神につかまって、そのためにここまで参ってお い人々も、まことにもっともだと思われて、ともに涙にむ うばもやく ります。恋しい二人の父母や、乳母や守り役に会うこともせばれる。頼光が、「鬼をやすやすと退治し、あなたたち ならないで、このような情けない姿でいるのをば、かわい をことごとく都へ帰す、そのために、ここまでたずねて参 そうにお思いなさってください」と、たださめざめとお泣 りました。鬼のすみかを丁寧にお語りください」とおっし きになる。流れる涙をおさえながら、「ああ情けないこと やったので、姫君は、このことばをお聞きになり、「これ びら