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検索対象: 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)
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1. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

がしんじくうぎいふくむしゆくわんじんむしんほふぶぢゅうほふ かんふげんきよう 一『観普賢経』の「何者是罪、何 とこそ承れ。されば仏は、『我心自空、罪福無主、観心無心、法不住法』とて、 者是福、我心自空、罪福無主、一 くわん おんこころ い切諸法、皆亦如是、 : ・観心無心、 善も悪も空なりと観ずるが、まさしく仏の御心にあひかなふ事にて候なり。 語 法不住法中、諸法解脱、滅諦寂 みだによらい しゆい おこ 静」 ( 罪福は何者かと尋ねると、我 物かなれば、弥陀如来は、五劫が間思惟して発しがたき願を発しましますに、、 家 心はそれ自体空で実体がない。そ おく / 、まんごふ しゃうじりんゑ むな 平かなる我等なれば、億々万劫が間、生死に輪廻して、宝の山に入ッて手を空しういう空の心から起。た罪福も実 体なく空である。一切の諸法は皆 うらみ くちを おろか よねん このとおりだ。 : 心をじっと観じ うせん事、恨のなかの恨、愚なるなかの口惜しい事に候はずや。ゅめ / 、余念 ても心は無く、諸法も法の中に常 をおばしめすべからずーとて、戒たもたせ奉り、念仏すすめ申す。大臣殿しか住しない。それゆえ罪や福、心や 法に心をとめるべきではない ) を たちま まうねんひるがヘ るべき善知識かなとおばしめし、忽ちに妄念翻して、西にむかひ手をあはせ、 ニどういうわけで弥陀は無上の かうしゃう きつうまのじようきんなが 高声に念仏し給ふところに、橘右馬允公長、太刀をひきそばめて、左のかた誓願を起すのに、我らは救われな いのだろう、と言おうとして、途 より御うしろに立ちまはり、すでにきり奉らんとしければ、大臣殿念仏をとど中で文がそれて「いかなる我等な れば」と言い替えたもの。 三『無量寿経』に仏の所説を聞い めて、「右衛門督もすでにか」と宣ひけるこそ哀れなれ。公長うしろへ寄るか た法蔵比丘 ( 弥陀如来 ) が無上殊勝 くび ひじり と見えしかば、頸はまへにそ落ちにける。善知識の聖も涙に咽び給ひけり。たの願を発し、「五劫ヲ具足シテ荘 厳仏国ノ清浄之行ヲ思惟シ摂取 けきもののふも、争でかあはれと思はざるべき。ましてかの公長は、平家重ス」とある。劫は非常に長い時間。 四どういう我々だから。我々が けにんしんぢゅうなごん あさゆふしこう 代の家人、新中納言のもとに朝夕祗候の侍なり。「さこそ世をへつらふといひどんな人間だから。 五人に生れながら仏教に会えす 悟りを開くことができないのをい ながら、無下になさけなかりける者かな」とぞ、みな人慚愧しける。 だい おん ぜんちしき く、つ いか ごこふ 力し たから ぎんぎ おこ むせ ぢゅう 四

2. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

平家物語 16 生を いちのたに かり一谷にてうたれさせ給ひて候』と、申す者にこそあひて候ひつれ。『さて 小松三位中将殿の御事はいかに』と問ひ候ひつれば、『それはいくさ以前より、 おん 大事の御いたはりとて、八島に御渡り候間、此たびはむかはせ給ひ候はず』と、 こまみ、とこそ申し候ひつれ」と申しければ、「それもわれらがことをあまり に思ひなげき給ふが、病となりたるにこそ。風の吹く日は、今日もや船に乗り 三非常に驚き恐れる。ぎよっと 四 いくさといふ時は、ただ今もやうたれ給ふらむと心をつする。 給ふらんと肝を消し、 五 四あれこれ考え、思い悩む。さ たれ ゃう まざまに気をもむ。 くす。ましてさ様の御いたはりなんどをも、誰か心やすうあっかひ奉るべき。 五誰が安心できるようにお世話 できるだろう。誰が心配ないよう くはしう聞かばや」と宣へば、 に看病してあげられるだろう、そ 六 一んな人は誰もいない、の意。 若君姫君、「など、なんの御 六どうして。 いたはりとは、問は、りける そ」と宣ひけるこそ哀れなれ。 三位中将もかよふ心なれば、 ) も 「都にいかにおばっかなく思 くびども ふらん。頸共のなかにはなく やまひ 4 る れ 送 護 衡セ離れていても心は通うものな 将 ので。都に心は通っているので。 中 位 本 一重いご病気。 ニ屋島。高松市北東部。瀬戸内 海へ突き出た島で現在は陸続き。

3. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

( 現代語訳三七五ハー ) 一 0 たいそう大人びたふうに。 書いてたうでンげり。斎藤六暇申してまかり出づ。 一一「た ( 給 ) びてけり」の転。底本 めのとの女房、せめても心のあられずさに、はしり出でて、いづくをさすと「たうてけり」。元和版「タウデゲ ル」、正節本「たうでんげる」。 へん , 世三何もできないいらだちの中に、 もなく、その辺を足にまかせて泣きありくほどに、ある人の申しけるは、「ヒ せめてできることとしては、走る ひじりも・・んがく・はう たかを おくに高雄といふ山寺あり。その聖文覚房と申す人こそ、鎌倉殿にゆゅしき大ことである、の意。「せめての」な らやむにやまれない心か。元和版 じゃうらふおんこ 事の人に思はれ参らせておはしますが、上臈の御子を御弟子にせんとて、ほし「攻テノ心ノアラレズサニヤ」 ( 正 節本同じ ) 。屋代本は「有ルニモア ッキ ラレネパ、突出テ、ソコハカトナ がらるなれ」と申しければ、うれしき事を聞きぬと思ひて、母うへにかくとも せめて ナキアリク ク泣行程ニ」、延慶本は「責ノ思 たてま ノ余リニ夜ヲ待アカシテ六波羅ノ 申さず、ただ一人高雄に尋ね入り、聖にむかひ奉ッて、「血のなかよりおほし 方へ尋行ケル程ニ」とある。 きのふ たて参らせて、今年十二にならせ給ひつる若君を、昨日武士にとられてさぶら一三心があることができない、の 意で、心の動揺が激しくじっとし おんでし おんいのち ふ。御命こひうけ参らせ給ひて、御弟子にせさせ給ひなんや」とて、聖の前にていられないことをいう。次ハー二 ~ 4 人の心地出できて」に対応する。 倒れふし、声も惜しまず泣きさけぶ。まことにせんかたなげにぞ見えたりける。一四すばらしく ( 大変な ) 大事の人。 代 文覚が頼朝にとって大事の人であ ることは巻五「福原院宣」に見える。 聖むざんにおばえければ、事の子細を問ひ給ふ。おきあがツて泣く / 、申しけ 一五誕生の時からの意の慣用句。 おんこ こまつのさんみのちゅうじゃう 第るは、「平家小松三位中将の北の方の、したしうまします人の御子をやしなひ屋代本「御産ノ内ョリ」。「君を血 巻 のなかよりいだきあげ参らせ」 ( 巻 きのふ きんだち 奉るを、もし中将の君達とや人の申しさぶらひけん、昨日武士のとり参らせて二・少将乞請 ) 。↓田一一七ハー一行。 一六以下、北の方の実子であるこ まかりさぶらひぬるなり」と申す。「さて武士をば誰といひつる」。「北条とことを隠して述べたもの。 いちにん ことし いとま おんでし この

4. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

平家物語 78 めのとの女房泣く / 、申しけるは、「是は今更おどろかせ給ふべからず。日来一平重衡。 ニ死に臨んで妄念を捨て平静な おんこと ほんざんみのちゅうじゃうどの いけ / 一め・ らい′」う よりおばしめしまうけたる御事なり。本三位中将殿のやうに生取にせられて、気持で弥陀の来迎を待っ心をいう。 三ご安、いのことをお思いくださ 都へかへらせ給ひたらま、 安心なさってください。「御」 。いかばかり心憂かるべきに、高野にて御ぐしおろし、 りんじゅうしゃうねん は維盛の妻にする敬語。 四どんな辺鄙な所でも。「わご 熊野へ参らせ給ひ、後世の事よく / 、申させおはしまし、臨終正念にてうせさ ぜたちは年若けれま、 。いかならん おんことなげき おんこころ せ給ひける御事、歎のなかの御よろこびなり。されば御心やすき事にこそおば岩木のはざまにても、すごさん事 やすかるべし」 ( 田三五ハー一行 ) 。 しめすべけれ。今はいかなる岩木のはざまにても、をさなき人々をおほしたて = 「思ひびて」の敬語。御心の 五 中で維盛のことを追慕して。 おばしめ おばしめ ・三日平氏」という章段の名は、 参らせんと思召せ」と、やう / 、、になぐさめ申しけれども、思食ししのびて、 「横笛」以下描かれてきた維盛関係 ながらふべしとも見え給はず。やがて様をかへ、かたのごとくの仏事をいとなの結びだが、必ずしも適切でない。 底本目録に傍書するように ( 七〇 み、後世をそとぶらひ給ひける。 ハ注一 I) 前半は「池大納言関東下向 で、続いて「三日平氏」、終りに 「維盛北方出家」がある。頼盛と家 来の宗清との行動が対蹠的に描か れるが、それらに、中世の人々の 考え方が知られると思う。 六維盛が隔て心なく ( 遠慮なく ) 訪ねて来て対面してくださったら。 セお助け申し上げただろうに。 是を鎌倉の兵衛佐かへり聞き給ひて、「哀れ、へだてなくうちむかひておは「たてまって」は「たてまつりて」 藤戸 ふぢ ひやうゑのすけ 四 と おん さま ひごろ たいせき

5. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

ぬかわからない世の中は、火打石から出る一瞬の光と違わまりして、尋ねかねているのは痛ましいことであった。住 ずきよう ない。たとえ人が長命だといっても、七十、八十を越えるみ荒らしたある僧坊に念仏・誦経の声がした。滝ロ入道の ことはない。その中で身体が元気なのは、たった二十余年声と聞き知って、「私がここまで尋ねて参りました。姿が ゅめまばろし にすぎない。夢幻のようにはかない世の中に、醜い者と片変っておいでになるのを、もう一度拝見したいのです」と、 時でも連れ添ってどうしよう。恋しい者に連れ添おうとす連れていた女を通じて言わせたので、滝ロ入道は胸騒ぎが ふすますき れば、父の命令に背くのとほとんど同じだ。これこそ仏道し、襖の隙からのそいて見ると、ほんとに尋ねかねた様子 なのがかわいそうに思われて、どんな道心を固く持つ者で に入るよい機縁だ。つらいこの世を嫌い、真の仏道に入る もとどり のにこしたことはない」といって、十九の年、髻を切って、 も心が弱ってしまいそうである。間もなく中から人を出し かど 嵯峨の往生院で心をすまし修行していた。横笛はこれを聞て、「全然ここにそんな人はいない。お門違いだろう」と いって、とうとう会わないで帰した。横笛は情けなく恨め き伝えて、「自分を捨てるのはしかたがないが、姿までも 変えたということがほんとに恨めし い。たとえ遁世しても、 しく思ったが、しかたなく涙をこらえて帰った。滝ロ入道 どうしてこうと知らせてくれないのだろう。あの人が気強は、同宿の僧に会って申すには、「ここも全く静かで念仏 くつれないにしても、尋ねて恨みを言おう」と思って、あ の邪魔はありませんが、いやでもないのに別れた女に、こ の住居を見られましたので、たとえ一度は気強く退けても、 る日の夕暮れに都を出て、嵯峨の方へばんやりさまよって うめづ 笛行った。頃は二月十日あまりのことなので、梅津の里を吹またも慕って来ることがあるなら、心も動いてしまいまし よう。失礼をして」といって、嵯峨を出て高野山へ登り、 く春風に、どこからともなく梅が香ってくるのも好ましく、 しようじよう・しんいん うわさ かすみ 第大井川を照らす月光も霞にこめられておばろに見える。慕清浄心院にいた。横笛も尼になったという噂が伝わって 巻 きたので、滝ロ入道は一首の歌を贈った。 う思いは一通りでないが、それも誰ゆえと思ったことだろ そるまではうらみしかどもあづさ弓まことの道にいる 往生院とは聞いたが、はっきりど う、時頼のせいなのだ。 , そうれしき この坊とも知らないので、あそこここに立ち止まり立ち止 かお とんせい

6. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

かなる大事をも申せ。聖が申さん事をば、頼朝が一期の間はかなへん』とこそ一すでに。 ニ底本「かろうす」。「重うして」 宣ひしか。其後もたびたびの奉公、かつは見給ひし事なれば、ことあたらしうの対。軽くする。「す」は濁音でよ む説もある ( 三一 ハー一一行 ) 。元和 語 じゅりゃうじん はじめて 物始而申すべきにあらず。契を重うして命を軽うす。鎌倉殿に受領神つき給はず版「軽ズ」 ( 正節本同じ ) 、屋代本 家 「軽ウス」。 あかっき 三底本振りがなジュリャウジン。 平は、よも忘れ給はじ」とて、その暁立ちにけり。斎藤五、斎藤六是を聞き、 「神」の左に「カミイ」とある。元和 しゃうじん 版・正節本などジュリャウガミ。 聖を生身の仏の如く思ひて、手を合せて涙をながす。いそぎ大覚寺へ参ッて、 シュリャウン 屋代本「受領神」。受領気分。受 此由申しければ、是を聞き給ひける母うへの心のうち、いか計かはうれしかり領としての傲慢で尊大な心・精神 四ほっと安心して。「心を取る」 は、落ち着いた気持になる意。一一 しいかがあらんずらむとおばっかなけれ けむ。されども鎌倉のはからひなれ、 十日の先まで延ばしたので「延ぶ」 たうじ ども、当時聖のたのもしげに申して下りぬるうへ、廿日の命ののび給ふに、母と続ける。母上、乳母が自分の動 作として行うので、下二段動詞 うへ、めのとの女房、すこし心もとりのべて、ひとへに観音の御たすけなれば「延ぶ」 ( 延ばす意 ) が使われる。 五断定の助動・なり」の已然形 に「やーのついたもの。和歌などに と、たのもしうそ思はれける。 多く用いられた言い方で、「なれ くら 五 あか かくて明し暮し給ふほどに、廿日の過ぐるは夢なれや。聖はいまだ見えざりや」で一語のように認められるこ とが多かった。ここは詠嘆の意。 こころぐる けり。何となりぬる事やらんと、なか / 、、い苦しうて、今更またもだえこがれ六かえ 0 て心配になって。 セ出発の準備に忙しそうに動き もんがくばう ひかず 給ひけり。北条も、「文覚房の約束の日数も過ぎぬ。さのみ在京して年を暮すまわること。 ^ 緊張して、はらはらするさま。 九考え尽せない意から、考えよ べきにもあらず。今は下らむ」とて、ひしめきければ、斎藤五、斎藤六手をに ちぎり 四 はつか かろ いちご はつか おん カロン

7. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

しんしこうていお 1 」 の上に臥そうと思ったのに、生きながら別れてしまったこ保つことができただろう。秦の始皇帝が奢りを極めたが、 りさん とはほんとうに悲しい。十七年の間、 一日片時も離れたこ それもついには驪山の墓に埋められ、漢の武帝が命を惜し とはない。海底に沈まないで、汚名を流したのも、あの子んで長生きを望んでおられたが、それもむなしく茂陵に葬 られ苔となって朽ちてしまった。『生のある者は必ず滅び のためだ」といって泣かれたので、聖も哀れに思ったが、 せんだん る。釈迦でもまだ栴檀をもって火葬にされることからおの 自分までも弱気ではだめだと思って、涙をふき、何気ない がれにならない。楽しみが尽きて悲しみがくる。天人もや 様子をして申すには、「今はご子息のことなどあれこれお はり五衰の日に会うのだ』と承っている。それゆえ仏は、 考えになるべきではない。最期のご様子を御覧になるにつ がしんじくうぎいふくむしゆかんじんむしんほうぶじゅうほう けても、あなたとご子息がお互いに心の中で悲しく思われ『我心自空、罪福無主、観心無心、法不住法』といって、 るだろう。あなたはお生れになってからこのかた、楽しみ善も悪も空だと観ずるのが、まさしく仏の御心にかなうこ あみだによらい みかどがいせき となのです。どういうわけで阿弥陀如来は、五劫という長 栄えてこられて、昔も類例が少ないほどだ。帝のご外戚で い間、思い考えて、衆生を救おうというこのうえない大願 大臣の位にお昇りになった。この世のご栄華は一つも残る 所がない。今またこんな目におあいになるのも、前世で行を起しておられるのに、我々はどんな人間だというので、 おくおくまんごう 斬った悪業の報いである。世間も人も恨みに思われてはいけ億々万劫という非常に長い間、生死の世界をめぐりめぐっ だいばんてんおう 被 て、宝の山に入って何も手に取らないで帰るように、人間 。大梵天王が王宮で深禅定に入っておられるが、その 殿なし に生れながら仏道に会えないで過すのだろう。このことは 大楽しみも、考えてみると、どれほどもないことだ。まして 恨みの中の恨みであり、最も愚かな、くやしいことではあ 一電光朝露のように短くはかない下界の人間の命においては とうりてん りませんか。決して念仏往生以外のことをお思いになって 第いうまでもない。切利天で億千年の長寿が保てるというが、 巻 はいけない」といって、戒をお授け申し上げ、念仏をお勧 それもただ夢のようにはかないものだ。三十九年をお過し になったというのも、わずか一時の間にすぎない。誰が不めする。大臣殿はいかにもふさわしい善知識だとお思いに もうねん なり、たちどころに妄念を翻して、西に向い手を合せ、声 老不死の薬をなめただろう。誰が東王父・西王母の長寿を じんぜんじよう しやか

8. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

さかずき この后に別れることが悲しいのだ」といって、 問題でない、 中将は盃を傾け酒を飲まれる。千手の前が盃をいただいて、 一晩中嘆き悲しんでおられた。燈火が暗くなったので、心 狩野介にさす。宗茂が飲む時、千手は琴を心を澄してひい ′」し・よう・らく た。三位中将が言われるには、「この楽を普通には五常楽細くて虞氏が涙を流す。夜がふけるにつれ、敵の軍兵が四 ′ ) しようらく ひろみ というが、重衡のためには後生楽と思うべきだ。すぐ急ぎ方を取り囲んで鬨の声をあげる。この内容を参議橘広相が おうじようきゅう 往生するように皇廢の急をひこう」とふざけて琵琶をとり賦に作ったのを、三位中将が思い出されたのだろうか、ま てんじゅ ことに優雅に聞えた。 転手をねじて、皇農の急をおひきになった。夜もしだいに そのうちに夜も明けたので、武士どもはお暇申して退出 ふけて、何かにつけ心が澄むのにつれて、「ああ、考えも する。千手の前も帰った。その翌朝、兵衛佐がちょうど持 しなかった。東国にもこんなに優雅な人があったのだな。 なんでもよい、もう一曲」と言われたので、千手の前はま仏堂で法華経を読んでおられたところへ、千手の前が参っ ながれ ぜん た、「一樹の陰に宿りあひ、同じ流をむすぶも、みな是先た。佐殿は笑われて、千手に、「重衡とのとりもちはうま ちかよし くやったものだよ」と言われると、斎院次官親能がその時 世のちぎり」という白拍子を、ほんとうにおもしろく心を くら すかうぐし 澄してうたったので、中将も、「燈闇うしては数行虞氏が御前で何か書いていたが、「何事でしたのでしよう」と申 いくさ 涙」という朗詠をなさった。詳しく説明すると、この朗詠した。「あの平家の人々は、戦のことで手いつばいだと日 ばちおと - 一うう こうそそ の内容はーー昔中国で、漢の高祖と楚の項羽とが位を争っ頃思っていたところ、この三位中将の琵琶の撥音や朗詠の 手て合戦すること七十二度、戦いごとに項羽が勝った。けれ口ずさみなど、一晩中立ち聞きしていたが、まことに優雅 な人でいられたよ」。親能が申すには、「誰もみんな昨夜拝 ども最後には項羽が戦いに負けて滅びたが、その時、騅と ぐし きさき 第いう一日に千里を飛ぶ馬に乗って、虞氏という后と共に逃聴すべきでしたが、その時、身体のぐあいが悪うございま そろ 巻 げ去ろうとしたところ、馬はどう思ったか、足を揃えて動して、お聞きしませんでした。今後はいつも立ち聞きしま しよう。平家の人々はもともと代々歌人・才人たちでござ % こうとしない。項羽は涙を流して、「自分の威勢はもうだ います。先年この人々を花にたとえました時、この三位中 めになった。今はのがれようがない。敵が襲って来るのは とぎ いとま

9. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

ごせ 後世のさはりともならんずるそ。『鎌倉まで送りつけて参ッて候』と申すべし きもたましひ おんべんじ と宣へば、二人の者共、肝魂も消えはてて、しばしは御返事にもおよばず。 ニ日やや あんをん 物良あッて斎藤五、「君におくれ参らせて後、命いきて安穏に都まで上りつくべ 家 平しともおばえ候はず」とて、涙をおさへてふしにけり。既に今はの時になりし わかぎみおん おんて かば、若公御ぐしの肩にかかりたりけるを、よにうつくしき御手をもッて、前一身体の前方へ垂されたので。 首の部分をあらわにするためのこ うち、 ) へ打越し給ひたりければ、守護の武士ども見参らせて、「あないとほし。いまと そで そののち だ御心のましますよ」とて、皆袖をぞぬらしける。其後西にむかひ手を合せて、ニ御心がしつかりしていらっし やる。思慮分別がおありになる。 とな くび 静かに念仏唱へつつ、頸をの 三伊豆国狩野郷 ( 静岡県田方郡 修善寺町 ) の住人工藤氏。狩野介 かののくどうぎう る べてそ待ち給ふ。狩野工藤三 ( 工藤 ) 茂光 ( 四四ハー三行 ) らの一族 至 であろう。親俊は伝未詳。 ちかとしきりて 河 駿 四以下「奉らんとしける」まで、 親俊、切手にえらばれ、太刀 貴人を斬る際の慣用句。一六一一ハー ひだん 下 をひッそばめて、左のかたよ 一一行・一七四ハー八行に類似の文 て れ がある。「ひッそばめて」は「引き おん をそばめて」 ( 一六二ハー注六 ) の音便。 り御うしろに立ちまはり、既 五打ちつける。打ちあてる。竜 にきり奉らんとしけるが、目 大本など「打あっ」、熱田本「打当」、 条 屋代本「打当テ進ラセペシ」。 もくれ心も消えはてて、いづ 六前後の区別もわからなくなる。 おんこころ

10. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

かげときぎんげん くらうたいふのはうぐわん した地。古活字本『平治物語』には さる程に、九郎大夫判官やう / 、に陳じ申されけれども、景時が讒言によッ 義朝が「野間の内海」に着いたとあ ふんみやう る。 て、鎌倉殿さらに分明の御返事もなし。「いそぎのばらるべし」と仰せられけ 一三希望をもって期待される心。 たてま おなじき ここのかのひ れば、同六月九日、大臣殿父子具し奉ッて、都へぞかへりのばられける。大将来に対する希望的な心。 一四↓一六二ハー注三。 ひかず 一五どうして命を生かすことがで 臣殿は今すこしも日数ののぶるをうれしき事に思はれけり。道すがらも、「こ きよう。「生くは、生かす意の下 くにん . 、しゆく . 、 一一段動詞。 こにてや、ここにてや」とおばしけれども、国々宿々うち過ぎうち過ぎとほり 一六屋代本・長門本は六月二十日 ところ こさまのかみよしともちゅう をはりのくにうつみ に到着、翌日殺されたとある。元 ぬ。尾張国内海といふ処あり。ここは故左馬頭義朝が誅せられし所なれば、こ 和版・正節本は二十三日到着、一一 いちぢゃう れにてぞ一定と思はれけれども、それをも過ぎしかば、大臣殿すこしたのもし十四日父子の首が都に入るとあり、 その日に殺されたらしい。『吾妻 鏡』によると、二十一日午前六時 き心いできて、「さては命のいきんずるやらん」と宣ひけるこそはかなけれ。 頃篠原着、ます、宗盛を誅し、次 くび うゑもんのかみ に野路で清宗を斬ったとある。 右衛門督は、「なじかは命をいくべき。か様にあっきころなれば、頸の損ぜぬ 斬 宅三日かかる道のり。都へ三日 みやこ 殿様にはからひて、京ちかうなツてきらんずるにこそ」と思はれけれども、大臣の行程ぐらいの所から。 臣 一 ^ 人を善 ( 仏道 ) に導く高僧。 大 殿のいたく心ばそげにおばしたるが心苦しさに、さは申されず、ただ念仏をの一九延慶本「本覚坊湛敬」、屋代本 タンガウ 「本浄房湛豪」。『吾妻鏡』は「本性 上人」。『玉葉』養和一一年条以後に 第みぞ申し給ふ。 巻 見え、建久三年 ( 一一九一 I) 三月十三日、 あふみのくにしのはらしゆく一六 ひかず 日数ふれば都もちかづきて、近江国篠原の宿につき給ひぬ。判官なさけふか後白河院臨終に侍した僧「本成房 湛敬」であろう。大原来迎院に住 ぜんちしき ほんじゃうばうたんがう みつかぢ した念仏聖。 き人なれば、三日路より人を先だてて、善知識のために、大原の本性房湛豪と ゃう ゃう