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検索対象: 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)
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1. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

271 灌頂巻女院死去 人之披見、付属弟子之外者、雖為同朋井弟子、更莫令書取之、凡此等条々、 背炳誡之者、仏神三宝冥罰、可蒙厥躬而已 沙門覚一 ニ及バン歟。仍ッテ後証ニ備へン ガ為ニ、之ヲ書キ留メシムル所也。 ゅめゅめ 此本努々他所ニ出スペカラズ、又 他人ノ披見ニ及プペカラズ、付属 ノ弟子ノ外ハ、同朋井ニ弟子タリ ト雖モ、更ニ之ヲ書キ取ラシムル ナカレ。凡ソ此等ノ条々炳誡ニ背 ク者ハ、仏神三宝ノ冥罰、ソノ身 ニ蒙ル・ヘキノミ沙門覚一 応安四年は一三七一年。覚一はこ の年六月二十九日没 ( 常楽記 ) 。 かうむ かよ

2. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

よび後出の本文による。屋代本に 其ョリシテコソ、小烏ハ平家ノ宝ト成ケレ。 一七 は「丞」の左に「庄司イ」とある。版 すて くさののじよういふものやしなは クサ / 、シャウジ 兵衛佐頼朝ハ、山口ニ捨ラレタリシガ、東近江、草野丞ト云物ニ養レテ、御本「草野庄司」のほうがよいか。草 野を領した定康が氏寺大吉堂の天 だう 井に義朝父子を隠したことが『吾 堂ノ天井ニ隠レ居タリシ程ニ、頼朝ヲサナケレドモサカム \ シカリケレバ 一九 妻鏡』文治三年二月九日条に見え ッラノ . 、ヒトリ しのび しじゅら′ 倩独案ジケルニ、我隠レ忍テアリトモ、始終ハョモカナハジ、ツイニハ尋る。草野は滋賀県東浅井郡浅井町 の地。なお頼朝が庄司に助けられ とら ネ取レン、タトイ我身コソサテハットモ、源氏重代ノ剣ヒゲ切ヲ平家ニ取レンたことは幸若・いぶき」「文覚」 「一満箱王」にも見える。 おもひ 一 ^ 利ロ、賢明であったから。 事コソ心ウケレ、イカニシテカ隠スベキト思ツ、、草野ノ丞ヲカタライテ、 一九最後までは。結局は。 もちニ 0 このひごろたすけ しかるべく 「此太刀、尾張国マデ持テ下リテタビテンヤ。可然ハ、此日来扶ラレ奉ルモ前ニ 0 下ってくださるだろうか。 ニ一そうできるなら。できること ちぎり 世ノ契ニテコソ候ラメ、今ハ親トモコソ思イ奉レ。サレバ一向ニ憑ミ奉リ、加なら。屋代本に欠。そのほうがわ ニ三 かりやすい。五行後の「可然者・ : 」 ゃう あっただいぐじ 様ニ申候也。尾張国熱田ノ大宮司ハ、頼朝ガタメニハ母方ノ祖父也。ソレマデを言おうとして間に「此日来・ : 失 ワジト存候」が挿入されたものか。 まうさ しのび 一三ひたすら。いちずに。 此太刀ヲモチテ下リテ、被申レンズル様ハ、『頼朝ハシカ / 、ノ所ニ深ク忍テ ニ三頼朝の母は「熱田太宮司藤原季 ニ四 めしうしな 巻 範女」 ( 尊卑分脈 ) 。 候ガ、ツイトシテハカクルペシトモ覚へズ、タトイ頼朝コソ召失ワレ候トモ、 剣 語 一西終には、の意か、屋代本「終 あひかまへてあひかまへて ぞんじ しかるべくは ニ可遁トモ不覚候」。 家相構々々此太刀ヲ失ワジト存候。可然者熱田ノ社ニマイラセテ置イテタビ ニセ 平 ニ五決して決して。何としても。 もしせんまん いのチいき メグ 兵底本「社ノ」。屋代本による。 候へ。若千万ニ一、不思議ニテ、命生テモ候ハヾ、イクセヲへテモ廻リアイテ、 ニ八 毛屋代本・田中奎・千万ニ一モ」。 くさののじようやすくうけとり ニ〈底本「草ノ、丞」。 申シアヅカリ候ハン』ト申ペシ」トノ給へバ、草野丞、心安請取テ尾張国ニ まうす なり ニ六 たの とら か

3. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

一ニ誠に恐れつつしむこと。頓首 ・謹言などと共に手紙の終りに書 いて敬意を表す語。 戒文 0 院宣を承諾するか否かについて、 男女それぞれの考えが出されてい るが、その中に微妙な心の動きが さんみのちゅうじゃう一三 三位中将是を聞いて、「さこそはあらむずれ。いかに一門の人々わるく思見られることに注意したい。 しげひらのきゃう ひけんーと後悔すれどもかひぞなき。げにも重衡卿一人を惜しみて、さしも一三請文 ( 返書 ) の内容。 一四そうだろう。拒否したのはも おんうけぶみ わがてうちょうほうさんじゅじんぎ の我朝の重宝、三種の神器を返しいれ奉るべしともおばえねば、此御請文のおっともだという気持。 一五あれほど大切な。 もむきはかねてより思ひまうけられたりしかども、未だ左右を申されざりつる一六まだなんとも言って来られな かった間は。左右は、とかくのこ 程は、なにとなういぶせく思はれけるに、請文すでに到来して、関東へ下向せと、何かのこと。 一九 一セ気がかり・。 , つつと , っしノ、。 なん らるべきにさだまりしかば、何のたのみもよわりはてて、よろづ心ばそう、都天重衡が思っていられたが。正 いぶせ 節本では「人々内々鬱う思はれけ とひのじらう るに」と、人々の気持にしている。 文の名残も今更惜しう思はれける。三位中将、土肥次郎を召して、「出家をせば 一九何かの頼みもすっかり薄くな くらうおんぎうし さねひら 。いかがあるべき」と宣へば、実平此由を九郎御曹司に申す。院御って ( なくなって ) しまって。 十やと思ふま、 ニ 0 どうともこうとも取り計らお ・よめ・とも のち 巻しょ う、だが只今は、どうして許せよ 所へ奏聞せられたりければ、「頼朝に見せて後こそ、ともかうもはからはめ、 う、今は許せない、の意。 3 ただいま 只今はいかでかゆるすべき」と仰せければ、此よしを申す。「さらば年ごろ契 = 一長年師弟の契りを結んだ高僧。 なごり かい 一七 もん いまさう ゐんのご

4. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

九 きもたましひ ぎり、肝魂をくだけども、聖もいまだ見えず、使者をだにも上せねば、思ふうがない、思案が尽きる、の意。 「はかりは、際限、限度、の意。 一 0 斎藤五、斎藤六をさす。屋代 はかりそなかりける。是等大覚寺へ帰り参ッて、「聖もいまだのばり候はず。 本「斎藤五、斎藤六、二人ツレテ さう あかっきげかうつかまっ 北条も暁下向仕り候」とて、左右の袖をかほにおしあてて、涙をはら / 、と又大覚寺へ参リ」。 = 年長者であるような者。年長 ながす。是を聞き給ひける母うへの心のうち、いかはかりかはかなしかりけむ。者は思慮深く慎重に行動するとこ ろから、そういうしつかりした者 が連れて行ってくれと言ったもの。 「あはれおとなしやかならん者の、聖の行きあはん所まで六代を具せよといへ 三命乞いに成功して上京しよう という時に、その前に六代を斬っ かし。もしこひ , つけてものばらんに、き、きにきりたらんかなしさを、 てしまったら、その悲しさを、ど せむずる。さてとくうしなひげなるか」と宣へば、「やがて此暁の程とこそ見うしたらよかろう。 一三とりもなおさず。ちょうど。 おとのゐ いへのこらうどう えさせ給ひ候へ。そのゆゑは、此ほど御宿直仕り候ひつる、北条の家子郎等ど一四見えます。思われます。「さ せ給ふ」は六代に対する尊敬表現。 なごり あるい あるい も、よに名残惜しげに思ひ参らせて、或は念仏申す者も候、或は涙をながす者一五底本「御とのゐ」。よみは元和 版・正節本による。 一六そうでないように。何気ない も候」。「さて此子は何としてあるそ」と宣へば、「人の見参らせ候ときは、さ 代 ふうに。内の悲しさを外に表さな しように、平気をよそおうさま らぬゃうにもてないて、御数珠をくらせおはしまし候が、人の候はぬときは、 宅繰っていられる。数珠をつま 第御袖を御かほにおしあてて、御涙にむせばせ給ひ候」と申す。「さこそあるらぐりながら念仏をとなえているの 巻 - を一い , っ め。をさなけれども、心おとなしやかなる者なり。こよひかぎりの命と田 5 ひて、天そうであろう。それが当然だ。 一九以下、「さらぬゃうにもてな いとま してを受けていう。 いかに心ばそかるらん。『しばしもあらば、暇こうて参らむ』といひしかども、 おんそで これら おんずず 一七 一四

5. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

そ申しさぶらひつれ」。「いで / 、さらば行きむかひて尋ねむ」とて、つき出で一ついと出た。「出づ」を強めた もの。 ここち ・一のことば ぬ。此詞をたのむべきにはあらねども、聖のかくいへば、今すこし人の心地出ニ人間らしい気持。屋代本「少 シ心地出来テ」、延慶本「イサ、カ 語 物できて、大覚寺へかへり参り、母うへにかくと申せば、「身を投げに出でぬるナグサム心地シテ」。 家 ふちかは 三仏神に祈りつつ泣くさま。 平やらんと思ひて、我もいかならん淵河にも、身を投げんと思ひたれば」とて、 四「北の方と申すは、故中御門 事の子細を問ひ給ふ。聖の申しつるやうをありのままに語りければ、「あはれ新大納言成親卿の御娘なり」 ( 3 五 九ハー一一行 ) 。 五「腹」は、その人の腹から生れ こひうけて、今一度見せよかし」とて、手をあはせてぞ泣かれける。 る、その人を母親として生れる、 ろくはら 聖六波羅にゆきむかッて、事の子細を問ひ給ふ。北条申されけるは、「鎌倉の意。「あり」は、この世にある、 いる、の意。 六年もとっているそうだ。「お 殿の仰せに、『平家の子孫、京中におほくしのんでありと聞く。中にも小松三 四 となしかるなり」の音便。「なり」 なかのみかどしんだいなごん は伝聞の助動詞。 位中将の子息、中御門の新大納言の娘の腹にありと聞く。平家の嫡々なるうへ、 セ思いのほか。巻六「葵前」 ( 。、かにも尋ねいだして失ふべし』と、仰せを蒙ッて候一七〇ハー二行 ) に用例がある。 年もおとなしかんなり ^ どうともこうともしないで。 わか ひしが、此程すゑみ、のをさなき人々をば、少々取奉ッて候ひつれども、此若何もせすに。殺害せずにそのまま にしてあることをい , つ。 まかりくだ ぎみぎいしょ 九模様を織り出したものの上に 公は在所を知り奉らで、尋ねかねて既にむなしう罷下らむとし候ひつるが、思 さらに刺繍をして、模様を二重に きのふ ほかをととひ はざる外、一昨日聞き出して、昨日むかへ奉ッて候へども、なのめならずうっしたもの。 一 0 貫き入れて。手首にはめる、 / 、し , つおはす・る間、あまりにいとほしくて、いまだともか , つもし菶・らで、おき手にかけていることをいう。 いだ

6. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

者。 母うへ、めのとの女房、天にあふぎ地にふして、もだえこがれ給ひけり。 一 0 どのようにして殺すのだろう か。延慶本「イカニシテカハ失ワ 「此日比平家の子どもとりあつめて、水にいるるもあり、土にうづむもあり、 ムズラム」。 おしころし、さしころし、さまみ、にすときこゆれば、我子はなにとしてかう = 親子・夫婦間の情愛。 三底本「ひとひかたとき」。「ひ くび しなはんずらん、すこしおとなしければ、頸をこそきらんずらめ。人の子はめとひ」はヒトイとよむ。 一三頼りにしていた人。夫の維盛。 おんあい のとなンどのもとにおきて、時々見る事もあり。それだにも恩愛はかなしきな一四↓五三ハー注一 = 。 一五左右。前後。屋代本「左右」。 いはん ウラウへ らひそかし。況や是はうみおとして後、一日片時も身をはなたず、人のもたぬ熱田本「裏表」。 一六四段動国・慰む」の連用形。自 あさゆふふたりなか ものをもちたるやうに思ひて、朝夕二人の中にてそだてし物を。たのみをかけ分の心を慰める、自分の心が慰め られる、の意。 ふたり一五 宅二人の中の一人 ( 姫君 ) はいる し人にもあかで別れし其後は、二人をうらうへにおきてこそなぐさみつるに、 が、もう一人 ( 六代 ) はいない よるひる 一 ^ みとせ ひとりはあれどもひとりはなし。今日より麦よ、 : ゝ 彳。しカカせむ。此三年が間、夜昼一 ^ 平氏が都を落ち、維盛と別れ た寿永二年 ( 一一八三 ) 七月からこの文 きも、 : 一ろ 肝心を消しつつ、思ひまうけつる事なれども、さすが昨日今日とは思ひょらず。治元年 ( 一一会 ) 十二月までの二年六 代 か月間 くわんおん つひ 年ごろは長谷の観音をこそふかう頼み奉りつるに、終にとられぬることのかな一九前もって覚悟していたことだ が、そうはいってもやはり昨日今 ただいま 日レ」い , つよ , つに、、の日が皇・ / 、来 - 第しさよ。唯今もやうしなひつらん」と、かきくどき泣くより外の事ぞなき。さ 巻 ようとは思いもよらなかった。巻 夜もふけけれど、むねせきあぐる心地して、露もまどろみ給はぬが、めのとの一「祇王」 ( 田三二ハー七行 ) に類句が ある。 ニ 0 奈良県桜井市初瀬の長谷寺。 女房に宣ひけるは、「ただいまちッとうちまどろみたりつる夢に、此子が白い 一セ このひごろ ひとひかたとき ほか ウラウへ

7. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

いちにんよ り候へ。且つうは中将一人に余の子共、したしい人々をばさておばしめしかへす。ソレガシアノ人ヲソナタニ思 イ代エタ私はあなた故にあの人 させ給ふべきか」と申されければ、二位殿かさねて宣ひけるは、「故入道におを見放した」とある。 一三延慶本「又君達ヲモ世ニアラ しゅしゃうやう のち セバヤト思志ノ深サニコソ今マデ くれて後は、かた時も命いきてあるべしとも思はざりしかども、主上か様にい ナガラへテモ有ツレ」によれば、 おんこころぐる っとなく旅だたせ給ひたる御事の御心苦しさ、又君をも御代にあらせ参らせば平氏の公達で、そのほうがよく意 が通ずる。それが君になり御代と いちのたにいけどり なって天皇のことになってしまっ ゃなンど思ふゅゑにこそ、今までもながらへてありつれ。中将一谷で生取にせ たのであろう。本文の「君」は宗盛 のち られぬと聞きし後は、肝たましひも身にそはず、いかにして此世にて今一度あではあるまい。 一四胸がふさがって、つまって。 ひみるべきと思へども、夢にだにみえねば、し 、とどむねせきて湯水ものどへ入一五思いを晴しようもない。思い をめぐらしようもない、の意とも いよ / 、一五 れられず。今此文を見て後は、弥思ひやりたる方もなし。中将世になき物と解される。 一六同じ道 ( 冥途の旅路 ) に出かけ 一六 ふた ようと。死ぬことをいう。 聞かば、われも同じみちにおもむかんと思ふなり。二たび物を思はぬさきに、 宅重衡の捕えられたことで物思 いしたが、その死を知って、また ただわれをうしなひ給へ」とてをめきさけび給へば、まことにさこそは思ひ給 物思いをする、そうならぬ前に。 しん 文ふらめと哀れに覚えて、人々涙をながしつつ、一みなふしめにぞなられける。新天伏し目。二位殿に同情してう つむいたことをいう。 さんじゅじんぎ たてま ぢゅうなごんとももり一九 一九考えを述べ、諫めること。熱 + 中納一一 = ロ知盛の意見に申されけるは、「三種の神器を都へ返し入れ奉ッたりとも、 田本・元和版「異見」。 ゃうおんうけぶみ 巻 重衡をかへし給はらむ事ありがたし。只はばかりなくその様を御請文に申さるニ 0 むずかしい。めったにない。 一 = このこと ( 意見 ) がいちばんも っともだ。賛同する時の慣用句。 べうや候らむ」と申されければ、大臣殿、「此儀尤もしかるべし」とて、御請 きも ニ一もっと 一八

8. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

はうぐわん 一もう今はこれまでと。もう最 判官は佐藤三郎兵衛を陣のうしろへかきいれさせ、馬よりおり、手をとらへ 期だと。 て、「三郎兵衛、いかがおばゆる」と宣へば、息のしたに申しけるは、「いまはニ屋代本は「ナドカ此世ニ思置 語 ク事ナウテハ候・ヘキ」として、奥 州の母との再会と本文と同様な義 物かうと存じ候」。「思ひおく事はなきか」と宣へば、「何事をか思ひおき候べき。 家 経の出世とをあげている。 おんよ くちを 三君 ( 主君義経 ) がご出世なさる 平君の御世にわたらせ給はんを見参らせで、死に候はん事こそ口惜しう覚え候へ。 のを拝見しないで。 四 さ候はでは、弓矢とる者の、かたきの矢にあたツて死なん事、もとより期する四それ以外には。そのことがな ければ。 ところ なかんづく ごかっせん 処で候なり。就中に、『源平の御合戦に、奥州の佐藤三郎兵衛嗣信といひける五覚悟する。 六底本「は」の右上に「ニ」とし、 さめきのくにやしま しゅうおんいのち たてま まつだい 者、讃岐国八島のいそにて、主の御命にかはり奉ッてうたれにけり』と、末代補入して「身には」とすべきことを 示す。身にとっては、の意。 めんばくめいどおもひで の物語に申されむ事こそ、弓矢とる身は今生の面目、冥途の思出にて候へ」と七言いも終らず。申すや否や。 ^ ひたすら衰弱する。どんどん 弱ってゆく。 申しもあへず、ただよわりによわりにければ、判官涙をはら / 、とながし、 おちい 九「陥る」。死ぬ。 このへん ておひ 一 0 供養のため、多人数で『法華 「此辺にたツとき僧ゃある」とてたづねいだし、「手負のただいまおちいるに、 経』一部を一日間に書き写すこと。 いちにちぎゃう きンぶくりん 一日経書いてとぶらへ」とて、黒き馬のふとうたくましいに、黄覆輪の鞍お = 金覆輪とも書く。屋代本「金 覆輪」。鞍の前輪・後輪の山形の ごゐのじよう たいふぐろ ふち いて、かの僧にたびにけり。判官五位尉になられし時、五位になして大夫黒と部分を金で縁どったもの。 一ニ↓八五ハー注一 0 。 ひょどりごえ おとと よばれし馬なり。一の谷の鵯越をもこの馬にてそおとされたりける。弟の四郎一三五位を大夫という。 一四↓ 3 二〇六ハー四行。 つはものども 兵衛をはじめとして、これを見る兵者共みな涙をながし、「此君の御ために命 0 源平の八島の合戦の一こまであ 六 おん

9. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

はうじん みやうが ずいぶんどうれい て死に候ひけるは、わが身の冥加と覚え候。随分同隷共にも芳心せられてこそする禁忌。出産して五十日目に五 十日の祝いをする。屋代本「忌」な ごりんじゅうおんとき まかり過ぎ候ひしか。されば御臨終の御時も、此世の事をばおばしめし捨てて、し。 一三「よくて」の音便。立派に死に いちじ おん ましたのは。 一事も仰せ候はざりしかども、重景御まへちかう召されて、『あなむざんや。 一四目に見えない仏神の加護をい 汝は重盛を父が形見と思ひ、重盛は汝を景康がかたみと思ひてこそすごしつれ。うが、ここは転じて、しあわせ、 幸福をいう。 ぢもくゆぎへのじよう ゃう 一五たいそう。「同隷」は同僚。 今度の除目に靫負尉になして、おのれが父景康をよびし様に召さばやとこそ思 一六親切や好意を受けて。 せうしゃうどの ひつるに、むなしうなるこそかなしけれ。相構へて少将殿の心にたがふな』と宅京官・外官 ( 地方官 ) の諸官職 を任命する儀式。 このひごろ 一九 こそ仰せ候ひしか。されば此日来は、いかなる御事も候はむには、見すて参ら一 ^ 左右衛門尉の別称。靫負は靫 ( 矢壺 ) を背負い弓矢を持ち、宮門 ニ 0 を守る者。 せて落つべきものとおばしめし候ひけるか。御心のうちこそ恥づかしう候へ。 一九それでは。前の維盛のことば 『此ごろは世にある人こそおほけれ』と仰せかうぶり候は、当時のごとくは源を受けていったもの。 ニ 0 気恥すかしい。相手が自分を のち けいべっ 氏の郎等共こそ候なれ。君の神にも仏にもならせ給ひ候ひなむ後、たのしみさ軽蔑しているのではないかと思っ 家 て、気がひける意。 をはり 出 まんねん せんねんよはひ 盛かへ候とも、千年の齢をふるべきか。たとひ万年をたもっとも、遂には終のなニ一現在のようでしたら。現在の 様子なら。現状では。 これ ぜんちしき 一三そのとおりです。「世にある + かるべきか。是に過ぎたる善知識、何事か候べき」とて、手づからもとどりき ( 時めく ) 人多く候なれ」の意 巻 もレ」 / 一り ッて、泣く / 、滝ロ入道にそらせけり。石童丸も是を見て、もとゆひぎはよりニ三元結、本結。髻を結んである 細い緒。 ニ四かわいがっておられたので。 髪をきる。是も八つよりつき奉ッて、重景にもおとらず不便にし給ひければ、 や たてま あひかま ふびん ニ四

10. 完訳日本の古典 第45巻 平家物語(四)

平家物語 46 ちょうい な一け へ」と申しければ、千手酌をさしおいて、「羅綺の重衣たる、情ない事を機婦一「羅綺ノ重衣タル、情無キコ ねた くわんげん トヲ機婦ニ妬ム。管絃ノ長曲ニ在 ねた らうえい いちりゃうへん を れいじん ル、関へザルコトヲ伶人ニ怒ル」 に妬む」といふ朗詠を一両返したりければ、三位中将宣ひけるは、「此朗詠せ ( 和漢朗詠集下・管絃菅原道真 ) 。 いちにち ん人をば、北野の天神一日に三度かけッてまばらんとちかはせ給ふなり。され羅は薄い絹、綺は細い綾。薄く軽 五 い衣でも重いと感じ、これを織っ しげひら このしゃう じよいん ぎいしゃうかろ た機織りの女を情けないといって ども重衡は、此生にてはすてられ給ひぬ。助音しても何かせん。罪障軽みぬべ 憎む。管絃の曲が長いので早く終 せんじゅのまへ えないかと楽人に対して怒る。 き事ならばしたがふべし」と宣ひければ、千手前やがて、「十悪といへども引 ニ北野天満宮の祭神、菅原道真。 ぜふ みだみやうがう 摂す」と云ふ朗詠をして、「極楽ねがはん人はみな、弥陀の名号唱ふべし」と三元和翔デ」。空高く飛ぶ意。 四天神から捨てられ申した。 いまやう いふ今様を四五返うたひすましたりければ、其時盃をかたぶけらる。千手前「給ふ」は天神に対する敬語であろ う。屋代本「早捨終ラレ奉リヌ」の 給はツて、狩野介にさす。宗 ごとく「奉る」とあるべきところ。 なお「られ」を尊敬とし「天神がお 茂がのむ時、琴をぞひきすま る見捨てになった」とも解される。 五発声の人の後について、二句 面 対 したりける。三位中将宣ひけ一 目から合唱すること。 いへど しつぶう 朝六「十悪ト雖モ猶引摂ス、疾風 うんぶ ひら るは、「此楽をば普通には五 ノ雲霧ヲ披クョリモ甚シ」 ( 和漢朗 重詠集下・仏事具平親王 ) 。たとえ . しわ、うらく 常楽といへども、重衡が為に 十悪を犯した者でも阿弥陀仏は極 着楽浄土に引き取ってくださる。そ ′一しゃうらく は、後生楽とこそ観ずべけれ。 倉の速さは疾風が雲霧を吹き払うよ りも速やかである。↓三六ハー注九。 わうじゃうきふ やがて往生の急をひかん」と 七雅楽曲名。虞韶楽の転という。 このがく 四 しやく 4 さかづき はたお ぐーしようらく