なに 舅「何、聟殿がわせられたと言ふか。 さやう 太郎「左様でござる。 舅「それならば、聟殿はかうお通し申せ。 かしこま 太郎「畏ってござる。 とざむらひ なんち 舅「また供の者は遠侍にて汝もてなせ。 ごいちにん 太郎「イヤ、聟殿ただ御一人でござる。 なん 舅「何ぢや、ただ一人ぢゃ。 太郎「なかなか。 五他家を訪問するとき、前もっ さきばし い 舅「ハハア、それはさだめて先走りの者でかなあらう。行て言はうには、こてそのことを知らせるため、主人 に先んじて行く使いの者。「先走 なたはさだめて先走りのお方でかなござりませう。聟殿はどれまでお出でな又前走」 ( 広本節用集 ) 。 六でもあろう。まさか聟一人で、 という気持がこめられている。 聟されてござるぞ。お迎へが進ぜたい、と言へ。 セお迎えをさしあげたい。「家 太郎「畏ってござる。 ( 聟に ) イヤ申し申し、『こなたはさだめて先走りのお方での主人は、客人を迎えるのに、そ の人の階級と格式に応じて、道路 かなござりませう。聟殿はどれまでお出でなされてござるぞ。お迎へが進ぜへ出るか、内側の玄関で迎えるか するー ( ロドリゲス日本教会史・一 ノ一七 ) 。 たい』と申しまする。 六 い 一一来られた。「わす」は「おはす」 の上略によってできた語であるが、 「来る」意に限定されている。ここ では舅が自分より下位の聟に使っ ているので、ロドリゲス『日本大 文典』が「普通の人が来ること」を 表す敬語動詞であるとし、『日葡 辞書』が「普通一般の人や目下の者 について言う時に用いられる」と する注記と符合する。 三こちらへお通ししなさい。 四警固の武士の詰所。 サキハシリ
なに 太郎「へ工、何をも存じませぬ。 ありゃう 一 0 ひとしよう 乙「それならば有様を言うて聞かさう。有様は、そちの頼うだ者と例の一勝九真実。 ばくち 一 0 いつもの。つまり博奕のこと。 それがし ( な ) なんち 負したれば、某の仕合はせがようて金銀は申すに及ばず、汝までも打ち勝っ = お前まで抵当に取るほど。 一ニ先の「打ち込む」の反対語。博 けふ 奕で勝っこと。 た。今日よりしては某が方の太郎冠者ぢやほどに、さう心得い。 さやう なに 太郎「イヤ、左様なことならば、こちの頼うだ者が何とか申しませうものを。 い 何をも承らずに参りましたによって、行て問うて参りませう。 ( 行こうとする ) しゅせき 乙「アアこりやこりや、行くには及ばぬ。そちは頼うだ者の手跡を知ってゐ一 = 筆跡。 一四とっくりと。念を人れて十分 に。 るであらう。 一五ぜに。銅貨は「ゼニ・セン・ 太郎「いかにも存じてをりまする。 チャウモクといふ共通の名称で呼 ばれる」 ( ロドリゲス日本大文典 ) 。 のぞ 「鳥目銭ノ異名」 ( 永禄一一年本節 乙「それならばこれへ寄ってとくと見よ。 ( 文を広げる。太郎冠者覗き込む ) 『一つ、 一五 一六 用集 ) 。 てうもく そろ 一六「ソロは、普通の書状に使っ 綯鳥目の替はりに太郎冠者を進じ候』。 て、荘重なものには余り用ゐな い」 ( ロドリゲス日本大文典 ) 。 太郎「ホイ。 ( 主乙、文をしまう ) 疑ひもない、頼うだ者の手跡でござる。イヤ、私 縄 宅はなはだふつつかな者ではご は奉公人のことでござるによって、いづれで御奉公致すも同じことでござる。ざいますが。 穴せいぜいお目をかけて、末長 ぶてうはふもの めなが つうっと無調法者ではござれども、随分お目長に使うて下されい。 一七 かた 一八 テウモク
ごうしよう ) 、卑称 ( オノ 言語表現に関係して来る対人関係を待遇関係と呼ぶが、対し、傲称 ( 汝 ) 、親 ( 狎・侮 ) 称 ( ワゴリョ とらあきら レ ) がオー ーラップして、狂言における待遇関係を形成 虎明本を資料として、狂言における待遇表現体系を、二 人称代名詞とその述語との対応関係から五段階にとらえらしていると見るのが妥当であろう。 室町時代における敬卑の段階性に注目した人にキリシタ れたのは山崎久之氏であった。 ン宣教師のロドリゲスがある。彼は、当時行われた、身分 〈尊〉↑コナターソナターワゴリヨーソチ ( 汝 ) ーオノ 確認の方法として、 レ↓〈卑〉 0 この人はたうせい、かうせいの通りか ? これについて、ワゴリョ群を除いて基幹は四段階ーーー上称 〇たうさい、かうさい程にか ? ・中称・下称・卑称ーーであり、ワゴリョを、侮称 ( 対中 こうしよう 〇たうさせませ、かうさせませの衆か ? 称 ) ・親称ないし狎称 ( 対下称 ) と見得るのではないかと 〇この人はたうさせられい、かうさせられいの人体 した ( 日本古典文学全集『狂言集』解説 ) 。ワゴリョの使用以 前に、名乗りを初めとするセリフによって話し手・聞き手 の関係が既に了知されていること、すなわち両者の身分関といった、スルの命令法を目安とする問いを伝えている 係の確定がなされているからである。とすれば、オノレ群 ( 日本大文典 ) 。これによれば、段階は四つあったことにな についても同様の見方ができたはずである。その使用はるが、続けて、十段階に表現し分けた、上グルの命令法を 「人をしかりのゝしる時」に概ね限られており、オノレの例示する。もとより、二人称代名詞の群はこれに対応する はずもないから、対遇関係を把握しようとすれば述語に着 用法それ自体に、既に、 たとひ奴婢雑人たりといふとも、むさといふことなか目しなければならないのは当然であろう。このことについ れ。いかなる魂の侍りて、その主人に恨をむすぶことて、ロドリゲスは次のようにも言う。 この国語では人称を言ひ表さないのが極めて普通であ もやあるらん、心得べきことゝ云り。 ( 片言・巻一一 l) る。その為に誰に就いて話してゐるのか理解し難い事 といった配慮がなされているように思われる。したがって、 : ただ先行語や後続語により、又は動 が往々ある。 尊卑の言い方を、基本的に三段階、そして、中称・下称に
おさかづきぞ 太郎「これはまた例の大盃が出ました。 伯父「手間をとるまいため、大盃を出いたことちゃ。 太郎「それはお気の付かせられたことでござる。お酌はこれへ下されい。 みども 伯父「イヤイヤ、慰みがてら身共がついでやらう。 太郎「何、こなたのお酌で。 伯父「なかなか 落太郎「それは近頃お慮外でござる。 伯父 ( 扇を開いて酌をしながら ) 「ソレ、ソレ、ソレソレソレ。 ちうど 太郎 ( 受けて ) 「オウ、オウ、オウオウオウ。丁度ござる。 0 伯父「一つある。 六まあ、座っておれ。 伯父「アアこりやこりや、手間はとるまい。まづ下にゐよ。 七失礼させていただきます。 太郎「さやうならば、まっぴら許させられい。 ( 座る ) かずらおけふた 伯父 ( 舞台後方から葛桶の蓋を持って出て太郎冠者に渡し ) 「ヤイヤイ太郎冠者、サアサア八この狂言では盃として用いる。 一つ飲め。 なに りよぐわい 六 しも 九私にお酌をさせてください。 ◆酒を飲む上での礼法については、 ロドリゲス『日本教会史』 ( 一ノ二 六 ) などに詳しいが、「サアサア一 っ飲め」と伯父に言われたにして も、本来なら太郎冠者が伯父につ がねばならぬ立場であり、「慰み がてら」にせよ「身共がついでやら うーとは異例である。太郎冠者が 「何、こなたのお酌で」と問い返し、 「近頃お慮外」と恐縮するのも、背 後に、伯父が飲むべき盃で、とい う気持があるからである。 一 0 ほんとうに思いがけないこと で ( 恐縮で ) ございます。 = 盃のふちまでちょうど、の意。 なみなみと。 一ニいつばい。十分に。
なになに 金藤「それならば読うで聞かさうほどに、よう聞け。 ( 文を開いて読む ) 何々、『雲 にく やまだち の上の金藤左衛門が山立のこと。一つ、取りよきものは取るべし。取り難き 言 ものは取るまじきものなり』。 狂 集女「それそれ、取り難きものは、な取っそとあるではござらぬか。これは妾一取るな。「な取りそ」の促音便 形。「な : ・そーで禁止を表す。 いっせき ニ全財産。「イッセキ。モッタ が一跡でござるによって、上ぐることはなりませぬ、なりませぬ。 ( 泣く ) ホドノタカラー ( 伊曾保物語・言 金藤「ヤアラ、おのれは聞き分けの悪しい奴ぢゃ。それをおこさば命を助けて葉の和らげ ) 、「イッセキ。ヒトア 。動産、財産、家具、不動産ー なぎなたは ( ロドリゲス日本大文典 ) 。 やらうず、またおこさぬにおいてはこの長刀の刃に乗せてくれうぞ。 女「なう悲しゃ悲しや、まづ待たせられい。すれば、これを上げずば命を取 三もちろんだ。 らうと仰せらるるか 四本来は「カフ ( ル ) 」とハ行に活 用するが、語中のハ行音がワ行・ 金藤「おんでもないこと。 ア行音化した結果、活用語尾はア 五 女「とかく命に替ゆる物はござらぬ。それならば是非に及びませぬ。これを行・ヤ行の語尾をもとって表記さ れる。古本節用集類でも、「カュ ル」が多い。 取らせられい。 ( 袋を出す ) 五しかたがありません。やむを がてん えません。 金藤「オオ、よい合点ぢゃ。こちへおこせ。 ( 長刀の柄で袋を引き寄せ ) サアサア、 六よく承知した。よくその気に なった。 どれへなりとも早う行け。 六 四 わらは
いかやう るが、それはまた如何様なおことでござるぞ。 ( な ) せじゃう 右近「別なることでもおりない。当年は世上豊年とは申しながら、世の中よう 言 なになに 狂て田がよう出来て、何と何とめでたいことではないか。 あぜ ニ困ったこと。 聟妻「仰せらるる通り、中にもこなたの田は畔を限ってよう出来て、このやう 三右近 ( 痴 ) に対して「賢し」の意 をふまえてもいるか。 なおめでたいことはござらぬ。 四牛を放してよこして。放飼い 右近「これと申すも、日頃そなたが精を出いてくるるゆゑぢやと思へば、近頃にしていた牛がこちら ( 来たこと を、あたかも作為的であるかのよ うに言ったのである。 満足することぢゃ。 五三分の一一程度。半分以上も、 わらはうれ さやうおめ の意。「ダイメ。半分以上、また 妻「左様思し召して下さるれば、日頃骨を折ったかひがあって、妾も嬉しう は、三分の二」 ( 日葡 ) 、「ダイメ。 三分の二、大部分」 ( ロドリゲス日 本大文典 ) 。なお虎明本には「私の 一反の田を大目ほど食べてござ 右近「さりながら、ここにちと気の毒なことが出来ておりやる。 る」とあり、事態がより切実とな っている。 妻「それはまた如何様なことでござるぞ。 六「撫で食ひ」の転訛形。かたっ あひださこ 右近「さればそのことぢゃ。この間左近めが牛を放いておこいて、某が田を大ばしから食い荒らすこと。 ぐ かたい な め 目ほど撫ぜ食ひにさせたによって、そのまま左近が方へ行て、『なぜにこち 七牛そのものをこちらへよこす の牛を放いておこいて、某が田を撫ぜ食ひにさせた』と言うたれば、左近めか、または牛が食い荒らした分の ご」る だ 四 それがし 五 だい 一ほかでもないのだがね。 さカ
太郎「戴きまする。 なに 伯父「サアサア飲め飲め。 ( 太郎冠者飲む ) して、何とぢゃ。 六いつもくださる。 太郎「知れました。 セつまらない。いいかげんな。 なに 八いただいて格別よく感じまし 伯父「何と知れた。 た。「たぶはいただく意で、謙譲 ( こんにツた ) 八 太郎「いっ下さるる御酒にあだな御酒はござらぬが、今日は格別結構にたべ覚語として、下の者が上の者から食 物や飲物などを与えられることを 表す。固形物に限らず流動物をと えました。 る場合にも用いる。 伯父「そちは一つなるだけあって、ようきき分けた。それはさる方よりの遠来九一杯いけるだけあって。 一 0 遠国 ( の名産地 ) から来た酒。 「彼らの酒宴と招待には、常に最 ちゃ。 良で有名な酒を手に人れようとし、 なに 遠方の土地の有名なものを前もっ 太郎「ヨーウ、何、御遠来。 て取り寄せておく」 ( ロドリゲス日 本教会史・一ノ二八 ) 。「コノサケ 伯父「なかなか エンライデゴザル」 ( 日葡 ) 。 落太郎 ( 笑 0 て ) 「申さぬことか、常の御酒ではないと存じてござる。御遠来とあ = 正式には一献・二献・三献と 三度料理を出し、それに添えて酒 かずらおけふた を三杯ずつ出すこと。式三献。し らば、 ( 葛桶の蓋を出し ) 今一つ戴きませう。 素 かし狂言での三献は「数よう三献」 さんごん 「めでたう一二献」と言ってはいるが、 伯父「それならば数よう三献飲め。 単に三杯飲むシグサをするだけで ある。 太郎「めでたう三献戴きませう。 ごしゅ七 かた
よりしろ ぢゃ。 が神の降臨する「依代」であること、 「神の誓い」と「紙の違い」とをかけ ていることなどはわかるが、全体 太郎「いかにもあるものでござる。 としての意味は今一つよく通じな あま・こい い。本来は雨乞・雨喜びの歌であ すつば「その機嫌の悪しい時に早速直る囃子物を教へておまさうか、といふこ ったとみる説もある。 とぢゃ。 一 0 中世によく用いられた囃子こ あいまい とば。意味はやや曖昧だが、「も っともだ、もっともだ」式の囃子 太郎「習うてなることならば教へて下されい。 ことばとみてよいのではあるまい かすがやま とうえい か。謡曲『藤栄』に「君とわれと、 すつば「別にむつかしいことでもおりない。『かさをさすなる春日山、これも神 われと君と、枕定めぬ、やよがり 一 0 の誓ひとて、人がかさをさすなら、我もかさをささうよ。げにもさあり、やもそよの」とあるほか、民俗芸能 にも類例が多い。 = という程度のものです。 ようがりもさうよの』といふ分のことでおりやる。 一ニ道中無事で行けよ。狂言にお ( な ) ける別れのときの決った言い方。 太郎「イヤ、その分は大方覚えました。私はまうかう参りまする。 一三「しめは「さしめーとともに、 敬語助動詞「しむ」「さしむ」の命 すつば「もはやおりやるか。 令形に由来するが、室町末期では、 敬意は失われて、むしろ「非常に 太郎「また重ねて上って、このお礼をきっと申しまする。 あいて 尊大ぶった気持を含んでゐて対手 を甚だしく軽蔑する」 ( ロドリゲス 廣すつば「またお訪ねにあづからうぞ。 日本大文典 ) 言い方になっていた。 末 すつばが最後まで太郎冠者を軽視 太郎「さらばさらば。 したことを表現している、とみる ことがでを」る すつば「静かに行かしめ。 さっそく ぶん はやしもの
ひょうう マスルが「耳にさはらずいやしからざるやうに」なれば、「世話にて不断のことば」を標榜する狂言にマラ とらあきら とらひろ 0 スルをとどめておく理由は薄れて、虎明本の後、百五十年の虎寛本ではマスルが専用されることになる。俗 集の要素としての「不断のことば」の受容 («) は、狂言にとって必然の結果と言うべきものであった。 言 式楽として狂言の「必ス綿々ン于後世一乎」ことを志向した虎明が心を砕いた一つに、こと 古相の創造 狂 ばの問題があったに違いない。「末代退転」を招きかねないへの傾斜を抑止する方策は、 「ことばをあらため吟味」することである。「立派で上品な言葉は古語である」 ( ロドリゲス『日本大文典』 ) という時代の意識の下、「いやしからざるやうに」するには、雅の要素の加味、即ち、「代々相伝」といった 古相の維持 (= ) が考えられよう。虎明本でのマラスルの選択もこれであった。雅俗の共存・均衡の上に狂 言のことばはなければならなかったのであるから、の可動範囲の枠はおのずと規定されてゆかざるを得な 「当世はやりことばも、代へだりぬればしりがたく、めづらしき事のやうにおもはるべし」 ( わらんべ草・ 二十段 ) と虎明が記したとおり、時代の推移とともに、ことばは変るものである。「不断のことば」のはず であったに手直しが必要となる。その場合、枠とにらみ合せて、マラスルをマスルにしたように「不断の ことば」に置き換える一方で、基本的にはを目指しての潤色、古相の創造 (o) がなされて、ここに、狂 こんん 言のことばは、渾然一体となった、独自の演劇語を形成してゆくことになる。 虎明本に、オジャル・オリヤルが同じように使われている例、 それがし 某はあんなみのながれでおじゃるに依て、ま仏師じゃと云事でおりやる ( 仏師 ) がある。これが恐らく室町時代末期の実態であったであろう。時を経て両者とも「不断のことば」から遠い
也」と明言した虎明本についても例外でない。右の文に続く「我家代々相伝之所一字モ相違依無之令加判 畢」を読む時、虎明が室町時代以来の「相伝之所ーをそのまま記しとどめたかのような印象を受けるけれど も、虎明本には、虎明の生きた十七世紀初頭当時のことばが見えていることも事実なのである。虎明本に、 〇あれがばうをふりまらせうならば、私もふカませう ( 鍋八撥 ) 〇たぶる事はなりまらせぬが、ちとすうてみませう ( 地蔵舞 ) のように、一文内でのマラスル・マスルの共用例が見られるけれども、マラスルがマルスルを経てマスルに なったのは、文献に照らす限り江戸時代に人ってからのことである。ただし、虎明本全体としては、マラス ルが圧倒的であって、「特にミヤコにおいて使はれる」とキリシタン宣教師ロドリゲスが観察した、十六世 紀末葉の様相を反映しているわけである。といって、虎明が狂言を筆載していた寛永の頃、マラスルはマス かたこと ルに変化しおおせていたのではない。安原貞室が『片言』 ( 慶安三年刊 ) で、 御盃をいたゞき侍らんといふべきを、頂戴仕りまらせうなど乂いふは、そのむかふ人によるべし。あな たが貴人高家ならずは似つかはしからぬことばにや。 と述べたように、マラスルは上層階級に保存されていたのである。したがって、虎明本におけるマラスルの 説使用は、虎明の、 狂言は、大和詞、世話に云付たることば、国郷談もあるべし。猶以ことばをあらため吟味して、あから 解 さまにも耳にさはらずいやしからざるやうに、たしなむべき事肝要なり。 と説いた ( わらんべ草・二十段 ) ことに沿うものであった。即ち、前代以来の「相伝之所」と一致し、「いや しからざる」表現を形作ることになったからである。マラスルの使用層がなくなってゆくとともに、新しい ていしつ