ちゃのみちやわん 大名「心得た。 ( 女、橋がかりより大名の様子をうかがい、舞台後方 ( 行き、水を入れた茶呑茶碗五虎明本では「櫛の水人れ」 ( 整 髪用の油類を人れる器 ) を使って いる。 を右手に持ち、後ろに隠しながら大名の前に出る ) 六どうした風の吹回しで。長ら けふ なっ 女「なうお懐かしやお懐かしゃ。今日はどち風が吹いて出させられてござるく顔を見せなかった大名 ( の皮肉。 七行くべき家を間違えておいで カどたが かた になったのででも。これも遠まわ ぞ。妾が方ではござりまするまい。さだめて門違へでかなござりませう。 しに皮肉っているのである。「か あす もっと みどもけふ な」は例示を表す。 大名「イヤ、その恨みは尤もぢやが、身共も今日は来よう、明日は来よう、と 八「来よう」とあるのは後世の形 ぶさた ひま は思へども、なりはひに暇がなさに、心ならずも無沙汰致いた。さりながら、であり、室町時代末期では「来う」 ( コー ) であった。 九日々の仕事。「活業活計 : そなたも変はらせらるることもなうてめでたうござる。 民業ー ( 書言字考 ) 。 女「妾は変はることもござらぬが、変はらせられたはこなたのお心でござる。一 0 二人称代名詞。敬意が高く、 狂言の女は通常この語を使う。た たとへこなたこそ御用多うござらうとも、太郎冠者なりと下さるることのなだし太郎冠者に対しては「そち」を 使っている。 = せめて太郎冠者でも ( 私の様 らぬほどのこともござるまいに。妾を忘れさせられたものでござらう。 子を見に ) およこしになることが なに できないこともございませんでし 大名「何しに忘るるものでござらうぞ。真実暇がなさに無沙汰致いてござる。 塗 ように。 あひかな ないないそしよう 一ニどうして。何で。 さて、そなたも喜うで下されい。内々の訴訟のことも思ひのままに相叶ひ、 なになに しんち 墨あんどみげうしょ 安堵の御教書賜はり、新地を過分に拝領したは、何と何とめでたいことでは ござらぬか ナリハヒ
とが 脱な味を品よく表現するだけのものであ ん」と詠むのでみな感心して咎を許して えた大名が、その力をみるためにみずか るが、それだけにむつかしく、能の三老 やり、いっしょに酒盛になる。中世に多 ら相手になって相撲を取るはめになる。 まくらものぐるいいおりのうめ 女物にならって、『枕物狂』『庵梅』とこ い歌徳説話の一種とみられる。なおここ 最初の立合では鼻をつかまれて引き倒さ かわらけ れを「三老曲」としている。 で引用される詩歌は『雲林院』『泰山府 れたので、次は鼻に防具の土器をつけて み 君』等、花を折り取る場面のある能から簸屑 * 簸屑とは茶を箕で振るったあとの 一度は勝つが、最後はまた投げつけられ、 しんなち 屑茶のこと。宇治に住む男が道者 ( 巡 採られている。大蔵流では盗人は新発意 憤慨して土器を舞台で叩き割って終る。 いずみ ふずもう 礼 ) に茶の接待をしようと、用意した簸 姿、和泉流では盗人と亭主の二人だけで 『文相撲』も同じ構成で、これは相撲の たちしゅう 屑を太郎冠者に挽かせる。太郎冠者は言 演じて立衆は登場しないなど、小異があ 秘伝書のあったことを思い出し、それを る。 いつけどおり挽き始めるが、途中にわか 参考にしながら相撲を取るが結局はうち はらたてず に眠気を催し、次郎冠者がそばからいろ 負ける。『蚊相撲』は大名が人間ならぬ腹不立 ( 不腹立 * ) 小庵を造って庵主を求 いろ注意してくれるが、そのかいなくと めている檀那の前に一人の旅の僧が通り 蚊の精を相手に相撲を取るという奇抜な うとうその場に寝てしまう。怒った次郎 かかる。交渉がまとまって庵主になるこ 趣向をみせる。大名の相撲とはよく考え しろねり すおう 冠者が、鬼の面をかぶせておく。目がさ とになるが、名を尋ねられてもまだしか たものだが、素袍を脱ぎ白練姿になって めて、鬼になったと思い込んだ太郎冠者 るべき名がないままに、とっさに腹立て も大名らしさを失わず、勝っては喜び負 は主人に泣きっき、次郎冠者にからかわ ずの正直坊と名乗ってしまったことから、 けては口惜しがる大名の無邪気さを出す れるが、取りついたはずみに面がはずれ いろいろ問い詰められているうちについ のはなかなかむつかしい。 はなぬすびと てすべてがわかり、怒った太郎冠者が次 腹を立ててしまい、面目を失う。 花盗人下屋敷の花を見に若い衆を連れて ぬけがら はりだこ かくれがさ 郎冠者を追い込む。『抜殻』を複雑にし 出かけた男が、花のところへやって来て張蛸 * ↓隠笠 びくさだ たような狂言である。 比丘貞ある庵に住む老尼のところへ、一 みると花盗人が来て折り荒らしたあとが だいじようえ ひイやぐら 人の男が成人した息子を連れてきて、尼髭櫓自慢の大髭をもった男が、大嘗会の 題ある。こんど来たならば一同で捕えよう さいこ 犀の鉾を持っ役に選ばれる。男は大喜び の長寿と富貴にあやかるように名付親に 作と待っているところへ、おあつらえ向き 名 だが、衣装その他が自前だと聞いた妻の なってほしいと頼む。そこで庵にちなん に花を折った男がやって来たので、格闘 言 ほうは納らない。髭があるからとんだ物 で名を庵太郎、名乗りは比丘にちなんで 狂のすえ捕えて桜の木に縛りつける。とこ さかずきごと 入りになるのだ、髭を剃り落してしまえ 比丘貞とつけてやり、祝儀を与え盃事を ろが盗人もさる者で花盗人の古歌や漢詩 と、食ってかかるので男は怒って妻を追 し、舞を舞わせ、最後には尼も立って舞 を引いて弁解し、最後に「この春は花の えをしざくら い出してしまう。女は仲間をかたらい、 う。これといって動きのない、老尼の洒 もとにて縄つきぬ烏帽子桜と人や見るら ひくず
ろう。は、要するに前代、室町時代として望ましいことばの状態を想定し、その枠にはめこもうとする類 型化の営為であるが、別の角度からすれば、古典演劇としての狂言の「古相」に磨きをかける洗練化のそれ であるとも見ることが出来るのである。 このように述べて来ると、狂言のことばは、がモザイク模様をなして形成された結果、「時代的に 一定の日付を打ち得る言語でないこと」 ( 亀井孝「狂言のことば」『能楽全書』 ) が理解されるであろう。 適当な材料が得られるとき、を中心にをアレンジしてゆけば、狂言の新作は必ずしも 狂言の創作 困難でないのである。一例として、『五山詩僧伝』 ( 明治四十五年 ) に寄せられた、吉沢義則 ばっ 博士の手になる、狂言風の跋の冒頭を、本書の本文の表記に則してあげてみよう。題して「序跋」 たび まかり出でたる者は、この辺りにかくれもない書作りでござる。この度、五山詩僧伝を作って、売りひ ろめうと存ずる。何がさて今の世の中は、中身よりも飾りが大切でござるによって、太郎冠者や、次郎 冠者、三郎四郎など申すうつけた人たちをすかいて、序をながながと書かせてござる。また川一つ彼方 えせ に白水と申す似而非国学者がござる。総じて山には枯木でも沢山ながましぢやと申すほどに、あの白水 にも序を書かせうと存ずる。何かと申すうちに、はやこれちゃ。なうなう白水はござるか、居させらる るか この内の「五山詩僧伝」「国学者」を伏せた時、「新作」であることは、どこで判るであろうか。 解台本に定着して三百年、そこに見られる狂言のことばは、詮ずるところ同じ色に染められていたと言える ( 三安田章 ) のではあるまいか。
仰せ付けらるるによって、ひとしほ御奉公の致しよいことでござる。さらば一他に比べて一段と。 ニたいそう。 それがし 急いで参らう。 ( 舞台一巡しながら ) イヤまことに、某も都初めてでござるによ三ほーら、やつばり思ったとお 言 り。自分の推定 ( 都近うなった ) を 狂って、これをよいついでと致し、ここかしこ走り回り、ゆるりと見物致さうあらためて確認している。 四家の並び具合。家並。 ひとあししげ みやこぢか 脇 と存ずる。イヤ都近うなったとみえて、いかう人足が繁うなった。イエされ五ああ、しまった。後悔とか驚 きを表すことば。 ばこそ、はや都へ上り着いた。ハハア、また某の辺りとは違うて、家建ちま六ばかなことをした。まずいこ とをした。↓四四ハー注四。 のき むね でも格別ぢゃ。あれからつうっとあれまで、軒と軒、棟と棟、仲よささうにセどんなところ。どこ。 ハ商人の売声を聞いて、買うと なむさんう ひっしりと建て並うだほどにの。南無一二宝、某は愚念なことを致いた。あまきにも大声をあげて求めるものだ と勘違いした。↓四四ハー注五。 り都へ上るが嬉しさに、末広がりがどのやうな物やら、またどこもとにある九この柱のところに人がいるつ もりで演じる。次の脇柱も同様。 うけたまは ことやら、承らずに参った。と申してはるばるの所、尋ねにも戻られまい。 なに 一 0 もう少し。 これはまづ何と致さう。 ( 思案して ) イヤさすがは都でござる。かう見るに、 一一京都の二条通以北をいう。 あり さっそく みども わるもの 売り買ふ物も呼ばはって歩けば、物ごと早速知るるさうな。身共もこの辺り一 = 詐欺師。悪者の類。↓三七五 注七。 からちと呼ばはって参らう。 ( 目付柱に向い ) イヤなうなう、その辺りに末広が三以下、このすつばも、果報者 同様名乗りでは、「ござる」「存ず り屋はござらぬか。ジャア。ここもとではないさうな。 ( 今度は脇柱に向い ) イる」「申す」という丁寧な言い方を する。あとの太郎冠者に対するこ ヤなうなう、その辺りに末広がり屋はござらぬか。ジャア。ここもとでもなとばづかいと対照的である。 うれ 六 いへだ
さ 申しながら、今宵のやうな冴えたる月はござるまい。 ( 本舞台に人りながら ) ィ一曇りのない。澄みきった。 ニ僧に対する敬称。盲人には法 なに ありは ャ何かと申すうち、はや野辺へ出た。さてもさても隅ない月かな。蟻の這ふ体している者が多かった。 はう 言 三「この方」「こなた」と並んで、 なに 賍までも見ゆることぢゃ。イヤあれに座頭とみえてただ一人ゐるが、何をして広く身分の高下にかかわらず用い 1 . られた一人称代名詞。他の二つは 座 ( みョう ) 特に丁寧であるが、ここでの「こ ゐることぢや知らぬ。まづ一一一一口葉をかけてみう。イヤなうなう、なう御坊。 家 出 ち」は「私」というよりもむしろ「愚 なに 僧」程度の意味であろう。 座頭「ヤアヤア、なうと仰せらるるはこちのことでござるか。何ごとでござる。 四下京の座頭は「仰せらるる」 「ござる」「楽しませらるる」で男 男「いかにも御坊のことでおりやるが、御坊は月を見ることはなるまいに、 に対しているが、上京の男は「お しやる」「おりやる」「ゐさします ぞ」と、それより敬度の低い語を 使って座頭に対している。 五いや、そのことなんですが。 問いかけに応じて答える際に用い なに 何を楽しみにそれにゐさしますぞ。 座頭「さればそのことでござる。私は月を眺むることはなりませぬによって、 ね 虫の音を聞いて楽しみまする。 男「なるほど、またそれぞれに楽しみはあるものでおりやる。 座頭「こなたは月を見て楽しませらるることでござれば、さだめてお歌など詠 ませらるるでござらう。 男「おしやる通り、今も一首浮かうでおりやる。 うけたまは 座頭「それは承りごとでござる。 四 いちにん ごばう よ 一〈「聞きごと」、つまり、聞くに 値すること、の謙譲語。ぜひ聞か せていただきたいことでございま す。
甲「なかなか 太郎「ヤレャレおでかしなされました、おでかしなされました。縄は私の一得一うまくおやりになりました。 上出来でございました。 言 もの 一一能楽用の小道具。「ぼうじ」と 狂物でござる。まづ藁を取って参りませう。 わら 名 呼ぶ。なお和泉流では本物の藁を 使う。 甲「それがよからう。 三押えて引っ張っていてやろう。 あさひも 四思いがけないことで ( 恐縮で ) 太郎 ( 舞台後方より麻紐を持って出て ) 「イヤ申し、幸ひこれに綯ひさしの藁がござる。 ございます。 五一般に。 これへ綯ひ足して進ぜませう。 ( 舞台中央に座る ) 六藁の一方を持っていてもらう みども ことができると。「貰ゆるは「貰 甲「どれどれ、身共があとを控へてやらう。 ( 後ろから紐の端を持っ ) ふ [ の可能動詞。本来は「貰ふる」 もら 四りよぐわい 太郎「それは近頃お慮外でござる。総じてあとを控へて貰ゆれば、ひとしほ早のはずであるが、 ( 行音転呼、さ らにはア行・ヤ行の混同などもか らまって、室町時代にはヤ行下二 う綯ゆることでござる。 段活用の形も併存させていた。 七一段と。後ろを引っ張っても 甲「さぞさうであらう。 らうと、それだけ縒りの戻りが少 あひだ 太郎「さて、この縄を綯ひまする間に、太郎殿の内の様子を話いて聞かせませないからである。 八人には親しく付き合ってみな ければ、また馬には実際に乗って みなければ、外から見ただけでは 真実はわからない、という諺。 甲「それがよからう。 「ヒトニワソウテミョ、ウマニ 太郎 ( 以下縄を綯いながら、シグサをまじえて話す ) 「総じて『人には添うてみよ、馬にワノッテミョトユウ」 ( 日葡 ) 。 わら さいは いちえ
はなとりずもう とか泥を吐かせたい主人は、狸汁をする蚊相撲↓鼻取相撲 の姿を見て、在京中になじんだ女を夫が と言ったり酒をふるまったり、あの手こ歌仙 * 和歌の浦の玉津島明神に奉納され 連れて帰ったものと思ってわめき散らし、 あいまい かきのもとのひとまる の手で尋ねるが、最後に一一人の相舞に持 た歌仙の絵馬から、柿本人丸 ( 人麻 夫が必死になって弁明するのも聞かず追 すき い立てる。前半の、男が鏡を見て、一人 ち込み、太郎冠者が後ろを向いた隙にそ 呂 ) ・僧正遍照・小野小町・在原業平・ で怒ったり笑ったりしていろいろな表情 の腰につるした狸を取り上げる。終りの 猿丸大夫・清原元輔が抜け出てきて月見 すおうおとし を映してみるところがむつかしいとされ 部分は『素袍落』をふまえている。 の宴を張る。歌舞伎舞踊の「額抜け」と いずみ かくれがさたからかさ る。和泉流では最初に売り手から鏡を買隠笠 ( 宝の笠 * ) 取違え狂言『末広かり 似た趣向である。宴は進むが、小町の さかずき う場面がついている。 盃がだれにまわるかということから人 の類曲。主人から宝物の隠れ笠を求めて かきやまぶし 柿山伏↓二八九謇。 丸が文句を言い、遍照との間にいさかい 来いと命じられて都へ来た太郎冠者が、 かぎゅうかたつむり 蝸牛蝸牛を食べると長生きをするという すつば ( 詐欺師 ) にだまされて何でもな が起るが、夜明けとともにまたもとの絵 言伝えがあったらしい。主人の祖父のた い笠を売りつけられ、しばらくは主人の 馬に納る。王朝風俗が狂言の舞台に居並 めに、太郎冠者が蝸牛を捜しに行く。と 前をなんとかっくろうが、最後はにせも ぶところが珍しい。 かなおか こせりかなおか ころが蝸牛がどんなものかを知らぬ太郎 のであることが見つかって追い込まれる。金岡 * 絵師巨勢金岡を喜劇的に扱ったも ゃぶ 冠者は、藪の中に寝ていた山伏を蝸牛と の。御殿で見かけた美女にうつつを抜か 脇狂言に分類されているが、比較的祝言 うた ものぐる 思い込んでしまう。人の悪い山伏は、い 性の薄い、むしろ笑劇的要素の濃いもの した金岡が、物狂い状態になり小歌を謡 うちぞこづら かにも自分が蝸牛だと言って、太郎冠者 って洛中をさまよい歩く。見かねた妻が、 である。類曲に、打出の小槌をと言われ はや ばち たからっちょろい をからかい囃したてる。捜しに来た主人 て太鼓の撥を買わされる『宝の槌』、鎧 それならばそなたは天下に隠れもない絵 はやしもの わらわ も山伏の囃子物につり込まれ、三人とも のつもりで鬼の面を買わされる『鎧』、 師だから、妾の顔を彩色して美人に描き いずみ はだこ はりだこ ども囃子に乗って入る。和泉流では、主 張り蛸と張り太鼓を間違える『張蛸』、 直しそれで代用せよと言い、それではと めちか 題人と太郎冠者が途中でだまされているの 太郎冠者と次郎冠者の一一人が出て目近と 金岡は筆をとって妻に向う。しかし世に こめね に気づいて山伏を追い込むが、大蔵流の 籠骨 ( どちらも扇の一種 ) を買いに行っ も醜い妻の顔は、さすがの名手の絵筆を 作 名およそ現実離れした理屈に合わぬ結末の てだまされてくる『目近』等があるが、 もってしても如何ともしがたく、筆を捨 言 狂楽しさには及ばない。 こうした取違えの脇狂言はすべて『末広 てて逃げ入る。能がかりの手法であるが、 かくしだぬき 隠狸 * 太郎冠者が上手に狸を捕るという かり』に代表権を奪われた感があり、そ 王朝の絵師の品位と奇抜な内容とを一曲 うわさ 噂を聞いて主人がその真偽を尋ねるが、 の他のものはごくまれにしか上演されな の中でどう両立させるかがむつかしく、 太郎冠者の方は頑強に口を割らない。何 和泉流における大曲の一つとなっている。 かずもう かせん
なにさかな みども一 次郎「さて、身共一つ受け持ったほどに、そなた何ぞ肴をさしめ。 0 なに 太郎「何と、このやうな体で舞が舞はるるものか。 言 狂次郎「その体が所望ぢゃ。ひらにお舞ひやれ。 名 ( みョう ) 太郎「それならば、舞うてもみうか。 次郎「それがよからう。 太郎「ところどころお参りやって、疾う下向召され、咎をばいちゃが負ひまん しよ。 ( 謡いながら舞う ) 次郎「ヤンヤャンヤ。 てうはふ 太郎 ( 笑って ) 「無調法致いた。 次郎「今の骨折りに、またそちへ飲まいてやらう。 太郎「何、また身共に飲まいてくるるか。 次郎「なかなか たびたびりよぐわい 太郎「それは度々慮外でおりやる。 なに 次郎「ソレ、ソレ、ソレソレソレ。 ( 前と同様にして飲ませる。太郎冠者、飲む ) 何と、 てい 四 一盃のほうは自分が受け持った、 の意。 ニ酒の肴として何か歌舞をする こと。 三後ろ手に縛られた格好での舞 ・、 0 、カ g ぜひとも。 五狂言歌謡「七つになる子」の末 尾。全文は「七つになる子がいた いけなこと言うた、殿が欲しと謡 たれびと うた。そもさても我御料は、誰人 ていかかづら の子なれば、定家葛か、離れがた やの離れがたやの、川舟に乗せて つれておりやろにや神崎へ、神崎 をどり へ。そもさても我御料は、踊とう が見たいか、踊とうが見たくば、 北嵯峨へおりやれの、北嵯峨の踊 は、つづら帽子をしゃんと着て、 踊るふりがおもしろい。吉野初瀬 の花よりも紅葉よりも、恋しき人 は見たいものぢや」とあって「とこ ろどころ : ・」と続く。女歌舞伎踊 歌や三味線組歌にも用いられてお り、中世末期から近世初期にかけ て流行していた歌謡であった。 六失社をいたした。芸を終えた ときの挨拶のことば。
鬼・山伏狂言 296 山伏「ヒイ。 畑主「飛びさうな、飛びさうな、飛びさうな、飛びさうな。 ( だんだん間隔を速めな がら、舞台を回る。山伏もつられてしだいに腰を浮かせ、ついには立ち上がり、両手を広げて動 き出す ) 一そればかりか。おまけに。 山伏「ヒイ、ヒイ、ヒイ、ヒイ。 ( とうとう浮かれて ) ピ ニこのような諺が実際にあった のであろう。山伏・天狗・鳶が一 らとび立ち、舞台に転げ落ちる ) ア痛、ア痛、ア痛。 体のものだとする考え方は中世に 畑主 ( 笑って ) 「さればこそ落ちょった。さらば急いで戻らうと存ずる。 ( 行こうと普及していたが、その場合は天狗 の成り下がったものが鳶であり、 また「山伏にもや今年ならまし / する ) 正月の二日の夢に鳶を見て」 ( 守武 千句 ) をみてもやはり鳶から山伏 山伏 ( 起き直り ) 「ヤイヤイ、ヤイそこな奴。 に成り上がるのであって、「山伏 の果ては鳶になる」はむしろ堕落 畑主「ヤア。 した姿と思われる。ただこの前後 山伏「ヤアとはおのれ憎い奴の。この尊い山伏を、鳥類・畜類にたとふるのみのセリフは逆に成り上がるような 感じにとれるが、これは狂言なる あまっさとび がゆえに、故意にそれを逆にとり ならず、剰へ鳶ぢやと言ふ。総じて『山伏の果ては皆鳶になる』と言ふによ なしたのであろうか うぶげ みども って、身共ももはや羽が生えたかと思うて飛うだれば、まだ産毛も生えぬ山 = 羽と対比して言ったもの。羽 はおろか、産毛さえも。 うち 伏を、この高い木の空から飛ばせて、腰の骨をしたたかに打った。そちの家四強く。いやというほど。 たっと やっ 四 かすらおけ ョロヨロヨロ。 ( 葛桶か
て一族を引き連れ攻め寄せる。橘の側も 山伏が久々に祖父のところを訪ねると、 泉流ではもつばらこの曲のほうが行われ ている。 祖父は腰が曲ってひどく難渋している。 それを迎え討っという御伽草子にでもあ はないくさ ぎじんもの けいりゅう ふねふな りそうな擬人物である。本来『花軍』と ここぞ奇特の見せどころと、腰の直るよ 難泣 ( 鶏流 * ) ↓舟船 かえあい けんぶつざえもん いう能の替間であったが、今は『花軍』 う加持をするが、伸びすぎてそっくり返 集見物左衛門 * 部分的にシテの独演のある が廃曲になったので、これが独立狂言と ったり、逆に屈みすぎたり、なかなかほ 狂言は多いが、これは最初から最後まで 言 ひとりきようげん して行われるようになった。 どよいところで止らない。怒った祖父は 一人で演ずるいわゆる独狂言である。見 こぶうり じしゅ 狂 杖を振り上げて山伏を追い込む。ときに昆布売供の者がいないままに自身で太刀 物左衛門という男が、清水寺の地主の桜 わかさ を持った大名が、道中で出会った若狭国 は、ほどよいところで止めてめでたく終 を見に行き、その前で独酌し、舞い謡う。 うずまさ ( 福井県 ) 小浜の昆布売にむりやり太刀 る演出をとることもある。老人でありな さらに太秦・嵐山へ回って、あちこちで を持たせ、召使のように扱ったことから がら上下に激しい動きをせねばならぬ祖 遊興する。独狂言は台本としては幾つか おど 逆に太刀で威され、昆布を売らされるは 父は大役で、山伏物であるが、この曲ば 伝わっているが、今日正式に演じられる めになる。その売り声に、平家節・小歌 かりは祖父のほうがシテとなっている。 のはこの曲一つである。 いずみ こぬすびとばくち くりやき 節・踊節 ( 和泉流では浄瑠璃節など ) の 子盗人博奕ですってしまった男が、埋合 柑子↓栗焼 おんぎよくづく こうやくねり 音曲尽しを用いているところが見どころ、 せにある家に盗みに人る。ところが忍び 膏薬煉中世に多かった「系図争い」を仕 聞きどころである。さんざんなぶってお 込んだ座敷に赤子が一人で寝かされてい 組んだもの。上方の膏薬煉と鎌倉の膏薬 いて昆布売は太刀を奪って逃げてしまう。 るのを見て、かわいさのあまりそれをあ 煉が道で出会い、効能くらべをする。互 やしているうちに乳母が見つけて大騒ぎ 『ニ人大名』の類曲。 いにその先祖が、それぞれの吸出し膏で こぶがき つくしのおく となる。主人がとび出してきて盗人を切昆布柿↓筑紫奥 馬を吸ったり大石を吸ったりした手柄話 ろうとするが、男は赤子をその鼻の先へ をしたり、その薬味を明かし合ったりす すき 突き出し、ひるむ隙に逃げて行く。いか る。その薬味というのが、空を飛ぶ胴亀 にも狂言らしい憎めない盗人の話である。 ( すつぼん ) 、雪の黒焼、幽霊の陰干しそ このみあらそい の他、珍妙きわまる品が並べられる。最菓争橘の精が一族とともに花見に行っ て酒宴をしているところへ、その山に住 後は両方が鼻の頭に膏薬をつけて引き合 む栗の精が自分に断りなしに山に入った い、上方が鎌倉方を吸いころばしてけり なんくせ と難癖をつけにやって来る。しかし逆に がつく。 かけぞ こしいのりおおみねかずらき 橘方一同に痛い目にあわされ、あらため 腰祈大峰・葛城での修行を終えた駆出の っえ さいめ うとくじん 賽の目ある有徳人 ( 金持 ) が娘の聟に算 こら′、つ 勘にたけた者を求める高札を立てる。そ れを見て三人の男が次々とやって来るが、 さいころ 五百具の賽子の目の合計は幾つかと尋ね られ、二人は全然答えられず追い返され さ行