立てて帰らん。程もあるまじ」といへば、さる事と思ひて、かばかりうち解け一なるほど。それはそうだ。 ニこれほどうちとけた仲になっ ているのだからと。 にたれば心やすくて、衣をとどめて参らせぬ。まことに遣戸たつる音して、こ 三安心して。気をゆるして。 語 物なたへ来らんと待っ程に、音もせで奥ざまへ入りぬ。それに心もとなくあさま うっし′」ころう 治しく現心も失せ果てて、這ひも入りぬべけれど、すべき方もなくて、やりつる 0 あの女と結ばれることは、と ても無理なようだ。 あか 悔しさを思へど、かひなければ、泣く泣く暁近く出でぬ。家に行きて思ひ明し = こんなに気をもんでつらい思 いをするのはたくさんだ。 こころう て、すかし置きつる心憂さ書き続けてやりたれど、「何しにかすかさん。帰ら六貴族の外出時の護衛として随 とねり 従した近衛府の舎人。上皇以下、 すご 位階によって人数の定めがある。 んとせしに召ししかば、後にも」などいひて過しつ。 四 貞文は兵衛佐なので二人。 うと おほかたまぢか 大方間近き事はあるまじきなめり。今はさはこの人のわろく疎ましからん事セ便所や便器の掃除役の下女。 ^ 皮張りの箱状の入れ物。ここ を見て思ひ疎まばや。かくのみ心づくしに思はでありなんと思ひて、随身を呼では便器を入れた箱の意。 九香色、すなわち黄ばんだ薄赤 かはごも びて、「その人の樋すましの皮籠持ていかん、ひ取りて我に見せよ」といひ色の薄い織物。紗・絽の類。 一 0 沈香。アジアの熱帯地方に産 しゅう 、つ力、 ければ、日比添ひて窺ひて、からうじて逃げたるを追ひて奪ひ取りて主に取らする香木から精製した香料。 九 = 丁子香。モルッカ諸島原産の うすもの かう へいちゅうよろこ フトモモ科の常緑喬木で淡紫色の せつ。平中悦びて、かくれに持て行きて見れば、香なる薄物の、三重がさねな 花を群がりつけ、芳香を放つ。そ かた たぐひ かう るに包みたり。香ばしき事類なし。引き解きてあくるに、香ばしさたとへん方のつばみを乾燥して、香料・染 料・薬用にする。 ぢんちゃうじ せん わりこう 三練香のこと。 なし。見れば、沈、丁子を濃く煎じて入れたり。また薫物をば多くまろがしつ くや ひごろ きぬ 五 も たきもの やりど かた 六 ずいじん 、一ういろ
かど 一三五穀の断食をして精進修行し りこそ出さめ』といひつれば 、、とほしく思ひて、『中の垣を破りて、我が門 て不思議の験力をそなえた聖。巻 いだ より出し給へ』といひつる」といふに、妻子ども聞きて、「不思議の事し給ふ一二第九話にも登場する。 いくらわが身のことは案じな こくだちひじり い人だとはいっても。厚行の不断 親かな。いみじき穀断の聖なりとも、かかる事する人やはあるべき。身思はぬ の滅私的なふるまいぶりを暗示す といひながら、我が門より隣の死人出す人やある。返す返すもあるまじき事なる。 一五仮名暦などに記されていると ひがごと り」とみな言ひ合へり。厚行、「僻事な言ひ合ひそ。ただ厚行がせんやうに任おりにただ神妙に理由のない忌み 事や俗習などを墨守している者。 ものいみ 厚行がそういう者は生命力も弱く、 せてみ給へ。物忌し、くすしく忌むやつは、命も短く、はかばかしき事なし。 したがって自分の力を発揮して何 ただ物忌まぬは命も長く、子孫も栄ゅ。いたく物忌み、くすしきは人といはず。事かをなすこともなく終ってしま うことが多いという人間観を持ち、 恩を思ひ知り、身を忘るるをこそは人とはいへ。天道もこれをぞ恵み給ふらん。報恩のためには自分の不都合を度 外視するような生き方をよしとす ひがき よしなき事な佗びそ」とて、下人ども呼びて中の檜垣をただこばちにこばちて、る人物であったことを物語る。 一六天の神。天地間の万般をとり しきる絶対者。 それよりそ出させける。 宅いわれのないこと。取るに足 のち さてその事世に聞えて、殿ばらもあさみほめ給ひけり。さてその後、九十ばらないつまらぬこと。「な佗びそ」 は、思いわずらうな、の意。 第かりまで保ちてぞ死にける。それが子どもにいたるまで、みな命長くて、下野天厚行の上司の人々。 一九思いきったことをしたものだ 巻 とねり と驚きつつ、その勇気を讃えた。 氏の子孫は舎人の中にもおほくあるとそ。 ニ 0 底本「おほえ」。万治本に従っ て改訂した。 いだ わ ニ 0 一九
ねもじ み候ひなん」と申しければ、片仮名の子文字を十二書かせて給ひて、「読め」 と仰せられければ、「ねこの子のこねこ、ししの子のこじし」と読みたりけれ 語 物ば、御門ほほゑませ給ひて事なくてやみにけり。 治 宇 たひらのさだふんほんゐんのじじゅう 十八平貞文、本院侍従の事 ニ平定文とも書く。桓武平氏。 左兵衛佐、三河権介、従五位上。 中古三十六歌仙の一人。在原業平 と並称される色好み。一説に延長 元年 ( 九 = 三 ) 没。『平中物語』の主人 い , っ士で・も .. な / 、。 ひやうゑのすけニ へいちゅう みやづかへびと三 むねゃな 今は昔、兵衛佐平貞文をば平中といふ。色好にて、宮仕人はさらなり、人の四筑前守在原棟梁の娘。『今昔』 によれば、初め藤原国経 ( 時平の むすめ 女など、忍びて見ぬはなかりけり。思ひかけて文やる程の人のなびかぬはなか叔父 ) に嫁して少将滋幹を産み、 後、藤原時平の北の方となって敦 ははぎさき いろごのみ りけるに、本院侍従といふは村上の御母后の女房なり。世の色好にてありける忠を産む。 五藤原基経の娘穏子 ( 八会 ~ 九五四 ) 。 に、文やるに憎からず返事はしながら、逢ふ事はなかりけり。しばしこそあら村上天皇の生母。醍醐天皇の皇后。 時平の妹。 あか め、遂にはさりともと思ひて、物のあはれなるタ暮の空、また月の明き夜など、六いずれは自分の意に従わぬこ とはあるまい。つまり、逢ってく なさけ えん 艶に人の目とどめつべき程を計らひつつおとづれければ、女も見知りて、情はれるだろう、の意。 セ深く気にはとめないふうで。 交しながら心をば許さず、つれなくて、はしたなからぬ程にいらへつつ、人居〈相手が不愉快に思わない程度 九差支えのないような所では。 まじり、苦しかるまじき所にては物いひなどはしながら、めでたくのがれつつ ひ 四 かへりごと いろごのみ 一当時は片仮名のネに「子」の字 を用いた。音はシ、訓はコ、ネ。
こどのとしごろさぶら 侍参りたりけり。「故殿に年比候ひしなにがしと申す者こそ参りて候へ。御一以下、取次の言葉。亡き殿様 に長年お仕えしていた、これこれ 1 げんぎん と申す者が。 見参に入りたがり候といへば、この子、「さる事ありと覚ゅ。しばし候へ。 ニしばらくお控えください。ご 語 物御対面あらんずるそ」といひ出したりければ、侍、しおほせっと思ひてねぶり対面なされましようそ。 三うまくいった。「頼み込むき つかけはできた」とのほくそえみ。 治居たる程に、近う召し使ふ侍出で来て、「御出居へ参らせ給へ」といひければ、 四目をつぶっていると。これか よろこ たか らのかけひきを前に昂ぶる心をし 悦びて参りにけり。この召し次ぎしつる侍、「しばし候はせ給ヘーといひて、 ずめているさま。 五寝殿造の邸宅で、中央の母屋 あなたへ行きぬ。 の外、廂の間にある客間。 みき一う 見参らせば、御出居のさま、故殿のおはしましししつらひに露変らず。御障六間仕切り。ここでは襖障子。 唐紙。 子などは少し古りたる程にやと見る程に、中の障子引きあくれば、きと見あげセしやくりあげておいおい泣く。 〈 ( 侍のそばに寄り ) 片膝をつい たるに、この子と名のる人歩み出でたり。これをうち見るままに、この年比のて座って。 九「とは」は「こは」の誤写か。 いかにかくは一 0 「違はせおはしまさぬ」のは 侍さくりもよよと泣く。袖もしばりあへぬ程なり。このあるじ、 「出居へ出た時の烏帽子の真っ黒 なさま」。それを若主人は「自分が 泣くらんと思ひて、つい居て、「とはなどかく泣くそ」と問ひければ、「故殿の 生前の故殿そのままだとこの侍は おはしまししに違はせおはしまさぬがあはれに覚えて」といふ。さればこそ我言っている」と受け取って喜んだ。 一一「しかあらぬ」の意。そうでな 故殿には似ていない。 も故殿には違はぬゃうに覚ゆるを、この人々の、あらぬなどいふなる、あさまい。 一ニおまえ。目下の者に言う対称 、」とほか 代名詞。 しき事と思ひて、この泣く侍にいふやう、「おのれこそ殊の外に老いにけれ。 さぶらひ ふ たが 九 でゐ っゅ
117 巻第 一四失せた死骸を放っておくわけ て、人々走り帰りて、「道におのづからや」と見れども、あるべきならねば、 一五「おのづからやある」の略。 家へ帰りぬ。 「おのづから」は、ひょっとすると、 もしやと見れば、この妻一尸口に、もとのやうにてうち臥したり。いとあさまの意。 一六もしかして遺骸は家に帰って いるのではないか。はたしてその しくも恐ろしくて、親しき人々集りて、「いかがすべき」と言ひ合せ騒ぐ程に 「もしや」が的中する。 夜もいたく更けぬれば、「いかがせん」とて、夜明けてまた櫃に入れて、この宅どうしたものか。 一 ^ どうしようもあるまい。鳥辺 たび一九 度はよくまことにしたためて、夜さりいかにもなど思ひてある程に、タつかた野に葬るしか手はなかろう。 一九念入りに厳重に死骸を納棺し 見る程に、この櫃の蓋細めにあきたりけり。いみじく恐ろしく、ずちなけれど、て。 ニ 0 夜になってからどうにかしょ 親しき人々、「近くてよく見ん」とて寄りて見れば、棺より出でて、また妻一尸う。 ニ一どうにも恐ろしくて仕方がな よろづ かったが。「ずち」は「術」の呉音 口に臥したり。「いとどあさましきわざかな」とて、またかき入れんとて万に 「ジュチ」のなまり。 すれどさらにさらに揺がず。土より生ひたる大木などを引き揺がさんやうなれ = ニ ( 死骸がひとりでに動き出し て ) 棺から出て。 かた ば、すべき方なくて、ただここにあらんとてかと思ひて、おとなしき人寄りて = 三ますますもって。 ニ四さまざま手を尽してみたが。 ニセ おば ニ六 いふ、「ただここにあらんと思すか。さらばやがてここにも置き奉らん。かく一宝世慣れて分別のある年輩者。 兵以下、死骸への呼びかけ。 おろ いたじき てはいと見苦しかりなん」とて、妻戸口の板敷をこばちて、そこに下さんとし毛それなら、このままここに置 してさしあげましょ , つ。 ければ、いと軽らかに下されたれば、すべなくて、その妻戸口一間を板敷など = 〈ほかによい手だてもなくて。 かろ ゆる おろ ニ 0 ひつぎ
きめ と思ひて、手を引き返して着たる衣などを探りける程に、女房ふと驚きて、 た 「ここに人の音するは誰そ」と、忍びやかにいふけはひ、我が妻にあらざりけ た れば、さればよと思ひて居退きける程に、この臥したる男も驚きて、「誰そ誰三さてこそ。はたしてそうだ。 しも そ」と問ふ声を聞きて、我が妻の下なる所に臥して、我が男の気色のあやしか一三勝手口に近いあたりの部屋。 一四すんでのことで、とんでもな ひとたがヘ い恐ろしい過ちを犯すところでし りつる。それがみそかに来て、人違などするにやと覚えける程に、驚き騒ぎて、 た ぬすびと 「あれは誰そ、盗人か」などののしる声の、我が妻にてありければ、異人々の一五高貴な身分の人。「下﨟」の対。 一六書陵部・陽明文庫本には「こ 臥したるにこそと思ひて、走り出でて妻がもとに行きて、髪を取りて引き伏せこに」とあり、『今昔』は「此ニ」と する。その方が意味が通りやすい 宅『今昔』には「甲斐殿」は、「此 て、「いかなる事そ」と問ひければ、妻さればよと思ひて、「かしこういみじき きむなり ノ明衡ノ妹ノ男ニテ、藤原公業ト あやまち じゃうらふ か 過すらん。かしこには、上﨟の今夜ばかりとて、借らせ給ひつれば、貸し奉云人也ケリ」とある。公業 ( ? ~ 一 0 一一 0 は参議有国の子、本名景能。 あき りて、我は宿にこそ臥したれ。希有のわざする男かな」とののしる時にそ、明蔵人、中宮大進。甲斐守であった のは万寿元年 ( 一 0 = 四 ) ~ 二年ごろ。 ひら 第」もの 天雑役に従う小者。下男。 衡も驚きて、「いかなる事そ」と問ひければ、その時に男出で来ていふやう、 一九その御一門の若君様がお越し ぎふしき になっているのを存じませんで。 第「おのれは甲斐殿の雑色なにがしと申す者にて候。一の君おはしけるを知り ニ 0 危ないところで。 あやまち さぶら さしめき 巻 奉らで、ほとほと過をなん仕るべく候ひつるに、希有に御指貫のくくりを見つ三考えまして。 一三刀を突き立てようと伸ばした けて、しかじか思ひ給へてなん、腕を引きしじめて候ひつる」といひて、いみ腕を引っ込めたような次第です。 ゐの つかまっ かひな っ九 - 一と た = ふと目を覚して。
むね 宗とあると見ゆる鬼横座に居たり。うらうへに二ならびに居並みたる鬼、数一 = 非人間界に住むとされる想像 おもて 上の霊的存在。「面ハ朱ノ色ニテ、 わらふだ ひと を知らず。その姿おのおの言ひ尽しがたし。酒参らせ、遊ぶ有様、この世の人円座ノ如汐広クシテ←ッ有リ。 長ハ九尺許ニテ、手ノ指三ッ有リ。 ぢゃう かはらけ むね ことほかゑ ろく ゃうなり のする定なり。たびたび土器始りて、宗との鬼殊の外に酔ひたる様なり。末よ切五寸許ニテ刀ノ様也。色ハ 青ノ色ニテ、目ハ琥珀ノ様也。頭 をしき よもぎ り若き鬼一人立ちて折敷をかざして、何といふにか、くどきくせせる事をいひノ髪ハ蓬ノ如ク乱レテ」 ( 今昔物語 一 ^ 集巻二七第一三話 ) という描写は て、横座の鬼の前に練り出でてくどくめり。横座の鬼盃を左の手に持ちて、笑当時の鬼の概念をよく伝える。 一三上座。上席。 みこだれたるさま、ただこの世の人のごとし。舞うて入りぬ。次第に下より舞一四裏と表と。ここは「左右に」。 一五互いに酒を勧め合って。 あ 一九 ふ。悪しく、よく舞ふもあり。あさましと見る程に、横座に居たる鬼のいふや一六薄いへぎ板で作った角盆。 ニ 0 宅「くせせる」は語意不明。全体 、、よひ あそび かなで う、「今宵の御遊こそいつにもすぐれたれ。ただし、さも珍しからん奏を見ばで、同じようなことをくどくど繰 り返してからむ酔態をいう。 かみほとけ や」などいふに、この翁物の憑きたりけるにや、また然るべく神仏の思はせ給天笑い崩れる。「こだる」は、傾 く、だらりとなる、の意。 一九事の意外さに驚きあきれて。 ひけるにや、あはれ走り出でて舞はばやと思ふを、一度は思ひ返しつ。それに ニ 0 歌に合せての舞。 ひやうし 何となく鬼どもがうち揚げたる拍子のよげに聞えければ、さもあれ、ただ走り = 一なにかの霊がとりついたので あろうか 第出でて舞ひてん、死なばさてありなんと思ひとりて、木のうつほより烏帽子は = = よし、ひとつやってやろう。 ニ三成人男子が着用したかぶりも よき き 巻 くろ しゃぎめ の。黒い紗絹製、または紙製で黒 鼻に垂れかけたる翁の、腰に斧といふ木伐る物さして、横座の鬼の居たる前に うるし 漆で塗り固めた。 1 をど 躍り出でたり。この鬼ども躍りあがりて、「こは何ぞ」と騒ぎ合へり。翁伸び た 一ニよこざ っ いちど 一ま
107 巻第 うへわらは 思ひければ、その家の上童を語らひて問ひ聞けば、「大姫御前の、紅は奉りた〈神祇伯康資王 ( 寛治四年ー一 0 〈 0 ー没 ) の母。高階成順の娘。歌人。 る」と語りければ、それに語らひっきて、「我に盗ませよ」といふに、「思ひか『後拾遺集』以下に入集。『康資王 母集』 ( 『伯母集』とも ) がある。 めのと 九神祇伯祭主大中臣輔親の娘。 けず、えせじ」といひければ、「さらば、その乳母を知らせよ」といひければ、 一条天皇中宮彰子に仕えた。歌人。 かね 「それは、さも申してん」とて知らせてけり。さていみじく語らひて金百両取『伊勢大輔集』がある。 一 0 表着の下に重ねて着るひとえ ↓っ一り ひとえぬ らせなどして、「この姫君を盗ませよ」と責め言ひければ、さるべき契にゃあ物で二枚の単衣を一つの衣服に仕 立てたもの。夏秋に用いる。 = 気をもみくだいて思いつめる。 りけん、盗ませてけり。 一ニ貴族の邸に仕える少女。 やがて乳母うち具して常陸へ急ぎ下りにけり。跡に泣き悲しめど、かひもな一三貴族の長女。「御前」は敬称。 めのと し。程経て乳母おとづれたり。あさましく心憂しと思へども、いふかひなき事 なれば、時々うちおとづれて過ぎけり。伯の母、常陸へかくいひやり給ふ。 あづまぢ一五 みやこ 一四「匂ひきや : この歌は、『後拾 匂ひきや都の花は東路にこちのかへしの風のつけしは 遺集』雑五に源兼俊母の作として あり、「吹き返す : ・ーの歌が康資王 三返し、姉、 母の作となっている。『尊卑分脈』 によれば、兼俊母は伯の母の妹。 こち 吹き返すこちのかへしは身にしみき都の花のしるべと思ふに 一六 一五東風の返し、すなわち西風。 むすめふたり ひたちのかみめ 年月隔りて、伯の母、常陸守の妻にて下りけるに、姉は失せにけり。女二人一〈藤原基房か。中納言朝経の男。 常陸介、正四位下。 ゐなか ありけるが、かくと聞きて参りたりけり。田舎人とも見えず、いみじくしめや くだ くだ
こころう わび つらづゑ やまもりよき 今は昔、木こりの、山守に斧を取られて、佗し、、い憂しと思ひて頬杖突きて一山番。ここは、関係者以外に は伐採の禁じられている山林の番 人。 をりける。山守見て、「さるべき事を申せ。取らせん」といひければ、 ニ小型の斧。手斧。 語 あ よのなか 物 三しかるべきこと。ここでは気 悪しきだになきはわりなき世間によきを取られてわれいかにせん 遺 のきいた和歌でも詠むこと。 うめ 治と詠みたりければ、山守返しせんと思ひて、「うううう」と呻きけれど、えせ 0 この歌の巧みさは「斧」と「善 き」との掛詞。「き」音や「わりな よき ざりけり。さて斧返し取らせてければ、うれしと思ひけりとそ。人はただ歌をき」「われ ( 我 ) 」の類似音の繰返し、 さらに「斧」と「わり ( 割 ) なき」との 縁語の使用などにある。山守には、 構へて詠むべしと見えたり。 こうした技巧的な修辞の工夫がで きなかった。 九伯の母の事 - 一れもと 五平維。陸奥守繁盛の三男。 一説には貞盛の男とも。従五位下。 平大夫と称した。茨城県筑波郡に ひたち うれへ ゑちぜんのかみ 今は昔、多気の大夫といふ者の、常陸より上りて愁する比、向ひに越前守と多気城を築き、常陸大掾の祖とな った。ただし、彼は高階成順と伊 いふ人のもとに経誦しけり。この越前守は伯の母とて世にめでたき人、歌よみ勢大輔との婚姻に先立っ寛仁元年 ( 一 0 一七 ) に没しているので、別人の の親なり。妻は伊勢の大輔、姫君たちあまたあるべし。多気の大夫つれづれに誤りか、とも考えられる。 六訴訟。 ちゃうもん 覚ゆれば聴聞に参りたりけるに、御簾を風の吹き上げたるに、なべてならず美セ筑前守、正五位下、高階成順 のこと。越前守とあるのは筑前守 くれなゐひとへ しき人の、紅の一重がさね着たるを見るより、この人を妻にせばやといりもみの誤りか。長久元年 ( 一品 0 ) 没。 五 九 ず たいふ たいふ のば め ころ おの
ちら て来たれば、主の女を始めて子どももみな物覚えず、つき散して臥せり合ひた たれたれ り。いふかひなくて、共に帰りぬ。二三日も過ぎぬれば、誰々も心地直りにた一文句の持。て行き場もなくて。 ニ誰もかれも。みんな。 語 物り。女思ふやう、みな米にならんとしけるものを、急ぎて食ひたれば、かくあ = こんなおかしなことにな 0 た ものに違いない の、 ) り 治やしかりけるなめりと思ひて、残をば皆つりつけて置きたり。 四 ( 瓢の中の米を ) 移し入れよう ぐ れうをけ がための桶 さて月比経て、「今はよくなりぬらん」とて、移し入れん料の桶ども具して、 三歯もない口を大きく開けるこ 部屋に入る。うれしければ、歯もなきロして耳のもとまで一人笑みして桶を寄と自体が見られた図ではないのに、 それをなんと耳の下あたりまでロ くちなは 裂けんばかりに開けに開けて。 せて移しければ、虻、蜂、むかで、とかげ、蛇など出でて、目鼻ともいはず、 自然にこみ上げてくる笑いに身を ひとみ 委せている様子。 一身に取りつきて刺せど 六体一面。体じゅう。 七この時、女は、欲に憑かれ、 も、女痛さも覚えず。た る有頂天な喜びにひたりきった無我 当夢中の心境にあった。 だ米のこばれかかるそと ち 打 を 思ひて、「しばし待ち給 石 雀 ぶ へ、雀よ。少しづっ取ら 庭 んーといふ。七つ八つの 部 童 瓢より、そこらの毒虫ど ひさご つきごろ あぶ 四 ひとりゑ ふ まか 〈たくさんの毒虫どもが。