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検索対象: 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)
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1. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

ちら て来たれば、主の女を始めて子どももみな物覚えず、つき散して臥せり合ひた たれたれ り。いふかひなくて、共に帰りぬ。二三日も過ぎぬれば、誰々も心地直りにた一文句の持。て行き場もなくて。 ニ誰もかれも。みんな。 語 物り。女思ふやう、みな米にならんとしけるものを、急ぎて食ひたれば、かくあ = こんなおかしなことにな 0 た ものに違いない の、 ) り 治やしかりけるなめりと思ひて、残をば皆つりつけて置きたり。 四 ( 瓢の中の米を ) 移し入れよう ぐ れうをけ がための桶 さて月比経て、「今はよくなりぬらん」とて、移し入れん料の桶ども具して、 三歯もない口を大きく開けるこ 部屋に入る。うれしければ、歯もなきロして耳のもとまで一人笑みして桶を寄と自体が見られた図ではないのに、 それをなんと耳の下あたりまでロ くちなは 裂けんばかりに開けに開けて。 せて移しければ、虻、蜂、むかで、とかげ、蛇など出でて、目鼻ともいはず、 自然にこみ上げてくる笑いに身を ひとみ 委せている様子。 一身に取りつきて刺せど 六体一面。体じゅう。 七この時、女は、欲に憑かれ、 も、女痛さも覚えず。た る有頂天な喜びにひたりきった無我 当夢中の心境にあった。 だ米のこばれかかるそと ち 打 を 思ひて、「しばし待ち給 石 雀 ぶ へ、雀よ。少しづっ取ら 庭 んーといふ。七つ八つの 部 童 瓢より、そこらの毒虫ど ひさご つきごろ あぶ 四 ひとりゑ ふ まか 〈たくさんの毒虫どもが。

2. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

189 巻第 一九鷹を捕えて飼い、それを国守 または郡司に献上するのを職業と たかやく していた者 今は昔、鷹を役にて過ぐる者ありけり。鷹の放れたるを取らんとて、飛ぶに ニ 0 ①逃げた鷹、②人に飼われた はるか したが 随ひて行きける程に、遥なる山の奥の谷の片岸に、高き木のあるに鷹の巣くひことのない野生の鷹、の両義があ るが、ここは後者であろう。 のち たるを見つけて、いみじき事見置きたるとうれしく思ひて、帰りて後、今はニ一断崖絶壁に。 にて師の僧呼びて事の由申させて、「二千度参りつる事、それがしに双六に打九願ってもない愚か者にあたっ たものだ。『古本説話集』下五十七 しれもの ち入れつ」と書きて取らせければ、請け取りつつ悦びて伏し拝みまかり出でに話は「烏滸の白癡、とする。 一 0 連れだって。 = 本尊の観世音菩薩の御前で。 一ニだれそれに。 まけさぶらひ のち その後、いく程なくして、この負侍、思ひかけぬ事にて捕へられて人屋に居一三双六の賭け物として譲渡した。 一四『古本説話集』は「この打ち入 つかき、 にけり。取りたる侍は思ひかけぬ便ある妻まうけて、いとよく徳つきて、司なれたる侍」。 一五牢屋。獄舎。左右の京にそれ それ一か所すつあった。 どなりて、頼もしくてそありける。 一六世を渡るうえで意外な好手蔓 あはれおば を持った妻。 「目に見えぬものなれど、まことの心を致して請け取りければ、仏、哀と思し 宅たいそう運にめぐまれて。 天官職を得て。 めしたりけるなめり」とぞ人はいひける。 五観音蛇に化す事 たより かたぎし ひとや てづる

3. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

すべきことでもあるまい」と思って、「実はこれこれで、 ていると、雀どもが集って食いに来たので、また何度も石 腰の折れた雀がいたのを、飼い助けたところ、それをうれを打ちつけると、三羽が腰を折った。「もうこれくらいで おけ よかろう」と思って、その腰の折れた雀を三羽ほど桶に取 しいと思ったのか、瓢の種を一つ持って来たのを植えてみ たら、こんなふうになったのです」と言うと、「その種を り入れて、銅を削って食わせなどして、幾月かたつうちに、 みなよくなったので、喜んで桶の外に取り出すと、みなふ ただ一つでよいからください」と言う。女は、「その瓢に 入っていた米などはあげましよう。種はとてもあげられま らふらと飛んで行った。女は、「すばらしいことをした」 せん。決してよそには散らすわけにはいかないのです」と と思った。ところが雀は腰を打ち折られて、こんなに幾月 言って与えないので、自分も何とかして腰の折れたような も閉じ込めておかれたことを実にくやしいと思っていた。 雀を見つけて飼おうと思って、目をこらして見るが、腰の さて十日ほどたって、この雀どもがやって来たので、女 折れた雀はいっこうに見えない。 は喜んで、まず口に何かくわえているかと見ると、瓢の種 つぶ を一粒ずつみな落して行く。「やはり思ったとおりだ」と 朝ごとに様子を見ると、裏口の方に、米の散らばってい るのを食おうとして、雀が跳ね歩いている。石を拾ってそ うれしくなって、これを拾い上げて三か所に植えた。普通 れに、「もしや」と思ってぶつけると、なにせたくさんい よりもするすると早く生長して、ずいぶん大きくなった。 る中にたびたび投げつけたので、たまたま打ち当てられて しかし、これは実がそれほど多くもならず、七つ八つだけ 飛べないのがでた。喜んでそばに寄り、腰の骨を念をいれなった。それを見て女はえつばに入り、「ばっとしたこと もしでかさないと言ったが、どうじゃ、私は隣の女よりえ て折ってから、拾い上げて家で物を食わせ、薬を与えなど 第 して養生を加えた。「一羽を助けてさえ、あんなに得をすらかろう」と子供に言うと、「いかにもそうあってほしい 巻 るのだから、まして何羽もならどんなにか大金持になれよ もの」と子供たちも思った。これは数が少なかったので、 う。あの隣の女よりももっと、子供たちにほめられるにち米を多く取ろうとして、人にも食わせず、自分も食わない。 。ゝ、ない」と思って、裏口のあたりに米をまいてうかが そこで子供が、「隣の婆さんはちゃんと隣近所の人にも食

4. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

四 かやのゐんかたっちど 間にかいだてなどして、仁王講行はるる僧も、高陽院の方の土戸より、童子な一「垣楯」、また「掻楯」。楯を垣 8 のように並べて通行を防ぐもの。 もちなが ものいみ ものいみ ども入れずして、僧ばかりぞ参りける。御物忌ありと、この以長聞きて、急ぎ「書き立て」の音便ととり、物忌と 書いた札とする説もある。 語 とねり ニ『仁王経』を講じてその趣意を 物参りて、土戸より参らんとするに、舎人二人居て、「人な入れそと候とて、 讃美する法会。この経典は『法華 経』『金光明経』とともに護国の三 治立ち向ひたりければ、「やうれ、おれらよ、召されて参るそ」といひければ、 経といわれ、災害を除くために物 しきじ くらうどどころ これらもさすがに職事にて常に見れば、カ及ばで入れつ。参りて、蔵人所に居忌の時などにも読誦された。 三物忌のために正門は閉じ、高 さふ こわだか て、何となく声高に物いひ居たりけるを、左府聞かせ給ひて、「この物いふは陽院に面した裏門から通した。 四外面に土または漆食を塗って - もめ・か . ね 誰そ」と問はせ給ひければ、盛兼申すやう、「以長に候」と申しければ、「いか作った引戸。煮地に設けた門とも こも よべ にかばかり堅き物忌には夜部より参り籠りたるかと尋ねよ」と仰せければ、行五寺にいてまだ得度せず、仏典 学習のかたわら僧に仕える少年。 おほせむね きて仰の旨をいふに、蔵人所は御所より近かりけるに、「くはくは」と大声し六「やおれ」の転。人に呼びかけ る塹。こりや。これこれ。 ころ さぶら つかまっ て、はばからず申すやう、「過ぎ候ひぬる比、わたくしに物忌仕りて候ひしセ対称の代名詞。おまえたち。 ^ 蔵人頭以下、五、六位の蔵人 の総称。以長をさす。 に召され候ひき。物忌の由を申し候ひしを、物忌といふ事やはある。たしかに 九しかたなく。やむをえず。 参るべき由仰せ候ひしかば、参り候ひにき。されば物忌といふ事は候はぬと知一 0 ここは左大臣家の蔵人所。 = 底本「もりかぬ」。伝未詳。 さぶらふ うなづ りて候なり」と申しければ、聞かせ給ひてうち頷き、物も仰せられでやみにけ三さあさあ、これはこれは、そ りやそりや。騒がしく言い応ずる 言葉。 りとぞ。 ま たれ しつくい

5. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

うれしいこと」と言うと、女の顔をちらっと見て、ロから米が入っていたのであった。思いもかけず、これは驚いた 露ほどの小粒のものを落し置くようにして飛び去って行っ と思って、大きな入れ物に全部を移してみたが、瓢の中に た。女が、「何かしら。雀の落して行ったものは」と近寄は移し入れる前と同じように入っているので、「これは確 語 物って見ると、瓢の種をただ一粒落して置いてある。「持っ かにただ事ではない。雀が恩返しにしたのだろう」と、び 拾て来たのには、わけがあろう」と思って、拾って持ってい つくりもし、またうれしくもあったので、物に入れて隠し 宇た。「まああきれた、雀のくれた物をもらって宝にしてい て置いて、残りの瓢を見てみると、みな最初の瓢と同じよ らっしやる」と子供たちが笑うと、「とにかく植えてみよ うに白米がつまっている。これを入れ物に移し移し使うと、 う」と植えると、秋になるにつれて、まことに繁く生え広どうしようもないほどどっさりある。こうして女は、本当 がって、普通の瓢にも似ずに大きく、たくさんの実がなっ に裕福な人になってしまった。隣村の人も見てびつくりし、 た。女はえらく喜んで隣近所の人にも食べさせ、どんどんたいしたものだと羨ましがった。 取ったが、瓢は取りきれないほど限りもなくたくさんあっ この隣にいた老女の子供が言うには、「同じ年寄でも、 た。今まで笑っていた子や孫たちも、これを明け暮れ食べ お隣さんはあんな調子だ。うちの婆さんたら、これという ていた。村じゅうに配ったりして、しまいには、「格別に ことはなにもおできにならない」。そんなふうに言われて、 すぐれて大きい七つ八つは、ひょうたんにこしらえよう」 隣の女はこの女のもとに来て、「さてもさても、これはど と思って、家の中にぶらさげておいた。 うしたわけです。雀がどうとかしたなどと、うすうすは聞 それから幾月かたって、「もう今はよい具合になったろ いたが、よくはどうも分らないので、初めからありのまま う」と思って見ると、 いかにも程よくなっていた。取り下 にお話しくだされ」と言うので、「雀が瓢の種を一つ落し ろして、ロを開けようとすると、少し重たい。変だと思い て行ったのを植えてみたら、こうなったのです」と、細か ながらも、切り開いてみると、何やらいつばい入っている。 にも一一 = ロわない。するとまた、「ありのままに、もっと細か 「何だろう」と中のものを他の入れ物に移してみると、白 にお話しくだされ」と、しきりに尋ねるので、「心狭く隠 ひさ一

6. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

櫃などに御飯を入れて、いくつもいくつも並べおいて食べ れるものなら、いくらでも召しあがれ」と一言うと、「ああ、 させられたので、聖が後ろに続いている者どもに食わせる ありがたい」と言って、膝で進み進み折り取りながら、三 と、集って来て手にささげ持って、すっかり食べてしまっ 町の畑の水葱をすっかり食べてしまった。畑主の男は、あ 語 ひじり 聖は少しも食べず、喜んで出て行った。「さてこそ、 物きれた底なしの大食いの聖だわいと思って、「しばらくお やつばりただ人ではなかったのだ。仏などが身を変えてお 拾待ちください。何か食べ物を用意して差しあげましよう」 宇と言って、白米一石を取り出して、御飯にして食べさせた歩きなさっているのではないか」とお思いになった。他の ところ、「このところ、物も食わずに体が弱りはててしま人の目には、ただ聖が一人で食べるとばかり見えたので、 なおなおあきれたことに思った。 って」と言って、みな食べて出て行く。 さて聖が出て行くうちに、四条の北の小路で糞をたれた。 この男は、まったくあきれはてて、これを人に語ったの もろすけ を聞いて、ある人が藤原師輔卿にお話し申しあげたところ、実はこの後ろに連れている者どもがたれ散らしたのだが、 「どうしてそんなことがあろう。合点のいかぬことだ。呼まるで墨のように黒い糞を、すきまもなくすうっとたれた んで物を食わせてみよう」とお思いになり、「仏道に御縁ので、下人たちもきたながって、その小路を糞の小路と名 づけたのを天皇がお聞きになって、「その四条の小路の南 を結ぶためにお食事を差しあげてその様子をみよう」とい あや を何と言うか」とお尋ねになったので、「綾の小路と申し うことで、お呼びになられると、いかにも尊げな聖が歩い にしき ちくしよう て来る。その後ろに、餓鬼、畜生、虎、狼、犬、烏、数万ます」と申しあげると、「それでは、ここは錦の小路と呼 の鳥獣などが、それこそ幾千万と続いて歩いて来たが、他ぶがよい。糞の小路ではあまりきたない」などと仰せられ たことから、錦の小路と呼ぶようになったのだそうだ。 の人の目にはまったく見えない。人々はただ聖一人だけと 見たが、この大臣はこのさまを見つけられて、「さてこそ、 じようかんそうじよう ほ、つげ・ん 尊い聖であったのだ。ありがたいことかな」と思われて、 一一静観僧正が雨を祈る法験の事 白米十石を御飯にして、新しい菰の敷物の上に、折敷、桶、 がき ひざ 、一も おしきおけ ひっ

7. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

203 巻第 もやと思ひぬべし。されども僧伽多大に瞋りて、太刀を抜きて殺さんとす。限る、という筋である。 セそうなるはずの前世の約束で だいり ーしょ , っカ なく恨みて、僧伽多が家を出でて内裏に参りて申すやう、「僧伽多は我が年比 ^ 慕わしく思っていましたのに。 みかど さぶら たれ の夫なり。それに我を捨てて住まぬ事は誰にかは訴へ申し候はん。帝皇これを九普通一般の。 一 0 『今昔』は「王宮」。後出の「公 みかど かギ一り くぎゃうてんじゃうびと ことわ 理り給へ」と申すに、公卿、殿上人これを見て、限なくめで惑はぬ人なし。帝卿、殿上さ「蔵人」などとともに、 日本の実情に合せた呼称の改変の によう′ ) き一き のぞ 聞し召して覗きて御覧ずるに、いはん方なく美し。そこばくの女御、后を御覧例。 = 是非を判定してください じ比ぶるに、みな土くれのごとし。これは玉のごとし。かかる者に住まぬ僧伽三その美しさに魂を奪われてし まわない人はなかった。 多が心いかならんと思し召しければ、僧伽多を召して問はせ給ふに、僧伽多申一三大勢の。たくさんの。 一四こういう美女と夫婦となって みうち すやう、「これはさらに御内へ入れ見るべき者にあらず。返す返す恐ろしき者暮そうとしない僧伽多の心。 一五男女の関係を結ぶべき相手。 ひがごと 一六忌まわしい凶事。 なり。ゅゅしき僻事出で来候はんずる」と申して出でぬ。 うしろ 帝この由聞し召して、「この僧伽多はいひがひなき者かな。よしよし、後の宅ふがいない者。 くらうゾ」 六方より入れよ、と、蔵人して仰せられければ、夕暮方に参らせつ。帝近く召し ふたり かぎり て御覧ずるに、けはひ、姿、みめ有様、香ばしく懐かしき事限なし。さて二人 一八まつりごと のち 臥させ給ひて後、二日三日まで起きあがり給はず、世の政をも知らせ給はず。一〈政務をもお執りになられない。 僧伽多参りて、「ゆゅしき事出で来たりなんず。あさましきわざかな。これは かた か、つ たち うた としごろ かぎり

8. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

121 巻第 思ひかけずあさましと思ひて、大なる物に皆を移したるに、同じゃうに入れて あれば、「ただ事にはあらざりけり。雀のしたるにこそ」と、あさましくうれ一四使い尽せないほど多い白米に の′ ) め・ しければ、物に入れて隠し置きて、残の瓢どもを見れば同じゃうに入れてあり。 かた これを移し移し使へば、せん方なく多かり。さてまことに頼もしき人にそなり一五富裕な人。書陵部本などは 「たのしき人」とするが、同義。 となりざと うらや 一六 ( 急に裕福になったのを ) まの にける。隣里の人も見あさみ、いみじき事に羨みけり。 あたりに見て驚き。 この隣にありける女の子どものいふやう、「同じ事なれど、人はかくこそあ宅同じ年寄でも、よその年寄は あんないい ことをする。 れ。はかばかしき事もえし出で給はぬ」などいはれて、隣の女、この女房のも とに来たりて、「さてもさても、こはいかなりし事そ。雀のなどはほの聞けど、 よくはえ知らねば、もとありけんままにのたまへ」といへば、「瓢の種を一つ 落したりし、植ゑたりしよりある事なり」とて、こまかにもいはぬを、なほ、 ニ 0 せば せつ 三「ありのままにこまかにのたまへ」と切に問へば、、い狭く隠すべき事かはと田 5 ひて、「かうかう腰折れたる雀のありしを飼ひ生けたりしを、うれしと思ひけ るにや、瓢の種を一つ持ちて来たりしを植ゑたれば、かくなりたるなり」とい へば、「その種ただ一つ賜べ」といへば、「それに入れたる米などは参らせん。 た おほき 九 驚く 一 ^ ( それに比べてうちの年寄は ) これということが何一つおできに ならない。家族の者にこう言われ て、隣家の老婆はやむなく腰をあ げる。 一九雀がどうとかしたということ うわさ は、噂に聞いていますが。 ニ 0 ぜひにと。しきりに。

9. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

291 巻第 こうして幾月もよく手当をしてやったので、だんだん躍 まったく人も住みつくことがないので、そこにはただその 塚一つだけがある。高辻よりは北、室町よりは西、高辻通り歩けるようにもなった。雀の心にも、このように助けて りに面して六、七間ぐらいの所は小家もなくて、その塚一養生してもらったことを、ほんとうにうれしいと思った。 つだけが高々としてあった。どうしたことか、塚の上に神ちょっとよそへ出かける時にも、女は家の者に、「この雀 まっ やしろ を見ていておくれ。餌をやっておくれ」などと言い置いて の社を一宇造り祀ってあるということだ。このごろでもま いくので、子や孫たちは、「ああ、なんだって雀などをお だあるとい , っ 飼いになるんですか」とひやかして笑うが、「とにかくか わいそうだからよ」と言って飼ううちに、飛べるようにな 十六雀の報恩の事 った。「もう、まさか烏にも取られまい」と外に出て、手 にとまらせて、「飛べるだろうか、見てみよう」と、手を 今は昔、春のころ、うららかな日ざしの下で六十ばかり しらみ の老婆が虱を取っていた時に、庭に雀がちょこちょこ跳ね差し上げると、雀はふらふらと飛んで行ってしまった。女 は、「今日まで長い間ずっと、日が暮れるとしまい、夜が まわっていたのに子供が石を取って投げつけると、当って 明けると物を食わせる習わしだったのにあーあ、飛んで行 腰を打ち折られてしまった。羽をばたばたさせてうろたえ っちまった。また帰って来るかどうか、気をつけていよ ているところに、烏が飛びまわっていたので、「ああ、か う」などと、所在なく思って言ったので、家の者に笑われ わいそうに。きっと烏が取るだろう」と、この女は急いで てしまった。 手に取り上げて、息を吹きかけたりなどして物を食わせた。 さて二十日ばかりたって、この女のいる近くで、雀がう 小さな桶に入れて夜はしまっておき、夜が明けると米を食 るさく鳴く声がしたので、「まあ雀がずいぶん鳴いている。 わせ、銅を薬として削って与えなどするので、子供や孫た ちが、「なんと、おばあさんは老いばれて、雀を飼いなさせんだっての雀が来たのかもしれない」と思って出て見る と、あの雀である。「感心に忘れずに来てくれたなんて、 るよ」と言ってひやかして笑った。 おけ

10. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

( 原文七七ハー ) それを連れて三町ほど逃げのびてから、普通にゆっくり と、まずく返答をするのではないかと季通がはらはらして どきよう と歩きだして、「いったいどんなふうにやったのだ」と言 いると、「御読経の僧の童子です」と名のる。そう名のら うと、「門などがいつもと違って閉められているうえに、 れて、「早く行けと言う。「これはうまく答えたものだ、 しかしこの部屋に寄って来て、今度はいつも呼ぶ女の童の土塀の崩れに侍たちが立ちふさがって、いかにも厳重に尋 どきよう 問されましたので、そこでは、『御読経の僧の童子』と名 名を呼ばうとするだろう」と、またそれを心配していると、 寄っても来ずに去った。「この童もちゃんと心得ている。 のりましたところ、入れてくれました。そこからいったん もともと勘のいいやつなのだ。そうとわけが分っているな 引き返して何とかしようかと思いましたが、私がお迎えに ら、とにかく何か計略があるだろう」と、この童の心をよ まいったと御主人様にお分りいただかなくては、どうもま く知っているので頼もしく思っていると、大路で女の声で、ずいように思われましたので、私の声をお聞きいただいて 「追いはぎ ! 人殺し ! 」とわめく。それを聞いて、この から、帰る道で、この隣の女の子がしやがみこんでいまし たのを、そっ首をつかまえてうち伏せて着物をはぎ取りま 立っていた侍たちは、「それつかまえろ。ここを離れても かまうまい」と言って、みな走り出して、門は開けられな したところ、わめき声をあげました。それを聞いて侍ども が出てまいりましたので、今はもう屋敷を出てしまわれた いので塀の崩れた所から走り出て、「どっちへ行った」「こ にちがいないと思って、こちらの方にまいったというわけ っちだ」「あっちだ」と尋ね騒ぐのを聞きながら、季通は この童の計略だなと思ったので、走り出て見ると、 です」と言った。童子ではあるが、賢くすばしこい者は、 錠がさしてあるので、誰も門のことは気にかけず、塀の崩こういうことをしたものである。 第 れた所に一部の者がとどまって、かれこれ言っている。そ はかまだれ 巻 のすきに、季通は門の所に走り寄って錠をねじって引き抜 十袴垂が保昌に会う事 いて、門が開くやいなや逃げ走り、土塀のはずれを走り過 ぎるころに、その童が追いついて来た。 昔、袴垂といってたいそうな盗人の頭がいた。十月ごろ かしら